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Keso de Bola とは、 「表面は赤いのに中は黄色い」フィリピンのボール型チーズ。転じて日和見主義者。       かつてお世話になった、現地の言葉で「灯台」と呼ばれるマニラ湾岸のスラムを、ガラス越しに。
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日本帰国・新しい仕事
 通算6年以上お世話になったマニラを7月いっぱいで離れ、その後2週間のバンコク滞在を楽しみ、1週間前に日本に戻ってきました。
 そして、新しい仕事が決まりました。とても尊敬する国会議員の秘書として、永田町と●ヶ関の両方で勤務することになります。もともと私が議員秘書になりたいと思うようになったのは、以前の職場にいたとき、●ヶ関と国会議員の力関係に強く関心を抱いたから。ですから、その両方を見ることができるであろうこの仕事に、わくわくしています。永田町は未知の世界ですが、●ヶ関には以前の職場でお世話になった方々があちこちにいらっしゃるので、心強く感じます。
 数日のうちに、東京での新しい住居も決めることになります。ほとんど生活用品を持っていないので、最近は日本でも増えつつある「家具・家電つき物件」を限定で探しています。フィリピン研究者の友人の皆さまはご存知かと思いますが、私が2年前までマニラで住んでいた部屋はコンドミニアムの39階、家具・家電つきで90平米(家賃約11万円・自己負担額1割強)でした。それは極端にしても、先日までマニラで借りていた部屋は家賃約2万円で家具・家電つき45平米でしたから、東京のワンルームの価格と間取りには、ただただ、びっくりです。
 初めての永田町、初めての東京生活、それ以前に久しぶりの日本での生活。慣れるまでにはすこし時間がかかるかもしれませんが、ずっとやりたかった仕事なので、とにかく、がんばります。
 きっとやっていけるはず。ここ3年くらいずっと怖かった新幹線(速すぎる)にも地下鉄(深すぎる)にも、最近では平気で乗ることができるようになりました。いえ、そんなの当たり前のことなのですが、そんなふうにひとつずつ慣れていけると思います。
 しばらくはフィリピンともタイとも離れてしまいますが、これからも研究は細く長く続けたいと思っています。そんな欲張りな、と言われるかもしれないけれど、11月の国際フィ●ピン研究学会でも報告させていただく予定ですし、論文も書いています。
 研究者の皆さま、友人の皆さま、これからもどうぞよろしくお願いいたします。

※※※

 勇ましい(?)言葉はここまで。
 以下は、バンコクから日本に戻ってくる直前に書いた文章です。読み返して、あまりにウダウダで気弱なのでアップしませんでしたが、いま書いておいたほうがいい気がするので、以下に貼り付けます。

 ※※※

 先日、通算6年間のフィリピン生活を終え、文字通りマニラから引き揚げてきました。最後の2週間は1日6件以上もアポを入れ、友人・知人へのご挨拶とディスペディーダ(お別れ会)三昧。名残惜しいのに慌ただしくて、時間はあっというまに過ぎてしまいました。
 いまは、日本に戻るまでの束の間のひとときを、バンコクで過ごしています。一応は調査が目的ですが、比較的ゆっくりしたペースでアポを入れ、友人たちに会い、タイ式マッサージの新たなライセンスも取得!
 渋滞のひどさをうっかり忘れてタクシーに乗ったらまったく動かなくなり、あきらめてラジオに耳を傾けていると「デデンデデーン、デデンデデーン」と、聞き覚えのある「でんでん太鼓みたいな音楽」が。そう、これは赤シャツ組の歌(デーンはタイ語で赤)。かかっていたのはラジオではなくて、赤シャツのサウンドトラックCDだったのでした。勇ましい音楽とは対照的に控えめに微笑む運転手が「別のもあるよ」と差し出してくれたのも、全部赤シャツCDばかり。結局ローテーションで2回くらい聴く羽目になりましたが、運賃のおつりは1バーツ単位でちゃんと返ってくる…そんなバンコク。とてもいいところです。

 明日、日本に帰って、そう遠くないうちに新しい仕事に就くことになると思います。念願かなっての就職のはずなのに、不安ばかりが増幅。
そして、フィリピンにもタイにも次はいつ行けるのか見当もつかないから、センチメンタリズムが一層加速されます。

 1年4ヶ月前に前の仕事の契約を終えて日本に帰ったとき、私はなんだか気が抜けたようになってしまって、前の仕事での自分を後悔ばかりしていて、そして久しぶりの日本に馴染めなくて、3年分の貯金額とは裏腹にただ不安で、もう二度とまっとうに社会で働くことはできないかもしれないと思っていました。特に、日本で働ける気がしませんでした。
 幸いなことに、私は当時まだ大学院に籍がありましたし、その数ヶ月後からはフェローシップで1年間、タイとフィリピンに滞在できることになっていましたので、この1年4ヶ月の間はずっと、無職のままで来ることができました。その間にちゃっかり博士論文も提出させていただき、恵まれた環境に包まれたまま、長い長い自由を堪能しました。
 この1年間、フェローシップでの研究活動をしながらも私がずっと考えていたのは、このフェローシップ期間が終わる2010年8月までにいかにして社会に復帰する自信をつけるかということでした。
 いえ、決してそんなにまで自信を失っていたわけではなく、いざとなればきっと普通に働けるとは思ってはいたのですが、確信がほしかったというか、不安から解放されたかったのです。私の不安はここ数年でどんどん膨らんでいて、3年くらい前には、日本の新幹線は速すぎて怖く、地下鉄は深すぎて怖いと思うようになり、一人では乗れなくなりました。そんなことで、まともに日本で仕事ができるはずがありません。
 1年のうちに、そうした問題をなんとか解決しなくてはならないと思っていました。
 そのために私がしたことは、心身ともにとことん健康的な生活の追求でした。私はもともとかなり健康なほうなのですが、前の職場で働いていたときはとても不規則な生活をしていて、特に最後の数ヶ月は、朝も昼も何も食べずに夜はジンか焼酎で睡眠薬を飲んで眠る、というような日も多く、いろいろなことがダメになっていました。それでも仕事はこなせたし、もともとお酒には強いから朝6時まで飲んでも7時には出勤できたのですが、このままでは取り返しがつかないことになるし(っていうか破滅まっしぐら)、そうした自堕落な生活が自分の果てしない不安の一因になっていることは明らかでした。

 昨年8月にフェローシップが始まり、最初の2ヶ月はまず、マニラに滞在することになりました。もう二度と外国で一人暮らしなんてできないと思っていた私は知人宅にホームステイをお願いしました。そして、それまでのすべての悪習慣を断ち切るべく、フィリピン人並みの早寝早起きを励行し、温かい家族に囲まれて過ごし、朝6時からスポーツジムに通い、インストラクターと栄養士の指導のもと、マニアックに健康増進を目指しました。もちろん、友人と会うときを除いて禁酒です。
 その後、昨年10月から今年3月まで滞在したバンコクでも、知人宅にホームステイをさせていただきました。ベッドも共有で、プライベートな空間はゼロに等しかったのですが、プライバシーより不安からの解放を求める私にはまたとない環境でした。そしてまたこのホストファミリーが、早寝早起き、ほぼ菜食、朝は豆乳・夜はフルーツを欠かさず、冷たいものは摂らない、飲み物は常にハーバルティー、といった超健康志向で、内面は熱いのにいつも穏やかな、非常にタイ的な活動家ファミリー。調査どころか日常生活レベルのタイ語もままならなかった私ですが、彼らはすべて受け入れてくれました。実り多く、幸せな6ヶ月でした。
 そのおかげか、今年4月に再びマニラに戻った私はかなり元気で、炎天下の選挙キャンペーンも、豪雨の下のフィールドワークも、友人との徹夜もばっちり。20代前半の頃の体力に戻ったかと思われるほどでした。実際は30歳なのだから当たり前のように体力の限界も浮き沈みもあるわけですが、やっと、自分の状況を自分で把握し、予測し、コントロールできるようになってきました。再び、週5日は朝6時からジムに通い、信頼できるインストラクターのもとでトレーニングを行い、さらなる体力向上に努めました。
 その結果、この4ヶ月のマニラ滞在は本当に充実していました。調査自体が心からおもしろかったし、人と会うことが楽しかった。前の職場にいたときに知り合ったフィリピンの方々にも、本当に良くしていただきました。私は勝手に、以前の仕事のカウンターパートは、あくまでも仕事上の付き合いであって、「限りなく無職に近い自称研究者」に戻った私の相手なんてしてくれないのだろうな、と思っていたのですが、そんなことはなく、皆、無職になった私と、友人として付き合ってくださいました。そのことがとても嬉しくて、一番力づけられました。

 新たな問題は、フィリピンとタイが心地よすぎたこと。
 特に、友達は20代の半分以上を過ごしたフィリピンに集中していて、弁護士、医師、薬剤師などのプロフェッションをもつ知り合いもたくさんいて、何かあったらいつでも相談することができます。調査地のスラムに行けば電化製品修理のプロ、裁縫のプロ、洗濯のプロ…といった草の根の専門家ばかり。何が壊れても大丈夫。銀行だって両替商だって旅行代理店だって郵便局だってコピー店だってぜんぶ行きつけで、みんな顔見知りで、携帯電話番号も交換しているくらいです。困ることなんてほとんどない。隅々まで張りめぐらされたセーフティネットの中で生きている感じがします。マッチョで優しいフィリピン人とのLove Lifeも楽しいし、お芝居もコンサートもライブバンドも格安で楽しめるし、いつも、とても豊かな生活を享受していました。
 タイも楽しかった。夜遅くなったときなどはたまに興味本位で、便利な場所にあるバックパッカーや「外こもり」の方々の泊まる1泊200バーツ(約600円)の安宿に泊まって、旅行者のふりをして宿泊者のお話をきいたり、ロビーのギターを練習したりして、「私も外こもりしたいなあ」と思いました。(いえ、私だってすでに半分くらい外こもりだったのですが…。)
 決していつも「フィリピン大好き」、「タイ大好き」と思っているわけではないし、不便だし不衛生だしゆるすぎるし、腹の立つことはたくさんあるのですが、私があの「ゆるさ」を生きやすいと感じていることは事実です。

 日本はシステマティックで洗練されていて生活しやすくて、帰国のたびに感動してしまいます。でも、医師の友人も弁護士の友人も、電化製品を直せる友人も思い当たりません。銀行でも郵便局でも普通の店でも、なにかと話しかけづらい感じがします。2年前、休暇でフィリピンから日本に帰ったとき、自分の銀行口座から現金を引き出そうとしてATMマシンにフィリピンの銀行口座の暗証番号を何の躊躇もなく入力すること3回。安全ロックが作動し、それっきり使えなくなりました。後日、恥を忍んで窓口で手続きをして、新規暗証番号を登録していただきましたが、あれ以来、日本のATMを使うたびに緊張します。そもそも私の貯金の9割はフィリピンの銀行のドル口座に入っているので日本円の残高はこころもとないし、フィリピンではカードを使うことなんてほとんどなかったから気が付けばカードの利用限度額は大学生レベルの「月10万円」のままだし…日本での生活を築くための基盤が、そもそも、とても脆いのです。電車の路線も複雑だし、人々はよそよそしいし、日本での生活を考えると不安になることがよくあります。

 日本には当分戻らないことにして、フィリピンで、あるいはタイの日系企業あるいは日系の組織に就職するという選択肢も、ずいぶん考えました。実際、そんなお話をいただいたことが何度もあり、本当に感謝しています。
 でも、私は日本に戻って、日本で働いてみたいのです。
 念願の議員秘書になりたいから、というのはもちろん理由の一つ。昨年脳溢血で要介護者になってしまった父と、そして家族と、できるだけ近いところにいたいから、という理由もあります
 そしてもうひとつの理由は、このタイミングでいいかげん日本社会に戻らないと、このままずっと戻れないかもしれないから。
 私はいまだに、マニラでの前の職場で自分が満足に職務を遂行できなかった、という思いを消すことができないのです。努力したし、内からも外からもまあまあの評価は得ていたし、もちろん仕事に穴をあけたことは一度もないし、博士論文の土台となる研究活動もできたし、傍から見ればむしろ順調に見えたと思うのですが、私はいつも自分のパフォーマンスに満足できず、自分自身の状況は良くありませんでした。
 今年6月にマニラのデ●サール大学の政治学部で講義をさせていただいたとき、前の職場の幹部が聴講に来てくださいました。2年くらい前、すべてのことがうまく回らない時期があり、私はある日、勢い余って、7枚綴りの手紙を彼に提出したことがあります。(どれだけ大人げないのって話ですが、当時のコンテキストではそうするしかなかったのです、たぶん。)…いろいろご迷惑をおかけし、その後もいろいろなことがあり、一時はかなり気まずいことになっていたのですが、なんとか再びご挨拶させていただけるようになりました。そして今回、彼は私の講義を聴きに来てくださり、事後のレセプションにも参加してくださいました。先方の大学の先生方は思わぬゲストの出席に大喜びで、
 「sagingは、研究に理解のある素晴らしい上司に恵まれていて、だから、働きながら博士論文が書けたんだね。」
と口々に言っておられて、私はただ、自分を恥じるばかりでした。
 私はもっと努力できたはずなのに、どうしてあんなに不満と不安ばかり感じていたのだろう、と思って、そのたびに、自己嫌悪に陥ります。どうしてあのときもっとうまく立ち回れなかったのだろうとか、3年間もマニラに住んでいて自分は何をしていたんだろうとか、仕事も研究ももっと頑張れたはずなのにとか、そんな思いが募るばかり。とにかく、いろいろなことがうまくいかない3年間でした。そしてそのことが、自分の周りにいつも漂う不安感につながっているのだと思います。

 …ただ、ここ数ヶ月、タイでもフィリピンでも、ちょうど、自分が以前にいた組織の類似のポストで仕事をしている友人と親しく話す機会が何度もあって、私は彼らと話すことで、自分の過去の問題点を少しずつ具体的に振り返れるようになりました。話を聞く限り、彼らの上司はなかなかの暴君で、仕事の量も内容もハード。私は当時、自分の上司のことをそうとう無茶な人だと思っていましたが、彼らの勤務環境はそれとは比べ物にならないくらいきつそう。でも、私が彼らを尊敬するのは、彼らが日々のきつさを超えて、現状をきちんと分析し、愚痴ではない言葉で話すことができる人たちだからです。
 「うちの上司がね…。自分の時間もなくて、大変なんですよ。」
なんて話だったら誰にでもできるけれど、彼らはそうではなく、雑務や上司の暴言のなかに組織の論理を見出し、忙しい仕事のなかでも課題を見つけ出して自分の研究テーマに結びつけています(お二人とも研究者)。彼らと話していると私は自分の何がダメなのかを具体的に考えることができて、とても建設的になれるのです。
 いまでも自信はないままだけれど、彼らと話すことをきっかけに、少しずつ、自分の問題点を「総括」できるようになって、もう一度日本の組織で働きたい、挽回したい、という気持ちが強く起こってきました。そんなにうまくはいかないかもしれないけれど、少なくとも以前よりはうまくできるはず。
 マニラのTさん、バンコクのMさん、二人とも絶対ここは見ていないと思うけれど、本当にありがとうございました。

 フィリピンに、あるいはタイにずっといれば、「ゆるく」、「不安の少ない」生活ができるのかもしれません。でも、それでもきっと将来への果てしない不安は消えることがないし、不満だってきっと消えることはありません。どこにいて何をするにしても、不安を飼いならし、不満を昇華(消化ではなく)していくしか道はないのでしょう。
 マニラを離れる直前、前の職場を訪問し、かつてお世話になった方々にご挨拶をさせていただいたとき、私が一番ご迷惑をおかけしたある方がこう言ってくださいました。
 「あなたは、こんなに恵まれていたこの職場にいたときですら不満や不安があったんでしょう。次の職場では、そうとう頑張らないといけないと思いますよ。僕には、あなたが日本で通勤電車に乗って仕事に行くという状況が想像できない。日本にはFX(乗り合いタクシー)はないんですよ。もう、新幹線が嫌だから夜行バスで移動とか言ってられないんですよ。」
 このように言ってくださる方がいるのは、幸せなことだと思います。恩返しのためにも、頑張って、いい仕事をしたいと思います。

 「Congratulations! 君ならどこででもやっていけるよ。」
といって送り出してくれた楽天的なフィリピン人、タイ人の友人たちの言葉にちょっと励まされながら、そして、
 「きっと、きついよ。」
 「まあ、もしダメだったら、いつでも帰っておいで。こっちでアパート探しておいてあげるから。タイでもフィリピンでも、きっと仕事はあるから。」
そう言ってくれる在タイ、在フィリピンの日本人の友人たちにだいぶ励まされながら、明日、日本に帰ります。本当にありがとう。きっと大丈夫。がんばりますよ。
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# by saging | 2010-08-22 02:50 | 仕事('10年~)
続・ポピュリスト
 前回の投稿ではあまりに一方的な感想を書いてしまったので、別の意見もということで、ここにご紹介させていただきます。

 就任式の3日後、ケソン市の某農村開発NGO内のオーガニック・カフェで行われた、ある友人の誕生日LIVEに行ってきました。この某農村開発NGO、日本ともかかわりがありますが、私がお付き合いいただいているのはその中でもきわめて政治的な方々++某政党の方々++…です。私がフィリピンでいちばん心地よくいられる場所は、たぶんこのインナーサークルです。彼らとおしゃべりしたり黙って音楽を聴いたりしながらビールを飲むのが最高。(オーガニック・カフェながらサンミゲルは飲めます。)前の職場で働いていたときでさえ、ときどき、21時に仕事が終わってから1時間以上かけてケソン市に行って、彼らの演奏を聴きながら夜更けまで…という楽しみ方をしていました。ここで知り合ってから研究や仕事でお世話になった人は数知れず。この間、あるフィリピン研究の友人に
 「どうやって活動家と親しくなって話を引き出せばいいんですか?」
と聞かれたので、自信を持って、
 「ライブハウスに頻繁に通って飲みながら知り合いをつくる。で、知り合いになったらまた飲みに誘う! あと、グループで家に呼んで飲ませて仲良くなる!」
と答えたら、
 「ぜんぶお酒ですか? 私、飲めないんですけど…。」
と言われ、自分がいかにコミュニケーションをお酒と音楽に頼っているかを改めて認識してびっくりです。

 さて、この日は、80年代シンガーやConspiracy Caféの常連さん、70sビストロのオーナーまで参加して盛り上がり、20時から0時までエンドレス。
 その後、そこから徒歩10分ほどの小さなバーで開催されていたSusan Fernandez(アクティビスト系シンガー)の一周忌LIVEに皆で移動。すでに真夜中ですがまだまだ人がいて、7年前にフィリピン大学で一緒だったクラスメイトとも偶然に再会。常連客らしいコラムニストの皆さんや、Susanの前夫のフィリピン大学のM先生とお話して、まったりしていると、3日前の大統領就任式で3曲も歌った、あのNoel Cabangonが登場。あの日あの場所でフィリピン人シンガーの頂点に立った彼ですが、普段は、毎週水曜日にConspiracy Caféで細々と歌っている普通のアクティビストシンガーです。見た目は完全に普通のおじさんだし。
 「わー、有名人が来たー!」
と皆が冷やかすと、就任式の舞台でやった振付を披露してくれました。あんなところで歌って緊張しないのか、と聞かれても、
 「それが、しないんだよねー。シンガーだから。」
と、普通の様子。
 私は以前、彼が私の調査地のスラムでバランガイ選挙のために歌ったときに彼にインタビューをさせていただいたことがあり、また、普段からConspiracy Cafeに彼の演奏を聴きにいっていますので、さっそく近づいて、ここぞとばかりに質問を。
 「どうしてNoynoyのために歌うことにしたのですか?」
 「今回の選挙キャンペーンでいったい何回歌いましたか?」
 「最初に歌った曲はNoynoyのキャンペーンのための書き下ろしですよね? 今後、あなた個人のライブでも歌うんですか?」
などなど。彼は終始リラックスした感じで答えてくれたので、さらに核心を突こうと、
 「今日の新聞コラムで、『就任式はまるでポップコンサートだった』と書かれていますが、あのプログラムは良かったと思いますか? そして、Noynoyの就任演説の『腐敗をなくすため自分たちから変えていこう、ルールを守ろう』という呼びかけとあなたの曲は深くリンクしていますが、あのメッセージは人々の心に届いたと思いますか?」
 彼の答えは、
 「ルールを守りましょうというメッセージ、あれはただのお説教ではない。Noynoyの就任演説で使われたタガログ語は非常にコロキアル。単に英語に直訳しただけでは伝わらない深い意味をもっている。たとえば、”Walang lamangan, walang padrino at walang pagnanakaw. Walang wang-wang, walang counterflow, walang tong.”というフレーズのwang-wangには、車のクラクションをブーブー鳴らすという意味もあるが、VIPらがサイレンをつけて渋滞を回避することであり、それは、フィリピン的文脈を知らない人には理解できない。Wang-wangは、地位を利用し、権力を濫用し、規則を無視して大衆を蹴散らすことの象徴でもある。クラクションをむやみに鳴らすのをやめましょうという呼びかけと、そして、権力者への批判と、両方の意味があるのですよ。別の個所も同じことです。」
 そこで私はさらに挑戦的に、
 「あなたが『規則に従いましょう、行列には並びましょう』と歌っていたとき 大衆は歌詞は聞かずに押し合いへしあいしながらただ音楽を楽しんでいたし、Noynoyが『渋滞も我慢しましょう』と呼びかけたとき、大衆は『大統領スピーチが始まったから間もなく終わりだ、渋滞する前に帰ろう』と言って席を立って出口に向かっていたのですよ。もしWang-wangに2通りの意味があるなら、届くのは権力批判のほうだけではないですか? 『自分たちが貧しいのは金持ちが汚職しているせい』と思っている人々は、『偉い人』の汚職を、特にアロヨ政権の腐敗を糾弾することは喜ぶけれど、『まず自分たちの行いから変えましょう』というメッセージは、汚職が埋め込まれた彼らの日常には届かないのでは?  もしNoynoyが、あなたの歌を使い、まるで幼稚園の先生のように『列には並びましょうね、渋滞も我慢しましょうね』と呼び掛けることで大衆を変えられると本気で思っているなら、それはナイーブすぎるのでは?」
Noelの答えは、
 「自分はステージのあちら側にいたから、Noynoyのスピーチ中に帰路につこうとしていた大衆のことなんてもちろん知らないし、もしそれが本当ならショックだ。でも、Noynoyのスピーチに感銘を受けた大衆もいるはず。大統領がサイレンを鳴らさないことで、庶民が自分を反省して規則を守るようになると考えているほど自分はナイーブではないけれど そう信じるしかない。そう冷笑的な見方をしないでほしい。少なくともアロヨよりましだ、というその一線において自分はNoynoyを支持してきた。彼がこれまでClub Filipinoなどで行ってきた難しいタガログ語を散りばめた演説よりも、幼稚園の先生みたいであってもコロキアルに語りかけるほうがずっと良い。あの演説を英語に直せば、外国人は何をレベルの低い、とあきれるだろうし、外国の賓客は『就任式なのに歌いすぎだろう』と思ったかもしれないけれど、フィリピン的文脈においては、じゅうぶんに評価されるべきことなのです。」
というものでした。
 
 もちろん、私は納得しないままです――。「フィリピン的文脈」などという理屈をもちだしてくるのも、Wang-wangがコロキアル・タームだから大衆に届くはずと安直に思いこむのも、ミドルクラス的だなーとしか思えません。彼らの想定する大衆って、いったいどこにいるのか。単なる幻想なのでは? 目の前にいる、ルネタ公園で押し合いへしあいしていた、リアルな大衆を本当に見ているのかな?と思います。就任演説にかぎらず、私がキャンペーン中からNoynoy陣営に対して覚えている違和感、そしてこの新政権に対して感じている物足りなさは、そこに行き着くのだと思います。手ごたえがないというか、空虚な言葉が空回りしているだけというか。

 外国人のくせに、そしてタガログ語専門家でもないのに偉そうなことばかり言ってごめんなさい。いやな顔せずに聴いて答えてくださってありがとうございます、Noel. 私はNoynoyの愛すべきキャラは好きですし、もちろんNoelの熱い魂も彼の語りかたもとても好きで、尊敬しています。来週またNoelの演奏を聴きに行こうと思います。友人たちへ、いつも素晴らしい時間をありがとう。これからもよろしく。
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# by saging | 2010-07-03 19:24 | フィリピン(全般)
ポピュリスト
 昨日、ノイノイ・アキノ(以下Noynoy)新大統領が就任しました。
 私は、午前中はキリノ・グランドスタンドでの就任式を、夕方からは新政権発足を祝うケソン・メモリアル・サークルでの野外コンサート(Street Party)を見に行きました。もちろん、Noynoyを見に行ったのではなく、そこに詰めかける人々を見に行ったのです。

 …エストラダを超えるポピュリスト大統領が誕生したかと思いました。

 まず午前の部。当然ながら、就任式の行われるキリノ・グランドスタンドに立ち入ることができるのは招待客だけ。しかしグランドスタンドに隣接するルネタ公園はオープンスペースで、一般の支持者が詰めかけることができるようになっていました。あちこちにスピーカーや大型スクリーンが設置され、どこにいても、中央ステージの様子が見られるようになっています。
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 有名な「カラバオ像前」でセキュリティチェックが行われます。
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黄色のピエロっぽい人がいました。

私はケソン市のスラムからいらっしゃった方々と一緒に参加させていただきました。覚悟はしていましたが、周りはぎゅうぎゅう。そして、前夜の雨のせいで足元はドロドロ。
プログラムは11時前に始まったのですが、大統領・副大統領の宣誓式に持ち込むまでの1時間は延々とミュージック・パフォーマンス。国歌斉唱、Bayan Ko斉唱…ここまではいいとしても、Noynoyのキャンペーンソングの合唱(もう選挙は終わったのに!)、APO HIKING SOCIETYにChristian Bautistaなどなど…。
 外国からの賓客も来ているというのに、とことんフィリピン・スタイルのエンタテイメント・ステージ。ラモス・ホルタをはじめ賓客の方々は、いったいどのように受け止めたのでしょう。

 Noynoyのキャンペーンにも付き添ってきたアクティビスタ系シンガーのNoel Cabangonは、Noynoyの第二のテーマソングのようになっている”Pagka ako’y isang mabuting Pilipino(善いフィリピン人は…)”をはじめ3曲を熱唱。
 「横断歩道を渡りましょう。」
 「道にごみを散らかすのをやめましょう。」
 「行列には並びましょう」
と歌で呼びかけたのですが、彼の押しつけがましい歌詞なんて聞いちゃいません。押し合いへしあい、
 「おい、そこ、旗を振りかざすのやめろよ、スクリーンが見えないだろ!」
 「私は旗を振るために来たのよ。振りかざすべき旗もない人間が、何言ってるの?」
などと、そこここで喧嘩。
 「フィリピンを愛するなら、ルールを守ろう」
というNoelのメッセージもむなしく、まったく当事者意識に欠ける大衆なのでした。
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 ルネタ公園に集まった人々。それぞれに思いはあるのでしょうが、基本的には、ステージ・パフォーマンスや俳優クリス・アキノ(Noynoyの妹)の一挙一動にしか興味がなく、無料で配られていたリストバンドなどのグッズを奪い合い、お菓子の配分について喧嘩し、神聖な「宣誓式」の最中に大声でおしゃべりし、Noynoyの就任演説が始まると、
 「もうすぐ終わるぞ、渋滞するから早く帰ろう」
とのリーダーの号令で会場を後にする人多数。Noynoyは演説の中で、
 「皆さんも渋滞にはイライラしますよね、でもルールは守らなくてはなりません。」
と呼びかけていたのですが、残念ながら、貧困層は聞いちゃいません。
前政権の不正を追及するとの強い姿勢を示し、
 「汚職がなければ貧困もない!」
と呼びかけるNoynoyに拍手した大衆ですが、それは単純に
 「政治家が汚職してるから自分たちは貧しいんだ」
 「アロヨの腐敗は度を過ぎてるよね」
という意識に基づいているから。まさか自分たちが汚職の温床だなんて思っちゃいません

 夕方からは野外コンサート。応援してくれた有権者らに還元するために新大統領が企画したコンサートとの触れ込みですが、もちろん、クリス・アキノとABS-CBNの仲間たちが企画したに違いありません。TVで見ればいいのですが、この日のためにNoynoy本人もソロで歌う練習をしてきたとのことなので、それはぜひ生で聴かないと…という野次馬根性丸出しで、私も参加しました。
 自由党幹部のCさんや友人たちと一緒に8時に会場入りしたのですが、すでにものすごい人混みで、ステージに近づくどころか、ステージからはるか離れたところに設置された巨大スクリーンが見える位置まで近づくのが精一杯でした。集まっているのは若年層を中心とした、Tシャツにゴム草履履きの庶民。友人たちと手分けして何人かにインタビューしたのですが、Noynoyに投票した人は少数派。
 「ただコンサートが見たいから来た」
と答える方が圧倒的でした。

 次々とステージに登場する豪華ゲストの歌やダンス、コントなどに観衆は大興奮ですが、会場はぎゅうぎゅう。雨も断続的に降りつづけるので、全身びしょびしょ、足はドロドロ。雨の中でタテノリとかしちゃうものですから、ますますドロドロです。相変わらず人々は割り込み放題で、
 「傘たため! スクリーンが見えないぞ!」
という怒号が飛び交ったり、音響設備によじ登ったり、挙句の果てには服を脱ぎだしたりと、まるでカオス。
 そんな中、2時間待ってもNoynoyは登場しません。いい加減帰りたくなってきましたが、自由党幹部のCさんの手前、そんなことは言い出せません。Cさんは新政権の閣僚になってもおかしくない人で、実際、コンサートの直前まで、新閣僚の数人とご一緒でした。が、
 「僕は閣僚じゃないし、彼女たちと一緒にVIP席で見るのは嫌なので。」
と、大衆と共にステージのはるか遠くから雨に打たれて観賞することを選んだのです。人間、できすぎです。ぜひこういう方に、上に立っていただきたい。
 
 結局、Noynoyは11時前になって2曲歌いました。1曲はJazz…どう盛り上がっていいかわからない微妙すぎる選曲。2曲目はフレディー・アギラのEstudyante Blues…またも微妙。でもともあれ、自ら歌うというエンタテイメント精神はすごいと思います。

 Noynoyは確かに、「ばらまき」はしません。しかし彼だって大衆の心をつかむ必要があるわけで、そのためには、エンタテイメント的要素を使っての有権者に精いっぱい迎合しなくてはならないわけでしょう。
Noynoyはことあるごとに
 「自分は皆さんと同じ普通の人間です」
と繰り返します。それはパフォーマンスだけではなく事実で、キャンペーン期間中も、隣に座る副大統領候補のロハスの洗練された身のこなしに対して、彼はいかにも凡人と言った感じでした。でも、凡人であることと、「庶民の心に近い」こととは違います。音楽で楽しませ、良心に訴えるだけで、人々がルールに従うなら、そんな簡単なことはないのに。
 「汚職がなければ貧困もない!」
というスローガンは、なんとなく彼の「世間知らず」を体現しているようにも見えるのです。
 TV放送では、あたかも幅広い階層の市民がNoynoyのために集まって盛り上がっているように映し出されていましたが、大衆の意識は、これまでと何も変わらないと思います。


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 おまけ。ルネタ公園のそばに停まっていたトラック。突っ込みどころ満載。
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# by saging | 2010-07-01 19:41 | フィリピン(全般)
左じゃないの?(アキノ大統領就任式を控えて)
 6月30日、ベニグノ・”ノイノイ”・アキノ新大統領が就任します。
(今回の記事は、フィリピン政治のきわめてマニアックな話です。)

3週間ほど前に、フィリピン大学アルムナイホールで開催された、A●BAYAN(修正左派系Party-List組織)のVictory Partyに参加させていただきました。A●BAYANはこれまでは弱小の左派組織でしたが、今回の選挙ではその人材とネットワークを駆使してアキノ陣営にがっつりと食い込み、その結果、新政権のコアをきちんと占めていますので、動向が注視されます。
 今年まで同党の現職下院議員であったRisa Hontivelosはアキノ陣営から上院議員に立候補しましたが13位で惜敗。(無名の左派候補が13位までのぼりつめたのは、A●BAYANの力というよりもRisa個人の美しさと人間的魅力のためだと思われます。Risaはかなり綺麗でファッショナブル、そして左派活動家なのに人当たりが最高。どこのレセプションで見かけても会場の華ですし、1対1でお会いしたらちょっと酔ってしまいそうなくらい素敵な女性です。)下院議員もまだ2名しか確定しておらず、客観的にはとてもVictoryとは言えない状態なわけですが…。
 実際のところ彼らは、党のVictoryではなく、新大統領アキノ(以下Noynoy)のVictoryを祝っていたのでした。
 
 開会後すぐに、Noynoyがひょっこりと(警官に囲まれながらも)登場。とんでもない大物ゲストの登場に、会場はがぜん盛り上がりました。Noynoyは終始リラックスした表情で幹部らと歓談、その後、壇上に立ってスピーチ。あいかわらず聞こえにくく、肝心なセリフの「溜め」もなく、本当に下手です。一緒にいるA●BAYANの活動家らがやたらと話し上手・アジり上手なものですから余計にNoynoyのダメさが際立つ感じです。
スピーチ後、舞台袖から外に出ていくので「あらもう帰るの」と思ったら、5分ほどでまた戻ってきて、20分くらいするとまた出て行って…を繰り返していました。「喫煙休憩」だそうですが、落ち着きのない…。本当に次期大統領? 大丈夫なのでしょうか。あまりにも「普通の人」すぎる気がします。
 ちなみにNoynoyはちっとも「左派」とは言えないと思うのですが、学生時代にSocial Democratsの空気をたっぷり浴びたせいもあって精神的にこの党の方々に近いものがあるようです。

 40分ほどでNoynoyが帰ると、幹部のスピーチもそこそこに、党歌を合唱しただけであっさりとプログラム終了。参加者はコアな党員よりも首都圏のスラムを中心としたコミュニティ・リーダーのほうがずっと多く、くだけた雰囲気で歓談したり食事をしたりビールを飲んだり(あんなにビールばかり積まれたパーティーは珍しい)会場の一角で踊ったり、普通のパーティー。Noynoyはレチョンを15頭もプレゼントしたそうで
会場にはレチョンがあふれていました。15頭って…。
 会場には、数日前に保釈されたばかりのクーデター准将Danny Limも来ていました。彼はスピーチもせず、久しぶりに娑婆の空気を楽しんでいるご様子。

 私も、コアな活動家である友人たち、調査でお世話になっているスラムの知人たち、そしてゲストとして顔を見せていた議員秘書たち(前の仕事でさんざんお世話になった)などに一度に再開することができ、とても楽しい時間を過ごさせていただきました。私は党員ではありませんが、A●BAYANの方々や彼らのやりかたが好きですし、彼らと話していると心から楽しく感じます。2003年に初めて留学したとき、Party-Listの意味も選挙の日取りも知らなかった私にいろいろ教えてくれた友人たちが揃ってA●KBAYANでしたし、彼らの選挙キャンペーンやロビイングやプロパガンダのやりかたは、さらに急進的な左派のそれよりもバラエティに富んでいておもしろいです。

 さて、ここまでは長い言い訳です。これから書くのはむしろ、A●BAYANへの批判。私はこの党がとても好きですが、実は博士論文でも、特にスラムの住民を扇動・操作しようとするオーガナイザーの強引さを暗に批判しています。
 
 選挙から1週間もたたないうちに、私は調査地の複数のスラムで、
 「A●BAYAN系のオーガナイザーがスラムを回って、『Noynoyが大統領になったのだからもう路上に出る必要はない』と説いて回っている。」
 「『6月30日の就任式にはルネタ公園に集合しろ』と言われている。それも、これまでのような抗議集会のためではなくて、支持集会のためにだって。」
 「もうデモはしないんだって。7月26日の施政方針演説のデモも今年はやらない、なぜなら『我々は良い大統領を得たから』だって、オーガナイザーがそう言ってる。理解できないよね。」
といった声を聞きました。そして彼らは、きわめて批判的。
 「バカにしないでほしい。これまでさんざんデモに動員をかけておいて、今度は『デモに行くな』だって。私たちを縛るのもいい加減にしてほしい。」
 「『選挙では何も解決しない、路上に出ることが真のデモクラシー』って言ったじゃないね。」
 「そもそも、私たちはエストラダに投票したんだよ。オーガナイザーの前では言わないけど。Noynoyの支持集会なんて、行くわけないじゃない。」
 「貧困層は日和見主義だなんて言ってたの誰よ、日和見主義はあっちだって。」

 そのとおり。これまではmobilize the poorだったのに、今度はdemobilize the poorだなんて、それで民衆の心を掴むのは無理ってものです。

 さらに、最近彼らがまわしているのが、こんな携帯メール。
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Bakit ba tayo pupunta sa Oathtaking ni Noy-Bi?

1. Dapat ipakita natin na MASAYA tayo dahil aalis na si Gloria sa Malacanan.
2. Ang panalo ni Noy-bi ay panalo na “Peoples Power” sa balota.
3. Hindi na tayo nag-People Power sa kalsada kasi baka ipahagupit lang tayo sa pulis ni Gloria
4. May pag-asa na tayo umunlad
5. Magiging parte tayo ng kasaysayan at TESTIGO na wala ng Gloria Arroyo.

Mabuhay ang mamamayan! Wala na si Gloria sa June 30.
Magkita tayo sa Luneta!


<簡約>
なぜ我々はNoynoyとビナイ(新副大統領)の就任式に行くのか?

1.我々がアロヨ退陣を喜んでいることを示すため。
2.アキノとビナイの勝利は投票における「ピープルパワー」の勝利だから。
3.我々は今回、路上に出ての「ピープルパワー」はしなかった。アロヨ政権の警察らにぶたれるだけだからね。
4.未来への希望が出てきた。
5.アロヨ退陣という歴史の証人となるため。


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 …とても気になる点が。
 まず、路上行動のプロ集団みたいな彼らが、街頭示威行為を明確な否定している点。このメッセージ、明らかに「ピープルパワーなしにアキノ政権を実現させたこと」を強調しています。それは彼らがスラム住民に対して使っている「アキノ政権なのだから今後はデモに行くのはやめよう」というプロパガンダを支えるレトリックにほかなりません。
選挙の5日前に幹部らが「もし選挙が延期になっても路上に出るのはやめよう」と言っていたことも思い出されて、これがもとからの戦略?と思ってしまいます。でも、そのために、左派のコアともいえるデモをやめるなんてねえ。まあ、Noynoyと組むことで、「赤」だったロゴを「黄色」に変えた経緯もあることですし…。
 
 アロヨは、ピープルパワー伝説を極力封じ込めることで街頭支持行動を回避しようとしました。Noynoyも結局、彼女と同じ戦略を使うのですね。もちろん、良い悪いは別として。
 なにはともあれ、この人たちはかなりの戦略家なので、今後も注視していきたいと思います。


 …あと、A●BAYANがビナイ(新副大統領)を支持してきたかのようなメッセージも気になります。彼ら実は、事前にエストラダ派と話をつけて、大統領はNoynoy, 副大統領は自由党陣営のロハスを見限ってエストラダ派のビナイ、っていうシナリオで妥協していたんじゃないの? …もちろん可能性の話なので、これから裏を取らなくてはなりませんが…。
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# by saging | 2010-06-28 19:42 | フィリピン研究
30歳
 数日前、30歳になりました。メールやSNSへのメッセージをくださった方々、本当にありがとうございます。
20代の半分以上をすごしたフィリピンとも、とうとう、あと1ヶ月あまりでおわかれです。そう思ったら最後に海が見たくなり、誕生日は、ドゥマゲッティとシキホールで迎えました。
 空と海と月。ほかには何もいりません。こんな倖せがほかにあるでしょうか。
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 この8月には、今度こそ本当に、日本に帰り、日本の国会議員秘書を目指します。さまざまな方々からのお力添えによってなんとか実現しそうなので、がんばります。
 決して、議員秘書をライフワークにしたいわけでもないし、ましてや、自分自身が政治家になりたいと思っているわけでもないけれど、ただ、もっと大きな自分の将来の目標というか、自分が世界に対して挑戦してみたいこととか、そんなことを実現するために、自分の祖国である日本という国の議会システムをもっとよく知りたいのです。前の職場で3年間お世話になっていたときに日本の官僚システムを垣間見ることができて、それから、立法府とも少しは接点があって、ぜひ立法府を内側から見たい、と思うようになりました。見たいものはもっとあります。国連機関の仕事もしてみたいし、今年は見送ったけれど、いずれJ●CAでも働いてみたいと思っています。NGOからは完全に「官」だと思われているのに実は大●館にないがしろにされているところとか、新人はやたらめったら熱い(青年海外協力隊っぽいノリ)のに中堅はきわめて官僚的なところ(どこでギアチェンジが行われるのか??)とか、旧J●ICと一緒になったことによるゴタゴタとか、きわめて興味深いと思います。
 …というわけで、やってみたい仕事は、無数にあります。10代のときに「NGOどっぷり」だったぶんも、少しでも多くの立場から「世界」を見たいと、そう思っています。

 努力しては前を向いているつもりだけれど、漠然とした不安はいつも自分の周りを覆っていて、具体的にはたとえば、議員秘書としての過酷なスケジュールに耐えられるのかとか、仕事以前の問題としてぎゅうぎゅうの東京の電車で通勤できるのかとか、そもそも自分は驚異的に速い日本の新幹線や驚異的に深い日本の地下鉄に乗れるのかとか…、そんな不安ばかりです。いまも飛行機は怖いし、ときどきは車道を横断することすら怖いし、毎晩眠りにつくときに明日を思い描こうとするとなぜか怖い、それくらいに、毎日が不安です。
 でもきっとそれは、環境ではなくて自分の心の持ち方の問題であって、不安ってきっと、これからもずっと続いていくものなのだと思います。どんなに安定した職業についても、どんな財産を築くことができたとしても、きっと、ずっと。

 昨年の誕生日に書こうとして書けなかった、Fishmansの歌詞をもういちど。

  ドアの外で思ったんだ 
  あと10年たったらなんでもできそうな気がするって
  でもやっぱりそんなのウソさ   
  やっぱり何もできないよ
  僕はいつまでもなにもできないだろう


 19歳でフィッシュマンズを知ったときは、10年後のことなんてまったく思い描けないながらも、でも少なくとも、
 「10年前=9歳のときに思っていた自分以上にはなっているんじゃないかな」
と、勝手に自己満足していました。いまも、10年前=20歳の時の自分といまの自分の差異にばかり気をとられて、40歳になった自分なんて想像もできません。
 この歌を、そしてフィッシュマンズのことを教えてくれたサークルの先輩(いわゆる大学のサークルです)の言葉を思い出します。
 「不安なんて否定するものじゃなく、それを受け入れる『覚悟』があるかどうかが重要ちゃうか?」

 そんなものかな。きっとそんなものなのでしょう。
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# by saging | 2010-06-26 15:30 | フィリピン(全般)
選挙速報(投開票自動化は成功したのか?)
 5月10日、大統領選挙が終了しました。
 今回は、選挙の「結果」についてはすでに日本のメディアでも報道されているので、私は、はたして投開票の自動化(Automated Election System:AES)は成功したのか?という側面から、速報を書かせていただきたいと思います。

 結論からいえば、大方の予想に反し、たいへんスムーズで、フィリピンの歴史に残る1日だったと思います。
機械化の導入により、予想通り会場は大混乱。さまざまなロジスティック状の問題から各地で長蛇の列ができ、選挙管理委員会は急遽、投票時間の延長を決めました。投票中は不満や不信が渦巻き、小競り合いも起こり、どうなることかと思いました。選挙がらみの殺人や爆発事件などの速報もラジオから流れるなか、人々の不安は午後1時ごろにピークに達しましたが、午後になると、首都圏では各会場とも平均75%程度の投票率は確保されていることが明らかになり、(機械に票の数が記録されるので投票率は即座にわかります)落ち着きを取り戻しました。(なお、残りの30%の大多数は、投票に行かなかったのではなく、行ったのにさまざまな理由で投票できなかった人々です。)
 午後7時に投票が締め切られ、全国の機械から一斉にデータ送信が始まった瞬間、「これはすごい、大成功じゃないか!?」というムードが首都圏じゅうを覆いました。投票終了後わずか5時間で国政選挙の50%の動向がわかったとのこと。市町村選挙にいたっては、夜中の0時の時点で80%以上の集計が終わり、ただちに勝利宣言が行われました。これまでは1週間以上かかっていたのに!
 選挙管理委員会(COMELEC)の公式集計と、選挙監視団体PPCRVの並行集計の結果もおおむね一致しており、選挙翌日の5月11日、カトリック司教協議会と、米国とEUはお祝いのメッセージを発出しました。フィリピンお得意の ”Basta OK!” かなあという気がしないわけではないけれど、そして、ミンダナオの一部では選挙が中止されたりもしたけれど、おおむね、本当に「成功」だったのでしょう。

 ビリャール大統領候補をはじめ、候補者らが次々と「敗北宣言」をしたのも印象的でした。これまでのフィリピンの選挙は不正と不信に基づいており、敗北したものは決して負けを認めずに「不正があったから」と主張を続けるのが常だったのですが、今回はさすがに、自動化の威力を見せつけられ、各陣営とも、protestを続けるモチベーションもなくなってしまったのでしょう。

 以下、不十分ながらも、とりいそぎ、当日の様子を写真とともにお送りします。分析が足りないことはお許しください。また、私は当日、ひたすら自分の関心に基づいて首都圏のスラムを回っておりましたので、定点観測ではなくあちこちの写真であること、どれもことごとく都市貧困地区ばかりであることもご容赦ください。

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 午前5時半(投票開始1時間前)のケソン市コモンウェルス小学校。最貧困層の有権者数が多く、毎回、混乱することで有名な投票会場です。待合室と指定された教室はすでに多くの人で埋まっています。

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 午前7時半(投票開始30分後)のケソン市コモンウェルス高校。投票開始。写真のとおり、とても長い投票用紙です。

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 午前9時(投票開始2時間後)のケソン市コモンウェルス高校。12時間の間に1教室で1000人弱が投票しなくてはならないのに、2時間で80人しか投票できません。理由は教室が狭すぎるから(過去の選挙では①教室200人でしたので、5倍に増えたのに、教室の広さは同じ)。そして、皆、新方式に慣れておらず、投票用紙の記入に5-10分かかるから。
 有権者自身が機械に投票用紙を通すシステムですが、その際に投票用紙を隠すためのフォルダが小さすぎて、選挙役員にも、COMELEC公認の監視員(Poll Watchers)を名乗るPPCRVのボランティアにも、内容が丸見え。まったく秘密が守られていません。

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 午前10時(投票開始3時間後)のケソン市コモンウェルス小学校。この行列は、投票を待つ行列ではなく、どこの教室で投票すればよいかわからない人々が有権者リストの閲覧を待つための行列。有権者リストが整理されていないことが原因です。これは自動化とは関係なく、過去の選挙でも毎回起こってきた問題です。

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 同。教室の場所を確かめようと、PPCRVに助けを求める人々。

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 正午(投票開始5時間後)のマニラ市トンド地区、ビセンテ・リム小学校。27台ある機械のうち2台が故障してしまいました。そのせいで、もともと遅いプロセスがさらに遅延。灼熱の中待たされることに人々は怒りはじめ、COMELECは行列解消のために整理券を配布し始めましたが、7時から並んでいた私の知人が受け取った番号札は、326番! 彼は怒って帰ってしまいました。PPCRVのボランティアも気が立っており、あちこちで口論が起こっています。なんといっても暑いので、イライラするのも無理はありません。

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 機械が故障した場合は、このように、投票用紙の入っていたこの黒い箱を投票箱代わりにして、とりあえず入れていきます。これも、内容が外から丸見え。

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 午後2時(投票開始7時間後)のマラボン市ポトゥレロ小学校。暑さはいよいよピークに達し、すでに多くの人が並ぶことを諦めて岐路についたそうです。それなのに、行列はまったく解消しません。7時間で投票できた人数は、教室あたり(1000人あたり)約400人程度。人々の顔に不安の色が浮かび、「選挙不成立(failure of election)」を危惧する声が上がりはじめました。ラジオでは、アキノ大統領候補も地元タルラックで3時間待ってまだ投票できないと言っています。
 この小学校ではあちこちで小競り合いや殴り合いが起こっていました。小競り合いの主な理由は、列に割り込む人がいるから。そして殴り合いの理由は、暑さと行列に苛立って帰宅しようとした有権者に対して、ある政党のPoll Watcherが
 「投票しないなら、昨夜払った金を返せ!」
と叫んだことに起因します。そう、この人は買収されていたのです。それを大声で叫んじゃったものですから、周りも巻き込んで「不正だ、不正だ!」と大騒ぎ。しかもこのPoll Watcher, 銃も携帯しており、警察官につまみ出されていました。でも、これがフィリピンの選挙の現実。そしてこの問題は、自動化によっても解消はされません。

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 午後5時(投票開始10時間後)のケソン市パヤタスB小学校。まだ人でいっぱいです。投票できた人数は教室あたり平均で約550程度。あと2時間なのに、1000人には程遠い数字です。

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 午後7時半(投票締め切り30分後)のケソン市コモンウェルス高校。データの送信中。同時に、機械ごとの集計結果表(Election Return)が30コピーも印刷され、事後照合のために各陣営に配布されます。

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 午後8時(投票締め切り1時間後)のパヤタスB小学校。まだまだ人が行列中なので、投票時間がさらに延長されています。

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 午後8時すぎ(投票締め切り1時間後)のパヤタスB小学校。こちらの教室は開票作業がほぼ終わりかけています。周りを取り囲んでいるのは、集計結果表を受け取ろうと待ち構える各政党のPoll Watchersたち。
 「1時間で終わっちゃう。こんな簡単なんだ~。機械化っていいわね!」
と一斉に喜びの声を上げる役員と、それを取り巻く人々が印象的。これまでは手作業で読み上げと集計を行い、午前2時3時までかかっていたのですから、画期的です。

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 午後9時のケソン市庁舎。各投票会場からのデータが続々と送られてきて、スクリーンの数字が刻々と変化します。
 「すごい!! こんなに簡単なの!」
と声を上げる人々多数。これまでは、各投票会場から送られてきた集計表を電卓で叩いて計算する作業に1週間を要していたのだから、画期的です。

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 午前0時のCOMELEC記者会見。すでに60%のラフ集計結果が出ており、委員たちはとても嬉しそう。

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 午前2時、ケソン市庁舎。すでに、市長や下院議員(小選挙区)の当選者の発表が行われています。これまでは1週間以上かかって疲労困憊の中の発表だったのに、開票開始から7時間で結果が分かるとは、ものすごく画期的!! 日中の苛立ちや不満や不安も吹っ飛ぶかのような人々の歓喜の声が印象的でした。
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# by saging | 2010-05-11 21:26 | フィリピン研究
貧しい人々にとっての選挙と、(特に)アキノ陣営のプロパガンダ
 結局、投票は延期されることなく、なんとか5月10日(月)に行われることになりそうです。良かった、良かった。地域によっては投開票自動化が実現できないところもありますし、問題は山積みなのでしょうが、少なくとも「延期」よりはずっと良いかと。
 
 金曜日は、朝7時からマニラ市1区の某市会議員”DA”(ニックネーム)のキャンペーンを見に行きました。DAのコンサルタントは左派系Party-List組織のAKBAYAN(現在はアキノ陣営を支持)なのですが、DAは今回、どういうわけかアチェンサ・マニラ前市長陣営―つまりエストラダ陣営と組んでしまい、AKBAYANの支持層は当惑している、という、なかなかおもしろい候補者です。
 金曜日に行われたのは、ジープやトライシクルで長い車列を作る、いわゆるmoterecadeと呼ばれるキャンペーン。マニラ市1区は首都圏最大の貧困地区であるトンドの大部分をカバーしているので、この地区のmotercadeに参加すると、トンドを横断することができます。motercadeに参加していたトライシクルの後ろに乗せてもらって、写真をとりながら、トライシクルの運転手と、すれ違う人々との間に交わされる会話に注目していました。(この運転手は、普段はマニラ北港からディビソリアの市場に魚を運んで路上で売る仕事をしているそうです。)
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 人々 「(このmotorcadeに参加することで)いくらもらってんの!?」
 運転手 「米5キロだよ。現金はナシだってさ。」
 人々 「食べ物は?」
 運転手 「昼ごはんとおやつくらい、もらえるにきまってるだろ。」

 人々 「誰のキャンペーン? ああ、市会議員のDAね…。
人々 「ん? DAって誰の陣営? え、アチェンサ元市長陣営? やーだ。私アチェンサ嫌い。」
 運転手 「俺も実はアチェンサは嫌い。彼の市長時代、俺たち路上商人はたいへんな思いをしたからね。」
 人々 「まったくよー。私は断然、リム市長派だわね。」
 運転手 「そうそう。DA市会議員は好きだけど、でも、DAと組んでるアチェンサは嫌い。市長はリムでなきゃ。でも、リムと組んでるアキノは好きじゃない。大統領はエストラダでなきゃ。」
 人々 「賛成! リム市長は好きだけど、アキノ陣営と組んでるのが気に入らないのよね。」

 すばらしい、この自由さ。「政党」に投票するのではなく、ねじれていたとしても自分の好きな候補に投票する。そもそもフィリピンの政党はいつも臨時の連合体ですから、彼らの判断はきわめて正当といえます。

 その晩は、ケソン・メモリアル・サークルで行われたアキノ陣営(自由党)の最後の集会(miting de abanse)へ。「汚職との戦い」、「変革」、「伝統的政治スタイルからの脱却」などが彼らのスローガン。黄色のシャツに身を包み、指でL字サインをつくって盛り上がる大衆。その映像だけを見ればとても美しく、1986年政変を思い起こされるものなのでしょうけれど、残念ながら、現実は超ダーティで、集会は、伝統的なshowbizとばらまきに終始。芸能人がステージで歌い踊りコントを披露、それにあわせて候補者はステージからTシャツやリストバンドを投げまくり、人々はビニル袋に入った食事やお菓子をめぐって言い争っています。派手に打ち上げられた花火の下では、ちっとも美しくない世界が広がっていました。マー・ロハスが「ボランティアの皆さんありがとう!」と絶叫するステージの下では、ボランティアと名乗る人々(バランガイ評議員など)がもったいぶりながら貧しい身なりの人々にリストバンドを文字通り投げつけるようにして配り、それに群がってどっと移動する群衆を見て嘲笑。こんなに腹の立つ光景を見たのは久しぶりです。リストバンドが投げられるたびに、私の後ろにいた人たちが一斉に前に移動し、ぎゅうぎゅう。退屈なスピーチが続くと周りには再び空間ができるのに、グッズばらまきが始まるとまたぎゅうぎゅう。そう、人々はスピーチに感激して動くのではなく、ばらまきに応じて動くのです。ちっともクリーンじゃないし、ちっとも変革じゃない。
 それはいいのです。貧困層は政治家にクリーンであることなんて望んじゃいないのだから。ただ、私がずっと気になっているのが、アキノ陣営のサポーターのDo-Gooderぶりです。特に中間層の若年層で、アキノこそが正義だと疑いもなく信じている人たち、その狂信ぶりには恐怖さえ感じます。
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 「ビリャール陣営(敵陣)はアロヨ大統領とくっついてるんだ、知ってるかい?」
 「アキノ陣営の支持者は全員ボランティアさ。他陣営は金を払って動員してるけどね!」
など、得意気に言いふらす軽薄さや、他陣営へのブラック・プロパガンダを行うことになんの罪悪感も覚えないらしいスポーツマンシップの欠如。「ネット●翼」なみの思考停止すら感じます。
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 写真はノエル・カ●ンゴン。「私たちは未来を売らない、票はとても大切なもの」と歌いあげましたが、いまひとつ。彼が2年前半のバランガイ選挙前にケソン市のスラムで同じ曲を歌ったときのほうが、人々の反応は鋭かったと思います。

 実はこの集会に先立ち、金曜の午後は、あるメディアのお手伝いで、トンドの私の元調査地に方々にインタビューをしてまいりました。
 「アキノ候補のいう『汚職がなければ貧困もない(Kung Walang Corrupt, Walang Mahirap)』を信じますか?」
という質問に、私のかつてのボールルーム・ダンシング仲間でもある女性が、非常に興味深い答えを返してくれました。
 「それは場合による。汚職をしない、でも貧困層のことを顧みることもない、そんな人だっているでしょ。私たちのことを考えてくれるかどうかと、汚職っていうのは、別だと思う。汚職って、政府の金で自分の私服を肥やすことでしょ。キャンペーンに参加する人々に日当を払う、支持者に食事を与える…、そういうのは汚職じゃないと思う。貧しい人達の助けになっているのだから。」

 すごいなあと思います。こういう世界観って、私たちには想像もつきません。トンドでももっとも貧しいこの地域。人々は本当にギリギリの生活をしていて、私たちのインタビューの際も、人々はカメラの前で貧困を隠すこともなく、それこそ路上で水浴びしながら答えてくれました。選挙は臨時収入を稼ぐ絶好の機会で、悪い言い方をすれば「日々、買われまくっている」人々。でも、彼らには彼らの価値観があるのです。そして彼らは、それをカメラの前で堂々と言葉にすることができるのです。このことだけでも、すでに、従来のフィリピン政治理解を覆す事例になるのではないかと思うくらいです。
 なぜエストラダがこれほどまでに人気なのか。アキノに欠けているものは何なのか。深く考えさせられました。

 キャンペーン最終日である土曜日の夜は、前々回の投稿でも触れたリック・レイエス兄の最後の演説会へ。会場はパシグ市場前。リック兄も自由党陣営から出ているので、美しい言葉を弄びいい人ぶっているボランティアの高慢さはやや気になりますが、それでも、参加者のほとんどはツッカケ履きのパシグ市の都市貧困層ということもあり、支持層からは生々しくておもしろいお話をきくことができました。

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 AKBAYANのウォルデン・ベリョ下院議員による応援演説。グローバリゼーションのグの字も出さずにタガログ語で貧困層に語りかけていました。真の国際人とは、空気を読める人なのかもしれません。

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 集会の最後に松明に火を灯してBayan Koを熱唱。これぞ、活動家スタイル。黄色シャツがシンボルの自由党陣営なのに、赤い服を着て赤い旗を振りかざす左派グループ多数。

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 きっと、アキノが大統領になるのでしょう。(リック兄は残念ながら勝ち目がなさそうですが。)
 でも、貧困層にとっては、アキノ陣営がひたすら口にする「汚職との戦い」なんてどうでもいいこと。なぜなら貧しい人たちは、汚職が埋め込まれた日常の中で戦っているからです。彼らは言います。選挙で稼ぐことの何が悪いの? 選挙キャンペーンに参加して日当をもらうことの何が悪いの?
とことん貧しい彼らにとっては、
 「日当なしのボランティアだけで活動してます! 金で人員を買ったりはしていません!」
なんていう自由党の陣営の空々しいプロパガンダは空を切るだけ。
 リック兄の演説会でひとつ、とても良かったのは、リック兄と組んでいる30代の市議候補がステージ上で、
 「明日は買票の日です。(他陣営から)お金を受け取ってもいいです。受け取ってもいい。でも、私たちに入れてください。」
と叫んだことです。実に生々しい。でも、彼の言葉は、貧困層の心にしっかり入ったと思います。

 先週末にバコロドに行ったときにお会いいただいたE神父が、こう言っていました。

 「私は何も選挙に期待なんてしていないけれど、人々に対して語る責任はあるから、こういうんだよ。『皆さん、選挙期間中は仕事もたくさんあって、日当ももらえて、生活の足しになることでしょう。僕はそれを止めません。せいぜい稼いでください。でも、票を売ることはしないで。金はもらっても、それをくれた人のために投票する義務はないんですよ。』って。」

 「金をもらうな」って上から目線で貧困層にお説教する人たちが多いなかで、なんと洗練された、なんと心に響く言葉でしょうか。貧しい人たちに寄り添ってきた人でないと言えないメッセージだと思います。
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# by saging | 2010-05-09 02:23 | フィリピン研究
大統領選挙延期? LET US PRAY
 フィリピンの選挙の投票・開票プロセスはとても複雑です。
 なにが複雑かって、ここではとても説明しきれませんが、それを示すあるエピソードを。
 2007年中間選挙のとき、私の当時の職場の日本人職員30名近くが、選挙を見学に行くことになりました。その計画作成の担当になった私は、上司に
 「こちらの選挙システムはたいへん複雑で、事前知識なく見学に行かれても、皆さん混乱されると思いますので、事前にプロセスを皆さんに説明させていただく必要があるかと思います。」
と提案。上司は、
 「でも、たかが選挙でしょ? 説明なんているのかな。」
と言いながら、私の用意したパワーポイントによるプレゼンテーション(20分!)を聞いてくださいました。そして、終わってから一言。
 「たしかに、これは…。全体説明会が必要ですね。」
 数日後、大会議室で全体説明会を行ったところ…会場は静まり返ってしまいました。

 選挙プロセスをややこしくしているのは、1枚の投票用紙に20-30名もの候補者の名前を書かなくてはならないという「投票用紙の非効率性」および、それを口頭で読み上げながら模造紙にひたすら記入する「開票作業の非効率性」、さらに、集計会場に持ち込まれた模造紙をさらに読み上げて電卓で順々に足していくという「集計作業の非効率性」でした。
 よって、結果がわかるまでに莫大な労力と時間がかかり、前回の大統領選(2004年)では、投票日が5月10日だったのに対し、大統領の当選宣言が行われたのは6月25日。就任は7月1日ですから、ギリギリです。
 
 さて、それに対して今回の選挙からは、長年の悲願であった「電子投票システム」が導入されることになり、開票と集計の作業時間は大幅に短縮されることが期待されています。
 しかし、「選挙は不信に根ざしている」といってもいいこの国のことですから、地方の有権者はマークシートの記入方法を知っているのか、勝手にコピーされたマークシートをこっそり読み取り機に入れてしまえば不正ができるのではないか、機械が故障したらどうするのか、停電になったらどうするのか、コンピューター技術者が不正を行うのでは、などなど、問題は山積み。不安は増すばかりです。

 そしてここへ来て、大問題。昨日(5月5日)の各紙のトップニュースは、フィリピン中を震撼させました。マークシート読み取り機の最終試運転が失敗したというのです。いちばん詳しいのは、このインクワイラーの記事
 メモリーカードに組み込まれたシステムデータと、投票用紙のレイアウトが一致していないのがその原因。そんな初歩的なこと、なぜもっと早くに気付かなかったのですか!?と言いたくなりますが、そこは、テクニカルにいろいろな事情があるようです。(これも、複雑すぎてここには書ききれません。)
 その修正のためには、約80,000台の読み取り機にセットされたメモリーカードを回収して新しいメモリーカードを配布すればいいわけですが、はたして、どれだけの時間がかかるのか。5月10日の投票日に間に合うのか。首都圏はいいとしても、離島や山間部は…?
一部からはすでに「投票日延期」提案もあがっています。

 そんな混乱の中、昨日の夕方、農村開発NGOでありながら国政にもコミットしつづけるPR●Mを中心としたいわゆるPopular Democratsのグループによる「電子投票システムの機能問題を受けた緊急会合」に出席させていただきました。エストラダ陣営の市民活動家ボイ・モ●レス氏やエド・デラ・●ーレ氏、アキノ陣営の市民活動家ジョエル・●カモラ氏、IT専門家のロ●ルト・ベルゾダ氏、その他さまざまな選挙監視NGOの方々に加え、前日からフィリピン入りされているポール・ハッ●クラフト先生もいらっしゃいました。
 さまざまな陣営に所属する「フィリピン市民運動のプロフェッショナル」たちが情報を交換し、起こりうるシナリオを想定しながら解決策を考えるという趣旨のこの会合。「選挙管理委員会(COMELEC)を批判し、路上に出よう!」と言い出すのかと思えば、彼らは意外にも、何度もこう繰り返しました。
 「我々はずっとアロヨ政権に敵対してきたが、ここへきて『投票自動化にまつわる技術的問題も選挙延期もすべてアロヨ政権に仕組まれたもの』などという陰謀説を唱えたり、COMELECを責めたりするのはやめよう。」
 「我々はこれまでさんざん、市民の不安をあおり、アロヨ政権の不安定化を望み、路上に出てきた。そして、この選挙によって、誰が勝ったとしても、そんな時代に終止符を打って一歩前へ進むことができると期待している。いくつもの選挙監視団体が生まれ、互いに反目しあい、党派レベルでも超党派レベルでも市民団体はばらばらに分かれている。ここでノイズをたてたところで、いったい誰なら信頼できるのかわからなくなってしまった市民、大衆のためになるとは思えない。」

 彼らによると、現在予想される最悪のシナリオはこうです。
 もし投票日を1週間から10日でも延期すれば、メモリーカード問題は解決するかもしれないが、延期は急進的な人々を街頭示威行動に走らせることになり、政情の不安定化は避けられない、というもの。「すべてはアロヨ政権の陰謀」と主張する勢力(おそらくそれは急進左派)が人々の不安をあおり、街頭示威行動は単なるデモではなく暴動に近いものになる可能性もある。さらに、最大の懸念材料である国軍反乱分子がそれに便乗すれば、選挙延期どころではなく、選挙中止という事態になる可能性もある。


 これが「最悪のシナリオ」ですって。国軍改革派と手を組んで政権の不安定化を謀ってきた彼らなのに。
 絶対的に敵対する急進左派に対抗するというhidden agendaがあるにしたところで、市民運動のプロであり、陰謀説大好きな彼らが、「陰謀説を蔓延させるのは国にとって有益ではない」という共通理解で結集したことは、とても新しくて、注目に値します。表面的に見れば「一歩前進」なのかもしれません。
 でも逆にいえば、それだけ、「陰謀説」が出回る可能性が高いということ。それだけ危機が迫っているということです。
 帰りのタクシーの中で、ポール・ハッ●クラフト先生と、外国人同士、そんなことをお話ししました。
 
 4年前にASEANサミットが土壇場で延期されたことを考えれば、選挙の延期くらいで驚くことはないのかもしれません。でも、こんなシナリオは避けていただきたいと思います。
 使い古された陳腐な表現だけれど、LET US PRAY.
 どうか投票がうまくいきますように。どうかこれ以上の混乱が起こりませんように。早く安定が訪れますように。

 投開票自動化にさまざまな問題や批判はありながらも、ようやく各陣営ともに落ち着き、
 「ともかくも機械を信じてやってみよう。少なくとも以前より不正が増えることはないだろう」
という風潮になりかかっていたときなのに。
 去る5月1日には、元COMELEC委員長のクリスチャン・モンソッドがすばらしいコラムを書いたところだったのに。

 昨日の午後、所用でCOMELECに行くと、エレベーターで偶然、ちょうど「選挙は延期しない」との記者会見を終えたばかりのサ●ミエント選管委員とすれ違いました。彼は、私の尊敬する人物ベスト10の一人で、あんな絶望的なポジションにいるのに、いつも冷静で、いつも笑顔で、ビジョンを語ることを忘れない、でも空想家ではなくてきわめて現実的な、本当に素敵な方です。私が前の職場にいた時に数回お目にかかっただけなのに、いまだに私の名前を覚えていてくださっている彼は、エレベーターの中でにっこり笑って、
 "Hi, Saging. Please observe us again."
とおっしゃいました。ちょっと感動しました。このような方々がいらっしゃるかぎり大丈夫だ、というのはあまりにナイーブにすぎるかもしれないけれど、でも、そのように信じていたいです。
 …なんて思ってしまうのは、危機が迫っているから…なのでしょうか。
 LET US ALL PRAY.
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# by saging | 2010-05-06 05:31 | フィリピン(全般)
大統領選1週間前
 西ネグロス州のバコロド市に来ています。まだ大土地所有制が残り、コファンコ家の影響力が強く、アロヨ大統領夫君の故郷であり、さらにイロンゴ圏(自由党のロハス副大統領候補の故郷)である西ネグロスの選挙キャンペーン、ぜひ見たかったのです。
 私の想像とは裏腹に、今回は、コファンコやアロヨの影響力は弱く、すべての階層(富裕層も中間層も貧困層も)、あるいはすべての職業において、票はかなり割れている印象を受けます。アキノ政権下でもエストラダ政権下でのアロヨ政権下でも辛酸をなめたいわゆる左派系活動家らの票も割れているようです。大統領候補の中でもっとも強い政治マシンをもっているのは与党LAKASのチュドロ候補だといわれていますが、マシンを行使する地方首長ら(とその取り巻き)の大統領候補への選好も割れており、地方選では機能するマシンも、今回の大統領選では機能しないのかなと思わされます。
 まったくマシンがなさそうなのはエストラダ候補ですが、それでも、やっぱりある程度の人気を誇っているのは驚きです。

 2004年大統領選、2007年中間選挙ではマニラ首都圏の選挙戦(それもスクワッターの政治行動)にしか関心がわかなかったけれど、比較の対象である地方の状況を知らずに首都圏のことを書いても説得力がないなと、反省しているところです。

 これからマニラに戻って、明日はパンガシナン州のダグパン市へ。デ・ベネシア下院議員(前下院議長)に代わって下院選に出馬する彼の妻(ジーナ・デ・ベネシア)のキャンペーンを見に行きます。


 下の写真は、首都圏パシグ市の市長選に立候補しているリック・レイエスのキャンペーン風景。美容院のリック・レイエスではなく、共産党の元幹部(のちに共産党分派の幹部)として有名な、あのリック兄です。自由党、Party-List組織であるA●BAYAN, その他修正左派の各組織(B●SIG, SA●LAKAS)の相乗り候補である彼の対抗馬は、伝統的政治ファミリー出身の現職市長。リック兄と組んで下院選に出馬しているのはソニー・リベラ。文民ですがマグダロ(国軍内の反乱分子の組織)で、トリリアネス上院議員の元スポークスマンです。なかなかすごいチーム構成。右と左が手を組むのって、ここ数年のフィリピンのトレンドのようです。
 活動家や労働団体やスラムの無職の青年らによってごちゃまぜにオーガナイズされる彼らのキャンペーンは、新旧の戦術がおりまぜられ、とてもユニーク。4月24日のインクワイラーの一面記事にも取り上げられていました。私は以前から(旧JBICのパッシグ・マ●キナ川河川改修事業がフィリピン国内でさまざまな波紋を引き起こしていた2003年から)パシグ市政とパシグ市の左派の動向に関心があり、リック兄にはこれまでもとてもお世話になってきましたし、なによりも、彼らのチームのキャンペーンぶりがとても好きなので、よく見に行かせていただいています。

 …今日こそはフィリピン政治の大局に迫る記事を書こうと思ったのに、また、ただのマニアックな話になってしまいました。反省。

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# by saging | 2010-05-03 15:41 | フィリピン研究
ルソン島北部への旅
 フィリピン大統領選まであと10日。見たいこと、聞きたいことが多すぎて、1日が何時間あっても足りません。
 現地にいればいろいろなことはわかるのですが、情報量が多すぎて、流されてしまいそうになります。選挙キャンペーンの参与観察も、片っぱしから人に会って政治の噂話(チスミス)をするのも、スラムのおばちゃんたちとの草の根の語りも楽しいけど、そればかりで毎日が終わってしまってはいけません。現場にどっぷり浸かれば浸かるほどに大局が見えなくなってしまうのは事実なので、長期的な視点から、どの情報が大切なのか見極める冷静さを保ちつづけなくては。そう思って、キャンペーン参加もやや自粛しています。蟻の目から政治を見ることは必要ですが、このままではフィリピン・マニアまっしぐら。いい加減、視野を広げなくては。

 さて今回は、3週間前、フィ●ピン政治学会出席のためルソン島北部の高地バギオ市に行き、その後、さらに北にある、南北イロコス州を訪問した際のお話です。
 私は調査地がマニラなので、実はあまり地方に行ったことがなく、マニラより北に行くのは2002年以来です。本当は2年半前、フィリピンでいつもとってもお世話になっているNoaさん(日本人ですがほぼバギオ出身、現在マニラで出稼ぎ中)が3連休を利用してバギオに帰省される際、ご一緒させていただくはずでした。しかし、某T上院議員がペニンシュラホテルを占拠した事件のせいで3連休は吹っ飛び、泣く泣く断念。Noaさんには、とてもご迷惑をおかけしてしまいました。今回は挽回しなくては。

 マニラからバギオへは、午後11時45分発にパサイ市を発つVictory Liner社の「デラックスバス」を利用。日本の夜行バスのようなゆったりシートは清潔でリクライニング機能付き、かつ、目的地までほぼノンストップ。運賃は片道700ペソと、普通のバスの5割増しくらいです。同じ学会に参加される政治学者の先生方(約15名)と一緒にワイワイ言いながら乗り込み、ミネラルウォーターとお菓子のサービスを受けて、
 「わあ、セブ・パシフィック(格安航空会社、ドリンクサービスすらない)よりすごい!」
とひとしきりはしゃぎました。高速道路に乗ると消灯(消灯してもなぜか音楽は鳴ったままというのがフィリピンらしいところ)。冷房も決して強すぎず、車内は快適。
 と、ここまでは良かったのですが…。
 このバスはかなりスピードで、夜間の高速道路をぶっ飛ばすのです。私はここ数年来スピードの速い交通機関が苦手で、新幹線すら一人で乗れないくらいなので、もう、気が気ではありませんでした。テキーラか睡眠薬を持ってくればよかったと、ひどく後悔。
 …が、本当の恐怖は、高速をおりてからやってきました。ものすごい急カーブの山道をひたすら飛ばす運転手。かなりの鋭角カーブでもミラーがなくて、対向車同士はまったくスピードを落とさずにただクラクションを鳴らすだけ。なのに周りの方々は、クラクションが車内に響き渡っても、あまりの揺れの激しさに網棚の荷物が落ちてきても、まったく気に掛けない様子で熟睡しています。
 …結局、一睡もできずにバギオのバスターミナルに着いたのは午前4時半。まっすぐに歩くことができないくらいの恐怖に支配されていた私は、先生方から「車酔い」だと勘違いされたままタクシーに乗せられ、午前5時に宿にチェックイン。本来はそんな時間にチェックインなんてできないはずですが、たまたま空き部屋があったため、そして先生方がイロカノ語でかけあってくださったため、特別に可能になりました。
 今回お世話になったのは、NoaさんおすすめのBaguio Village Inn. こじんまりしたペンション風の宿で、一泊300ペソの部屋は3畳程度ですが、共有バスルームは清潔で、きちんとお湯も出ました(バギオは夏でも夜間は肌寒いので、お湯は必要)。バスルーム付きの部屋(825ペソ)やケーブルTV付きの4人部屋(1,500ペソ)をはじめ部屋の種類も多く、いずれも、とってもリーズナブル。電話番号は074-442-3901です。バギオにいらっしゃる際は、ぜひ。

 そして宿で3時間くらい休み、悪夢の暴走バスの記憶を消してから、学会へ。
 この学会、例年、どの報告もおおよそ社会科学的ではなく、報告はnarrativeに終始するというきわめてフィリピン的な集会で、失礼ながら、分析枠組みや理論研究の点ではほとんど得るところがないのですが、①人脈形成ができる、②最近の政治動向が端的に把握できる、③「我こそは市民社会の代弁者」みたいなフィリピン人研究者に対して議論を挑むことができる、という点で大きな意味があると私は思っており、今回は6回目の参加です。前の職場にいたときも、出張や休暇といった名目でフルに参加しました。
 私の報告はプログラムの最初のパネル。
 「日本人がタイの街頭政治の話するんだって。楽しみだなー。」
と言いながら会場に入ってこられる先生が何人もいらっしゃって、すごいプレッシャーでしたが、ここはフィリピンの学会。エンタテイメントの要素を取り入れ、観客を沸かせることが期待されます。私は報告の最初に、タイの黄色シャツ組の象徴である手のひらの形の鳴子と、赤シャツ組の象徴である足型の鳴子(わざわざバギオまで持ってきた)を鳴らしてみせたところ、会場からはいきなり”Good Job!!”との声援が。あの、私まだほとんど喋ってないのですが…。報告の中盤では、赤シャツ組の象徴である「赤いリボン型ステッカー」を見せました。このステッカー、偶然にも、フィリピンのNoynoy Aquino大統領候補のシンボルである「黄色いリボン型ステッカー」と同じ形、同じサイズなのです。会場は大爆笑。拍手まで起こってしまいました。すごくフィリピン的。
 ともかく報告は無事に終了し、質疑もたくさんいただき、終了後もたくさんの方から議論をいただきました。
 2日目も学会。しかし、午後のセッションはどれもまったくおもしろくなさそうだったので早々に抜け出し、Noaさんとご家族にバギオ案内をお願いしてしまいました。バギオはこぢんまりとした坂の町で、陽差しは強いもののとても涼しく、素晴らしいところという印象を受けました。

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 Noaさんお勧めの、バギオ限定「ストロベリー・タホ」。普通のタホには黒蜜とタピオカがかかっていますが、こちらはイチゴジャムとタピオカ。

 学会2日目の夜は、某大学閥の飲み会に参加。この学会、実はきわめて閉鎖的で、閉会後の飲み会はもちろん、会場での食事も別々にとるくらいに明確な大学ごとの派閥があるのですが、外国人の私は、そんなことは知らないふりをして、それこそ、どこにでも首を突っ込むことができるのです。学会の場ではきけなかった、最新の政治の噂話や政治談議をたっぷりきいて、二次会はライブハウス。午前2時まで盛り上がりました。

 翌日は早朝から市場を散策。高原野菜づくりで有名なバギオだけあって、新鮮な野菜や珍しい野菜がたくさん並んでいました。

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 トゲのついた新鮮なきゅうり。マニラに持ち帰ってナンプリック(タイの辛子味噌)につけて食べると最高でした!

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 特産品のライスワイン「タプイ」。白く浮いているのは米粒。「日本酒」よりはずっと甘いです。独特の風味がとても美味しいのですが、瓶の密封が甘い(発酵途中なので厳封すると爆発の危険があるそうです)ので長距離の持ち歩きはできないそうです。残念。

 その後、午後1時バギオ発ラワグ行きのバスに乗り、南イロコス州のカ●ガオという町に向かいました。
 南イロコス州といえば、シンソン・ファミリーが絶大なる影響力を振るう地域。なかでもカ●ガオはいまだにフィリピン共産党の軍事部門である新人民軍(以下N●A)が強く、選挙は地元有力者の金と暴力(いわゆる3G:Gun, Gold, Goons)に支配され、国家警察によって選挙時のホットスポット(危険地域)と定められている場所のひとつです。ちなみに、フィリピン共産党の最高指導者であるホセ・マ●ア・シソンの出身地でもあります。
普通であれば足を延ばす機会のない場所ですが、私の友人が、ここの町長候補の弁護士をしているのです。彼は、急進左派系の活動家にして弁護士。いまでもときどき山に籠っています。彼は4年前、バギオで人権弁護士をしていて、フィリピンのいわゆる「政治的殺害」問題が国際的に注目されていたときに、日本の法律家団体から日本に招聘されました。私はそのとき、共産党の政治部門である民族●主戦線(NDF)の知人から彼を紹介され、ビザの申請手続きに関して相談を受け、さらには、日本渡航前夜にマニラに出てきた彼を、当時私が住んでいたコンドミニアムの空き部屋にお泊めし、お酒を飲みながら、いろいろな話をしました。
 ずいぶん無防備な話だと思われるかもしれませんが、私はこの国の人権弁護士なるものが何を考えているか知りたかったし、彼が日本で何を語るのか知りたかったのです。彼を招聘していた日本のNGOが知ったら「懐柔だ」とか「諜報だ」とか言うのかもしれません。でも、そうした方々と自分の職場の方々の架け橋になりたいと、仕事への義務感ではなく本心からそう思っていました。当時、ある日本の「人権活動家(自称)」の方からは、
 「sagingさん、女性ってことを利用して、夜だっていろいろして情報とってるんでしょ。」
って、人権のジの字なんてどこにも見当たらないような品性のない言葉を投げられたけれど、彼が「人権活動家(自称)」かつ「NGO活動家(これも自称)」であるという、そのことを嘆きながらも、私は彼らと同じ言語で話したいと思っていたし、いまでもまだ、少しはそう思っています。

 さて、私はその人権弁護士とそれなりに親しくなり、彼が会議やセミナーなどでマニラに出てくるたびに会って、共産党についてさまざまな議論をする仲になりました。そして彼は、2007年中間選挙の直後、友人の紹介でカ●ガオの現在の町長候補の義母が経営する会社の専属弁護士となり、バギオからカ●ガオに移ったのでした。
 「ぜひカ●ガオにおいで。私兵だらけの選挙キャンペーンを見せてあげる。N●A兵士にも会わせてあげるよ。」
 2007年中間選挙のときは、そんな魅力的な誘いを受けながらも、私はいろいろな立場上、出向くことができませんでした。ですから、今回はなんとしても行きたかったのです。
カ●ガオに着いたのは午後7時。彼の支援する町長候補の取り巻きの皆さんの夕食にお誘いいただき、行ってみてびっくり。なんと、お刺身でした。カ●ガオは海に面しており、彼らはなんと日常的に、沖合漁業の猟師らが獲ってきた魚を生で食べているのだそうです。キッコーマンのお醤油とワサビをつけて。そしてその晩は、町長候補の親戚が経営されている海辺の小さなコテージに泊めていただきました。目の前は白砂ビーチ、空には満天の星。しかし、治安上のさまざまな問題のせいで、観光客は皆無。地元の方々の結婚式や誕生会にしか使われていないそうです。そのせいかさびれた印象で、とても残念。

 翌朝は、海沿いに住む町長支援者のご家庭の庭先で、獲れたて・焼きたてのイカと、とても新鮮な海藻サラダをいただきました。そして、さっそく選挙キャンペーン。町長候補の所有するパジェロとジープで、山のほうに向かいます。このキャンペーンには、町長候補の取り巻きであるおっちゃんたち(皆、腰に銃を持っている)も、急進左派政党の活動家(自称オーガナイザー)も同行。この町の主産業は農業、特にタバコ。隣家まで1kmといった辺鄙なタバコ農家にお邪魔し、町長と、そして共産党系の急進左派政党とその候補者を同時に宣伝することになります。
 以下、タバコ農家の女性たちと、活動家らの会話をお楽しみください(フィリピン政治マニア限定のネタで申し訳ございません)。

活動家「Party-List(比例選挙)では、Anakpawisに投票してくださいね」
村人 「いや、うちらはBayan Munaだから。」
活動家「同じ団体ですよ。でもAnakpawisのほうがより農民に近いのです。…(以下説明)」
村人 「へー。」
活動家「で、上院選はリサ・マサとサトール・オカンポに入れてくださいね」
村人 「リサってガブリエラじゃないの?」
活動家「それも同じ組織です。全部、Anakpawisの仲間ですから。」
村人  (パンフレットを読みながら)「ああ、サトールは昔、逮捕されたのか。N●Aだからね?」
活動家「違います。Anakpawisは、N●Aとはまったくちがいます。…(以下説明)」
村人 「私ら、N●A嫌いじゃないよ。」
活動家 「サトールは9年間、下院議員として活動してきたのです。N●Aではありません。今回、彼は上院選に出ることになって…(以下説明)」
村人 「大丈夫、私ら、N●A嫌いじゃないよ。」

 まるでコント? 私はこらえきれずに大笑い。弁護士の彼は苦笑い、そして、活動家らも苦笑い。

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 山で出していただいた、この日のお昼ごはん。手前から、犬のアドボ、犬のキラウィン、犬のディヌグアン。本当ですよ。「弁護士が来るってきいたからご馳走にした」とのこと。豚や鶏とは違って、家でつぶすのではなく、専門のマーケットで一匹分、買ってくるそうです。特に癖のある味ではありませんが、いかんせん、骨が鋭くてとても食べにくいです。

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 上院議員候補のTito Sotto(TV俳優で元上院議員)がマーケットに登場。町長候補らと、南イロコス州知事候補およびその息子の下院議員(いずれもシンソン・ファミリー)の親衛隊に囲まれながらマーケットを練り歩き、人々と握手を交わします。15分後、風のように去って行きました。

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 炎天下のタバコ農園を歩く選挙活動員たち。

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 タバコ農家の女性と握手。

 選挙ばかりではなく、イロコス観光も楽しませていただきました。

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 ホセ・マ●ア・シソンの生家。現在は諸事情により、弟さんがお住まいです。

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 北イロコス州バタック市にあるマルコス・ミュージアム。マルコス元大統領のご遺体が安置されています。今回の選挙では、妻のイメルダが下院選に、息子のボンボンが上院選に、娘のアイミーが知事選にそれぞれ立候補(その他、親戚も別陣営から出ています)。マルコス王朝、まだまだ衰えず。でも、この選挙ポスターのイメルダの写真、いったい何十年前!?

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 こちらは南イロコス州ビガン郊外。シンソン家の敷地内にある、BALUARTEと呼ばれる動物園。入場無料。トラ、ダチョウ、ウマ、シカ、ヘビなどがいます。…「金持ち」の域をとっくに通り越した大富豪っぷり。現在は敷地内にカジノを建設中とか。いやはや。

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 せっかくですのでピトレスクなビガンの写真を。

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 夕と夜とが入れ替わる瞬間の蒼色。
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# by saging | 2010-05-01 02:17 | フィリピン研究
博士号→バンコク→マニラ
 先日、5年間も在籍したK大学から、博士号(政治学)をいただきました。
 これまでお世話になった皆さまがた、本当にありがとうございました。
 
 K大学からはその日、300人近い「博士」が生み出されたのだそうです。
 やれやれ。(村上春樹風に。)

 実社会への実質的な貢献をまったく伴わない「学位」に、ただただ恥じ入るばかりです。
 これまでお世話になった方々に、あらためて感謝を申し上げます。
 今後は、社会にお返しができるように生きていきたいと思います。
 長期的にどんなふうに社会にコミットメントできるのかまだわからないのですが、まずは、博士論文を投稿論文などの形式で公開することを目指して小さなものを書きながら、近い将来に就きたい仕事(実は、国会議員の政策担当秘書になりたいのです)に近づくための人生設計を考えています。研究者として、とか、●●として、とか、そういった職業に縛られずに、社会へのコミットメントを模索したいと思っています。
 
 タイのホストファミリーは私の博士号取得を心から喜んでくれて、毎日あちこちに言いふらすので、近所の人たちからいきなり「ドクター」と呼ばれるようになりました。穴があったら入りたいとはこのことです。タイではドクターのステイタスが日本よりもとても高い、と教えてくださったのは、学部から修士課程にかけてお世話になったD大学のタイ研究者の先生でした。
 「たとえ研究者にならないにしても、これから君が、自分の言いたいことを発信していきたいと真剣に思っているなら、博士号は取っておくべき。フィリピンでもタイでも、たとえNGOワーカーでも一流になりたければ博士号は必要です。」
 先生にそんなご助言をいただいたそのときは、まさか、将来自分がタイで調査をするなんて思っていなかったのに、私は先日、半年にわたるタイでの調査を終えました。
 タイ語のできない私にとって、タイでの調査は困難でした。結局、思っていたような調査ができず、自分の仮説を検証できるようなデータがまったく取れなかったことは、悔しくてなりません。
 「たった6ヶ月でデータを得ようなんて虫がよすぎる」
のか、あるいは、
 「6ヶ月もいてデータがないなんて怠慢すぎる」
のか、もはや、それすらわかりません。いずれにしても、もっと努力できたはずなのに。
 それでも、「外国人にとても優しい」といわれるこの国の方々に助けていただき、スラムの住民組織へのインタビューも(英‐タイ語通訳を介して)実現し、黄色シャツ隊(反タクシン派)と赤シャツ隊(タクシン派)のそれぞれの幹部へもインタビューをさせていただきました。ネットワークには本当に恵まれていました。すべての方々に感謝しています。

 調査・研究だけではなく、私はこの6ヶ月間、バンコクでの生活そのものを、めいっぱい楽しませていただきました。
 ホームステイをさせていただいたおかげで、タイ庶民の生活習慣から学ばせていただくことができました。タイにどっぷり浸かることのできた半年でした。ホストファミリーも近所の方々もとてもやさしく、休日の朝には近所の方々のお庭でマンゴーの木々を見上げながら、豆乳(ナムトーフー)と豆乳ドーナツ(パトンコー)の朝食をゆっくりといただき、長い竿を木に引っ掛けてマンゴーをとり、いっしょに市場に行き、夜はまたどこかのお庭に集まって夕食。騒音も煙も気にせずに夜空の下で魚を焼き、冗談を言いあい、カラオケを楽しみました。
路線バスや運河ボートや乗り合いバンといった公共交通手段も堪能しました。
 屋台フードも、片っ端から味わいました。タイ料理って、本当においしいですね。
 スポーツジムではムエタイ講座を受講しました。練習相手になって下さる方を随時募集中です。
 マッサージ師範の知り合いのおばちゃんからはタイ・マッサージを習い、なぜか初級ライセンスまでいただいてしまいました。タイ国外ではなんの効力もないライセンスですが、練習台になって下さる方を随時募集中です。

※※※

 そんなタイへの未練を引きずりながら、先日、フィリピンに引っ越してきました。
 今回は、なんと、商業地マカティのどまんなか、レガスピ・ビレッジに住むことにしました。前の職場で働いていたときから公私ともにとてもお世話になっているエストラダ政権下の元閣僚から、彼の所有するコンドミニアムの部屋を使わないか、というお話をいただいたのです。住居手当をたっぷりいただける元職場にいたときさえ、周囲の冷たい目線を無視してマカティを拒絶し、マニラの下町エルミタに住んでいた私ですから、いまさらマカティのような高級なエリアに住むなんてとても考えられなかったのですが、今回は調査で首都圏をくまなく回る予定であること、マニラの治安に対する自分の不安感が年々強くなっていることから、ここに決めました。
 外装も内装もかなり古いコンドミニアム(見た目はアパート)ですが、家具つき・ベランダつきの50平米。それでいて、賃料はケソン市の相場と同じくらいです。初めてお部屋を見せていただいたときにはイニシャルGのあの虫がぞろぞろ出てきて、さすがにどうしようかと思いましたが、コンドミニアムの管理事務所の皆さまのご助言をもとにあらゆる薬品で対処し、床のすみずみまでを強い洗剤で拭き清めたおかげで、いまは、とても快適です。
 国連機関や各国大使館、JICAも入っているあのRCBCプラザから徒歩3分、グリーンベルトやグロリエッタといった繁華街までも徒歩20分という好立地。バス乗り場まで徒歩2分、MRTの駅まで歩いても徒歩25分といったところです。とても便利! エルミタも便利でしたが、マカティのこの住みやすさも捨てがたいですね。
 友人の皆さま、ぜひ、遊びにいらしてください。

 今夜から、フィ●ピン政治学会(PPSA)の年次総会に出席するためバギオに行ってきます。今年の私の報告題目は
 「誰が都市貧困層の政治選好に影響を与えるのか? バンコクとマニラの事例から」
です。タイとフィリピンの都市スラムにおいて、住民が何を基準にタクシン派‐反タクシン派、エストラダ派‐アロヨ派に分かれていくのかを考察しようとしております。
 「初期の段階では、住民にもっとも身近なところにいる外部者であるNGOワーカーや宗教者、政治団体のオーガナイザーらが住民の政治選好に強い影響を与えるが、年月がたつにつれ、住民は、オーガナイザーらによる強制(投票行動への干渉や街頭デモ参加の強要)に反発を覚え、『より縛りのないNGO/オーガナイザー』にシフトし、それとともに彼らの政治選好も変化する。」
…というのが私の仮説なのですが、はたしてわかりやすい説明ができるのかどうか、まだ自信がなくて、依然としてペーパーをちょこちょこと訂正しています。
 学会後にはビガンに行く予定です。
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# by saging | 2010-04-07 15:51 | フィリピン研究
赤い財布
 財布を買い換えました。
 中国正月にあやかって…春財布=張る財布。
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 …というのはウソで、これまで使っていた財布(写真上)が壊れかけてきたからです。
 ジュースのパックをリサイクルして作られたこのビニル製の財布は、マニラのとあるバザーで40ペソ(約80円)。フィリピン・ペソのお札にはやや窮屈なのですが、ひとまわり小さなタイ・バーツのお札を入れるにはぴったりで、バンコクに来てから4ヶ月間愛用していました。縁取りがピンクで柄がド派手なのでバッグの中でも目立ちやすいし、見た目があまりにもチープなのでお金が入っているように見えないし、タイ人に受けるし…と、ずいぶん気に入っていました。(そんな私も日本ではもちろんまともな財布を持ち歩いていますが、フィリピンで使っている財布は、やはりピンクのビニル製で、見た目はさらにチープです。)
 が、わずか5ヶ月の使用で、表のビニルが剝がれてきてしまいました。リサイクル品ですからしかたがありません。
 完全に壊れてしまう前に安くて手頃な代理品を探さなくては、と思っていたところ、赤い小型の財布(写真下)に出会いました。100バーツ(約300円)という値段にふさわしい、10代のお財布のようなチープさですが、縫製はしっかりしていて、タイにしてはデザインもシンプルで、カード入れも充実しています。

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 この財布に出会ったのは、ラッ●ラオ通りのインペ●アルワールドというショッピングモール。大手ディスカウントストアのBigCが入っている、一見、ごく普通のモールなのですが、ここのオーナーは赤シャツ組(タクシン派)の幹部だそうで、3-5階のかなりのテナントが、赤シャツ組の店舗になっているのです。
 私はここで赤シャツ組のリーダーの一人にインタビューをさせていただいたのですが…。インタビュー以前に、ショッピングモールの中に突然出現する赤い店舗群に唖然としてしまいました。

 モールの中にある吹き抜けのスケートリンク。でもその階上にあるのは赤シャツ店舗。向かって左は雑誌”The Voice of Taksin”の販売所、左は、"The Red Shop," その上の階の赤いのは、メンバー登録ブースとコーヒーサロン。
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 The Red Shop――赤シャツグッズのほか、タクシンが始めたプロジェクトである一村一品運動(OTOP)の製品が並びます。"Red Coffee"(赤くはなく、ただの名称)や、一村一品運動とは関係のないただの赤い市販品のバッグやスカーフなども扱われています。店頭のTVでは赤シャツの集会の演説や赤シャツのトーク番組が放映されています。
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 The Red Shop前でTVを見る人々。よくあるタイプのプラスチック椅子ですが、きちんと赤色。
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 The Red Shopの商品のなかでいちばん魅力的だった、真っ赤な携帯。市販品。かわいい。
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 赤シャツ組のロゴ入りのバッグを肩から掛け、赤シャツ広報誌Truth Todayのバックナンバーを探しておられたお坊さんたち。目立ちまくっていました。
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赤シャツ組のメンバー登録も受付中。タイ国民IDを見せて必要事項を書類に記入すれば、このPCブースで赤シャツIDを発行してもらえるそうです。
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 ずらりと並ぶ赤い腕時計。偽ブランドあり、きいたことのないブランドあり、文字板印刷のずれたものあり…。一律150バーツ(約450円)。赤シャツ組による製品ではなく、単に赤いものだけを仕入れて売っているのです。赤ければ何でもよいらしく、市販品のバッグも赤色だけを抽出して並べられていました。私の財布もここで購入しました。
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 財布を買ったら、赤い袋に入れていただきました。が、これも赤シャツ組のオリジナルではなくて中国モノですよね…。
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※写真はすべて許可をいただいて撮影しております。
※私がここで赤い財布を買ったのは、あくまでも使い心地が良さそうだったからであって、私が赤シャツ組のシンパだからではありません。(黄色よりは赤色のほうがずっと好きですけれどね。)

 3フロアにわたるこれらの店舗、決して閑散としているわけではなく、普通の身なりの老若男女が次々と訪れ、買い物を楽しんでいくのです。バイクタクシーのゼッケンをつけたおじさん、若いカップル、熟年夫婦、大学の制服を着た陽気な若者たち、BigCのスーパーの買い物袋を提げた中年の女性…。ばっちり赤シャツを着た人からそうでないごく普通のおしゃれな人たちまで、個人からグループまで、本当にさまざまな人たちが出入りしていました。
 店舗の方々に声をかけてみましたが、皆さん忙しくて、外国人なんかに構っちゃいられないという感じでした。赤の裾野の広さを見せつけられました。
 
 タクシンの判決は、明日、26日です。
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# by saging | 2010-02-25 03:13 | タイ研究('09~'10年)
Chinese Valentine!?
ツイッター、始めてから1週間で早くもドロップアウトしそうです。

理由1
 他人のツイットを読むのが面倒。文章は読めるけど、短文は読めません。

理由2
バンコク在住の私はブロードバンド環境にないので、いちいちツイッタ―のページを開けるのが面倒。

理由3
 自分がツイットしていない。これ、致命的。

Facebookやmixiにもツイット機能みたいなのがあるのですが、一日中オンラインでいるわけでない私にとっては、そうしたon timeのコミュニケーションの良さもわからなので、使っていません。
 なんだか悔しいです。柔軟性があるふりしてみたけど、結局カタブツでした、みたいな。
 いったい何がいいの、ツイッター。多くの人が使っているからにはそれなりのメリットがあるのでしょう?

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 写真は、バンコクのソイ・トンローにあった広告です。
 今年は、"Chinese New Years Day"(旧正月)とバレンタインが同じ日(2月14日)でした。だからこのような「合体広告」になったのだと思いますが…略すところ間違ってます。
 ("Chinese Valentine's Day"は、旧暦7月7日です。たとえば2009年は8月26日、今年は8月16日…。)
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# by saging | 2010-02-22 00:26 | タイ研究('09~'10年)
ツイッター?
 昨夜、Blogを更新したはずなのになぜか記事が消えていました。いまだにBlogの使い方をマスターしていません。写真ももっと上手に入れたいのですが。

 ついに、「ツイッター」なるものに登録してみました。が、まだ一言もつぶやいていません。
 
 本当は私は「ツイッター」をとても軽蔑していました。不特定多数に向かってくだらないことをつぶやくなんて、なんだか自己顕示欲が強いだけに見えます。日常の出来事だけを綴った一般人のBlogみたいな。他人に見せる意味がわからない。私がBlogを書いているのは自分の考えていることに落としどころをつけるためです。他人にネタとして公開できるくらいに自分の思考の整理をつけるためです。だから、落とし所のない文章は公開しないことに決めているし、日常生活でさえ、整理できていない言葉は発しないようにしています。
 それがツイッターったら…。整理できていない言葉の集合じゃないですか。こんなに多くの人たちが不特定多数に向かってつぶやきまくっていて、トラブルとか起こらないのかしら。

 …とずっと思っているのですが、これだけ流行っているということはそれなりにプラスの面があるのでしょう。批判ばかりしていてもしかたがないので、ちょっと使ってみようと思います。
 そもそも私はネット上のコミュニケーションに対してはきわめて否定的で及び腰で食わず嫌いです。携帯メールはかなり長い間使っていませんでした。あんな短い文章で無駄話をするのは言葉への冒涜だと思っていたのです。(もちろん、いまは使っています。) メッセンジャーもスカイプも嫌いでした。(いまでは活用。) mixiもFacebookも長い間敬遠していました。(いまは好き。) 顔文字なんて、それが原因でボーイフレンドと別れるくらい嫌いでした。(現在は、使いはしないけれど、他人が使っていても何とも思いません。)
 やってみると変わるのでしょうね、きっと。

 でも、つぶやきかたがわかりません。どうしても落ちを考えてしまいます。
 当面は、自分では何も書かずに他人のつぶやきを見るだけにしましょう。でも、知人の探し方もよくわかりません。
 
 最初のつぶやきで、「エストラダの最新映画(昨年公開)の"Ang Tanging Pamilya (A Marry-Go-Round)"がものすごくつまらなかった」ってつぶやいてみようと思ったのですが、それはマニアックすぎるので、結局Blogに書くことにします。本当につまらないですよ。ダメなタガログ・コメディ、ここに極まれりって感じです。コメディってうるさいものだけれど、それにしても、タガログ・コメディにおける極端なやかましさとわざとらしい騒ぎっぷりって、何かを超越している気がします。いちばんびっくりしたのは、私の入手したDVDに英語字幕が付いていたことです。需要あるの!? あんなつまらないタガログ、訳すだけ無駄じゃないかと思います。ジープニー・ドライバー役のエラップも冴えないし。唯一の見どころは、あるどんちゃん騒ぎの場面で、登場人物がなぜか、タイの赤シャツ隊がデモで使う足型の鳴子をもっていたことです。あれはちょっとおもしろかったです。って、すごいマニアック。
 その後、口直しにチェ・ゲバラ映画を2本観て、やっぱり映画ってこうじゃなくちゃ、と思いました。
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# by saging | 2010-02-14 02:45 | その他
バンコクあと1か月

 来月には選挙一色に違いないフィリピンに移るので、バンコクで残された時間は約1ヶ月。
 言葉が使えないと人間はこうも暗くなるのかしら、というくらい、バンコクに来てからずっと、エンジンのかからない日々が続いていました。タイはとても住みやすい、心地よい国なのですが、調査が…。
 そんなことばかりは言っていられませんから、いろいろ各方面にアプローチしてみましたし、もちろんタイ語も勉強したし、それなりに努力したつもりですが、フィリピンのようにはいきませんね。
 けれどもやっと、ここ数週間は、タイの現代政治の担い手の一部である黄色のリーダー、そして赤のリーダーの方々へのインタビューをさせていただく機会に恵まれました。それも、かなり上層部の、なかなかお会いできないようなリーダーたち。そんな方々の貴重な肉声をきいているのに、私はいまだにタイ語が日常会話程度しかできないので、そのたびにいちいちタイ‐英語通訳を誰かにお願いしなくてはならないことが、とても悲しいです。しかも私の聞きたいことは、「議会制民主主義」だとか、「買票」だとか、マニアックなことばかり。
タイ語ができない外国人はこの国のことなんて何もわからないんだ、と卑屈になってみたり、そうは言っても、この国とフィリピンとの比較はとてもとてもおもしろいのだと思ったり。
 そんな毎日の繰り返しです。
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 写真は、2月10日に国家警察前で行われたタクシン派(赤シャツ組)の集会。国家警察といったら、サイアム地区ととチットロム地区の間にしてセントラルワールド南側、観光客であふれる繁華街のど真ん中です。いやはや、よくあんなところで集会ができるものです。道路(RamaⅠ Road)は片道車両通行禁止、BTS(スカイトレイン)のサイアム-チットロム駅間を結ぶスカイウォークも通行止めになっていました。道行く外国人観光客は興味深げにその様子を眺め、カメラ付きケータイでパシャパシャ。私の隣にいた西洋人カップルは、
 "Oh, red shirts!"
と喜び、赤シャツのお兄さんたちと写真を撮りまくっていました。なんですか、このゆるーい感じ。他方、それこそがデモの主催者の意図のひとつなのでは?とも思ってしまいます。
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 上の写真は…昨年10月25日にも書きましたが、やっぱりすごい赤組のロジ。交通規制されていないほうの歩道にマッサージ店を出していました。10ブースくらいありました…。
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# by saging | 2010-02-14 02:09 | タイ研究('09~'10年)