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Keso de Bola とは、 「表面は赤いのに中は黄色い」フィリピンのボール型チーズ。転じて日和見主義者。       かつてお世話になった、現地の言葉で「灯台」と呼ばれるマニラ湾岸のスラムを、ガラス越しに。

by saging
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私たちが行動しなければ、だれが行動するのか?
 居宅を失われた方々、ライフラインを失われた方々の数が、報道されているかぎりでも…想像をじはるかに超えています。
 一時疎開、移転が必要な方々へ。東京都I区にある私のワンルームでよろしければ、いつでも来てください。当面の宿でも、一夜の宿だけでも、シャワーだけでも…いつでもお貸しします。私の直接の知人・友人だけでない方々でもかまいませんので。
 I区も本日から計画停電ですが、1日3時間ですから。どうか、我慢してください。

 未曾有の災害。あふれかえる避難者、まったく足りない救援物資、医療問題、そして、先の読めない原発事故。
 世論もメディアも、そういったことに集中しています。
 最悪の事態を想定せよ、と、そう言われます。最悪の事態というのは、おそらく、原発事故に歯止めがかからなくなった状態のことを指すのでしょう。
 でもね。最悪の事態を想定している人たちはすでにいるわけですよ。東電にも、原子力保安院にも、学会にも、米軍にも、もちろん、官邸にも、議員のなかにも、そして科学者の中にも。
 
 別の事態を想定する役割を演じる人たち(つまり、現在の緊急事態が終わった後にどうするかを考える人たち)の存在も、どうしても必要です。
 経済復興に向けてのさまざまな議論が、すでに、永田町では行われています。それは不謹慎なんかじゃない。夢物語じゃない。きわめて現実的な、そして、必要な議論です。
 阪神淡路大震災のときの経済復興に向けての政策提言は、震災後何日たってから着手されたのか。具体的にどのような法案が提出されたのか、その当時の国会の予算審議はどうだったのか。…そうした資料が、国会議員のあいだで、ずっと、回覧されています。

 与野党を超えて、さまざまな提言も行われようとしています。
 政府に要望を出し続けることも、官邸の対応を責めることも、原発撤廃の要求を行うことも大切です。
 原発輸出を推進してきた政権が「経済復興」なんて言えば、また「ネオリベ的発想だ」との批判を受けることは、もう、目に見えています。
 でも、この議論、いまやらなければ、いつやるの?
 市民社会の信頼の厚い辻元先生だって、これからはボランティア受け入れに専念してしまうのでしょう?
 ネオリベでもなんでも、彼らがやらなければ、誰がやるの? (フィリピンのマルコス政権下の活動家を描いた映画「シスター・ステラ・L」の台詞―“Kung hindi tayo kikilos, sino ang kikilos? Kung hindi ngayon, kailan pa?” 私たちが行動しなければ、だれが行動するのか? いまやらなければ、いつやるのか?)
 …を引用するのは、「不謹慎」ですか?
 
 市民によるボランティア精神も、いわゆる「市民感覚」も、原発批判も…、それはそれで大切なことです。
 でも、どういうわけか国民に選ばれてしまった代議士たちの言動もやはり、「彼らがやらなければ誰もできないこと」なのですよ。私たちが代議制民主主義の制度を選択しつづけるかぎり。
  
 国会議員というのは、慎重にみえて、きわめて大胆な人たちです。前例を踏襲しながらも、逆に、前例のないことに対してきわめて勇敢でもあることは、議員が官僚に比して、紛れもなくずば抜けている能力のひとつです。(官僚大好きで、官僚を心から尊敬している私も、そう思っています。)

 与野党すべての先生たちへ。どうかその能力を、そして政治家特有の鈍感さを、ここで存分に発揮してください。

 私の上司(ギイン)は、今回の災害発生後、率先してこれらの議論をリードしようとしていて、私は、そのことで上司をあらためて尊敬しています。ここ数週間、国会でも国会外でも本当にいろいろあったのに、まったく屈していないように見受けられます。パフォーマンスかもしれないけれど、それでも、私は上司を尊敬します。ずっとこの人に仕えたいと、そう思っています。
 「ここ数週間たいへんだった」のは、ギイン本人だけではなく、事務所の秘書たちも同じことです。ただでさえ綱渡り状態だった事務所内の「体育会系の人間関係」はことどとく破壊され、私たちは長い沈黙を続けました。でも、地震以前から、少しずつ、それらは回復されています。それも、より良い方向へ。 
 この上司の秘書で本当に良かった、と、実は、密かにそう思っています。あまり表立っては言えませんが。

 このようなことを書くとまたきっといろいろな方々から、ネオリベの保身だとかミギだとか言われるのでしょうが、批判を気にしていてはどこにも行けません。原発輸出を推進する人たちに加担してきた私ですから、いつかは裁かれる日が来るのでしょう。でも、いまはただ、できることをしたい。
 他方、官僚からはヒダリだと批判される私ですが、今日の夕方に放映された天皇陛下のビデオメッセージは、とてもありがたく、大切に思いました。タイほどではないとしても、皇室による国民への励ましって、私たち新人類以降の人間には考えられないくらい、大きなものがあるのだと思います。

 管先生、枝野先生、頑張ってください。どんなに批判があっても、私たちは最後まであなたたちを支えます。
 管事務所と枝野事務所の皆さん、長期戦になりますが、どうか耐えてください。頑張りましょう。

 …今回の地震を機に、議員会館での人間関係もすこしだけ柔らかくなった気がします。
 永田町は体育会系でや●ざ的な社会ですから、秘書の人間関係は、上司である議員の人間関係と同じでなくてはなりません。私たちはそんなふうに教育されているのです。給湯室で毎日顔を合わせる近くの部屋の秘書同士でも、たとえ同じ政党でも、勝手に気軽に仲良くなる…というわけにはいかないのです。
 でも、地震以来、その原則が、少しずつ融解してきている気がします。先週金曜日は交通機関のストップによって実に皆が帰れなくて、月曜日は交通機関の麻痺によって皆が出勤できませんでした。日頃は話したこともないような(でも顔見知りの)秘書さんと、
 「どちらにお住まいですか?」
 「おたくの先生の地元(=議員の選挙区のことです)は大丈夫ですか?」
など、党派を超えて初めてまともな会話を交わす機会が、少しずつ増えています。
 仕事以外の話題を口にしなかった先輩秘書(私の父親よりも年上であることは確実な男性)とも、少しずつ、他愛のない会話が増えています。
 同じ部屋で毎日一緒に働いている秘書同士がプライベートな話をまったくしないというのも、この世界のヘンな常識。…決して仲が悪いわけではないのです。私は彼を全面的に信頼し、どんな小さなことでも相談・報告していますし、TVニュースや国会中継を見ては感想を述べあいます。そして、平日も休日も、携帯で密に連絡を取り合っています。ただ、私はいまだに彼の自宅住所も経歴も家族構成も知りませんし、彼も私のプライベートにはまったく関与しません。それでも仕事はできるのです。
 でも、この災害を経て、やっと、お互いの居住地や最寄り駅、通勤手段を知らせ合うに至りました。
 地下鉄が怖いだなんて上司には口が裂けても言えず、普段は穏やかキャラを演じている私ですが、余震を感じるたびに直ちに机の下に潜り、議員のいる部屋に向かって、
 「先生ッ! 大丈夫ですか!?」
と絶叫。(ただ、壁が厚すぎて議員にはまったく聞こえていない様子。)先輩秘書は初めは驚き呆れていましたが、だんだん慣れてきたようで、最近ではネタにさえされます。そのことに、私はずいぶん救われています。

 最後に。政府関係者はいったいいつ休んでいるのか、ということがそろそろ問題になる時期だと思うので、ひとこと。
 プロ政治家、そしてプロ官僚というのは、休むことを知っている人たちです。だから、彼らに対して本気で、
 「休んでください」
なんて言う必要はありません。
 「いま働かないで、いつ働くんだ!」
という怒号が返ってくるに違いないのですから。
 心配しないで。本当にプロなら、不眠不休のように振舞いながらも、彼らは必ず、きちんと休んでいるはずです。そして、周囲にも休むことを強要しているはずです。私の上司も超多忙、いったいいつ休んでいるのかという感じですが、そうはいっても、それなりに休んではいます。私自身も、夜はできるだけ早く帰るよう、上司からいつも厳しく指示されています。ときには、きちんと家に帰っているかどうかをチェックされることすらあります。どうしてもきついと感じる場合は、上司のスケジュールを熟慮したうえで、自分から上司に対して、
 「明日は少しゆっくりいらしていただけませんか。私は10時までには出勤しますので。」
と申し出ることもあります。上司は、理由をきかずに快諾してくれます。(それは、部下である私がそんなことを上司に言い出すまでには相当の勇気と決意がいることを知っているからこそです。)
 「なんだと!? 俺も寝不足なのに…。」
と言い出す上司がいたとしたら、その人はモグリです。
 それでも、たとえば内閣官房の関係者が、心身の健康を害するとしたら、それは、自己管理不足とか周囲の不注意とかではなく、本当にそういうことなのだから…人類の自然に従った現象なのだから、もしそういうことが起こったとしても、あまりとやかく言わないでいただきたいと思います。
 心身ともに強靭すぎるように見受けられる閣僚も、政治家も、そしてそのスタッフたちも、皆、人間なのですから。

 こういう状況下ですから、どうか皆さん、お願いです。あまりピリピリしないで、他人にやさしくしてください。
 あなたが怒りを募らせる東電の職員にも、鉄道の係員にも、政治家にも、そして、こんなくだらないblogの書き手にも、もしかしたら、被災した家族がいるのかもしれないのですから。
 断定や否定や批判はもうやめて、次に進みましょう。
 お願いです。

 こんなマニアックな個人blogで「お願い」だなんて。
 しかも、よりによって、永田町から発信する「お願い」だだなんて。
 誰にもマトモに取り合ってもらえないのかもしれないけれど、
 それでも、お願いです。
 でもきっとこの世界はいま、天に届かなくてはならない緊急の願いであふれていると思いますから、その場合は、無理に天に届けてくださらなくてもいいですよ。
 ただ、助けを必要としている人たちのところに、少しでも、必要なものが届きますように。
# by saging | 2011-03-16 22:42 | その他 | Trackback | Comments(2)
私たちが学ぶことの意味
 いま起こっていることについて、私たちはどうすることもできません。事実を変えることは不可能なのですから。
 自分を含む「人間の心」についても同じことで、人が感じる不安や不安定さを変えることはできません。心の持ち方しだい、気分しだいで不安が軽減されるなんて、そんなのは大嘘です。
 でも、人は、不安を言葉で説明することによって、この先の不安を回避することができます。人間にとって最も恐ろしいのは「説明できない」事象がこの世に存在することなのですから。そのなかでも、「説明できない不安」というのは最大の恐怖だと、私は思います。

 私は「説明できない恐ろしさ」を孕む「政治」や「人と人との争い」や「組織と組織の対立」を、「説明できる」ようになるために政治学を勉強してきました。
 
 首相官邸を見下ろせる、電灯を消した暗い議員会館で、観ているだけで気が変になりそうなNHKをつけっぱなしにして、さまざまなところから実にさまざまな電話やメールやFAXが入り、メディアの人たちが足繁く出入りして情報だの憶測だの評論だのを残していく、そんな日々。今日の夕方、所用で外務省に行ったら、廊下が不気味なほどに真っ暗でした。どの省庁でも、災害に関係する部署の官僚はとんでもなくハイな状況にあることが伺える「過剰に冷静な話しぶり」だし、直接関係のない部署の官僚は、淡々と仕事をこなしている、ふりをしています。不気味すぎます。
 そして、普段から心臓に毛が生えている議員先生たちは、そのすさまじい鈍感力で、毎日、私を驚かせてくれます。
 こんななかでもまだ、気がふれずにいられるのは、政治学を学んだから、そしてフィリピンで政治を学んだからだと、そう思います。議員も官僚も、そして私たち秘書も、それぞれの役割を淡々と演じ続けている。そのように解釈できるから、私はまだ、まともでいられます。

 今回の災害発生後、私の心のいちばんの拠り所になっているのが、私が活動家だった中学生の頃(もう15年前、ちょうど阪神淡路大震災の頃です)の活動家仲間で、私が落ちこぼれ高校生だった時に物理・化学・数学の家庭教師をしてくださっていたfrecceさんのツイート。この方、ディズニーファンで浦安在住で、浦安のご自宅は液状化現象で断水で停電で大変なことになっているようなのですが、奥さまと0歳児の娘さんを避難させながらも、今回の放射能について、素人にもわかる言葉で、ツイッターで説明して下さっているのです。freceeで検索してください。いま思い出せば、15年前に出会ったばかりの頃も、私にとっては恐怖の対象でしかなかった「サリン」の分子構造(?)を図に書いたりされていました。
 「高校の科学なんて、物理なんて何の役に立つんですか?」
と訊いていた当時の自分が恥ずかしい。
 説明できないことを説明できるようになるために、私たちは勉強をして、研究をするのです。

 国際政治の大局にはまったく役に立たないフィリピン政治だけれど、そして国際社会ではほとんど役に立たないタガログ語だけれど、学んでおいてよかった。英字メディアとフィリピンのメディアと日本の報道のどこがどう違うのかを理解することができます。そのお蔭で、東京在住のフィリピン人研修生/実習生たちからの不安の電話に対して、私はそれなりの説明をすることができます。フィリピンにいる彼らの家族は、フィリピンのメディアやネットの英字ニュースを見て「東京もすでに放射能汚染されている」と、最高潮に心配しています。それなのに淡々と仕事を続ける日本人。計画停電が伝えられているのにガンガン稼働する工場。…フィリピン人研修生がパニックに陥るのは当然です。日本で報道されていることを(たとえば福島原発には6台の機械があってそれぞれがどういう状況にあるのかということ、英字メディアのソースが在日米軍であることなど)を、彼らが納得できるまで、詳細に説明します。英語とタガログ語を勉強しておいて、良かった。すこしでも。

 …なんて偉そうな言葉ばかり書いている私自身は、あいかわらず不安で地下鉄に乗れず、本日火曜日は、自転車通勤4日目。
 I区の自宅から永田町までの片道1時間半の道のりに、すでに慣れてきました。
 もともと、仕事前や仕事後にジムで走ったり跳んだり跳ねたり泳いだりしているので、1時間半の自転車くらい、なんでもありません。
 もう当分、これでいいんじゃないかと思っています。
 首都圏交通がパニックに陥った昨日月曜の朝は、朝6時に最寄り駅に行きましたが、おそらく同じように「念のため朝早く出てきた人たち」がホームにいっぱい。2台見送ってなんとか乗りましたが、通常はあまり乗る人がいないはずの次の駅でものすごい数の人が待っていて、このままでは万一地震が起こったらstampedeで圧死するんじゃないかと思って、いえそれ以前にこのまま車内で圧死するんじゃないかと思って、諦めて降りて、反対方面行の電車(郊外行きなので普段はガラガラなのにこちらも結構混んでいました)で元の駅に戻って、自転車で出直しました。時間のロスはあったものの、なんとか8時半には職場に到着。
 昨日までは、まず池袋に出て、池袋から明治通りを通って新宿まで行って(平坦で走りやすくてとても楽です)、それから新宿通りを通って麹町に出ていたのですが、今日の帰りは、最短距離を求めるべく、永田町から市ヶ谷、早稲田、目白通りを辿って要町に出てみました。途中で何度も地図を確認しなくてはならなかったのでまったく時間短縮にはならなかったのですが、もう少し慣れたら、きっともう少し短時間で通勤できるのではないかと思います。どなたか、言いルートをご存知の方がいらっしゃったらぜひ教えて下さいな。
 とはいっても、先輩秘書には「少量でも被曝する可能性はあるのだからやめなさい」と言われているし、気を付けているとはいえ事故も怖いし、そもそも雨が降ったら自転車通勤はできませんから、一刻も早く地下鉄に乗れるようになることを目指しているのは、言うまでもありません。
 でも、今回のことで、「仮に地下鉄に乗れなくても大丈夫なんだ」と学ぶことができた点では、つらいことばかりではなかったのだと、そう思うようにしています。
 そもそも、この災害よりずいぶん前から…そう、1月下旬に通常国会が召集されるちょっと前くらいから、仕事で本当にいろいろあって、そしてつい最近もいろいろあって、いつ働き続けられなくなってもおかしくないな、とは思い続けていました。だから、いまさら地下鉄に乗れないくらい、たいしたことではないとも思っています。

 原発。
 原子力保安院の会見と、東電の会見と、枝野官房長官の会見。なんというか答弁っぽくて回りくどいのは言うまでもありません。「何らかの爆発的現象」という日本語には、驚き通り越して感嘆すらしてしまいました。もしかしたら報道規制があるのかもしれないけれど、でも、暴言になることを覚悟で言いますが、もう、それでもいいです。だって、官房長官が深刻な表情でキビキビと、
 「念のために50kmは避難してください。首都圏にも放射能が来る可能性があります。」
なんて言ったら、それこそ大パニックじゃないですか。ああいう答弁っぽい話し方をすることも、政治家のひとつの務めだと思います。He is playing his role. パニックを煽るメディアの見出しよりは、よほどいい。確認された事実しか話さない。感想を述べるときはきわめて曖昧に。国会答弁で鍛えられたのかもしれないあの姿勢が、私を含め不安な人々をどれだけ安心させられることか。
 あと、TVに出てくる原子力専門家の先生の、あの冷静なお話ぶりにも、毎度、感動します。

 月曜日は、帰宅後スーパーに行ってみると、レトルト食品、冷凍食品、精肉コーナーの棚は空っぽ。トイレットペーパーなどの日用必需品の棚も空っぽでした。17時や18時で閉めるスーパーも続出しているようです。
 幸いというかなんというか、私は日頃から先輩秘書たちから、
 「常に予測して先回って行動せよ。」
 「議員が最優先、自分の衣食住を守ることは呼吸をするのと同じくらい当たり前。」
 「自分を守ることは上司に気を遣わせないため。」
というきわめて永田町的というか体育会的な厳しい指導を受けていますので、日用品も医薬品も地震前から事務所に買い置きしています。また、災害時にかぎらずいつ帰れなくても何ら不思議ではない仕事だと思っているので、自宅にも職場にもレトルト食品や着替えを用意しています。食べ物や医薬品も、常に持っています。こういうのって日頃は「ただの心配性」なのですが、非常時には役立ちます。
 そういえばマニラ勤務中も、何か起こるたびに上司から「危機管理がなっていない!」と叱られたり、オペレーションルームみたいなところに皆で閉じ込められて毎朝2時間しか帰れなかったり、イジメかと思うような指導を受けましたが、いま思えば、あれもすこしは役に立ちました。いまでは、あんなふうに指導した上司の論理もすこしはわかるし、すこしは感謝しています。

 さきほど夕方、議員会館内の中で、大きな荷物を抱えて
 「西に逃げる! もう戻ってきません!」
と叫んでいるどこかの事務所の女性秘書さん2人組に遭遇しました。直後に私が思ったことと言えば、
 「このままパニックが加速すると、新幹線に人が殺到して週末の議員の出張の切符が取れない可能性があるから、とりあえず早めに適当なものを買っておこう。」
という、限りなくエゴなことでした。そしてJTBに行くと、すでにパニックで関西行きの新幹線を買い求める秘書さんたちやがいて、
 「とにかく西に!」
と電話越しに航空券を注文しているらしい議員先生の声が聞こえてきました。
 自分以外でこんなにパニックになっている人を見るのは久しぶりです。

 今日、私の心に珠玉に響いた言葉。
おちまさとさんのblog記事 「『不謹慎』とは何か。」
西宮市議の今村岳司さんのblog

 言葉は毒を生むこともあるけれど、それでも、私は言葉を発したい。
 私は3年半来のパニック障害です。地震以前から東京の地下鉄にたった23分間乗ることが難しくて毎日休憩しながら通勤しているくらい。地震以前から世界が揺れている気がして外に出られない日があるくらい。空港では車椅子をお願いしなくてはならないくらい。
 でも私は、東京で働いています。
 この事実が、私以外の誰かの、「説明できない不安」を防ぐ助けとなりますように。

 私たち、ぜんぜん大丈夫じゃないけれど、怖くて不安で壊れそうだけれど、それでも、大丈夫ですよ。
# by saging | 2011-03-15 23:54 | その他 | Trackback | Comments(0)
パニックの前に
 首都圏でも、浦安など生活インフラが遮断された場所があるようです。
 友人の皆さん、もし大変だったら、お風呂でも一夜の宿でも提供しますから、我が家へどうぞ。フィリピン勤務時代のコンドミニアムとは違って本当にただのワンルームで、寝具もあまりないのですが。今回にかぎらず、東京で困っていらっしゃる方はいつでもご連絡ください。我が家のライフラインが揃っているかぎりにおいて、協力します。

 地震が起こってから読んだ文章のなかでいちばん救われたのが、内田樹先生のBlogでした。
 他人の批判をしないこと。臨機応変。そして専門家への信頼。

 私がツイッターへの書き込みはいっさいしませんが、仕事として国会議員を数多くフォローしてチェックしています。政治家だからって情報量が多いわけでは、決してありません。というか、政治家のツイートって普段から独特で、誤解を生む表現かもしれませんがまあいわばパフォーマンスです。
 日頃はなんとも思わないのですが、今回、私はそれらにひどくショックを受けてしまいました。
 「私たちは私たちが委託した専門家の指示に従って、整然とふるまうべきだろう。」
 内田先生が書いている「専門家」に政治家は含まれないのかもしれないけれど、それでも。与党でも野党でも、彼らの批判をしないこと。
 
 不安というのは、強敵です。日頃から不安が強く、平常時でさえ地下鉄に乗ることに困難を感じる私は、不安を軽減するためのさまざまな方法を、日々、試しています。

 ・自分が「不安である」ことを認識する
 ・「不安」の原因を追求しない
 ・人と話す
 ・他人に多少の迷惑をかけたとしても、不安でたまらないときは他人に電話をする
 ・不安を押して行動するときは、「私はいま不安を押して●●している」と確認する
 ・それ以外でも、つねに、自分の不安状況を確認する
 ・他人に「大丈夫ですよ」って言う

 電気がなくても、水がなくても大丈夫ですよ。
 昨年のチリの鉱山事故を思い出してください。
 2006年のフィリピン・マニラ首都圏を襲った巨大台風。すべてが停電し、水も止まり、真っ暗な晩が数日間続きました。朝が来ることがあれほど嬉しかったことはありません。
 2010年のフィリピン・マニラ首都圏を襲った台風と集中豪雨、1週間以上も電気も水も来ない事態が首都圏を襲いました。私のお世話になっていた家でも、ガレージの車が水に呑みこまれ、1階が完全に浸水するなか、同居の方々は、急速に溶けゆく冷凍庫内の食材をどう調理すればもっとも長持ちするかを冷静に考えながら手持ちのガスで手早く料理し、私のもっていたアロマキャンドルを泥水の入ったコップに浮かべて「なんてロマンチック」と言いあいました。
 人間はそんなにヤワじゃない。それが、私がフィリピンで学んだことです。
 地震発生後からずっと地下鉄に乗れずにいる私はヤワかもしれないけれど、「それでも大丈夫」と思えるから、強いはず。それでも出勤はしないといけないので、知人から自転車を借りて、昨日も今日も、自転車で通勤しました。もし私が本当に出勤できなくなったら、そのときは、自分が失業するだけじゃなく、上司もたいへんなことになります。…というのは予期不安。それも含めて、自分の不安は自分で認識するというのが大切だと思います。
 明日からは2時間の余裕を持って家を出て地下鉄通勤に臨むつもりですが、もし、それでもどうしてもだめだったら、自転車を使います。そのために必要な体力を蓄え、準備もしています。できるところまでやってみますよ。

 自分自身がすこしでも健康でいること、それがいちばん大切です。災害時にかぎらず、ずっと。
# by saging | 2011-03-13 22:30 | その他 | Trackback
Happy Valentine 2011
 新年を迎えてからあっという間に1ヶ月半が経ってしまい、旧正月まで終わってしまいました。いまさらですが、May 2011 bring us happiness and fulfillment in our personal lives as well as in our professional work. そしてHappy Valentine!

 バレンタインっていいイベントだなあと、つくづく思います。非日常的なコミュニケーションの機会を拡大してくれる、すばらしいイベントですよね。
 今年もチョコレート、いっぱい用意しました。私の現在の職場は2人体制で、父親より年上の男性スタッフと私しかいないのですが、日々お世話になっているカウンターパート(?)のなかにはたくさん男性がいらっしゃるので。

 マニラで働いていたときは、部署内に日本人女性が私しかいなかったので、毎年、周りの日本人男性たちに配っていました。それから、なぜか期待しているらしいフィリピン人スタッフにも。
 男性陣がホワイトデーのお返しに皆さんで一流ホテルのケーキを買ってきてくれたときは、とても嬉しかったです。切り分けてコーヒーを淹れて皆さんに出すのは私の仕事でしたけれども、それでも、嬉しかったです。

 その前の仕事(フィリピン人研修生の通訳)をしていたときは、バレンタインデーの朝、普段どおりに東大阪の工場に業務通訳に行ったところ、研修生の皆さん(男性)からバラの花束をもらいました。午後に行った日本語教室でもやはり花束をもらい、夕方事務所に戻ると、周りから「そんなに花束用意して、これからどこ行くの?」って感じの好奇の視線。フィリピンではバレンタインは男性から女性に花を贈る日なんです、と、必死で説明したのですが…。

 ちなみに、マニラで暮らしていたときの、フィリピン人男性たちからの毎年のバレンタイン攻撃は、ここには記述できないほどでしたので、自分の胸の中だけにしまっておくことにします。
 いえ、ほんとに。すごいですよ、フィリピン人。
 情熱を求める方はぜひフィリピンへ。
 覚せい剤使用の容疑者が潜伏するだけの場所じゃないですよ。
 
 先日のロイターの記事でこんなのがありました。
 ロイター、すごいです。

 でも、もっとすごいと思うのは、上の記事を見つけた直後、マニラ勤務中にお世話になった元上司にさっそくお知らせしたら、
 「それについては昨日、東京のフィリ●ン大使館からもメールが来ました。また、同じ部署の男性からも問いあわせがありました。上司もまじえて、メイド焼肉などについて、話をしていたところです。今度、どこにあるか取材します。」
というメールがすぐに返ってきたことでした…。

※メイド焼肉とは、メイド服姿の女性従業員がサービスしてくれるマカティ市某所の焼肉店のことです。
# by saging | 2011-02-13 22:33 | その他 | Trackback | Comments(2)
長すぎる冬に思うこと
 クリスマスも年末も旧正月もすぎて、気がつけば2月中旬。日々迫りくる様々なことをこなしていくだけで精一杯な毎日ですが、お蔭さまで元気に過ごしております。食事はできるだけ自分で作っているし、大学生じゃないんだから睡眠時間はできるだけ削らないようにしているし、週5日は早朝でも深夜でもいいから時間をつくってスポーツジムに寄り、身体を鍛えるとともに精神をリラックスさせ、心身のバランスを保とうとしています。
どうしてもコントロールできない緊張とか不安はあるし、日々、仕事で出会う方々がことごとく「超人」なので、なんだか焦る一方なのですが、なんとかやっています。仕事はとても楽しいです。
 学術的活動のほうも、実に亀の歩みでしか進めていないのに、尊敬する先生方、先輩方のお蔭で、先日はN大学でフィリピン新政権について講演をさせていただく機会に恵まれました。某学会誌への寄稿依頼もいただきました。審査中の複数の科研のメンバーにも加えていただいています。ただただありがたくて、幸せです。これらの幸福を、きちんとお返ししていかないと。いつまでもボーっとしているわけにはいきません。

 ただ、日本の冬は長すぎます。もうかなり長い間、ずーっと冬が続いている気がします。
 日本は四季がある国とは言うけれど、1年の大半は冬なんじゃない?
 …そんなことを思ってしまうくらいです。
 東京の冬は、私の出身地の京都の冬よりはずっと暖かくて晴れの日が多く、日照時間が長く、空気も乾燥していて、洗濯物も気持ち良く乾きます。(京都の冬ってずーっと曇っていてすぐ雨が降るのです。)それに、私の住んでいるマンションの部屋は構造上とても暖かく、年末までは暖房を付けたことがなく、いまも、夜、帰宅後の2時間くらいしかつけていません。職場には大きな南向きの窓があり、晴れた日の昼間は明るい日差しのなか半袖で過ごせるくらいです。
 だから、私の体験している冬なんて、とってもあたたかいものだと思うのですが…。

 違うのです。寒いとか、寒くないとかいう問題じゃないのです。
 まずファッション。この冬が始まるまで、私は冬物をほとんど持っていませんでした。冬物のどこがお洒落なのか、いまだに、まったくわかりません。やっと買った冬用のスーツにも、夏・秋物のカットソーや半袖Tシャツを合わせています。ニットもコートも好きになれません。ニットはあの「すぐに洗えない感」が嫌いだし、コートは重そうで色が暗すぎて、ただの防寒具にしか見えません。コートは仕方なく買いましたが、12月中旬まではそれも着ず、タイで使っていたシルクやパシュミナのショール(20種類以上あります)で代用。
 1月早々にショッピングモールに行ったとき、冬服が一斉に70%オフになっていて、私は、
 「ああ、もう冬は終わりなんだ!」
と思い、来年のためにと思っていくつかの(冬服にしては涼しそうな)服を買い、コートをクリーニングに出しました。
 …冬を越すことがあまりに久しぶりすぎて、本当に寒いのは1月2月だということが思考からすっかり欠落していたのです。…それから1ヶ月がたった今も寒すぎる日々が続き、クリーニングから返ってきたコートと、「来年のために買った」冬服を着ています。
 雑誌を読んだり街を歩いたりしたけれど、冬のファッションって、結局、良さがわからないままでした。どうやって洗ったらいいのかわからない素材とか、すごく毛玉のできそうなニットとか、私には「無茶」としか思えないような重ね着とか。
 2月に入ってから、街のウインドウが少しずつ春仕様になって、ホッとしているところです。スプリングコートも買ったし、明るい色のスーツも買ったし(2月上旬にさっそく仕事に来て行ったら、顔見知りの方とエレベーターで会ったとき、「いくらなんでも気が早すぎ」って言われました)、毎回洗えるさっぱりした綿やポリエステルのカットソーも揃えています。早く春になってほしい。

 それから、冬という季節になってからいちばん耐えられないのが、通勤の地下鉄です。
 車内暖房がききすぎて、いつも空気が淀んでいます。朝5時台の電車に乗ってもすでに淀んでいるのはなぜ!? …車内が混み合っているときはときどき「いまから温度調節のため冷房を入れます」というアナウンスがあるのですが、冷房より何より、窓を開ければいいのじゃないかと思います。朝から全身が(肺まで)汚れてしまうような気がします。
 そして私は、他人と着衣が触れ合うことが嫌でしかたがありません。暑い東南アジアなら、ジープ(マニラ)や運河ボート(バンコク)のなかでこれでもかってくらいにギューギューに汗まみれで押し合っても、どうせ家に帰ればまずシャワーを浴びて着替えて、着たものはすべて洗うからいいと思えるのですが、コートやジャケットってシーズンに何度も洗わないものですから、他人と触れあうことに、ものすごく抵抗を感じます。特にファー。清潔感の欠片もないと思うので、もう、嫌でしかたがありません。地下に入るときも出るときも、全身に抗菌スプレーをかけています。
 というわけで、最近は、朝は1時間早く家を出て、途中の駅で降りてホームで休憩したり、場合によっては地上に出て次の駅まで歩いてからまた乗ったりしています。自宅の最寄り駅から職場までは9駅(23分)しかないのですが、その23分が耐えられません。防護服とか酸素ボンベとかが必要です。
 うまく言えないけれど、清潔でないもの、洗っていないものが苦手なのです。職場では、タイ製の肌に優しい消毒ジェルで30分おきに手指を消毒し、フィリピン製の強力な薬用アルコールでデスクや電話やドアノブを消毒しています。インフルエンザが怖いわけじゃないのです。怖いのは「人」です。

 こんなことを書くと「それは潔癖症」とか「それは強迫神経症」って言われるかもしれないけれど、私自身は決して日常生活に決定的な不便を感じているわけではありません。ただ、冬は生活がしにくい。ただ、それだけです。たとえば、冬の朝はなかなか起きられない人ってたくさんいるでしょう。でも、その人たちはいちいち、「冬に起きられない自分はオカシイ」と思って受診したりしませんよね。それと同様に、私は、23分間の地下鉄を耐えることができない自分のことを、そういうこともあるんだ、と思うことにしています。私は冬の朝でも普通に起きて1時間早く家を出られるし、場合によっては2時間早く家を出て途中でジムに寄ることもできます。そういうことはできるんです。そのぶん、他で不便が生じる。それだけのこと。

 そんなふうに日常生活のさまざまなところで不便を感じる人って、きっとたくさんいるんじゃないかと思います。でも、そのほかの部分でカバーできていて、そこそこフツーの日常生活をおくることができるなら、問題ないと思うのです。

 日本に戻ってきて驚くのは、そうした些細な不便とか不調とかを、まるで重大な病気や障害であるかのように問題視する人が多いということ。まだ罹っていないうつ病を心配しすぎておかしくなりそうな人もいるし、同年代の友人たちにきけば、子どもの言葉の遅れとかをすごく気にしてくれる周りの先輩ママたちへの対応だけで疲れるそうです。フィリピンのスラムにはものすごくたくさんの子どもが不衛生な路地で遊んでは病気になったり怪我をしたりしていたし、たくさんの病気の人がいて、みんな医療費で切羽詰まって困っていたし、その切羽詰まりようたるや日本の比ではなかったけれど、日本のような閉塞感はありませんでした。私が友人たちに、
 「スピードの早い乗り物には乗れないから長距離バスには乗れない。」
と打ち明けたところで、
 「まあ、そういう神経質な人っているよね。」
 「いるいる!」
 「だったらジープを乗り継げばいいんじゃない?」
 「なんならジープの運転手に50ペソ渡して『60キロ以上出さないで』って言えばいいんじゃない?」
と、誰もまったく気にも留めないのです。
 スタディーツアーで初めて貧しいコミュニティにホームステイしてショックで泣いて出てこない日本の女子大生とかがいても、
 「まあ、そういうことってあるよね。日本とは違うものね。」
でおしまい。

 いまさらながらに、私はフィリピンでとても大切なことを学んだと思います。超・月並みですが。

 フィリピンを思い出すたびに、あの暑さとあの海(この季節のダイビングは最高です)が恋しくなるのですが、フィリピンはフィリピンでかなり腹の立つことたくさんあったし、平気で人の心に入り込んでくる人たちに苛立っていたし、なにより汚くて不便で、あちらにいたときはずっと日本を懐かしく思っていたものだなあ、と思います。だから、いまも同じなのだと。相対的に「普通」とか「異常」なんてないのだから、こうやって暮らしていくしかないのだと。
# by saging | 2011-02-13 22:24 | その他 | Trackback | Comments(6)
東京コネタ集
 最近、東京メトロでよく見かける下のポスター。

 詳細は国土交通省のホームページにあるとおりなのですが、酔っぱらいの人の絵・・・「お土産持ってご機嫌なお父さん」がモチーフなのでしょうか・・・ベタすぎで笑ってしまいます。頭の上にちりばめられたいかにもテキトーな記号も笑えますし、そもそも、「酔っぱらいながら」っていう表現が可笑しい。いつも気になっています。

 今日の午後1時ごろ、池袋西口で信号待ちをしていたら、足元のおぼつかない、「池袋西口公園によくいらっしゃる感じの年齢不詳の小柄なおじさん」に、コンビニの場所を訊かれました。たまたま私の進行方向にファミリーマートがあったので、ではご一緒に行きましょう、と私は答えました。よろよろ歩きながら「いやあ、すみませんね、どうも酔っぱらっちゃいましてね」と陽気におっしゃるおじさん。微妙に距離を開けて歩いていたのですが、次の信号で立ち止まったとき、そのおじさん、突然、
 「えーと。実はですね。私、古畑任三郎と申します。」
と言いだしました。
 外見はあくまでも「池袋西口公園によくいらっしゃる感じの年齢不詳の小柄なおじさん」なのですが、口調とか動きとか「間」とかがあまりに田村正和の動作に似ていて、私は唖然としてしまいました。日本のエンタテイメントに疎い私ですが、古畑任三郎は知っています。そして、大好きです。
 しかし、いくらなんでもあまりの唐突さに、私は何の言葉も返せませんでした。
 無言でファミリーマートの前まで来ると、おじさんは、
 「どうも、ありがとうございました。いや、お嬢さん、あなたは心が綺麗な人だ…。人間は外見じゃあありませんよ。」
と、見事すぎる古畑口調(田村口調)を披露して、消えて行きました。
 しかし、私これでも30歳なのに「お嬢さん」ってあなた…。しかも、「人間は外見じゃない」って…。
 まあいいや、おもしろかったから。年末年始、暇があったらレンタルビデオ店で古畑シリーズを借りてきて観ようかな。

 そしてさっき、フィリピンから一時帰国中の友人Tさんと入った麹町のとある中華料理店。用意周到な彼はネットで調べて「麻婆豆腐が美味しそう」ということでお店を決定し、事前に電話予約まで入れてくれたそうなのですが、向かう途中、
 「実は、予約したときに名前を訊かれなかったんですよね。電話に出た人が厨房の人みたいで。それにしても、大丈夫かな。」
とTさん。そうですかー、と軽く考えながらお店に入ると、恰幅のいい、たしかに「厨房の人みたい」なマスターみたいな男性(以下、便宜上「マスター」と呼びます)が「あ、電話くださった方ですか」とテーブルに案内してくださり…って、どのテーブルもガラガラ。
 メニューを広げ、焼餃子を注文しようとしたTさんに、
 「今日はスープがおいしいんで、水餃子のほうがお勧めです。あと、小龍包。」
と強く主張するマスター。
 Tさん「…どうします?」
 私「…お勧めに従いましょうか。」
すると、さらに強気のマスター、
 「今日はできるものが限られてるんですよ。任せていただければ適当に作ります。」
・・・・・・。とりあえず、Tさんのいちばん食べたかった麻婆豆腐は「できます」とのことでしたので、それを注文して、ドリンクメニューを見て、久しぶりに二人で生ビールを飲もうと思ったら、
 「瓶しかありません。瓶も生も味、変わりませんよ。瓶のほうが安いし。」
マスター、ごり押し。
 「メニュー」、いらないんじゃ・・・。 
 でも、お勧めの水餃子は確かにスープがとてもさっぱりしていておいしく、小龍包は私の大好きだったマラテの蘇州料理店と肩を並べるほどのおいしさ。薄味なのですが、調味料なしでいただけました。麻婆豆腐も。
 そして満足のあまりすっかりリラックスして瓶ビールを空けてしまった私たち。うっかりデザートメニューを広げて注文しようとした矢先、マスターから「杏仁豆腐しかありません」と、とどめのダメだし。
 2時間くらいいたのですが、最後まで私たち以外のお客さんはなく、マスター以外の店員さんの姿もまったく見えませんでした。…きっと、祝日だったからですよね。麹町のいい場所にあるお店だから、きっと平日の夜は全メニュー注文可能で、すごく繁盛しているのでしょう。そしてあのごり押しマスターもきっと平日は厨房に専念されているのでしょう。
 …だとしても、次も休日に行きたいです。

 東京は人工的なところだと思っていたけれど、けっこう、いろいろおもしろいものですね。

 どうか皆さま、よきクリスマスをお迎えください。
# by saging | 2010-12-23 23:47 | その他 | Trackback | Comments(3)
グリーティングカード
 ペナンから戻って2週間。勤務以外の時間はひたすら、海外の友人たちへのグリーティングカード(あと、ペナンでお世話になった人たちへのお礼状も)の用意に没頭し、先日やっと、すべての発送を終えることができました。フィリピン125枚、タイ18枚、その他の国14枚。…交友関係の偏りが顕著です。
 住所録が膨らむ一方の「フィリピン」分を減らすため、FacebookやメールやチャットでGreetingsできそうなカジュアルな友人へのカード送付は省くことにしたのですが、それでもまだ、この数。これ以上は削れません。大学の先生と、前の職場で知り合った方々が半分くらい。あとは、インフォーマントになってくださったスラムの方々とか、ひとかたならずお世話になっている友人とか。
 市販のカードではなく自分で印刷したものを使ったのですが、それでも、郵送費だけでけっこうな額です。でも、マニラでクリスマスを過ごしたとしたら、会う人ごとにプレゼントを用意して、ガードマンや管理人さんにも心付けをおねだりされて、洗礼子(4人います)には奮発して、誰かのおうちやオフィスを訪問するときは(仕事でもフィールドワークでも個人的な用事でも)必ずチキンだのフルーツケーキだのワインだのハムだのパンシット(焼きそば)をだの持参して…と、ものすごく出費が続くので、郵送費くらい、たいしたことではありません。
 本当に、フィリピンのクリスマスはすごいです。このblogにも毎年書いているような気がしますが、体力と財力と精神力、あと胃袋力(?)がないと、とても乗り切れません。キリスト教国なのに、クリスマスは決して厳かな祭典ではなく、現金が飛び交うほどの世俗的でアホなお祭り。フィリピンに住んでいたときは、あのお祭り騒ぎについていくのが本当につらくて、バンコクに逃避したこともありました。いまでも思い出す、強烈にアホな思い出は…普段は真面目な顔をしているNGOスタッフたちが「バナナ早食い競争」に夢中になっていたこととか、12月初旬に仕事で某下院議員の事務所に行ったら昼間の3時なのにワインを出されて仰天したこととか、(当時の)職場に毎日のようにあらゆるギフトが届いたこととか、食パン4斤とマンゴージュース4ダースが某フィリピン人ビジネスマンから私宛てにギフトパックで届き(ギフトというか食糧支援!?)悩んだ挙句にロハス大通りのホームレス家族の皆さんのところに持っていったこととか、甘いものには食傷気味の日本人職員にとどめを刺すかのように手作りの檄甘チョコレートケーキを差し入れたKYな若いフィリピン人秘書に「これは嫌がらせでは?」と悩んだこととか、その職場のクリスマスパーティー(=フィリピン人スタッフの日頃の献身に感謝する会)で歌い踊りつつ司会を担当した私に当時の上司が「くれぐれもそのテンションを仕事には持ち込まないように…」とつぶやいたこととか、2006年12月に予定されていたセブでのASEANサミットがまさかの延期になって唖然とする外国人を尻目にフィリピン外務省はクリスマスパーティで盛り上がっていたこととか、トンドのチンピラ青年たちとのクリスマスパーティで「口にくわえたスプーンでカラマンシー(スダチみたいなもの)を運ぶリレー」と「生卵キャッチボール」を繰り広げたこととか、友人Wさんとクバオの路上で売られていたライト付きライター(ライトをつけるとセクシーな女性の写真が浮かび上がるもの)を買い占めて例のトンドのチンピラたちにあげたらとてもウケたこととか、余ったライターを私が持ち帰ってラッピングして職場の同じ部署の日本人男性たちにプレゼントしたらチンピラたち以上に大喜びされたことと(カラオケの選曲ブックを照らすのに使うんだそうです)…。
 クリスマスカードを書きながら、そんなことを思い出していました。そうそう、あのライター、その後、めっきり見ません。当時はクバオでもキアポでもあちこちで売られていて、たしか1つ20ペソ(40円)だったはず。もっと買っておけばよかった。我が弟たちにも一つずつプレゼントしましたが、喫煙者ではないのでライターを使う機会もないでしょうし、そもそも日本で「カラオケで選曲ブックをライターの明かりで照らす」というシチュエーションがどれだけあるのかもわかりませんので、きっともう、どこにいったかわからないでしょう。フィリピン在住の友人の皆さま、もし、クバオとかキアポの街角で見かけたら、ぜひ、ざっと40本くらい買っておいていただけませんでしょうか。もちろん、お代+手間賃+αはお支払いします。
 
 …などというイマジネーションだけでもお腹いっぱいになってしまいそうなフィリピンのクリスマス。カードも書き終えたので、今年はもう終了です。今週末からは、年賀状の準備にシフトします。私は日本で年末を迎えるのが5年ぶり。つまり、年賀状を書くのも5年ぶりです。30枚くらいの予定ですが、どうも書いているうちにいろんな場所でお世話になった方々を数珠繋ぎに思い出してしまうので、これから、もっと増えるかも…。
 せっせと郵便料金を支払って、内需拡大に貢献します。

 朝の永田町

 夜の永田町

 ふたたび、朝の永田町


 永田町は都会の中心なのにきわめて浮世離れした特殊な地域なのだと思います。地上には喫茶店やコンビニの一つもないし、監視カメラだらけだし、歩行者がとても少ないです。デモが行われるのはごく限られたエリア。私は一日のほとんどをオフィスですごします。オフィスは南向きで窓が大きくて明るくて暖かくて、東京タワーまで見えます(廊下からはスカイツリーも見えます)。自宅の周りはこれで東京都内なんですかって言いたくなるくらい緑がいっぱいの住宅街だし、通勤で使う地下鉄Y線も(特に7時台前半は)すいているし、こんなだからついつい、東京もいいな、って思ってしまいます。
 ほぼ毎日途中下車する池袋駅でも、最近やっと迷わなくなりました。
 でも昨夜、元上司のIさんにお酒をお付き合いいただくために新宿東口に行き、やっぱり東京ってコワイ、と思ってしまいました。「人波」っていう言葉がありますが、あれは、大波・高波・荒波です。
# by saging | 2010-12-10 18:39 | フィリピン(全般) | Trackback | Comments(4)
今日からペナン
 今日から5日間、マレーシアのペナンに行ってきます。7月末までいただいていた某財団のフェローシップのワークショップ。研究者だけでなく、芸術家や活動家など多様な分野の同期フェローが全員、各国から集って各自の研究成果を報告しあうのです。とても楽しみ。マレーシアに行くのも初めてです。
 
 いくら採用前から許可を得ていたとはいえ、こんな時期に1週間もお休みを許してくれる職場に感謝です。
 
 成田空港は展望ロビーとか屋外展望場とかがとても充実していてびっくり。あたりまえですが、関空よりずっと大きいですね。うっかりオノボリさん気分で写真を撮りまくってしまいました。少し前まで、私にとって空港というのは「やっと辿りつくだけの場所」で(飛行機が怖いからです)、登場前の時間を楽しむ余裕もなく、空港からも機内からも空なんて見ていなかったのですが、空港から見る空っていいですね。そして、空港って、いいところですね。今度は、何もなくても羽田に行ってみようと思います。
# by saging | 2010-11-19 09:43 | その他 | Trackback | Comments(2)
若手研究者の礼儀(反省)
 感動的なつくばでの学会から1日が経って改めて思うこと。
 国際会議をオーガナイズするって、本当に労力の要ることだと思います。参加者の半分くらいが外国人だったそうです。それも、日本ベースの研究者だけではなくてこのためにフィリピンその他からいらっしゃった方も多数。そのロジだけでも大変な作業のはず。基本パネル構成、公募パネル構成、そしてペーパーのアブストラクト審査…と、何年もかけて準備していただき、その都度、詳細なご連絡をいただきました。S先生はじめ実行委員会の皆様、本当にありがとうございました。今回の実行委員の先生方は中堅研究者世代で、たぶん学内でももっとも多くの業務を抱え、科研の業務も抱え、大変なお立場だと思います。

 私は先日、出身大学の「研究員」の資格をいただきました。議員秘書の肩書で研究活動をするわけにはいかないので、本当に幸いなことです。さっそく、尊敬する先生から、来年度申請分の科研の分担者としてのお誘いをいただき、初めて科研の書類というものを真剣に読みました。そして、書類の量と作業の多さにびっくり。申請してくださった研究代表者の先生に、ただひたすら、申し訳なく思いました。

 これまでずっとお世話になりっぱなしだった私たちもアラサー世代も、そろそろ恩返しをしないといけないと思わされました。何年後になるかわからないけれどこのような会議を企画して未来の研究を担えるように、そしてもっと下の世代にこのような機会を提供できるように、いまから準備しないといけないのかなと。そろそろ、自分の報告や議論に一杯一杯になるのではなくて、いまのうちから日々、同世代の研究者(日本人・フィリピン人に限らず)との交流を深め、人脈を広げ、もちろん自分たちの研究もより広げて深めていくことを考えないといけませんね。
 職を得るために、履歴書に書けるように業績を量産すること、規格に合うような(通るような)論文を書くこと、自分の書きたいことを論文に過剰にかぶせて自己満足すること。多かれ少なかれみんなそういうところがあって、それが、不安定な若手研究者の生存術なのだろうな、と思います。
 私はいつも、同世代の院生、あるいは非常勤の仲間たちが、教育者志望のくせに学生の指導とかTA業務についてあれこれこぼしたり(修行なんだからありがたくやればいいじゃん)、科研とかCOEとかその他様々な先生のファンド・プロジェクトに入れていただいているのに、研究会やシンポジウムのアレンジとか会計とか海外ゲストへの対応とか雑用に愚痴を言ったり(お金もらって研究機関でインターンしているようなものだからありがたくやればいいじゃん)、「自分の研究をする時間がない自慢」をしあっていることが疑問でしかたがなく、あなたたちの辞書には、「奉仕」という言葉も、「させていただきます」っていう言葉もないのか?と思って、心の中でかなり苛々することが多いのですが、自分のことに一杯一杯で周りが見えていないという点では私も負けず劣らず自己中だなあ、というかどうして私はそんなに「上から目線」なのか。今回、そう思いました。同年代や、少し上の世代の方々とお話しするなかで。
 私は研究職についていないこともあり、また、院生時代にあまり大学に居なかった(というより日本に居なかった)こともあり、日本の大学の常識がわかっていません。日本の文系の院生が苦労して通る道であるガクシンにも非常勤の公募職にも、ただの一度も応募したことすらありません。だから、それがどのくらい大変なことなのか理解していません。
 来年度の科研が採択されたとしても、私がフルタイム研究職についていないことや、所属機関である母校と現住所(東京)がとても離れていることなど、手続き的な面で、周りの方々や研究代表者の先生にあれこれとご迷惑をかけることは必至だと思います。申し訳ないかぎりです。

 上の世代に非礼を申し上げることも、そして横の仲間たちに甘えて迷惑をかけることも、決して消すことはできないので、下の世代に還元することが恩返しの一歩なのでしょうが、私のように研究職につかないということ(大学で教えないということ)は、つまり、下の世代に還元できる機会がないということで、これもなんだか、私だけフリーライドしているような気がします。って、これも実は一昨日、初めて気づいたのですが。仲良しの研究仲間が
 「僕らももっと下の世代を育てることに意識を向けないといけない」
って言うのをきいて、私はそういうことに本当に無頓着だなあと思いました。もっと意識して、別のところで補って還元できるように考えないとなと。
今回の学会を通じて、そんなふうに反省させられる瞬間が何度もありました。自分の報告に夢中になる前に、そして政治とかなんとか大きなことを言う前に、もう少しもうすこし周りを見渡さないと、きっと、人としてダメな気がします。
 
 いま、21時から開始された衆議院本会議での官房長官と国交大臣の不信任案の投票風景を観ています(ここで観られます)。フィリピンの議会だったら、こういうときは当の本人は立ち上がらないか、そもそも議場に現れないことが暗黙の了解で、それをdelikadesaっていうらしいですよ。礼儀、たしなみ、奥ゆかしさ、作法、または、文化的常識? 礼儀…って訳すのが一番近いのだと思っていますが、いまだに理解できない概念の一つです。
 予算案は明け方までに衆議院を通るのかなー。The night is still young.


写真は、日曜の朝のつくば。駅前からすでに何もなくてだだっ広いのに、都市開発のディテールに凝っているような、不思議な町でした。セグウェィでも走っていそうな感じ。駅前は夜になると妖艶なイルミネーションで彩られ、屋外メリーゴーランドも! 朝、ホテルのロビーでお茶を飲んでいるときに偶然お隣にいらっしゃった設営関係者の方曰く、メリーゴーランドはこの時期限定だそうです。クリスマスの時期になるとクバオのアラネタコロシアム前やコモンウェルスの空き地に突如として現れる、安全性にかなり疑問が残る簡易遊園地、"Fiesta Carnival"を思い出しました(…って、またマニアックなことを書いてしまいました…ついつい…)。
# by saging | 2010-11-15 22:19 | フィリピン研究 | Trackback | Comments(0)
つくばでの幸せ
 つくばから帰ってきました。幸い、行きも帰りもつくばエキスプレス(TEXっていうそうですよ)から振り落とされることもなく。
 楽しかった! 本当に楽しかったです。学会の内容も、自分の報告したパネルに関するnever-endingなディスカッションも、懐かしい方々との再会も、新しく知り合った方々とのおししゃべりも。1日目の晩は悪友たちと朝方まで飲みつづけてしまいました。はしゃぎすぎ。マニラに住んでいたときは彼らが来るたびにそんな飲み方をしていたことを思い出しました。

 前回のこの学会の開催は4年前の06年11月で、ちょうど私がマニラで働きはじめて半年が経った頃でした。フィリピンがASEAN議長国としてサミットを控えていたときです。無理に休暇をいただいて帰国して参加したものの、アカデミックな議論についていけないこと、周りの友人たちは学会だのガクシンだの論文だのと言っているのに自分は一向に博士論文執筆のめども立たないこと、フィリピンに住んで仕事をしているくせに自分自身はなんのアウトプットもできないことなどを思い知らされ、フラストレーションが募る一方でした。友人Wさんと一緒に泊った山谷の安宿で明け方まで愚痴をぶつけまくり、同席していたWさんの彼女(いまは奥さま)に多大な迷惑をかけたことはいまも鮮明に覚えています。

 その後もずっと私は、「フィリピンに住み、高給を受け取り、研究を続けるにふさわしい環境にあるのに思い通りに研究が進まないこと」とか、「自分のテンションをコントロールできないこと」とか、「フィリピン研究のインナーサークルはとても心地よいけれどそれに甘えて『フィリピンオタク』にはなりたくないこと」など、いろいろなアンビバレンツを感じ、「こんなはずじゃないのに」、「こんなことじゃだめなのに」と思ってきました。

 でも、年が経つにつれて、少しずつですが、いろいろなことを自分の中でうまく処理できるようになってきているような気がします。あいかわらずいろいろダメなんだけれど、まあいいか、と思えるようになったというか。
 私は結局研究職を志さず、フィリピンとはほとんど関係のない仕事につき、毎日、お茶を出したり電話を取ったり新聞をチェックしたりエクセルやアウトルックを操作したりしています。タガログなんて絶対話しませんし、日中はフィリピンのことなんてほぼ考えません。夜、家に帰ってから、あるいは朝、家を出る前に、数時間だけ本を読んだり、今回の学会報告のペーパーのようなものを書いたりするくらいです。努力があまりに不足しているし、本当に全然ダメだと思うのですが、それについてあまり不安とか焦りを感じなくてもすむようになってきました。30歳にしてやっと、少しずつ要領が良くなってきたかな、と思います。フィリピン研究仲間とマニアックな話題で盛り上がるのも、純粋に楽しめるようになりました。オタクだってまあいいじゃない? そのぶん、フィリピン以外のことも話せる自分になればいいんだから…と思うようになりました。何かがあって不安やパニックに襲われたとしても、「いま不安だ/いま自分はパニックだ…おとなしくしておこう。そう長くは続かないのだから大丈夫」と思えるようになりました。だからきっともう大丈夫。

 また1週間が始まり、仕事に追われ、緊張の続く職場での日々がずっと続いていきます。でも、私はそれを労働だとは思いません。以前は、フィ●ピン研究会や学会への出席は唯一の休息で休暇で娯楽で、それらは常に労働の対極にあるものだと思っていました。でもいまは、いわゆる「研究者」ではない自分が学会に出て政治学博士として報告したりコメントしたりすることにも、身体の休息や仕事の準備に充てるべき休日に学会に出てはしゃぐことにも、何の問題も感じません。それでいいのだと思っています。いろんな役割を兼ねながら生きることを楽しみたいのです。
 これまでは、学会や研究会が終わるたびに「この幸せをエネルギーにして明日からの労働を乗り切ろう」と思い、仕事で困難を感じるたびに「次の学会を楽しみに走ろう」と思っていたけど、いまはそんなふうには思いません。友人Aさんが以前に言っていたように、研究以外の仕事に従事するフルタイム労働者が、研究を、労働の対価としての休暇と捉えるなんて、おかしすぎます。いまはただ、「昨日も今日もいい日だった。明日からもいい日であってほしい」と思うだけです。結局はどれも、好きでやっているのだから…。

 この4年間でそういうことを教えてくれたすべてのフィ●ピン研究仲間の皆さんと、先生方と、マニラでお世話になった人たちと、マニラの元職場、あと、いまの職場に感謝しています。これからもしばらくは、物理的に可能なかぎり、仕事も学会もエフォート率100%でやっていきたいと思っています。(エフォート率は主観だから。まさか100になることはありません。でも、2つを足して100を切ることもないはず。)
 素晴らしい週末をありがとうございました。本当に楽しかったです。そして、幸せでした。
 フィ●ピン研究仲間の皆さま、これからもよろしくお願いします。
# by saging | 2010-11-15 01:46 | フィリピン研究 | Trackback | Comments(0)
国際学会@つくばを控えて

 この週末は、国際フィ●ピン研究学会@つくば。
 ものすごく楽しみで、興奮して眠れません。
 
 楽しみその1は、魅力的な学会プログラム。あたりまえですが、どの国籍のどの報告者が話すことも、すべて、フィリピンについて。プログラムを見ながら、わくわくですよ。世界各地からいらっしゃる著名な先生方のお話、期待で眠れません。
 
 楽しみその2は、尊敬する先生方、先輩方や旧友との再会! 本当に楽しみです。

 楽しみその3は、久しぶりにフィリピンどっぷり、地域研究どっぷりの学会報告ができること。
 私はここ1年以上、学会でも研究会でも講義でもその他いかなる場面においても、何かを報告・発表するときには、「かっちりした報告」をするようにしてきました。リサーチクエスチョン、仮説、分析枠組み、方法論、実証…と進む、オーソドックスなプロシージャーに則ることが、政治学博士/to be 政治学博士)の責任だと思っていました。地域研究者からはものすごく批判されましたが、地域研究から脱却したいとも思っていたのです。でも、勉強不足のため、比較政治の方々にはまったく及ばず。中途半端すぎます。
 加えて、ここ1年以上は、フィリピンマニアにはなりたくないとの強い思いから、タイや日本との比較を視野に入れた報告しかしてきませんでした。
 でも今回は、久しぶりに、全力でフィリピンについてお話させていただきたいと思っています。当Blogでもさんざん取り上げているNoel Cabangonにもスライドでご登場いただく予定。マニアックすぎですが、フィリピン・マニアばかりが集う場ですから! 友人のOさんもフィリピン武術アーニスについて報告するそうですし、4年前に開催されたときは「マッチョ・ダンサー」について報告した人もいましたから、Noel Camangonがちらっと登場するくらいは許されるはず。

 楽しみその4は、初めてのつくば。すごく遠いイメージがあったものですから、先日、秋葉原のつくばエキスプレスの窓口に電話をかけて、
 「事前予約は必要ですか」
と尋ね(新幹線に乗るときと同じようなものかと思って)、
 「いえ、普通の快速ですから。PASMOで乗れますよ。」
って言われて、恥ずかしく思いました。

 …と、とにかく、心待ちにしていた学会なのですが、ここで大問題。
 昨日初めて知らされた、つくばエキスプレスに関する衝撃情報。
 ・在来線でもっとも速く、時速130キロ!
 ・おまけに途中で地下を通る

 130キロ! 振り落とされませんかね?
 地下を通るときもハイスピードなのでしょうか。
 
 ますます気になって眠れません。

 友人の皆さん、もし明日、私が学会に遅刻したら、それは、寝坊ではなくてつくばエキスプレスに振り落とされたからだと思ってください。(って、言い訳にしか聞こえませんね。)

 昨日(金曜日)は仕事で極度に緊張するシチュエーションがあり、そのあとずっとドキドキして、電話応対とか普通の業務はできるものの、なんだかハイな感じで落ち着かず、学会報告の最終チェックにもまったく身が入りませんでした。いいかげん、もう少しうまく切り替えができるようにならないと。
 深夜にジムに行ってプールで泳ぎ、やっと少し落ち着きましたが、あいかわらず、楽しみと不安とで眠れず、かといって学会報告について何かよい案が浮かぶわけでもなく、30歳とは思えないそわそわっぷりです。遠足前の小学生みたい。

 でも、がんばります。本当に楽しみですよ。
# by saging | 2010-11-13 02:56 | フィリピン研究 | Trackback | Comments(0)
選挙と期待
 今日は、北海道5区の衆議院補欠選挙でした。
 明日は、フィリピンの全国一斉バランガイ選挙です。

 …同列に並べるなって感じですが、私は3年前のバランガイ選挙にものすごく燃えました。ケソン市B地区のスラムのバスケットボールコートに作られた特設ステージで、バランガイ議長に立候補している住民リーダーN氏が
「利用されるのはもう終わりだ!」
と叫び、Noel Cabangonが
「僕は将来を売らない。僕の票はとても大切なもの」って歌った瞬間に聴衆がすごい声を上げて拳を振り上げたあの晩、私は、全身の血の温度が上がるのを感じるくらいの昂揚感に包まれました。それが2007年10月。あれを超える感動にはあっていません。それくらいに感動を覚えてしまう集会でした。
 ちなみにN氏は、今年も立候補しています。
 N氏の活動するB地区のスラム一部は去る10月23日、強制立ち退きによって取り壊されました。首都圏の立ち退きなんてちっとも珍しくないのですが、同地区の住民組織は本当に強く、人間の壁をつくって撤去部隊と数時間も睨みあい、4人のリーダーが投石を受けて負傷。そのニュースは翌日のほとんどの主要紙に取り上げられていました。私も複数の友人たちからメールをもらって知り、びっくりして現地のリーダーたちに電話しましたが、
 「大丈夫。日本から祈っていてくれれば、それだけでいいから。私たちは勝つから、いまに見ていて。」
という、いかにもあの地域のリーダーらしく気が強い答えが返ってくるばかり。
 B地区はSM North EDSAやTrinomaのあるケソン市の一等地にあり、人間の壁が幹線道路EDSAを封鎖する形になったためにすさまじい渋滞がオルティガス地区にまで及んだそうで、私もフィリピンの友人たちから、
 「B地区ってあなたが入ってたとこじゃない? 大迷惑なスクワッターとして有名になったよ。」
と言われました。
 ちなみにB地区はエストラダ派の巣窟みたいな場所です。5月の大統領選直後、アキノ政権べったりのNGOが入ってきて、
 「アキノ政権になったからもう大丈夫、デモに行くのをやめろ。」
って説いて回っていたそうです。
 ぜんぜん、大丈夫じゃなかったじゃない! アキノ政権になった途端に立ち退きですよ。だったら、アロヨ政権のほうがましよ! 選挙前はNGOも政治家もいっぱい来てたけど、結局、誰も庇護してくれないんじゃない!
 …そりゃ、バランガイ選挙に自ら立候補するしかない、本当にそれしか道がないと、外から見ている私でも思いますよ。あれはひどい。
 アキノべったりのNGOの友人たちに、
 「アキノ政権、ぜんぜんpro-poorじゃないじゃん、よりによってB地区で立ち退き実施するって、大胆もいいとこでしょう。」
と言うと、
 「いや、あれはアキノ大統領の外遊中(ニューヨークでの国連総会出席中)に起こったことで、大統領の決断ではないはず…。」
とかなんとか。NGOのくせに、なんですか、その煮え切らない態度は。身内に甘すぎるよあなたたち!
 …でも、「リーダーの外遊中(それも、国連総会出席中!)に起こったことだから」を理由にしている…って批判、どこかの国にもそのまんまあてはまってしまう気がしますので、これ以上あれこれ言うのはやめておいたほうがよさそうです…。

 私は日本の日常の中で果たせない夢とかフラストレーションとかをフィリピンに被せて、勝手に期待していただけなのかなあ。日本の政治に深くかかわる仕事をするようになって、もちろん政治も選挙も大好きだし、日々、真剣に取り組んでいるつもりだけれど、私の現在の真剣さは、N地区のバランガイ選挙に向けるほどの熱い目線とか、心が震えるほどの共感とかには遠く及びません。「日本の有権者たる、自分と同じ普通の人たち」に対する自分の情熱の低さに、あきれてしまいます。いえ、もちろん情熱はありますが、フィリピンへのそれに比べてあまりにも低すぎるのです。
 「貧者のロマン化」的なスラム研究をいちばん嫌悪して、批判してきたつもりだったのに、私は自分の「見果てぬ夢」を勝手にスラムに投影して、フィリピンの人たちの行動を理想化して、自分がこうあってほしいと勝手に望む「民衆」像を、他国の貧困層の言動に勝手に読み込んでいるだけなのかもしれなません。
ここ2ヶ月くらい、ずっとそう感じています。

 もちろん、いまさら「自らの研究姿勢」に悩むほど私は繊細ではないし、たとえ悩んだとしてもそれをトロすることが許されるほどもう若くもないし、この週末もそういう感情を「なかったこと」にして学会発表をしてしまうくらいのずるさと器用さは身につけています。ほとんどのものごとは時間が経てばうまく消化していけるのだと思えるくらいの図太さも。そして、明日のバランガイ選挙でのN氏の勝利を祈れるくらいの図々しさも。
# by saging | 2010-10-24 23:01 | フィリピン研究 | Trackback | Comments(0)
常識
 昨日、池袋の地下街を歩いていたらハロウィン・グッズがたくさん並んでいて、とっさに、
 「もうすぐクリスマスだなー。」
と実感。
 ……。
 数十メートル歩いてからやっと、その思考のおかしさに気づきました。
 私の脳内はいまだにフィリピンのようです。
 (解説:9月になるとラジオからクリスマスソングが流れ、10月にはハロウィン・グッズとクリスマス・グッズが一緒に並ぶのがフィリピン的常識。)

 …そんな私ですが、おかげさまで無事、東京で勤務を開始しています。

 あまりに多くのことが周りをかすめていき、かつ、些細なことについても全体像が見えず、まるで、初めて空を飛ぶプロペラ機を構成するひとつの部品を止めているネジになったような気分ですが、私はいまのところ、とても元気で、幸せです。

・住居はとても快適。分譲タイプの1K(25平米)なのに、家賃は共益費込で約6万円。
・おまけに、日本では珍しい家具・家電つき物件。アイロンや時計、寝具、食器までついています!
・周りは団地なので安心。最寄駅までの道は緑でいっぱい。
・自宅から職場まではドアツードアで40分。地下鉄で1本、乗り換えなし。
・職場の窓がとても大きくて景色が良くて、空がよく見えます。
・自宅の窓も大きくて、空がよく見えます。

 ここ1年以上、海外で、無職で気ままな生活をしてきましたので、「スーツを着てメイクをしてヒールのある靴を履いて電車に乗って定時に出勤するという当たり前のことが、ふたたび、自分にできるのか」ということが、ずっとずっと不安でした。
 でもいまのところ、当たり前のようにできています。

 東京の深すぎる地下鉄、特にラッシュアワーは第一の鬼門で、自転車通勤の可能性すら考えていたのですが、フィリピンでお世話になった元上司のIさん(霞ヶ関勤務)が、
 「Y線なら大丈夫。他線より混まないし、そんなに深くないよ。」
と教えてくださったので、その言葉を全面的に信頼して、Y線沿いに住むことにしました。Iさんご自身も今年3月に長い海外生活を終えてフィリピンから日本に戻られ、通勤ラッシュに耐えられずリサーチを重ねた結果、Y線がいちばん良いという結論に達し、自宅から20分歩いてY線に乗り、職場は霞ヶ関なのにわざわざ桜田門駅から歩いておられるとのことです。
 乗ってみて納得。7時台でも、覚悟していたほどは混んでいません。新聞を広げて読めるくらいです。地下鉄にしては浅いし、あまり揺れないし。「前後の列車との間隔」を理由にしょっちゅう遅れているようなのですが、遅れているといっても朝なら2分おきに来るのですから、京都人の私には、まったく気になりません。
 Iさんには、本当に感謝しています。

 普通に地下鉄を使って出勤することができて、仕事先で出されたコーヒーを飲んでも心臓がドキドキしなくて、車の助手席に座っても怖くない。そんな些細なことがとても嬉しくて、とても幸せなことだと思います。
 
 1ヵ月前は東京のすべてに違和感を覚えていて、そもそも人とうまく会話をすることができなくて、不動産業者の方々に日本語で雑談を振られることすら苦痛でした。そうそう、PASMOの使い方もこちらに来るまでまったく知りませんでした。
 なんだか私は、当たり前のことを知りません。非常識すぎる。海外にいたときも、ヘラルドトリビューンと日本の主要各紙のウェブサイトはチェックするようにしていたし、向こうで手に入る日本の週刊誌のまとめ読みもしていたのですが、そんなことでは全然足りませんね。あたりまえですが。自宅で日経を取るようになって(職場には主要紙が全部あるし)、本当にそう思います。日本の新聞紙面の情報量ってすごい。
 あと、TVも意識してみるようにしています。私は実はTVが好きではなく、フィリピンの仕事場で1日中ニュースチャンネルをつけていた以外は、日本でもフィリピンでもほとんどTVを見ませんでした。マニアックなフィリピン関係のドキュメンタリーと、関西圏限定の金曜夜のお楽しみ番組「探偵ナイトスクープ」は見ますが、それ以外はTVをつけもしません。その結果、日本の有名なTVパーソナリティも、有名な討論番組も知らないというお粗末なことに。それは仕事上も非常にまずいので、これからはできるだけ、自宅でもTVをつけるようにします。

 日常生活も仕事も、すべてがあまりに新しくて、これまでとは違いすぎて戸惑っています。
 そんななかで、ほとんど唯一リラックスできるのが、スポーツジム。さらなる体力増進に努めるため、さっそく、早朝から深夜までの営業かつLesMilles社のBody Combat(格闘技系エクササイズ)のクラスのあるジムに通っています。LesMilles社のBody Combatは、フィリピンでもタイでもずっと受けていた全世界共通のプログラム。リラックスどころかかなり激しい有酸素運動なのですが、世界中のどこでも同じ音楽、同じコリオグラフィーで動けるということが、とても身体を安心させてくれます。1年前、フィリピンからまったく知らない外国であるタイに移動した時も、LesMills社のプログラムにはたいへんお世話になりました。どの国に行ってもマクドナルドに入ると安心する、という話をよくききますが、それと似ているかもしれません。

 あと、ヤマハの中古ギターを買いました。お天気のいい日に、近くの公園で練習します。
 
 フィリピンとも、もとより「研究」ともほとんど関係のない仕事に就きましたが、できるかぎりにおいて、フィリピンとの関わりも、もちろん研究も、続けていきたいと思っています。今月は某学会の例会、来月は国際学会での報告の機会をいただいています。がんばります。

 今後ともこのBlogは、研究や勉強(研究未満のこと)、フィリピンのこと(未練たっぷり)、日常のことを記述するために続けていきたいと思っています。これからも、どうぞよろしくお願いいたします。
# by saging | 2010-10-03 22:56 | その他 | Trackback | Comments(2)
Aking Gitara(私のギター)
 ギターを弾くことは、私の夢のひとつでした。まず弾いている姿がかっこいい。笛やバイオリンのようにメロディしか奏でられないわけではなく、きちんと伴奏になる。それなのに、ピアノやオルガンのように場所を選ぶわけでもない。…万能すぎる楽器だと思います。
 ギターを弾く人がとても多いフィリピンに住むようになってからは特に、私はものすごくギターに憧れるようになりました。なんとかして自分も、と思ったものの、これまで、日本でもフィリピンでも「簡単だよ」と言われて何度も手に取るたび、1時間以内にあきらめ。前の職場で働くようになって間もなく、近所のギター教室にも登録してみたものの、午後7時の最終レッスンに間に合う日がなく、1回しか出席せずにあきらめ。


 しかし、フィリピン滞在もあと4ヶ月となった今年4月、私は今度こそなんとしてもまじめにギターを練習してみようと思い立ちました。「ついに君もやる気になったか!」と発破をかけてくれた友人から譲り受けたのは、ハリソン・プラザ(三流ショッピングモール)で800ペソ(約1600円)のフォークギター。どこから見ても安物そのものですが、高いギターを買ったところで続けられるかどうか、まったく自信がなかったのです。
 知人の紹介で、PUP(教育大学)音楽学部の大学生の先生に師事。気合いの入った先生自作のノートで、ドレミの弾き方からアルペジオ、コード理論、指の使い方から手首のフォームまでみっちり教えていただきました。私の頭に入ったかどうかは別にして、先生の指導は素晴らしかったです。ギターでのドレミをまず習い、そのあと、ピアノのそばで、ピアノの「和音パターン」と対照させながらコードを一緒に習ったことで、私は初めて、コードの意味と、どうしてコードをそのように押さえればよいのかという初歩的な点(これまでテキストを読んだだけでは理解できなかった)を体得することができました。
 でもギターはやっぱりそう簡単には弾けません。指先は痛いし手は攣りそうだし、大変。アルペジオも苦手です。それに、何をするにもピアノを基本にしか考えられない私は、いまだにTAB譜が読めず、譜の下に五線譜かカタカナでドレミを書かないとどうにもなりません。(フィリピンの先生はついに私にTAB譜を読ませることを諦めてくださいました。)
 
 フィリピンで教わった曲は、「喜びの歌(第九)」のメロディとコード、Happy Birthdayのメロディとコード、フィリピン民謡Bahay Kuboのメロディとコード、そしてなぜか滝廉太郎の「荒城の月」(きっと、先生の間違った日本理解のせいです)。
 「ちゃんと家で練習してきたら、eraserheads(私の好きなバンド)の”Para sa Masa”(私の大好きな曲)を弾けるようにしてあげるからね。あれならコードも簡単だからね。」
と甘い言葉をかけられながら「荒城の月」を練習し、結局私は、"Para sa Masa"のpaの字も弾けないままに、800ペソのギターを抱えて日本への帰国を迎えることになりました。

 ギターを習ったメリットは、Noel Cabangonのギターさばきの美しさに感動できたこと。これまでは声しか聞いていませんでしたが、ギターへの指の這わせ方が芸術的であることに最近気づきました。すごい。どうしたらあんなに指が動くのでしょうか。

 日本に帰ってきてからも、まあまあ、練習しています。ほとんどの曲はコード表を見ただけで「ムリ!」と思ってしまいますが、60-70年代フォークのなかで特にコードが簡単な「なごり雪」とか「戦争を知らない子供たち」とかは、なんとかなります。それに、あの時代の歌なら、父と一緒に歌えるというメリットもあるので、頑張れます。
 ほかに、コードが簡単な曲、あるいはゆっくりめの曲をご存知の方は、ぜひ教えていただけましたら幸甚です。

 800ペソのギターは本当に安っぽく、フィリピンですら「そのギターはちょっと…」と言われるほどでした。歌う詩人のJess Santiago兄とケソン市のショッピングモール内に行ったとき、彼は私にギターを選ぶ気満々で楽器店に入り、専門用語を連発しながら次々と店内のギターを試し弾きし、約1時間後、5,200ペソ(約15,000円)のクラシックギターをチョイス。Martinesっていうメーカーでした。5,000ペソってフィリピンでは高いけれど、日本でこのクオリティのギターは5万円でも手に入らない、と彼は強調。 マニラで買ったところで日本に持ち帰るのが大変だから(ハードケースは本体より重くて高い)とそのときはさすがに断りましたが、自分自身の士気をあげるためにも、もう少しましなものを日本で買おうとも思っています。
 そして、あの名曲、"Para sa Masa"を弾くのです。
# by saging | 2010-09-07 02:02 | フィリピン(全般) | Trackback | Comments(4)
フィリピン・インディペンデント映画"Donor"
7月、Cinemalaya(フィリピン・インディペンデント映画祭)で4つの作品を観ました。”Ang Paglilitas ni Andres Bonifacio”と、”Magkakapatid”と、”Donor”と、”Sigwa”。

 ”Donor”はとても良かったです。キアポで海賊版DVDの売り子をしている女性がアラブ人と婚姻して腎臓移植を受け、その挙句に…というストーリー。腎臓を売る理由は「街のポスターで見かけた『アラブでのDVD販売員の仕事』に応募したいが、そのための準備金がないから」。でも、フィリピン人から外国人への腎臓移植はいまや違法で、それを逃れるために偽装結婚。彼女には同棲中の夫(のような人)がいるのですが、これがまたどうしようもない男で、臓器移植+偽装結婚の計画を打ち明ける彼女に対し、「ふーん、金が入るならいいじゃん」と同意。ろくに働かずいつも彼女に金をせびり、避妊してほしいとの要求を無視した挙句に妊娠させます。そして妊娠を知った主人公は、これまた淡々と、違法人工中絶を選択。
 身体を犠牲にして決断しなくてはならない事項が、いちいち、とてつもなく重すぎるのに、それらに軽々しく淡々と同意してしまえる主人公と周りの人々の異常さが猟奇的で、でも、それはフィリピン貧困層の常識においては決して異常ではない、むしろ普通だ、というところが、ものすごく効果的に描かれていて、言葉を失いました。
 臓器売買という流行りのテーマを扱っただけのストーリーかと思ってあまり期待していなかったのですが、この映画の主眼は臓器売買や違法人工中絶そのものではなく、それらの背後に横たわる「貧しくてどうしようもない人たち」の「どうしようもない思考回路」なのだろうと思いました。移植手術の直前、病院の個室で麻酔薬を飲む彼女の傍らでバラエティ番組を観ながら笑い転げる親戚とか、彼女の退院日を忘れて飲んだくれる夫だとか、初めて出会う中絶手術者(医者ではありません!)に平気で金を払って身体を任せる主人公だとか、すべてが、見ているこちらが気が狂ってしまいそうなくらいにおかしいのに、すごいリアリティ。彼らのことを無教育だとかインモラルだとかいって批判することは簡単だけれど、そんなことをしても何も解決しない。法を変えればいいわけではないし、罰則を強化すればいいわけでもありません。
何よりも、ああいう重大な決断を"O, sige."の一言でしてしまえるところとか、手術を受けたあとの主人公があっけらかんとしているところとかが、すごいリアリティでした。貧困って、まさにこんな感じ。貧困って、日本人のつまらない監督が撮ったつまらないゴミ捨て場の映画のようなものじゃない。物質的なことじゃなくて、物事に対する感じ方とか、判断基準が「私たち」と異なることがまさに貧困で、私たちが直面するリアリティなのです。"Donor"は、「貧困」を強調するような衝動的で押しつけがましい「貧しい人の映像」なんてひとつも出てきません。ありふれたキアポの下町や、ありふれた暗い家が描かれるだけ。そんな普通の風景のなかで暮らす人たちのどうしようもない貧しさが、すごくうまく描かれていたと思います。
 私はまったく映画に詳しくはないのですが、この作品は、細部の演出も魅力的でした。特に、これまで会ったこともない、そして言葉も通じないアラブ人と結婚する主人公の心の揺れが、台詞のないシーンのそこここに、素晴らしく散りばめられていました。ラストシーンも、決して「びっくり」でないものの、ああ、そう見せるのか…と感嘆してしまいました。
 10‐11月ごろにマニラの一般の映画館で公開される予定だそうですので、その頃にフィリピンにいらっしゃる方は、ぜひ。

 ”Sigwa”は、70年代の学生運動のFirst Quarter Stormの時期ににフィリピンを訪問し、活動家になってしまったフィリピン系アメリカ人ジャーナリストの女性のストーリー。アメリカに強制送還された彼女は、35年ぶりにフィリピンを訪れ、かつての活動家仲間に再会します。いまもゲリラ部隊に所属する現役活動家、マニラで合法的抗議活動に参加するプチ活動家、すでに田舎で静かな余生を過ごす元親友、そして、どういうわけか大統領府報道長官を務めている友人、内部粛清で死んでいった人たち。ストーリーはきわめて凡庸で、台詞も演出もかなり陳腐。特に回想シーンはひどく、あまりに先が読めてしまうので、映画としてはつまらなかったのですが、学生運動の再生フィルムとしてはまあ、おもしろかったです。あと、大統領府報道長官を演じた役者の演技がすごかった。話し方が元報道長官のブ●エにそっくりでした。ホンモノかと思いましたよ。必見です。こちらも10‐11月に公開予定。
# by saging | 2010-09-06 00:15 | フィリピン(全般) | Trackback | Comments(2)