Keso de Bola とは、 「表面は赤いのに中は黄色い」フィリピンのボール型チーズ。転じて日和見主義者。       かつてお世話になった、現地の言葉で「灯台」と呼ばれるマニラ湾岸のスラムを、ガラス越しに。
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東京コネタ集
 最近、東京メトロでよく見かける下のポスター。

 詳細は国土交通省のホームページにあるとおりなのですが、酔っぱらいの人の絵・・・「お土産持ってご機嫌なお父さん」がモチーフなのでしょうか・・・ベタすぎで笑ってしまいます。頭の上にちりばめられたいかにもテキトーな記号も笑えますし、そもそも、「酔っぱらいながら」っていう表現が可笑しい。いつも気になっています。

 今日の午後1時ごろ、池袋西口で信号待ちをしていたら、足元のおぼつかない、「池袋西口公園によくいらっしゃる感じの年齢不詳の小柄なおじさん」に、コンビニの場所を訊かれました。たまたま私の進行方向にファミリーマートがあったので、ではご一緒に行きましょう、と私は答えました。よろよろ歩きながら「いやあ、すみませんね、どうも酔っぱらっちゃいましてね」と陽気におっしゃるおじさん。微妙に距離を開けて歩いていたのですが、次の信号で立ち止まったとき、そのおじさん、突然、
 「えーと。実はですね。私、古畑任三郎と申します。」
と言いだしました。
 外見はあくまでも「池袋西口公園によくいらっしゃる感じの年齢不詳の小柄なおじさん」なのですが、口調とか動きとか「間」とかがあまりに田村正和の動作に似ていて、私は唖然としてしまいました。日本のエンタテイメントに疎い私ですが、古畑任三郎は知っています。そして、大好きです。
 しかし、いくらなんでもあまりの唐突さに、私は何の言葉も返せませんでした。
 無言でファミリーマートの前まで来ると、おじさんは、
 「どうも、ありがとうございました。いや、お嬢さん、あなたは心が綺麗な人だ…。人間は外見じゃあありませんよ。」
と、見事すぎる古畑口調(田村口調)を披露して、消えて行きました。
 しかし、私これでも30歳なのに「お嬢さん」ってあなた…。しかも、「人間は外見じゃない」って…。
 まあいいや、おもしろかったから。年末年始、暇があったらレンタルビデオ店で古畑シリーズを借りてきて観ようかな。

 そしてさっき、フィリピンから一時帰国中の友人Tさんと入った麹町のとある中華料理店。用意周到な彼はネットで調べて「麻婆豆腐が美味しそう」ということでお店を決定し、事前に電話予約まで入れてくれたそうなのですが、向かう途中、
 「実は、予約したときに名前を訊かれなかったんですよね。電話に出た人が厨房の人みたいで。それにしても、大丈夫かな。」
とTさん。そうですかー、と軽く考えながらお店に入ると、恰幅のいい、たしかに「厨房の人みたい」なマスターみたいな男性(以下、便宜上「マスター」と呼びます)が「あ、電話くださった方ですか」とテーブルに案内してくださり…って、どのテーブルもガラガラ。
 メニューを広げ、焼餃子を注文しようとしたTさんに、
 「今日はスープがおいしいんで、水餃子のほうがお勧めです。あと、小龍包。」
と強く主張するマスター。
 Tさん「…どうします?」
 私「…お勧めに従いましょうか。」
すると、さらに強気のマスター、
 「今日はできるものが限られてるんですよ。任せていただければ適当に作ります。」
・・・・・・。とりあえず、Tさんのいちばん食べたかった麻婆豆腐は「できます」とのことでしたので、それを注文して、ドリンクメニューを見て、久しぶりに二人で生ビールを飲もうと思ったら、
 「瓶しかありません。瓶も生も味、変わりませんよ。瓶のほうが安いし。」
マスター、ごり押し。
 「メニュー」、いらないんじゃ・・・。 
 でも、お勧めの水餃子は確かにスープがとてもさっぱりしていておいしく、小龍包は私の大好きだったマラテの蘇州料理店と肩を並べるほどのおいしさ。薄味なのですが、調味料なしでいただけました。麻婆豆腐も。
 そして満足のあまりすっかりリラックスして瓶ビールを空けてしまった私たち。うっかりデザートメニューを広げて注文しようとした矢先、マスターから「杏仁豆腐しかありません」と、とどめのダメだし。
 2時間くらいいたのですが、最後まで私たち以外のお客さんはなく、マスター以外の店員さんの姿もまったく見えませんでした。…きっと、祝日だったからですよね。麹町のいい場所にあるお店だから、きっと平日の夜は全メニュー注文可能で、すごく繁盛しているのでしょう。そしてあのごり押しマスターもきっと平日は厨房に専念されているのでしょう。
 …だとしても、次も休日に行きたいです。

 東京は人工的なところだと思っていたけれど、けっこう、いろいろおもしろいものですね。

 どうか皆さま、よきクリスマスをお迎えください。
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# by saging | 2010-12-23 23:47 | その他
グリーティングカード
 ペナンから戻って2週間。勤務以外の時間はひたすら、海外の友人たちへのグリーティングカード(あと、ペナンでお世話になった人たちへのお礼状も)の用意に没頭し、先日やっと、すべての発送を終えることができました。フィリピン125枚、タイ18枚、その他の国14枚。…交友関係の偏りが顕著です。
 住所録が膨らむ一方の「フィリピン」分を減らすため、FacebookやメールやチャットでGreetingsできそうなカジュアルな友人へのカード送付は省くことにしたのですが、それでもまだ、この数。これ以上は削れません。大学の先生と、前の職場で知り合った方々が半分くらい。あとは、インフォーマントになってくださったスラムの方々とか、ひとかたならずお世話になっている友人とか。
 市販のカードではなく自分で印刷したものを使ったのですが、それでも、郵送費だけでけっこうな額です。でも、マニラでクリスマスを過ごしたとしたら、会う人ごとにプレゼントを用意して、ガードマンや管理人さんにも心付けをおねだりされて、洗礼子(4人います)には奮発して、誰かのおうちやオフィスを訪問するときは(仕事でもフィールドワークでも個人的な用事でも)必ずチキンだのフルーツケーキだのワインだのハムだのパンシット(焼きそば)をだの持参して…と、ものすごく出費が続くので、郵送費くらい、たいしたことではありません。
 本当に、フィリピンのクリスマスはすごいです。このblogにも毎年書いているような気がしますが、体力と財力と精神力、あと胃袋力(?)がないと、とても乗り切れません。キリスト教国なのに、クリスマスは決して厳かな祭典ではなく、現金が飛び交うほどの世俗的でアホなお祭り。フィリピンに住んでいたときは、あのお祭り騒ぎについていくのが本当につらくて、バンコクに逃避したこともありました。いまでも思い出す、強烈にアホな思い出は…普段は真面目な顔をしているNGOスタッフたちが「バナナ早食い競争」に夢中になっていたこととか、12月初旬に仕事で某下院議員の事務所に行ったら昼間の3時なのにワインを出されて仰天したこととか、(当時の)職場に毎日のようにあらゆるギフトが届いたこととか、食パン4斤とマンゴージュース4ダースが某フィリピン人ビジネスマンから私宛てにギフトパックで届き(ギフトというか食糧支援!?)悩んだ挙句にロハス大通りのホームレス家族の皆さんのところに持っていったこととか、甘いものには食傷気味の日本人職員にとどめを刺すかのように手作りの檄甘チョコレートケーキを差し入れたKYな若いフィリピン人秘書に「これは嫌がらせでは?」と悩んだこととか、その職場のクリスマスパーティー(=フィリピン人スタッフの日頃の献身に感謝する会)で歌い踊りつつ司会を担当した私に当時の上司が「くれぐれもそのテンションを仕事には持ち込まないように…」とつぶやいたこととか、2006年12月に予定されていたセブでのASEANサミットがまさかの延期になって唖然とする外国人を尻目にフィリピン外務省はクリスマスパーティで盛り上がっていたこととか、トンドのチンピラ青年たちとのクリスマスパーティで「口にくわえたスプーンでカラマンシー(スダチみたいなもの)を運ぶリレー」と「生卵キャッチボール」を繰り広げたこととか、友人Wさんとクバオの路上で売られていたライト付きライター(ライトをつけるとセクシーな女性の写真が浮かび上がるもの)を買い占めて例のトンドのチンピラたちにあげたらとてもウケたこととか、余ったライターを私が持ち帰ってラッピングして職場の同じ部署の日本人男性たちにプレゼントしたらチンピラたち以上に大喜びされたことと(カラオケの選曲ブックを照らすのに使うんだそうです)…。
 クリスマスカードを書きながら、そんなことを思い出していました。そうそう、あのライター、その後、めっきり見ません。当時はクバオでもキアポでもあちこちで売られていて、たしか1つ20ペソ(40円)だったはず。もっと買っておけばよかった。我が弟たちにも一つずつプレゼントしましたが、喫煙者ではないのでライターを使う機会もないでしょうし、そもそも日本で「カラオケで選曲ブックをライターの明かりで照らす」というシチュエーションがどれだけあるのかもわかりませんので、きっともう、どこにいったかわからないでしょう。フィリピン在住の友人の皆さま、もし、クバオとかキアポの街角で見かけたら、ぜひ、ざっと40本くらい買っておいていただけませんでしょうか。もちろん、お代+手間賃+αはお支払いします。
 
 …などというイマジネーションだけでもお腹いっぱいになってしまいそうなフィリピンのクリスマス。カードも書き終えたので、今年はもう終了です。今週末からは、年賀状の準備にシフトします。私は日本で年末を迎えるのが5年ぶり。つまり、年賀状を書くのも5年ぶりです。30枚くらいの予定ですが、どうも書いているうちにいろんな場所でお世話になった方々を数珠繋ぎに思い出してしまうので、これから、もっと増えるかも…。
 せっせと郵便料金を支払って、内需拡大に貢献します。

 朝の永田町
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 夜の永田町
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 ふたたび、朝の永田町
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 永田町は都会の中心なのにきわめて浮世離れした特殊な地域なのだと思います。地上には喫茶店やコンビニの一つもないし、監視カメラだらけだし、歩行者がとても少ないです。デモが行われるのはごく限られたエリア。私は一日のほとんどをオフィスですごします。オフィスは南向きで窓が大きくて明るくて暖かくて、東京タワーまで見えます(廊下からはスカイツリーも見えます)。自宅の周りはこれで東京都内なんですかって言いたくなるくらい緑がいっぱいの住宅街だし、通勤で使う地下鉄Y線も(特に7時台前半は)すいているし、こんなだからついつい、東京もいいな、って思ってしまいます。
 ほぼ毎日途中下車する池袋駅でも、最近やっと迷わなくなりました。
 でも昨夜、元上司のIさんにお酒をお付き合いいただくために新宿東口に行き、やっぱり東京ってコワイ、と思ってしまいました。「人波」っていう言葉がありますが、あれは、大波・高波・荒波です。
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# by saging | 2010-12-10 18:39 | フィリピン(全般)
今日からペナン
 今日から5日間、マレーシアのペナンに行ってきます。7月末までいただいていた某財団のフェローシップのワークショップ。研究者だけでなく、芸術家や活動家など多様な分野の同期フェローが全員、各国から集って各自の研究成果を報告しあうのです。とても楽しみ。マレーシアに行くのも初めてです。
 
 いくら採用前から許可を得ていたとはいえ、こんな時期に1週間もお休みを許してくれる職場に感謝です。
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 成田空港は展望ロビーとか屋外展望場とかがとても充実していてびっくり。あたりまえですが、関空よりずっと大きいですね。うっかりオノボリさん気分で写真を撮りまくってしまいました。少し前まで、私にとって空港というのは「やっと辿りつくだけの場所」で(飛行機が怖いからです)、登場前の時間を楽しむ余裕もなく、空港からも機内からも空なんて見ていなかったのですが、空港から見る空っていいですね。そして、空港って、いいところですね。今度は、何もなくても羽田に行ってみようと思います。
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# by saging | 2010-11-19 09:43 | その他
若手研究者の礼儀(反省)
 感動的なつくばでの学会から1日が経って改めて思うこと。
 国際会議をオーガナイズするって、本当に労力の要ることだと思います。参加者の半分くらいが外国人だったそうです。それも、日本ベースの研究者だけではなくてこのためにフィリピンその他からいらっしゃった方も多数。そのロジだけでも大変な作業のはず。基本パネル構成、公募パネル構成、そしてペーパーのアブストラクト審査…と、何年もかけて準備していただき、その都度、詳細なご連絡をいただきました。S先生はじめ実行委員会の皆様、本当にありがとうございました。今回の実行委員の先生方は中堅研究者世代で、たぶん学内でももっとも多くの業務を抱え、科研の業務も抱え、大変なお立場だと思います。

 私は先日、出身大学の「研究員」の資格をいただきました。議員秘書の肩書で研究活動をするわけにはいかないので、本当に幸いなことです。さっそく、尊敬する先生から、来年度申請分の科研の分担者としてのお誘いをいただき、初めて科研の書類というものを真剣に読みました。そして、書類の量と作業の多さにびっくり。申請してくださった研究代表者の先生に、ただひたすら、申し訳なく思いました。

 これまでずっとお世話になりっぱなしだった私たちもアラサー世代も、そろそろ恩返しをしないといけないと思わされました。何年後になるかわからないけれどこのような会議を企画して未来の研究を担えるように、そしてもっと下の世代にこのような機会を提供できるように、いまから準備しないといけないのかなと。そろそろ、自分の報告や議論に一杯一杯になるのではなくて、いまのうちから日々、同世代の研究者(日本人・フィリピン人に限らず)との交流を深め、人脈を広げ、もちろん自分たちの研究もより広げて深めていくことを考えないといけませんね。
 職を得るために、履歴書に書けるように業績を量産すること、規格に合うような(通るような)論文を書くこと、自分の書きたいことを論文に過剰にかぶせて自己満足すること。多かれ少なかれみんなそういうところがあって、それが、不安定な若手研究者の生存術なのだろうな、と思います。
 私はいつも、同世代の院生、あるいは非常勤の仲間たちが、教育者志望のくせに学生の指導とかTA業務についてあれこれこぼしたり(修行なんだからありがたくやればいいじゃん)、科研とかCOEとかその他様々な先生のファンド・プロジェクトに入れていただいているのに、研究会やシンポジウムのアレンジとか会計とか海外ゲストへの対応とか雑用に愚痴を言ったり(お金もらって研究機関でインターンしているようなものだからありがたくやればいいじゃん)、「自分の研究をする時間がない自慢」をしあっていることが疑問でしかたがなく、あなたたちの辞書には、「奉仕」という言葉も、「させていただきます」っていう言葉もないのか?と思って、心の中でかなり苛々することが多いのですが、自分のことに一杯一杯で周りが見えていないという点では私も負けず劣らず自己中だなあ、というかどうして私はそんなに「上から目線」なのか。今回、そう思いました。同年代や、少し上の世代の方々とお話しするなかで。
 私は研究職についていないこともあり、また、院生時代にあまり大学に居なかった(というより日本に居なかった)こともあり、日本の大学の常識がわかっていません。日本の文系の院生が苦労して通る道であるガクシンにも非常勤の公募職にも、ただの一度も応募したことすらありません。だから、それがどのくらい大変なことなのか理解していません。
 来年度の科研が採択されたとしても、私がフルタイム研究職についていないことや、所属機関である母校と現住所(東京)がとても離れていることなど、手続き的な面で、周りの方々や研究代表者の先生にあれこれとご迷惑をかけることは必至だと思います。申し訳ないかぎりです。

 上の世代に非礼を申し上げることも、そして横の仲間たちに甘えて迷惑をかけることも、決して消すことはできないので、下の世代に還元することが恩返しの一歩なのでしょうが、私のように研究職につかないということ(大学で教えないということ)は、つまり、下の世代に還元できる機会がないということで、これもなんだか、私だけフリーライドしているような気がします。って、これも実は一昨日、初めて気づいたのですが。仲良しの研究仲間が
 「僕らももっと下の世代を育てることに意識を向けないといけない」
って言うのをきいて、私はそういうことに本当に無頓着だなあと思いました。もっと意識して、別のところで補って還元できるように考えないとなと。
今回の学会を通じて、そんなふうに反省させられる瞬間が何度もありました。自分の報告に夢中になる前に、そして政治とかなんとか大きなことを言う前に、もう少しもうすこし周りを見渡さないと、きっと、人としてダメな気がします。
 
 いま、21時から開始された衆議院本会議での官房長官と国交大臣の不信任案の投票風景を観ています(ここで観られます)。フィリピンの議会だったら、こういうときは当の本人は立ち上がらないか、そもそも議場に現れないことが暗黙の了解で、それをdelikadesaっていうらしいですよ。礼儀、たしなみ、奥ゆかしさ、作法、または、文化的常識? 礼儀…って訳すのが一番近いのだと思っていますが、いまだに理解できない概念の一つです。
 予算案は明け方までに衆議院を通るのかなー。The night is still young.

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写真は、日曜の朝のつくば。駅前からすでに何もなくてだだっ広いのに、都市開発のディテールに凝っているような、不思議な町でした。セグウェィでも走っていそうな感じ。駅前は夜になると妖艶なイルミネーションで彩られ、屋外メリーゴーランドも! 朝、ホテルのロビーでお茶を飲んでいるときに偶然お隣にいらっしゃった設営関係者の方曰く、メリーゴーランドはこの時期限定だそうです。クリスマスの時期になるとクバオのアラネタコロシアム前やコモンウェルスの空き地に突如として現れる、安全性にかなり疑問が残る簡易遊園地、"Fiesta Carnival"を思い出しました(…って、またマニアックなことを書いてしまいました…ついつい…)。
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# by saging | 2010-11-15 22:19 | フィリピン研究
つくばでの幸せ
 つくばから帰ってきました。幸い、行きも帰りもつくばエキスプレス(TEXっていうそうですよ)から振り落とされることもなく。
 楽しかった! 本当に楽しかったです。学会の内容も、自分の報告したパネルに関するnever-endingなディスカッションも、懐かしい方々との再会も、新しく知り合った方々とのおししゃべりも。1日目の晩は悪友たちと朝方まで飲みつづけてしまいました。はしゃぎすぎ。マニラに住んでいたときは彼らが来るたびにそんな飲み方をしていたことを思い出しました。

 前回のこの学会の開催は4年前の06年11月で、ちょうど私がマニラで働きはじめて半年が経った頃でした。フィリピンがASEAN議長国としてサミットを控えていたときです。無理に休暇をいただいて帰国して参加したものの、アカデミックな議論についていけないこと、周りの友人たちは学会だのガクシンだの論文だのと言っているのに自分は一向に博士論文執筆のめども立たないこと、フィリピンに住んで仕事をしているくせに自分自身はなんのアウトプットもできないことなどを思い知らされ、フラストレーションが募る一方でした。友人Wさんと一緒に泊った山谷の安宿で明け方まで愚痴をぶつけまくり、同席していたWさんの彼女(いまは奥さま)に多大な迷惑をかけたことはいまも鮮明に覚えています。

 その後もずっと私は、「フィリピンに住み、高給を受け取り、研究を続けるにふさわしい環境にあるのに思い通りに研究が進まないこと」とか、「自分のテンションをコントロールできないこと」とか、「フィリピン研究のインナーサークルはとても心地よいけれどそれに甘えて『フィリピンオタク』にはなりたくないこと」など、いろいろなアンビバレンツを感じ、「こんなはずじゃないのに」、「こんなことじゃだめなのに」と思ってきました。

 でも、年が経つにつれて、少しずつですが、いろいろなことを自分の中でうまく処理できるようになってきているような気がします。あいかわらずいろいろダメなんだけれど、まあいいか、と思えるようになったというか。
 私は結局研究職を志さず、フィリピンとはほとんど関係のない仕事につき、毎日、お茶を出したり電話を取ったり新聞をチェックしたりエクセルやアウトルックを操作したりしています。タガログなんて絶対話しませんし、日中はフィリピンのことなんてほぼ考えません。夜、家に帰ってから、あるいは朝、家を出る前に、数時間だけ本を読んだり、今回の学会報告のペーパーのようなものを書いたりするくらいです。努力があまりに不足しているし、本当に全然ダメだと思うのですが、それについてあまり不安とか焦りを感じなくてもすむようになってきました。30歳にしてやっと、少しずつ要領が良くなってきたかな、と思います。フィリピン研究仲間とマニアックな話題で盛り上がるのも、純粋に楽しめるようになりました。オタクだってまあいいじゃない? そのぶん、フィリピン以外のことも話せる自分になればいいんだから…と思うようになりました。何かがあって不安やパニックに襲われたとしても、「いま不安だ/いま自分はパニックだ…おとなしくしておこう。そう長くは続かないのだから大丈夫」と思えるようになりました。だからきっともう大丈夫。

 また1週間が始まり、仕事に追われ、緊張の続く職場での日々がずっと続いていきます。でも、私はそれを労働だとは思いません。以前は、フィ●ピン研究会や学会への出席は唯一の休息で休暇で娯楽で、それらは常に労働の対極にあるものだと思っていました。でもいまは、いわゆる「研究者」ではない自分が学会に出て政治学博士として報告したりコメントしたりすることにも、身体の休息や仕事の準備に充てるべき休日に学会に出てはしゃぐことにも、何の問題も感じません。それでいいのだと思っています。いろんな役割を兼ねながら生きることを楽しみたいのです。
 これまでは、学会や研究会が終わるたびに「この幸せをエネルギーにして明日からの労働を乗り切ろう」と思い、仕事で困難を感じるたびに「次の学会を楽しみに走ろう」と思っていたけど、いまはそんなふうには思いません。友人Aさんが以前に言っていたように、研究以外の仕事に従事するフルタイム労働者が、研究を、労働の対価としての休暇と捉えるなんて、おかしすぎます。いまはただ、「昨日も今日もいい日だった。明日からもいい日であってほしい」と思うだけです。結局はどれも、好きでやっているのだから…。

 この4年間でそういうことを教えてくれたすべてのフィ●ピン研究仲間の皆さんと、先生方と、マニラでお世話になった人たちと、マニラの元職場、あと、いまの職場に感謝しています。これからもしばらくは、物理的に可能なかぎり、仕事も学会もエフォート率100%でやっていきたいと思っています。(エフォート率は主観だから。まさか100になることはありません。でも、2つを足して100を切ることもないはず。)
 素晴らしい週末をありがとうございました。本当に楽しかったです。そして、幸せでした。
 フィ●ピン研究仲間の皆さま、これからもよろしくお願いします。
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# by saging | 2010-11-15 01:46 | フィリピン研究
国際学会@つくばを控えて

 この週末は、国際フィ●ピン研究学会@つくば。
 ものすごく楽しみで、興奮して眠れません。
 
 楽しみその1は、魅力的な学会プログラム。あたりまえですが、どの国籍のどの報告者が話すことも、すべて、フィリピンについて。プログラムを見ながら、わくわくですよ。世界各地からいらっしゃる著名な先生方のお話、期待で眠れません。
 
 楽しみその2は、尊敬する先生方、先輩方や旧友との再会! 本当に楽しみです。

 楽しみその3は、久しぶりにフィリピンどっぷり、地域研究どっぷりの学会報告ができること。
 私はここ1年以上、学会でも研究会でも講義でもその他いかなる場面においても、何かを報告・発表するときには、「かっちりした報告」をするようにしてきました。リサーチクエスチョン、仮説、分析枠組み、方法論、実証…と進む、オーソドックスなプロシージャーに則ることが、政治学博士/to be 政治学博士)の責任だと思っていました。地域研究者からはものすごく批判されましたが、地域研究から脱却したいとも思っていたのです。でも、勉強不足のため、比較政治の方々にはまったく及ばず。中途半端すぎます。
 加えて、ここ1年以上は、フィリピンマニアにはなりたくないとの強い思いから、タイや日本との比較を視野に入れた報告しかしてきませんでした。
 でも今回は、久しぶりに、全力でフィリピンについてお話させていただきたいと思っています。当Blogでもさんざん取り上げているNoel Cabangonにもスライドでご登場いただく予定。マニアックすぎですが、フィリピン・マニアばかりが集う場ですから! 友人のOさんもフィリピン武術アーニスについて報告するそうですし、4年前に開催されたときは「マッチョ・ダンサー」について報告した人もいましたから、Noel Camangonがちらっと登場するくらいは許されるはず。

 楽しみその4は、初めてのつくば。すごく遠いイメージがあったものですから、先日、秋葉原のつくばエキスプレスの窓口に電話をかけて、
 「事前予約は必要ですか」
と尋ね(新幹線に乗るときと同じようなものかと思って)、
 「いえ、普通の快速ですから。PASMOで乗れますよ。」
って言われて、恥ずかしく思いました。

 …と、とにかく、心待ちにしていた学会なのですが、ここで大問題。
 昨日初めて知らされた、つくばエキスプレスに関する衝撃情報。
 ・在来線でもっとも速く、時速130キロ!
 ・おまけに途中で地下を通る

 130キロ! 振り落とされませんかね?
 地下を通るときもハイスピードなのでしょうか。
 
 ますます気になって眠れません。

 友人の皆さん、もし明日、私が学会に遅刻したら、それは、寝坊ではなくてつくばエキスプレスに振り落とされたからだと思ってください。(って、言い訳にしか聞こえませんね。)

 昨日(金曜日)は仕事で極度に緊張するシチュエーションがあり、そのあとずっとドキドキして、電話応対とか普通の業務はできるものの、なんだかハイな感じで落ち着かず、学会報告の最終チェックにもまったく身が入りませんでした。いいかげん、もう少しうまく切り替えができるようにならないと。
 深夜にジムに行ってプールで泳ぎ、やっと少し落ち着きましたが、あいかわらず、楽しみと不安とで眠れず、かといって学会報告について何かよい案が浮かぶわけでもなく、30歳とは思えないそわそわっぷりです。遠足前の小学生みたい。

 でも、がんばります。本当に楽しみですよ。
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# by saging | 2010-11-13 02:56 | フィリピン研究
選挙と期待
 今日は、北海道5区の衆議院補欠選挙でした。
 明日は、フィリピンの全国一斉バランガイ選挙です。

 …同列に並べるなって感じですが、私は3年前のバランガイ選挙にものすごく燃えました。ケソン市B地区のスラムのバスケットボールコートに作られた特設ステージで、バランガイ議長に立候補している住民リーダーN氏が
「利用されるのはもう終わりだ!」
と叫び、Noel Cabangonが
「僕は将来を売らない。僕の票はとても大切なもの」って歌った瞬間に聴衆がすごい声を上げて拳を振り上げたあの晩、私は、全身の血の温度が上がるのを感じるくらいの昂揚感に包まれました。それが2007年10月。あれを超える感動にはあっていません。それくらいに感動を覚えてしまう集会でした。
 ちなみにN氏は、今年も立候補しています。
 N氏の活動するB地区のスラム一部は去る10月23日、強制立ち退きによって取り壊されました。首都圏の立ち退きなんてちっとも珍しくないのですが、同地区の住民組織は本当に強く、人間の壁をつくって撤去部隊と数時間も睨みあい、4人のリーダーが投石を受けて負傷。そのニュースは翌日のほとんどの主要紙に取り上げられていました。私も複数の友人たちからメールをもらって知り、びっくりして現地のリーダーたちに電話しましたが、
 「大丈夫。日本から祈っていてくれれば、それだけでいいから。私たちは勝つから、いまに見ていて。」
という、いかにもあの地域のリーダーらしく気が強い答えが返ってくるばかり。
 B地区はSM North EDSAやTrinomaのあるケソン市の一等地にあり、人間の壁が幹線道路EDSAを封鎖する形になったためにすさまじい渋滞がオルティガス地区にまで及んだそうで、私もフィリピンの友人たちから、
 「B地区ってあなたが入ってたとこじゃない? 大迷惑なスクワッターとして有名になったよ。」
と言われました。
 ちなみにB地区はエストラダ派の巣窟みたいな場所です。5月の大統領選直後、アキノ政権べったりのNGOが入ってきて、
 「アキノ政権になったからもう大丈夫、デモに行くのをやめろ。」
って説いて回っていたそうです。
 ぜんぜん、大丈夫じゃなかったじゃない! アキノ政権になった途端に立ち退きですよ。だったら、アロヨ政権のほうがましよ! 選挙前はNGOも政治家もいっぱい来てたけど、結局、誰も庇護してくれないんじゃない!
 …そりゃ、バランガイ選挙に自ら立候補するしかない、本当にそれしか道がないと、外から見ている私でも思いますよ。あれはひどい。
 アキノべったりのNGOの友人たちに、
 「アキノ政権、ぜんぜんpro-poorじゃないじゃん、よりによってB地区で立ち退き実施するって、大胆もいいとこでしょう。」
と言うと、
 「いや、あれはアキノ大統領の外遊中(ニューヨークでの国連総会出席中)に起こったことで、大統領の決断ではないはず…。」
とかなんとか。NGOのくせに、なんですか、その煮え切らない態度は。身内に甘すぎるよあなたたち!
 …でも、「リーダーの外遊中(それも、国連総会出席中!)に起こったことだから」を理由にしている…って批判、どこかの国にもそのまんまあてはまってしまう気がしますので、これ以上あれこれ言うのはやめておいたほうがよさそうです…。

 私は日本の日常の中で果たせない夢とかフラストレーションとかをフィリピンに被せて、勝手に期待していただけなのかなあ。日本の政治に深くかかわる仕事をするようになって、もちろん政治も選挙も大好きだし、日々、真剣に取り組んでいるつもりだけれど、私の現在の真剣さは、N地区のバランガイ選挙に向けるほどの熱い目線とか、心が震えるほどの共感とかには遠く及びません。「日本の有権者たる、自分と同じ普通の人たち」に対する自分の情熱の低さに、あきれてしまいます。いえ、もちろん情熱はありますが、フィリピンへのそれに比べてあまりにも低すぎるのです。
 「貧者のロマン化」的なスラム研究をいちばん嫌悪して、批判してきたつもりだったのに、私は自分の「見果てぬ夢」を勝手にスラムに投影して、フィリピンの人たちの行動を理想化して、自分がこうあってほしいと勝手に望む「民衆」像を、他国の貧困層の言動に勝手に読み込んでいるだけなのかもしれなません。
ここ2ヶ月くらい、ずっとそう感じています。

 もちろん、いまさら「自らの研究姿勢」に悩むほど私は繊細ではないし、たとえ悩んだとしてもそれをトロすることが許されるほどもう若くもないし、この週末もそういう感情を「なかったこと」にして学会発表をしてしまうくらいのずるさと器用さは身につけています。ほとんどのものごとは時間が経てばうまく消化していけるのだと思えるくらいの図太さも。そして、明日のバランガイ選挙でのN氏の勝利を祈れるくらいの図々しさも。
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# by saging | 2010-10-24 23:01 | フィリピン研究
常識
 昨日、池袋の地下街を歩いていたらハロウィン・グッズがたくさん並んでいて、とっさに、
 「もうすぐクリスマスだなー。」
と実感。
 ……。
 数十メートル歩いてからやっと、その思考のおかしさに気づきました。
 私の脳内はいまだにフィリピンのようです。
 (解説:9月になるとラジオからクリスマスソングが流れ、10月にはハロウィン・グッズとクリスマス・グッズが一緒に並ぶのがフィリピン的常識。)

 …そんな私ですが、おかげさまで無事、東京で勤務を開始しています。

 あまりに多くのことが周りをかすめていき、かつ、些細なことについても全体像が見えず、まるで、初めて空を飛ぶプロペラ機を構成するひとつの部品を止めているネジになったような気分ですが、私はいまのところ、とても元気で、幸せです。

・住居はとても快適。分譲タイプの1K(25平米)なのに、家賃は共益費込で約6万円。
・おまけに、日本では珍しい家具・家電つき物件。アイロンや時計、寝具、食器までついています!
・周りは団地なので安心。最寄駅までの道は緑でいっぱい。
・自宅から職場まではドアツードアで40分。地下鉄で1本、乗り換えなし。
・職場の窓がとても大きくて景色が良くて、空がよく見えます。
・自宅の窓も大きくて、空がよく見えます。

 ここ1年以上、海外で、無職で気ままな生活をしてきましたので、「スーツを着てメイクをしてヒールのある靴を履いて電車に乗って定時に出勤するという当たり前のことが、ふたたび、自分にできるのか」ということが、ずっとずっと不安でした。
 でもいまのところ、当たり前のようにできています。

 東京の深すぎる地下鉄、特にラッシュアワーは第一の鬼門で、自転車通勤の可能性すら考えていたのですが、フィリピンでお世話になった元上司のIさん(霞ヶ関勤務)が、
 「Y線なら大丈夫。他線より混まないし、そんなに深くないよ。」
と教えてくださったので、その言葉を全面的に信頼して、Y線沿いに住むことにしました。Iさんご自身も今年3月に長い海外生活を終えてフィリピンから日本に戻られ、通勤ラッシュに耐えられずリサーチを重ねた結果、Y線がいちばん良いという結論に達し、自宅から20分歩いてY線に乗り、職場は霞ヶ関なのにわざわざ桜田門駅から歩いておられるとのことです。
 乗ってみて納得。7時台でも、覚悟していたほどは混んでいません。新聞を広げて読めるくらいです。地下鉄にしては浅いし、あまり揺れないし。「前後の列車との間隔」を理由にしょっちゅう遅れているようなのですが、遅れているといっても朝なら2分おきに来るのですから、京都人の私には、まったく気になりません。
 Iさんには、本当に感謝しています。

 普通に地下鉄を使って出勤することができて、仕事先で出されたコーヒーを飲んでも心臓がドキドキしなくて、車の助手席に座っても怖くない。そんな些細なことがとても嬉しくて、とても幸せなことだと思います。
 
 1ヵ月前は東京のすべてに違和感を覚えていて、そもそも人とうまく会話をすることができなくて、不動産業者の方々に日本語で雑談を振られることすら苦痛でした。そうそう、PASMOの使い方もこちらに来るまでまったく知りませんでした。
 なんだか私は、当たり前のことを知りません。非常識すぎる。海外にいたときも、ヘラルドトリビューンと日本の主要各紙のウェブサイトはチェックするようにしていたし、向こうで手に入る日本の週刊誌のまとめ読みもしていたのですが、そんなことでは全然足りませんね。あたりまえですが。自宅で日経を取るようになって(職場には主要紙が全部あるし)、本当にそう思います。日本の新聞紙面の情報量ってすごい。
 あと、TVも意識してみるようにしています。私は実はTVが好きではなく、フィリピンの仕事場で1日中ニュースチャンネルをつけていた以外は、日本でもフィリピンでもほとんどTVを見ませんでした。マニアックなフィリピン関係のドキュメンタリーと、関西圏限定の金曜夜のお楽しみ番組「探偵ナイトスクープ」は見ますが、それ以外はTVをつけもしません。その結果、日本の有名なTVパーソナリティも、有名な討論番組も知らないというお粗末なことに。それは仕事上も非常にまずいので、これからはできるだけ、自宅でもTVをつけるようにします。

 日常生活も仕事も、すべてがあまりに新しくて、これまでとは違いすぎて戸惑っています。
 そんななかで、ほとんど唯一リラックスできるのが、スポーツジム。さらなる体力増進に努めるため、さっそく、早朝から深夜までの営業かつLesMilles社のBody Combat(格闘技系エクササイズ)のクラスのあるジムに通っています。LesMilles社のBody Combatは、フィリピンでもタイでもずっと受けていた全世界共通のプログラム。リラックスどころかかなり激しい有酸素運動なのですが、世界中のどこでも同じ音楽、同じコリオグラフィーで動けるということが、とても身体を安心させてくれます。1年前、フィリピンからまったく知らない外国であるタイに移動した時も、LesMills社のプログラムにはたいへんお世話になりました。どの国に行ってもマクドナルドに入ると安心する、という話をよくききますが、それと似ているかもしれません。

 あと、ヤマハの中古ギターを買いました。お天気のいい日に、近くの公園で練習します。
 
 フィリピンとも、もとより「研究」ともほとんど関係のない仕事に就きましたが、できるかぎりにおいて、フィリピンとの関わりも、もちろん研究も、続けていきたいと思っています。今月は某学会の例会、来月は国際学会での報告の機会をいただいています。がんばります。

 今後ともこのBlogは、研究や勉強(研究未満のこと)、フィリピンのこと(未練たっぷり)、日常のことを記述するために続けていきたいと思っています。これからも、どうぞよろしくお願いいたします。
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# by saging | 2010-10-03 22:56 | その他
Aking Gitara(私のギター)
 ギターを弾くことは、私の夢のひとつでした。まず弾いている姿がかっこいい。笛やバイオリンのようにメロディしか奏でられないわけではなく、きちんと伴奏になる。それなのに、ピアノやオルガンのように場所を選ぶわけでもない。…万能すぎる楽器だと思います。
 ギターを弾く人がとても多いフィリピンに住むようになってからは特に、私はものすごくギターに憧れるようになりました。なんとかして自分も、と思ったものの、これまで、日本でもフィリピンでも「簡単だよ」と言われて何度も手に取るたび、1時間以内にあきらめ。前の職場で働くようになって間もなく、近所のギター教室にも登録してみたものの、午後7時の最終レッスンに間に合う日がなく、1回しか出席せずにあきらめ。

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 しかし、フィリピン滞在もあと4ヶ月となった今年4月、私は今度こそなんとしてもまじめにギターを練習してみようと思い立ちました。「ついに君もやる気になったか!」と発破をかけてくれた友人から譲り受けたのは、ハリソン・プラザ(三流ショッピングモール)で800ペソ(約1600円)のフォークギター。どこから見ても安物そのものですが、高いギターを買ったところで続けられるかどうか、まったく自信がなかったのです。
 知人の紹介で、PUP(教育大学)音楽学部の大学生の先生に師事。気合いの入った先生自作のノートで、ドレミの弾き方からアルペジオ、コード理論、指の使い方から手首のフォームまでみっちり教えていただきました。私の頭に入ったかどうかは別にして、先生の指導は素晴らしかったです。ギターでのドレミをまず習い、そのあと、ピアノのそばで、ピアノの「和音パターン」と対照させながらコードを一緒に習ったことで、私は初めて、コードの意味と、どうしてコードをそのように押さえればよいのかという初歩的な点(これまでテキストを読んだだけでは理解できなかった)を体得することができました。
 でもギターはやっぱりそう簡単には弾けません。指先は痛いし手は攣りそうだし、大変。アルペジオも苦手です。それに、何をするにもピアノを基本にしか考えられない私は、いまだにTAB譜が読めず、譜の下に五線譜かカタカナでドレミを書かないとどうにもなりません。(フィリピンの先生はついに私にTAB譜を読ませることを諦めてくださいました。)
 
 フィリピンで教わった曲は、「喜びの歌(第九)」のメロディとコード、Happy Birthdayのメロディとコード、フィリピン民謡Bahay Kuboのメロディとコード、そしてなぜか滝廉太郎の「荒城の月」(きっと、先生の間違った日本理解のせいです)。
 「ちゃんと家で練習してきたら、eraserheads(私の好きなバンド)の”Para sa Masa”(私の大好きな曲)を弾けるようにしてあげるからね。あれならコードも簡単だからね。」
と甘い言葉をかけられながら「荒城の月」を練習し、結局私は、"Para sa Masa"のpaの字も弾けないままに、800ペソのギターを抱えて日本への帰国を迎えることになりました。

 ギターを習ったメリットは、Noel Cabangonのギターさばきの美しさに感動できたこと。これまでは声しか聞いていませんでしたが、ギターへの指の這わせ方が芸術的であることに最近気づきました。すごい。どうしたらあんなに指が動くのでしょうか。

 日本に帰ってきてからも、まあまあ、練習しています。ほとんどの曲はコード表を見ただけで「ムリ!」と思ってしまいますが、60-70年代フォークのなかで特にコードが簡単な「なごり雪」とか「戦争を知らない子供たち」とかは、なんとかなります。それに、あの時代の歌なら、父と一緒に歌えるというメリットもあるので、頑張れます。
 ほかに、コードが簡単な曲、あるいはゆっくりめの曲をご存知の方は、ぜひ教えていただけましたら幸甚です。

 800ペソのギターは本当に安っぽく、フィリピンですら「そのギターはちょっと…」と言われるほどでした。歌う詩人のJess Santiago兄とケソン市のショッピングモール内に行ったとき、彼は私にギターを選ぶ気満々で楽器店に入り、専門用語を連発しながら次々と店内のギターを試し弾きし、約1時間後、5,200ペソ(約15,000円)のクラシックギターをチョイス。Martinesっていうメーカーでした。5,000ペソってフィリピンでは高いけれど、日本でこのクオリティのギターは5万円でも手に入らない、と彼は強調。 マニラで買ったところで日本に持ち帰るのが大変だから(ハードケースは本体より重くて高い)とそのときはさすがに断りましたが、自分自身の士気をあげるためにも、もう少しましなものを日本で買おうとも思っています。
 そして、あの名曲、"Para sa Masa"を弾くのです。
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# by saging | 2010-09-07 02:02 | フィリピン(全般)
フィリピン・インディペンデント映画"Donor"
7月、Cinemalaya(フィリピン・インディペンデント映画祭)で4つの作品を観ました。”Ang Paglilitas ni Andres Bonifacio”と、”Magkakapatid”と、”Donor”と、”Sigwa”。
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 ”Donor”はとても良かったです。キアポで海賊版DVDの売り子をしている女性がアラブ人と婚姻して腎臓移植を受け、その挙句に…というストーリー。腎臓を売る理由は「街のポスターで見かけた『アラブでのDVD販売員の仕事』に応募したいが、そのための準備金がないから」。でも、フィリピン人から外国人への腎臓移植はいまや違法で、それを逃れるために偽装結婚。彼女には同棲中の夫(のような人)がいるのですが、これがまたどうしようもない男で、臓器移植+偽装結婚の計画を打ち明ける彼女に対し、「ふーん、金が入るならいいじゃん」と同意。ろくに働かずいつも彼女に金をせびり、避妊してほしいとの要求を無視した挙句に妊娠させます。そして妊娠を知った主人公は、これまた淡々と、違法人工中絶を選択。
 身体を犠牲にして決断しなくてはならない事項が、いちいち、とてつもなく重すぎるのに、それらに軽々しく淡々と同意してしまえる主人公と周りの人々の異常さが猟奇的で、でも、それはフィリピン貧困層の常識においては決して異常ではない、むしろ普通だ、というところが、ものすごく効果的に描かれていて、言葉を失いました。
 臓器売買という流行りのテーマを扱っただけのストーリーかと思ってあまり期待していなかったのですが、この映画の主眼は臓器売買や違法人工中絶そのものではなく、それらの背後に横たわる「貧しくてどうしようもない人たち」の「どうしようもない思考回路」なのだろうと思いました。移植手術の直前、病院の個室で麻酔薬を飲む彼女の傍らでバラエティ番組を観ながら笑い転げる親戚とか、彼女の退院日を忘れて飲んだくれる夫だとか、初めて出会う中絶手術者(医者ではありません!)に平気で金を払って身体を任せる主人公だとか、すべてが、見ているこちらが気が狂ってしまいそうなくらいにおかしいのに、すごいリアリティ。彼らのことを無教育だとかインモラルだとかいって批判することは簡単だけれど、そんなことをしても何も解決しない。法を変えればいいわけではないし、罰則を強化すればいいわけでもありません。
何よりも、ああいう重大な決断を"O, sige."の一言でしてしまえるところとか、手術を受けたあとの主人公があっけらかんとしているところとかが、すごいリアリティでした。貧困って、まさにこんな感じ。貧困って、日本人のつまらない監督が撮ったつまらないゴミ捨て場の映画のようなものじゃない。物質的なことじゃなくて、物事に対する感じ方とか、判断基準が「私たち」と異なることがまさに貧困で、私たちが直面するリアリティなのです。"Donor"は、「貧困」を強調するような衝動的で押しつけがましい「貧しい人の映像」なんてひとつも出てきません。ありふれたキアポの下町や、ありふれた暗い家が描かれるだけ。そんな普通の風景のなかで暮らす人たちのどうしようもない貧しさが、すごくうまく描かれていたと思います。
 私はまったく映画に詳しくはないのですが、この作品は、細部の演出も魅力的でした。特に、これまで会ったこともない、そして言葉も通じないアラブ人と結婚する主人公の心の揺れが、台詞のないシーンのそこここに、素晴らしく散りばめられていました。ラストシーンも、決して「びっくり」でないものの、ああ、そう見せるのか…と感嘆してしまいました。
 10‐11月ごろにマニラの一般の映画館で公開される予定だそうですので、その頃にフィリピンにいらっしゃる方は、ぜひ。

 ”Sigwa”は、70年代の学生運動のFirst Quarter Stormの時期ににフィリピンを訪問し、活動家になってしまったフィリピン系アメリカ人ジャーナリストの女性のストーリー。アメリカに強制送還された彼女は、35年ぶりにフィリピンを訪れ、かつての活動家仲間に再会します。いまもゲリラ部隊に所属する現役活動家、マニラで合法的抗議活動に参加するプチ活動家、すでに田舎で静かな余生を過ごす元親友、そして、どういうわけか大統領府報道長官を務めている友人、内部粛清で死んでいった人たち。ストーリーはきわめて凡庸で、台詞も演出もかなり陳腐。特に回想シーンはひどく、あまりに先が読めてしまうので、映画としてはつまらなかったのですが、学生運動の再生フィルムとしてはまあ、おもしろかったです。あと、大統領府報道長官を演じた役者の演技がすごかった。話し方が元報道長官のブ●エにそっくりでした。ホンモノかと思いましたよ。必見です。こちらも10‐11月に公開予定。
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# by saging | 2010-09-06 00:15 | フィリピン(全般)
演劇”Sundan Natin Si Ever-san! (エバーさんに続け)
7月には、舞台演出家・吉田智之さんの演劇作品もマニラで観賞しました。
 今回の作品は、内田春菊脚本の”Sundan Natin Si Ever-san! (エバーさんに続け)”。「エバーさん」は、日比EPAの枠組みで来日後、わずか9ヶ月で日本の国家試験に合格したフィリピン人看護師(実名)。舞台では、エバーさんに続こうと猛勉強するフィリピン人看護師らと病院の先生の奮闘ぶりが演じられます。エバーさんのストーリー以外はフィクションで、吉田さんもお得意の卑猥なジョーク(吉田さんのせいなのかフィリピン人の役者が悪ノリしているのか…)をたっぷり散りばめたコメディです。看護師たちが漢字を覚えるシーンやフィリピンの家族とチャットするシーン、日比混血児問題の認知、日本の現代社会の諸問題なども織り込みながら、舞台は最後までドタバタ。
 こちらに、共同通信マニラ支局の記事があります。

 日本では非公開ですが、監督の吉田さんのご判断とフィリピン側との調整によっては、日比EPAによる「人の移動」にご関心のあるNGOや大学などでDVDの上映会を企画することができるそうですので、ご関心のある方はぜひご検討ください。(ただし、卑猥さのレベルはかなりのものですので、そのあたりをクリアできる場合に限るのですが…。)劇中の言語はタガログ語で、劇場スクリーンに日本語字幕が出ます。
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# by saging | 2010-09-05 23:06 | フィリピン(全般)
フィリピン追憶写真 その4
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  マニラのセブンイレブンが5月の大統領選挙前に実施していた独自世論調査。候補者の似顔絵と名前入りのソフトドリンクの紙コップが積まれていて、注文をする人は自分の好きな候補のものを取っていくように、という注意書きがあり、コップの減りの早さで人気がわかる、という仕組み。GMA7などと協力して実施されていました。
 セブンイレブンではこのほか、レジ脇のTVで、「電子投票の仕組み」についてのガイダンス・ビデオがずっと流されていました。ガイダンス・ビデオと言ってもそこはいかにもフィリピンで、セクシーな女性たちが卵を持って踊りながら
♪マークシートのマルを塗りつぶしてね
マルは、タマゴのマル
マル以外はダメよ
ワオ! なんて簡単♪
と歌い続けるというもの。
 ……。

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 これはミニストップのレジ脇のTV広告。5月10日の投票日、投票したことを示す指先のインク(二重投票を防ぐために付けられる)を見せると、C2というペットボトル入りのアイスティー(甘い!)が10ペソで買えるというもの。画面右上には、Keep my Vote Cool &Cleanって書いてあります。
 ……。

 今日、選挙のときの資料を整理していて、投票日当日、記録代わりにテキスト・メッセージ(携帯電話メール)を利用していたことを思い出しました。投票開始前の午前6時から翌日未明までずーっとフィールドにいた私は、友人や調査地の方々、政党関係者の方々はもちろん、元職場の方々、在マニラの日系メディアの方々、そしてマニラにいらっしゃった指導教官に、投票会場で何が起こっているかをテキストで送りつづけていました。「投票開始1時間、まだ40人しか投票できず」とか、「投票時間が延期になったとラジオで言っていますよ」とか、「行列が長すぎて喧嘩が始まっています」とか。そして送信をしながら、
 「これをしていれば、何時何分に何が起こったか、ノートに書かなくていいんじゃない?」
と思いました。送ったテキストは送信フォルダに残るので、あとから読み返せばいいのです。画期的!
もし私がツイッターをしていれば、そんなときこそツイッターを使えばよかったのかもしれません。フィリピンの携帯ではそんなにさくさくツイッターなんてできないので、現実には無理な話なのですが。
 あとにも先にも、ツイッターの有用性を感じたのはそのときだけなのですが、せっかくネット回線のとても速い日本に戻ってきたことですし、日本の携帯も契約したので(携帯電話でのウェブ・ブラウジングがとても早いことに驚き!)、一度諦めたツイッター、やってみようかと思っています。
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# by saging | 2010-08-31 22:47 | フィリピン(全般)
フィリピン追憶写真 その3
 フィリピン最後の晩は、4月からの4ヶ月の私の調査に多大なご協力をいただいた、5月のパシグ市長選で敗れた左派活動家Ric Reyes兄の60歳の誕生パーティー。
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 左派A●BAYANの元幹部なのに、中間層の活動家らは一人も招かず、パシグ市で彼のキャンペーンに奔走した貧しくて進歩的な人たち(各種左派からマ●ダロ・グループまで)のみを招き、地元パシグの質素な建物の屋上で開かれたパーティーは素敵でした。私がフィリピンを離れる直前に、調査に協力してくださった方々と一度にお会いできたことも、とても良かったです。
 Ric兄のキャンペーンの中枢にいたのは、とある芸術グループのAさん。この芸術グループは、歌って踊れてギターが弾けて絵が描けてコントができる人々を集めており、政治団体(おもに左派系グループ)からの依頼を受けて、デモのステージで即興で歌ったり、ラップやコントをやったりしているプロ集団です。(もっとも、フィリピンのデモで使われるすべてのパフォーマンスがこうした雇われプロによるものだというわけではありません。)
 現在39歳のAさんは10代のころからこのグループに所属し、途中で6ヶ月間エンタテイナーとして日本に出稼ぎに行った(!)以外は一貫して政治運動および芸術活動をやってきたそう。パシグ市とは縁もゆかりもないものの、Ric兄から依頼を受け、今回の選挙戦にはマネージャーとして参加。そのたぐいまれなるエンタテイメント精神でキャンペーンを大いに盛り上げつつ、キャンペーン会場との調整や電話かけなどの泥仕事も黙々とこなしていました。私は選挙期間中ずっと、彼がひたすらにロジスティックな仕事をしているところしか目にする機会がなかったので、キャンペーン最終日の演説会で彼がギターを抱えてステージに上がり、現パシグ市政を痛切に皮肉る歌を歌った姿に、心底びっくりしました。めちゃくちゃうまい! あんな有能なエンタテイナーを6ヶ月で帰しちゃうなんて、日本はなんて惜しいことをしたんでしょう。
 パーティーではAさんが、「選挙キャンペーン中の知られざる秘話」、「みんなの知らないRic兄のプライベートな生活」、といったテーマでコントを披露。キャンペーン中の些細な言い争いや色恋沙汰の噂をネタに小話をつくり、人々の口癖や物真似などを盛り込んで、ネタ帳をほとんど見ずにさらさらと話す様子に、皆、ゲラゲラ笑っていました。「われわれ」の実体験に基づいているぶん、TV番組のコントよりずっとおもしろい。あんなに楽しめるパーティーって、なかなかないですよ。
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 それに触発されたのか、キャンペーンに参加した人々が順番に前に出て、キャンペーンでの思い出話やこぼれ話をおもしろおかしく語りました。私も。「日本語でしゃべれよ! Aさんが通訳するから!」と言われてちょっとだけ日本語で話してみたらAさん、本当に通訳してくれました。たった6ヶ月の日本滞在なのに…このひと、天才です。
 その後は、タンドゥアイとエンペラドールでエンドレス。
 「ねえ、俺たち、怖い? それともかっこいい?」
 私のインタビューさせていただいたマ●ダロ文民グループのアホな兄ちゃんたち(いつも迷彩服を着ている)に絡まれながらアホな話をしつつ、夜は更けて行きました。まるで、スラムの日常をそのまま持ってきたような風景。でも、バックミュージックはずーっと、Aさんのお気に入りのPatatagのCDでした。
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# by saging | 2010-08-30 00:23
フィリピン追憶写真 その2
 今年4月から7月まで私が行ってきた調査の目的は、非常に局地的なマニラの都市貧困層の運動と、国政選挙・地方選挙と、国際的な左派の社会運動、の3つがどのように相互に作用し、当事者たちが多層な運動をどう捉えているかという点を明らかにしようとすることでした。
 
今回いちばん嬉しかったのは、調査対象とさせていただいた方々との密な意見交換、フィードバックを繰り返しながら調査を進めることができたことでした。一方的なインタビューとか、こちら側からの勝手な分析とかを論文にするのではなくて、こちらが記録したもの、書いたもの、あるいは書こうとしているものを相手に投げ返してコメントや反論をいただき、書き直す。
 人間関係のマナーの一般論としてはきっとそんなの、当たり前のことなのですが、調査者としてそれを実行するのは、少なくとも私にとっては、これまで、とても難しいことでした。

 このBlogにも随時書かせていただいているように、私は「貧困層を組織化しようとする自称市民社会組織、あるいは自称NGO」の態度に注目しており、博士論文では、「組織される側」である都市貧困層の視点を描くことで、「組織する側」である市民社会組織(左派やNGOや一部の政治団体)を批判的に書きました。といっても私は決して市民社会組織そのものを批判したのではなくて、市民社会組織を手放しで称賛するような研究者やNGOワーカーを批判しようとしたのですが、左派やNGOから見れば、自分たちの見せたくない側面(住民を利用したり動員対象とみなしたりする利己的な側面)ばかり描かれたのだから、一方的なものに映るはずです。私は何をどこまで書くか、どう発言するかということには注意を払っているし、博士論文の事例とさせていただいたNGOとはいずれも長くお付き合いさせていただいていて信頼関係はあるはずなので、彼らは決して私を拒絶したり責めたりはせずに私の「一方的な」分析を受け止めてくれましたが、それでも、アンフェアです。
 だから今回は、次の段階として、「組織する側」からの反駁を交えた論文を書きたいと思ったのです。

 今回の調査では、事例収集のために特にある政治組織(でも自称市民社会組織)にお世話になりました。私はそれ以前から、
 「組織する側の市民社会組織と、組織される側の都市貧困層の意図が違っていることを書きたい。」
 「たとえば市民社会組織が政治動員にどんな手法を使っていくら払っているかも書きたい。」
と、迷惑極まりないことを申し上げていましたが、この組織の幹部らは私を受け入れてくださいました。ありがたいことです。
 「(ある政党が)赤だったロゴを黄色に変えましたが、抵抗はなかったのですか?」
 「都市貧困層に対して、『アキノ新政権のもとではデモに行くな』と呼びかけているらしいですが、左派としてそれはいかがなものですか?」
 「都市貧困層を組織化するのは最終的には左派の大義実現のためだって前提で話を進めさせていただいていいですよね?」
 これまでもこのBlogに書いてきたような(おおよそ失礼極まりない)疑問や解釈を、私は逐一、彼らにぶつけてきました。それぞれに対し、彼らは本当に丁寧に回答し、反駁し、同意してくださいました。もちろんすべてを語っていただけるわけではないのですが、イデオロギーと現実のジレンマ、まだ整理されていない思い、EDSAⅡとⅢで味わった挫折感や自己矛盾、そして、デモへの動員に一人あたりいくら払っているかまで、とても率直に教えていただいてきました。逆に、
 「もっと批判してくれていいよ。」
と言われるくらいです。
 そして7月末、私が帰国する2週間前に、私の調査結果報告の時間を取ってくださいました。幹部および私が調査地とさせていただいた地域のエリア・コーディネーターらが集まってくださり、朝9時から午後3時まで、昼食をはさんで6時間! 私が話し、それに対して彼らが、事実関係の修正をしてくれたり、私の誤解を正したり、意見を述べたりしてくださる形で進行。それでも時間が足りず、そのあとさらに3晩、彼らの事務所の近くで飲みながら続きをやっていただきました。
 彼らの寛大さに、私は言葉を失うほどです。本当に。私はこれからもきっと彼らに批判的なことを書き続けるけれど、ものすごく尊敬していますよ。
 調査結果は、11月の学会で発表予定です。

 あるNGO事務所のゲートに貼られていたステッカー。
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 もうひとつ。マニラを去る1週間前には、調査地のひとつであるN地区のスラムで、私の調査結果報告会&お別れ会をしていただきました。
 スケジュールやセッティングはすべて彼らが綿密に計画。大雨のなか、パワーポイント用のプロジェクターとスクリーンまで、どこやらのNGOの事務所から借りてきてくれたのですから驚きです。タガログ語による私の拙い報告は、調査地の方々からガンガン突っ込まれました。
 「あなたが引用したその発言の意図はそういうことではない。」
 「あなたの分析は正しくない。それは2009年に決まったことだから、2010年選挙とは関係ない。」
などなど。…やらせていただいて本当に良かったです。
 報告会のあとはお別れ会。スラムでの独自の生産・消費活動がありますので、私が持参するのは日本酒のみで、お料理と飲み物はN地区で用意していただくことにしました。もちろん費用は私の負担。何人くらいの規模にするかを事前に決めて、料理の内容も相談。
 「料理は買うんじゃなくて、いつもどおり、住民組織の事務所で大鍋で作ろうと思うんだけど。」
 「お願いします! ●●さんところのヤギ(N地区ではなぜかヤギの養育がさかんで、ケソン市のど真ん中なのに、ヤギだらけ)をつぶしていただくのはどうですか?」
 「それは安上がりでいい! パンシット(焼きそば)かご飯かどっちがいい?」
 「皆さんにお任せします。」
 「ビデオケ・セットは使う?」
 「もちろんお願いしまーす!」
という感じで予算決定。
 このような調査地との関わりかたには批判もあるでしょう。私も以前は、自分がお金をもっていることを誇示するような行動は慎むべきだと思っていました。実際、ある別の調査地では、私はこのようなことはしませんし、N地区でも、私は最初のうちは当時の職場を言わず、日本の大学院生としか名乗っていませんでした。しかし、N地区の住民リーダーたちはさまざまなミドルクラスの政治集会やフィリピン大学でのシンポジウムに日常的に招かれている「やり手」でして、私が当時の職場から仕事で訪れた先々で、しょっちゅう鉢合わせする羽目になったのです。スラムに行くときはTシャツにジーンズですが、平日の昼間は(スラムの人たちから見れば)華美な服装をして、しかも運転手つきの職場の車で乗り付けるわけですから、いつまでも身分を隠し続けられるわけがありません。結局、私は自分の所属を告白しましたが、彼らは別に驚きもせず、態度も変えることなくお付き合いしてくださいました。
 彼らのほうから借金を申し込まれたことなんて一度もありません。私がごく最近驚嘆したのは、彼らが、彼らの住民組織の会長が2007年に市議会議員に立候補した際に私が寄付した金額を正確に覚えていたことでした。決してまとまった額をどーんと渡したわけではありません。当時、週末のたびに彼らの選挙キャンペーンに付きまとっては話をきかせていただいていた私は、キャンペーンが夜遅くまで長引いてしまった晩に皆さんの夕食代を出したり、予想外に多くのキャンペーン要員が集まってきてジープが足りないときにジープ1台の数時間分の借り上げ代金を提供したり、電話料金を肩代わりしたり…といったことを繰り返していました。どれも、数百ペソ~1000ペソ程度。彼らを陣営に取り込みたかったケソン市議らは数十万ペソ、NGOは数万ペソ単位の寄付をしていたわけですから、私の寄付なんて、寄付ともいえないショボショボのものです。にもかかわらず、彼らは、私自身が忘れている金額を、きちんと覚えているのです。私自身はすっかり忘れていたのに。

 こんな感じで、私は「調査対象」に対する尊敬の念を新たにしながら、フィリピンを離れました。それは、調査者にとっていちばん幸せなことだと思います。その尊敬は決して、調査対象への勝手な思い入れとか、貧者のロマン化とか、調査を達成した自己満足のすり替えとか、しばらく遠ざかってしまうマニラへのセンチメンタリズムとか、そんなものではないと言い切れる自信があります。彼らはほんとうにすごい。私は彼らのすごさを、博士論文で書いたよりもっとうまく熱く、言葉にしたいと思っています。

 2007年5月選挙直前のN地区。
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 アキノ新大統領施政方針演説の日、G-CAP(Global Call to Action against Poverty)とともに下院近くでデモに参加するN地区の人々。
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# by saging | 2010-08-29 21:49 | フィリピン研究
フィリピン追憶写真 その1
これから数回にわたって、撮り溜め、書き溜めていたフィリピンの写真をお送りします。

 6月、ドゥマゲッティとアポ島(4回目)、そしてシキホール(初めて)を訪れ、最後の海を堪能。美しい海中世界がただただ名残惜しく、ダイビングの前後や水面休息の時間も惜しんでシュノーケリングを楽しみ、朝に夕にとマーケットの新鮮な魚を見て回りました。

 2007年にライセンスを取ってから、フィリピンでのダイビング本数は80本。前の職場で働いていたときも、週末になると職場の同僚や友人を誘ってアニラオ(バタンガス)に行き、とても尊敬するフィリピン人インストラクターのもと、3本潜って日帰りで帰ってくるのが楽しみでした。3本2000ペソ(約4000円)。

 アニラオやミンドロ島もダイナミックで好きだったのですが、なんといっても素晴らしいのはアポ島。最高です。ナポレオンもカメもエイもいっぱい。フィリピンに旅行される方はぜひドゥマゲッティへ!

 ダイバーならみんな大好き、ギンガメアジの大群。
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 そのギンガメアジがドゥマゲッティの市場で売られていました。キロ100ペソ(1匹20ペソくらい)。水中で見るよりずいぶん小さく見えます。ロビンソン・スーパーにもありましたよ。
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 宿に持ち帰って、屋上のBBQセットを借りて炭火で焼いてみました。骨っぽいかと思っていたのですが、思いのほか白身が多くて(アジなのに)、おいしくいただけました。
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# by saging | 2010-08-22 21:05 | フィリピン(全般)