Keso de Bola とは、 「表面は赤いのに中は黄色い」フィリピンのボール型チーズ。転じて日和見主義者。       かつてお世話になった、現地の言葉で「灯台」と呼ばれるマニラ湾岸のスラムを、ガラス越しに。
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いまさらNGO その2
 (ひとつ前の投稿からの続きです。)
 私が考えを改めたのは、2年前に議員事務所に勤めはじめてからでした。私の上司はNGOや市民運動に近い人ではありませんでしたが、党内有力者の一人でしたので、NGOワーカーや市民運動家のお客様は日常的にお見えになりました。とても優秀でジェネラスな方々。自分自身を振り返って恥ずかしく思うようなすばらしい人格をお持ちの方々。スタッフの人数もギリギリなのに、そんじょそこらのお役所的な公益法人よりもずっと詳細な資料をお持ちの方々…。自分自身が、役所と永田町の常識にいったん浸かってしまったからこそ、彼らと同じ目線から政治を見たい、と思うことがたびたびありました。
 もしかして、私が出会ったフィリピンに関わる日本NGOがたまたまダメだった(またこんな表現を! お許しください)だけで、2012年の日本のNGOは、私が勝手にイメージしているよりも、ずっと能力や専門性が高いのかもしれない。そう思うようになりました。

 議員事務所を退職することに決めてからのんびりと転職活動をしていて、当初は永田町系や一般企業や公益法人とかの求人を見ていたのですが、NGOという選択肢があることに気づき、むしろそちらのほうがいまの私には必要なんじゃないか、と思うようになりましたそして、まったく知らなかったいまの職場の求人を見つけ、突然に応募し、採用通知を受け取りました。各種保険も完備だし、給与も前の職場とほとんど変わらないし(このNGOがすごいのではなく、議員事務所での給与が低すぎたのです…お米とか野菜とかの現物支給が多かったので食費を節約することはできましたが、あの労働に対してあの給与はあんまりです)。
 でも、長年「大嫌いと公言していた」日本のNGOに就職するには、心の準備が足りません。

 そんなことを日本の友人たちに相談するすべがなかった私は、無職生活中に訪問したフィリピンとタイで友人たちに会い、ありのままを話しました。そして、やっぱりNGOで働いてみなくては、と思うに至りました。
 両国のスラムの住民運動やもうすこし広範な社会運動に関わる旧友たちと2年ぶりに話すと、自分の「Community Organizing原理主義」みたいなものを思い知らされるのです。
 フィリピンとタイとでは、同じソウル・アリンスキー系列のNGOの活動家でも、アプローチがぜんぜん違うのです。
 たとえば。両国とも、日本を含むアジアの他国の居住運動に関わる活動家や住民との交流があり、つまりは頻繁に外国人の「仲間たち」がエクスポージャーやディスカッションに来るわけなのですが、フィリピンのアリンスキー型NGOでは、そういった情報はNGOの事務所でスタッフらによって管理されていて、スタッフはある日突然に住民に電話をして(あるいは電話もしないで)、外国人を伴ってスラムを訪問するのです。住民にとってはなんとも迷惑というか失礼な話ですが、それが普通なのです。何ヶ月も前にわかっていることならさすがに住民組織連合の月例会などでシェアしますが、月例会を仕切るのはNGOなので、
  「●●国から居住運動のグループが視察に来ます。○月×日前後です。彼らの関心は鉄道沿いのスラムの立ち退き。だから、A地区とB地区の皆さん、コミュニティで話を聞かせていただきます。また近づいたら連絡します。いいですね~?」
と、一方的な連絡をする傾向にあります。住民組織の人たちはそれを流すか、単に従うか、もし不満があったらあとで仲間内でこそこそ言うか、そのどれかです。
 他方、タイのアリンスキー型NGOスタッフは、住民組織連合の月例会の席上でその件を議題として少しだけ話させてもらっていいか?と住民組織連合の幹部に伺いを立て、自分に与えられた時間が来るまでおとなしく月例会を傍聴し(もちろん記録はとりますが)、司会から「ではNGOの●●さんからの議題です」と言われて初めて立って発言し、
  「●●国から居住運動のグループが視察に来たいそうです。希望日は○月×日前後です。彼らの関心は鉄道沿いのスラムの立ち退き。受け入れていただけますか?」
と訊きます。住民組織のリーダーらは口々に、
  「何人来て、どこに寝泊まりするんですか?」
  「鉄道沿いのスラムって、現存のところですか? すでに立ち退かされたところですか?」
と発言。NGOワーカーが、
  「現存のコミュニティを希望しています。彼らは10人程度。一夜のホームステイも希望されています。」
と答えると、
  「食費とかどうするの? 普通にうちの家族と同じ食事出していいの? いえ、負担したくないわけじゃなくて、ちゃんと決めておかないといろいろトラブルになるから。」
  「イスラム教徒ですか? キリスト教徒? 事前に言ってくれないと、こっちも準備の都合がありますので。」
と、具体的な質問に入ります。NGOスタッフはそれらを書き留めて、
  「詳細は次回の月例会でお知らせします。」
と返答。すると、司会をしていた住民組織連合のリーダーの一人が、
  「どうします? とりあえず条件付きで賛同ってことでいいですか? ○月×日、●●国から10人程度。賛成の人? ペンディングの人?」
と尋ねます。
 つまり、タイはフィリピンに比べて、すごく原理主義的なのです。そして言うまでもなく、私はタイのほうにシンパシーを抱くのです。
 私はタイ語では難しい話はできないので、英語を流暢に話す友人に横で通訳をしてもらわなくてはなりません。住民組織連合の月例会なんて数時間に及ぶので、通訳してくれる友人もたいへんで、いつも申し訳ないと思うのですが、興味の関心の尽きない私は通訳を酷使し、NGOスタッフである友人に英語で、
  「本当に毎回、ああやってわざわざ住民組織の意向を訊ねてるの? 理想だけれど、フィリピンでは信じられない。フィリピンでのやり方のほうが確かに現実的だと思わない?」
と尋ね、
 「フィリピンと比べるなって! っていうか、そんな単純に物事を比べるな! あんたドクターだろ!」
と叱られています。ごめんなさい。

 私は論文では、ひたすら「住民ありき」ということを書いていて、むしろNGOはダメ、というのをある意味では前提としていて、
  「住民組織は、使いやすいNGO, 気に入らないNGOを見極めている」
というくらいのファンダメンタリズムで、「住民を教え導く」ようなNGOを暗喩的に批判しています。
 でも、それではだめなのだと思います。それでは、私が恐れている「社会を知らない研究者」に成り下がってしまう。「第三者」で終わってしまいます。苦しい立場にいる人たちに、想像力を広げなくては。苦しいのは、操作されている住民たちだけではありません。「こういうのは原理原則に反する」と思いながらも裨益者を見下し、操作する立場にある人たちだって苦しいのです。
 そのことを教えてくれたのは、フィリピンとタイのNGOワーカーの友人たちでした。
 4‐5月にフィリピンとタイにどっぷり浸かって、2009年のあのモニタリングを手伝ってくれた友人たちも含めてたくさんの旧友らに会って…。先に述べた「NGOワーカーと和解したくてたまらなくて私を介してどうにか和解した住民リーダーのおばちゃんたち」に2年ぶりに会いに行くにあたって、敢えてそのNGOワーカーの当人についてきてもらって…。そうしたなかで、「NGO側の苦悩」のもっと深いところにに改めて目を向け、これまでそうしたことに想像力を及ばることを敢えて避けてきた自分を恥じました。
 そしてやっと、長いあいだ自分がいちばん許せなかった、いちばん大嫌いだった日本のNGOに向き合う決意を固めました。とりあえず、NGOで1年は働いてみようと。それも、これまで自分がもっとも遠ざけていた「事業型/連携型」のNGOで勤務してみようと。

 ドナーに申請書を書いて、概算見積もりを作って、月報を書いて、膨大な量の領収書を管理して、ものすごく細かい書式に従って報告書を書いて、突き返されて…といった、「2012年の日本のNGO的日常」を経験もしないままに、日本のNGOの能力は低いだの何だのと言うのは、きっと無責任なのです。
 
 ここで働いて半年が経った後、あるいは1年が経った後、ああ、NGOも外務省も同じなんだな、と思うのかもしれないし、こんなにNGOを苦しめる役所って最低!と思うのかもしれないし、やっぱり日本のNGOの能力が低いからダメなんだよ、って思うのかもしれません。何か言うのはそれからにして、まずは内部を知らないと。

 たとえば、どんなに高い志をもった政治家でも(私の上司は非常に高潔な人でした)、政治家のルーティーンの中ではそんなことは言っていられなくて、とにかく票、とにかく金、とにかく笑顔、とにかく握手。清にも濁にもとりあえず耳を傾け、清とも濁ともとりあえず記念撮影。
 議員事務所で毎日、そんな日常を見ていて、研究者(主に政治学者ですが、社会学者でも平和学者でも)やマスコミがいかに「こういうこと」を見ないようにして議論をしているかということに、改めて愕然として、そして我が身を振り返って、私も同じだなあと思ったことが、何度もありました。政治家の事務所で働いてから、政治資金のずさんさを批判する気も失せてしまいました。ものすごい数の領収書、微妙な支出の処理、微妙な収入の処理。すべてを完璧にすることなどできない。もし、ある特定の政治家を陥れようという悪意があれば、総務省で公開されている収支報告書を見ればいくらでも「些細なこと」をつつきまわすことはできるでしょう。

 同じように、NGOワーカーの文脈では、私がこだわってきたようなファンダメンタリズムを貫くことなんてできません。
 たとえば、現地のNGOの能力強化、とか、住民組織の能力強化、とかいったプロジェクトを実施するとしたら、何をもって能力強化とするのか、という指標を定めないといけません。たとえば、「組織を作って活動することの目的が理解できる」とか、「組織の目標を全員が理解している」とか、「時間通りにミーティングを始める」とか、「正しい領収書をもらってくることができる」とか、「会計帳簿がつけられるようにする」とか。アホみたいですが、そういう指標を定めないと、プロジェクトの前後で何が変わったかも評価できないし、どなーへの報告もできないからです。それが現実です。それに対して、
 「そんな外部から押し付けた常識と指標で現地の人たちを下に見て『教育』するだなんて発想はおかしい。私たちの常識では彼らは能力不足に見えるけれど、彼らは組織についての独自の理解と、独自の会計手法を持っているのだ!」
とか言い出したら、プロジェクトにならないですよね。
 実は、私の新職場で最初に命じられた業務がまさに
 「現地NGO/住民組織の『能力』が強化されたかどうかを測る指標を現地の文脈に沿って作成する仕事」
で、初めて指示を受けたときには本当に上のとおり叫びたくなったわけですが、それを克服することこそが求められているのだと思います。
 Local Wisdomを尊重しつつ「能力強化」をすることはできるのか?
 …なんて、いまさらこんな青いこと考えたくないのですが。なんだかどこかの国際協力団体のワークショップの課題で出てきそうな、開発人類学の授業のレポートを課せられているような、パウロ・フレイレ読書会みたいな、本当に青くて恥ずかしい感じ。でもそのように感じてしまうのは、私がこれまでいかに基本をないがしろにしてきたかを現しているのでしょう。

 NGOワーカーに必要なのは、ドナー(個人会員、寄付者、法人会員、法人寄付者、日本政府、国際機関など)を納得させること。
 これがまた、ファンダメンタリストの私にとっては大変なことです。
 ドナーありきじゃありません! あくまでも裨益者ありきです! …と叫びたいところですが、そうはいってもやっぱりドナーありきなのです。そして、ドナーの考える「成果」と、各NGOの考える「成果」は違います。
 私が2009年にフィリピン洪水支援事業のモニタリングをしたときの例を挙げるなら、私は当時、
 「『台風被災者への支援物資100袋、配布完了』って…。たしかにプロポーザルにもそう書いてあるけど、100袋程度で完了とか言っちゃえるの!? 1万世帯も居住するコミュニティで、なぜたった100袋!?」
 「『テント20個、設営完了』って…。たしかに設営は完了してるけど、なぜ20個なの!? そしてこの20個のテントに入れる人たちって、どうやって選定されたの?」
 「プロポーザルには『週1回カウンセラーを派遣して子どもたちの心のケア』って書いてあって、まあたしかに週1回カウンセラーは来てるみたいだけど、カウンセラーが来てるからといって『目標達成』なわけ!? カウンセラーがどんな成果をあげているのか、もっと具体的に示してくれないとわからない!」
と思ったものです。
 能力のあるNGOならそこで、
 「いえいえ、うちの団体の目指すポイントは、コミュニティ全体の裨益ではなくて、こういう問題を抱える数十世帯へのテント確保なのです。
 「心の問題は指標として説明しにくいのですが、私たちがメルクマールとしているのは、子どもたちが以前どおりに学校に行けるようになったかどうかです。災害直後(つまり事業前)の登校人数は20人でしたが、23人になりました。3人増えました。たいしたことではないと思われるかもしれませんが、この3人はいずれもリーダー格。彼らの変化は、被災していなかった子どもたちやすでに登校していた子どもたちを含め、周りを大いに勇気づけました。」
とか、数字とナラティブを混ぜながら説明し、相手を説得するはずです。(私がモニタリングを担当した当時は、ラショナルな説明のできるのはごく少数のフィリピン人スタッフばかりで、日本のNGOワーカーで論理的な説明ができる方は皆無でしたが。)
 ほとんど屁理屈ですし、この論理は、非・裨益者を議論そのものから排除する、「二重の排除」の危険性を孕むのですが、それはまた別途議論することとして…ともかく、こうした説明を行うことは、「独自の支援」を展開することを謳うNGOの義務のひとつです。ある事業を「立案」し、ほかからお金を受け取って「委託」を受け、それを「実施」するNGOにとっては、この「ドナーへの合理的な説明」は、最も重要な仕事のひとつになります。ここがうまくできない団体はダメですし、ドナーの側も、ここの合理性は現状よりももっともっと厳しく診断したほうがいいと思います。
 …って、私は技術的にはこれを完璧にできる自信はあります。役所・議会にいたときにはそれこそあらゆる論理の捻じ曲げでいろいろな規制を搔い潜ることを学びましたし、そうでなくても、役所向けの簡潔で一見論理的な文章を作るのは、私は得意です。ただ、原理原則的には、どうなのよ!と思います。葛藤の毎日です。
 
 そんな毎日ですが、新しい職場は、とても素敵なところです。
 私のNGO事務所に対するイメージって、ボランティアさんや自分探しの若者みたいな人たちがしょっちゅう出入りして、ボランティアさんや会員の方々から頻繁に電話がかかってきて…という感じでした。でも、ここはぜんぜん違います。この組織、良いか悪いかは別にして、収入のほとんどは政府助成金で、会員数は少ないのです。そのため、日常業務も、一般の方々との接触は皆無で、役所とのやりとりがメイン。私にとってはありがたいかぎりです。さらに、特殊な分野への専門性や職員のプロフェッショナル性を売りにしようとしていて、なんだか役所や研究機関みたい。いわゆる「いいことしたい」的な空気はあまりありません。
 とてもとても小さな職場ですが、自分がとても大切にされていることを感じます。このNGOの専門性は、私の専門である東南アジア政治とはほとんど重なることがありません。けれども、たとえば治安部門改革や現地NGOの能力強化など、分野横断的な意味では大きく重なります。なんといっても私の場合、ここ9年間、フィリピンを中心とした東南アジア政治をmajor(専攻)としてきたとはいえども、日本のNGOの研究をずっとminor(副専攻)としてきたようなものですから、「自分の専門性を生かす」ことのできるシーンは日常的にあります。専門性云々にかぎらずもう少し技術的なことをとっても、前述のように私は役所(あるいは役所系組織)への細かい申請書類や会計書類を作成するのは慣れているし、外務省好みの文章を書くのも、それ以外の一般的な「丁寧な文章」を書くのも、たぶん、普通の人よりは得意です。
 もちろん、何年も「NGO嫌い」を自認してきた私のこと、同業NGOとの合同会議での感じる独特の「NGOっぽいあの空気」とか、先述の「いかにも先進国のNGOっぽい『上から目線』を内包しがちなプロジェクト評価」とかには、戸惑いを感じています。でももちろん、そんなことは口にも表情にも出しませんよ。
 東京事務所の正職員は少ないのですが、私の前の職場である議員事務所では議員と私とあと1人、計3人しかいませんでしたので(!!)、それに比べるとずっと賑やかで、人間関係を含め、いろいろと楽しく感じられます。少なくとも、永田町(と役所)の常識にどっぷり浸かってしまった私にとっては、新鮮なことが多すぎます。周りの職員は、NGO業界一筋というような人は皆無で、国連や政府機関や民間企業での経験豊富な人たちばかりです。総務や経理の方々は、民間企業を早期退職された、まさに人生の先輩方。もちろん、アマクダリではありません。ですから毎日のように、
  「NGOの総会って、株主総会とはぜんぜん違うなあ。」
  「会員は株主みたいなものでしょ。どうやってエンターテインすべきか、株主総会を参考に検討しましょうよ。」
  「NGOの会計システムはほとんど単式簿記って本当ですか! それじゃお小遣い帳と同じじゃないですか。NGOって、会計できる人材は採らないんですか?(←うちは複式簿記です)」
  「あのNGOの担当者って、メールの文章が雑すぎます。普通の企業じゃ、あんなメール送ったらクビですよ。」
  「日本のNGOネットワークって視野が狭すぎる。共同勉強会を立ち上げるというから何をテーマにするのかと思ったら、『ブラッシュアップされたプロポーザルの書き方』だって。発想が内向きすぎ。欧米のNGOなら、『危機管理のブラッシュアップ』とか『評価・モニタリング研修のブラッシュアップについて』とかですよ。」
などの会話が飛び交います。こんな職場ですから、私もまったく浮きません。日本のNGOなるものを非常に客観的に批判的に見つつも、日本のNGOに期待を寄せる人たちばかりなのです。

 事務所へは、自宅から自転車で20分くらいです。人混みにあふれる駅前やオフィス街を通過しなくてはならなかった永田町勤務に比べ、ほとんど車の通らない穏やかな住宅地の中の細道を通ってのんびり通勤できるので、とても幸せです。
 お昼になると、皆で理事長を囲んで、お茶を入れて、あれこれおしゃべりしながらお弁当を食べます。以前の私だったら窮屈で鬱陶しいと思ったかもしれませんが、上司の不在を見計らって自席で5分以内で食事をとる生活に慣れてしまった現在では、こうやって人とゆっくり昼食を楽しめることが嬉しくてなりません。お弁当を作るモチベーションも沸いてくるというものです。毎朝、お弁当箱におかずを詰めながら、今日もみんなと一緒にご飯食べるんだな、って想像するだけで、なんだか幸せな気持ちになります。昼食時の話題は、その日のニュース、特に政治の話が多いです。といっても、キャリアも専門性もまったく違う人たちが集まっているので、前職の業界での経験や海外滞在経験を披露しあうだけで、別に殺伐とした雰囲気になったりはしません。
 新人研修はとても充実していて、PCM(いまさらですが!)から危機管理から会計まで、いろいろな技術を身につける機会を与えれました。PCMはもう本当にいまさらって感じですが、すっかりシニカルになってしまった現在になって勉強しなおすと、なんだか新たな発見があって不思議でした。
 そして、会計。もちろん、総務や経理の担当職員は別にいるのですが、さまざまな書類のチェックをする立場としては会計の基礎知識は必要とのことで、いまだに日々研修を受け、実際の会計簿を教材とした練習問題を課され、能力をチェックされています。数学の苦手な私にとっては、すごいプレッシャーです。議員事務所で働いていたときに簿記3級の勉強をしたので、基本的な会計処理はできるつもりだったのですが、ここではほとんど役に立ちません。改めてBook Offで簿記の参考書を買い、上司に借りたピボットテーブルの参考書を必死で読み…。先週はほとんど毎晩、上司から渡された、この組織の簿記システム(1ヶ国の複数のプロジェクトの収支を3つの通貨別に複式簿記にしてエクセルのシートで分けて管理)をもとにした練習問題に四苦八苦。
 でも、少しずつ仕組みがわかってきました。練習問題が全問正解だったときの達成感(高校の数学のテスト以来です)、ピボットテーブルの新しい使い方を知ったときの喜び(大学のエクセル講習会以来です)、収支がピタッと合ったときの快感。そういえば議員事務所に勤めはじめた当初、秘書検定1級のテキストを(やっぱりBook Offで)買ってきて、巻末の模擬テストの正解率に一喜一憂していたものですが、いくつになっても、勉強し、前進できるってとてもとても嬉しいことです。
 私に会計を指導してくれる直属の上司は、別に会計の専門家でもなんでもなく、私とまったく同じポジションで役所で働いた経験(国は違いますが)があり、さらには、私と同様に社会科学分野の博士で、長いあいだ海外の大学の研究所にいた人です。ある分野においてものすごい専門性をもっているのですが、現在の仕事は調査研究ではなく、海外事務所の会計簿のチェック、役所に提出するための書類作り、そして職場の総務的な「誰かが拾わなくてはならない仕事」ばかり。こんなに能力の高い人を雇用しても活用できない、それが日本のNGOの現実です。(永田町もそうですが。)でも彼は、国際的な競争力をもつNGOを目指すためにはそれではいけないと、朝の6時に出勤して、この組織の事業の基本概念のようなものをアカデミックに社会に示すための論文を書こうとしています。そして、私が研究活動を続けていることについても、土日を利用して学会に出席することについても、非常にポジティブに応援してくれます。この点だけをとっても、私はここに転職して本当に良かったと思います。
 以前は「フルタイム研究者になんかなりたくない」、「絶対に教職にはつきたくない」、「頭の悪い学生は嫌いなんです!」と言っていた私ですが、そういうことを公言することが恥ずかしいと、最近はそう思うようになりました。先月はF大学で1コマ講義を担当させていただいて、つくづく、教えることの困難さを実感しました。でも、学生さんと話すのは楽しかった。私もいつかは、フルタイム研究者になりたい、他人に教えたいと思うようになるのかもしれません。

 絶対に相容れることがないと思っていた国●開発学会にも出席してみようと思うようになりました。来月には、同学会の研究会で報告をさせていただく予定です。NGOの実践報告や成功例(またはその代弁)をもっともらしく羅列するみたいな報告は大嫌いで、フィリピン研究会でそういう報告があっても毎回耳を塞ぐ気持ちでいましたが、それでは何も変わりません。大嫌い大嫌い言っていないで、カウンター・アーギュメントを提示してみたいと思っています。

 そのようなわけで、転職後、少しずつ、人生が転換していっている気がします。
 役所から議員事務所、そしてNGOへの転職。傍から見れば、どんどんdowngradeしているように見えることでしょう。事実、給与は減るばかりですし、おまけに、担当している仕事は半分くらい、会計処理。博士号をもっているのに簿記の教科書と首っ引きって、いったい何をしているこっちゃ、と思われるかもしれません。

 でも、これでよかったのだと思います。
 改めて、フィリピンとタイの友人たちの寛容さ、そして日本の友人たちの寛容さを思い起こし、胸に強く強く響くものを感じています。
 もうかつてのように、「NGO嫌い」がすべての先に立つような思考回路ではなくなったのだと、そう思っています。

 私は今月で32歳になります。まだまだ呆れるくらいに意固地ですが、きっと今年は、もう少し寛容に生きられる気がしています。寛容とは決して、許せないものに目を瞑って見ないふりをするということではないのだとも思っています。
 友人の皆さん、これからもよろしくお願いします。
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by saging | 2012-06-18 00:14 | その他
いまさらNGO その1

 約1ヶ月前に、再就職しました。
 新しい勤務先は…日本のNGOです。

 知人からの紹介とか、もちろん元上司(議員)からの紹介とかではなく、公募情報を見て、書類を送って、3月の末に面接を受けて、4月上旬に採用通知を受け取りました。
 迷いはあったのですが、その後、4月にフィリピン、5月初旬にタイに行き、信頼できる友人たちと話をするなかで、この仕事をしたいと確信するに至り、5月下旬からここで勤務することになりました。

 NGO大嫌い、と公言してきた私がなぜNGOに勤めることになったのか?
 以下、パブリックなことを書いているようで、実際はいつもにも増して長い自分語りとなってしまうことをお許し下さい。

 私は90年代後半に日本の国際協力NGOで、その後、2000年代前半に日本のODA改革運動団体で活動してきました。前者は、外務省から資金を調達して事業を進めるタイプの、いわゆる「事業型/連携型」と呼ばれるNGOで、後者は日本のODA事業の問題点を追究し、NGOが日本政府から資金をもらうなんてとんでもないと考える、いわゆる「提言型/対抗型」と呼ばれるNGOでした。同じNGOでも両者にはわかりあえない壁があり、その壁の高さは、「NGOと外務省との間の壁」をはるかに凌駕するものでした。単に棲み分けているだけならいいのですが、互いに互いを批判するのですから、困ったものです。

 そして、その構図は、2012年の現在まで、基本的には変わることがなかったように思われます。洗練されたのは、棲み分けの手法だけ。
 フィリピンで活動する組織を見ても、日本の「事業型NGO」は外務本省や大使館との定期的な協議を着々と進め、いかにして外務省の資金を得るかという点に意識を集中させてきました。他方、「提言型NGO」はそうした協議には一切の関心を示さず(というか批判しつつ)、ODA改革という文脈で別の協議(ODA批判セッション)を展開。
 前者はフィリピンの開発NGOをパートナーとするのに対し、後者のパートナーはフィリピンのゴリゴリの社会運動組織。日本大使館のなかでも、経済担当の職員と面会に来るNGOは助成金が目的なので非常に「従順」、他方、政治担当の職員に面会に来るNGOは話の通じにくい活動家、…という、非常にわかりやすい構図ができていたように思います。(私はフィリピンでかの職場に勤務中、まさにそのことに関するペーパーを作成し、フィリピンと日本のNGOの分類表も添付して、組織の決裁を得て報告書として東京に送りました。)
 「ほっとけない」のホワイトバンド運動で知られるG-CAPジャパンの存在とか、2008年の洞爺湖サミットにおける「事業型」と「提言型」の部分的な協働とか、その後の「動く→動かす」の発足とか、フィリピンに限って言えばIBONの存在とか、例外的なものはありましたが、基本的には何も変わっていないように思われます。

 2002年に大学院に入ったとき(フィリピンにはまだ旅行でしか行ったことがなかった頃のことです)、私は実は、こうした「日本のNGO界の二分化とその政治的影響」について、特にフィリピンで活動する組織を中心として研究したいと思っていました。が、私はすでに「事業型」と「提言型」の双方で活動した経験があり、特定の組織や人々に関わってしまっていたので、そんなリスクのあることはできません。
 そこで思いついたのが、
 「代わりに、フィリピンのNGO界の分裂について研究するのはどうか?」
ということでした。当時はフィリピン「ど素人」の私でしたが、フィリピンの社会運動やNGOがすごく分裂しているということくらいは、伝聞で知っていました。さっそく、当時、京都のR大学にいらっしゃったフィリピン研究の先輩のAさん(いまでも、ものすごくお世話になっています)を訪ねてご相談したところ、
 「方向性としては決して間違っていないと思います。私も、日本で働くフィリピン人について直接的に言えない、調査できないことを香港で働くフィリピン人の事例を通じて言おうとしているところがあります。ただ、そういう隠喩的な研究はとても難しいし、やりたいことが明確にあるなら、ものすごく遠回りになってしまいます。」
と言われました。
 つまり、修士課程に入ったばかりの私にはそんな手法は無理ということです。…が、私は、フィリピンのNGOの政治的分裂そのものについてもものすごく興味があったので、日本のNGOのことはとりあえず忘れて、そちらに集中しよう、と思いました。
 …そしてフィリピン大学に留学し、先生方や、所属していた研究所の研究員の方々に、
 「政府との距離の取り方や支持政党の違いによるNGO同士の分裂とか、ひいては住民の分裂、について研究したいのですが、どのセクターがいいでしょうか。やっぱり農地改革でしょうか?(当時、Boy Morales氏が農地改革長官を退いて間がなかったため)」
と聞くと、誰もかれもが、
 「分裂といえば都市貧困セクターに決まってる。あんなに分裂してるセクターはほかにない!」
と口を揃えるので、都市貧困セクターを専門にすることにしました。
 …いまではすっかり「専門は都市スラムの住民運動」と公言している私ですが、当時は、都市貧困のトの字にも関心がなかったことをここに告白します。
 あれから10年。その間、フィリピンNGO界のとんでもない分裂っぷり、対立っぷりに圧倒されつづけ、タイにいたときもタイ人の活動家から「フィリピンNGOって些細なことで分裂しすぎだからダメなんだよ!」と指摘されてやっぱりそうかといささかショックを受け、でも、分裂の只中で理念のもとに奮闘する熱すぎる活動家たちの熱を感じるにつれ、そして、そうした分裂の連続が生み出す住民運動のダイナミズムと、上のほうで起こっているゴタゴタを冷静に眺める住民たちの落ち着きぶりを知るにつれ、どんどんフィリピンの都市貧困セクターに惹かれていって、現在に至っています。もちろん、その間もずっと、日本のNGOのことを忘れることはありませんでした。分裂や対立の現場に瀕したときの活動家や普通の住民の対応を見るたびに、日本だったらどうだろう、と思いつづけてきました。
 
 でもこの10年間、日本のNGOのことは大嫌いでした。「大嫌い」なんて単語をBlogに書くなんて非常に大人げないと思うのですが、本当に「大嫌い」としか言いようのない感情だったので許してください。次回からの投稿ではできるだけ書かないようにします。
 フィリピンに長期滞在をする前の私は、そこまでNGOが嫌いではありませんでした。ただ、自己啓発や「何かスピリチャルなもの」に頼らないといけないような崇高すぎる「ミッション」の置きかた、誰かの自己犠牲によってしか成り立たないような組織運営のありかたはおかしい。従業員の福利厚生の不足を精神論でカバーするような組織はやはりNGOとしておかしい。私が思っていたことはそれだけでした。
 もちろん、明らかにdo-gooderな人たちやスタディツアーと称してスラムを「見学」に行くような困った人たちを見て憤りを感じることはありました。でも、私は関わらないから距離を置こう…という感じでした。別に喧嘩する必要もないでしょうに、と。
 大学に入ってから途上国支援に目覚めた友人たちに、「あなたはなぜ突然にNGOをやめたのか」と訊かれることも多々ありました。中高生時代、地元ではかなり有名なNGO活動家だった(地元メディアに頻繁に出演し、学校の朝礼にも幾度となく登壇)私が大学に入った途端に活動をやめ、自分のためだけに時間とお金を使う普通の大学生の生活に切り替えたのですから、友人たちの戸惑いはいかばかりであったかと思います。でも、私は彼女たちに何も説明しませんでした。あえて喧嘩する必要はありませんから。
 大学院の研究室の先輩に勧められた、中野敏男(1999)「ボランティア動員型市民社会論の陥穽」『現代思想』第27巻第5号には、さすがに、『ゴーマニズム宣言 脱正義論』並みの衝撃を受けました(読んでいらっしゃらない方はいますぐお近くの図書館へ!)。でもまあ、それはそれだし、私はそういう人たちには関わらなければいいのだし、と思っていました。

 しかし、フィリピンに渡航してから、私は大きく考え方を変えました。フィリピンは良くも悪くもNGO大国。あちらにいたときはことさらに、「日本のNGO」の能力の低さ、感度の低さ、嫌らしさ(またこんな単語を…ごめんなさい)に苛立つことばかりでした。

●なぜか「村人と一緒に」家だのパイプラインだのを作ることで「彼らを支援している」気分になって自己満足する日本のNGO、または大学生サークルのスタディツアーとかワーキングキャンプ。まったく体力のない日本人が、「邪魔」と「感謝の強要」以外に、いったい何ができるというのでしょう? という私の質問に、誰も答えてくれない。この質問への模範解答は、「何もできない。日本人が遊びに行って、経験させてもらって帰ってくるだけ。こちらが得るものは確実だけれど、あちらが得るものがあるかどうかはわからない。」だと思うのですが、それを明言する人っていないものですね。
●ろくに英語もできないのに、フィリピン人たちに対して明らかに上から目線の日本人駐在スタッフ。フィリピン人は会計ができない、なんてことを平気で言いますが、だからといって彼/彼女自身に簿記のスキルがあるわけでもなく、優秀なフィリピン人スタッフたちから英語で嫌味を言われても陰口を言われていても気づきません。お気楽すぎ。
●安全上、午後2時以降は事業地(スラム)には行きません、と公言することで危機管理をしたつもりになっている日本人駐在スタッフ。日が暮れはじめる午後4時半ではなく、「午後2時」である根拠は、いくら尋ねてもまったく不明でした。私も調査のために一時期、その地域でお世話になりましたが、他のスラムに比べると、少なくとも午後6時までは安全と感じました。逆に、2時は午前の授業を終えた小学生たちが帰宅してきてもっとも活気づく時間帯。子どもをもつ女性を支援していたはずのNGOが、なぜ2時には引き上げなくてはならないのか、本当に謎でした。
●そんな不透明な↑のNGOに対し、興味本位で「スラムを見たいので案内してください」と無邪気にコンタクトする大学生グループ。
●それに対して「1日1万円で案内します」と返答する駐在スタッフ。スラムって見世物ですか?
●そのことに対してまったく疑問を抱かずに「スラム観光」を依頼し、「日本人が失った心の豊かさがここにある」などと、少なくともここ15年は使い古された勝手な感想を述べる大学生グループ。いったい、いつの日本人のことを言ってるの!?
●スタディツアーの前日に「明日から当団体はフィリピンに行くのですが、現地にいる方、どなたかボランティアで通訳をしてくれませんか? 私も英語には自信がなくて。」とメーリングリストで流すスタディツアー引率者。…アカウンタビリティとか危機管理とかスタディツアー費用の会計とか、いったいどうなっているの?
●ADBやUSAID, 日本国外務省、JICAがやることは、何も聞かなくてもなんでも憎いと確信している日本のNGO活動家。でも、国連やCIDAにはいつも寛容。なぜカナダはいいの? 単に米国嫌いなだけでは?

 その後、いわゆる役所と呼ばれる職場に勤めたことで、私の「フィリピンで活動する日本NGO嫌い」はさらに加速したのですが、他方で、フィリピンのNGO、あるいはフィリピンで活動する他国のNGOにおいては、本当に尊敬できる組織、そして心から素晴らしいと思えるスタッフと出会うことができました。2007-2008年に日-フィリピンEPAの批准をめぐって大活躍したフィリピンの「批准反対派NGO」の中には、ものすごく聡明で、話が上手で、かつ人当たりが良い(ついでに美男・美女の)、そして建設的な議論のできるスタッフが何人もいました。フィリピン政府もフィリピンの上院議員も、そして日本国政府も、あれには完敗でしたよ…。私は上司にそのまま、
 「勝てる気がしません。かつてのネリア・サンチョみたいなものです。」
と報告しました。(それに対して「そうですか、ネリア・サンチョね。」と言った我が上司の理解の深さもかなりのものですが。) …彼女たちのその後はいまでもFacebookでフォローしていますが、本当に優秀で、人間的にもできた人たちばかりです。

 当時の仕事と関係して、忘れられない出来事が2つあります。1つ目は、フィリピン国内の左派動家の殺害がきわめてセンシティブな政治的問題になっていた時期のこと。私はある真夜中に開催された、超党派の活動家たちによるStop the Killingというチャリティライブに参加しました。外交団が参加するようなものではなく、完全にフィリピン人のためのイベントで、左派政党の議員の方々や、それぞれに対立する左派グループの幹部の方々も多数出席していました。皆、当時の私の所属を知っていましたから、それぞれにいろいろと言いたいことはあったでしょうに、何も言わずに、ただ順々に黙って強くハグしてくれただけでした。それに気づいた各組織のスタッフや若い活動家たちはすぐに私を取り囲んで議論を吹っ掛けようとしてきたのですが、各組織の幹部たちが「今夜は音楽を聴く時間だから質問は慎みなさい」と強く制してくれたのでした(それぞれが互いに牽制し合っていたこともあるのでしょうが)。
 2つ目は、有給を取ってキアポでの都市貧困層の集会に参加したときの日のことです。どちらかというと急進的なNGOが主催する集会でしたので、私は幹部の方々にご挨拶したあとは、目立たないように、少し離れたところからステージを見ていました。するとまったく偶然にも、かねてから存じ上げている日本NGOの活動家の方に見つかってしまいました。私は彼がフィリピンに来られていることすら知りませんでした。私が立っていた場所がたまたま、その日本NGOの支援するコミュニティの方々の立っておられるすぐ近くだったのです。彼は私に、なぜこんな場所に来ているのか、日本政府のスパイなんじゃないか、と決めつけ(日本政府はキアポでの小集会に人員を送るほど潤沢な資源を有してはいません)、私が「いえ、今日は個人的な関心で、有給を取って来ています」と言っても聞く耳をもたず、「名刺を下さい、持ってますよね、名刺!」と詰め寄られました。もちろん持っていましたから差し上げましたが、とにかくしつこく絡んでいらっしゃるのです。結局、そばにいたフィリピン人の活動家数名が、彼を引き離してくれたのでした。そして数週間後、今度は仕事でその急進的なNGOの幹部(私も頻繁に会っていた人で、キアポでの集会には参加していなかった)と同じ場に居合わせることになったとき、彼はなんと、私に謝罪したのです。
 「君が我々の集会に姿を見せるときはほとんどがプライベートであることは、皆が知っている。日本政府はそんなところに人を送ったりしない。でもあの日本人はそのことを知らなかった。もっと早く止めに入るだったのに、と担当者が言っていた。ごめんね。」
 …KYとか、空気を読む、という日本語が定着し始めたのはちょうどあのころだったと思いますが、私はその意味を、あの夜のライブで実感したものです。(なんて、ちょっと持ち上げすぎですね。普段はもっと頑固な人たちなのですが…。)
 経験からNGOを語ろうとすると、どうしても、組織じゃなくて組織に所属する個人の話になってしまいがちですが、上記の2つのエピソードで私が申し上げたいのは、それらの組織にたまたま優秀で柔軟な幹部やスタッフ(理事なり事務局員なり)がいたのが素晴らしということではなくて、そうした優秀で柔軟な幹部やスタッフの価値観が組織内で共有され、指示として伝達されていたのが素晴らしい、ということなのです。

 大学院での私の研究内容は、フィリピンのNGOの政治的分裂と、それらのNGOに「支援される側」である貧しい人々がそれをどう見ているかを分析するものでした。そのために私は、NGOのことを批判的に冷静に眺める「支援される人々」の側に立つことを決めていました。研究者なんだから「側に立つ」じゃなく中立でいるべきだ、と言われるかもしれませんが、こんな政治的なテーマで研究をしていて、中立でいるなんてできるはずがありません。私が知るかぎりにおいて、「中立」を標榜している研究者は100%、NGOの側に立っています。当然のことです。NGOのほうが声が大きいし、彼らは英語で情報を発信してくれるのですから。かなり意識しないと、「支援される」側の声を拾い集めることはできません。だから私は調査中、調査に協力してくれていたNGOの側と住民の側のそれぞれに、「私は住民組織の肩をもつことになると思う」と申し上げました。NGOに対しては、失礼千万な話です。もともと、私は彼らの手引きを受けて各スラムのコミュニティに入ったのですから!
  …でも、NGOの幹部やオーガナイザーたちはそれを聞いて、
 「かまわない。君の研究テーマを最初にきいたときから、きっとそういうことになるのだと思っていた。俺たちのワルグチをいっぱいきいてきてくれればいい。Reflection, Self Reflection. でもあとで情報くれよな。ちょっとでいいから。」
と言いました。そもそもそれ以前から私は、彼らに対し、
 「それって本当に住民主導なの?」
 「このあいだのあの件って、住民を誘導してなかった?」
と、失礼なコメントを発しまくり、何時間もの議論にお付き合いいただいていました。私が博士論文なんてものを書くことができたのは、こうした、本当に理解のある、寛容な人たちに恵まれて調査をさせていただくことができたからなのだと思います。
 そして私はスラムに入り、NGOについてのたくさんの批判をきかせていただきました。「支援される人々」が「支援する人々」に抱く不満、失望、そしてそれを表だって述べることに対する躊躇や、「支援してもらっている分際で…」という後ろめたさ。でも、彼らは本当に雄弁でした。決して感情的ではなく、何が許せて何が許せないのかを、具体的に、説明をつけて語ってくれました。
 私は論文を書く前には、あるいは学会報告をする前には、必ず、私の研究の中で不幸にも槍玉にあげられることになってしまったNGOの幹部やオーガナイザーの方々に原稿を見てもらいました。あるいは、プレゼンをして意見をいただく時間をとってもらいました。彼らの側から見たら、ひどすぎる話です。要は、勝手にワルグチを書かれて、それを見せられて、「はい、何かご反論はありますか。なければ学会で報告します。」と言われるようなものですから。無茶苦茶です。にもかかわらず、彼らは何度も付き合ってくれました。彼らの理解の深さと寛大さには、私は一生頭が上がりません。
 もちろん、私はできるかぎりの「御礼」として、両者の橋渡しをするようには務めました。住民の側から
 「NGOに直接話すのは嫌だから匿名でこの不満を伝えておいてほしい」
 「いまから言うことを英語でうまくとめて手紙としてNGOに持って行って。」
と言われてそのとおりにしたり、NGOの側から、
 「いやそれはものすごい誤解だからこの資料を持って行ってこの5人の人たち全員に一人ひとり説明して訂正してきてほしい」
と言われてその務めを果たしたり、むくれてしまったNGOワーカーと和解したくてたまらないのにウジウジしている住民リーダーのおばちゃんをNGOのオフィスに引っ張っていったり、逆に、訣別を告げられてしまった住民リーダーとまた関係を復活させたいと願っているNGOオーガナイザーに、私のアシスタントという名目で一緒にコミュニティについてきてもらって、私をダシに会話してもらって、なあなあに和解をしてもらったりしました。
 「研究者としてそれはどうなのか? イシューにも組織にも関わりすぎでは?」
と言われるかもしれませんが、私は自分のやりかたを決して後悔してはいません。公害に第三者はいない、と言ったのは宇井純先生ですが、本当に入り込もうと思ったら、第三者ではいられないのですよ、絶対に。それでなければ私は博士論文を書けなかったと思います。そして、NGOの方々も住民の方々も皆、彼らの協力がなければ私が博士論文を書けなかったということを知っています。本当に、彼らには一生、頭が上がりません。
 
 フィリピンでお世話になった通算6年半のあいだ、そんな寛容なNGOワーカーの人たちに出会い、心を許せる友人を得ることができた一方、日本のNGOで尊敬できるような組織には、ついに出会うことができませんでした。私は日本のNGOに心底失望していました。フィリピン研究会全国フォーラムをはじめとした研究会で「活動報告」なるものを行うNGOというか学生グループも本当に素人っぽくてイノセントで、話をきいているだけでつらくなるくらい(ごめんなさい、またこんな感情的な表現を…)でした。友人の皆さんはよくご存じのように、私は日本の気心知れた友人たちとお酒を飲むと、ものすごい勢いで、この世のかぎりのNGOのワルグチをまくしたてます。そしてフィリピンでは、お酒を飲まなくても日常的にNGOを批判しまくっています。

 フィリピンの友人たちは、(現役のNGOワーカーや活動家も含め、)そんな私のワルグチに、何時間も忍耐強く付き合ってくれました。日本NGOやdo-gooderのあふれるマニラ首都圏。私の「日本NGO嫌い」、「do-gooder嫌い」は友人たちには広く知られていて、彼らも、
 「saging, こんなすごいdo-gooderのスタディツアーを見たぜ!」
 「君が大嫌いなあの日本人の映画監督、またゴミ捨て場で映画撮ってるぜ! それがひどくてさ…。」
といった情報で私を煽ってきました。ただ、彼らは私の嫌悪感は理解してくれたものの、なぜ私がそこまで不寛容なのかは理解できないといった感じでした。
 「君が憤るのはよくわかる。でも、放っとけよ。たかが数百万円のプロジェクトじゃないか。そんなことにいちいち怒るなって。もっとわかりやすい『悪』はほかにあるだろう。」
彼らが言っているのは、要は、そういうことでした。

 2009年に、フィリピンの洪水被害への日本のNGO事業に関するモニタリングを担当したとき、私は信頼できるフィリピンの友人たちに助手をお願いしました。当時、私はフィリピンをしばらく離れてタイに住んでいて、いまなら真っ新な心で日本のNGOの新しい面を発見できるかもしれないと密かに思っていたのです。偏見を排除してありのままのモニタリングをしたいから、そのように助けてほしい、と彼らに依頼していました。が、結果としては友人たちは私の暴走を止めるどころか私と一緒になって、日本のNGOの能力の低さにつくづくショックを受ける結果に。たまたまかもしれませんが、このときに対象となった日本NGOったら、7団体のうちの5団体は現地(フィリピン)での活動経験がなく、私から見れば、本当にトンデモナイって感じでした。

 ……。
 このモニタリングのずっと前から、私は感じはじめていました。こうやって日本のNGOの悪口を言い続けていても、私はどこにも行けない。お世話になったフィリピンの方々に、何もお返しすることはできない。
まだ10代だったときにお世話になっていたNGOで、こう言われたことがありました。
 「君は他人に厳しすぎる。偽善だっていいじゃん、善なら。」
…「ボランティアは偽善」だなんて懐かしい言葉がまだ流通(?)していた頃のことです。あの中野敏男論文が世に出るよりもっと前ですね。

長くなるので、続きます。
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by saging | 2012-06-18 00:13 | その他