Keso de Bola とは、 「表面は赤いのに中は黄色い」フィリピンのボール型チーズ。転じて日和見主義者。       かつてお世話になった、現地の言葉で「灯台」と呼ばれるマニラ湾岸のスラムを、ガラス越しに。
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タイのパキャオ
 先回、赤組の集会の話を書きましたが、そのときに気になって仕方がなかったのが、会場で売られていたこのTシャツ。
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 このTシャツに印刷されている人物は、赤組の主要リーダーの3人のうちのNattawut SaiGuar (ณัฐวุฒิ ใสยเกื้อ) 氏なのですが、小さく"Manny Pacquao"って書いてありますよね!(写真がぼけていて申し訳ございません。)
 なぜパキャオ?

 ・・・タ●サートの優秀な友人たちにメールできいてみたところ、以下の答えが返ってきました。

一人目の回答
 The meaning of it is that maybe his face looks like Pacquiao. Also, considering the texts above his face "นักชกข้ามรุ่น", it can be implied that Nattawut is just a small boxer who dares enough to fight someone much bigger than him.

二人目の回答
 I guess they try to compare Mr. Nattawut to Manny. Because this person try to have a debate with Gen. Prem Tinnasulanonda, the stateman of Thailand. He's much older than Nattawut. Many said both persons are in different classes and generations. I guess that Manny also did the same in the Phillipines. He might fight with the boxers who are in the different classes.

 どうやらパキャオは、「大物に対しても果敢に立ち向かう戦士」として引き合いに出されているだけのようです。

 それにしても、当のパキャオは納得しているのでしょうか。パキャオ本人もフィリピンでさんざん政治活動(自由党アチェンサ派)していて、2007年下院選では落選したもの、2010年では選挙区を変えてサランガニ州から下院選に出馬するようですが…。
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by saging | 2009-10-26 00:15 | タイ研究('09~'10年)
赤組のロジはすごい
 先週末、行ってきました、赤組の集会。
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 2週間前の黄色の集会をはるかに上回る、すさまじい盛り上がり。報道では1万人と出ていましたが、3万人くらいいたのではないでしょうか?

 今年の4月にパタヤで予定されていたASEANサミットが赤組の妨害により中止になったとき、突如として日程短縮になったパタヤ出張から引き揚げてきた日本の某省の方々が、愚痴の合間に、
 「それにしても、赤シャツ隊のロジ(=ロジスティックス)はすごい。水も食事もシャワーもバッチリって感じだった。あの炎天下で座り込んでるのに、みんな、なぜか小綺麗。同じ赤いTシャツに見えるけど、実際はかなり着替えてるはず。どう手配してるのか知らないけど、とにかくすごい。」
と言っていて、そのことがとても印象的だったのですが、今回、納得しました。

 集会が始まるのは暗くなってからだと聞いていたので、私は家でのんびりしていたのですが、午後5時台のニュースを見ると、群衆はすでにかなり集まっており、スピーチも始まっている模様。あわてて家を出てタクシーに乗り、運転手に
 「ピサヌローク、行きたいデス。モブ。シーデーン(赤色)。タクシン。」
と告げると、運転手は、
 「OK! チョープタクシン!(タクシン好き!)」
と言い、ラマ9世通りをぶっとばしてくれました。途中、ひたすらアピシット首相の悪口を言っておられたようです。親指を下に向けて「アビシット」、親指を上に向けて「タクシン!」…わかりやすい。

 会場周辺には赤シャツを着た人たちがぞろぞろ歩いていました。車両の通行は規制されているのですが、機動力満点のモーターサイ(バイクタクシー)が会場まで連れて行ってくれます。そのドライバーも、交通整理をしているのも無線や携帯を持った赤シャツの方々。そして、お祭りかと思うくらいの屋台と赤のグッズ売り場が延々と続きます。立って食べられるような軽食屋台だけではなく、しっかり腰を落ちつけられるテーブル席もあちこちに。
 メインの集会会場に入る際には赤シャツの方々によるカバンの中身チェックがあり、周りには、救護室、相談センター、道案内場、何か揉め事が起こったときのための「非暴力ホットライン」、コーヒーの無料サービスに、マッサージまであります。政治集会の傍らでマッサージって!
 人々はゴザの上に座り込んでいます。その間を縫って、新しいゴザや飲み物、食べ物、グッズなどを売り歩くベンダーがたくさんいるので、立ち上がらなくても数時間くらいは楽に過ごせる仕組みです。フィリピンと同様にスピーチ(ジョークたっぷり、アジテーションたっぷりで人々は笑ったり声を上げたりと楽しそう)の合間には歌や踊りが入り、ステージから遠い席には大きなスクリーンが用意されており、エンタテイメント要素もばっちり。暑いことさえ我慢すれば、かなり快適な集会環境と言えるのではないでしょうか。
 混雑のなかを途中退席する人には出口までの道順をこれまた丁寧に教えてくれる赤シャツのスタッフがいて、とても統率がとれている感じでした。あれだけの数の群衆をまとめるのだから、かなりの数のスタッフが必要なはずです。
 赤シャツのデザインは軽く数十種類はあります。Tシャツもポロシャツも。誰がどうデザインしているのかわからないけれど、すごい。
 以下、写真でごらんください。 
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1) 赤組グッズ。すごい充実ぶり。
2) 足の形の鳴子と、ハート型鳴子。ハートは「タクシンの心」だそうです。
3) Tシャツ159バーツ。Tシャツだけで数十種類ありました。
4) このTシャツは唯一英語でした。
5) タクシン人形100バーツ。
6) クマも赤シャツ。かわいい。思わず買ってしまいそうになりました。
7) 犬も赤シャツ。
8) コーヒー売店。Coffee Redとありますが、普通の3in1のインスタントです。
9) 救護室・・・にみえますが、マッサージコーナーです。

下世話なことかもしれませんが、集会を開催する上では、ステージでだれがどんな順番で話すかよりも、いかに人々に来てもらって、いかに人々を心地よくさせてできるだけ長く会場に繋ぎ止めておくかのほうがずっと大事で、そのためのロジってすごく重要な部分だと思うのです。空港を占拠した黄色組のロジも相当だったと思いますし、タイのこの状況、この途方もないエネルギーの向かい方、ただごとではないですね。

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by saging | 2009-10-25 15:15 | タイ研究('09~'10年)
手のひらグッズは中国製
 さきほどまで、タ●サート大学の友人たちと、カオサンの近くで飲んでいました。
 バンコクに来てからずっと、ホストファミリーに合わせて朝5時半に起き、暗くなるまでに帰宅するという超優等生な生活を送っているので、お酒を飲むなんて久しぶり。自分にとって心地よい言語で存分におしゃべりできるのも久しぶり。私は英語でしゃべりまくり、日々の生活の中で不思議に思っていたことやタイ語文法への疑問を彼らにあれこれぶつけてしまいました。私はバンコクでは特に語学習得に重点を置いているわけではないので、語学学校に通うこともせず、日常会話と発音はホストファミリーから学び、文字と文法はテキストで独学しています。そのため、文法上の些細な疑問点―たとえば、「美しい空」と、「空は美しい」はタイ語にすると同じじゃないかとか、コーとアオの違いとか―を、誰かに聞くことができないのです。

 親切な友人たちは、素敵な英語で私の疑問に丁寧に答えてくれ、私のもっている「指さし会話帳」をめくってひとしきり大笑い。そのほかにもたくさんおしゃべりをしたのですが、一番印象的だったのは、先回の投稿で写真を載せた「手のひらグッズ」のこと。

 彼ら(黄色系です)いわく、例の「パーの形をした鳴子」はもともと、中国のおもちゃで、数年前に反タクシン運動(aka PAD)が結成されたときにリーダーの誰かが目をつけてバンコクの市民運動に導入したのだとか。

 ちなみに赤色の集会では、手のひらではなくて足の裏の形をした同様の鳴子が使われるのだそうです。なかなかユーモアのある人たちですね~。

 「おもしろい!! 手も足も、チョー欲しい!!」
と言うと、
 「手のほうならいつでもあげるよ。でも足はダメ。来週の赤組のデモで自分で探せよ。」(←彼は黄色なので)
とのこと。
 こんなに軽いノリでいいのでしょうか。第一印象によらず、タイって本当におもしろいですね。

 愉快で能弁な彼らとは、数年前、日本の大学院で知り合いました。私は当時「留学生チューター」をしていたのですが、人あたりがよくて非常に優秀な彼らは、私の手を借りることなくさっさと日本での院生生活に順応し、私より先にPhDをとって、現在はタ●サート大学の政治学部で教鞭をとっています。日本では奔放でクレイジーな留学生活を送っていた彼らが名門校で政治学を教えている姿なんて想像もつかないけれど、11月から始まる来学期では、私のこともゲストスピーカーとして呼んでくれるそうです。楽しみ。すばらしい友人たちに恵まれていることに感謝しています。
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by saging | 2009-10-17 01:38 | タイ研究('09~'10年)
バンコクからのつぶやき
 バンコクに来て2週間。

・タイ料理はおいしいけれど、こんなに辛いものばかり食べて高血圧にならないのか?
・毎晩放映されるタイのトレンディドラマはドロドロで怖すぎ。展開も早すぎ。
・ホームステイ先のある『ランカムヘーン通り』はまるで小説のタイトルのような素晴らしい名前だと思っていたら、実は私たちを悩ませ続ける不規則極まりないタイ語アルファベットを作ったスコータイ王朝の大王の名前であることがわかって幻滅。おまけに毎日大渋滞。格調高いと思っていたマニラの『コモンウェルス通り』の由来とその実態(交通事故数ナンバーワン)を知ったときと同じくらいショック。

…など、いろいろ突っ込みたいことが山積みなのですが、英語も日本語もタガログ語も使えない日々なので、ここでちょっと、つぶやかせていただきます。

フィリピン台風被害と「脆弱な人々」
 今回の一連の台風は確かにひどすぎましたが、貧困地区の人々にとって、毎年この時期に一度や二度の床上浸水は当たり前のようです。私の調査地であるパシグ川沿いやトンドの海沿いの居住区は軒並み冠水したようですが、心配してバンコクから電話をしても、「よくあることだから大丈夫」、「火事よりはまし」とのこと…。
 今回は、決して土地が低いわけではなかったリサール州やマリキナ市の中間層居住区もダメージを受けたようで、その衝撃的な映像は世界を回り、政府間援助はもちろん、日本を含む先進国のNGOからも支援が寄せられているようなのですが、「脆弱な人々」のほうが災害に強いって、皮肉なことです。
 先日、パシグ川沿いからリサール州の再定住地(土地が低い地域)に移って1年になる知人から電話をもらいました。冠水したことは以前にきいていましたから、洪水の後遺症がいかにひどいかという話かと思うと、
 「洪水はいいのよ。こういうのはパシグ川沿いにいたときからだから慣れてる。それより、きいてよ!!」
 彼女が言うには、彼女のご近所の未入居住宅(政府がパシグ川沿いのスクワッターの再定住地と定め、すでに入居世帯が決定している家々)に、リサール州の他の地域で被災した「家もあり、私たちみたいに貧しくはない人々」が避難してきていて、政府がそれを容認しているというのです。緊急事態なのだし、ずっといるわけじゃなく一時的なことだし、家具はおろか窓枠さえ入っていないコンクリ打ちっぱなしの空き住宅なのだから入れてあげればいいじゃない、と思うのですが、
 「同じことを私たちがやったらスクワッターだ、汚い、と言われるのに、どうして彼らは許されるのか。緊急事態だというけど、そんなことを言ったら私たち貧困層はいつも緊急事態だ。誰にも助けてもらったことはない。」
 「彼らこそスクワッターだ。彼らこそ真のプロフェッショナル・スクワッターだ。勝手に私たちのコミュニティに入り込んで!」
と、彼女の怒りはおさまりません。「彼らこそ真のプロフェッショナル・スクワッター」って…私は彼女のその世界観に圧倒されました。
…で、なぜ私に電話をしたかというと、借金の申し込みでも、「彼らを追い出すように政府に言って!」という相談でもなく、
 「いちばん腹が立つのは、NGOにそう言ったら、NGOに「ジコチューだ」って言われたことなのよね。どっちがジコチューよ。sagingはわかってくれるよね?」
…と同意を求めるためだったのでした。
 彼女のように「脆弱な」人々のなかには、国際的な関心が今回の洪水被害の全体像に向かうことで、自分たちの存在がいっそう覆い隠されてしまうような不安とフラストレーションを抱えている人々が無数にいるのかもしれません。

携帯電話屋さん
 私がこれまでフィリピンで使ってきた携帯は、SIMカードだけ入れ替えればタイでも使えるので、とっても便利です(実は、あるソフトを入れれば日本でも使えます)。
 が、当然ながら、私の携帯にはタイ語フォントが入っていません。
 先日、従来からとてもお世話になっているバンコク・バス・マスターのMさんに「携帯電話メール(SMS)でタイ語文字を入力するにはどうしたらよいか」を教えていただきました。そんなことタイ人に聞けばいいじゃない!言われるかもしれませんが、タイ人はフィリピン人と違ってあまりSMSを打たない上、外国人の私たちが抱く根本的な疑問―上下左右に奔放につきまくる母音と声調記号をどうやって入力すればいいかということ―の意味を理解してくれないのです。
 Mさんにはメールの打ち方を丁寧に指導していただき、タイ語フォント入りのNOKIAの一番安い機種が900バーツで買えることも教えていただき、大感謝。数日後、大きめのモールの携帯電話コーナーに行ってきました。私はフィリピン勤務中の3年間、職場貸与の携帯がSony Ericssonで、プライベートでも類似機種を使い続けてきたので、できればSony Ericssonがほしいと思っていました。NOKIAとSony Ericssonではボタン操作がかなり異なるのです。しかし、Sony Ericssonはバンコクでは割高。おまけに、キーパッドにタイ語表記がないものも多く、やはりNOKIAにしようかと思っていると、とても親切な店員さんが、私のSony Ericssonを見て、
 「その携帯にタイ語文字フォントをダウンロードすればそのまま使えるのでは?」
と言い出し、周りのスタッフも「そうだそうだ」と言うのです。
 「でも、この携帯のキーパッドにはタイ語が書かれていないので入力が不安。」
…と(非常に拙いタイ語で)伝えてみたところ、皆さんは、
 「カバーを取り換えればいい。」
といって、在庫をひっくり返して、私の機種に合致するカバーを探してくれました。しかし、見つかったカバーは英語アルファベットのものばかり。すると別のスタッフが、
 「カバーじゃなくて、キーのボタンだけ買って取り換えればいい」
と言い、どこか別のお店から、タイ文字の書かれた「キーパッドのみ」を探してきてくれました。さすがタイ。マカティ・シネマ・スクエアを超える細工っぷりです。
 こうして私の携帯は、たった30分で「タイ語の使える携帯」に変身。キーパッド交換+ダウンロードで600バーツ。さらに、「英語-タイ語辞書」のダウンロードも勧められ、言われるままに、入れていただきました。これは便利です!
 愛用の機種をそのまま使えることよりも、新品を買うよりもずっと安く済んだことよりも、スタッフの方々が親身になって相談に乗ってくれたことが、とても嬉しかったです。お店の携帯番号を聞いて、その場でさっそく「ありがとうございます」とSMSを送ろうとしたら、横にいたお客さんが私の画面を覗き込んで、
 「違う、それは『魚のP』だ。『葉っぱのB』はこっち。」
と、入力の練習にも付き合ってくれたのでした。

アリンスキーの亡霊
 先日、バンコクで「70年代初頭にフィリピンに輸入されたアリンスキー型のCommunity Organizingの手法を踏襲するアジアのCommunity Organizersの会合」が開催されました。私は数年前にフィリピンで3回、これらの会合に参加させていただいたことがあるのですが、まあ、何と言ったらいいのか、事情を知る人から見れば時代錯誤もはなはだしい、その道コテコテの人たちによる自己満足のイベントです。いわゆる「運動系」でもなければ「政府系」でもない、ただ「アリンスキー型」を名乗る人たち…。私はこの団体にとてもお世話になっていて、いまも友人がたくさんいるのですが、こうしたタイプの団体がいまだにきっちりと資金を得て存続していることにも、このような会合が毎年のようにアジア各国で開催されていることにも、いつも驚きを禁じえません。
 今回の会合自体には私は出席しませんでしたが、参加者の多くは私の知り合いでもあり、World Habitat Dayにあわせて開催された記念パーティーに参加させていただきました。会場となったHuman ●ettlement Foundationは、私を住まわせてくれているP姉の亡き夫のP兄がつくった団体。壁には、カリスマ的活動家だった彼の在りし日の写真が多く飾られています。
 でも、いろいろな人たちから話をきくにつけ、タイの居住運動の活動家たちは別にアリンスキーの影響をさほど受けているわけではなく、コテコテのフィリピンや韓国のオーガナイザーたちとはだいぶ違うようです。…って、実はフィリピンでもアリンスキー派なんてマイノリティで、声が大きいだけなのですが、良くも悪くも、この「大きな声」を出す人たちが市民社会のadvocatesであり政界にも進出しているので、そこが最大のポイントなのだと思います。これは博士論文で書いています。

黄色の集会
 10月7日、友人の案内で、反タクシン派(=PADなどの黄色グループ)の集会を見に行きました。昨年同日の国会議事堂占拠時の警官隊との衝突で死亡した方々の追悼集会です。規模は2000人程度でしょうか。演説をはさみながら、ドゥシット地区から民主記念塔を通ってそのままタマサート大学の講堂まで行進。民主記念塔に到着したところで激しい雨が降ってきましたが、皆さん準備がよくて、黄色の傘やビニルシートを広げて平然と行進を続けました。雨の中で黄色を身につけた群衆。同じような光景を2ヶ月前にフィリピンでも見ましたが、もちろん、黄色の意味合いは全然違います。
 タイの路上集会を見るのは初めてです。まず驚いたのは、一人で参加しているように見える身なりのよい中間層っぽい若い人々の存在! 一人で歩いている人たちがけっこういらっしゃいました。フィリピンでは、デモや 政治集会に一人で参加するって、そうそうないケースですよ。
 そうした人々に加え、楽しそうなグループ、田舎から動員されてきたような、肌の色の濃い貧しそうな身なりの人々(中高年が多い)、真剣な顔つきの活動家っぽい人々など、参加者はさまざまでした。学生っぽい人は少ないようでした。
 それぞれがいったいどういう動機で来ているのか、きいてみたかったのですが、事情もあまりよくわかっていない段階で聞くのはよろしくないと思い、まずは「黄色の集会」の雰囲気を感じるだけで満足して帰ってきました。
 かなりの割合の人たちが「10月7日」という文字の入ったTシャツやPADのTシャツを着ていました。無料で配られたのだろうと思っていたのですが、ゴール地点のタマサート大学の講堂ではさまざまなデザインのTシャツが販売されていて、これが、飛ぶように売れていました。配られるんじゃなくて個人で買うんですね! それも、けっこうな在庫数に、すごい売れ行き。圧倒されました。
 黄色の人たちは、手をパーに開いた形をしたプラスチック製の鳴子みたいなものを持っていました。テレビで見たことがあるのですが、振ると拍手のような音がして、思った以上にスグレモノのようです。欲しかったのですが、売られていませんでした。フィリピンや日本のデモにも類似品が導入されたら便利なのに。手軽に拍手ができて何かと役立ちそう。(もちろん、これは明らかに黄色組の記号なので、そんなものを日常的に使うことはできませんが…)。
 日常的に出会うバンコクの人たち―穏やかなホストファミリーといい、高架鉄道を利用するおしゃれな人々といい、私に対してゆっくりタイ語を話してくれる店員さんやバスの車掌さんたちといい、きちんとおつりを返してくれるタクシードライバーといい、マニラの貧困層よりもずっと落ち着いた雰囲気のスラムの人たちといい、活動家だのNGOワーカーだのというわりには穏やかであまり大きな声を出さない人たちといい、お酒好きで陽気ながらもフィリピン人よりはずっと静かな大学の友人たちといい―からは、非常にジェントルな印象を受けるのですが、黄色の集会では、タイ人の別の面を見たような気がしました。
 21日からはASEANサミットが予定されていますし、今週末からは今後は赤組(=UDDなどタクシン派)が集会を行うそうです。15日から25日まではドゥシット区に国内治安維持法発動とのこと。こちらのほうが大規模かつ(現政権に反対派ということで)過激なものになりそうなので、内情をよく知る人たちの助言を受けつつ、そっとobserveしたいと思います。

写真
1) 民主記念塔を過ぎたあたりで。
2) 手のひらグッズ
3) タマサート大学講堂でのTシャツ売り場。本やマグカップの売り場もありました。
4) タマサート大学講堂内

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by saging | 2009-10-14 00:41 | タイ研究('09~'10年)
バンコク到着
 マニラの下宿の近所にはまだ浸水で通行止めの道が残っている中、29日の午後に、マニラから直接、こにバンコクに到着しました。リバイス中の博士論文にもとりあえずカタがついたので(来年3月卒業のために11月に提出する予定です)、これから5ヶ月あまりはバンコクに住まわせていただくことになります。新しい生活の始まりです。

 こちらでは、ありがたいことに、いきなりホームステイをさせていただいています。バンコクはもちろんマニラでも有名なスラムの活動家のリーダーS兄(2年前に逝去)の奥さまのS姉(クロン●イのスラムで勤務)のお宅にお世話になっています。S姉は、今年3月にマニラで初めてお会いしたときに、通訳してくださった方を介して私に、
 「バンコクに住むならうちに泊まったらいいよ。そうすればタイ語も覚えるでしょう。」
といってくださいました。いくら、日本にもタイにもフィリピンにも共通の知人がたくさんいるとはいえ、初対面の日本人にそんなことを言ってくださるなんて。しかも私はタイ語ができず、彼女はほとんど英語を話しません。

 できるだけご迷惑をかけないように、日常会話くらいは必死に覚えて、文字の読み書きもできるだけ勉強していったのですが…想像以上に相手の言葉はききとれず、私のタイ語はあきれるくらいに通じません。同じことを10回くらい繰り返してもらったりして、P姉にもご家族にも、ひたすら申し訳ないです。単語も発音も人名も知名もなかなか覚えられず、自分のダメっぷりに愕然としています。本当に本当に、悔しいというかただただ申し訳ないです。がんばります…。
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by saging | 2009-10-01 01:14 | タイ研究('09~'10年)