Keso de Bola とは、 「表面は赤いのに中は黄色い」フィリピンのボール型チーズ。転じて日和見主義者。       かつてお世話になった、現地の言葉で「灯台」と呼ばれるマニラ湾岸のスラムを、ガラス越しに。
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<   2011年 03月 ( 5 )   > この月の画像一覧
生まれ変わったとしても
 こんなにblogを更新し続ける、この饒舌さが異様だと思いますし、無駄な言葉を遣いすぎているだけだと思いますが、それでも。

 さきほど、ほとんど毎日顔を合わせている記者さんに、
 「ずっとバタバタしておりまして…。恐れ入ります。」
と言ったら、
 「お互い、本当に。年始のエジプト政変から、ずっとバタバタですね。」
と言われました。
 年始のエジプト政変…。ニュージーランドでの地震すら、もはやずっと昔のように感じられますが、そういえば、中東政変があり、東アジアでもいろいろあり、そして日露問題があり、今週末には日中韓外相会談が予定されていたのでした。
 わかっていたつもりですが…改めて。世界は動いてるんですよね。
 為替だの援助だの原発問題に伴う退避勧告だので、「世界が日本に注目している」のは確かです。
 「世界中が日本を応援してくれている」
というメッセージは、被災したすべての方々にそう届けたい。心からそう思います。その優しさに、ありがとうございます。
 でも、ジコチューかもしれないけれど、ただ「祈ってます」とか言われても、ねえ。
 私がFacebookに書きこむたび、
 「君は無事か? 祈っています!」
 「家族は無事か? 一緒に祈っています!」
というようなフィリピンの友人たちからのコメントをもらうのですが…、「私も家族も無事です」って1週間前にメールを送っているのにその書きこみって単なるマルチポストじゃないのかとか、フィリピン人って本当に空気読めないな、とか、フィリピンの祈りって軽いからな、とか…いろいろ思います。

 世界は、これまでの論理で動いている。原発が落ち着いたら、いつ、「支援」が「批判」に変わるかわかりません。外交は同情じゃないし、世界経済は自己利益の追求に基づいています。いつまでも「特別扱い」を期待するわけにはいかないでしょう。

 なんというか。日本にとって、そういう時期が、来ているのだと思います。
 革命は起こらず、そして政権交代があっても特に変わりのない国・日本。いまさら「転換点(turning point)」だなんて使い古された軽々しい言い方はどうかと思うし、かといってこの程度で「移行期(transitional period)」とか言ってしまうのは、激動の他国との比較においていかがなものかと。だから、「そういう時期」としか表現できません。
 タガログ語の”may panahon”とか”ganitong panahon”とかは、そのあたりをけっこう含んだ表現だと思うのですが。英語だと、ちょっとニュアンスが強すぎる気がします。
 思うように動くことのできない政権与党の先生方にとっても、我が上司にとっても、やはり、「そういう時期」なのだと思います。いろいろな人たちに、いろいろなことを言われますが、天が、必要な人材に対し、しかるべき時期と立場を与えて下さるまで、いまいる場所で努力を続けるしかないのだと、そう思います。

※※※

 ドラマ『外交官黒田康作』の最終回を観ました。地震速報をはじめとするニューステロップ、そして鳴りやまない電話に中断させられながらも。
 このドラマ、私は本当に好きでした。かなり無理のある設定(要人警護は警護官がやることだし、あんなにネクラな副大臣秘書官ってありえませんし、外務大臣室がショボすぎるし、etc)で、ミステリーとしても外交官モノとしてもどうなの?と思ったこともありましたが、好きでした。唯一、霜村さんの検死を行ったあの医師がいったい何者だったのかが最終回に至ってもわからないのが心残りですが、もうどこかで解き明かされていましたっけ?

 「こんな国をつくるために官僚になったわけじゃない。」
超・月並みですが、いい台詞ですね。
 「忘れていたんですね、私は。初めて霞が関に足を踏み入れたときに抱いていた気持ちを…。官僚の本領は、政権が代わっても部署が変わっても政治の意向に従って粛々と仕事をすることだ(と思っていたけど違った)。」
こういうのも素敵。あと、外務大臣が、副大臣に向かって言った言葉も良かった。
 「正しいと思ってやったことなんでしょう。…それは、私も同じでしたけれどね。」

 このドラマ、なんというか、人を裁かないところが、本当に良かったですよ。

 官僚たちが国際会議を前にバタバタしたり、国際会議を舞台袖でそっと見守ったりする場面も好きです。

※※※

 ここ数週間(地震が起こる前から)、官僚の方々にすごく助けられてきました。官僚に強い疑問を抱いたからこそ立法府での勤務を目指した私ですが、やっぱり初めから官僚を目指せば良かったのに、とか、生まれ変わったら官僚になりたい、とか、そんなふうにうじうじと思っていました。
 今回の地震が起こってから数日間は、生まれ変わったらもっともっと身体を鍛えて自衛隊に入りたい、と思い続けていました。
 落ち着け自分、って感じです。
 発想が短絡的すぎる。
 いま、自分ができることだけをしないと、結局は何に対しても無責任になってしまう。
 私が批判してやまない「自己満足ボランティア」と同じになってしまいます。

 今日からの三連休。もし仕事に支障がないと判断できたら、数時間でもいいから、西日本にある実家に帰省したいと思っています。今回を逃したら、次はいつ帰れるかわかりません。
 震災からはるか遠く、ごく普通の生活が営まれているらしい西日本。そこで淡々と要介護生活を送る父と、自宅で淡々と介護を続ける家族に会えば、少しは、周りを見回す余裕も出てくるのかもしれません。いずれにしても、もう少し、地に足をつけないと。
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by saging | 2011-03-19 00:54 | その他
電気がなくても…
今朝は6時台の地下鉄で出勤しました。試しにホームに行ってみたら、拍子抜けするくらいに空いていたのです。そういえば、なんだか全体的に東京に人が少ないと感じる今日この頃。
 しかし夕方になって、海江田経産相が「今夜は大幅な電力不足が予想されること」を発表。国交省が鉄道各社にさらなる間引き運転を命じたと報道されました。
「このままでは、また帰宅難民になる可能性がある。一刻も早く帰らなくては。」
先輩秘書の冷静な判断のお蔭で、17時台に事務所を閉めました。幸い、私の利用しているY線はさほど混んでもおらず、普通に乗車。
 しかし、池袋より向こうへの運航は休止とのことで、池袋から歩く羽目に。18時15分。すでに池袋駅は人だらけで、入場制限中。改札を出るまでに10分、そして、駅から脱出するまでに10分。多くの人たちと共に歩き始めました。
自宅に到着したのは1時間半後。
 …明日からはやっぱり自転車にします。

 自宅の最寄りスーパーは今日も17時閉店。私はまだ自宅に食糧があるからいいのですが、これでは、仕事をしている人は買い物ができません。このような状況が続けば、週末にはさらなる買占めを助長してしまいます。
 西日本でも買占めが多発しているようですが、どうか、買占めをただ責めることだけはしないでください。だって、もしかしたら、私たちが非難の目を向けた人のその買占めは、いまだに水もガスも電気も戻らない千葉県や茨城県の親戚のためのものかもしれないんですよ。
 一度も会ったことのない赤羽在住のフィリピン人研修生/実習生から、人を通じて電話。狭い寮のアパートに8人で暮らしている彼女たちのお米が底をついたそうで、どこに行けばお米が買えるのか、と。貧しいフィリピン人には、「買い置き」なんて習慣はありません。調理油やお醤油でさえ1日分ずつ買うような人たちですから。
 「大丈夫、これは食糧不足なんかじゃない。皆が買い占めているだけのpanic buyingだから、数日で戻るよ。この数日間の分については、明日、上司に相談して。なんなら私が通訳するから。」
と答えたものの…。このフィリピン人たち、もしお米を発見したら、次は過剰に買うだろうな、と思います。8人分ですから…。

 東京都23区内でさえ、普通の生活を維持することなんて到底できないような、そんな毎日です。
 そもそも、本当に毎日、余震で揺れるんですよ。それだけで恐怖です。

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 写真は、17時半の永田町。
 夕陽が赤く国会議事堂を照らしました。一刻も早く地下鉄に乗ろう、と道を急いでいた先輩秘書は、この写真を撮るために立ち止まった私を止めず、
 「ああ、さっき、官邸も染まってたよ。」
とつぶやきました。
 地震発生以降、夜間ライトアップ(通常は8時まで)を自粛している議事堂ですが、本当に綺麗でした。ライトアップなんかより、ずっと。

 池袋から埼玉に向かって一緒に歩いていた人たちのバカ話。
 「(地震が発生した)金曜日の夜、ヒールを脱いでストッキングで歩こうとする女性がいっぱいいて、沿道のコンビニやドラッグストアから靴下が消えたんだよね。あるドラッグストアで、女性店員が、『代わりに軍手を履けばいいんじゃないですか? 私やってみます!』と言いながら軍手を足にはめてるのを見た。」
 ……。
 寒いなか感情を殺して黙々と歩いていた周りの人たちが、一瞬、びっくりした顔をしていました。何人かは突っ込みを入れていました。関東人なのにね。
 なんですか、その、フィリピン人もびっくりの発想。やってみるまでもなく、軍手は足にはまりませんって。一見たくましいように見えるけど、それは生活力ではありません。新聞紙で足をくるんでビニル袋で覆うほうが、はるかに効果的。

 それから。
 「計画停電のお蔭で、日本の少子化は免れた! 来年はベビーブーム!」
と、エレベーターの中で大声で喜んでいた秘書仲間。停電で出生率が上がるという科学的データがあるのは知っていますが、そんな声高にアピールしなくても、ねえ。それに、現行の計画停電は日中~夕方をターゲットにしており、深夜は停電しないんですよ。…ってわざわざ言うのも、ねえ。ビミョーすぎる。

 こんな状況だからこそ、みんな、幸せになろうとしているんだろうな、と思います。

 日頃からさまざまな形でお世話になっている警●庁の方々は、冗談を散りばめた携帯メールを送り続けて下さいます。(もちろん私用携帯で。)脱力するくらいバカバカしくて、くだらないメール。ほんとにアホやな~って思いますが、彼らからのメールが、私にとっては、どんなに、どんなに嬉しいことか。

 国を守る人たちの、そして国を動かすすべての人たちの優しさと強さに。
 ありがとうございます。
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by saging | 2011-03-17 21:43 | その他
私たちが行動しなければ、だれが行動するのか?
 居宅を失われた方々、ライフラインを失われた方々の数が、報道されているかぎりでも…想像をじはるかに超えています。
 一時疎開、移転が必要な方々へ。東京都I区にある私のワンルームでよろしければ、いつでも来てください。当面の宿でも、一夜の宿だけでも、シャワーだけでも…いつでもお貸しします。私の直接の知人・友人だけでない方々でもかまいませんので。
 I区も本日から計画停電ですが、1日3時間ですから。どうか、我慢してください。

 未曾有の災害。あふれかえる避難者、まったく足りない救援物資、医療問題、そして、先の読めない原発事故。
 世論もメディアも、そういったことに集中しています。
 最悪の事態を想定せよ、と、そう言われます。最悪の事態というのは、おそらく、原発事故に歯止めがかからなくなった状態のことを指すのでしょう。
 でもね。最悪の事態を想定している人たちはすでにいるわけですよ。東電にも、原子力保安院にも、学会にも、米軍にも、もちろん、官邸にも、議員のなかにも、そして科学者の中にも。
 
 別の事態を想定する役割を演じる人たち(つまり、現在の緊急事態が終わった後にどうするかを考える人たち)の存在も、どうしても必要です。
 経済復興に向けてのさまざまな議論が、すでに、永田町では行われています。それは不謹慎なんかじゃない。夢物語じゃない。きわめて現実的な、そして、必要な議論です。
 阪神淡路大震災のときの経済復興に向けての政策提言は、震災後何日たってから着手されたのか。具体的にどのような法案が提出されたのか、その当時の国会の予算審議はどうだったのか。…そうした資料が、国会議員のあいだで、ずっと、回覧されています。

 与野党を超えて、さまざまな提言も行われようとしています。
 政府に要望を出し続けることも、官邸の対応を責めることも、原発撤廃の要求を行うことも大切です。
 原発輸出を推進してきた政権が「経済復興」なんて言えば、また「ネオリベ的発想だ」との批判を受けることは、もう、目に見えています。
 でも、この議論、いまやらなければ、いつやるの?
 市民社会の信頼の厚い辻元先生だって、これからはボランティア受け入れに専念してしまうのでしょう?
 ネオリベでもなんでも、彼らがやらなければ、誰がやるの? (フィリピンのマルコス政権下の活動家を描いた映画「シスター・ステラ・L」の台詞―“Kung hindi tayo kikilos, sino ang kikilos? Kung hindi ngayon, kailan pa?” 私たちが行動しなければ、だれが行動するのか? いまやらなければ、いつやるのか?)
 …を引用するのは、「不謹慎」ですか?
 
 市民によるボランティア精神も、いわゆる「市民感覚」も、原発批判も…、それはそれで大切なことです。
 でも、どういうわけか国民に選ばれてしまった代議士たちの言動もやはり、「彼らがやらなければ誰もできないこと」なのですよ。私たちが代議制民主主義の制度を選択しつづけるかぎり。
  
 国会議員というのは、慎重にみえて、きわめて大胆な人たちです。前例を踏襲しながらも、逆に、前例のないことに対してきわめて勇敢でもあることは、議員が官僚に比して、紛れもなくずば抜けている能力のひとつです。(官僚大好きで、官僚を心から尊敬している私も、そう思っています。)

 与野党すべての先生たちへ。どうかその能力を、そして政治家特有の鈍感さを、ここで存分に発揮してください。

 私の上司(ギイン)は、今回の災害発生後、率先してこれらの議論をリードしようとしていて、私は、そのことで上司をあらためて尊敬しています。ここ数週間、国会でも国会外でも本当にいろいろあったのに、まったく屈していないように見受けられます。パフォーマンスかもしれないけれど、それでも、私は上司を尊敬します。ずっとこの人に仕えたいと、そう思っています。
 「ここ数週間たいへんだった」のは、ギイン本人だけではなく、事務所の秘書たちも同じことです。ただでさえ綱渡り状態だった事務所内の「体育会系の人間関係」はことどとく破壊され、私たちは長い沈黙を続けました。でも、地震以前から、少しずつ、それらは回復されています。それも、より良い方向へ。 
 この上司の秘書で本当に良かった、と、実は、密かにそう思っています。あまり表立っては言えませんが。

 このようなことを書くとまたきっといろいろな方々から、ネオリベの保身だとかミギだとか言われるのでしょうが、批判を気にしていてはどこにも行けません。原発輸出を推進する人たちに加担してきた私ですから、いつかは裁かれる日が来るのでしょう。でも、いまはただ、できることをしたい。
 他方、官僚からはヒダリだと批判される私ですが、今日の夕方に放映された天皇陛下のビデオメッセージは、とてもありがたく、大切に思いました。タイほどではないとしても、皇室による国民への励ましって、私たち新人類以降の人間には考えられないくらい、大きなものがあるのだと思います。

 管先生、枝野先生、頑張ってください。どんなに批判があっても、私たちは最後まであなたたちを支えます。
 管事務所と枝野事務所の皆さん、長期戦になりますが、どうか耐えてください。頑張りましょう。

 …今回の地震を機に、議員会館での人間関係もすこしだけ柔らかくなった気がします。
 永田町は体育会系でや●ざ的な社会ですから、秘書の人間関係は、上司である議員の人間関係と同じでなくてはなりません。私たちはそんなふうに教育されているのです。給湯室で毎日顔を合わせる近くの部屋の秘書同士でも、たとえ同じ政党でも、勝手に気軽に仲良くなる…というわけにはいかないのです。
 でも、地震以来、その原則が、少しずつ融解してきている気がします。先週金曜日は交通機関のストップによって実に皆が帰れなくて、月曜日は交通機関の麻痺によって皆が出勤できませんでした。日頃は話したこともないような(でも顔見知りの)秘書さんと、
 「どちらにお住まいですか?」
 「おたくの先生の地元(=議員の選挙区のことです)は大丈夫ですか?」
など、党派を超えて初めてまともな会話を交わす機会が、少しずつ増えています。
 仕事以外の話題を口にしなかった先輩秘書(私の父親よりも年上であることは確実な男性)とも、少しずつ、他愛のない会話が増えています。
 同じ部屋で毎日一緒に働いている秘書同士がプライベートな話をまったくしないというのも、この世界のヘンな常識。…決して仲が悪いわけではないのです。私は彼を全面的に信頼し、どんな小さなことでも相談・報告していますし、TVニュースや国会中継を見ては感想を述べあいます。そして、平日も休日も、携帯で密に連絡を取り合っています。ただ、私はいまだに彼の自宅住所も経歴も家族構成も知りませんし、彼も私のプライベートにはまったく関与しません。それでも仕事はできるのです。
 でも、この災害を経て、やっと、お互いの居住地や最寄り駅、通勤手段を知らせ合うに至りました。
 地下鉄が怖いだなんて上司には口が裂けても言えず、普段は穏やかキャラを演じている私ですが、余震を感じるたびに直ちに机の下に潜り、議員のいる部屋に向かって、
 「先生ッ! 大丈夫ですか!?」
と絶叫。(ただ、壁が厚すぎて議員にはまったく聞こえていない様子。)先輩秘書は初めは驚き呆れていましたが、だんだん慣れてきたようで、最近ではネタにさえされます。そのことに、私はずいぶん救われています。

 最後に。政府関係者はいったいいつ休んでいるのか、ということがそろそろ問題になる時期だと思うので、ひとこと。
 プロ政治家、そしてプロ官僚というのは、休むことを知っている人たちです。だから、彼らに対して本気で、
 「休んでください」
なんて言う必要はありません。
 「いま働かないで、いつ働くんだ!」
という怒号が返ってくるに違いないのですから。
 心配しないで。本当にプロなら、不眠不休のように振舞いながらも、彼らは必ず、きちんと休んでいるはずです。そして、周囲にも休むことを強要しているはずです。私の上司も超多忙、いったいいつ休んでいるのかという感じですが、そうはいっても、それなりに休んではいます。私自身も、夜はできるだけ早く帰るよう、上司からいつも厳しく指示されています。ときには、きちんと家に帰っているかどうかをチェックされることすらあります。どうしてもきついと感じる場合は、上司のスケジュールを熟慮したうえで、自分から上司に対して、
 「明日は少しゆっくりいらしていただけませんか。私は10時までには出勤しますので。」
と申し出ることもあります。上司は、理由をきかずに快諾してくれます。(それは、部下である私がそんなことを上司に言い出すまでには相当の勇気と決意がいることを知っているからこそです。)
 「なんだと!? 俺も寝不足なのに…。」
と言い出す上司がいたとしたら、その人はモグリです。
 それでも、たとえば内閣官房の関係者が、心身の健康を害するとしたら、それは、自己管理不足とか周囲の不注意とかではなく、本当にそういうことなのだから…人類の自然に従った現象なのだから、もしそういうことが起こったとしても、あまりとやかく言わないでいただきたいと思います。
 心身ともに強靭すぎるように見受けられる閣僚も、政治家も、そしてそのスタッフたちも、皆、人間なのですから。

 こういう状況下ですから、どうか皆さん、お願いです。あまりピリピリしないで、他人にやさしくしてください。
 あなたが怒りを募らせる東電の職員にも、鉄道の係員にも、政治家にも、そして、こんなくだらないblogの書き手にも、もしかしたら、被災した家族がいるのかもしれないのですから。
 断定や否定や批判はもうやめて、次に進みましょう。
 お願いです。

 こんなマニアックな個人blogで「お願い」だなんて。
 しかも、よりによって、永田町から発信する「お願い」だだなんて。
 誰にもマトモに取り合ってもらえないのかもしれないけれど、
 それでも、お願いです。
 でもきっとこの世界はいま、天に届かなくてはならない緊急の願いであふれていると思いますから、その場合は、無理に天に届けてくださらなくてもいいですよ。
 ただ、助けを必要としている人たちのところに、少しでも、必要なものが届きますように。
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by saging | 2011-03-16 22:42 | その他
私たちが学ぶことの意味
 いま起こっていることについて、私たちはどうすることもできません。事実を変えることは不可能なのですから。
 自分を含む「人間の心」についても同じことで、人が感じる不安や不安定さを変えることはできません。心の持ち方しだい、気分しだいで不安が軽減されるなんて、そんなのは大嘘です。
 でも、人は、不安を言葉で説明することによって、この先の不安を回避することができます。人間にとって最も恐ろしいのは「説明できない」事象がこの世に存在することなのですから。そのなかでも、「説明できない不安」というのは最大の恐怖だと、私は思います。

 私は「説明できない恐ろしさ」を孕む「政治」や「人と人との争い」や「組織と組織の対立」を、「説明できる」ようになるために政治学を勉強してきました。
 
 首相官邸を見下ろせる、電灯を消した暗い議員会館で、観ているだけで気が変になりそうなNHKをつけっぱなしにして、さまざまなところから実にさまざまな電話やメールやFAXが入り、メディアの人たちが足繁く出入りして情報だの憶測だの評論だのを残していく、そんな日々。今日の夕方、所用で外務省に行ったら、廊下が不気味なほどに真っ暗でした。どの省庁でも、災害に関係する部署の官僚はとんでもなくハイな状況にあることが伺える「過剰に冷静な話しぶり」だし、直接関係のない部署の官僚は、淡々と仕事をこなしている、ふりをしています。不気味すぎます。
 そして、普段から心臓に毛が生えている議員先生たちは、そのすさまじい鈍感力で、毎日、私を驚かせてくれます。
 こんななかでもまだ、気がふれずにいられるのは、政治学を学んだから、そしてフィリピンで政治を学んだからだと、そう思います。議員も官僚も、そして私たち秘書も、それぞれの役割を淡々と演じ続けている。そのように解釈できるから、私はまだ、まともでいられます。

 今回の災害発生後、私の心のいちばんの拠り所になっているのが、私が活動家だった中学生の頃(もう15年前、ちょうど阪神淡路大震災の頃です)の活動家仲間で、私が落ちこぼれ高校生だった時に物理・化学・数学の家庭教師をしてくださっていたfrecceさんのツイート。この方、ディズニーファンで浦安在住で、浦安のご自宅は液状化現象で断水で停電で大変なことになっているようなのですが、奥さまと0歳児の娘さんを避難させながらも、今回の放射能について、素人にもわかる言葉で、ツイッターで説明して下さっているのです。freceeで検索してください。いま思い出せば、15年前に出会ったばかりの頃も、私にとっては恐怖の対象でしかなかった「サリン」の分子構造(?)を図に書いたりされていました。
 「高校の科学なんて、物理なんて何の役に立つんですか?」
と訊いていた当時の自分が恥ずかしい。
 説明できないことを説明できるようになるために、私たちは勉強をして、研究をするのです。

 国際政治の大局にはまったく役に立たないフィリピン政治だけれど、そして国際社会ではほとんど役に立たないタガログ語だけれど、学んでおいてよかった。英字メディアとフィリピンのメディアと日本の報道のどこがどう違うのかを理解することができます。そのお蔭で、東京在住のフィリピン人研修生/実習生たちからの不安の電話に対して、私はそれなりの説明をすることができます。フィリピンにいる彼らの家族は、フィリピンのメディアやネットの英字ニュースを見て「東京もすでに放射能汚染されている」と、最高潮に心配しています。それなのに淡々と仕事を続ける日本人。計画停電が伝えられているのにガンガン稼働する工場。…フィリピン人研修生がパニックに陥るのは当然です。日本で報道されていることを(たとえば福島原発には6台の機械があってそれぞれがどういう状況にあるのかということ、英字メディアのソースが在日米軍であることなど)を、彼らが納得できるまで、詳細に説明します。英語とタガログ語を勉強しておいて、良かった。すこしでも。

 …なんて偉そうな言葉ばかり書いている私自身は、あいかわらず不安で地下鉄に乗れず、本日火曜日は、自転車通勤4日目。
 I区の自宅から永田町までの片道1時間半の道のりに、すでに慣れてきました。
 もともと、仕事前や仕事後にジムで走ったり跳んだり跳ねたり泳いだりしているので、1時間半の自転車くらい、なんでもありません。
 もう当分、これでいいんじゃないかと思っています。
 首都圏交通がパニックに陥った昨日月曜の朝は、朝6時に最寄り駅に行きましたが、おそらく同じように「念のため朝早く出てきた人たち」がホームにいっぱい。2台見送ってなんとか乗りましたが、通常はあまり乗る人がいないはずの次の駅でものすごい数の人が待っていて、このままでは万一地震が起こったらstampedeで圧死するんじゃないかと思って、いえそれ以前にこのまま車内で圧死するんじゃないかと思って、諦めて降りて、反対方面行の電車(郊外行きなので普段はガラガラなのにこちらも結構混んでいました)で元の駅に戻って、自転車で出直しました。時間のロスはあったものの、なんとか8時半には職場に到着。
 昨日までは、まず池袋に出て、池袋から明治通りを通って新宿まで行って(平坦で走りやすくてとても楽です)、それから新宿通りを通って麹町に出ていたのですが、今日の帰りは、最短距離を求めるべく、永田町から市ヶ谷、早稲田、目白通りを辿って要町に出てみました。途中で何度も地図を確認しなくてはならなかったのでまったく時間短縮にはならなかったのですが、もう少し慣れたら、きっともう少し短時間で通勤できるのではないかと思います。どなたか、言いルートをご存知の方がいらっしゃったらぜひ教えて下さいな。
 とはいっても、先輩秘書には「少量でも被曝する可能性はあるのだからやめなさい」と言われているし、気を付けているとはいえ事故も怖いし、そもそも雨が降ったら自転車通勤はできませんから、一刻も早く地下鉄に乗れるようになることを目指しているのは、言うまでもありません。
 でも、今回のことで、「仮に地下鉄に乗れなくても大丈夫なんだ」と学ぶことができた点では、つらいことばかりではなかったのだと、そう思うようにしています。
 そもそも、この災害よりずいぶん前から…そう、1月下旬に通常国会が召集されるちょっと前くらいから、仕事で本当にいろいろあって、そしてつい最近もいろいろあって、いつ働き続けられなくなってもおかしくないな、とは思い続けていました。だから、いまさら地下鉄に乗れないくらい、たいしたことではないとも思っています。

 原発。
 原子力保安院の会見と、東電の会見と、枝野官房長官の会見。なんというか答弁っぽくて回りくどいのは言うまでもありません。「何らかの爆発的現象」という日本語には、驚き通り越して感嘆すらしてしまいました。もしかしたら報道規制があるのかもしれないけれど、でも、暴言になることを覚悟で言いますが、もう、それでもいいです。だって、官房長官が深刻な表情でキビキビと、
 「念のために50kmは避難してください。首都圏にも放射能が来る可能性があります。」
なんて言ったら、それこそ大パニックじゃないですか。ああいう答弁っぽい話し方をすることも、政治家のひとつの務めだと思います。He is playing his role. パニックを煽るメディアの見出しよりは、よほどいい。確認された事実しか話さない。感想を述べるときはきわめて曖昧に。国会答弁で鍛えられたのかもしれないあの姿勢が、私を含め不安な人々をどれだけ安心させられることか。
 あと、TVに出てくる原子力専門家の先生の、あの冷静なお話ぶりにも、毎度、感動します。

 月曜日は、帰宅後スーパーに行ってみると、レトルト食品、冷凍食品、精肉コーナーの棚は空っぽ。トイレットペーパーなどの日用必需品の棚も空っぽでした。17時や18時で閉めるスーパーも続出しているようです。
 幸いというかなんというか、私は日頃から先輩秘書たちから、
 「常に予測して先回って行動せよ。」
 「議員が最優先、自分の衣食住を守ることは呼吸をするのと同じくらい当たり前。」
 「自分を守ることは上司に気を遣わせないため。」
というきわめて永田町的というか体育会的な厳しい指導を受けていますので、日用品も医薬品も地震前から事務所に買い置きしています。また、災害時にかぎらずいつ帰れなくても何ら不思議ではない仕事だと思っているので、自宅にも職場にもレトルト食品や着替えを用意しています。食べ物や医薬品も、常に持っています。こういうのって日頃は「ただの心配性」なのですが、非常時には役立ちます。
 そういえばマニラ勤務中も、何か起こるたびに上司から「危機管理がなっていない!」と叱られたり、オペレーションルームみたいなところに皆で閉じ込められて毎朝2時間しか帰れなかったり、イジメかと思うような指導を受けましたが、いま思えば、あれもすこしは役に立ちました。いまでは、あんなふうに指導した上司の論理もすこしはわかるし、すこしは感謝しています。

 さきほど夕方、議員会館内の中で、大きな荷物を抱えて
 「西に逃げる! もう戻ってきません!」
と叫んでいるどこかの事務所の女性秘書さん2人組に遭遇しました。直後に私が思ったことと言えば、
 「このままパニックが加速すると、新幹線に人が殺到して週末の議員の出張の切符が取れない可能性があるから、とりあえず早めに適当なものを買っておこう。」
という、限りなくエゴなことでした。そしてJTBに行くと、すでにパニックで関西行きの新幹線を買い求める秘書さんたちやがいて、
 「とにかく西に!」
と電話越しに航空券を注文しているらしい議員先生の声が聞こえてきました。
 自分以外でこんなにパニックになっている人を見るのは久しぶりです。

 今日、私の心に珠玉に響いた言葉。
おちまさとさんのblog記事 「『不謹慎』とは何か。」
西宮市議の今村岳司さんのblog

 言葉は毒を生むこともあるけれど、それでも、私は言葉を発したい。
 私は3年半来のパニック障害です。地震以前から東京の地下鉄にたった23分間乗ることが難しくて毎日休憩しながら通勤しているくらい。地震以前から世界が揺れている気がして外に出られない日があるくらい。空港では車椅子をお願いしなくてはならないくらい。
 でも私は、東京で働いています。
 この事実が、私以外の誰かの、「説明できない不安」を防ぐ助けとなりますように。

 私たち、ぜんぜん大丈夫じゃないけれど、怖くて不安で壊れそうだけれど、それでも、大丈夫ですよ。
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by saging | 2011-03-15 23:54 | その他
パニックの前に
 首都圏でも、浦安など生活インフラが遮断された場所があるようです。
 友人の皆さん、もし大変だったら、お風呂でも一夜の宿でも提供しますから、我が家へどうぞ。フィリピン勤務時代のコンドミニアムとは違って本当にただのワンルームで、寝具もあまりないのですが。今回にかぎらず、東京で困っていらっしゃる方はいつでもご連絡ください。我が家のライフラインが揃っているかぎりにおいて、協力します。

 地震が起こってから読んだ文章のなかでいちばん救われたのが、内田樹先生のBlogでした。
 他人の批判をしないこと。臨機応変。そして専門家への信頼。

 私がツイッターへの書き込みはいっさいしませんが、仕事として国会議員を数多くフォローしてチェックしています。政治家だからって情報量が多いわけでは、決してありません。というか、政治家のツイートって普段から独特で、誤解を生む表現かもしれませんがまあいわばパフォーマンスです。
 日頃はなんとも思わないのですが、今回、私はそれらにひどくショックを受けてしまいました。
 「私たちは私たちが委託した専門家の指示に従って、整然とふるまうべきだろう。」
 内田先生が書いている「専門家」に政治家は含まれないのかもしれないけれど、それでも。与党でも野党でも、彼らの批判をしないこと。
 
 不安というのは、強敵です。日頃から不安が強く、平常時でさえ地下鉄に乗ることに困難を感じる私は、不安を軽減するためのさまざまな方法を、日々、試しています。

 ・自分が「不安である」ことを認識する
 ・「不安」の原因を追求しない
 ・人と話す
 ・他人に多少の迷惑をかけたとしても、不安でたまらないときは他人に電話をする
 ・不安を押して行動するときは、「私はいま不安を押して●●している」と確認する
 ・それ以外でも、つねに、自分の不安状況を確認する
 ・他人に「大丈夫ですよ」って言う

 電気がなくても、水がなくても大丈夫ですよ。
 昨年のチリの鉱山事故を思い出してください。
 2006年のフィリピン・マニラ首都圏を襲った巨大台風。すべてが停電し、水も止まり、真っ暗な晩が数日間続きました。朝が来ることがあれほど嬉しかったことはありません。
 2010年のフィリピン・マニラ首都圏を襲った台風と集中豪雨、1週間以上も電気も水も来ない事態が首都圏を襲いました。私のお世話になっていた家でも、ガレージの車が水に呑みこまれ、1階が完全に浸水するなか、同居の方々は、急速に溶けゆく冷凍庫内の食材をどう調理すればもっとも長持ちするかを冷静に考えながら手持ちのガスで手早く料理し、私のもっていたアロマキャンドルを泥水の入ったコップに浮かべて「なんてロマンチック」と言いあいました。
 人間はそんなにヤワじゃない。それが、私がフィリピンで学んだことです。
 地震発生後からずっと地下鉄に乗れずにいる私はヤワかもしれないけれど、「それでも大丈夫」と思えるから、強いはず。それでも出勤はしないといけないので、知人から自転車を借りて、昨日も今日も、自転車で通勤しました。もし私が本当に出勤できなくなったら、そのときは、自分が失業するだけじゃなく、上司もたいへんなことになります。…というのは予期不安。それも含めて、自分の不安は自分で認識するというのが大切だと思います。
 明日からは2時間の余裕を持って家を出て地下鉄通勤に臨むつもりですが、もし、それでもどうしてもだめだったら、自転車を使います。そのために必要な体力を蓄え、準備もしています。できるところまでやってみますよ。

 自分自身がすこしでも健康でいること、それがいちばん大切です。災害時にかぎらず、ずっと。
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by saging | 2011-03-13 22:30 | その他