Keso de Bola とは、 「表面は赤いのに中は黄色い」フィリピンのボール型チーズ。転じて日和見主義者。       かつてお世話になった、現地の言葉で「灯台」と呼ばれるマニラ湾岸のスラムを、ガラス越しに。
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あのころの未来に僕らは
 ロンドン五輪の開会式には感動しました。あれって、国家とか、近代とか、そして西洋化とかいうもののいちばん美しい部分だけが抽出された、世界でもっとも華麗なショーだと思うのです。聖火ランの演出もポール・マッカートニーも良かったですが、やっぱり見どころは各国選手団の入場行進です。あれ、大好きです。4年に1度のお楽しみです。
 ただ、私の家にはテレビがありません。東日本大震災のあと、仕事以外でテレビを見るのをやめたからです。この世の中でどうしても見なくてはならないテレビ番組なんて、オリンピックの開会式と、選挙の開票速報くらいしか思いつきません。
 テレビを見る必要が生じると、私はいつもジムに出かけ、カーディオ(有酸素運動)マシンの前に取り付けられた小型テレビを見ることにしています。昨日の開会式もそうやって鑑賞しました。それなりに正しいオリンピックの観賞方法だと思います。画面の中の一体感や「スポーツマンシップ」と、自分の孤独感のギャップがものすごいのですが。おまけに、ジムのマシンのテレビ画面って、動きを止めると消えてしまうので、開会式をぜんぶ観たかった私は3時間弱もマシンを動かす羽目になってしまったのですが。まさか3時間同じ運動を続けるわけにもいかないので、トレッドミルやエアロバイクやクロストレーナーやステップマシンを交互に使いながら、なんとかHey Judeまで見届けることができました。すごい達成感です。いろいろな意味で。

私が国際協力業界に引き寄せられたのは小学6年生のときでした。バルセロナ五輪の夏です。テレビでその華やかな開会式の様子を観て、「スポーツは国境を越えるんだなあ。どこの国の選手もみんな仲良くていいなあ。」と単純に感動したのですが、その直後に某NGOの子ども国際会議でインドに行って衝撃的な「貧困」に触れてしまい、帰国後はもう、テレビの中のお祭り騒ぎやさまざまな国際交流イベントの映像を観ても決して楽しい気分になることはできませんでした。その「何をしても心から楽しめない思い」みたいなものは、大学に入るまで続きました。そして、唯一それが軽減されるのは、その罪悪感を埋め合わせるためにNGOで活動しているときだけでした。そのようにして私は活動家になったのです。
 高校に入ってから、バングラデシュ、フィリピン、エチオピア、ウガンダに行きました。いずれのときも、上のような気持ちは変わりませんでした。気持ちが晴れるのは自分の関わるそのNGOの活動が成功したときだけで、だから、永遠に活動をやめてはいけないような気がしていました。自分の楽しみのために時間やお金を使ってはいけないと思い続けていました。何度か、同年代の活動仲間と一緒にハンスト(食事を抜いて募金する)をしました。(それはハンストとは言わないよ、という突っ込みは控えていただけましたら幸いです。)
 高校3年生のとき、「安心してオリンピックを見たい」という趣旨の小論文を書きました。そのときの原稿はまだ持っています。「私はオリンピックの開会式のあの華やかさと世界が一致団結しているようなあの様子がとても好きなのに、インドに行って以来それを楽しむことができないから、これからもNGO活動を続けます、いつか、私を含むすべての人が心からオリンピックを楽しめる世界になるように」という内容の小論文です。いま思えば、ひどすぎる。周りの大人はそんな10代がいたら殴って目を覚ましてやらなければならないと思いますが、誰もそんなふうにはしてくれませんでした。むしろ、私のそうした「罪悪感たっぷり」な文章は当時、高校の先生たちにも大人にも受けてしまって、私は高校在籍中に3回も小論文/エッセイコンテストに入賞し、海外に連れて行っていただきました。

 映画『クワイエットルームにようこそ』で、蒼井優演じる拒食症の入院患者が、自分が拒食症になった理由を「自分が一食たべた分、世界のどこかの価値のある誰かの食事が一食減ると思ったら食べられなくなった」と言うシーンがあります。蒼井優は一見、他の患者よりはるかに「まとも」に見える役を演じているので、というかほかの演出が壮絶すぎるので、あまり印象に残らないシーンかもしれませんが、私にとっては、あの静かな狂気がいちばんのリアリティです。あれって、入院とか薬で治るものじゃないと思います。
 
 幸いなことに私は狂うこともなく、入院とも薬とも無縁なまま、大学入学を直前に「これではいけない」と思ってNGOの活動をいっさい辞め、大学では、自分のためだけに時間とお金を使う生活をしようと決意しました。そしてその試みは幸いなことに成功し、私は大学に入った途端にひどく享楽的になりました。周りの友人たちは大学に入ってからNGOやボランティアに目覚めていったというのに。

 いまは、普通に享楽的に生きています。テレビは好きではないけれど、あれば普通に見ます。バラエティもお笑いも歌番組も楽しめます。良かった、普通の大人になれて。
 
 五輪開会式。
 ものすごく多くの影を抱える各国が、汚いものばかりに満ちている世界が、そして混沌をきわめるロンドンが、あれだけの美しさを、あれだけの虚構の一体感を創りだしているという事実に、ただただ感動をおぼえるばかりです。各国選手団の行進を見ながら、何度か、うっかり泣きそうになってしまいました。全参加国から女性選手が派遣されてよかったねとか、4年後には南スーダンの選手も自国から出場できるといいねとか、シリアの選手も早く自国に戻って練習できるといいねとか、簡単にそんなふうに考えるべきではない陳腐で単純な感想を自分のなかで繰り返しながら、ともかくマシンを動かし続けることの肉体的苦痛が強すぎて、だんだんどうでもよくなってしまいました。
 よく女性誌とかに「テレビを見ながらできるエクササイズ」が特集されていますが、そのたびに私は、「そんなに頑張らなくてもいい方法があります。テレビはジムで見ればいいんです」と教えてあげたくなります。
 ジムって本当に万能です。テレビが見られるのはもちろん、そしてシャワーやお風呂が充実しているのはもちろん、注目すべきはラウンジの使い勝手の良さです。マニラやバンコクにいたころから、私はジムのラウンジに本や論文やラップトップを持ち込んで勉強したり、朝から新聞を読みに行ったりしていました。周りにもそんな中間層や外国人がたくさんいました。いま通っているジムのラウンジにも、何時間も普通に仕事らしきことをしている人たちがたくさんいます。(休日の自宅に居場所がないのだと思われるお父さんたちも。) ジムは静かで涼しくて(冬は暖かくて)、周りには健康でエネルギッシュで前向きな人たちしかいないので、仕事の効率が格段に上がるのです。飲食も自由ですから、一日中いられます。トレーニングウエアのまま仕事をして、それに飽きたら、また走ったり泳いだりお風呂に入ったりすればいいのです。
 今日ももちろん、一日中ジムで本を読んだり仕事を片づけたりしていました。自宅が暑すぎるこの時期、モールやファストフードやファミレスに逃避している方々はたくさんいらっしゃると思いますが、避暑ならがぜんジムがおすすめですよ~。

 最近、国際協力NGOで働く自分のアンビバレンツについていろいろ考えているのに加え、昨日の開会式のせいで、さらにいろいろ頭と心を使ってしまい、自分の心の振れ幅についていけなくて、なんだか気持ち悪く疲れてしまいました。
 こういうときは身体を動かすに限ります。私は永田町に勤めていた時から、ほぼ週4-6日のペースでジムで運動しています。最近はほぼ毎日です。残業後の22時台からでも行きます。4月からはランニングサークルに所属し、週1回、20時半から迎賓館や皇居の周りを走っています。ランニングは大嫌いですが、信頼できるインストラクターやジム仲間に勧められてやってみたら、ちょうど季節が新緑の美しい頃で、外を走ることは気持ちが良くて楽しくて、続けられそうな気がしたのです。もちろん私は超初心者なので1キロ7分くらいかかるし、走っている最中はそれこそ意識が飛びそうなくらい苦しいし、間違っても一人で外を走りたいとは思わないのですが、インストラクターやジム仲間と一緒なら走ろうという気になります。ただ、最近は蒸し暑いせいで苦しさにも拍車がかかります。
 終業後にジムに行くってものすごく疲労しますし、朝食の量は倍くらいに増えましたが、適度な疲労とストレス解消のおかげでお酒の量も減り、毎日が快適な感じです。私は32歳ですが、ぜんぜん体力が衰えた気がしません。むしろ増進しています。
 今日も、筋肉痛にもかかわらずBody Combat(格闘技系)のクラスに出て、ジム仲間と暴れてきました。五輪に関連して思い出してしまったいろいろなことを振り払いたくて。激しい運動と筋トレをして、もう本当に体力の限界、と思ったところ、スタジオからDancing Queenがきこえてきたので、つい、踊りに行ってしまいました。この曲はいつもフィリピンを思い出させてくれます。
 そして今日は心から、本当に気持ちよく疲れました。こういうのも「身体性」っていうのでしょうか。それはよくわからないけど、とにかく、ジム、最高です。明日からの1週間も頑張れそうです。(でも、明日の筋肉痛は心配です。)
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by saging | 2012-07-29 18:03 | フィリピン研究
政治学者への幻想
 ここ数週間は、仕事で新規案件の〆切が続いたことに加え、週末ごとに学会や研究会があって、なんだか嵐のようでした。今日は久しぶりに、何もない週末。本を読んで、ジムを堪能しようと思います。
 
 NGOでの仕事と研究者としての活動を激しく行き来するなかで、私は4月以前とはまるで別人のようになってしまい、心の振れ幅がとても大きくて困ります。
 議員秘書でいたときは、黙ること、余計なことを口にしないことを、誰に強いられたわけでもなく自然に身につけ、そのように振る舞っていました。私は上司(議員)に対して「尊敬しています」とも「ついていきます」とも一度も言ったことがないし、そもそも雇用契約書というものが存在しない雇用関係だったし、上司に私自身のプライベートな話をしたことも皆無なのですが、それでも上司は、私が何があっても彼を守るつもりでいることも、私が仕事を楽しんでいることも理解していたと思います。そして私も、上司からは褒められることも承認を受けることもなかったけれど、彼が私を信頼してくれていることをいつも確信していました。ある種の政治の世界では(永田町では、とは敢えて言いません)、忠信とか信頼とかいうのは、言葉じゃなくて行動で示すものなのですよ…。すごく日本的というか封建的です。(もちろん、これが永田町の典型、というわけではありませんが、ベテラン議員事務所のひとつの典型ではあると思います。現在の民主党の若い(当選回数の少ない)議員やいわゆる「市民運動出身」「市民派」を標榜する議員の事務所は傍目で見ていても恥ずかしいくらいアツいですし、そういう事務所の秘書さんからは、 「sagingさんは若いのにまるで永田町の人みたい。何考えてるかわからない。秘書って上司に似るんですね」と揶揄されてきました。似てませんって…!! 私の元上司を知っている方は笑ってください。)

 NGOに転職してからというもの、うってかわって「話さなければ始まらない」状況におかれています。いろいろなキャリア・バックグラウンドをもつ経験豊富な人たちがなぜかこんな給与の低い弱小NGOに結集して一緒に仕事をしようとしているのですから、何をするにしても、きちんと言葉で説明しないとチームプレイなんてできないのです。民間出身の人は、民間企業の常識はこうだから私はNGO運営のここが理解できないんです、とはっきり言わないといけないし、私のようなよくわからない風来坊バックグラウンドの職員は、外務省出身の人たちがうっかり使ってしまう意味不明な役所用語や独特の言い回しを、役所経験のない人たちに解説しなくてはなりません。日々の些細なそんな会話の中で、お互いの強みや弱みが露わになり、職員同士のあまりのカルチャーの違いが露わになり、これはたいへんだと皆が思うようになり、各自が仕事に精を出すというわけです。
 在外事務所の職員との関係もたいへんです。駐在職員って往々にして「本部の人間は現場の苦労を知らない」と思っていて、すべての不満を言葉に凝縮させて表現する傾向があります(私もフィリピンで働いていた時はそうでした)。ましてや、現場での日々のストレスに悩まされ、過去にうまく本部とコミュニケーションができなかったネガティブな経験ばかりを思い出しては「どうせ何を言ってもわかってもらえない」と思っているような職員であればなおさらです。彼らの「あなたたちには現場のことはわからない」という「マジックワード」の裏にある具体的な不満とか意見とか提案とかを吸い上げられるようなオープン・クエスチョンをしていかないといけませんし、彼らに「話をきいてもらえた!」と思ってもらえるためには、私も自分のことを話さないといけません。(私の好きではないコーチングの世界ではこれをアイ・メッセージと言います。)
 いまの職場は、NGOのくせにやたらとハードコアでクールな事業を実施し、職員もクールで、熱血do-gooderや国際協力に夢をみる人たちは皆無です。私にとってはとても生きやすい世界のはずです。それなのに私はなぜか、私よりずっとクールなはずの他の職員から(軽口のなかで)
 「sagingさんは斜に構えすぎです。あなたはNGO職員なんですよ?」
と揶揄されて必要以上に動揺したり、在外事務所との熱いコミュニケーションを模索したりしなくてはならないのです。
 私は実は熱血コミュニケーションが好きなのですが(だってコーチング研修も受けたくらいですから)、自分がそれにのめりこんでしまうことが怖いので、そして、そういう「青さ」に耐えられないので、普段はクールに(友人Wさんの言葉を借りれば「ツンデレに」)振る舞うようにしています。

 そして私はこういう状況(職場で意識的に饒舌でならなくてはならない状況)をうまく消化できないままに研究会に出席しては、ハイになってさらに喋ってしまい、そして、私よりずっと出来る先輩や同年代の仲間たちから、
 「sagingさんの思っていることはこうなんですよね、それは政治学/社会学/人類学的に言えばつまり…」
と解説してもらっては「救われている」、そんな毎日です。
 先週末のフィ●ピン研究会全国フォーラムは私がもっとも心地よく感じる、もっとも気のおけない人たちと結集できる貴重な場でした。研究会の後の懇親会(それも2次会)で私は、自分が職業研究者にならない理由について、
 「大学に就職した同年代の研究者を見ていても幸せそうに見えない。」
 「学内政治だとか、教授との関係だとか、雑用だとか、やりたくもないつまらない調査にとりあえずファンドが付いたからしかたなく食べるためにやっているのだとか、普通の人が20代前半のうちに経験するような青い愚痴を恥ずかしげもなくむしろ得意げに披露する同年代の研究者に苛々する。」
 「学会や研究会のたびに私はあなたたちの排他性に絶望する。大学に就職した者同士で固まって、学内政治やポストの話ばかり。久しぶりに会うのだから研究の話をしたいのに。それが研究者になるということなの?」
 「同年代の誉れで憧れの研究者になったはずのあなたたちの不毛さに失望する。政治学者のくせに学内政治を楽しむことすらできない、研究者としての自分を客観的に見ることもできない、私はあなたたちにそんな研究者になってほしくはなかった。」
…などと言いたい放題の発言をして、私の大好きな研究仲間の友人たちを少なからず傷つけました。ごめんなさい。
 職場では一つの言葉を紡ぎだすにも気を遣うくせに、気心の知れた友人たちに対してはそんな暴言を吐くことしかできない自分にひたすら苛立ちました。

 本当は、私は職業研究者に「なりたくなかった」のではなく、「なれなかった」のです。
 「なりたくなかった」のは事実です。そもそもなろうとしたことがないし、興味がないし、学振にも大学のポストにも一度も応募したことはありません。
 博士課程在籍中――つまりフィリピンの「日本の役所」で働いていたころ――、私は政治学者でありながら自分の置かれている状況をうまく説明することができなくて、数ヶ月おきくらいにフィリピンに調査に来ては我が家に泊まって私の話につきあってくれる友人たち(政治学者のWさんやTさんや人類学者のAさんやMさん)や指導教官に依存して、彼らが私の日々のストレスをスマートに吸い上げてアカデミックに分析してくれることに感銘をおぼえていました。そして彼らを見ていて、自分はどんなにトレーニングを重ねても決してあんなふうにはなれない、自分が職業研究者として教壇に立つのは百年早い、と痛切に思い知ったのです。
 努力をすれば研究者になれたのかもしれません。私はフィールド調査が好きだし、文章を書くのも好きだし、英語論文を読むのも早いし、theoreticalな話も大好きだし、別に人当たりも悪くないし、きっと学内政治だってうまく乗り切れると思います。でも私には、他者への想像力というものが決定的に欠けているのです。そして想像力というのは、政治学者としての素質の根本を成すものだと私は思っています。
 フィリピンにいたころ、役所で働いた経験のない、いえ、役所にかぎらず社会人経験のない友人たちが、私のつまらない愚痴をきいては、役所の論理や役人の論理を政治学や人類学のフレームワークを用いて鮮やかに解き明かしてくれて、そのことに私はものすごく救われたのですが、同時に、私はあのころ、自分が研究者にはなれないことを確信していました。彼らがどうしてあんなに、未知の分野、経験のないことに想像力を働かせて他人を救うことができるのか、私にはさっぱり見当がつきませんでした。そしてとても悔しく思いました。私は、自分が経験したことしか自分の言葉で語ることができません。想像力の欠如というのは、政治学者として致命的な欠陥です。それに気づいたとき、私は、自分の人生の目標である「日本政治と日本の市民社会のmediatorとなること」を、政治学者として追求するのは諦めました。その代わり、異なる世界を――民間企業、官、政、アカデミア、NGO――を、順番に経験して「エクスポージャー」をして、そこからmediation pointを追求していくことにしました。

 研究仲間の皆さん、特に政治学者の皆さん、ごめんなさい。私はおそらく、勝手に職業研究者を美化して、勝手にあなたたちに期待して、その期待どおりに動いてくれないあなたたちに勝手に苛立っているだけなのです。
 
 嵐のような学会・研究会続きの数週間が終わって、私に残ったのはそんな反省ばかりです。でも、こうしたことに改めて気づくことができたのも、やっぱり研究会の場でした。それも、政治学ともフィリピン研究会とも関係のない、職場の上司と一緒に出席した「安全保障系」の研究会です。
 平日の夜に開催される、平和構築・安全保障系の研究者プラス防衛省、陸上自衛隊、防衛研究所のなかで研究マインドの高い人たちが結集するそのクローズドでチャタムハウスルール適用のその研究会に、私は、NGO職員としてなのか政治学者としてなのかよくわからない微妙な立場で出席しました。報告者は博士課程の院生。リサーチクエスチョンと仮説と実証が乖離しすぎのどうしようもない報告で、私のみならずすべての出席者は苛々していたと思うのですが、質疑応答がすばらしかった。私の上司は真っ先に挙手して「NGO職員です」とわざわざ強調して発言(でも内容は完全にアカデミック)。それに続き、陸上自衛隊が、
 「お前の報告はすべて机上の空論。データは豊富だが結論がわからない。リサーチの体裁をなしていない。俺から言わせれば、そのリサーチクエスチョンへの答えは●●●●…10秒で終わりだ。」
…という意味のことをものすごく大人な洗練された軍人らしい言葉で述べたり、防衛大学校の方が、軍の論理から見たプリンシパル・エージェントモデルについて話しはじめたり、とにかく、ものすごくおもしろかったのです。実務者の英知がもっとも精鋭化された形で結集されるとこうなるのかと感動しました。
 私はもっともっと彼らとお話したかったので、終了後の食事をごいっしょさせていただいたのですが、そこできいた話たるやもうほんとうにridiculousでした。自衛官でありながら修士号を取り、理論と実践の統合の困難さをもっとも痛切に感じてきた人たちの(でもあくまでも洗練された)言葉は切実すぎて、私は内心、ものすごく感極まってしまいました。
 「軍隊は完結された組織でなくてはならない。軍のなかには掃除担当もお風呂を沸かす担当もいる。もちろん料理担当もいるし、医者も看護師もいる。そして研究者もいる。でも、研究者は軍隊の内部で完結してはいけないのだから矛盾ですね。」
 「『軍隊は言われたことしかやってはいけない』この言葉に込められた意味を理解できる民間人がどれだけいるというのでしょう。普通は曲解される。でも私は研究会でこの発言を続けたい。」
 「何も経験のない院生や純粋なNGOワーカーが、軍の論理なんて一切知らないままに無垢な正義感から自衛隊や軍を批判するのがやるせない。彼らは特に左派でもないし悪気もないのだろうけれど…。そして、おそらく向こうも、自衛官の話なんて聞いても無駄だと思っている。こんな現状のままで民軍連携だSSRへの市民社会の参加だなどと議論すること自体が、とても空虚に思える。」
…すごいですよ。普通の研究会ではまず出てこない話ですよ。
 私はフィリピンで働いていたとき、人権担当をしていたこともあり、軍や警察の方と仕事をすることが何度もありました。そしていつも、
 「君は国家の仕組みを何もわかっていない!」
と叱られたり、
 「君に悪気はないと思うけれど、そんなだから左って言われるんだよ!」
と言われたりしました。いま思えば、彼らのストレスは相当なものだったと思いますが、私はその経験のおかげでずいぶん変わりました。こんなふうに自衛隊の方々と意見交換ができるようになったなんて、あの頃の私からしたらとても信じられません。

 いまの職場に転職して、議員事務所とは違ったカルチャーの中で「口を開く」ことを訓練されたこと、何よりも議員事務所で働いていた頃よりも自由時間が増えて研究活動に向き合えるようになってきた、そして、NGOワーカーでありながら研究者である上司(安全保障系)の影響でそちら方面の研究会にもアクセスできるようになったこと、そうしたすべてが、この数週間のうちに私の生活を変え、私の研究への姿勢を変えてくれたことを心から嬉しく思っています。
 これまでと決定的に違うのは、私はいまでは、研究仲間以外の人たち(研究会で出会う異業種の人たちや職場の上司や同僚たち)に対しても、この投稿で書いたようなことを言葉にして話せるようになってきたということです。だから私は、きっとこれからはもう、自分の勝手に期待する「政治学者像」を仲間たちに強要してひどいことを言ったりしなくてもやっていけると思います。
 昨日、職場の上司(研究者)と食事をしたときに、私は正直にこう言いました。
 「いまさら何を言っているのかと思われるのでしょうが、私はNGOで働くことと研究者であることのアンビンレンツに、必要以上に疲弊してしまいます。駐在事務所の職員からの現実的なメールや電話を受けるたびに、私がこれまで研究者として主張してきたpeople centeredとかlocal ownershipっていったいなんだったのだろうと思ってしまい、ものすごい無力感です。そして、目先の辻褄をあわせてドナーを納得させて安定的なファンドを獲得することだけに夢中になってしまう自分が許せません。ファンダメンタリストだったはずなのに、たかが2ヶ月でこんなに日和ってしまう自分は研究者ではありません。また、職場で些細な諍いが起こるたびに、自分が仮にも政治学者ならばどうしてこんな問題すら解決できないんだろうと思います。政治学者の友人たちと険悪なムードになってしまうたびに、こんなために自分は政治学を勉強したのではなかったのにと思います。…でも、私が思い描く政治学者なんて幻想なのです。だって実際、学内政治をスマートに処理できる政治学者なんていますか? 業績のある著名な政治学者ほど身近に敵が多いし、平和学者たちは自分の周りの紛争をおさめることすらできない。…それはわかっているのに、私は完璧を求めたい。完璧なNGOワーカー、完璧な政治学者になりたいんです。そしてそんなふうに『青い』ことを考える自分がとても嫌です。」
 つくづく面倒くさい部下ですが、このどうしようもない私の発言に対する、上司の回答は秀逸でした。
 「NGOワーカーでありながら研究者でいるのか、研究者でありながらNGOワーカーでいるのか、私もよくわからないけれど、たぶん私たちは後者なのです。なぜなら私たちは、こういういかにも研究者らしい、ややこしくて結論のない話が大好きだからです。いつまでもこういう話で盛り上がっていたいと思う時点で、私たちは研究者なのです。職場でこういう話をしたら思い切り引かれると思いますが、私たちのなかではどんどんこういうつまらない話をしましょう。そして、ミクロ経済学者は、自分の家庭のミクロ経済は奥さんに任せているものなのですよ。」
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by saging | 2012-07-21 12:02 | フィリピン研究
SDFグッズ
 先日、直属の上司に初めて、1対1で飲みに連れて行ってもらいました。
 とても小さい職場ですから、特に改めて飲みに行く必要もないくらい一日中ずーっと一緒に仕事をしているのですが、そして、上司も私も決して「飲みニュケーション」信奉者ではなく、必要なやりとりは勤務時間内にさんざんしているのですが…、上司も私もお酒が好きなので、改めて。
 そのとき、私は思い切ってこう言いました。
  「面接でも申し上げましたが、私はここ14年くらい、日本のNGOが大嫌いでした。はっきり申し上げて、憎んでいました。そのことで、業務に支障をきたしているのではないかと心配です。たとえば私は、NGOの集まる会議やイベントに出席しても、ほかの参加者とは挨拶以外にはろくに口もきけないし、普通にsocializeすることができません。仕事だからと割り切ろうとしても、できません。政治家の事務所に勤務していたときは、自分の信念を曲げてよくわからない政治家の方々や財界人の方々にいい顔をすることができたし、仕事だと割り切って地方有力者に頭を下げることもできました。でも、いまはできません。だってNGOですから。割り切れません。今後、割り切れるように努力はしますが、いまはできません。そのことで私は組織にマイナスを与えているのではないですか。気になる点があれば、どうか指摘してください。」
上司は言いました。
 「憎んでいた、とまで言われるとちょっとびっくりですが、でも、そこまでNGOを嫌ってきたというのは、sagingさんの財産ですよ。引け目を感じることはありません。日本のNGOに必要なのは、熱血な人たちじゃなく、NGOを客観的に見られる人材です。だから私たちはあなたを採用したんです。国際協力したい、人の役に立ちたい、困っている人を助けたい…そんなふうに思っているだけの人は、うちでは絶対に採用しませんから。NGO嫌いでも、シニカルでもいいんです。むしろ、日本のNGOにはそういう人が必要です。だから、無理をしてまで他のNGOと交流しようとする必要もないし、テンションの違う人たちに自分を合わせようとする必要もないんですよ。」

 …それは、この14年で最大の承認の言葉でした。
 マイナスの感情でしかなかった「日本NGOへの嫌悪感」を、逆に「財産」として評価してもらえるなんて。
 研究をしても論文を書いても克服できなかった自分のコンプレックスが、こんなところで解消されるなんて。

 先週は、上司がアフリカ某国の実情についてリクジの朝霞駐屯地で講演&意見交換をすることになり、私も連れて行ってもらいました。
 上司は決してミリヲタとかではありませんが、安全保障を専門とし、長いあいだその分野で研究をしてきた人なので、戦闘機や武器の種類にやたらと詳しく、敷地内に入っただけでとても嬉しそう。NGOの分際で、PKOの広報戦略や民生支援として現地で予定されている事業について好き勝手にコメントしていました。先方出席者の大半は、PKO部隊経験者もしくは派遣予定者。フィリピンや諸外国なら、このように治安部門と直接意見交換を行うようなNGOもありですが、日本のNGOではなかなか、たぐいまれなる存在だと思います。日本では、シンクタンクとNGOが完全に分かれているからでもあるのでしょうね。もちろん、特定非営利法人のシンクタンクもありますが、そういうのはだいたい、すでに元政治家や評論家として活躍している人や、大学で職ををもっている人が理事長を務めるなど、その団体の顔となる人のための組織、という側面がとても強いです。組織として、日本/海外の治安部門と互角にわたりあい、単に安全保障政策や現地情勢について意見交換を行うだけでなく(それはシンクタンクがやっています)、現地を知る立場からこその提言のできる団体というのは、まだ日本には存在しないのではないでしょうか。

 
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写真は、駐屯地内の売店で購入した「自衛隊グッズ」のお菓子。右は上司が、左は私が厳選の上チョイスしました。「専守防衛」ってところがすごいです。これ、どこで作ってるんでしょうね~。国会内の売店で販売されている限定グッズ(国会議事堂のイラスト入り文房具や歴代総理の似顔絵入り湯呑、「イラ菅キャンディー」、「がんばるノダ・どじょうかりんとう」、「衆参ねじれ国会・ねじり棒」、「一兵卒でがんばっています・まめまめしく働いています・まめ煎餅」…などのオヤジギャグみたいなお菓子のデザイン元のあそこと同じでしょうか!?)
 なお売店の一角にはほかにも、迷彩柄の日用雑貨(靴下などの衣類から便利グッズまでぜんぶ迷彩)、特殊な蚊よけなど、御茶ノ水のアウトドア専門店でも見られないであろうアイテムが満載でした。私は、椅子つきリュックなどのサバイバルグッズに目が釘付け。遠隔地方でのフィールドワーク用にほしいです。(もちろん、迷彩柄だから買いませんが…。)

 先週末は、「たまたまフィリピンをフィールドとする政治経済学者」の研究会でした。楽しかったし、ものすごく刺激的でした。中堅研究者の先輩方(私は勝手に「兄貴たち」と呼んでいますが)の、フィリピン政治経済を切るための理論と問題分析が秀逸でした。私もああなりたいです。というか、私も年齢的にも、あるいは博士課程修了後の年数から考えても、そろそろ「若手研究者」じゃなくて「中堅研究者」と呼ばれてもおかしくない頃です。果たして、それなりの責任を果たせてきたのか。再来週のフィ●ピン研究会全国フォーラムでの報告ではそれなりのことをしたいと、必死です。
 その前に、来週は開●学会の都市貧困部門系の部会で報告させていただきます。これまで敬遠してきた人たちと、同じ土俵で話ができるようになりたいと思って、これも四苦八苦でレジュメを作っているところです。
 
 我が職場では、このような「職員の個人的な研究活動」は推奨されてはいますが、貧乏暇なしのNGOワーカーのこと、残業も多く、なかなかまとまった研究の時間を確保することもできません(NGOにかぎらず、どんな職業でも同じだと思いますが)。私も、ようやく覚えた会計知識で事務所の複式簿記をもとにデータを抽出したり(ピボットテーブル万歳!)、役所に提出するためのプロポーザルや予算書や報告書を書いたり、駐在事務所からのメールに対応したり、インターンへのケアをしたり、といったロジスティックな仕事ばかりに追われがちです。
 そんななか、我が上司は始業2-3時間前に出勤し、静かなオフィスで、自身の研究活動やまとまった作業をしています。前日の業務が深夜に及んでも、です。そんな姿を見せられたら、私もあれこれ言い訳せずにひたすら頑張ろうと思うしかありません。
 とりあえずは私も、始業2時間前までに出勤して研究活動をするようにしています。この時間帯って、オフィスも静かだし、自分の頭もびっくりするくらいクリアで、研究活動には最適です。これまで私はけっこうな夜型で、研究活動は深夜にしてきたのですが、これからは朝にしようと思います。特に夏は、まだ暑さや強い日差しに汚されていない朝の綺麗な空気を生かさないともったいない、という思いにさえなっています。これを機に朝型人間に転換できるといいのですが。
 
 私は、いまの職場で働けることを、とても幸せに感じます。
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by saging | 2012-07-03 00:48 | その他