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Keso de Bola とは、 「表面は赤いのに中は黄色い」フィリピンのボール型チーズ。転じて日和見主義者。       かつてお世話になった、現地の言葉で「灯台」と呼ばれるマニラ湾岸のスラムを、ガラス越しに。
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住めば都
 周りの方々が「残暑」への不満を漏らす9月、私は去りゆく暑さがただ名残惜しくて、まだギンギンに輝く太陽の下で少しずつ国会議事堂付近の道路に銀杏の実が増えていくのを見るたびに、ただただ、かなしく思っていました。
 昨年秋、初めて永田町のいちょう並木の紅葉を目にしたときは、久しぶりの日本の秋の美しさにわくわくしたものですが、その後、すっかり葉を落としてしまった木を見るたびになんだか気が滅入って、冬の長さが耐えられなくて、3月に若葉の芽を見つけてからは毎日、枝の緑が少しずつ増えて議事堂を覆い隠していくのを日々、とても楽しみにしていました。
 今年は、紅葉を楽しめるでしょうか。あんなに長い間かかって葉をつけたのに、またあっという間に落ちてしまうなんて、そしてまた長い冬がやってくるなんて、考えただけでかなしくなってしまいます。道に踏みつぶされている銀杏の実と同じくらいかなしい。

 永田町は、いちょうの並木よりもっと移り変わりの激しいところです。わずか数ヶ月の間に、民主党代表選があり、新内閣が発足して、臨時国会が召集されて閉会して、間もなく次の臨時国会が開かれようとしています…。管総理はいつやめるのか、なんて言っていたのが昨日のことのようなのに。物事があっという間に先へ行ってしまいます。
 私がどの党のどの政治家の秘書をしているかはこのblogでは永久に伏せさせていただきますが、8月末に行われた与党民主党の代表選前の前後は、早朝から深夜までむちゃくちゃなスケジュールが続きました。でも、東京ってそれでも、一人で暮らしていける町なんですよね。どこにでもコンビニがあって当座必要なものはなんでも買えるし、24時間営業のスーパーも珍しくないし、電車は朝5時から翌朝1時まで走っているし。何度も未明にタクシーで帰宅しましたが、首都高速を使えば職場から自宅まで20分で着いてしまうという事実に驚愕。こんな大都会の真ん中に高速道路が通っているなんて。洗濯機が回せる時間帯に帰宅できなくても、街のあちこちに24時間営業のコインランドリーがあり、集荷・配達をしてくれるクリーニング・サービスもあるのです。
 都会万歳。都心大好き。
 マニラの中心地エルミタに3年間住んでいたときもずっと、そう思っていました。ジープニーも乗り合いタクシーFXも普通のタクシーも24時間びゅんびゅん走っていて、自宅から徒歩5分以内のところにコンビニが4軒、歓楽街の従業員を対象とした朝5時まで営業の食堂や焼鳥屋台なども豊富にありました。かと思えば、朝5時半開店のパン屋さんや食堂もあるし、7時になれば果物屋台が家の前に来るし。
 前職の契約を終えてフリー生活を満喫していたときはその反動で、銀行どころかATMもないようなフィリピンのど田舎の町に滞在し、タイではではバンコク都のはずれのタイ語しかできない知人のお宅にお世話になり(私はタイ語が日常会話くらいしかできません)、それなりに不便ではありましたが、そういう生活が楽しいと思っていました。田舎に行けば田舎最高って思うし、郊外に行けば(私の実家もかなりの郊外です)郊外素晴らしいって感じてしまうものなのでしょう。ゴキブリとネズミさえいなければ、マニラのスラムだって快適です。(いえ、いても快適です。まあ、ゴキブリのいないスラムなんて海沿いくらいしかないのですが…そして海沿いにはフナムシがいるのですが。)

 住めば都、とはよくいったものです。

 議員秘書になって1年が経ちました。
 いろいろありましたが、お蔭さまで私は、ずっと健康に過ごしております。自分が健康でなければ他人(特に上司)を支えることはできないということを実感する仕事ですので、私は常日頃、自分の健康を維持することに細心の注意を払っています。
 まず心掛けているのは、通常は70%くらいの力しか出さないことです。私は、政治家秘書としてはかなり休ませていただいているほうだと思います。疲れたら休む、ではなくて、疲れる前に休みます。欠勤するということではなくて、働かなくていいときは働かない、ということです。私は基本的には土日は出勤しません。金曜の夜に徹夜をしてでも(金曜の夜の電車に乗る苦痛を考えれば徹夜したほうがだいぶましです)、週末は自分の時間にします。平日もできるだけ早く帰りますし、自宅には仕事を持ち帰りません。
 …実際はそんなうまくはいかなくて、秘書というのは24時間秘書ですから、いつでも電話はかかってきますし、メールは来ますし、必要があれば深夜でも休日でも働きます。平日は上司のスケジュールをフォローしたり来客や電話の応対に追われるので、上司の講演資料を作ったりスピーチ原稿を書いたりといった作業ができるのは土日か深夜に限られてきますし、落ち着いて経理の計算をしたり職場の備品を買い揃えたりできるのもやはり土日になります。それでも、私はかなり休ませていただいています。私の上司は、四六時中ついて歩いてお世話をする秘書を必要とするタイプの国会議員ではありません。彼が秘書に求めるものや彼の秘書との距離のとりかたは、伝統的な日本の政治家とは大きく異なります。だから私は、いわゆる政治家秘書としての典型的なふるまいを身につけるよりも、政治家としては特異なキャラクターをもつ上司の特異な要求に応えるべく独自に勉強すること、そして、いつでも上司を支えられる健康で強い秘書でいられるために自分のwellnessを保持しておくことをプライオリティにしています。仕事以外の時間はできるだけ、やりたいことをします。本や論文を読んだり、勉強会に行ったり、人に会ったり、体を鍛えたり。

 先週末の三連休も満喫しました。例によって金曜日の夜から土曜日の午前中までかかって仕事(上司の海外出張準備)を終わらせ、午後からは電車好きの従弟(小学5年生)と一緒に鉄道フェスタ@日比谷公園へ繰り出しました。私は決して電車好きではありませんが(むしろ電車に乗るのは嫌いですが)、上司が大の鉄道ファンなので、なんとなく気になって。鉄道写真展の入賞写真展覧会が素敵でした。私は鉄道に乗るのは好きではありませんが、鉄道沿いの風景や鉄道のある風景を見るのは大好きで、「撮り鉄」である我が上司の写真作品に毎日満足していますが、全国レベルの入選作品はやはりすごいです。あとは、各鉄道会社の豊富な展示をあれこれ見たり、子どもたちを押しのけてグッズを買いまくる大人げない大人たちにドン引きしたり、路線図のプレート(?)を求めて長蛇の列をつくる鉄ヲタな人たちにあきれたりして、楽しみました。 
 そのまま、荒川沿いの「足立の花火」へ。例年は7月開催のようですが、今年は震災の影響もあって10月の開催となったようです。実は私は足立の花火の存在すら知らなかったのですが、日頃お世話になっている鍼灸師の先生方(私の東京生活における救世主です)のクリニックが足立区にあって、お声かけいただきました。8月の隅田川花火のときもお誘いいただいたのですが、民主党代表選の2日前だったため泣く泣く欠席。今度こそは、と楽しみにしていました。先生のお友達やご親戚や患者さんたち(私にとっては全員初対面)で集まって、10月の河原にブルーシートを敷いて、夕方5時からお酒を飲み、ガスコンロで湯豆腐とか水餃子とかつくって、幸せすぎる気持ちで50分間の花火鑑賞。その後、クリニックをにお邪魔して二次会。先生方をはじめ参加者が全員ものすごい酒豪とあって、持ち寄られたお酒はどれも全部おいしく、たいへん楽しい飲み会でした。
 翌日は(前夜の深酒も忘れて)朝からジムに行って、その後、靖国神社参道で開催されたタイ・フェスティバルへ。ソムタム屋台がなかったのが残念でしたが、ラープ・ガイ(鶏のひき肉ハーブ炒め)、冷凍のイサーンソーセージ(酸っぱい)、冷凍のチェンマイソーセージ(辛い)、ネーム(唐辛子入りの酸っぱく発酵させた生ソーセージ)、グリーンカレーの素、もち米、マクア(タイの丸い茄子)などを購入し、大満足でした。ネームは、バンコクならセブンイレブンで30バーツくらいで売られているのですが、日本ではなかなか入手できず、私はいつも、池袋の某タイ料理店の自家製のものを買っています。味が強いので、これ一本で生キャベツ半分くらい食べられます。ソーセージも、春雨やお米やハーブが練りこまれていてものすごくパンチのある味。存在感としては、ソーセージというより日本の「餃子」に近いかもしれません。これ一本で野菜もごはんもビールも進みます。おすすめ。バンコクに住んでいたときは、ホストファミリーがイサーン(タイ東北部)出身だったこともあり、2日に1回は食べていました。イサーンの彼女の実家から届いたソーセージの味は忘れられません。日本にも「タイ・ソーセージ(サイクロッ)」と「ネーム」が置いてあるタイ料理店はありますので、見つけたらぜひお試しを。

 あと、先週は、フィリピンに関わる某NGOの方々(いつも仲良くしていただいて感謝しています)との飲み会がありました。飲み会っていう言葉、私はあまり使わないのですが、あれは飲み会か酒盛りとかとしか形容しようのない会でした。だって、「日本酒飲み放題デー」という信じられない設定のあるお店に5時間近くいたのです。安かろうナントカじゃなくて、日本酒はしっかりおいしいし、店員さんが温かい感じでコミュニケーション好き。途中から、私がフィリピンで働いていたときに上司だった方々(現在は霞が関勤務)が合流し、NGOスタッフと、NGOが苦手なはずの彼らと、NGO出身なのにNGOが苦手な元「官僚の部下」の私と…というよくわからないメンバーで飲むことに。立場上はカウンターパートなので、お互いにいろいろあるのですが、なぜかウマが合うというのか、「フィリピン大好き」で繋がっているというのか、いえ、ただ「酒豪」というだけで繋がっているというのか、とにかく不思議なグループです。このインフォーマルさ、さすがフィリピン。5時間の会話の中でいちばん印象に残ったのは、
 「もうすぐクリスマスだねー。」
 「今年、クリスマスどうする?」
というやりとり×複数回。フィリピン人は8月末からクリスマスの話題で盛り上がりますが、普通の日本人は、10月中旬に「もうすぐクリスマス」なんて口にはしません。それを平気で口にしあえるのが、このグループ、すごいと思いました。(私はハロウィンの飾りつけを見るたびに「もうすぐクリスマス」って思いますけれども、「そういうこと思っちゃダメ、ここは日本だから」と一生懸命に自分に言い聞かせています。)
 結局、2軒目まで行って、午前1時まで飲みつづけました。忙しいに違いない元上司が最後まで付き合ってくれたことが、とても嬉しかったです。マニラで3年間、席を並べてずっと横で指導してくださった元上司。さんざん迷惑をかけ、それなりに叱られ、何度となく明け方まで働き、本当にいろいろありましたが、ずっと私のメンターでした。先の民主党代表選のときも、私は何度も、その上司から教えていただいた仕事の進め方、特に当時徹底的に叩き込まれたロジスティックの詰めのやりかたを思い出し、「こんなとき、彼だったらどう指示するだろう」と想像しながら働きました。実際にメールで助言を受けたりもしていました。

 最近はこんな感じで過ごしています。といっても実際はフィリピンにいた時に比べれば人と会う頻度は激減、以前のように日替わりでデートしまくったりもしていません。平日の夜はジムに行って帰宅するだけのことがほとんどですし、外食も月に2回くらい。日中は議員会館を出ることができないので、というか事務所を空けることができないので、この1年余り、昼食は必ず持参しています。議員会館内の食堂を利用したことがありません。
 ジムには、週5-6日通っています。東京のジムは早朝から深夜まで営業しているので助かります。仕事で混乱した心も頭も、30分ゆっくり泳ぐだけで落ち着きますし、週に数回のBodyCombat(格闘技系エアロのスタジオレッスン)なしの生活は私には考えられません。マニラでもバンコクでも参加していた、大好きなプログラムです。激しくて無理のある動きですが、鍼灸師の先生とジムのインストラクターにストレッチの指導をしてもらっているので、少々の無理をしたくらいではどこも痛めることはありません。現在の曲はこんなかんじ。
 http://v.youku.com/v_show/id_XMjkzNTI0MTk2.html
 (コピーペーストしてご覧ください。私はキックとムエタイが好きなので、9:55から始まるテンションの高いトラック3とか、29:20から始まるキック満載のトラック6とか、膝蹴りの激しすぎるトラック7とかは、もう病みつきです。蹴りのフォームや足を高く上げることに集中していると、仕事のことなんてすべて忘れられます。)
毎朝、起床時にこれらの音楽をかけたり、動画を見たりしてテンションを上げています。動画を見ただけで、走り出したくなります。
 最近はインストラクターに勧められて、タイでやっていたBodyPump(軽量バーベルを使った有酸素運動のスタジオレッスン)も再開したし、加圧トレーニング(インストラクターについてもらっての1対1でなくても自分でできるもの)も始めました。うっかりしていると、そのうちに長距離マラソンとかも始めてしまいそうです。
 村上春樹の影響でも、「I984」の影響でもないつもりですが、実はそうなのかも。

 私の普段通っているジムは会員数が制限されているくらい狭く、プールは18メートル、スタジオは一つしかありませんので、週末は自転車で帰宅のA羽支店にも通っています。A羽支店は巨大で、スタジオだけで3つあり、スカッシュコートがあり、メインのプールも2つあり、さらにはマッサージプールや露天風呂も充実していて、まるで一大アミューズメントパークのよう。最高にリラックスできます。(唯一の問題は、帰り際に、あの有名な立ち呑み屋「いこい」に立ち寄りたくなる誘惑を必死で断ち切らなくてはならないことです。)
 板橋区の我が家からは、A羽駅まで自転車でちょうど片道30分。「ジムに来る必要がないくらいの走りっぷりですよね」とインストラクターに笑われながら、通っています。私の好きなルートは、環七から中山道を北上して、本蓮根から西が丘サッカー場(夕暮れどきの競技場は最高に美しい)の横を通って、A羽台団地を遠くに見ながらKヶ丘の都営住宅(Kヶ丘中央商店街のレトロさは病みつきになります)の横を通ってA羽台に入り、マンモス団地とは思えない暗さのなかを抜けて、最後に一気に坂をおりてA羽駅に出るコースです。私も団地育ちなので、あの圧倒的な団地群はとても好きです。団地がとても「日本的」なものであることを感じます。
 板橋区と北区は、本当にいいところだと思います。東京とは思えない空気感があります。施設も多いし、子供も多いし、工場も多いし、外国人も多いし、平均所得は低いのかもしれないけれど(だからこそ23区なのに計画停電の対象エリアに指定されたのかもしれないけれど)、家賃も格安。板橋の我が家は、家具つきで25平米の分譲マンションなのに、家賃が管理費込みで月6万円。オートロックで、窓からの視界が良く、徒歩圏内にスーパーが4軒。駅まで徒歩13分ですが、自転車なら4分。そこから職場の最寄り駅まで地下鉄で約25分。乗り換えなし・直通です。1年前にいまの仕事が決まった直後、ネットで探して2日で即決した物件ですが、こんなにいい物件は、そうそうないと思います。なんといっても家具つきですよ。レ●パレスなどと同様、電化製品はもちろん、食器、寝具、タオルや清掃用品、洗剤まで入居時に完璧に用意されていました。海外帰りで家具を一切もっておらず、日本円の貯金も心もとなく、しかも急に仕事が決まったために2週間以内に引っ越さなくてはならなかった私は本当に助かりました。衣類や身の回りのものだけを入れた段ボール2箱だけをもって入居したのが1年前。内装は清潔で、管理会社も管理人さんも親切で、これまで、とても快適に暮らしてきました。

 ただ、そんな快適な我が家を、私は近く、出ようとしています。
 理由は、通勤電車です。私の利用している路線は東京メトロの中では一番すいているようで、普通に新聞を読めるくらいなのですが、それでもどうしても、慣れることができません。私が冬が来ることを恐れる最大の理由は、気候ではなくて、電車です。あの過剰な暖房と、密室の空気、人々の衣類が黒一色でしかないあの風景、それら衣類が数ヶ月も洗われていないものであること…考えるだけで気が狂いそうになります。誰にも、絶対に触れたくない。というか同じ空間にいたくない。梅雨や夏の通勤電車が嫌いと言う人はたくさんいるようですが、私にとっては、冬のほうが耐えられません。
 本当は、とても気候の良いこの季節でさえ、耐え難いのです。知らない人たちと同じ空気を吸って吐くことが耐えられない。地下の空気を吸いたくないし、密室の車内の空気はもっと吸いたくありません。前後左右に立っている人たち、同じ車両に乗り合わせた人たちのすべてを、汚い/気持ち悪いと感じてしまいます。そんな自分自身が嫌だし、自分はそんなにも人間が嫌いだったのか、どこか神経がおかしいんじゃないか、と、愕然としてしまいます。 電車ががらがらにすいている土日でさえ嫌だし、電車に乗る以前に、地下のホームに降りたつことにさえ、毎回、まず勇気がいります。もうずっと、平日の朝は、25分間ストレートで乗り続けられることのほうが少なく、途中の駅で降りてホームで休憩したり、駅の外に出て深く呼吸してからホームに戻ったり、1駅歩いてから次の電車に乗ったりしています。効率が悪すぎます。新聞を読んで気を紛らわせる、時間帯を変える、車両を変える、女性専用車に乗ってみる、始発駅まで行って座ってみる、音楽を聴く、BodyCombatの動画を見る…など、いろいろ試してみたのですが、どれもダメでした。本来であればドアツードアで40分のはずの通勤に、1時間半くらいかかっています。自転車のほうが早いくらいです。実際、気候のいい日は自転車で通勤しています。
 このままでは、冬を迎えられる自信がありません。
 自転車で職場と自宅を往復するたびにいろいろなルートを試しながら、新宿区なら、私の収入に相応しい物件が借りられるのではないかと思うようになりました。市谷がつくエリアはアップダウンが激しいものの、道を選べば快適。若松河田、牛込柳町、神楽坂くらいなら永田町から25分圏内です。新宿御苑や、曙橋より四谷寄りのエリアならさらに余裕。といえども、新宿区だって、板橋に比べれば家賃は高めです。早稲田までいくと安くなりますが、早稲田はさすがに遠すぎるかと。
 そもそも、「通勤電車が嫌だから」って都心に引っ越したいだなんて、甘えすぎなのかもしれない。1時間以上の通勤ならともかく、25分の電車に耐えられないだなんて、どこのお嬢様?って感じです。だって、みんな乗っているのに。みんなにできることが、なぜ私にはできないんだろう。こんなに多くの人たちが毎朝、普通に電車に乗っているのに。なぜ私は乗れないんだろう。私が東京に、あるいは日本に、あるいは社会に適応できないということなのか。「電車に乗れない」って、「挨拶ができない」以上に、社会人としての致命的欠陥なんじゃないだろうか。引っ越しは根本的な解決にはならないし、問題を先送りしているだけなのでは。
 この数ヶ月、何度も考えました。
 でも。適応って、いったいどうすればいいの?私は生まれてからずっと電車に乗れなかったわけじゃなく、5年前に●ヶ関で研修を受けていた時には、満員の丸ノ内線と西武新宿線を乗り継いで通っていたのです。いまだって、別にぜんぜん乗れないわけではなくて、混んでいてもなぜか平気で乗れる日もあるのです。逆に、ガラガラの休日でも絶対に乗りたくないと思うときもあります。そんな私は、いったい何をどうすれば、ふたたび平気で電車に乗れるようになるのでしょうか。 いまさらメンタルクリニックの戸を叩いて、「電車に乗れないんです」って相談すればいいのでしょうか? こんなに身体のメンテナンスに気を遣って、ジムで心身を鍛えているつもりなのに、体力と筋力には自信があるのに、いろいろ努力して、工夫しているつもりなのに、これ以上、何をすればいいの?
 ずいぶん考えました。そしてこう思いました。こんな思いをしてまで通勤電車に乗る以外に東京で働く選択肢がないのだとしたら、それは、私は東京では生きていけないということです。それが甘えと呼ばれるものであろうと、社会不適応と呼ばれるものであろうと、しかたがない。それが自分の限界なのだから。
 電車に乗らなくていい生活に切り替えよう。そのためにかかる費用は、好きなことをして生きていくためのコストとして割り切ろう。そして、もし引っ越してもなお困難があるようなら、この都市で働くことをあきらめよう。
 そう思い至った日に、いま住んでいる板橋の物件の退去届を出しました。あとは、2か月以内に物件を探すだけ。家具・家電をなにひとつ持っていないことも不安でしたが、とても幸運でありがたいことに、一部、友人から譲ってもらえることになりました。

 この「都」で健康に幸せに生きるために、もう少し頑張ろうと思います。
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# by saging | 2011-10-16 23:43 | 仕事('10年~)
「フィリピン研究」について その2
 今回の投稿は、このblogを読んでくださっているフィリピン研究仲間に向けてのメッセージです。
 内輪のお話で申し訳ないのですが…週末の研究会、楽しかったです。
 皆さま、ほんとうにありがとうございました。いろいろな制約上、1日しか参加できなかったけれど、それでも楽しかったし、普段使わない頭脳と感情をフルに使いました。

 博士号をとって1年が過ぎ、もうすぐ31歳になるのに、研究会で新しい研究を発表することもできず、キレのあるコメントもできず、後輩に何か模範を示すこともできない自分への反省は尽きません。
 でも、私には、フィリピン研究に対するひとつの野望(?)があるのです。前回のblogで、
 「practitionerとしての立ち位置からこそ、フィリピン研究に何らかの貢献をしたい。」
と書きましたが、それはつまり、フィリピン「研究」の「幅」を大きく広げることです。

 フィリピン研究者って、NGOとの融和性は、たぶんほかのどの地域研究者よりも高いのでしょうけれど、政府やビジネスセクターとの断絶が甚だしいのではないかと思います。

 私は日本の大学院の修士課程に3年、博士課程に5年在籍しましたが、特に博士課程のときはほとんどフィリピンにいたので、いわゆる大学院の施設内で論文を書いたことはありません。大阪で研修生受け入れをしていた中小組合やマニラの職場で働くほどに、大学院というものを敬遠したくなりました。私が博士課程でお世話になっていた大学院は比較的オープンなのですが、それでも、院生やポスドクの先輩の話はあまりに狭すぎて、せっかくの産学連携の機会においても初めから「産」を見下すし、研究職以外への就職を馬鹿にする風潮は溢れていて、残念に思いました。せっかく政治学なのに。そしてせっかく地域研究なのに。院生の分際で、「上から目線」すぎる。
 3年間マニラに住んでいたときは、職場の上司や同僚の「研究者アレルギー」を身体で感じました。「院生」や「学者さん」は「使えない」との先行イメージで忌み嫌われます。私はずっと自分が院生であることを黙っていました。職場以外でも、在留邦人の会合で知り合うビジネスマンはやはり「研究者」に厳しくて、特に人類学や社会学は「暇つぶしの学問」としか思われていないようなきらいがあって、非常に残念でした。
 そのあたりを痛感し、なんとかして、日本の若手研究者と、私がマニラで親しくしていただいていた大使館員やビジネスマンや邦人プレスの方々とを結びつける機会を創造したいと思っていました。自宅で勉強会を企画するとか、食事会を設けるとか。でも、私の中に明確なビジョンとか叩き台があったわけではないので、それらの計画もすべてなあなあに流れるだけでした。
 2010年選挙のとき、私は邦人プレスの方々から取材(主に貧困層の意識調査)への協力を打診され、私の出入りさせていただいているスラムのバランガイや住民組織の方々をご紹介して、あとは当人同士の合意で自由に取材していただく、という感じでご協力しました。私が住みこんでまで調査したはずのコミュニティでまったくの奇想天外な質問を始める邦人プレスを眺めるのも、あとから住民に「あの質問の意図はなんだ」と訊かれるのも、ひとつひとつが、本当に勉強になりました。ついつい対象にどっぷり肩入れしがちな地域研究者は、ニュースバリューを求める日本の読者の視点、投資家に売れる記事を書かなくてはならない外国人の視点といった、あたりまえの視点を置き去りにしがちです。もっと協力できたら、お互いにとって本当にwin-winだと思うのですが。
 
 2年前にタイ学会に出席したとき、全体会でタイの当時の政情についてのセッションがあったのですが、在タイの日本の商工会関係の方やタイへの投資家の方々が多数参加していたせいで、単なる「タイおたくによるタイ論議」ではなく、カントリーリスクや外交上の問題といった非常にマクロかつプラクティカルな議論がなされていて、すごくうらやましいと思いました。フィリピン研究の関連学会でも、機会があれば、大使館や外務省や国際交流基金や各種商工会などのビジネスセクターをセッションなり懇親会なりにどんどん招待して交流できればとてもいいのに。
 私がバンコクに滞在していた6ヶ月の間に、いろいろな研究会、勉強会に誘っていただいたのですが、バンコク留学中の学生や研究者のほか、大使館員、邦人プレスの支局の方々、JICA専門家、シニアボランティア、商工会所属の企業の駐在員、そして駐在員夫人までが集まって自由に議論をする会合やサークルがたくさんあって、やはりすごくうらやましく感じました。タイ語すらできない私も、報告の機会を与えていただき、フィリピンに駐在経験のあるビジネスマンや特派員の方々から、ものすごく貴重なアドバイスをいただきました。未熟な研究者の作法に則って報告をした私に対して、practitionerの方々が、正面から向き合ってくださったことが非常に嬉しかったです。私がマニラに3年も住んでいたときに実現したかったのはまさにこういうことなのだと思いました。いつかもういちど私がマニラに住むことがあれば、今度こそ、自分がそのような研究会を主宰したいです。いえ、日本でも、いつか、もう少し休日シフトの確定的な勤務体系に恵まれたら、私が研究会を立ち上げたいと本気で考えています。
 それから、個人的な研究関心としては、いますぐにはできないけれど、数年以内には私自身が、フィリピン政治と日本政治の比較みたいなことをやりたいと思っています。
 まずやりたいのは、EPAをはじめとする「議会の承認が必要な条約」の批准に際しての国内外での取引の研究です。議会での一票という強いカードをもつ国会議員と、圧倒的な情報をもつ行政府との駆け引きに、各種ステイクホルダー(EPAなら、各産業界やロビイストやグリーンピースのような国際NGOや看護協会やetc)が絡んでくるあのダイナミックな政治過程、実は、大統領制と二院制をとるフィリピンでも、ここ日本でも、驚くような共通点がたくさんあると思うのです。
 あと、表舞台の政治じゃなくて、不透明な便益供与とか、あそこに道路作ってほしいだとか作ってほしくないだとか、そうした「政治家の陳情処理の日比比較」もやってみたい。仮説は「フィリピン政治家は実はそれほど腐敗していない。腐敗が目立つシステムになっているだけ。」です。永田町で観察しているかぎり、日本の政治家もフィリピンのイロコスあたりの政治家もあんまり変わらないんじゃないかと思いますもの。(私の上司は違いますが。)

 私が博士号の取得後に研究職を目指さなかったのは、研究職に魅力を感じなかったからではありません。ほかにやりたいことがあったからです。大学に残らなかったのは、研究に見切りをつけたからではありません。自分の専門分野(政治学)+フィリピン研究で新しいことをするには、大学の外に出たほうがいいと思ったからです。永田町に骨をうずめたいとか、自身で政治家を目指したいとかなんていっさい思っていません。でも、いつか大学に戻りたいとも、いまのところはまったく思ってはいません。大学にいなくたって研究はできるはずですし、こういう研究の続けかたは、ありだと思っています。

 まずは、研究会の場に役人に来てもらえるようにしたい。政治家や官僚から求められる資料を集め、ポンチ絵(って役所用語?)作り続ける優秀な日本の下っ端役人の情報収集能力と勘って、研究者の比にならないこともあると思います。外務省南東アジアⅡ課の方々に研究会に来ていただいて、研究者の発表にコメントをしていただきたい。たぶん、誰も予想だにしないようなコメントが出てくるはずです。
 私は現時点ではフィリピンの政治研究にあまり将来性を感じないけれど、もし、こうしたことが実現できたら、新しいビジネスチャンスが広がると思います。
 研究職についている人たちにとって、顧客は学生とアカデム仲間なのでしょうけれど、私はまったく別のところに顧客を求めたいと思っています。いつか数年後、たとえば●紅の会議室内で、あるいは共●通信のマニラ支局内で、院生も実務家も皆で集まっての私たちの親密な研究会の月例会ができたら、すごくおもしろいんじゃないかと思います。私一人でやるんじゃなくて、マニラで一緒にお仕事させていただいていた役人の方々とか、かつてマニラ特派員だった方々とかで比較的同年代の方々と一緒にやってみたい。
 同年代の研究者と将来の共同研究の夢を語り合う時間は最高ですが、研究者以外の方々とのこうした協働の夢を語ることもまた、最高です。いまだから言えるけれど、役人も本当に、まんざらじゃありません。控え目に言って。永田町で働き始めて以来、マニラでご一緒いただいた役人の方々とメディアの方々に、ネットワーク作りの面でも情報の面でも、そして精神面でも、ものすごく支えられています。マニラ生活中に得た人脈は財産だと、そう思います。
 あと一歩。あと一歩頑張れば、こうしたネットワークをアカデムの世界にも広げられる気がするのですが…。
 
 大学院棟の研究室ではほとんど人脈をつくることができなかった私は、こちらのほうで貢献していきたいと思うのです。

 ほんとうに向こう見ずで身の程知らずの大胆すぎる野望ですが、そういうことを考えている若手(私はもうそろそろ若手じゃなくなるのかもしれないけれど)が一人くらいいてもいいと思うのです。

 今回、久しぶりに研究者仲間と会って、教育者としての経験を有し、数々の学会に出席し、大学行政の論理の中で生きている同世代の友人たちの論理をうまく理解できなくなりつつある自分に気づきました。18歳を相手に授業をしている彼らと、国会議員の委員会質問を毎日聴いている私とでは、いろいろ違って、きっと当然です。むしろ、異端のくせに研究会に出てくる私のほうが、彼らに合わせるべきなのでしょう。(頑張って合わせたつもり。)
 でも、きっと昔よりはお互いにmatureになっているから、いくら違っても、お互いのバックグラウンドが違うことを理由に排除しあったり非難しあったりは決してしないし、何を言っても大丈夫という信頼があるから、きついことも失礼なことも言い合える、そのことを、改めて心地よく思いました。どんなにネットワークが広がっても、こういうことが言えるのはこの仲間うちだけ、という絶対的な安心感のようなものがあります。

 親愛なるフィリピン研究者の先輩・友人の皆さんへ。研究会後の懇親会の席で私が研究会のレベルについての評価を「私の指導教官からのメッセージ」として伝えたのも、そもそもあえて指導教官からそのような話を聞いてきたのも、決して場当たり的なものではなく、もちろん指導教官からの差し金ではなく、以上のような背景をもつ私が、自分自身の選択と判断で行ったことです。もし今回のような場がなかったとしても、私はいずれ、MLなどで同じことを言ったでしょう。私は自分の指導教官のことを、フィリピン研究者の中でもっとも「アカデム以外の世界」との接触をもっている研究者として尊敬しているからです。指導教官からの縛りなんて一切ありません。(そもそも、大学に残らなかった私にとって、指導教官への忠誠心などなんの役にたちましょう。)私は指導教官の口を借りただけで、私自身も同じことを思っていたし、いつか誰かが言わなくてはならないことなら、研究職に就いていない、学会の人間関係のしがらみも一切ないような私が言うのが一番だと思ったから、あのようにさせていただいたまでです。
 研究者の先輩の、そして仲間の皆さまが、そのことを正面から受け止めてああやって議論してくださったことが私はとてもうれしかったし、やはりこの仲間とこの環境は最高だと思いました。あんな話題を出したことで愉快でなかった人もいるでしょうに、ありがとうございます。先輩方、いつも生意気でごめんなさい。それを補って余りあるくらいの成果を、来年…はどうかわからないけれど、数年後には必ずこの研究会にもってきますから、どうかお許しください。
 来年のこの日まで、お互いに元気で切磋琢磨いたしましょう。
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# by saging | 2011-06-05 23:43 | フィリピン研究
「フィリピン研究」について
 最近、うっかりやってしまったこと。

・友人と話しているときに「梅雨」と言うべきところを「雨季」と言ってしまいました。2回も。まったくの無意識のうちに…。指摘されるまで気づきませんでした。

・イギリス人と英語で話しているとき、扇風機のことを「ベンティラドール」と言ってしまいました。これも無意識のうちに。怪訝な顔をされるまで気づきませんでした。私にとってベンティラドールは英語です。ほかにも、とっさに英語で言えない言葉がいくつかあります。たとえば水道の蛇口は英語ではfaucetって言うそうですが、私はいつもその単語を思いだすのに数秒はかかります。あれは「グリポ」です。日頃はごく当たり前のように仕事で英語の翻訳も通訳もしていますが、英語母国語圏で暮らしたことがないというのは、大きなマイナスなのかもしれません。

・近所のリサイクルショップで扇風機を購入するとき、店で試運転させてみて、「風力弱いなー。壊れてるのでは?」って思ってしまいました。(東南アジアの扇風機はものすごく強力。)

 もう、すっかり日本に馴染んだ気分でいるのですが、ときどき、こうして失敗します…。

 ちなみに、扇風機をリサイクルショップで買うことにしたのは、家から近いこと(持って帰れる)、組み立ててもらえることが理由です(フィリピンなら近所の人に気軽に頼んで組み立ててもらえたのに…)が、結果的に、1000円しかしない美品(タイマー付き)を手に入れることができて、たいへん幸せです。フィリピンより安い。

 2週間前、国際交流基金@四谷三丁目で、20年前にフィリピンと東京で上映されたミュージカル、「エル・フィリ――愛と反逆2部作」の映像を観てきました。
 久しぶりに、全身の血の温度がおかしくなるんじゃないか、とすら思いました。
 エンタテイメント性と音楽性のきわめて高い、フィリピンのお芝居。ましてや、Tanghalang Pilipinoのミュージカル! 深くて美しいタガログ語の歌と、最初の30分を観ただけでも耳について離れない、あのテーマソング(Ryan Cayabyabの音楽)。久しぶりの(というか昨年5月のフィリピンでの選挙以来1年ぶりの)、昂揚感。日本に戻ってきてからは覚えたことのない、全身を駆け巡る、あの昂揚感。
 ミュージカルは、前半は『ノリ・メ・タンヘレ』、後半は『エル・フィリブステリスモ』(いずれもホセ・リサール著、原著はスペイン語)をかなり忠実にタガログ語で再現した作品になっています。『ノリ』も『フィリ』、も、私にとっては、 ショニール・ホセの『仮面の群れ』(原作は英語"The Pretenders")の次くらいに好きな作品で、ある種の「原点」です。大学生の頃、大学図書館の書庫で、何日もかけて読みました。
 舞台では、『ノリ』、『フィリ』とも、あの長い長い原作が、2時間~2時間半にまとめられています。つまり、全編通して5時間。主役のクリソストモ・イバラを演じるAudie Gemorraと、マリア・クララ役のMonique Wilsonの声量と歌唱力と演技の才能は、ただものではありません。特にAudie Gemorra, 5時間にわたってずーっと舞台に出ていて、かなりのアクロバティックな動きもあるのに、その都度、まったく呼吸が乱れず、最後まであの声量で歌いあげるなんて、いったい、どんな喉をお持ちなのでしょうか。
 始まってわずか数分で、CCP(フィリピン文化センター)のシアターの椅子に座っているかのような錯覚にとらわれました。マニラで働いていたとき、何度も何度も通ってお芝居を見まくったCCPシアター。職場からも自宅からも10分の距離だったものですから、上院(CCPから3分)で働く友人たちと誘いあっては仕事帰りに劇場に立ち寄って、20時あるいは21時開始の最終上映を観て、終了後、劇場の向かいのレストラン街でマニラ湾を眺めながらビールを飲んだり、マニラ湾に沿って家まで散歩したり…という生活。お芝居が200ペソ(約400円)、レストランのビールが高くてもせいぜい50ペソ(約100円)だったからできた贅沢を、懐かしく思い出します。『仮面の群れ(The Pretenders)』がTanghalang Pilipinoによってタガログ語版で"Ang Mga Huwad"として舞台化されたときは、10回の上映のうち5回観に行き、原作者にまで呆れられ、毎回毎回、主人公のニー・サムソンが ”Lamig ng bakal.” と言って路面の鉄を撫でるシーンの演出に感極まってしまい、千秋楽にはわざわざ、小説の舞台であるマニラ市アンティポロの下町を散策してから(ってスラムなのですが)、同じく小説の舞台のひとつであるキアポで花を買い、トニー・サムソン役の俳優さんに渡しました。(いま思えば、いろいろおかしすぎます。)
 
「エル・フィリ――愛と反逆2部作」の最初の15分を観て、美しいタガログ語のちりばめられた歌をきいただけで、マニラでのそんな日々が次々に思い起こされて、東京の四谷三丁目からマニラのあのCCPのシアターにワープしたような感じがして、なんだか、懐かしくてたまらなくなりました。
 「マリア・クララ」のマリア・クララも良かった。単語そのものの響きをなつかしくすら思います。「マリア・クララ」は『ノリ』『フィリ』のヒロインですが、他方で、フィリピンの女性用の民族衣装のトップスの形をあらわす言葉でもあります。透ける素材で、肩の部分が幾重にもショール状にふわっと重なったもの。前編の『ノリ』部分ではマリア・クララが着替えまくるので、幾通りもの「これぞマリア・クララ」なゴージャスな衣装を堪能することができました。私もパーティー用にいくつかマリア・クララを持っていたのですが、フィリピンを離れるとき、1つを除いてすべて友人にあげてしまいました。残念ですが、日本ではなかなか着られません。
 …こんな他愛もない感慨ばかりで、前半2時間で感動をほぼ使い果たしてしまって、せっかくの後半はなかば放心状態で受動的に観てしまったのが残念でなりません。でも、それでなくてもきっと、5時間は集中できないかも…。

 先週は、ここでも触れたことのある、フィリピンのNGOというかカトリックの使徒組織というか…のGawad Kalingaのアントニオ・“トニー”・メロト氏が、日経新聞の「日経アジア賞」授章式のために来日されていました。トニー氏は私がもっとも尊敬する人のうちの一人です。マニラで初めて彼の講演をきいたときの衝撃は忘れられません。私は10代のときに自己啓発セミナーの洗礼を(さらっと)受け、その策略的な言葉の数々を強く嫌悪したものですから、以来、「綺麗な言葉」が大嫌いです。でも、彼の発する「現実味をともなう希望の言葉」は、本当に素晴らしいと思うのです。あんな言葉を発することのできる人は、彼と、私が調査させていただいたスラムのひとつであるS地区の会長N(呑んだくれですがなぜかすごい求心力、頭もかなり切れます)と、フィリピンの選挙管理委員会(COMELEC)のサルミエント選管くらいなのではないかと思います。(私以上にサルミエント選管の言葉に感激していたある外交官は、故コリー・アキノ元大統領に対したときと同じものを感じると言っていました。「この人の前に立つと。こちらの邪悪な心も清められてしまう」というような、宗教でも啓発系の何かでもなく、向き合った人を幸せにしてしまうような人が、この世には存在するのだと。)
 そんなトニーのスピーチを聴きたくて、私はなんとか仕事に都合をつけて、授賞式に出席させていただきました。
 すごく、良かった。後半は(同時通訳への配慮から)用意した原稿を読むだけの彼でしたが、前半では、「同時通訳には申し訳ないけれど、予定外のことを話します。ただしゆっくり話しますから、許してください」と言って、東日本大震災に見舞われた日本、そしてアジア全体について、短く語ってくれました。翌日の日経新聞の記事にはちっとも出ていなかったけれど、あのスピーチは本当に良かったです。私もあんなふうに他人を愛し、他人を許せる人になりたいと思いました。これも綺麗事ですが…それでも。
 授賞式の後で、少しだけ、トニーやご家族、在京フィリピン大使館の方々とお話をして、私はすぐ職場に戻ったのですが、彼と話ができて、本当に良かったです。このことだけを支えにあと1年は働くことができます…なんてことは言いませんが、すごく幸せでした。

 日本の政治家の言葉――特に国会での言葉、質問でも答弁でも――を聴くのも、私は好きです。
 政治家によって周到に用意され、練られた言葉、文字通り洗練された言葉って、耳に心地よいです。街頭で叫んでいる社会運動家の言葉とはやはり違うな、って思うことが多くあります。(街宣車以下みたいな言葉も、もちろんありますが…。)
 
 こういったことを感じられるのも、フィリピンのお蔭なのだろうと思います。

 今週末は、年に一度のフィ●ピン研究会全国フォーラム。
 いまから、ものすごく楽しみです。
 開催場所は東京なので、フル参加はできなくても、できるかぎりで参加します。実は、木曜日の国会で衆議院内閣不信任案可決→衆議院解散→総選挙、とかいう流れになっていたらフィリピンどころじゃなかったのですが(だって解散したらボスは失職、秘書も失職、そのまま選挙活動に突入です)、いまのところ、そんな電撃的な動きはなさそうです。

毎日、永田町のあれこれに翻弄されて、「扇風機」や「蛇口」の英語すらとっさに出てこない私ではありますが、上司と英語圏のお客様との懇談の通訳を含め、それなりに働いています。そして、健康でいます。自分がこうして日本で、しかも東京で働けるなんて、いまでも夢のようです。
 これも、フィリピンのお蔭だと思っています。

 私はいわゆる研究職には就いていませんし、次にいつフィリピンに渡航できるかすらまったく見通しが立ちません。きっと、地域研究者失格なのでしょう。そもそも土日の予定が状況によってものすごく変動する(当日にならないとわからない)ので、学会にはとてもエントリーすることができずにいます。7月締切の紀要論文を亀の歩みで書くのがやっとですから、研究者を名乗ることも恥ずかしいくらいです。
 それでも、フィリピン研究者としてのインプットとアウトプットはずっと続けていきたいし、日頃は教育機関(大学)から遠く遠く離れているぶん、できるかぎり学会や研究会の場に出て、先生方や先輩から受けた寛大さとご恩を後輩に返していくことは、決して忘れないようにしたい。また、たとえ研究職に就かなくても、マイナーな地域研究者がpractitionerとして別の仕事をしながら好きな研究を深めていくことは可能なのだということ、文系の博士号取得者(とくに女性)には就職はないなんてことは嘘っぱちだということ、そして、大学ではないところに就職しながらも研究にたずさわっていくことはじゅうぶんに可能なのだということを、仲間や後輩たちに示したい。むしろ、practitionerとしての立ち位置からこそ、フィリピン研究に何らかの貢献をしたい。そう思っています。

 私はフィリピン研究者で良かった。
 今回のblog記事で書いたことはほんの一片にすぎません。ここには書けない永田町のさまざまなことも含めて、そして、もっと大きな意味を含めて、私はフィリピン研究者で良かった。そして、スラム研究をしていて良かった。
 詳細はまた別の機会に書くとして…マニラのスラムであんな自己満足にすぎないような研究をさせていただいたこと、スラムであんな偉大な方々に出会えたこと、彼らの言葉に心揺さぶられるlife-changingな経験をしたこと…。本当に幸せだったなと、そう思います。
 一生かけて続けたいし、還元したいです。

 フィリピン研究仲間の皆さま、週末、東京でお会いできることを楽しみにしております。
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# by saging | 2011-06-02 23:33 | フィリピン研究
東京コネタ集 その3
30分ほど前。
 「わ~らび~もち、かきごお~り」
の音楽が聞こえたかと思ったら、私の住んでいるマンションの前に、車が停まる音がしました。
 気になってベランダに出てみたところ、ラーメンののぼりを立てた、どう見ても正真正銘のラーメン屋台と思われる小型トラックが停まっています。運転席から降りたおじさんが、車に組み込まれた鍋の中を覗き込んだり、何やらきざんだりしている様子。
 バンコクの麺屋台みたいです。
 あるいは、マニラで早朝から出ていたお粥(lugaw)屋台。

 唖然。

 日本のラーメン屋台って、こんなふうに住宅街を回るものだったっけ。
 普通は、駅前とかの定位置に停車して営業するものじゃないの?
 住宅地を回る屋台トラックといえば、焼き芋か、わらび餅か、かき氷か、あと、ポン菓子とか…。
 
 時刻は午後10時。
 何度も、夢を見ているのではないかと思いました。あんな屋台トラックが、こんな東京のはずれの住宅地をうろうろしているわけがないし、ましてや、私の住むマンションの前に停まるはずがない。

 屋台で食べているお客さんは皆無。
 持ち帰り専門屋台なのでしょうか。お客さんは自前でお皿か容器を持って買いに行く、みたいな。
 それじゃまるっきり、フィリピンですよ。もしくは、古き良き日本のお豆腐屋さん。
 マニラに住んでいた頃、私はよく、お茶碗やタッパー持参で、徒歩1分の、エルミタの裏通りの食堂におかずを買いに行ったものです。その後の立ち退きでなくなってしまったお店ですが、あそこのTinolang Tahong(ムール貝のスープ)とモンゴ(緑豆)は本当に美味しかった。


 …とにかく、もう、気になってたまりません。

 結局、下に降りて、見に行きました。
 万が一、本当に営業していた場合のためにどんぶりを持って。



 …そして、買ってしまいました。
 晩御飯の食材は別に買ってあったのですが…。
 そして、私は普段はラーメンというものはまず食べないのですが…。

 ラーメンを作ってもらうまでのわずかな時間での、おじさんとの非常に断片的な会話の中でわかったのは、

 ・毎週土曜日に買いに来る人がいるので、1ヶ月前からこのマンションの前に来ている
 ・でもその人が来なければすぐ帰る
 ・今日は来ないのでもう帰る
 ・うちは真夏でもラーメンを売りつづける
 ・うちの塩ラーメンは薄味なので胡椒を多めにかけるのがよい

ということだけ。

 謎が多すぎます。

 

 おじさんの塩ラーメンは、薄味で、とても美味しかったです。ラーメンなんて食べるの、何年ぶりでしょう。でも、本当に、とても美味しかった。

 少し早い「夏の夜の夢」のような体験でしたが、ラーメンの写真だけは撮っておきました。
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 東京って、私が思っているよりずっと、おもしろいところなのかもしれません。
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# by saging | 2011-05-21 23:00 | その他
テロルの決算 その2
 東京コネタ、もうひとつ。
 首相官邸の前庭には今日まで、日章旗とならんで「こいのぼり」がはためいていました。
 日章旗が「半旗」でなくなったのは、震災から1ヶ月が経った頃でした。4月のある日の日経新聞の「春秋」欄に、もう半旗はやめよう、というコラムが掲載された数日後のことです。半旗を眺めながら仕事をする毎日がいたたまれず、できるだけ窓の外を見ないようにしていた頃のことなので、厳密にいつ戻ったのかは定かではありませんが、ある日、気づいたのです。
 その数日後、日章旗の横に「こいのぼり」がはためいていることに気づきました。
 4月の東京は風の強い日が多かったから、こいのぼりは毎日、元気すぎるくらい元気に泳いでしました。
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 上の写真のこいのぼりは、桜田門の某庁舎のもの。官邸のこいのぼりを写真に撮るわけにはいかないので、代わりに。

 連休中に、沢木耕太郎『テロルの決算』を再読しました。2ヶ月に1度は読み、そのたびに深い感動を覚える書です。
 この書の素晴らしさを月並みなことばで表現するとしたら…。人間の描き方と、その背後にある、著者の人間理解への努力、とでも言うのでしょうか。
 私はこの書のように他人とかかわり、政治とかかわりたい。心から、そう思います。私が議員秘書という職業を強烈に志した理由のひとつがこの書であったことは間違いありません。
 …『テロルの決算』を愛読する議員秘書なんてアブナすぎますが、別に、テロルや右翼に感じ入っているわけではないですから。

 3年前に初めて読んだときはこんなことを思っていたのですが、読むたびに別の箇所が気になります。 今回は、山口二矢が右翼に傾倒し、そして社会党委員長を殺すことを企図するに至った背景として、「父親が自衛官であることを『責められている』ように感じ、左翼こそが圧倒的強者であると認識していた」ことがあったというくだりに、勝手に感動。「左翼こそが強者」っところ。ねぇ。
 私は自己の選択として議員秘書になり、仕事として議員秘書をしているわけですが、それでも、特に震災後の、被災すらしていない人たちからのきわめて一律的で情緒的な「国会議員批判」や「政治家批判」を見聞きするたびにダメージを受けます。事務所では、どんな罵声(事務所にかかってくる電話は、この世のものとは思えないくらいひどいものばかりです。震災発生前からですが…)にも、どんな不愉快な人間関係にも耐えます。仕事ですから。でも、自宅では民放は絶対につけません。活動家の友人の書き込みが否応なく現れてくるFacebookも、できれば開きたくないくらい。すべて、自分が責められている気がします。

 そんな政治家を、そんな国会議員を選んでいるのは私たちじゃないですか。

 そんな電力会社にこれまで何も言わずに消費者になってきたのは私たちじゃないですか。

 …自由な選択肢の一つとして政治に関わる仕事を選んだ私でさえ、そう思って、ここから逃げ出したくなるのです。
 
 電力会社社員の、あるいは幹部の家族は。原子力安全保安院の職員とその家族は。仮設住宅建設を担当する国交省職員の家族は。
 …中央省庁の職員といったって、皆が高給取りのエリート官僚なわけじゃないですよ。
 「国会議員も避難所に住んでみろ。」
 「中央官庁の官僚が原発内部で作業してみろ。」
 「責任企業の職員は全員失業しても当然」
…という、たぶん日本にかぎらず、何かあれば必ず投げられる、きわめて非合理的な剥き出しの感情論。そうした感情論を責めることなど、誰にもできないのですが。

 福島から避難してきた子どもたちが「放射能」って差別を受けるというのは何度も報道に出るけれど、東京電力の、あるいは関連企業の、そして全国の電力会社の家族がどんな思いでいるか、子どもたちが毎日の報道をどんな思いで見ているか、といったことは報道されません。当事者が取材を受け入れないのだから、当然のことです。
 差別とか迫害とかいうのは、「差別だ!」「迫害だ!」って叫ばれている以外のところで進行するのだ、と思います。

 こういうことを書くと左寄りの方々にまた思いっきり叩かれるのでしょうが、いまに始まったことではありません。私は、議員秘書ではなかった頃から、純粋な関心からNGOの集会に行ったら「スパイだ」っていちゃもんをつけられたり、あるシンポジウムで私がまじめに話をきいているのになぜか横に陣取って「あなたはフィリピン研究者だそうですが…」と議論を吹っ掛けてくる人に悩まされたり(周りの方々に迷惑なので退席しました)…。議員秘書になってからは(特に震災後)、ここにはとても書けないくらいひどい言葉で罵倒メールを送ってこられる知人もいます。対話をしたいと思っていても、ここまで敵意を剥き出しにしてくる相手とどう関わればいいのか。
 こういう風土なら、日本の議員秘書が左派系のNGOの集会に出ないのも無理はありませんよ。日本の活動家に「戦略」はあるのか?と、心配にすらなります。
 フィリピンの左翼も、気合いの入っている方々はもちろん頭ガチガチでしたが、全体的にレンジが広かったので、もう少し話し合う余地がありました。マニラで働いていたとき、休日に研究のためにとあるフィリピンの左派系団体のデモを見に行ったら、偶然にスタディツアーとかで来られていた日本の労組の方がいて、主催者であるフィリピン左派の幹部は私の事情を察して黙っていてくださったのですが、集会参加者(スラム住民の方々)が親切心から彼と私を引き合わせてくださり、彼は私の仕事上の名刺をしつこく要求。フィリピン人幹部の方々があとで申し訳なさそうに何度も謝ってくださって、いたく恐縮しました。

 いま思うに、フィリピンは全体的にレンジの広い社会でした。タイもそうですが、あの圧倒的格差を所与のものとして何十年も成り立っている社会って、日本にはない安定感があります。良いとか悪いとかの問題ではなく。政治的には不安定すぎるのですけれど。
 震災後の日本で広がった「自粛」という言説(と言っていいですよね?)とか、
 「被災者に比べれば私の苦しさなんて…。」
という妙な罪悪感まじりの感情とか、
 「いてもたってもいられない。」
という言葉とかって、日本ならではのものだと思います。
 皆が平等であるべきで、皆が罪をかぶるべきで、皆が頑張るべきで、皆が耐えるべき。…民放に出てくる人たちの「他人への同調を求める日本語」の気持ち悪さ、海外に出てから初めて気づきました。「ですよね?」「でしょう?」の使われ方に驚きました。ああいう否定疑問文とか付加疑問文とかは、日本語以外では使わないと思います。

 日本はレンジが狭いんですよ。『テロルの決算』の背景となったあの頃も、いまも、変わらず。

 真摯に自分自身を反省することなく、他人に指を向けて「逆ギレ」しそうな私はたぶん、議員秘書としてだけでなくいろいろと「失格」なのでしょうが、『テロルの決算』を読むたびに、あそこにきわめて生々しく描かれている、「頭の良し悪しや職業に関係なく、自分のことに夢中で、他人への想像力が欠如している、どうしようもない普通の人たち」への視線と、これだけどうしようもない人たちが立候補したり投票したり社会運動やったり議員秘書やったりしてぼちぼち政治を動かしているという馬鹿馬鹿しい現実がすごくリアルで、私はこれを体現するために議員秘書になりたかったんだな、と思います。
 ダメダメな個人による、ぼちぼちで目も当てられないデモクラシー。フィリピンでも日本でもそれは同じで、だからこそ政治はすばらしくておもしろいのだと思うのです。
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# by saging | 2011-05-05 23:58 | 仕事('10年~)
東京コネタ集 その2
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池袋の牛丼チェーン店。ほんとうに停電でも営業するのでしょうか? そもそも、豊島区って計画停電エリアに指定されたことはないでしょ。
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 江古田の焼鳥屋さん。「全力節電」って何!? それとも、「全力」はもしかしたら「営業中」にかかっているのでしょうか。常時、1500円で60分間食べ放題・飲み放題というすさまじい看板を掲げているお店なので、なんでも全力なのかもしれませんね。
 江古田駅前は焼鳥屋さんと飲み屋さんがやたらと多い。なのに、駅付近のスーパーのレジに並んでいたときに聞こえてきた会話は、
 「こないださー、初めて大山(東武線)行ったんだけど、あそこ飲み屋しかなくない?」
 「マジ大山って飲み屋ばっかだよなー。ってか、ハッピーロードって名前、恥ずかしくねえ?」
 「屋根が付いてるほかに、メリットなくない?」
…いえ、ここ江古田も飲み屋だらけですよ。そして、「江古田銀座」っていう商店街名は、「ハッピーロード」以上に恥ずかしいんじゃないかと思います。屋根もないし。
 東京人の話って、わけわからないですよ。あと、東京弁の否定疑問文「…なくない?」って、YESで答えるべきなのかNOで答えるべきなのか、いまだにさっぱりわかりません。たぶん、いずれの場合も「ですよねー」って言っておけばいいのだと、習慣的に学んだのですが、いいですよね。っていうか、それでもう、よくなくない?

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 数週間前から、国会裏のある銀杏の木に張られている注意書き。カラスも国交省もたいへんだなあと思いながらも、つい笑ってしまいます。
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 国会裏の銀杏の木々。黄色の葉がまぶしすぎて議事堂が見えなかった季節のあと、枝だけになった木々の後ろに議事堂がはっきり見える日々が何ヶ月も続いたかと思うと、最近では、建物がすっかり覆い隠されるほどに緑がわさわさと生い茂るようになりました。
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 2週間前は、まだこんなだったのに。落葉樹ってすごい。季節ってすごい。


 昨日、チャツネを買うためにデパ地下に行ったら、カレーコーナーの広さに唖然としてしまいました。
 東京人はこんなにカレーが好きなのかと。
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 でもよく見たら、まるで書店の本棚のように陳列されている商品の大半は、箱入りのレトルトカレー。スパイスも特に珍しいものはなかったし、チャツネは1種類しかありませんでした。
 東京人はこんなにレトルトが好きなのかと。

 東京って、「人が一人で生きていけるところ」です。
これは、マニラの職場で1年間だけ一緒だった同年代の女性の言葉ですが、ほんとうにその通りだと思います。
 東京ってそういうところです。ほかの場所とは比べることができない、そういうコンテキストが存在していると思います。
 マニラは、一人で生きていけない街でした。
 大都会だし、多国籍料理のレストランもファッションモールもたくさんあって、日本の感覚ではわずかなお金さえ出せば何でも手に入るから、数週間くらい住むにはいいところです。安くて活気ある「東南アジア」の空気を楽しみながら、快楽的で開放的な生活をすることができます。手軽に私が3年間住んでいたエリアは歓楽街のすぐ近くでしたから、24時間営業のカンティーン(食堂)がいくつもあり、どんな真夜中でもできあいのお惣菜が手に入りました。毎朝の出勤途中には、カットされたパイナップルやパパイヤやメロンを屋台で安く買うことができました。
 でも、マニラは、一人で住むことができない街でした。それがなぜなのか、いまでもわからないままですが、マニラに住んでいたときは、とても淋しくて、心身が常に枯渇しているような気分でした。自宅があまりに広すぎたせいかもしれませんが、それだけではなく。

 東京は、一人で、そこそこ幸せに暮らせる街です。たぶん。

 私の尊敬する友人(東南アジア在住)が、4月のはじめから日本に一時帰国しています。東京都心での勤務も政治的業務も経験し、「東南アジア帰り」かつ「田舎者」でぜんぜん東京に馴染めない私を、ことあるごとに励ましてくれていた彼ですが、先日、こう言っていました。
 「やっぱり、俺には日本は無理だよ。」
…まあ、そうですよね。私もずっとそう思っていたし、いまも、心の片隅ではそう思っています。
 でも、どうにかなっているんですよ、これが。不思議でたまらないのですが。

 昨年末にたまたま、タイ勤務経験のある官僚の方と雑談をしていたとき、
 「sagingさん、前職はフィリピンだそうですが、何年くらい?」
と訊かれ、
 「通算6年とちょっとです。」
と答えたら、
 「6年ですか…。よく日本社会に復帰できましたね。しかも、そんな仕事に。」
 「私は3年でしたが、日本がきつくて。早期退職してタイに戻りたいですよ。」
と、しみじみ言われました。(「きつくて」って言いながらもその方はバリバリのキャリア官僚で、きわめて責任の重いポジションで、霞ヶ関で超多忙な日々をお過ごしなのですが、でも、いつもセンスのいいジム・トンプソンのネクタイをされていて、きっとタイが大好きだったんだなあ、と思います。)

 たしかに日本は(特に東京は)、生きにくい場所なのかもしれません。私はあいかわらず地下鉄が苦手で、気分とその日の服装によっては自転車で通勤することもしばしばです。それでも私は、ふたたび日本で生活することを(そしてよりによって東京で生活することを)好きになりつつあります。
 もちろん、マニラに住んでいた頃のようにはいきません。知り合いの喫茶店に寄るような気軽さでライブハウスに行ったり、いろんな人と気ままにデートしたり、週末にふらっとダイビングに行ったり、仕事帰りにふらっとお芝居やミュージカルや映画を観に行ったり、未明まで飲んで気軽にタクシーで帰ったりはできません。日本のライブハウスは一人で行きにくいこときわまりないし、好きなアーティスト以外は日本の曲ってあんまりいいと思えないし、お芝居は高すぎるし、タクシーなんて絶対乗れない。野菜も果物も高価でびっくりします。
 でも、東京で暮らしていて、この日常が幸せだなあと思う瞬間は、たくさんあります。
 毎朝、木々の緑や沿道の花を眺めながら駅に向かうこと。南国ではいつも何かしら色鮮やかな花が咲いていたから、花が咲くことがこんなに嬉しいなんて思いもしませんでした。
 数日ごとに劇的に変化するデパートやモールのブティックのディスプレイを見て歩くことも、休日に永田町から日比谷公園を通って銀座まで散歩して、銀座を歩く人々の半端じゃなく美しいファッションをみることも、東京ならではの幸福だと思います。
 大型書店で好きなだけ本を吟味するひとときも幸せです。
 仕事帰りのジムも至福のひとときです。大きな窓越しに夜空の見えるプールで泳いで、ストレッチをして、ジャグジーに入って、シャワーを浴びて、大きくて明るい鏡を使って…。この快楽に慣れすぎた私は、いまだに、自宅のユニットバスでお湯をはったことがありません。
 翌朝早起きしなくていい週末の晩、ジムでたっぷり泳いでから、帰宅してワインを飲みながら遅くまで本を読むのも、最高級の幸せです。
 休日の朝、今日は仕事に行かなくていいんだーと思いながら村上春樹をちょこっと読んで、その日本語のクールさに酔いしれるのも、やはり最高級の幸せです。外国にいたときも村上春樹の文庫本は常に何冊か持っていたのですが、外国生活中に読むのと日本生活中に読むのとでは、感じ入る箇所がまったく違うのです。

 先週、北海道の方から、舞茸と、アスパラガスをいただきました。どちらも、見たことがないくらいに大きくて立派でした。
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 舞茸は、半分は豚肉と炒めて、そして、半分は山菜と煮物にして、3日くらい楽しみました。(本当は天ぷらがお勧めだそうなのですが、我が家には電気コンロしかないのです。)
 アスパラガスは、シンプルに茹でて、塩とマヨネーズでいただきました。こんなに大きいのにあっというまに火が通って柔らかくて、本当に美味しくいただきました。
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 どこの国のどんな地域でもそうですが、地元の方が勧めて下さる食材って、本当においしいものです。

 2週間前の週末、とてもお天気が良かったので、友人に勧められた「愛宕神社」と「NHK放送博物館」に行ってみました。
 休日の虎ノ門エリアは、人も車も少なくて落ち着きます。
 桜は終わっていましたが、葉桜も好きです。緑が出てくるだけで、素晴らしい。
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 「NHK放送博物館」――素晴らしかったです。2.26事件からイラク戦争開戦までの「歴史的映像」が11分のダイジェストで見られるほか、「初めてのラジオ体操」とか「玉音放送」とか、現天皇のご成婚パレードとか、東京オリンピックとかの白黒映像を繰り返し観ることもできます。両親の昔話に出てくるラジオドラマ「君の名は」も聴けますし、代表的な過去の「みんなのうた」も聴けます。過ぎ去りし昭和を、めいっぱい懐かしむことができました(といっても私は昭和を10年も生きてはいないのですが)。
 映像のパワーは強烈です。私が意識的にTVを避けるようになったのは9.11以降だと思います。映像って、観るだけで衝撃を受けてしまいます。
 フィリピンで働いていたときも、いまも、職場では常にニュースか議会中継をつけていますが、私はもともとTVが好きではなく、自宅ではほとんど観ません。日本の常識についていかなくちゃと思って無理やりつけても、民放の討論番組なんて観ているだけで苛立って、すぐ消してしまいます。
 特に今回の震災後は、自宅では、できるだけTVをつけないようにしていました。
 それなのに。NHKの誇る「歴史的映像」の数々には、不覚にも心を動かされてしまいました。思わず、『あなたと作る時代の記録 映像の戦後60年』のDVDを買おうかと逡巡してしまいました。
 帰りには愛宕神社にお参りし、近くのチーズ専門店で、Queso de Murcia al Vinoという山羊のチーズを買いました。しっかりとした山羊チーズ風味なのにヨーグルトのような酸味が前面に際立っていて、とても美味しく、感激しました。東京って、何でも手に入る街ですね。

 
 自宅に持ち帰った仕事がどうにも終わらない平日の未明、ふと、ライブハウスに行きたくなって、Noel CabangonやCynthia AlexanderやJess Santiagoの歌声が聴きたくてたまらなくなって、MP3ウォークマンに保存している数少ない彼らの曲をひたすらリピートしたり、YouTubeでライブ映像を検索したりしてしまいます。
 マニラがとても懐かしいし、帰りたい。でも、ひとりで生きられないあのマニラという街でのいろいろな苦悩と、なんだかんだ人が多くて大変な東京で生活する小さな幸せは、たぶん、相殺しあってプラスマイナゼロくらい。

 きっと、それも幸せのひとつなのでしょう。
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# by saging | 2011-04-30 22:38 | 仕事('10年~)
帰ってきてよかった
 日本に帰ってきてよかった。
 ここ数日、桜が美しすぎて…気が動転しそうです。
 桜が目に入るたびに、すべてを忘れてしまいそうです。桜の季節に日本で過ごすのは、5年ぶり。桜ってこんなに人を変えてくれるのでしょうか。それくらい、幸せです。幸せすぎて、桜の真下を歩くのが怖いくらいです。坂口安吾じゃないけど、あんな満開の下に立ったら、おかしくなっちゃうんじゃないかと思います。
 すこし離れて見ているのが、いちばんいいです。

 先週、「究極のストレス解消法」を実施しました。
 大型書店に行って、かごを持って文庫本を買いまくるのです。日本では本が高価なので(フィリピンに比べて)なかなか派手に買いまくるというわけにはいかないのですが、文庫なら20冊くらい買っても1万円強くらい。でも、見た目のボリューム、手にずっしりくる重さ、そして「衝動買いの昂揚」からくる満足感は、無限大。幸せになりました。おすすめです。(金銭的に余裕がない場合は、「ブックオフで10冊衝動買い」などでも良いと思います。)

 今週は毎日、仕事が終わったあと、ただ桜を眺めるだけためにあちこちの夜道を散歩したり自転車で少し遠くに出掛けたりしているので、せっかく買った本がちっとも読めないのですが、それも含め、日本にいられてよかった。
 こんな幸せがあるなんて。日本を離れていたときは、ずっと、忘れていました。

 先日は、月末に受ける予定の資格審査試験の提出書類を揃えるため、東京都I区の、「地域センター」というところに行ってきました。住民登録をしたときに作成してもらった「区民カード」があれば、区役所の開館時間外でも、区内の各所にあるこうした施設に備え付けの自動交付機で「住民票の写し」や「印鑑証明」を入手することができるのです。なんて便利なサービス。信じられません。日本に帰ってきてよかった。

 私はこの「地域センター」に、もうひとつ用事がありました。選挙人名簿の確認です。私のもとには、東京都知事選の選挙案内(「投票場のお知らせ」と書いてある有権者票みたいなもの)が届かなかったのです。I区に転入して6ヶ月。それまではずっとフィリピン/タイで在外選挙人登録をしていたとはいえ、移行手続きは3ヶ月あれば終わるはずですので、とても心配に思っていました。
 この「地域センター」では、たいへん狭いところに期日前投票のブースが設けられていて、入口案内役1名、都選管の受付2名、投票案内・監視役4名がひしめきあうように、そうとう手持無沙汰な感じで座っていらっしゃるので、一挙一動に視線を感じます。受付の方に住民票の写しを見せて事情を説明したところ、彼は携帯を使ってどこか(おそらく都選管)に電話をかけはじめました。私の住民票に記載されている個人情報を、抑えた声で読みあげておられたのですが、「フィリピンから転入」というところになるとなぜか声のボリュームがアップ。(私の住民票には、本当にそう記載されているのです。)
 結果、私は都選管の選挙人名簿にはきちんと登録されていたものの、何らかの問題で選挙案内は郵送されていなかったことが判明しました。とにかく選挙権はあるとのことなので、せっかくですからその場で期日前投票をさせていただくことにしました。
 あとは、普通の選挙のプロセスと同じ。投票用紙を受け取って、「投票ブース」に行って、きわめて書きにくい鉛筆で候補者指名を記入して、この投票紙いくつに折ろうかなと逡巡して。
 (豆知識:投票用紙には形状記憶の特殊紙が使われていて、ちまちま折っても投票箱の中で自動的に開くのです。私は選挙の開票のアルバイトをしたことがありますが、たしかにほとんどの投票用紙はふんわり開いていました。)
 紙を投票箱に入れる瞬間、自分が日本の選挙制度を完全に信頼していることをいまさらながらに認識して、なんだかこみあげてくるものがありました。選挙案内が来なくても、電話でプライバシーを晒されても、それでも、秘密選挙は守られているのだという絶対的な信頼があったからこと、私は投票できるんだって。あの箱は実は空っぽかもしれないし、もしかしたら投票用紙には細工がされているかもしれない。そうしたら、私が誰に入れたかはすぐわかってしまう。そんなリスクを認識しながらも、いや、日本だからそれはないでしょう、という絶対的な信頼をもって、私はいま、投票するんだなって。
 投票後、4人の監視役の方々から「お疲れさま」と言われました。期日前投票にあの人員配置は多すぎるのではとか、フィリピンでは昨年5月時点で1000人に3人だったなとか、いやフィリピンでは選管要員以外にwatcherとかmonitorとかいう市民が投票場にゴチャゴチャいるから実は日本より多いのでは、とか考えながら、「地域センター」をあとにしました。出口では、「地域センター」の警備員さんと選管の関係者が、期日前投票の期間中の毎朝の施設解錠責任者を誰にするかをめぐって穏やかに揉めていました。こういうところ、日本ですね。
 たかが一票で、感慨に耽りすぎ。理性ではわかっているのですが、喜びの感情が制御できず、自分でも驚きました。在外の大使館で投票をしたときも嬉しかったけれど、在外選挙は国政選挙に限定されていますので、地方選への投票はとても久しぶり。それに、自分が、あの天下の東京都知事選に一票を投じられるということにも、心からの喜びを覚えました。東京都で生活して、東京都で仕事して、まだ半年しか経たない私ですが、それでもこうやって都政に関われるんだなーって。私は仕事上、都知事室の直通電話番号を携帯に登録しているけれど、「都民」として投票箱に紙を入れることは、それとはまったく別の話です。
 投票がこんなに嬉しいなんて。
 自分はそんなにも投票したかったんだ、やっぱり自分自身、選挙というものにすごく思い入れがあったんだな、と、恥ずかしくも新鮮に思いました。日本に帰ってきて良かった。
 投票用紙を記入して箱に入れるだけのこの作業に、こんなに思いが溢れてしまうということ。異常かもしれません。でも、この思いが味わえてよかった。選挙制度改革においても、選挙権を得られない方々への政策においても、よりリアルに仕事に携わっていける気がします。
 (ものすごく蛇足ですが、浦安市の選挙は延期したほうがいいと思います。物理的に投票率が確保できない時点ですでに問題でしょうし、それだけの人の「投票の喜び」が失われるのは見過ごすことができません。)

 私の住むI区では、都知事選の2週間後にもう一度選挙があります。区議・区長選(首長より議会のほうを先に言うのはおもしろいことだと思います)です。都知事選は期日前投票にしたのですから、区議選は当日投票をして、投票場の空気を満喫してきたいものです。
 もっとも、2週間で2度も選挙があるなんてすばらしい、とマニアックに喜ぶ私のような人はものすごく少数で、たぶんほとんどの区民は、
 「同じ日にしてよ、どうしてそんな二度手間を…!」
って思っているはずですが…。
 I区議選には、知人が無所属・新人で立候補しています。陰ながら応援しています。私の毎朝利用する駅の前で街頭演説をやっていただけたら、それこそ、メガホン運びでも傘持ちでもなんでもやりたいと思っているのですが、その駅は利用客も少なく、どう考えても街頭演説向きではないようです。残念。 
 あと、大阪の堺市議選にも、大学院の修士課程の同期だった友人が立候補しています。もう9年も前のことですが、彼は当時すでに衆議院議員の秘書をして、同期(といっても当時から5人しかいなかったのですが)で集まるたびに、議員秘書としてのおもしろおかしい日常を語ってくれました。私が議員秘書を志そうと思い立ったときも、彼の話がいつも念頭にありました。このたびは、彼自身が政治家を目指すということになったそうです。いわゆる「ガッツ」のある方ですから、頑張ってほしいと、心から応援しています。

 さっき、都内でもまた地震がありました。あわててNHKをつけました。
 震災1週間後までは職場でも自宅でもひたすらNHKをつけていましたが、NHKを見ていると本当に気が滅入るので、かといって民放は絶対に見たくないので(民放ニュースのキャスターのデリカシーのなさはこの世のものとは思えません)、最近は、自宅ではTVはつけず、職場ではCNN(一人でいるとき)かNHK BS(上司がいるとき)をつけています。クールなCNNを見ていても気分が滅入ることに変わりはないのですが、NHKよりはましかと。
 世界はこんなにも混沌に満ちているのに、私は幸せで、そのことが、とても幸せです。日本語として成立しない表現ですが、いまは、そうとしか言えません。
 そして、日本に帰ってきてよかった。

 もし叶うなら、私を育ててくれたこの国で、これからも生活したい。そう思います。
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# by saging | 2011-04-07 23:24 | その他
多様であること・学問をすること・幸せになること
 あの日から3週間。やっと再開されたスポーツジムに行き、大好きなインストラクターのBODY COMBATのクラスに出ました。地震とは関係なくここ2ヶ月は早朝か深夜にしかジムに行けなかったので、1ヶ月半ぶりのCOMBATです。美しい筋肉をもつ強靭な男性インストラクターに煽られながら、回し蹴りやバックキックのフォームに神経を集中させ、ムエタイの激しい動きにテンションを上げ、全員で気合の雄叫びをあげながら肩と腕の筋肉の限界に挑戦する、この昂揚感。この一体感。サイコーです。
 館内の電灯は暗く、プールの水温も低く、電力を使うマシンの利用は自粛、そんな環境ですが、もともとマシンにまったく興味のない私は、ジムが再開されたことを心から嬉しく思います。インストラクターも、ジムに来ている人たちも、とにかく皆、めちゃめちゃ元気だし。その溢れる体力とエネルギーを使うべく、被災地のがれき除去のボランティアに行っちゃった人もいます。日頃は「脳みそ筋肉」なんて揶揄されていた人ですが、「自粛すべきか、否か」とか、「どこの団体に義捐金を送るべきか」なんて頭の中でうだうだ考えているだけの人たち(私も含む)の不毛でネガティブな思考を一気に取っ払ってくれる思い切りの良さ。筋肉、万歳です。

 私は地下鉄通勤に戻りました。通常ダイヤの5割運転だったY線がここ2週間は8割運転になっており、かつ、他路線との相互乗り入れが停止されたことで、車内の混雑が以前並みになったからです。
明日からは相互乗り入れが復活するそうですので、もしもあまりに混むようなら、せっかくよい季節になったことですし、晴れた日は自転車通勤を楽しもうと思います。自転車って、素晴らしい乗り物です。電力不要なだけでなく、自家発電で電灯までつくんですから。

 さて、先日、Sammyさんからいただいた端的な、そしてとてもconsiderableなコメントに対して、ここでお返事したいと思います。

 帰宅後に開発援助についての本をめくりながら、「情報で頭がいっぱいであることが生む偽りの万能感」から来るストレスを、「何も考えず献身的に動く」ことで発散しようとして、その先に一人一人の生身の人間が、それぞれの生をユニークに生きていることが見えなくなり、「私(たち)助ける人、彼らかわいそうな助けられる人」という構図を抽象的に固定したまま、おのれの立場、能力、体力を忘れて「献身的ないい人」になろうとしていることに気づかさせられました。
 
 震災が起こったあと、私がいちばんに絶望したのは、twitterやFacebookやblogで書き込まれる研究者たちの数々の意見やつぶやきのなかに、「一人一人の人間がユニークに生きていること」を踏まえた視点が圧倒的に不足していたことです。
 私たちは、そのために学問をしてきたんじゃなかったのか? と思いました。

 逆にいちばん力づけられたのは、地震発生から1週間がたった週末からお彼岸にかけての3連休、上司が地元選挙区に戻り、統一地方選の候補者の事務所びらきや決起集会に出席したことでした。
 「こんなときに選挙なんて、国民を顧みない政治家のエゴだ」
という意見って、「国民」なるものをきわめて一面的にしか捉えていないと思います。こんなときに選挙なんて…というのは、市民派を名乗りながらも「市民」または「庶民」のことを一面的にしか理解していない人たちの発言だと思いますよ。(フィリピンなら「庶民」とか「市民」とかいう言葉を使うときにかなりの勇気を要するのですが、比較的簡単にこれらの単語を使えちゃうのが日本の素晴らしいところ。)
 日本の研究者(政治学者、そして人類学者も社会学者も)は、日本の「庶民」の政治活動についての認識が不足しすぎているのだと思います。タイやフィリピンの住民組織と政治行動についての論文はたくさんあるのに、日本の住民組織研究は政治的活動には踏み込まないようにしているようにみえます。
 日本の庶民は、ノンポリなんかじゃないと思います。統一地方選の告示が行われて3日目、選挙期間真っ只中の今日は、各地で候補者が全力を振り絞っています。そして候補者には、彼/彼女を支える後援会の方々、後援会じゃなくてもボランティアの方々が、本当にたくさんいるのです。大企業を退職された元役員のインテレクチャルな方々から、タフな自営業の方々、エキスパート主婦の方々、学生さんまで。地震の日も、そして、地震後の日々も、彼らは、日常をうまく生きるふりをしながら、寒風のなかを街角に立ち、事務所でチラシを刷り、エクセルとにらめっこし、各方面と電話で連絡を取って各種イベントの段取りをして、事務所びらきだの決起集会だののために椅子を運び入れ、街頭演説のために朝早くからメガフォンやたすきを持って電車に乗り…といった、そんな地道な後援会活動に従事してきたのです。そんな無駄な力があるなら被災地に行け、とかいう理論はナンセンスというか、民主主義を根本から否定する発言ですよ。
 市民派を自称する人たちが、原発について数々のネガティブな情報を収集して拡散させ、人々の不安を煽り、
 「統一地方選は全国で延期せよ、そんなことしている場合じゃない」
って叫んでいる間に、草の根民主主義は進んでいるわけです。そして、彼らの小さな活動は報道なんてされないわけで。NGOのイベントは、たとえ小さな「スタディツアー報告会」みたいなものでも新聞やTVのネタになるけれど、決起集会なんて報道されない。決起集会のほうが数としてはずっと多いはずなのに。NGOの活動はメディアで特集されるけれど、政治活動を行う人たちの日常って、日本のメディアでは放映されないんですよね。同じ「ボランティア」なのに。
 これまで私は、フィリピンでもタイでも、政治活動とNGO/NPOが近すぎることに驚いてきました。NGOが政党化したり、NGOが特定の候補者を支持したりといったことにも、ひどく違和感を覚えていました。
 でも、もしかしたら、日本が(さまざまな法律上の制限のせいで)それらを否定しているだけで、本当は、NGO的なものと政党政治って、きわめて性質の近いものなのかもしれません。

 私は決して原発推進派ではないし、原発反対運動を批判しているわけでもありません。ただ、せっかく「市民派」を名乗る人たちが、そして、ひとびとの多様性を論じ、解明することに全力をあげてきたはずの研究者が、とても多様でユニークであるはずの「市民」を一面的にしか想定することができないというのは、あまりにも悲しすぎます。
 みんな、不安に違いないのです。満員電車でひたすらむっつりしているオジサンたちだって、非難の目を浴びながら走っている地方選の街宣車を運転する人たちだって、何事もなかったかのように居酒屋のチラシを配っているお兄さんたちだって、居酒屋で消費をしている人たちだって、そして、駅前に立っている地方選の候補者たちだって。
 官邸の初動、与党の政策とくに原発政策、国会での予算審議、電力会社の対応…。批判をすることはよいと思います。ただ、もう少し、その背景にあるいろいろなことに対する配慮をしたほうがいいのではないでしょうか。特に、大学院で学問をしたような我々は。それができないなら、いったい私たちは何のために学んできたのでしょうか。
 
 震災の少し前から、私の職場は、さまざまなことで混乱していました。悪気はないのでしょうが興味本位でメールを送ってくる知人や、知った顔で分析を押し付けてくる研究者の友人(とくに政治学者や行政学者)に対し、私は、
 「この人たちはいったい何のために研究をしているのだろう」
と思い、ただただ勝手に苛立ちや失望を覚えてしまいました。尊敬していたはずの先生生方からも、ひたすら、高見からの評論や批判をいただき、政治ってそんなじゃないのに、とか、空気を読んでほしい、とか思っていました。政治を、あるいは人間を研究する立場にある人たちなのに、いったいどうしたらそんなにも他人に対する想像力を欠くことができるのか。学問なんて一抹の役にも立たない、とすら思いそうになりました。
 でも、やっぱり学問は大切だと思う。私は、政治学を勉強していなかったら、そしてフィリピンで学んでいなかったら、この数週間は、仕事を続けることはおろか、まともに生活なんてしていられかったと思います。
 空気を読めるところも読めないところも、いいところも悪いところも含めて、私たちの途方もない多様性。そして、そのなかで醜くも器用に生きようとする人たちの行動。それを政治と呼ぶのだと知っているからこそ、私は動じないで来られたのだと思います。

 こういうことをblogに書くといつも言われるのが、
 「NGOの多様性やユニークさをあなたはちっとも書かない。」
ということです。おっしゃるとおりなのですが、それは、私が書くまでもなく、NGO活動をされている方々は感情豊かで、かつ、それを表現する方々が多いので、それぞれのblogなりなんなりで目一杯に感情を吐露されているからです。NGOに携わる人たちのblogには、イベント開催までの苦労話、スタディツアーでの心の揺れを詳細に記載したものも多くあり、「文化祭の準備がどれだけ大変で、どれだけいろいろなことがあったか」を作文に書き連ねるティーネイジャーみたいな文章が、たくさんあります。逆に、「政治家の決起集会を開催するのがどれだけ大変だったか」、「街頭演説にメガフォンや音響設備を調達するまでの感動物語」みたいなblogは探しても見つからないのです。  私はそのバイアスを指摘したいだけで、決して、NGOは一枚岩だとか、NGO従事者はみな感情的だとか、そんなことを言いたいわけではありません。

 地震発生後、私のところに、
 「これで、原発は危険ってわかったでしょう」
という勝ち誇ったような強い言葉をちりばめたメールが、西日本の複数の「自称NGO活動家」から送られてきたのは事実です。計画停電エリアから自転車で永田町に通ってる私は、少なくとも彼らよりはエコなはずですが、こういう人たちに何を言っても仕方がありません。
 
 計画停電を知ったときは、けっこうショックでした。だって信号機も街灯も消えるんですよ。
 電気がなくても大丈夫。冷蔵庫なんてなくても大丈夫。フィリピンではそういう生活をしてきたじゃない。
 何度もそう思おうとしてきました。
 でも、コンテキストが違いすぎるんです。
 たしかにフィリピンでは停電ばかりでした。大型台風が来たときは、街灯も信号機も消えました。真っ暗な水浴び場にろうそくを灯して、ドラム缶や巨大バケツの中の溜め水で水浴びをする。それはそれで苦労があります。暗いぶん、ゴキブリやヤモリがどこにいるかわからなくて恐怖でした。石鹸も、目で見えないと、どのくらい落ちているのかよくわからないし。
 でも、それとこれとは違うんですよ。
 2分ごとに来ている電車が4分ごとになることがどれくらいの恐怖とパニックを引き起こすかは、2分ごとに来る電車に乗って通勤している人でないと、決してわからないと思います。私も東京に来るまでは、何も2分おきに地下鉄を走らせなくたっていいだろうと思っていました。違うんですって。これまで2分おきに走っていた地下鉄が4分おきになるということは、ただでさえ混雑した電車の中に2倍の人々が詰め込まれるということなのです。
 東京で働いているかぎりは、
 「電車が少ないから朝はゆっくり出勤します」
というわけにもいかないし、何が何でも、自転車ででも、定時に出勤して当然って顔をしていなくてはいけない。職場に着いてからスーツに着替えなくてはならない。夜は夜で、上司の日程が終わるまでは涼しい顔で事務所に残って、寒い中を1時間半かけて自転車で帰宅したら、家は停電って! この脱力感。そんな生活なのに、
 「フィリピンの農村を想像しろ。電気がなくても大丈夫。」
なんて言われたくない。事件は現場で起こってるんだ! フィリピンの寒村は現場に違いないけれど、東京の地下鉄もまた、まぎれもなく、現場です。フィリピンの農村では、アイロンをかけたスーツを着る必要はないでしょうに。
 私はマニラで働いていたとき、通勤には乗り合いタクシー(FX)を使っていました。さすがにジープニーは使いませんでした。だって、汚いから。通勤用のワンピースが汚れると困るし、朝から排気ガスたっぷりの外気をあびることは皮膚によろしくありません。きちんとしたスーツの日は、当然、タクシーで通勤しました。ジープニーに不満はないし、休日はジープニーを使っていましたが、ものごとにはTPOというものがあります。
 「このさい、日本はエコ国家のモデルになればいい。スーパーなんて多少暗くても大丈夫。」
という意見もきかれます。それ、なんだか懐かしい、と思ったら、私がティーネージャーだった10数年前に議論になった「ネ●トワーク地●村」の発想に似ています。いわゆるディープエコロジストの集団で、「お風呂は3日1回でもじゅうぶん清潔を保てます」とか、「電子レンジは本来、不要なもの」とか呼びかけていて、たまたま私の所属していたNGOのメンバーの一部がそれにたいへん感銘を受けてNGOを離脱したので、とても印象に残っています。「これを機にエコ」を叫ぶ人たちって、なんだか、あのとき地●村に感銘を受けていた人たちにそっくりです。
 
 震災発生1週間後からずっと、ポポポポーンより聞きあきたのが、ニュースをつけるとどの局でも深刻な面持ちのキャスターが繰り返す、
「さて、私たちには何ができるのでしょうか。」
という言葉。
 日本の人たちには本当に、平等ではなくてはならない意識、何かしなくてはならない焦燥感が強いですね。楽しみを封じ込め、自粛どころか他粛を強いる姿勢には、本当に、驚きます。
世界にはご飯が食べられない人がいること、フィリピンにはゴミを拾って生きている子供がいることを、テレビで初めて知った、すごくピュアな日本の小学生が(あるいは、スタディツアーに参加したいい大人が)ショックでご飯が食べられなくなってしまうのはよくあることで、私は決してそのことを冷笑しようとは思いません。私自身も、12歳のときにインドのスラムで見たあまりに衝撃的な事実にショックを受け、自分の愉しみのためにお金を使うことを避けようとしたり、同じ組織の友人と一緒に勝手に飢餓に抗議するハンストをしてみたり(ちっともストじゃない)といったことを、10代のあいだじゅう繰り返してきました。「何かしなくては」という気持ちにも、「自分だけこんなに幸せでいいのだろうか」という気持ちも、不思議だとは思いません。
 震災においては、「非被災者は過度に自粛すべきではなく、お金を使って経済を動かすのも大切」という救いのマジック・ワードが出回っていますが、南北問題においては誰も、「君がお金を使うことで世界経済が回ってひいては貧しい人々も救われる」なんて言ってくれません。いくらなんでもそこまでお気楽なトリックル・ダウン思考はないでしょうし、私の消費が貧しい人々の貧困をより固定化する、という思考のほうが論理的にも自然なのですから。
 でもこれは、階級格差のきわめて少ない日本人に特有の価値観なのかもしれません。フィリピンの友人たちから、
 「どうして日本人は決まってパヤタスを見たがるのか。」
と訊かれるたび、「罪悪感(sense of guilty)」という言葉で説明してきたけれど、まあフィリピンではまったく理解されない価値観ではあります。
フィリピンを含む途上国で、生まれながら死と向かい合わせの貧困のなかで生きる人たちから学んできた私たちは、このくらいで不謹慎とか言っていたらそれこそ生きていけない、ということを指摘するべきなのでは?と思います。でも、それを指摘したところで特に誰も幸せはならないから、逡巡しています。

 言うなれば、みんなで頑張ってこの危機を乗り越えて内面的に成長しましょう、ってことなのでしょうか。陳腐すぎて苛々しますが、それしかないのでは。世界には飢餓があるのに自分は贅沢に幸せに生きていることが許せなかったティーネージャーのとき、私をいちばん救ってくれたのは、
 「贅沢もあなた自身の成長の糧になる。あなたは、エチオピアでの国際会議に出席しなさい。35万円あればエチオピアで井戸が掘れる、そのことを知っているあなたが、35万円かけてエチオピアに行くことに意味があるのです。」
という言葉でした。私はそのことを、通っていた高校の朝の集会で話しました。私だってそのころは、ごくピュアな高校生だったのです。
 あの時の35万円が、エチオピアに掘る井戸以上の価値があったのかどうか。私はいまも自問します。マニラで働いていたときも、永田町で働くいまも。

 「このままでいいのか」「何かしなくちゃ」という焦り、そしてそれらを誤魔化すための過剰なほどの饒舌が、制御できないエネルギーとなって、そこここに放出されている気がしています。この3週間、ずっと。
 インターネットに接続すれば、「政府は信用ならない」、「自分の身は自分で守らなきゃ」、「助け合わなきゃ」といった、口にしてどうするの、と言いたくなるような陳腐な言葉があふれています。わざわざ事務所に来て、「大日本帝国本営のニュースなんて信用できません」と言い放って帰って行った記者さんもいました。何がしたいのか。そんな物騒な、というか、刺激的すぎる言葉を使うようなデリカシーのなさでどうして政治部の記者をつとめていられるのか、と私は問いかけようかと思いましたが、もちろん、やめておきました。

 ただ、皆が負のエネルギーを出し合っていることを、こうして足を引っ張り合っていることを、認めて、受け入れるしかないのだと思います。
 だってもともと、日本ってそういうところじゃないですか。きわめてネガティブな。
 地震の翌日、一斉にネットにあふれ、ツイートされまくった、「非常時に略奪もせずに列に並ぶ日本人を外国人が絶賛したニュース」や、「首都圏の鉄道がすべて止まったあの晩に出会った人の優しさに関する体験談」。そして、「日本人でよかった」、「がんばれニッポン」と自らを鼓舞する言葉。でも、本当は皆、日本人はそんなに美しくなんかないということを知っているのです。絶対に並ばずに人を押しのけて我先に電車に乗り込む人々なんて、首都圏のみならずどこにでもいます。他人のカバンが当たっただけで睨む人、子供連れを睨む人々。そして、そんなふうに他人を睨んでいる人たちを睨む人。ちらっと見てため息をつく人。ドアが開くと、「すみません」も「降りますので空けて下さい」の一言もなく、黙って他人を押しのける人々がほとんどです。無言のプレッシャーをかけあう他人同士。この日本社会は、そんな負の空気で満たされています。そんなの、電車通勤している人なら、誰でも知っていること。ただ、皆、できるだけそこに目を向けないようにしているだけ。阪神大震災でも略奪は起こったという事実を、誰もが、話さないようにしています。
 こうしたネガティブなエネルギー、受け入れたうえで昇華させないといけないのでしょうけれども…。

 すでに私もたくさんのワルグチをここに書いてしまいました。
 どうしたらこの連鎖を断ち切れるのでしょうか。
…という、この言葉すらもすでに使い古されていて陳腐でどうしようもない。

 私自身があまりに饒舌になってしまい、地震の翌日から、ものすごくたくさんの言葉が浮かんで、何か書きたくてしかたがありませんでした。これではいけないと思って2週間は自重しましたが、いまも、言葉が溢れて止まりません。
 本来、私は、コトバを発することができないうちは何も口にしないのが美徳だと思っています。私のblogの更新頻度が低く、かつ、一回の投稿が長いのは、ある程度まとまったコトバが溜まった時にしかblogを書かないことにしているからです。blogって、自己の逡巡を見知らぬ他人に公開するという破廉恥かつハタ迷惑な営みに他なりません。そのなかで敢えてblogを更新するには、それなりのオチや結論や「言いたいこと」が必要だと思っています。それは私が、「人は、ある事象に対する言葉を探して作るのではなくて、先にある言葉に事象や感情をフォローさせるのだ」という記号論的世界観を信じているからです。
 それなのに。無駄な言葉ばかり垂れ流してしまう自分を恥じながら、でも、言葉を書かざるを得ないのです。

 最後に、せめてものつぐないに、贅沢で幸せなエピソードを二つ。

 ひとつめ。先日、仕事で知り合った方々から、夕食のお誘いをいただきました。場所は六本木ヒルズ。ヒルズどころか六本木が初めてな私は、駅から会食の場所まで20分は迷い、どうしてこんなにあちこちに標高が書いてあるのかとドキドキしました。
 でも、本当に素敵なところでした、六本木ヒルズ。「自粛」のせいか、レストランはガラガラでしたが、
 「こんな素晴らしい場所があるのだから、東京都民はもっと幸せになればいいのに。」
お招きくださった方の一人が、そうおっしゃいました。私も、これからはもっと六本木ヒルズを探索してみたいと思っています。とてもゆったりした時間が流れていました。幸せになれますよ。

 ふたつめ。震災直後の月曜日、仕事でお世話になっている某省の方が突然、事務所に来訪。私は慌てて、節電で薄暗い事務所の電気を付けました。彼はいくつかの書類を示したあと、カバンからおもむろに、デパートの包装紙に包まれたメープルシロップ入りジンジャーシロップと、お洒落なココアパウダーを出して私に手渡しました。
 「私たち官僚から、sagingさんへ。ホワイトデーです。熱いお湯で割って、温まってください。今日からすぐですよ。もうすぐ春ですから、早く飲んじゃってくださいね。熱湯を使ってくださいね。そういうところを節電しないでくださいね。」
あたりまえのことしか言っていないのに、言葉のひとつひとつが、とても、心に響きました。官僚の皆さん、ありがとうございました。いま思えば、ホワイトデーだったあの日がいちばん忙しかったはずなのに、そして彼らもとても不安だったはずなのに、その心の余裕が、とても嬉しかったです。ココアもジンジャーシロップも本当に美味しくて、どちらも、あと1回分しかありません。あまり大切にとっておくと叱られそうですから、明日あたり、飲みきってしまおうと思います。
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# by saging | 2011-04-04 01:01 | その他
生まれ変わったとしても
 こんなにblogを更新し続ける、この饒舌さが異様だと思いますし、無駄な言葉を遣いすぎているだけだと思いますが、それでも。

 さきほど、ほとんど毎日顔を合わせている記者さんに、
 「ずっとバタバタしておりまして…。恐れ入ります。」
と言ったら、
 「お互い、本当に。年始のエジプト政変から、ずっとバタバタですね。」
と言われました。
 年始のエジプト政変…。ニュージーランドでの地震すら、もはやずっと昔のように感じられますが、そういえば、中東政変があり、東アジアでもいろいろあり、そして日露問題があり、今週末には日中韓外相会談が予定されていたのでした。
 わかっていたつもりですが…改めて。世界は動いてるんですよね。
 為替だの援助だの原発問題に伴う退避勧告だので、「世界が日本に注目している」のは確かです。
 「世界中が日本を応援してくれている」
というメッセージは、被災したすべての方々にそう届けたい。心からそう思います。その優しさに、ありがとうございます。
 でも、ジコチューかもしれないけれど、ただ「祈ってます」とか言われても、ねえ。
 私がFacebookに書きこむたび、
 「君は無事か? 祈っています!」
 「家族は無事か? 一緒に祈っています!」
というようなフィリピンの友人たちからのコメントをもらうのですが…、「私も家族も無事です」って1週間前にメールを送っているのにその書きこみって単なるマルチポストじゃないのかとか、フィリピン人って本当に空気読めないな、とか、フィリピンの祈りって軽いからな、とか…いろいろ思います。

 世界は、これまでの論理で動いている。原発が落ち着いたら、いつ、「支援」が「批判」に変わるかわかりません。外交は同情じゃないし、世界経済は自己利益の追求に基づいています。いつまでも「特別扱い」を期待するわけにはいかないでしょう。

 なんというか。日本にとって、そういう時期が、来ているのだと思います。
 革命は起こらず、そして政権交代があっても特に変わりのない国・日本。いまさら「転換点(turning point)」だなんて使い古された軽々しい言い方はどうかと思うし、かといってこの程度で「移行期(transitional period)」とか言ってしまうのは、激動の他国との比較においていかがなものかと。だから、「そういう時期」としか表現できません。
 タガログ語の”may panahon”とか”ganitong panahon”とかは、そのあたりをけっこう含んだ表現だと思うのですが。英語だと、ちょっとニュアンスが強すぎる気がします。
 思うように動くことのできない政権与党の先生方にとっても、我が上司にとっても、やはり、「そういう時期」なのだと思います。いろいろな人たちに、いろいろなことを言われますが、天が、必要な人材に対し、しかるべき時期と立場を与えて下さるまで、いまいる場所で努力を続けるしかないのだと、そう思います。

※※※

 ドラマ『外交官黒田康作』の最終回を観ました。地震速報をはじめとするニューステロップ、そして鳴りやまない電話に中断させられながらも。
 このドラマ、私は本当に好きでした。かなり無理のある設定(要人警護は警護官がやることだし、あんなにネクラな副大臣秘書官ってありえませんし、外務大臣室がショボすぎるし、etc)で、ミステリーとしても外交官モノとしてもどうなの?と思ったこともありましたが、好きでした。唯一、霜村さんの検死を行ったあの医師がいったい何者だったのかが最終回に至ってもわからないのが心残りですが、もうどこかで解き明かされていましたっけ?

 「こんな国をつくるために官僚になったわけじゃない。」
超・月並みですが、いい台詞ですね。
 「忘れていたんですね、私は。初めて霞が関に足を踏み入れたときに抱いていた気持ちを…。官僚の本領は、政権が代わっても部署が変わっても政治の意向に従って粛々と仕事をすることだ(と思っていたけど違った)。」
こういうのも素敵。あと、外務大臣が、副大臣に向かって言った言葉も良かった。
 「正しいと思ってやったことなんでしょう。…それは、私も同じでしたけれどね。」

 このドラマ、なんというか、人を裁かないところが、本当に良かったですよ。

 官僚たちが国際会議を前にバタバタしたり、国際会議を舞台袖でそっと見守ったりする場面も好きです。

※※※

 ここ数週間(地震が起こる前から)、官僚の方々にすごく助けられてきました。官僚に強い疑問を抱いたからこそ立法府での勤務を目指した私ですが、やっぱり初めから官僚を目指せば良かったのに、とか、生まれ変わったら官僚になりたい、とか、そんなふうにうじうじと思っていました。
 今回の地震が起こってから数日間は、生まれ変わったらもっともっと身体を鍛えて自衛隊に入りたい、と思い続けていました。
 落ち着け自分、って感じです。
 発想が短絡的すぎる。
 いま、自分ができることだけをしないと、結局は何に対しても無責任になってしまう。
 私が批判してやまない「自己満足ボランティア」と同じになってしまいます。

 今日からの三連休。もし仕事に支障がないと判断できたら、数時間でもいいから、西日本にある実家に帰省したいと思っています。今回を逃したら、次はいつ帰れるかわかりません。
 震災からはるか遠く、ごく普通の生活が営まれているらしい西日本。そこで淡々と要介護生活を送る父と、自宅で淡々と介護を続ける家族に会えば、少しは、周りを見回す余裕も出てくるのかもしれません。いずれにしても、もう少し、地に足をつけないと。
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# by saging | 2011-03-19 00:54 | その他
電気がなくても…
今朝は6時台の地下鉄で出勤しました。試しにホームに行ってみたら、拍子抜けするくらいに空いていたのです。そういえば、なんだか全体的に東京に人が少ないと感じる今日この頃。
 しかし夕方になって、海江田経産相が「今夜は大幅な電力不足が予想されること」を発表。国交省が鉄道各社にさらなる間引き運転を命じたと報道されました。
「このままでは、また帰宅難民になる可能性がある。一刻も早く帰らなくては。」
先輩秘書の冷静な判断のお蔭で、17時台に事務所を閉めました。幸い、私の利用しているY線はさほど混んでもおらず、普通に乗車。
 しかし、池袋より向こうへの運航は休止とのことで、池袋から歩く羽目に。18時15分。すでに池袋駅は人だらけで、入場制限中。改札を出るまでに10分、そして、駅から脱出するまでに10分。多くの人たちと共に歩き始めました。
自宅に到着したのは1時間半後。
 …明日からはやっぱり自転車にします。

 自宅の最寄りスーパーは今日も17時閉店。私はまだ自宅に食糧があるからいいのですが、これでは、仕事をしている人は買い物ができません。このような状況が続けば、週末にはさらなる買占めを助長してしまいます。
 西日本でも買占めが多発しているようですが、どうか、買占めをただ責めることだけはしないでください。だって、もしかしたら、私たちが非難の目を向けた人のその買占めは、いまだに水もガスも電気も戻らない千葉県や茨城県の親戚のためのものかもしれないんですよ。
 一度も会ったことのない赤羽在住のフィリピン人研修生/実習生から、人を通じて電話。狭い寮のアパートに8人で暮らしている彼女たちのお米が底をついたそうで、どこに行けばお米が買えるのか、と。貧しいフィリピン人には、「買い置き」なんて習慣はありません。調理油やお醤油でさえ1日分ずつ買うような人たちですから。
 「大丈夫、これは食糧不足なんかじゃない。皆が買い占めているだけのpanic buyingだから、数日で戻るよ。この数日間の分については、明日、上司に相談して。なんなら私が通訳するから。」
と答えたものの…。このフィリピン人たち、もしお米を発見したら、次は過剰に買うだろうな、と思います。8人分ですから…。

 東京都23区内でさえ、普通の生活を維持することなんて到底できないような、そんな毎日です。
 そもそも、本当に毎日、余震で揺れるんですよ。それだけで恐怖です。

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 写真は、17時半の永田町。
 夕陽が赤く国会議事堂を照らしました。一刻も早く地下鉄に乗ろう、と道を急いでいた先輩秘書は、この写真を撮るために立ち止まった私を止めず、
 「ああ、さっき、官邸も染まってたよ。」
とつぶやきました。
 地震発生以降、夜間ライトアップ(通常は8時まで)を自粛している議事堂ですが、本当に綺麗でした。ライトアップなんかより、ずっと。

 池袋から埼玉に向かって一緒に歩いていた人たちのバカ話。
 「(地震が発生した)金曜日の夜、ヒールを脱いでストッキングで歩こうとする女性がいっぱいいて、沿道のコンビニやドラッグストアから靴下が消えたんだよね。あるドラッグストアで、女性店員が、『代わりに軍手を履けばいいんじゃないですか? 私やってみます!』と言いながら軍手を足にはめてるのを見た。」
 ……。
 寒いなか感情を殺して黙々と歩いていた周りの人たちが、一瞬、びっくりした顔をしていました。何人かは突っ込みを入れていました。関東人なのにね。
 なんですか、その、フィリピン人もびっくりの発想。やってみるまでもなく、軍手は足にはまりませんって。一見たくましいように見えるけど、それは生活力ではありません。新聞紙で足をくるんでビニル袋で覆うほうが、はるかに効果的。

 それから。
 「計画停電のお蔭で、日本の少子化は免れた! 来年はベビーブーム!」
と、エレベーターの中で大声で喜んでいた秘書仲間。停電で出生率が上がるという科学的データがあるのは知っていますが、そんな声高にアピールしなくても、ねえ。それに、現行の計画停電は日中~夕方をターゲットにしており、深夜は停電しないんですよ。…ってわざわざ言うのも、ねえ。ビミョーすぎる。

 こんな状況だからこそ、みんな、幸せになろうとしているんだろうな、と思います。

 日頃からさまざまな形でお世話になっている警●庁の方々は、冗談を散りばめた携帯メールを送り続けて下さいます。(もちろん私用携帯で。)脱力するくらいバカバカしくて、くだらないメール。ほんとにアホやな~って思いますが、彼らからのメールが、私にとっては、どんなに、どんなに嬉しいことか。

 国を守る人たちの、そして国を動かすすべての人たちの優しさと強さに。
 ありがとうございます。
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# by saging | 2011-03-17 21:43 | その他
私たちが行動しなければ、だれが行動するのか?
 居宅を失われた方々、ライフラインを失われた方々の数が、報道されているかぎりでも…想像をじはるかに超えています。
 一時疎開、移転が必要な方々へ。東京都I区にある私のワンルームでよろしければ、いつでも来てください。当面の宿でも、一夜の宿だけでも、シャワーだけでも…いつでもお貸しします。私の直接の知人・友人だけでない方々でもかまいませんので。
 I区も本日から計画停電ですが、1日3時間ですから。どうか、我慢してください。

 未曾有の災害。あふれかえる避難者、まったく足りない救援物資、医療問題、そして、先の読めない原発事故。
 世論もメディアも、そういったことに集中しています。
 最悪の事態を想定せよ、と、そう言われます。最悪の事態というのは、おそらく、原発事故に歯止めがかからなくなった状態のことを指すのでしょう。
 でもね。最悪の事態を想定している人たちはすでにいるわけですよ。東電にも、原子力保安院にも、学会にも、米軍にも、もちろん、官邸にも、議員のなかにも、そして科学者の中にも。
 
 別の事態を想定する役割を演じる人たち(つまり、現在の緊急事態が終わった後にどうするかを考える人たち)の存在も、どうしても必要です。
 経済復興に向けてのさまざまな議論が、すでに、永田町では行われています。それは不謹慎なんかじゃない。夢物語じゃない。きわめて現実的な、そして、必要な議論です。
 阪神淡路大震災のときの経済復興に向けての政策提言は、震災後何日たってから着手されたのか。具体的にどのような法案が提出されたのか、その当時の国会の予算審議はどうだったのか。…そうした資料が、国会議員のあいだで、ずっと、回覧されています。

 与野党を超えて、さまざまな提言も行われようとしています。
 政府に要望を出し続けることも、官邸の対応を責めることも、原発撤廃の要求を行うことも大切です。
 原発輸出を推進してきた政権が「経済復興」なんて言えば、また「ネオリベ的発想だ」との批判を受けることは、もう、目に見えています。
 でも、この議論、いまやらなければ、いつやるの?
 市民社会の信頼の厚い辻元先生だって、これからはボランティア受け入れに専念してしまうのでしょう?
 ネオリベでもなんでも、彼らがやらなければ、誰がやるの? (フィリピンのマルコス政権下の活動家を描いた映画「シスター・ステラ・L」の台詞―“Kung hindi tayo kikilos, sino ang kikilos? Kung hindi ngayon, kailan pa?” 私たちが行動しなければ、だれが行動するのか? いまやらなければ、いつやるのか?)
 …を引用するのは、「不謹慎」ですか?
 
 市民によるボランティア精神も、いわゆる「市民感覚」も、原発批判も…、それはそれで大切なことです。
 でも、どういうわけか国民に選ばれてしまった代議士たちの言動もやはり、「彼らがやらなければ誰もできないこと」なのですよ。私たちが代議制民主主義の制度を選択しつづけるかぎり。
  
 国会議員というのは、慎重にみえて、きわめて大胆な人たちです。前例を踏襲しながらも、逆に、前例のないことに対してきわめて勇敢でもあることは、議員が官僚に比して、紛れもなくずば抜けている能力のひとつです。(官僚大好きで、官僚を心から尊敬している私も、そう思っています。)

 与野党すべての先生たちへ。どうかその能力を、そして政治家特有の鈍感さを、ここで存分に発揮してください。

 私の上司(ギイン)は、今回の災害発生後、率先してこれらの議論をリードしようとしていて、私は、そのことで上司をあらためて尊敬しています。ここ数週間、国会でも国会外でも本当にいろいろあったのに、まったく屈していないように見受けられます。パフォーマンスかもしれないけれど、それでも、私は上司を尊敬します。ずっとこの人に仕えたいと、そう思っています。
 「ここ数週間たいへんだった」のは、ギイン本人だけではなく、事務所の秘書たちも同じことです。ただでさえ綱渡り状態だった事務所内の「体育会系の人間関係」はことどとく破壊され、私たちは長い沈黙を続けました。でも、地震以前から、少しずつ、それらは回復されています。それも、より良い方向へ。 
 この上司の秘書で本当に良かった、と、実は、密かにそう思っています。あまり表立っては言えませんが。

 このようなことを書くとまたきっといろいろな方々から、ネオリベの保身だとかミギだとか言われるのでしょうが、批判を気にしていてはどこにも行けません。原発輸出を推進する人たちに加担してきた私ですから、いつかは裁かれる日が来るのでしょう。でも、いまはただ、できることをしたい。
 他方、官僚からはヒダリだと批判される私ですが、今日の夕方に放映された天皇陛下のビデオメッセージは、とてもありがたく、大切に思いました。タイほどではないとしても、皇室による国民への励ましって、私たち新人類以降の人間には考えられないくらい、大きなものがあるのだと思います。

 管先生、枝野先生、頑張ってください。どんなに批判があっても、私たちは最後まであなたたちを支えます。
 管事務所と枝野事務所の皆さん、長期戦になりますが、どうか耐えてください。頑張りましょう。

 …今回の地震を機に、議員会館での人間関係もすこしだけ柔らかくなった気がします。
 永田町は体育会系でや●ざ的な社会ですから、秘書の人間関係は、上司である議員の人間関係と同じでなくてはなりません。私たちはそんなふうに教育されているのです。給湯室で毎日顔を合わせる近くの部屋の秘書同士でも、たとえ同じ政党でも、勝手に気軽に仲良くなる…というわけにはいかないのです。
 でも、地震以来、その原則が、少しずつ融解してきている気がします。先週金曜日は交通機関のストップによって実に皆が帰れなくて、月曜日は交通機関の麻痺によって皆が出勤できませんでした。日頃は話したこともないような(でも顔見知りの)秘書さんと、
 「どちらにお住まいですか?」
 「おたくの先生の地元(=議員の選挙区のことです)は大丈夫ですか?」
など、党派を超えて初めてまともな会話を交わす機会が、少しずつ増えています。
 仕事以外の話題を口にしなかった先輩秘書(私の父親よりも年上であることは確実な男性)とも、少しずつ、他愛のない会話が増えています。
 同じ部屋で毎日一緒に働いている秘書同士がプライベートな話をまったくしないというのも、この世界のヘンな常識。…決して仲が悪いわけではないのです。私は彼を全面的に信頼し、どんな小さなことでも相談・報告していますし、TVニュースや国会中継を見ては感想を述べあいます。そして、平日も休日も、携帯で密に連絡を取り合っています。ただ、私はいまだに彼の自宅住所も経歴も家族構成も知りませんし、彼も私のプライベートにはまったく関与しません。それでも仕事はできるのです。
 でも、この災害を経て、やっと、お互いの居住地や最寄り駅、通勤手段を知らせ合うに至りました。
 地下鉄が怖いだなんて上司には口が裂けても言えず、普段は穏やかキャラを演じている私ですが、余震を感じるたびに直ちに机の下に潜り、議員のいる部屋に向かって、
 「先生ッ! 大丈夫ですか!?」
と絶叫。(ただ、壁が厚すぎて議員にはまったく聞こえていない様子。)先輩秘書は初めは驚き呆れていましたが、だんだん慣れてきたようで、最近ではネタにさえされます。そのことに、私はずいぶん救われています。

 最後に。政府関係者はいったいいつ休んでいるのか、ということがそろそろ問題になる時期だと思うので、ひとこと。
 プロ政治家、そしてプロ官僚というのは、休むことを知っている人たちです。だから、彼らに対して本気で、
 「休んでください」
なんて言う必要はありません。
 「いま働かないで、いつ働くんだ!」
という怒号が返ってくるに違いないのですから。
 心配しないで。本当にプロなら、不眠不休のように振舞いながらも、彼らは必ず、きちんと休んでいるはずです。そして、周囲にも休むことを強要しているはずです。私の上司も超多忙、いったいいつ休んでいるのかという感じですが、そうはいっても、それなりに休んではいます。私自身も、夜はできるだけ早く帰るよう、上司からいつも厳しく指示されています。ときには、きちんと家に帰っているかどうかをチェックされることすらあります。どうしてもきついと感じる場合は、上司のスケジュールを熟慮したうえで、自分から上司に対して、
 「明日は少しゆっくりいらしていただけませんか。私は10時までには出勤しますので。」
と申し出ることもあります。上司は、理由をきかずに快諾してくれます。(それは、部下である私がそんなことを上司に言い出すまでには相当の勇気と決意がいることを知っているからこそです。)
 「なんだと!? 俺も寝不足なのに…。」
と言い出す上司がいたとしたら、その人はモグリです。
 それでも、たとえば内閣官房の関係者が、心身の健康を害するとしたら、それは、自己管理不足とか周囲の不注意とかではなく、本当にそういうことなのだから…人類の自然に従った現象なのだから、もしそういうことが起こったとしても、あまりとやかく言わないでいただきたいと思います。
 心身ともに強靭すぎるように見受けられる閣僚も、政治家も、そしてそのスタッフたちも、皆、人間なのですから。

 こういう状況下ですから、どうか皆さん、お願いです。あまりピリピリしないで、他人にやさしくしてください。
 あなたが怒りを募らせる東電の職員にも、鉄道の係員にも、政治家にも、そして、こんなくだらないblogの書き手にも、もしかしたら、被災した家族がいるのかもしれないのですから。
 断定や否定や批判はもうやめて、次に進みましょう。
 お願いです。

 こんなマニアックな個人blogで「お願い」だなんて。
 しかも、よりによって、永田町から発信する「お願い」だだなんて。
 誰にもマトモに取り合ってもらえないのかもしれないけれど、
 それでも、お願いです。
 でもきっとこの世界はいま、天に届かなくてはならない緊急の願いであふれていると思いますから、その場合は、無理に天に届けてくださらなくてもいいですよ。
 ただ、助けを必要としている人たちのところに、少しでも、必要なものが届きますように。
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# by saging | 2011-03-16 22:42 | その他
私たちが学ぶことの意味
 いま起こっていることについて、私たちはどうすることもできません。事実を変えることは不可能なのですから。
 自分を含む「人間の心」についても同じことで、人が感じる不安や不安定さを変えることはできません。心の持ち方しだい、気分しだいで不安が軽減されるなんて、そんなのは大嘘です。
 でも、人は、不安を言葉で説明することによって、この先の不安を回避することができます。人間にとって最も恐ろしいのは「説明できない」事象がこの世に存在することなのですから。そのなかでも、「説明できない不安」というのは最大の恐怖だと、私は思います。

 私は「説明できない恐ろしさ」を孕む「政治」や「人と人との争い」や「組織と組織の対立」を、「説明できる」ようになるために政治学を勉強してきました。
 
 首相官邸を見下ろせる、電灯を消した暗い議員会館で、観ているだけで気が変になりそうなNHKをつけっぱなしにして、さまざまなところから実にさまざまな電話やメールやFAXが入り、メディアの人たちが足繁く出入りして情報だの憶測だの評論だのを残していく、そんな日々。今日の夕方、所用で外務省に行ったら、廊下が不気味なほどに真っ暗でした。どの省庁でも、災害に関係する部署の官僚はとんでもなくハイな状況にあることが伺える「過剰に冷静な話しぶり」だし、直接関係のない部署の官僚は、淡々と仕事をこなしている、ふりをしています。不気味すぎます。
 そして、普段から心臓に毛が生えている議員先生たちは、そのすさまじい鈍感力で、毎日、私を驚かせてくれます。
 こんななかでもまだ、気がふれずにいられるのは、政治学を学んだから、そしてフィリピンで政治を学んだからだと、そう思います。議員も官僚も、そして私たち秘書も、それぞれの役割を淡々と演じ続けている。そのように解釈できるから、私はまだ、まともでいられます。

 今回の災害発生後、私の心のいちばんの拠り所になっているのが、私が活動家だった中学生の頃(もう15年前、ちょうど阪神淡路大震災の頃です)の活動家仲間で、私が落ちこぼれ高校生だった時に物理・化学・数学の家庭教師をしてくださっていたfrecceさんのツイート。この方、ディズニーファンで浦安在住で、浦安のご自宅は液状化現象で断水で停電で大変なことになっているようなのですが、奥さまと0歳児の娘さんを避難させながらも、今回の放射能について、素人にもわかる言葉で、ツイッターで説明して下さっているのです。freceeで検索してください。いま思い出せば、15年前に出会ったばかりの頃も、私にとっては恐怖の対象でしかなかった「サリン」の分子構造(?)を図に書いたりされていました。
 「高校の科学なんて、物理なんて何の役に立つんですか?」
と訊いていた当時の自分が恥ずかしい。
 説明できないことを説明できるようになるために、私たちは勉強をして、研究をするのです。

 国際政治の大局にはまったく役に立たないフィリピン政治だけれど、そして国際社会ではほとんど役に立たないタガログ語だけれど、学んでおいてよかった。英字メディアとフィリピンのメディアと日本の報道のどこがどう違うのかを理解することができます。そのお蔭で、東京在住のフィリピン人研修生/実習生たちからの不安の電話に対して、私はそれなりの説明をすることができます。フィリピンにいる彼らの家族は、フィリピンのメディアやネットの英字ニュースを見て「東京もすでに放射能汚染されている」と、最高潮に心配しています。それなのに淡々と仕事を続ける日本人。計画停電が伝えられているのにガンガン稼働する工場。…フィリピン人研修生がパニックに陥るのは当然です。日本で報道されていることを(たとえば福島原発には6台の機械があってそれぞれがどういう状況にあるのかということ、英字メディアのソースが在日米軍であることなど)を、彼らが納得できるまで、詳細に説明します。英語とタガログ語を勉強しておいて、良かった。すこしでも。

 …なんて偉そうな言葉ばかり書いている私自身は、あいかわらず不安で地下鉄に乗れず、本日火曜日は、自転車通勤4日目。
 I区の自宅から永田町までの片道1時間半の道のりに、すでに慣れてきました。
 もともと、仕事前や仕事後にジムで走ったり跳んだり跳ねたり泳いだりしているので、1時間半の自転車くらい、なんでもありません。
 もう当分、これでいいんじゃないかと思っています。
 首都圏交通がパニックに陥った昨日月曜の朝は、朝6時に最寄り駅に行きましたが、おそらく同じように「念のため朝早く出てきた人たち」がホームにいっぱい。2台見送ってなんとか乗りましたが、通常はあまり乗る人がいないはずの次の駅でものすごい数の人が待っていて、このままでは万一地震が起こったらstampedeで圧死するんじゃないかと思って、いえそれ以前にこのまま車内で圧死するんじゃないかと思って、諦めて降りて、反対方面行の電車(郊外行きなので普段はガラガラなのにこちらも結構混んでいました)で元の駅に戻って、自転車で出直しました。時間のロスはあったものの、なんとか8時半には職場に到着。
 昨日までは、まず池袋に出て、池袋から明治通りを通って新宿まで行って(平坦で走りやすくてとても楽です)、それから新宿通りを通って麹町に出ていたのですが、今日の帰りは、最短距離を求めるべく、永田町から市ヶ谷、早稲田、目白通りを辿って要町に出てみました。途中で何度も地図を確認しなくてはならなかったのでまったく時間短縮にはならなかったのですが、もう少し慣れたら、きっともう少し短時間で通勤できるのではないかと思います。どなたか、言いルートをご存知の方がいらっしゃったらぜひ教えて下さいな。
 とはいっても、先輩秘書には「少量でも被曝する可能性はあるのだからやめなさい」と言われているし、気を付けているとはいえ事故も怖いし、そもそも雨が降ったら自転車通勤はできませんから、一刻も早く地下鉄に乗れるようになることを目指しているのは、言うまでもありません。
 でも、今回のことで、「仮に地下鉄に乗れなくても大丈夫なんだ」と学ぶことができた点では、つらいことばかりではなかったのだと、そう思うようにしています。
 そもそも、この災害よりずいぶん前から…そう、1月下旬に通常国会が召集されるちょっと前くらいから、仕事で本当にいろいろあって、そしてつい最近もいろいろあって、いつ働き続けられなくなってもおかしくないな、とは思い続けていました。だから、いまさら地下鉄に乗れないくらい、たいしたことではないとも思っています。

 原発。
 原子力保安院の会見と、東電の会見と、枝野官房長官の会見。なんというか答弁っぽくて回りくどいのは言うまでもありません。「何らかの爆発的現象」という日本語には、驚き通り越して感嘆すらしてしまいました。もしかしたら報道規制があるのかもしれないけれど、でも、暴言になることを覚悟で言いますが、もう、それでもいいです。だって、官房長官が深刻な表情でキビキビと、
 「念のために50kmは避難してください。首都圏にも放射能が来る可能性があります。」
なんて言ったら、それこそ大パニックじゃないですか。ああいう答弁っぽい話し方をすることも、政治家のひとつの務めだと思います。He is playing his role. パニックを煽るメディアの見出しよりは、よほどいい。確認された事実しか話さない。感想を述べるときはきわめて曖昧に。国会答弁で鍛えられたのかもしれないあの姿勢が、私を含め不安な人々をどれだけ安心させられることか。
 あと、TVに出てくる原子力専門家の先生の、あの冷静なお話ぶりにも、毎度、感動します。

 月曜日は、帰宅後スーパーに行ってみると、レトルト食品、冷凍食品、精肉コーナーの棚は空っぽ。トイレットペーパーなどの日用必需品の棚も空っぽでした。17時や18時で閉めるスーパーも続出しているようです。
 幸いというかなんというか、私は日頃から先輩秘書たちから、
 「常に予測して先回って行動せよ。」
 「議員が最優先、自分の衣食住を守ることは呼吸をするのと同じくらい当たり前。」
 「自分を守ることは上司に気を遣わせないため。」
というきわめて永田町的というか体育会的な厳しい指導を受けていますので、日用品も医薬品も地震前から事務所に買い置きしています。また、災害時にかぎらずいつ帰れなくても何ら不思議ではない仕事だと思っているので、自宅にも職場にもレトルト食品や着替えを用意しています。食べ物や医薬品も、常に持っています。こういうのって日頃は「ただの心配性」なのですが、非常時には役立ちます。
 そういえばマニラ勤務中も、何か起こるたびに上司から「危機管理がなっていない!」と叱られたり、オペレーションルームみたいなところに皆で閉じ込められて毎朝2時間しか帰れなかったり、イジメかと思うような指導を受けましたが、いま思えば、あれもすこしは役に立ちました。いまでは、あんなふうに指導した上司の論理もすこしはわかるし、すこしは感謝しています。

 さきほど夕方、議員会館内の中で、大きな荷物を抱えて
 「西に逃げる! もう戻ってきません!」
と叫んでいるどこかの事務所の女性秘書さん2人組に遭遇しました。直後に私が思ったことと言えば、
 「このままパニックが加速すると、新幹線に人が殺到して週末の議員の出張の切符が取れない可能性があるから、とりあえず早めに適当なものを買っておこう。」
という、限りなくエゴなことでした。そしてJTBに行くと、すでにパニックで関西行きの新幹線を買い求める秘書さんたちやがいて、
 「とにかく西に!」
と電話越しに航空券を注文しているらしい議員先生の声が聞こえてきました。
 自分以外でこんなにパニックになっている人を見るのは久しぶりです。

 今日、私の心に珠玉に響いた言葉。
おちまさとさんのblog記事 「『不謹慎』とは何か。」
西宮市議の今村岳司さんのblog

 言葉は毒を生むこともあるけれど、それでも、私は言葉を発したい。
 私は3年半来のパニック障害です。地震以前から東京の地下鉄にたった23分間乗ることが難しくて毎日休憩しながら通勤しているくらい。地震以前から世界が揺れている気がして外に出られない日があるくらい。空港では車椅子をお願いしなくてはならないくらい。
 でも私は、東京で働いています。
 この事実が、私以外の誰かの、「説明できない不安」を防ぐ助けとなりますように。

 私たち、ぜんぜん大丈夫じゃないけれど、怖くて不安で壊れそうだけれど、それでも、大丈夫ですよ。
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# by saging | 2011-03-15 23:54 | その他
パニックの前に
 首都圏でも、浦安など生活インフラが遮断された場所があるようです。
 友人の皆さん、もし大変だったら、お風呂でも一夜の宿でも提供しますから、我が家へどうぞ。フィリピン勤務時代のコンドミニアムとは違って本当にただのワンルームで、寝具もあまりないのですが。今回にかぎらず、東京で困っていらっしゃる方はいつでもご連絡ください。我が家のライフラインが揃っているかぎりにおいて、協力します。

 地震が起こってから読んだ文章のなかでいちばん救われたのが、内田樹先生のBlogでした。
 他人の批判をしないこと。臨機応変。そして専門家への信頼。

 私がツイッターへの書き込みはいっさいしませんが、仕事として国会議員を数多くフォローしてチェックしています。政治家だからって情報量が多いわけでは、決してありません。というか、政治家のツイートって普段から独特で、誤解を生む表現かもしれませんがまあいわばパフォーマンスです。
 日頃はなんとも思わないのですが、今回、私はそれらにひどくショックを受けてしまいました。
 「私たちは私たちが委託した専門家の指示に従って、整然とふるまうべきだろう。」
 内田先生が書いている「専門家」に政治家は含まれないのかもしれないけれど、それでも。与党でも野党でも、彼らの批判をしないこと。
 
 不安というのは、強敵です。日頃から不安が強く、平常時でさえ地下鉄に乗ることに困難を感じる私は、不安を軽減するためのさまざまな方法を、日々、試しています。

 ・自分が「不安である」ことを認識する
 ・「不安」の原因を追求しない
 ・人と話す
 ・他人に多少の迷惑をかけたとしても、不安でたまらないときは他人に電話をする
 ・不安を押して行動するときは、「私はいま不安を押して●●している」と確認する
 ・それ以外でも、つねに、自分の不安状況を確認する
 ・他人に「大丈夫ですよ」って言う

 電気がなくても、水がなくても大丈夫ですよ。
 昨年のチリの鉱山事故を思い出してください。
 2006年のフィリピン・マニラ首都圏を襲った巨大台風。すべてが停電し、水も止まり、真っ暗な晩が数日間続きました。朝が来ることがあれほど嬉しかったことはありません。
 2010年のフィリピン・マニラ首都圏を襲った台風と集中豪雨、1週間以上も電気も水も来ない事態が首都圏を襲いました。私のお世話になっていた家でも、ガレージの車が水に呑みこまれ、1階が完全に浸水するなか、同居の方々は、急速に溶けゆく冷凍庫内の食材をどう調理すればもっとも長持ちするかを冷静に考えながら手持ちのガスで手早く料理し、私のもっていたアロマキャンドルを泥水の入ったコップに浮かべて「なんてロマンチック」と言いあいました。
 人間はそんなにヤワじゃない。それが、私がフィリピンで学んだことです。
 地震発生後からずっと地下鉄に乗れずにいる私はヤワかもしれないけれど、「それでも大丈夫」と思えるから、強いはず。それでも出勤はしないといけないので、知人から自転車を借りて、昨日も今日も、自転車で通勤しました。もし私が本当に出勤できなくなったら、そのときは、自分が失業するだけじゃなく、上司もたいへんなことになります。…というのは予期不安。それも含めて、自分の不安は自分で認識するというのが大切だと思います。
 明日からは2時間の余裕を持って家を出て地下鉄通勤に臨むつもりですが、もし、それでもどうしてもだめだったら、自転車を使います。そのために必要な体力を蓄え、準備もしています。できるところまでやってみますよ。

 自分自身がすこしでも健康でいること、それがいちばん大切です。災害時にかぎらず、ずっと。
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# by saging | 2011-03-13 22:30 | その他
Happy Valentine 2011
 新年を迎えてからあっという間に1ヶ月半が経ってしまい、旧正月まで終わってしまいました。いまさらですが、May 2011 bring us happiness and fulfillment in our personal lives as well as in our professional work. そしてHappy Valentine!

 バレンタインっていいイベントだなあと、つくづく思います。非日常的なコミュニケーションの機会を拡大してくれる、すばらしいイベントですよね。
 今年もチョコレート、いっぱい用意しました。私の現在の職場は2人体制で、父親より年上の男性スタッフと私しかいないのですが、日々お世話になっているカウンターパート(?)のなかにはたくさん男性がいらっしゃるので。

 マニラで働いていたときは、部署内に日本人女性が私しかいなかったので、毎年、周りの日本人男性たちに配っていました。それから、なぜか期待しているらしいフィリピン人スタッフにも。
 男性陣がホワイトデーのお返しに皆さんで一流ホテルのケーキを買ってきてくれたときは、とても嬉しかったです。切り分けてコーヒーを淹れて皆さんに出すのは私の仕事でしたけれども、それでも、嬉しかったです。

 その前の仕事(フィリピン人研修生の通訳)をしていたときは、バレンタインデーの朝、普段どおりに東大阪の工場に業務通訳に行ったところ、研修生の皆さん(男性)からバラの花束をもらいました。午後に行った日本語教室でもやはり花束をもらい、夕方事務所に戻ると、周りから「そんなに花束用意して、これからどこ行くの?」って感じの好奇の視線。フィリピンではバレンタインは男性から女性に花を贈る日なんです、と、必死で説明したのですが…。

 ちなみに、マニラで暮らしていたときの、フィリピン人男性たちからの毎年のバレンタイン攻撃は、ここには記述できないほどでしたので、自分の胸の中だけにしまっておくことにします。
 いえ、ほんとに。すごいですよ、フィリピン人。
 情熱を求める方はぜひフィリピンへ。
 覚せい剤使用の容疑者が潜伏するだけの場所じゃないですよ。
 
 先日のロイターの記事でこんなのがありました。
 ロイター、すごいです。

 でも、もっとすごいと思うのは、上の記事を見つけた直後、マニラ勤務中にお世話になった元上司にさっそくお知らせしたら、
 「それについては昨日、東京のフィリ●ン大使館からもメールが来ました。また、同じ部署の男性からも問いあわせがありました。上司もまじえて、メイド焼肉などについて、話をしていたところです。今度、どこにあるか取材します。」
というメールがすぐに返ってきたことでした…。

※メイド焼肉とは、メイド服姿の女性従業員がサービスしてくれるマカティ市某所の焼肉店のことです。
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# by saging | 2011-02-13 22:33 | その他
長すぎる冬に思うこと
 クリスマスも年末も旧正月もすぎて、気がつけば2月中旬。日々迫りくる様々なことをこなしていくだけで精一杯な毎日ですが、お蔭さまで元気に過ごしております。食事はできるだけ自分で作っているし、大学生じゃないんだから睡眠時間はできるだけ削らないようにしているし、週5日は早朝でも深夜でもいいから時間をつくってスポーツジムに寄り、身体を鍛えるとともに精神をリラックスさせ、心身のバランスを保とうとしています。
どうしてもコントロールできない緊張とか不安はあるし、日々、仕事で出会う方々がことごとく「超人」なので、なんだか焦る一方なのですが、なんとかやっています。仕事はとても楽しいです。
 学術的活動のほうも、実に亀の歩みでしか進めていないのに、尊敬する先生方、先輩方のお蔭で、先日はN大学でフィリピン新政権について講演をさせていただく機会に恵まれました。某学会誌への寄稿依頼もいただきました。審査中の複数の科研のメンバーにも加えていただいています。ただただありがたくて、幸せです。これらの幸福を、きちんとお返ししていかないと。いつまでもボーっとしているわけにはいきません。

 ただ、日本の冬は長すぎます。もうかなり長い間、ずーっと冬が続いている気がします。
 日本は四季がある国とは言うけれど、1年の大半は冬なんじゃない?
 …そんなことを思ってしまうくらいです。
 東京の冬は、私の出身地の京都の冬よりはずっと暖かくて晴れの日が多く、日照時間が長く、空気も乾燥していて、洗濯物も気持ち良く乾きます。(京都の冬ってずーっと曇っていてすぐ雨が降るのです。)それに、私の住んでいるマンションの部屋は構造上とても暖かく、年末までは暖房を付けたことがなく、いまも、夜、帰宅後の2時間くらいしかつけていません。職場には大きな南向きの窓があり、晴れた日の昼間は明るい日差しのなか半袖で過ごせるくらいです。
 だから、私の体験している冬なんて、とってもあたたかいものだと思うのですが…。

 違うのです。寒いとか、寒くないとかいう問題じゃないのです。
 まずファッション。この冬が始まるまで、私は冬物をほとんど持っていませんでした。冬物のどこがお洒落なのか、いまだに、まったくわかりません。やっと買った冬用のスーツにも、夏・秋物のカットソーや半袖Tシャツを合わせています。ニットもコートも好きになれません。ニットはあの「すぐに洗えない感」が嫌いだし、コートは重そうで色が暗すぎて、ただの防寒具にしか見えません。コートは仕方なく買いましたが、12月中旬まではそれも着ず、タイで使っていたシルクやパシュミナのショール(20種類以上あります)で代用。
 1月早々にショッピングモールに行ったとき、冬服が一斉に70%オフになっていて、私は、
 「ああ、もう冬は終わりなんだ!」
と思い、来年のためにと思っていくつかの(冬服にしては涼しそうな)服を買い、コートをクリーニングに出しました。
 …冬を越すことがあまりに久しぶりすぎて、本当に寒いのは1月2月だということが思考からすっかり欠落していたのです。…それから1ヶ月がたった今も寒すぎる日々が続き、クリーニングから返ってきたコートと、「来年のために買った」冬服を着ています。
 雑誌を読んだり街を歩いたりしたけれど、冬のファッションって、結局、良さがわからないままでした。どうやって洗ったらいいのかわからない素材とか、すごく毛玉のできそうなニットとか、私には「無茶」としか思えないような重ね着とか。
 2月に入ってから、街のウインドウが少しずつ春仕様になって、ホッとしているところです。スプリングコートも買ったし、明るい色のスーツも買ったし(2月上旬にさっそく仕事に来て行ったら、顔見知りの方とエレベーターで会ったとき、「いくらなんでも気が早すぎ」って言われました)、毎回洗えるさっぱりした綿やポリエステルのカットソーも揃えています。早く春になってほしい。

 それから、冬という季節になってからいちばん耐えられないのが、通勤の地下鉄です。
 車内暖房がききすぎて、いつも空気が淀んでいます。朝5時台の電車に乗ってもすでに淀んでいるのはなぜ!? …車内が混み合っているときはときどき「いまから温度調節のため冷房を入れます」というアナウンスがあるのですが、冷房より何より、窓を開ければいいのじゃないかと思います。朝から全身が(肺まで)汚れてしまうような気がします。
 そして私は、他人と着衣が触れ合うことが嫌でしかたがありません。暑い東南アジアなら、ジープ(マニラ)や運河ボート(バンコク)のなかでこれでもかってくらいにギューギューに汗まみれで押し合っても、どうせ家に帰ればまずシャワーを浴びて着替えて、着たものはすべて洗うからいいと思えるのですが、コートやジャケットってシーズンに何度も洗わないものですから、他人と触れあうことに、ものすごく抵抗を感じます。特にファー。清潔感の欠片もないと思うので、もう、嫌でしかたがありません。地下に入るときも出るときも、全身に抗菌スプレーをかけています。
 というわけで、最近は、朝は1時間早く家を出て、途中の駅で降りてホームで休憩したり、場合によっては地上に出て次の駅まで歩いてからまた乗ったりしています。自宅の最寄り駅から職場までは9駅(23分)しかないのですが、その23分が耐えられません。防護服とか酸素ボンベとかが必要です。
 うまく言えないけれど、清潔でないもの、洗っていないものが苦手なのです。職場では、タイ製の肌に優しい消毒ジェルで30分おきに手指を消毒し、フィリピン製の強力な薬用アルコールでデスクや電話やドアノブを消毒しています。インフルエンザが怖いわけじゃないのです。怖いのは「人」です。

 こんなことを書くと「それは潔癖症」とか「それは強迫神経症」って言われるかもしれないけれど、私自身は決して日常生活に決定的な不便を感じているわけではありません。ただ、冬は生活がしにくい。ただ、それだけです。たとえば、冬の朝はなかなか起きられない人ってたくさんいるでしょう。でも、その人たちはいちいち、「冬に起きられない自分はオカシイ」と思って受診したりしませんよね。それと同様に、私は、23分間の地下鉄を耐えることができない自分のことを、そういうこともあるんだ、と思うことにしています。私は冬の朝でも普通に起きて1時間早く家を出られるし、場合によっては2時間早く家を出て途中でジムに寄ることもできます。そういうことはできるんです。そのぶん、他で不便が生じる。それだけのこと。

 そんなふうに日常生活のさまざまなところで不便を感じる人って、きっとたくさんいるんじゃないかと思います。でも、そのほかの部分でカバーできていて、そこそこフツーの日常生活をおくることができるなら、問題ないと思うのです。

 日本に戻ってきて驚くのは、そうした些細な不便とか不調とかを、まるで重大な病気や障害であるかのように問題視する人が多いということ。まだ罹っていないうつ病を心配しすぎておかしくなりそうな人もいるし、同年代の友人たちにきけば、子どもの言葉の遅れとかをすごく気にしてくれる周りの先輩ママたちへの対応だけで疲れるそうです。フィリピンのスラムにはものすごくたくさんの子どもが不衛生な路地で遊んでは病気になったり怪我をしたりしていたし、たくさんの病気の人がいて、みんな医療費で切羽詰まって困っていたし、その切羽詰まりようたるや日本の比ではなかったけれど、日本のような閉塞感はありませんでした。私が友人たちに、
 「スピードの早い乗り物には乗れないから長距離バスには乗れない。」
と打ち明けたところで、
 「まあ、そういう神経質な人っているよね。」
 「いるいる!」
 「だったらジープを乗り継げばいいんじゃない?」
 「なんならジープの運転手に50ペソ渡して『60キロ以上出さないで』って言えばいいんじゃない?」
と、誰もまったく気にも留めないのです。
 スタディーツアーで初めて貧しいコミュニティにホームステイしてショックで泣いて出てこない日本の女子大生とかがいても、
 「まあ、そういうことってあるよね。日本とは違うものね。」
でおしまい。

 いまさらながらに、私はフィリピンでとても大切なことを学んだと思います。超・月並みですが。

 フィリピンを思い出すたびに、あの暑さとあの海(この季節のダイビングは最高です)が恋しくなるのですが、フィリピンはフィリピンでかなり腹の立つことたくさんあったし、平気で人の心に入り込んでくる人たちに苛立っていたし、なにより汚くて不便で、あちらにいたときはずっと日本を懐かしく思っていたものだなあ、と思います。だから、いまも同じなのだと。相対的に「普通」とか「異常」なんてないのだから、こうやって暮らしていくしかないのだと。
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# by saging | 2011-02-13 22:24 | その他