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Keso de Bola とは、 「表面は赤いのに中は黄色い」フィリピンのボール型チーズ。転じて日和見主義者。       かつてお世話になった、現地の言葉で「灯台」と呼ばれるマニラ湾岸のスラムを、ガラス越しに。
管理人sagingより
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赤い財布
 財布を買い換えました。
 中国正月にあやかって…春財布=張る財布。
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 …というのはウソで、これまで使っていた財布(写真上)が壊れかけてきたからです。
 ジュースのパックをリサイクルして作られたこのビニル製の財布は、マニラのとあるバザーで40ペソ(約80円)。フィリピン・ペソのお札にはやや窮屈なのですが、ひとまわり小さなタイ・バーツのお札を入れるにはぴったりで、バンコクに来てから4ヶ月間愛用していました。縁取りがピンクで柄がド派手なのでバッグの中でも目立ちやすいし、見た目があまりにもチープなのでお金が入っているように見えないし、タイ人に受けるし…と、ずいぶん気に入っていました。(そんな私も日本ではもちろんまともな財布を持ち歩いていますが、フィリピンで使っている財布は、やはりピンクのビニル製で、見た目はさらにチープです。)
 が、わずか5ヶ月の使用で、表のビニルが剝がれてきてしまいました。リサイクル品ですからしかたがありません。
 完全に壊れてしまう前に安くて手頃な代理品を探さなくては、と思っていたところ、赤い小型の財布(写真下)に出会いました。100バーツ(約300円)という値段にふさわしい、10代のお財布のようなチープさですが、縫製はしっかりしていて、タイにしてはデザインもシンプルで、カード入れも充実しています。

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 この財布に出会ったのは、ラッ●ラオ通りのインペ●アルワールドというショッピングモール。大手ディスカウントストアのBigCが入っている、一見、ごく普通のモールなのですが、ここのオーナーは赤シャツ組(タクシン派)の幹部だそうで、3-5階のかなりのテナントが、赤シャツ組の店舗になっているのです。
 私はここで赤シャツ組のリーダーの一人にインタビューをさせていただいたのですが…。インタビュー以前に、ショッピングモールの中に突然出現する赤い店舗群に唖然としてしまいました。

 モールの中にある吹き抜けのスケートリンク。でもその階上にあるのは赤シャツ店舗。向かって左は雑誌”The Voice of Taksin”の販売所、左は、"The Red Shop," その上の階の赤いのは、メンバー登録ブースとコーヒーサロン。
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 The Red Shop――赤シャツグッズのほか、タクシンが始めたプロジェクトである一村一品運動(OTOP)の製品が並びます。"Red Coffee"(赤くはなく、ただの名称)や、一村一品運動とは関係のないただの赤い市販品のバッグやスカーフなども扱われています。店頭のTVでは赤シャツの集会の演説や赤シャツのトーク番組が放映されています。
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 The Red Shop前でTVを見る人々。よくあるタイプのプラスチック椅子ですが、きちんと赤色。
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 The Red Shopの商品のなかでいちばん魅力的だった、真っ赤な携帯。市販品。かわいい。
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 赤シャツ組のロゴ入りのバッグを肩から掛け、赤シャツ広報誌Truth Todayのバックナンバーを探しておられたお坊さんたち。目立ちまくっていました。
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赤シャツ組のメンバー登録も受付中。タイ国民IDを見せて必要事項を書類に記入すれば、このPCブースで赤シャツIDを発行してもらえるそうです。
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 ずらりと並ぶ赤い腕時計。偽ブランドあり、きいたことのないブランドあり、文字板印刷のずれたものあり…。一律150バーツ(約450円)。赤シャツ組による製品ではなく、単に赤いものだけを仕入れて売っているのです。赤ければ何でもよいらしく、市販品のバッグも赤色だけを抽出して並べられていました。私の財布もここで購入しました。
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 財布を買ったら、赤い袋に入れていただきました。が、これも赤シャツ組のオリジナルではなくて中国モノですよね…。
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※写真はすべて許可をいただいて撮影しております。
※私がここで赤い財布を買ったのは、あくまでも使い心地が良さそうだったからであって、私が赤シャツ組のシンパだからではありません。(黄色よりは赤色のほうがずっと好きですけれどね。)

 3フロアにわたるこれらの店舗、決して閑散としているわけではなく、普通の身なりの老若男女が次々と訪れ、買い物を楽しんでいくのです。バイクタクシーのゼッケンをつけたおじさん、若いカップル、熟年夫婦、大学の制服を着た陽気な若者たち、BigCのスーパーの買い物袋を提げた中年の女性…。ばっちり赤シャツを着た人からそうでないごく普通のおしゃれな人たちまで、個人からグループまで、本当にさまざまな人たちが出入りしていました。
 店舗の方々に声をかけてみましたが、皆さん忙しくて、外国人なんかに構っちゃいられないという感じでした。赤の裾野の広さを見せつけられました。
 
 タクシンの判決は、明日、26日です。
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by saging | 2010-02-25 03:13 | タイ研究('09~'10年)
Chinese Valentine!?
ツイッター、始めてから1週間で早くもドロップアウトしそうです。

理由1
 他人のツイットを読むのが面倒。文章は読めるけど、短文は読めません。

理由2
バンコク在住の私はブロードバンド環境にないので、いちいちツイッタ―のページを開けるのが面倒。

理由3
 自分がツイットしていない。これ、致命的。

Facebookやmixiにもツイット機能みたいなのがあるのですが、一日中オンラインでいるわけでない私にとっては、そうしたon timeのコミュニケーションの良さもわからなので、使っていません。
 なんだか悔しいです。柔軟性があるふりしてみたけど、結局カタブツでした、みたいな。
 いったい何がいいの、ツイッター。多くの人が使っているからにはそれなりのメリットがあるのでしょう?

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 写真は、バンコクのソイ・トンローにあった広告です。
 今年は、"Chinese New Years Day"(旧正月)とバレンタインが同じ日(2月14日)でした。だからこのような「合体広告」になったのだと思いますが…略すところ間違ってます。
 ("Chinese Valentine's Day"は、旧暦7月7日です。たとえば2009年は8月26日、今年は8月16日…。)
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by saging | 2010-02-22 00:26 | タイ研究('09~'10年)
ツイッター?
 昨夜、Blogを更新したはずなのになぜか記事が消えていました。いまだにBlogの使い方をマスターしていません。写真ももっと上手に入れたいのですが。

 ついに、「ツイッター」なるものに登録してみました。が、まだ一言もつぶやいていません。
 
 本当は私は「ツイッター」をとても軽蔑していました。不特定多数に向かってくだらないことをつぶやくなんて、なんだか自己顕示欲が強いだけに見えます。日常の出来事だけを綴った一般人のBlogみたいな。他人に見せる意味がわからない。私がBlogを書いているのは自分の考えていることに落としどころをつけるためです。他人にネタとして公開できるくらいに自分の思考の整理をつけるためです。だから、落とし所のない文章は公開しないことに決めているし、日常生活でさえ、整理できていない言葉は発しないようにしています。
 それがツイッターったら…。整理できていない言葉の集合じゃないですか。こんなに多くの人たちが不特定多数に向かってつぶやきまくっていて、トラブルとか起こらないのかしら。

 …とずっと思っているのですが、これだけ流行っているということはそれなりにプラスの面があるのでしょう。批判ばかりしていてもしかたがないので、ちょっと使ってみようと思います。
 そもそも私はネット上のコミュニケーションに対してはきわめて否定的で及び腰で食わず嫌いです。携帯メールはかなり長い間使っていませんでした。あんな短い文章で無駄話をするのは言葉への冒涜だと思っていたのです。(もちろん、いまは使っています。) メッセンジャーもスカイプも嫌いでした。(いまでは活用。) mixiもFacebookも長い間敬遠していました。(いまは好き。) 顔文字なんて、それが原因でボーイフレンドと別れるくらい嫌いでした。(現在は、使いはしないけれど、他人が使っていても何とも思いません。)
 やってみると変わるのでしょうね、きっと。

 でも、つぶやきかたがわかりません。どうしても落ちを考えてしまいます。
 当面は、自分では何も書かずに他人のつぶやきを見るだけにしましょう。でも、知人の探し方もよくわかりません。
 
 最初のつぶやきで、「エストラダの最新映画(昨年公開)の"Ang Tanging Pamilya (A Marry-Go-Round)"がものすごくつまらなかった」ってつぶやいてみようと思ったのですが、それはマニアックすぎるので、結局Blogに書くことにします。本当につまらないですよ。ダメなタガログ・コメディ、ここに極まれりって感じです。コメディってうるさいものだけれど、それにしても、タガログ・コメディにおける極端なやかましさとわざとらしい騒ぎっぷりって、何かを超越している気がします。いちばんびっくりしたのは、私の入手したDVDに英語字幕が付いていたことです。需要あるの!? あんなつまらないタガログ、訳すだけ無駄じゃないかと思います。ジープニー・ドライバー役のエラップも冴えないし。唯一の見どころは、あるどんちゃん騒ぎの場面で、登場人物がなぜか、タイの赤シャツ隊がデモで使う足型の鳴子をもっていたことです。あれはちょっとおもしろかったです。って、すごいマニアック。
 その後、口直しにチェ・ゲバラ映画を2本観て、やっぱり映画ってこうじゃなくちゃ、と思いました。
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by saging | 2010-02-14 02:45 | その他
バンコクあと1か月

 来月には選挙一色に違いないフィリピンに移るので、バンコクで残された時間は約1ヶ月。
 言葉が使えないと人間はこうも暗くなるのかしら、というくらい、バンコクに来てからずっと、エンジンのかからない日々が続いていました。タイはとても住みやすい、心地よい国なのですが、調査が…。
 そんなことばかりは言っていられませんから、いろいろ各方面にアプローチしてみましたし、もちろんタイ語も勉強したし、それなりに努力したつもりですが、フィリピンのようにはいきませんね。
 けれどもやっと、ここ数週間は、タイの現代政治の担い手の一部である黄色のリーダー、そして赤のリーダーの方々へのインタビューをさせていただく機会に恵まれました。それも、かなり上層部の、なかなかお会いできないようなリーダーたち。そんな方々の貴重な肉声をきいているのに、私はいまだにタイ語が日常会話程度しかできないので、そのたびにいちいちタイ‐英語通訳を誰かにお願いしなくてはならないことが、とても悲しいです。しかも私の聞きたいことは、「議会制民主主義」だとか、「買票」だとか、マニアックなことばかり。
タイ語ができない外国人はこの国のことなんて何もわからないんだ、と卑屈になってみたり、そうは言っても、この国とフィリピンとの比較はとてもとてもおもしろいのだと思ったり。
 そんな毎日の繰り返しです。
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 写真は、2月10日に国家警察前で行われたタクシン派(赤シャツ組)の集会。国家警察といったら、サイアム地区ととチットロム地区の間にしてセントラルワールド南側、観光客であふれる繁華街のど真ん中です。いやはや、よくあんなところで集会ができるものです。道路(RamaⅠ Road)は片道車両通行禁止、BTS(スカイトレイン)のサイアム-チットロム駅間を結ぶスカイウォークも通行止めになっていました。道行く外国人観光客は興味深げにその様子を眺め、カメラ付きケータイでパシャパシャ。私の隣にいた西洋人カップルは、
 "Oh, red shirts!"
と喜び、赤シャツのお兄さんたちと写真を撮りまくっていました。なんですか、このゆるーい感じ。他方、それこそがデモの主催者の意図のひとつなのでは?とも思ってしまいます。
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 上の写真は…昨年10月25日にも書きましたが、やっぱりすごい赤組のロジ。交通規制されていないほうの歩道にマッサージ店を出していました。10ブースくらいありました…。
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by saging | 2010-02-14 02:09 | タイ研究('09~'10年)
あんへる・弘先生のお店
 今日は、お店の宣伝です。

 すでに1ヶ月以上前のことですが、博士論文の口頭試問を受けた日の夕方、神戸の下町で、弘先生(お名前じゃなくて、名字です――「ひろせんせい」です)に、お会いいただきました。
 弘先生は、私の高校時代の国語(現代文)の先生で、高校3年生のときには担任までしていただきました。当時63歳。私の父より一回り以上も上なのですが、とにかく、かっこいい先生でした。当時からツーリングで全国を回り、野宿や駅寝(ステーション・ビバーク:STB)を敢行され、STBの指南書まで出版されていて、留年した生徒には、「おまえさん、しばらくチャリで四国でも走ってこい」とコメント。
 私たちの卒業後まもなく定年退職された弘先生は、その後、フラメンコ教師の娘さんに触発されてスペインに魅了され、スペインをスクーターで走り抜け、スペイン語を学び、昨年10月、75歳にして、「人生の最後から2番目の夢」(←という表現がスペインにはあるそうです)として、神戸の下町に、スペイン雑貨・中古雑貨店をオープンされたのだそうです。そして近日中には近くにガラス工房もオープン予定。

 スペイン雑貨・中古雑貨店 あんへりーた ANGELITA
 ガラス工房あんへりーと ANGELITO
 
 どちらのお店についても詳細はこちら。ぜひクリックして、過去ログから、弘先生の独特の言葉遣いをお楽しみください。

 私は弘先生の授業が大好きで、もちろん、弘先生のことも大好きでした。
 文学作品を読まずに文学史を暗記だけしようと思っているやる気のない高校生に対して、名作のあらすじをかいつまんで紹介して下さることもありました。眠たそうな谷崎潤一郎や田山花袋の小説も、弘先生の説明のあとではぜひ読んでみたくなるのでした。授業では、「恋愛についてのブレーンストーミング」や、「デカダンスな作品についてのグループ発表」などなど、ユニークな課題を課せられました。おかげさまで、弘先生に担当していただいた高校3年生はやたらとデカダン(デカダンス、とすら発音しないのがツウ)に詳しくなりました。退廃的な行動をするクラスメイトのあだ名が「デカ」になるくらい。
 弘先生のお声や、独特のお話のしかたは本当に素敵で、先生が『三月記』や『舞姫』や『永訣の朝』を朗読されるたび、私を含め、何人かの女子生徒はしびれていたものです。
 
 時は90年代後半。女子高生がニッポン文化の中心を少しは踏んづけていた頃。私もご多分にもれず、茶髪にピアスを当然のようにたしなみ、飲酒と喫煙に多大なる関心を抱くダメ女子高生の一人でした。
 そして私も、高校時代は、いまよりもずっと、言いたいことがたくさんありました。少なくとも、いまよりもずっと簡単に言葉を使っていました。私は当時、ひたすら国際協力NGOの活動ばかりしていて、学校は平穏すぎて退屈な場所で、ペンを持つと言いたいことがあふれてきました。誰かに伝えたい、聞いてもらいたい。そんな思いから、私はただ言葉を垂れ流していました。その当時からすでに、一部の国際協力NGOや環境NGOの活動に疑念を抱いていた私は、弘先生の授業で課せられる小説やエッセイやレポートにそれらを盛り込み、マニアックかつ血気盛んな文章を提出していました。そんなものを読まなければならない高校の先生って、本当に大変な職業だと思いますが、弘先生は、非常に短いコメントでそれらを流して下さいました。
 高校1年のときにバングラデシュに2回も渡航し、高校2年でフィリピンに渡航し、高校3年の夏にはエチオピアでの国際会議に出席した私は、校内でかなり目立っていました。先生方からの特別扱いもすさまじく、
 「君は、NGOで活発に活動して、先生方からの評価も高いのに、なぜピアス?」
とか、
 「そんなに良い活動をしているのに、数学の成績が悪いなんて。」
とか言われるのです。NGOと関係ないでしょ!と私は思っていました。
 でも弘先生は私の活動について、最後まで何もおっしゃいませんでした。私はそのことがとても嬉しくて、夏休みの課題では、「国際協力NGOをやっている中高生がいかにフツーであるか」を主張するための小説を書きました。(ちっともフツーじゃないじゃない、と言われそうですが、高校生ですから、その熱さはフツーだと思うのです。)
 そんな私の文章を全部読んでくださって、とてもクールにシビアに最低限の言葉でコメントしてくださる弘先生に、私は、ずっと憧れていました。
 言葉を仕事にするというのはこういうことなのかな、と思いました。

 高校を卒業して数年たってから、弘先生からのお葉書で、先生がスペインに永住計画を立てておられることを知りました。そして私もフィリピンに留学し、私はてっきり弘先生はスペインに旅立っていかれたのだと思っていました。

 …ということを、昨年の7月に「八文字屋」を訪問したさいに経営者の甲斐さんにお話ししたら、甲斐さん曰く、
 「弘先生は現在、ガラス工芸をされていて、京都は百万遍の手づくり市に店を出しておられる。まだ当時のお家にいらっしゃるはず。」
とのこと。さすがは、京都一の情報家の甲斐さんです。
 私は、10年前の住所に宛ててお手紙を書きました。すると、わずか数日でお返事が。「あんへりーた」の開店の広告の上に、懐かしい弘先生の字がありました。

 念願かなって「あんへりーた」を訪れた日、その扉のガラス越しに、実に11年ぶりに、75歳の弘先生のお姿を拝見した瞬間、私はもう胸が一杯になってしまって、あまりきちんとしたご挨拶もできませんでした。「積もる話もあるだろうし」と近くの喫茶店に連れて行っていただいたのに、私は、懐かしい先生の口調に感激してしまって、用意していた言葉のひとつも言えないままでした。「海外にいたあいだ、ホームシックにもノイローゼにもならずか。」と訊かれ、咄嗟に「ならずですよ。」と答えると、先生は、「まあ君は、そういうの、ならなさそうだからなあ。」とおっしゃいました。私はとても幸せに思いました。ノイローゼなんて古い言葉を。弘先生にそんなふうに言っていただくと、実に本当に、何もなかったかのように思えました。後日、お礼の葉書とメールをお送りすると、弘先生はあいかわらず、短いお返事をくださいました。
 現在の弘先生は言葉を仕事にされているわけではなくて、まったく別のことをされていて、そして私はあいかわらず言葉を無駄にしているけれど、いつか私も、弘先生のように言葉を使えるようになりたいです。

なお、スペイン雑貨・中古雑貨店 あんへりーた ANGELITA(←もう一度、リンクしておきます)にはあまりお客さんが入っていないそうです。近くの方、近くなくてもスペイン好きの方、雑貨好きの方は、ぜひ行ってみてください。王子公園駅で降りると、お店に辿り着くまでに、下町情緒たっぷりの商店街もありますよ。そしてお店では、素敵な店主が、素敵な日本語で相手をしてくださることでしょう。
 なお、オープン時間は「13時から薄暮」だそうです。薄暮!
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by saging | 2010-02-13 03:37 | その他
チョボチョボな話
 博士論文の口頭試問を受けてまいりました。4名の審査委員の先生方からは、事前に思っていたほど厳しい質問を受けることはありませんでした。
 「このモデルだけでスラム住民の行動原理をすべて説明できるのですか? 彼らはそんなにも合理的だと言えるのですか?」
という質問は、もちろん繰り返されました。これは口頭試問で、私は試されているわけですから、私はもちろん、使い古された言葉で、使い古されたことを反駁しました。そして例によって、「政治学VS地域研究」に関する定型のコメントが繰り返されました。よかった、想定内だ、と思いながら、私は、1年半前に「博士論文提出資格審査試験」を受けたときにも同じことを訊かれて、同じように無難に乗り切ったことを思い出しました。無難に乗り切れるようなことじゃないのに。
 だからこそ、指導教官の先生から最後にいただいた、
 「君の論文って、結局はみんなチョボチョボだよ、っていう話ですよね。なんというか、ロマンがないね。」
というコメント、決して褒められているわけではないのに、ほっとしました。

 本日は、論文にも含めることができないような、さらにチョボチョボなお話を。
  「資格審査論文」を書いていた2008年の6月、私が調査していたマニラの川沿いのスラムの方々が、自分たちで選択した代替地に移転することになりました。リサール州ロド●ゲスの移転地の住宅が完成したのは5月中旬。人々は5月20日に移転予定でした。移転当日は私も仕事を休んで見に行くつもりでしたが、移転の前夜に延期の連絡。その後、諸事情からさらに3回にわたって移転日が延ばされました。住民リーダーたちの話は以下の通りでした。
 最初の50世帯(主に住民組織のリーダー層)は、5月20日にロド●ゲスに移転を済ませるはずが、25日に延期。理由は政府側の都合。初めの50世帯の内訳は、オプション1(敷地面積36㎡)が36名、オプション2(敷地面積40㎡)が14名だったのですが、前日になって、オプション1の家々の扉と窓ガラスの取り付けが遅れることが判明。ならばオプション2への移転者のみ先に移動すればいいようなものですが、国家住宅庁の担当者曰く、
 「トラックの契約単位は50世帯。14世帯と36世帯に分けて移転させると2倍の費用がかかるので、オプション2の世帯の移転日も遅らせよう。」
 先週のうちに移転するものだと思っていたオプション2の世帯の人々は、当日未明になって移転日の延期を知らされてカンカン。翌日には引っ越すつもりで夜を徹してすべてをダンボールに詰めてスタンバイしていたのですから。10人家族なら衣類も食器も食品も×10! その梱包を解くのも大変です。さらに、皆それぞれに、引越しの人手が足りないからと親戚を呼んだり娘や息子に仕事を休ませたりしていたのですから、そのコストも馬鹿になりません。移転って、とにかく人手が要るのです。引越し用のトラックはスラムの狭い路地には入ることができませんから、冷蔵庫もテレビセットも椅子もテーブルも、各世帯が自分たちで表通りまで運ばなくてはならないわけで、皆、働き盛りの家族に仕事を休ませ、遠くの親戚を動員して引っ越しに備えていたわけです(移出元のマニラ市に申請すれば市が助っ人要員を派遣してくれますが有料)。それが延期になれば、そりゃ大変です。
 この時期、私は、複数の方々から借金を申し込まれました。私に頼むくらいだから、他には八方手を尽くしているのでしょう。何よりも、移転に予想外にお金がかかるという、その事情は痛いくらいわかります。
 彼らは皆、当時はオフィスワーカーであった私の活動時間を知っていて、夜の9時とか10時とか、絶妙な時間帯に電話をかけてきては、
 「どうしても●●ペソが必要で。来週には返すから。それにちょっと話したいことがあって。重要なのよ。」
と言うのです。
 夜遅く、現金を隠し持って訪問する私に、まずは食事を振舞おうとするおばちゃんたち。できるなら事務的にお金だけさっさと渡して、一刻も早く帰って自分のベッドで眠りたいと内心で思っている私ですが、そんな無礼は許されません。食事は断りつつも、お水とスナックなどをいただきながら世間話をして、だらだらとテレビを見たり、子どもたちと遊んだり。その後、相手は頃合いを見計らって、さりげなく話の根本に触れてきます。つまり、窮状を訴えるわけです。しかも、決して悲劇を強調するのではなく、自分がいかに努力して問題解決にあたってきたか、自分が金策に奔走したか、を語ってくれるのです。何の努力もせずにいきなりあなたに依頼をしているわけではないよ、との布石を、延々と打つわけです。黙って聞いていると数時間は続きます。本当に回りくどいのですが、それが彼/彼女たちのプライドなのです。
 「移転先にまだ電気が通っていない。とりあえずはランプでしのぎたいのだけど、ランプを買うお金がない。」
 「うちは女世帯なので、引越しにあたって娘の同級生の男の子たちの手を借りたいのだけれど、まさかタダ働きというわけにはいかないし、食事だって用意しないといけないし…。」
この辺りは事実なので、本当に同情します。
 「海外に出稼ぎに行っている娘に電話して振り込んでもらいたいが、うちの孫が携帯電話をいじっているうちに連絡先を消してしまった。」
…この辺りになると、どこまでが嘘か本当か…。騙された振りをするしかありません。そしてこうしたおしゃべりの間、あちらはずっと話の核心に触れるタイミングを見計らい、こちらはこちらで、現金を渡すタイミングを見計らっているわけです。あんまり急いで渡しすぎても気まずいし、躊躇しているとどんどん時間が経ってしまいます。相手のプライドを傷つけないように、あっさり渡さなくてはなりませんし、渡したら最後、尾を引かないようにすぐに話題を切り替えなくてはなりません。
 「それにしても、移転、もうすぐですね。いろいろあるでしょうけど、2年もかけて住民自身が移転先を選んで移転する、っていうケースは稀ですから、きっと、これはいいモデルになるんでしょうね。」
と、私から彼らに「未来」の話を振ると、
 「そうそう! 移転したら、通りごとに花を植えるんだよ。うちの前はブーゲンビリア、次はハイビスカス、ってね。そうすれば、来年の5月の花祭り(Flores de Mayo)には花が咲き乱れるからね。移転したら、土日にでも泊まりで遊びに来るといい。扇風機が要らないくらいに涼しいんだよ。」
と、自分自身に言い聞かせるように、遠い未来の夢を語るリーダーたち。
 「いいですね! 私、いまの仕事はあと1年の契約ですから、その後は大学に戻って、あなたたちの移転のストーリーを論文に書きたいと思っているんです。」
 「そりゃいいわ。私たちのこと、書いてくれるのよね、嬉しいわ。」
 「フィリピン大学に戻るなら、いつでもウチに下宿していいんだよ。フィリピン大学までジープで2本だし、渋滞はないし。」
 「そうそう、先週、移転先の町長とまた話したんだよ。そしたら、なんと、町役場の契約職員のほとんどが、マニラ首都圏からここ数年のうちに移転した元スクワッターなんだって。あの町長はスクワッターに偏見がないんだね。私たちにも、空きポストがあったら紹介してくれるってさ。」
こんな話をしているとあっというまに2時、3時を過ぎます。私はひたすら、相手借金の話を切り出してくれるのを待つのですが、一向にその話にならないのです。私が水を向けるとやっと、
 「あのねsaging, こういうことを言うのは非常に申し訳ないのだけど。…いや、恥ずかしいのだけど。」
…いえあなた、数時間前、電話で具体的な金額を言ってましたよね? 私はそのために来たのだから、いまさら恥ずかしいもなにもないでしょうに。
 そこからまた延々と話が続いて、お金を渡す頃には空が白くなりかけていて、そろそろ気持ちのいいシャワーを浴びるために自宅に戻ろうかな、と思って「そろそろおいとまを」と言い出す私に、相手は小さく折り畳んだ100ペソ札を差し出し、
 「まだ暗いから、タクシーに乗って帰りなさい。」
ちょっと! どうして、数分前に数千ペソのお金を貸した私に、100ペソを握らせますかね!? …でも、それが彼/彼女らのプライドなのです。表通りまで送ってくれて、サリサリ・ストアで3ペソのクラッカーを買って「朝ごはんに」と私の鞄にねじこみ、送り出してくれる彼らのプライド。
 「合理的」なんてものからはほど遠い、こんなチョボチョボな行動を繰り返す私たち。それをうまいこと論文に仕上げるのは、ゲームみたいなものなのかもしれません。

 漱石の『道草』に、こんな個所があります。

 健三は漸と気が付いたように、細君の膝の上に置かれた大きな模様のある切地を眺めた。
 「それは姉から祝ってくれたんだろう」
 「そうです」
 「下らない話だな。金もないのに止せば好いのに」
 健三から貰った小遣の中を割いて、こういう贈り物をしなければ気の済まない姉の心持が、彼には理解出来なかった。
 「つまり己の金で己が買ったと同じ事になるんだからな」
 「でも貴夫に対する義理だと思っていらっしゃるんだから仕方がありませんわ」
 姉は世間でいう義理を克明に守り過ぎる女であった。他から物を貰えばきっとそれ以上のものを贈り返そうとして苦しがった。
 「どうも困るね、そう義理々々って、何が義理だかさっぱり解りゃしない。そんな形式的な事をするより、自分の小遣を比田に借りられないような用心でもする方がよっぽど増しだ」
 こんな事に掛けると存外無神経な細君は、強いて姉を弁護しようともしなかった。


 決して返ってこないことを理解しながらフィリピン人にお金を貸すとき、私はいつも、この個所を思い出します。私の博士論文のタイトルには「スラムの住民運動」という言葉が含まれています。スラムの住民運動を構成するひとつひとつの人間の行動はいつも実にチョボチョボで、こんな不合理ばかりです。
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by saging | 2010-02-01 00:19 | フィリピン研究