Keso de Bola とは、 「表面は赤いのに中は黄色い」フィリピンのボール型チーズ。転じて日和見主義者。       かつてお世話になった、現地の言葉で「灯台」と呼ばれるマニラ湾岸のスラムを、ガラス越しに。
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東京コネタ集 その2
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池袋の牛丼チェーン店。ほんとうに停電でも営業するのでしょうか? そもそも、豊島区って計画停電エリアに指定されたことはないでしょ。
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 江古田の焼鳥屋さん。「全力節電」って何!? それとも、「全力」はもしかしたら「営業中」にかかっているのでしょうか。常時、1500円で60分間食べ放題・飲み放題というすさまじい看板を掲げているお店なので、なんでも全力なのかもしれませんね。
 江古田駅前は焼鳥屋さんと飲み屋さんがやたらと多い。なのに、駅付近のスーパーのレジに並んでいたときに聞こえてきた会話は、
 「こないださー、初めて大山(東武線)行ったんだけど、あそこ飲み屋しかなくない?」
 「マジ大山って飲み屋ばっかだよなー。ってか、ハッピーロードって名前、恥ずかしくねえ?」
 「屋根が付いてるほかに、メリットなくない?」
…いえ、ここ江古田も飲み屋だらけですよ。そして、「江古田銀座」っていう商店街名は、「ハッピーロード」以上に恥ずかしいんじゃないかと思います。屋根もないし。
 東京人の話って、わけわからないですよ。あと、東京弁の否定疑問文「…なくない?」って、YESで答えるべきなのかNOで答えるべきなのか、いまだにさっぱりわかりません。たぶん、いずれの場合も「ですよねー」って言っておけばいいのだと、習慣的に学んだのですが、いいですよね。っていうか、それでもう、よくなくない?

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 数週間前から、国会裏のある銀杏の木に張られている注意書き。カラスも国交省もたいへんだなあと思いながらも、つい笑ってしまいます。
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 国会裏の銀杏の木々。黄色の葉がまぶしすぎて議事堂が見えなかった季節のあと、枝だけになった木々の後ろに議事堂がはっきり見える日々が何ヶ月も続いたかと思うと、最近では、建物がすっかり覆い隠されるほどに緑がわさわさと生い茂るようになりました。
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 2週間前は、まだこんなだったのに。落葉樹ってすごい。季節ってすごい。


 昨日、チャツネを買うためにデパ地下に行ったら、カレーコーナーの広さに唖然としてしまいました。
 東京人はこんなにカレーが好きなのかと。
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 でもよく見たら、まるで書店の本棚のように陳列されている商品の大半は、箱入りのレトルトカレー。スパイスも特に珍しいものはなかったし、チャツネは1種類しかありませんでした。
 東京人はこんなにレトルトが好きなのかと。

 東京って、「人が一人で生きていけるところ」です。
これは、マニラの職場で1年間だけ一緒だった同年代の女性の言葉ですが、ほんとうにその通りだと思います。
 東京ってそういうところです。ほかの場所とは比べることができない、そういうコンテキストが存在していると思います。
 マニラは、一人で生きていけない街でした。
 大都会だし、多国籍料理のレストランもファッションモールもたくさんあって、日本の感覚ではわずかなお金さえ出せば何でも手に入るから、数週間くらい住むにはいいところです。安くて活気ある「東南アジア」の空気を楽しみながら、快楽的で開放的な生活をすることができます。手軽に私が3年間住んでいたエリアは歓楽街のすぐ近くでしたから、24時間営業のカンティーン(食堂)がいくつもあり、どんな真夜中でもできあいのお惣菜が手に入りました。毎朝の出勤途中には、カットされたパイナップルやパパイヤやメロンを屋台で安く買うことができました。
 でも、マニラは、一人で住むことができない街でした。それがなぜなのか、いまでもわからないままですが、マニラに住んでいたときは、とても淋しくて、心身が常に枯渇しているような気分でした。自宅があまりに広すぎたせいかもしれませんが、それだけではなく。

 東京は、一人で、そこそこ幸せに暮らせる街です。たぶん。

 私の尊敬する友人(東南アジア在住)が、4月のはじめから日本に一時帰国しています。東京都心での勤務も政治的業務も経験し、「東南アジア帰り」かつ「田舎者」でぜんぜん東京に馴染めない私を、ことあるごとに励ましてくれていた彼ですが、先日、こう言っていました。
 「やっぱり、俺には日本は無理だよ。」
…まあ、そうですよね。私もずっとそう思っていたし、いまも、心の片隅ではそう思っています。
 でも、どうにかなっているんですよ、これが。不思議でたまらないのですが。

 昨年末にたまたま、タイ勤務経験のある官僚の方と雑談をしていたとき、
 「sagingさん、前職はフィリピンだそうですが、何年くらい?」
と訊かれ、
 「通算6年とちょっとです。」
と答えたら、
 「6年ですか…。よく日本社会に復帰できましたね。しかも、そんな仕事に。」
 「私は3年でしたが、日本がきつくて。早期退職してタイに戻りたいですよ。」
と、しみじみ言われました。(「きつくて」って言いながらもその方はバリバリのキャリア官僚で、きわめて責任の重いポジションで、霞ヶ関で超多忙な日々をお過ごしなのですが、でも、いつもセンスのいいジム・トンプソンのネクタイをされていて、きっとタイが大好きだったんだなあ、と思います。)

 たしかに日本は(特に東京は)、生きにくい場所なのかもしれません。私はあいかわらず地下鉄が苦手で、気分とその日の服装によっては自転車で通勤することもしばしばです。それでも私は、ふたたび日本で生活することを(そしてよりによって東京で生活することを)好きになりつつあります。
 もちろん、マニラに住んでいた頃のようにはいきません。知り合いの喫茶店に寄るような気軽さでライブハウスに行ったり、いろんな人と気ままにデートしたり、週末にふらっとダイビングに行ったり、仕事帰りにふらっとお芝居やミュージカルや映画を観に行ったり、未明まで飲んで気軽にタクシーで帰ったりはできません。日本のライブハウスは一人で行きにくいこときわまりないし、好きなアーティスト以外は日本の曲ってあんまりいいと思えないし、お芝居は高すぎるし、タクシーなんて絶対乗れない。野菜も果物も高価でびっくりします。
 でも、東京で暮らしていて、この日常が幸せだなあと思う瞬間は、たくさんあります。
 毎朝、木々の緑や沿道の花を眺めながら駅に向かうこと。南国ではいつも何かしら色鮮やかな花が咲いていたから、花が咲くことがこんなに嬉しいなんて思いもしませんでした。
 数日ごとに劇的に変化するデパートやモールのブティックのディスプレイを見て歩くことも、休日に永田町から日比谷公園を通って銀座まで散歩して、銀座を歩く人々の半端じゃなく美しいファッションをみることも、東京ならではの幸福だと思います。
 大型書店で好きなだけ本を吟味するひとときも幸せです。
 仕事帰りのジムも至福のひとときです。大きな窓越しに夜空の見えるプールで泳いで、ストレッチをして、ジャグジーに入って、シャワーを浴びて、大きくて明るい鏡を使って…。この快楽に慣れすぎた私は、いまだに、自宅のユニットバスでお湯をはったことがありません。
 翌朝早起きしなくていい週末の晩、ジムでたっぷり泳いでから、帰宅してワインを飲みながら遅くまで本を読むのも、最高級の幸せです。
 休日の朝、今日は仕事に行かなくていいんだーと思いながら村上春樹をちょこっと読んで、その日本語のクールさに酔いしれるのも、やはり最高級の幸せです。外国にいたときも村上春樹の文庫本は常に何冊か持っていたのですが、外国生活中に読むのと日本生活中に読むのとでは、感じ入る箇所がまったく違うのです。

 先週、北海道の方から、舞茸と、アスパラガスをいただきました。どちらも、見たことがないくらいに大きくて立派でした。
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 舞茸は、半分は豚肉と炒めて、そして、半分は山菜と煮物にして、3日くらい楽しみました。(本当は天ぷらがお勧めだそうなのですが、我が家には電気コンロしかないのです。)
 アスパラガスは、シンプルに茹でて、塩とマヨネーズでいただきました。こんなに大きいのにあっというまに火が通って柔らかくて、本当に美味しくいただきました。
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 どこの国のどんな地域でもそうですが、地元の方が勧めて下さる食材って、本当においしいものです。

 2週間前の週末、とてもお天気が良かったので、友人に勧められた「愛宕神社」と「NHK放送博物館」に行ってみました。
 休日の虎ノ門エリアは、人も車も少なくて落ち着きます。
 桜は終わっていましたが、葉桜も好きです。緑が出てくるだけで、素晴らしい。
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 「NHK放送博物館」――素晴らしかったです。2.26事件からイラク戦争開戦までの「歴史的映像」が11分のダイジェストで見られるほか、「初めてのラジオ体操」とか「玉音放送」とか、現天皇のご成婚パレードとか、東京オリンピックとかの白黒映像を繰り返し観ることもできます。両親の昔話に出てくるラジオドラマ「君の名は」も聴けますし、代表的な過去の「みんなのうた」も聴けます。過ぎ去りし昭和を、めいっぱい懐かしむことができました(といっても私は昭和を10年も生きてはいないのですが)。
 映像のパワーは強烈です。私が意識的にTVを避けるようになったのは9.11以降だと思います。映像って、観るだけで衝撃を受けてしまいます。
 フィリピンで働いていたときも、いまも、職場では常にニュースか議会中継をつけていますが、私はもともとTVが好きではなく、自宅ではほとんど観ません。日本の常識についていかなくちゃと思って無理やりつけても、民放の討論番組なんて観ているだけで苛立って、すぐ消してしまいます。
 特に今回の震災後は、自宅では、できるだけTVをつけないようにしていました。
 それなのに。NHKの誇る「歴史的映像」の数々には、不覚にも心を動かされてしまいました。思わず、『あなたと作る時代の記録 映像の戦後60年』のDVDを買おうかと逡巡してしまいました。
 帰りには愛宕神社にお参りし、近くのチーズ専門店で、Queso de Murcia al Vinoという山羊のチーズを買いました。しっかりとした山羊チーズ風味なのにヨーグルトのような酸味が前面に際立っていて、とても美味しく、感激しました。東京って、何でも手に入る街ですね。

 
 自宅に持ち帰った仕事がどうにも終わらない平日の未明、ふと、ライブハウスに行きたくなって、Noel CabangonやCynthia AlexanderやJess Santiagoの歌声が聴きたくてたまらなくなって、MP3ウォークマンに保存している数少ない彼らの曲をひたすらリピートしたり、YouTubeでライブ映像を検索したりしてしまいます。
 マニラがとても懐かしいし、帰りたい。でも、ひとりで生きられないあのマニラという街でのいろいろな苦悩と、なんだかんだ人が多くて大変な東京で生活する小さな幸せは、たぶん、相殺しあってプラスマイナゼロくらい。

 きっと、それも幸せのひとつなのでしょう。
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by saging | 2011-04-30 22:38 | 仕事('10年~)
帰ってきてよかった
 日本に帰ってきてよかった。
 ここ数日、桜が美しすぎて…気が動転しそうです。
 桜が目に入るたびに、すべてを忘れてしまいそうです。桜の季節に日本で過ごすのは、5年ぶり。桜ってこんなに人を変えてくれるのでしょうか。それくらい、幸せです。幸せすぎて、桜の真下を歩くのが怖いくらいです。坂口安吾じゃないけど、あんな満開の下に立ったら、おかしくなっちゃうんじゃないかと思います。
 すこし離れて見ているのが、いちばんいいです。

 先週、「究極のストレス解消法」を実施しました。
 大型書店に行って、かごを持って文庫本を買いまくるのです。日本では本が高価なので(フィリピンに比べて)なかなか派手に買いまくるというわけにはいかないのですが、文庫なら20冊くらい買っても1万円強くらい。でも、見た目のボリューム、手にずっしりくる重さ、そして「衝動買いの昂揚」からくる満足感は、無限大。幸せになりました。おすすめです。(金銭的に余裕がない場合は、「ブックオフで10冊衝動買い」などでも良いと思います。)

 今週は毎日、仕事が終わったあと、ただ桜を眺めるだけためにあちこちの夜道を散歩したり自転車で少し遠くに出掛けたりしているので、せっかく買った本がちっとも読めないのですが、それも含め、日本にいられてよかった。
 こんな幸せがあるなんて。日本を離れていたときは、ずっと、忘れていました。

 先日は、月末に受ける予定の資格審査試験の提出書類を揃えるため、東京都I区の、「地域センター」というところに行ってきました。住民登録をしたときに作成してもらった「区民カード」があれば、区役所の開館時間外でも、区内の各所にあるこうした施設に備え付けの自動交付機で「住民票の写し」や「印鑑証明」を入手することができるのです。なんて便利なサービス。信じられません。日本に帰ってきてよかった。

 私はこの「地域センター」に、もうひとつ用事がありました。選挙人名簿の確認です。私のもとには、東京都知事選の選挙案内(「投票場のお知らせ」と書いてある有権者票みたいなもの)が届かなかったのです。I区に転入して6ヶ月。それまではずっとフィリピン/タイで在外選挙人登録をしていたとはいえ、移行手続きは3ヶ月あれば終わるはずですので、とても心配に思っていました。
 この「地域センター」では、たいへん狭いところに期日前投票のブースが設けられていて、入口案内役1名、都選管の受付2名、投票案内・監視役4名がひしめきあうように、そうとう手持無沙汰な感じで座っていらっしゃるので、一挙一動に視線を感じます。受付の方に住民票の写しを見せて事情を説明したところ、彼は携帯を使ってどこか(おそらく都選管)に電話をかけはじめました。私の住民票に記載されている個人情報を、抑えた声で読みあげておられたのですが、「フィリピンから転入」というところになるとなぜか声のボリュームがアップ。(私の住民票には、本当にそう記載されているのです。)
 結果、私は都選管の選挙人名簿にはきちんと登録されていたものの、何らかの問題で選挙案内は郵送されていなかったことが判明しました。とにかく選挙権はあるとのことなので、せっかくですからその場で期日前投票をさせていただくことにしました。
 あとは、普通の選挙のプロセスと同じ。投票用紙を受け取って、「投票ブース」に行って、きわめて書きにくい鉛筆で候補者指名を記入して、この投票紙いくつに折ろうかなと逡巡して。
 (豆知識:投票用紙には形状記憶の特殊紙が使われていて、ちまちま折っても投票箱の中で自動的に開くのです。私は選挙の開票のアルバイトをしたことがありますが、たしかにほとんどの投票用紙はふんわり開いていました。)
 紙を投票箱に入れる瞬間、自分が日本の選挙制度を完全に信頼していることをいまさらながらに認識して、なんだかこみあげてくるものがありました。選挙案内が来なくても、電話でプライバシーを晒されても、それでも、秘密選挙は守られているのだという絶対的な信頼があったからこと、私は投票できるんだって。あの箱は実は空っぽかもしれないし、もしかしたら投票用紙には細工がされているかもしれない。そうしたら、私が誰に入れたかはすぐわかってしまう。そんなリスクを認識しながらも、いや、日本だからそれはないでしょう、という絶対的な信頼をもって、私はいま、投票するんだなって。
 投票後、4人の監視役の方々から「お疲れさま」と言われました。期日前投票にあの人員配置は多すぎるのではとか、フィリピンでは昨年5月時点で1000人に3人だったなとか、いやフィリピンでは選管要員以外にwatcherとかmonitorとかいう市民が投票場にゴチャゴチャいるから実は日本より多いのでは、とか考えながら、「地域センター」をあとにしました。出口では、「地域センター」の警備員さんと選管の関係者が、期日前投票の期間中の毎朝の施設解錠責任者を誰にするかをめぐって穏やかに揉めていました。こういうところ、日本ですね。
 たかが一票で、感慨に耽りすぎ。理性ではわかっているのですが、喜びの感情が制御できず、自分でも驚きました。在外の大使館で投票をしたときも嬉しかったけれど、在外選挙は国政選挙に限定されていますので、地方選への投票はとても久しぶり。それに、自分が、あの天下の東京都知事選に一票を投じられるということにも、心からの喜びを覚えました。東京都で生活して、東京都で仕事して、まだ半年しか経たない私ですが、それでもこうやって都政に関われるんだなーって。私は仕事上、都知事室の直通電話番号を携帯に登録しているけれど、「都民」として投票箱に紙を入れることは、それとはまったく別の話です。
 投票がこんなに嬉しいなんて。
 自分はそんなにも投票したかったんだ、やっぱり自分自身、選挙というものにすごく思い入れがあったんだな、と、恥ずかしくも新鮮に思いました。日本に帰ってきて良かった。
 投票用紙を記入して箱に入れるだけのこの作業に、こんなに思いが溢れてしまうということ。異常かもしれません。でも、この思いが味わえてよかった。選挙制度改革においても、選挙権を得られない方々への政策においても、よりリアルに仕事に携わっていける気がします。
 (ものすごく蛇足ですが、浦安市の選挙は延期したほうがいいと思います。物理的に投票率が確保できない時点ですでに問題でしょうし、それだけの人の「投票の喜び」が失われるのは見過ごすことができません。)

 私の住むI区では、都知事選の2週間後にもう一度選挙があります。区議・区長選(首長より議会のほうを先に言うのはおもしろいことだと思います)です。都知事選は期日前投票にしたのですから、区議選は当日投票をして、投票場の空気を満喫してきたいものです。
 もっとも、2週間で2度も選挙があるなんてすばらしい、とマニアックに喜ぶ私のような人はものすごく少数で、たぶんほとんどの区民は、
 「同じ日にしてよ、どうしてそんな二度手間を…!」
って思っているはずですが…。
 I区議選には、知人が無所属・新人で立候補しています。陰ながら応援しています。私の毎朝利用する駅の前で街頭演説をやっていただけたら、それこそ、メガホン運びでも傘持ちでもなんでもやりたいと思っているのですが、その駅は利用客も少なく、どう考えても街頭演説向きではないようです。残念。 
 あと、大阪の堺市議選にも、大学院の修士課程の同期だった友人が立候補しています。もう9年も前のことですが、彼は当時すでに衆議院議員の秘書をして、同期(といっても当時から5人しかいなかったのですが)で集まるたびに、議員秘書としてのおもしろおかしい日常を語ってくれました。私が議員秘書を志そうと思い立ったときも、彼の話がいつも念頭にありました。このたびは、彼自身が政治家を目指すということになったそうです。いわゆる「ガッツ」のある方ですから、頑張ってほしいと、心から応援しています。

 さっき、都内でもまた地震がありました。あわててNHKをつけました。
 震災1週間後までは職場でも自宅でもひたすらNHKをつけていましたが、NHKを見ていると本当に気が滅入るので、かといって民放は絶対に見たくないので(民放ニュースのキャスターのデリカシーのなさはこの世のものとは思えません)、最近は、自宅ではTVはつけず、職場ではCNN(一人でいるとき)かNHK BS(上司がいるとき)をつけています。クールなCNNを見ていても気分が滅入ることに変わりはないのですが、NHKよりはましかと。
 世界はこんなにも混沌に満ちているのに、私は幸せで、そのことが、とても幸せです。日本語として成立しない表現ですが、いまは、そうとしか言えません。
 そして、日本に帰ってきてよかった。

 もし叶うなら、私を育ててくれたこの国で、これからも生活したい。そう思います。
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by saging | 2011-04-07 23:24 | その他
多様であること・学問をすること・幸せになること
 あの日から3週間。やっと再開されたスポーツジムに行き、大好きなインストラクターのBODY COMBATのクラスに出ました。地震とは関係なくここ2ヶ月は早朝か深夜にしかジムに行けなかったので、1ヶ月半ぶりのCOMBATです。美しい筋肉をもつ強靭な男性インストラクターに煽られながら、回し蹴りやバックキックのフォームに神経を集中させ、ムエタイの激しい動きにテンションを上げ、全員で気合の雄叫びをあげながら肩と腕の筋肉の限界に挑戦する、この昂揚感。この一体感。サイコーです。
 館内の電灯は暗く、プールの水温も低く、電力を使うマシンの利用は自粛、そんな環境ですが、もともとマシンにまったく興味のない私は、ジムが再開されたことを心から嬉しく思います。インストラクターも、ジムに来ている人たちも、とにかく皆、めちゃめちゃ元気だし。その溢れる体力とエネルギーを使うべく、被災地のがれき除去のボランティアに行っちゃった人もいます。日頃は「脳みそ筋肉」なんて揶揄されていた人ですが、「自粛すべきか、否か」とか、「どこの団体に義捐金を送るべきか」なんて頭の中でうだうだ考えているだけの人たち(私も含む)の不毛でネガティブな思考を一気に取っ払ってくれる思い切りの良さ。筋肉、万歳です。

 私は地下鉄通勤に戻りました。通常ダイヤの5割運転だったY線がここ2週間は8割運転になっており、かつ、他路線との相互乗り入れが停止されたことで、車内の混雑が以前並みになったからです。
明日からは相互乗り入れが復活するそうですので、もしもあまりに混むようなら、せっかくよい季節になったことですし、晴れた日は自転車通勤を楽しもうと思います。自転車って、素晴らしい乗り物です。電力不要なだけでなく、自家発電で電灯までつくんですから。

 さて、先日、Sammyさんからいただいた端的な、そしてとてもconsiderableなコメントに対して、ここでお返事したいと思います。

 帰宅後に開発援助についての本をめくりながら、「情報で頭がいっぱいであることが生む偽りの万能感」から来るストレスを、「何も考えず献身的に動く」ことで発散しようとして、その先に一人一人の生身の人間が、それぞれの生をユニークに生きていることが見えなくなり、「私(たち)助ける人、彼らかわいそうな助けられる人」という構図を抽象的に固定したまま、おのれの立場、能力、体力を忘れて「献身的ないい人」になろうとしていることに気づかさせられました。
 
 震災が起こったあと、私がいちばんに絶望したのは、twitterやFacebookやblogで書き込まれる研究者たちの数々の意見やつぶやきのなかに、「一人一人の人間がユニークに生きていること」を踏まえた視点が圧倒的に不足していたことです。
 私たちは、そのために学問をしてきたんじゃなかったのか? と思いました。

 逆にいちばん力づけられたのは、地震発生から1週間がたった週末からお彼岸にかけての3連休、上司が地元選挙区に戻り、統一地方選の候補者の事務所びらきや決起集会に出席したことでした。
 「こんなときに選挙なんて、国民を顧みない政治家のエゴだ」
という意見って、「国民」なるものをきわめて一面的にしか捉えていないと思います。こんなときに選挙なんて…というのは、市民派を名乗りながらも「市民」または「庶民」のことを一面的にしか理解していない人たちの発言だと思いますよ。(フィリピンなら「庶民」とか「市民」とかいう言葉を使うときにかなりの勇気を要するのですが、比較的簡単にこれらの単語を使えちゃうのが日本の素晴らしいところ。)
 日本の研究者(政治学者、そして人類学者も社会学者も)は、日本の「庶民」の政治活動についての認識が不足しすぎているのだと思います。タイやフィリピンの住民組織と政治行動についての論文はたくさんあるのに、日本の住民組織研究は政治的活動には踏み込まないようにしているようにみえます。
 日本の庶民は、ノンポリなんかじゃないと思います。統一地方選の告示が行われて3日目、選挙期間真っ只中の今日は、各地で候補者が全力を振り絞っています。そして候補者には、彼/彼女を支える後援会の方々、後援会じゃなくてもボランティアの方々が、本当にたくさんいるのです。大企業を退職された元役員のインテレクチャルな方々から、タフな自営業の方々、エキスパート主婦の方々、学生さんまで。地震の日も、そして、地震後の日々も、彼らは、日常をうまく生きるふりをしながら、寒風のなかを街角に立ち、事務所でチラシを刷り、エクセルとにらめっこし、各方面と電話で連絡を取って各種イベントの段取りをして、事務所びらきだの決起集会だののために椅子を運び入れ、街頭演説のために朝早くからメガフォンやたすきを持って電車に乗り…といった、そんな地道な後援会活動に従事してきたのです。そんな無駄な力があるなら被災地に行け、とかいう理論はナンセンスというか、民主主義を根本から否定する発言ですよ。
 市民派を自称する人たちが、原発について数々のネガティブな情報を収集して拡散させ、人々の不安を煽り、
 「統一地方選は全国で延期せよ、そんなことしている場合じゃない」
って叫んでいる間に、草の根民主主義は進んでいるわけです。そして、彼らの小さな活動は報道なんてされないわけで。NGOのイベントは、たとえ小さな「スタディツアー報告会」みたいなものでも新聞やTVのネタになるけれど、決起集会なんて報道されない。決起集会のほうが数としてはずっと多いはずなのに。NGOの活動はメディアで特集されるけれど、政治活動を行う人たちの日常って、日本のメディアでは放映されないんですよね。同じ「ボランティア」なのに。
 これまで私は、フィリピンでもタイでも、政治活動とNGO/NPOが近すぎることに驚いてきました。NGOが政党化したり、NGOが特定の候補者を支持したりといったことにも、ひどく違和感を覚えていました。
 でも、もしかしたら、日本が(さまざまな法律上の制限のせいで)それらを否定しているだけで、本当は、NGO的なものと政党政治って、きわめて性質の近いものなのかもしれません。

 私は決して原発推進派ではないし、原発反対運動を批判しているわけでもありません。ただ、せっかく「市民派」を名乗る人たちが、そして、ひとびとの多様性を論じ、解明することに全力をあげてきたはずの研究者が、とても多様でユニークであるはずの「市民」を一面的にしか想定することができないというのは、あまりにも悲しすぎます。
 みんな、不安に違いないのです。満員電車でひたすらむっつりしているオジサンたちだって、非難の目を浴びながら走っている地方選の街宣車を運転する人たちだって、何事もなかったかのように居酒屋のチラシを配っているお兄さんたちだって、居酒屋で消費をしている人たちだって、そして、駅前に立っている地方選の候補者たちだって。
 官邸の初動、与党の政策とくに原発政策、国会での予算審議、電力会社の対応…。批判をすることはよいと思います。ただ、もう少し、その背景にあるいろいろなことに対する配慮をしたほうがいいのではないでしょうか。特に、大学院で学問をしたような我々は。それができないなら、いったい私たちは何のために学んできたのでしょうか。
 
 震災の少し前から、私の職場は、さまざまなことで混乱していました。悪気はないのでしょうが興味本位でメールを送ってくる知人や、知った顔で分析を押し付けてくる研究者の友人(とくに政治学者や行政学者)に対し、私は、
 「この人たちはいったい何のために研究をしているのだろう」
と思い、ただただ勝手に苛立ちや失望を覚えてしまいました。尊敬していたはずの先生生方からも、ひたすら、高見からの評論や批判をいただき、政治ってそんなじゃないのに、とか、空気を読んでほしい、とか思っていました。政治を、あるいは人間を研究する立場にある人たちなのに、いったいどうしたらそんなにも他人に対する想像力を欠くことができるのか。学問なんて一抹の役にも立たない、とすら思いそうになりました。
 でも、やっぱり学問は大切だと思う。私は、政治学を勉強していなかったら、そしてフィリピンで学んでいなかったら、この数週間は、仕事を続けることはおろか、まともに生活なんてしていられかったと思います。
 空気を読めるところも読めないところも、いいところも悪いところも含めて、私たちの途方もない多様性。そして、そのなかで醜くも器用に生きようとする人たちの行動。それを政治と呼ぶのだと知っているからこそ、私は動じないで来られたのだと思います。

 こういうことをblogに書くといつも言われるのが、
 「NGOの多様性やユニークさをあなたはちっとも書かない。」
ということです。おっしゃるとおりなのですが、それは、私が書くまでもなく、NGO活動をされている方々は感情豊かで、かつ、それを表現する方々が多いので、それぞれのblogなりなんなりで目一杯に感情を吐露されているからです。NGOに携わる人たちのblogには、イベント開催までの苦労話、スタディツアーでの心の揺れを詳細に記載したものも多くあり、「文化祭の準備がどれだけ大変で、どれだけいろいろなことがあったか」を作文に書き連ねるティーネイジャーみたいな文章が、たくさんあります。逆に、「政治家の決起集会を開催するのがどれだけ大変だったか」、「街頭演説にメガフォンや音響設備を調達するまでの感動物語」みたいなblogは探しても見つからないのです。  私はそのバイアスを指摘したいだけで、決して、NGOは一枚岩だとか、NGO従事者はみな感情的だとか、そんなことを言いたいわけではありません。

 地震発生後、私のところに、
 「これで、原発は危険ってわかったでしょう」
という勝ち誇ったような強い言葉をちりばめたメールが、西日本の複数の「自称NGO活動家」から送られてきたのは事実です。計画停電エリアから自転車で永田町に通ってる私は、少なくとも彼らよりはエコなはずですが、こういう人たちに何を言っても仕方がありません。
 
 計画停電を知ったときは、けっこうショックでした。だって信号機も街灯も消えるんですよ。
 電気がなくても大丈夫。冷蔵庫なんてなくても大丈夫。フィリピンではそういう生活をしてきたじゃない。
 何度もそう思おうとしてきました。
 でも、コンテキストが違いすぎるんです。
 たしかにフィリピンでは停電ばかりでした。大型台風が来たときは、街灯も信号機も消えました。真っ暗な水浴び場にろうそくを灯して、ドラム缶や巨大バケツの中の溜め水で水浴びをする。それはそれで苦労があります。暗いぶん、ゴキブリやヤモリがどこにいるかわからなくて恐怖でした。石鹸も、目で見えないと、どのくらい落ちているのかよくわからないし。
 でも、それとこれとは違うんですよ。
 2分ごとに来ている電車が4分ごとになることがどれくらいの恐怖とパニックを引き起こすかは、2分ごとに来る電車に乗って通勤している人でないと、決してわからないと思います。私も東京に来るまでは、何も2分おきに地下鉄を走らせなくたっていいだろうと思っていました。違うんですって。これまで2分おきに走っていた地下鉄が4分おきになるということは、ただでさえ混雑した電車の中に2倍の人々が詰め込まれるということなのです。
 東京で働いているかぎりは、
 「電車が少ないから朝はゆっくり出勤します」
というわけにもいかないし、何が何でも、自転車ででも、定時に出勤して当然って顔をしていなくてはいけない。職場に着いてからスーツに着替えなくてはならない。夜は夜で、上司の日程が終わるまでは涼しい顔で事務所に残って、寒い中を1時間半かけて自転車で帰宅したら、家は停電って! この脱力感。そんな生活なのに、
 「フィリピンの農村を想像しろ。電気がなくても大丈夫。」
なんて言われたくない。事件は現場で起こってるんだ! フィリピンの寒村は現場に違いないけれど、東京の地下鉄もまた、まぎれもなく、現場です。フィリピンの農村では、アイロンをかけたスーツを着る必要はないでしょうに。
 私はマニラで働いていたとき、通勤には乗り合いタクシー(FX)を使っていました。さすがにジープニーは使いませんでした。だって、汚いから。通勤用のワンピースが汚れると困るし、朝から排気ガスたっぷりの外気をあびることは皮膚によろしくありません。きちんとしたスーツの日は、当然、タクシーで通勤しました。ジープニーに不満はないし、休日はジープニーを使っていましたが、ものごとにはTPOというものがあります。
 「このさい、日本はエコ国家のモデルになればいい。スーパーなんて多少暗くても大丈夫。」
という意見もきかれます。それ、なんだか懐かしい、と思ったら、私がティーネージャーだった10数年前に議論になった「ネ●トワーク地●村」の発想に似ています。いわゆるディープエコロジストの集団で、「お風呂は3日1回でもじゅうぶん清潔を保てます」とか、「電子レンジは本来、不要なもの」とか呼びかけていて、たまたま私の所属していたNGOのメンバーの一部がそれにたいへん感銘を受けてNGOを離脱したので、とても印象に残っています。「これを機にエコ」を叫ぶ人たちって、なんだか、あのとき地●村に感銘を受けていた人たちにそっくりです。
 
 震災発生1週間後からずっと、ポポポポーンより聞きあきたのが、ニュースをつけるとどの局でも深刻な面持ちのキャスターが繰り返す、
「さて、私たちには何ができるのでしょうか。」
という言葉。
 日本の人たちには本当に、平等ではなくてはならない意識、何かしなくてはならない焦燥感が強いですね。楽しみを封じ込め、自粛どころか他粛を強いる姿勢には、本当に、驚きます。
世界にはご飯が食べられない人がいること、フィリピンにはゴミを拾って生きている子供がいることを、テレビで初めて知った、すごくピュアな日本の小学生が(あるいは、スタディツアーに参加したいい大人が)ショックでご飯が食べられなくなってしまうのはよくあることで、私は決してそのことを冷笑しようとは思いません。私自身も、12歳のときにインドのスラムで見たあまりに衝撃的な事実にショックを受け、自分の愉しみのためにお金を使うことを避けようとしたり、同じ組織の友人と一緒に勝手に飢餓に抗議するハンストをしてみたり(ちっともストじゃない)といったことを、10代のあいだじゅう繰り返してきました。「何かしなくては」という気持ちにも、「自分だけこんなに幸せでいいのだろうか」という気持ちも、不思議だとは思いません。
 震災においては、「非被災者は過度に自粛すべきではなく、お金を使って経済を動かすのも大切」という救いのマジック・ワードが出回っていますが、南北問題においては誰も、「君がお金を使うことで世界経済が回ってひいては貧しい人々も救われる」なんて言ってくれません。いくらなんでもそこまでお気楽なトリックル・ダウン思考はないでしょうし、私の消費が貧しい人々の貧困をより固定化する、という思考のほうが論理的にも自然なのですから。
 でもこれは、階級格差のきわめて少ない日本人に特有の価値観なのかもしれません。フィリピンの友人たちから、
 「どうして日本人は決まってパヤタスを見たがるのか。」
と訊かれるたび、「罪悪感(sense of guilty)」という言葉で説明してきたけれど、まあフィリピンではまったく理解されない価値観ではあります。
フィリピンを含む途上国で、生まれながら死と向かい合わせの貧困のなかで生きる人たちから学んできた私たちは、このくらいで不謹慎とか言っていたらそれこそ生きていけない、ということを指摘するべきなのでは?と思います。でも、それを指摘したところで特に誰も幸せはならないから、逡巡しています。

 言うなれば、みんなで頑張ってこの危機を乗り越えて内面的に成長しましょう、ってことなのでしょうか。陳腐すぎて苛々しますが、それしかないのでは。世界には飢餓があるのに自分は贅沢に幸せに生きていることが許せなかったティーネージャーのとき、私をいちばん救ってくれたのは、
 「贅沢もあなた自身の成長の糧になる。あなたは、エチオピアでの国際会議に出席しなさい。35万円あればエチオピアで井戸が掘れる、そのことを知っているあなたが、35万円かけてエチオピアに行くことに意味があるのです。」
という言葉でした。私はそのことを、通っていた高校の朝の集会で話しました。私だってそのころは、ごくピュアな高校生だったのです。
 あの時の35万円が、エチオピアに掘る井戸以上の価値があったのかどうか。私はいまも自問します。マニラで働いていたときも、永田町で働くいまも。

 「このままでいいのか」「何かしなくちゃ」という焦り、そしてそれらを誤魔化すための過剰なほどの饒舌が、制御できないエネルギーとなって、そこここに放出されている気がしています。この3週間、ずっと。
 インターネットに接続すれば、「政府は信用ならない」、「自分の身は自分で守らなきゃ」、「助け合わなきゃ」といった、口にしてどうするの、と言いたくなるような陳腐な言葉があふれています。わざわざ事務所に来て、「大日本帝国本営のニュースなんて信用できません」と言い放って帰って行った記者さんもいました。何がしたいのか。そんな物騒な、というか、刺激的すぎる言葉を使うようなデリカシーのなさでどうして政治部の記者をつとめていられるのか、と私は問いかけようかと思いましたが、もちろん、やめておきました。

 ただ、皆が負のエネルギーを出し合っていることを、こうして足を引っ張り合っていることを、認めて、受け入れるしかないのだと思います。
 だってもともと、日本ってそういうところじゃないですか。きわめてネガティブな。
 地震の翌日、一斉にネットにあふれ、ツイートされまくった、「非常時に略奪もせずに列に並ぶ日本人を外国人が絶賛したニュース」や、「首都圏の鉄道がすべて止まったあの晩に出会った人の優しさに関する体験談」。そして、「日本人でよかった」、「がんばれニッポン」と自らを鼓舞する言葉。でも、本当は皆、日本人はそんなに美しくなんかないということを知っているのです。絶対に並ばずに人を押しのけて我先に電車に乗り込む人々なんて、首都圏のみならずどこにでもいます。他人のカバンが当たっただけで睨む人、子供連れを睨む人々。そして、そんなふうに他人を睨んでいる人たちを睨む人。ちらっと見てため息をつく人。ドアが開くと、「すみません」も「降りますので空けて下さい」の一言もなく、黙って他人を押しのける人々がほとんどです。無言のプレッシャーをかけあう他人同士。この日本社会は、そんな負の空気で満たされています。そんなの、電車通勤している人なら、誰でも知っていること。ただ、皆、できるだけそこに目を向けないようにしているだけ。阪神大震災でも略奪は起こったという事実を、誰もが、話さないようにしています。
 こうしたネガティブなエネルギー、受け入れたうえで昇華させないといけないのでしょうけれども…。

 すでに私もたくさんのワルグチをここに書いてしまいました。
 どうしたらこの連鎖を断ち切れるのでしょうか。
…という、この言葉すらもすでに使い古されていて陳腐でどうしようもない。

 私自身があまりに饒舌になってしまい、地震の翌日から、ものすごくたくさんの言葉が浮かんで、何か書きたくてしかたがありませんでした。これではいけないと思って2週間は自重しましたが、いまも、言葉が溢れて止まりません。
 本来、私は、コトバを発することができないうちは何も口にしないのが美徳だと思っています。私のblogの更新頻度が低く、かつ、一回の投稿が長いのは、ある程度まとまったコトバが溜まった時にしかblogを書かないことにしているからです。blogって、自己の逡巡を見知らぬ他人に公開するという破廉恥かつハタ迷惑な営みに他なりません。そのなかで敢えてblogを更新するには、それなりのオチや結論や「言いたいこと」が必要だと思っています。それは私が、「人は、ある事象に対する言葉を探して作るのではなくて、先にある言葉に事象や感情をフォローさせるのだ」という記号論的世界観を信じているからです。
 それなのに。無駄な言葉ばかり垂れ流してしまう自分を恥じながら、でも、言葉を書かざるを得ないのです。

 最後に、せめてものつぐないに、贅沢で幸せなエピソードを二つ。

 ひとつめ。先日、仕事で知り合った方々から、夕食のお誘いをいただきました。場所は六本木ヒルズ。ヒルズどころか六本木が初めてな私は、駅から会食の場所まで20分は迷い、どうしてこんなにあちこちに標高が書いてあるのかとドキドキしました。
 でも、本当に素敵なところでした、六本木ヒルズ。「自粛」のせいか、レストランはガラガラでしたが、
 「こんな素晴らしい場所があるのだから、東京都民はもっと幸せになればいいのに。」
お招きくださった方の一人が、そうおっしゃいました。私も、これからはもっと六本木ヒルズを探索してみたいと思っています。とてもゆったりした時間が流れていました。幸せになれますよ。

 ふたつめ。震災直後の月曜日、仕事でお世話になっている某省の方が突然、事務所に来訪。私は慌てて、節電で薄暗い事務所の電気を付けました。彼はいくつかの書類を示したあと、カバンからおもむろに、デパートの包装紙に包まれたメープルシロップ入りジンジャーシロップと、お洒落なココアパウダーを出して私に手渡しました。
 「私たち官僚から、sagingさんへ。ホワイトデーです。熱いお湯で割って、温まってください。今日からすぐですよ。もうすぐ春ですから、早く飲んじゃってくださいね。熱湯を使ってくださいね。そういうところを節電しないでくださいね。」
あたりまえのことしか言っていないのに、言葉のひとつひとつが、とても、心に響きました。官僚の皆さん、ありがとうございました。いま思えば、ホワイトデーだったあの日がいちばん忙しかったはずなのに、そして彼らもとても不安だったはずなのに、その心の余裕が、とても嬉しかったです。ココアもジンジャーシロップも本当に美味しくて、どちらも、あと1回分しかありません。あまり大切にとっておくと叱られそうですから、明日あたり、飲みきってしまおうと思います。
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by saging | 2011-04-04 01:01 | その他