「ほっ」と。キャンペーン

Keso de Bola とは、 「表面は赤いのに中は黄色い」フィリピンのボール型チーズ。転じて日和見主義者。       かつてお世話になった、現地の言葉で「灯台」と呼ばれるマニラ湾岸のスラムを、ガラス越しに。
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選挙速報
民主党が政権をとったことよりも何よりも、NHKで「いつになく熱い」選挙速報を見られたことが嬉しくて、大満足です。開票中の数字が次々と画面にアップされ、政党や候補者の事務所の様子がどんどん生中継で映し出されるあの数時間がいいんですよね。たまりません。昨夜はケーブルTVに張り付いて観ていました。
 お世話になっている下宿の方々には、
 「そんなにおもしろいの?」
 「日本って、選挙結果が出るの早いのねー。」
と言われながら。

 今回の速報は本当におもしろくて、「選挙速報が大好きだから、録画しておいて繰り返し見る」と言っていた元職場の上司の言葉を思い出し、いまなら頷けるな、と思いました。

 日本の政治って、フィリピンよりずっとcolorlessで、あまりハイライトがないようにも見えるのですが、2-3年に一度の選挙直後の、あの数時間は、各国にも負けないくらいの昂揚感が楽しめます! 日本の選挙もお祭りなんだなあ、と思う瞬間です。
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by saging | 2009-08-31 12:02 | その他
”Rich, poor, come for Cory”(写真編・2)
1枚目:8月4日、マニラ大聖堂に入るため行列する人々。イントラムルス内にて。
2枚目:8月4日、マニラ大聖堂前で傘を売る男性。
3枚目:8月4日、マニラ大聖堂前で売られていた”Farewell ID”(←もちろん、正規品ではありません!!)
4枚目:8月5日、キリノ通りとオスメーニャ・ハイウェイの交差点で棺を待つ人々。上空を飛ぶABS-CBNのヘリに向かって一斉にLサイン。
5枚目:8月5日、キリノ通りとオスメーニャ・ハイウェイの交差点で棺を待つ人々。雨。
6枚目:8月5日、キリノ通りとオスメーニャ・ハイウェイに停まるトラックの上から棺を眺める若者たち。手にはLサイン。

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by saging | 2009-08-20 13:35 | フィリピン(全般)
”Rich, poor, come for Cory”(写真編・1)
1枚目:8月3日、アヤラ通り。携帯やカメラで写真を撮る人々。
2枚目:8月3日、アヤラ通り。棺に舞う黄色の紙吹雪。
3枚目:8月3日、アヤラ通り。黄色いTシャツの男性の背中には「居酒屋おいしんぼ」…!
4枚目:8月3日、RCBCビル(アヤラとブエンディアの交差点)から舞う紙吹雪。
5枚目:8月4日、マニラ大聖堂前でTシャツを売る人々。
6枚目:8月4日、マニラ大聖堂前でバンダナを売る人々。

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by saging | 2009-08-20 13:26 | フィリピン(全般)
”Rich, poor, come for Cory”(コラソン・アキノ元大統領の逝去・2)
8月4日(火)
この日のインクワイラー紙の見出しは”Cory magic is back”です。
 この日は誰と会ってもCoryの話題ばかり。夕方、上院議員秘書をしている友人(決してアキノ陣営ではありません)と会ったときも、上院スタッフらの話題はやはりCory一色。つい、Noynoy Aquino上院議員(Coryの息子)のオフィスで配布されていた黄色のリボンを貰ってきてしまいました。
 夕方、用事があって元職場に行くと、懐かしいフィリピン人秘書たちが、揃いも揃って黄色の服を着て、ちゃんと黄色のリボンを用意しています。皆、口をそろえて、
 「私たちは就業後、マニラ大聖堂に直行するつもり。あなたはもう行った?」
 「明日はどこで棺を待つのがいいかしら。私はブエンディア通り。あなたは?」
 ……。なんだか、ものすごく盛り上がっています。ラジオからは、マニラ大聖堂での追悼セレモニーの様子が中継されています。
 「昨日、マニラ大聖堂に行ったんだけど、すごい列で、しかも大雨だったのよね。」
と私が言うと、
 「何時間でも並ばなきゃ! 忍耐が必要よ!」
と彼女たち。まさかフィリピン人に(しかも元職場の秘書さんたちに)忍耐の重要性を説かれるとは思いませんでした…。
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 私は、元職場での用事を済ませてから、日が暮れた7時ごろにFXでLawton郵便局前に向かい、そこからマニラ大聖堂まで歩きました。途中でまた雨が降り始め、足元はどろどろ。なんとかマニラ大聖堂にたどりつくと、前日よりは統制がとれている感じで、とりあえず行列に並ぶための順路ははっきりしています。一般の弔問客が並ぶべき行列は、選挙管理委員会のビルの横から南に向かって延び、途中で迂回しながら、イントラムルスを縦断し、なんと、リサール公園まで続いていました(図参照)。最後尾にたどりつくまでに30分かかりましたから、1.5キロくらいあったのではないでしょうか。あとできいたところによると、ピーク時の待ち時間はピークは4-5時間に及んだそうです。前のほうは確実に行列が動いていることが感じられ、路上に設置された巨大モニターで大聖堂内の映像を見ることもできるのですが、後方になってくると、列が動いているのかどうか、そもそもその行列がほんとうに大聖堂に続いているのかどうかもわからないくらいです。加えて、雨。私は並ぶことはとっくに諦め、並んでいる人々を観察することに熱中しました。行列者の多くは学生(高校~大学)と思しき若者で、教員に引率されて学校単位で来ていると思われるティーンエージャーも。(もう夜の8時ですが、教員の引率つきなら親御さんも安心ですものね。それに翌日は特別休日だし!)家族連れやご高齢の方もいらっしゃいました。3分の1くらいの人は黄色を身に着けています。人々はとても嬉しそうで、雨や行列に不満を漏らしている人は見当たらず、写真を撮りあったりして楽しそうです。
 そして、行列の横ではビジネスが展開されていました。黄色のリボンやCoryの写真入りの各種Tシャツは前々日のデ・ラ・サールの付近でも販売されていたのだそうですが、それ以外にも、バンダナ、ハチマキ、缶バッジ、そしてCoryの似顔絵入りの黄色の傘など、Coryグッズが満載! 傘はかなり大きなサイズで150ペソ(絵柄なしのプレーンな黄色は100ペソ)とあって特に人気らしく、かなりの人々が黄色の傘を持っていました。私も2本買ってしまいました。Tシャツも売り切れるデザインが続出で、中には、
 「あー、そのデザインがほしかったのに~! あなたの着てるそれ、売ってくれない?」
とベンダーに交渉しはじめる人も。
 「嫌だ! 俺も思い出の品としてとっておきたいんだ! 売らないぞ!」
とベンダー。
 また、黄色の紙にCoryの顔写真を印刷してラミネートし、安全ピンをつけただけの”Farewell ID”なるもの(20ペソ)も売られていました。どこが「ID」なのだかさっぱりわからない単なる手作りグッズなのですが、このいいかげんさがなんともフィリピンです。
それにしても、こんなにたくさんのグッズ、いつのまに印刷・生産されていたのでしょう? 売り子の方々にきいてみると、
 「そんなの、亡くなる前から印刷してあったに決まってるじゃないか。どこで印刷してたかは知らないけど。俺らは普段はイントラムルス内でたばこやガムを売ってるんだけど、一昨日、ベンダーのボスから連絡があって、マニラ大聖堂で葬儀が行われることになったからTシャツや傘を大量に売る仕事ができたって言われたんで、妻や娘や近所の失業者に声をかけて昨日から働きづめだよ。Salamat, Cory!だな。」
とのこと。彼らの多くはマニラ北港エリアやパシグ川河口のB地区(いずれも貧困地区)に居住しているそうです。フィッシュボールやミネラルウォーターの売り子の人々も、
 「すごい売り上げだ。イントラムルスのベンダーだけじゃなく、マニラ中からベンダーが集まってきて商売してるよ。水なんていくら用意してもすぐ売り切れる。冷えてなくたって売れちゃうよ。観光客がバス4台でイントラムルスに来たって、学生が社会見学で押し寄せてきたって、マニラ大聖堂で有名人の結婚式があったって、こんなに売れないよ。」
と嬉しそう。
 こうして何千人、何万人が大聖堂の横で時間を過ごしていたわけですが、私が周辺をうろうろしていた3時間、小競り合いなどは一度も目にしませんでした。
 後日、
 「人々は並ぶこと自体を、あの一体感と雰囲気を楽しんでいた。」
という分析をあちこちで目にしました。真偽のほどは定かではありませんが、
 「Chiz(エスクデロ上院議員)が4時間並んだ。」
 「マニラ市議会議員もVIP席を拒否して一般人と一緒に並んでたらしい。」
といった噂も飛び交っていました。私の知人の議会スタッフは
 「俺、あの晩、2時間並んだよ。Noynoy上院議員(Coryの息子)のスタッフに『VIPの入り口からどうぞ』って言われたけど、一般人として並びたかったんだ。」
と誇らしげに語っていました。
 帰りにリサール公園の横からタクシーに乗ると、ドライバーが、
 「おっ、Coryのwakeに行ってきたのか。俺も明日の早朝に行こうと思ってるんだ。その傘、いいね。俺の娘もTシャツ買ってきたよ。」
と話しかけてきました。

8月5日(水)
 Cory埋葬の日。大統領布告によりnon-working holidayに指定されたので、街はお休みです。下宿させていただいているおうちの方々もメイドさんも総出で朝からテレビにかじりついていました。
午前9時にマニラ大聖堂で葬儀のミサ開始。はじめは音楽だけなので、参列者の顔ぶれを眺めて楽しみました。前方の座席には、遺族のほか、副大統領、アキノ政権下の元閣僚、上院議員、その他政治家がずらり。圧巻です。
 それにしてもABS-CBN社は、どう見ても一連の葬儀関連行事のオーガナイザーと手を組んでいるとしか思えないくらいのベストポジションで、最高の映像を撮っていました。大聖堂の正面前方に置かれたCoryの棺。ミサの初め、その上には白い布が被せられ、大きくて重厚な木彫りの「十字架に架けられたイエス像」が置かれました。ABS-CBNときたら、おそらく天井にカメラを設置したのでしょう、棺を真上から映しつつ、ズームで大聖堂の全体像を映し出すのです。薄暗く荘厳な大聖堂のなか、白い棺が輝いて浮かび上がる構図はため息が出るほどに美しく、感動的でした。
 そこへもってきて、たたみかけるように流れる教会音楽と讃美歌、歌手によるお別れの歌、静謐な空気のなかで聖職者の口から語られる言葉の数々。聖職者による約20分に及ぶスピーチ(英語)は、とても深くて重くて、素晴らしいものでした。さすが聖職者というか、声一つ詰まらせることなく、落ち着いた朗々としたスピーチ。本当に見事でした。
 そして、ミサのハイライトである、Kris Aquino(Coryの娘で俳優)の英語スピーチ。Krisはなんといっても美しく、声もよく通り、さすがは俳優だけに表情も豊かで、その表現力はすばらしいものがあります。スピーチの内容(紙を読んでいたので、事前に書かれたものだと思われます)もさることながら、彼女の舞台パフォーマンスが圧巻でした。言葉を詰まらせながら家族の一人一人に語りかけ、何度も、
 ”Mam… mam…”
と呼びかける様子は、そんじょそこらのドキュメンタリーなど及びもつかないくらいに感動的でした。そこへもってきてABS-CBNは、Krisの美しい顔と、聖堂内に白く浮かび上がる棺と、遺族の涙と、参列する政治家たち神妙な顔と、そして父親に抱かれたKrisの2歳の息子James(ものすごくかわいい!)のあどけない顔を、交互に映し出すわけです。この演出、そんじょそこらの映画なんか、比べ物にならないくらいです。一緒にTVをみている下宿の方々も、ただ、ため息をつくばかり。
 しかもこのKris, Ninoy(Coryの夫)がアメリカからマニラに帰国した直後に空港で暗殺されたとき、まだ10歳にもなっていなかったのに、父親の民主化への願いと彼の死の無念さをアメリカで滔々と語り、母親であるCoryが大統領選に立候補したときには選挙キャンペーンで立派にスピーチをした…などのエピソードに事欠かない人物。2007年選挙で兄のNoynoyが上院選に出馬したときのポスターには、KrisとNoynoyが手を取り合う写真に、 「Noynoy兄ちゃんはすごい!」とのキャプチャーが。あくまでもKris主役。兄に代わって出馬すれば?と誰もが思ったはずです。(当時、Noynoy候補の人気はずっと低迷していたのですが、投票2週間前にKrisがJamesの出産を終えて芸能ニュースの話題をさらい、Ninoyの応援に復帰してからというもの、彼の世論調査の順位は急上昇しました。ちなみにこの葬儀の後、「KrisかNoynoyは2010年に大統領選か副大統領選に出馬するのでは?」との憶測が駆け巡りました。)
 Krisの涙のスピーチのあと、棺の上の白い布が取り払われ、まもなくミサも終わりでしょう、と思いきや、最後の最後に、歌手のLea Salongaが登場し、あの”Bayan Ko”をしっとりと熱唱。誰ですか、このミサのオーガナイザーは!? そうとうな舞台美術家か演出家がからんでいるのではないか、と思うくらいの見事な演出っぷりです。さすがにこれには、Krisのスピーチ中になんとか泣くのを我慢していた国民の皆さんが涙したと思います。しかもABS-CBNの撮りかたがこれまた巧くて、Bayan Koの歌声にじっと耳を傾ける参列者と、棺と、大聖堂の外に整列して待機する制服姿の軍人たちと、雨の中マニラ・メモリアル・パークで待ち続ける群衆、Lサインをして待ち続ける群衆、黄色のレインコートに黄色のリボンを胸に付けた大聖堂周辺の警備員、そして少し離れたルネタ公園で無邪気に小さなフィリピン国旗を振りかざす子どもたち…を、交互に映しだしてくれるのです。これにはやられました。ロペス家(ABS-CBN)はアキノ家にそうとう恩があるとみえます。

 午前11時。2時間に及ぶミサが終わり、「G線上のアリア」の流れる中(この演出がまた憎い)、棺は大聖堂の外に運ばれて待機していた巨大トラックに乗せられ、遺族の乗った車両と共に、埋葬場所であるマニラ・メモリアルへと向かいます。他方、聖堂内ではまだ歌が続いているらしく、参列者は退席させてもらえないまま歌を聴いている様子。その歌がバックに流れ、市民によって取り囲まれた沿道を棺の車列一行がゆっくりと通過していく様子が、ヘリによる中継映像で伝えられています。そうとうな混雑ぶりだろうと思ったのですが、TV中継を見ているかぎり、意外にも車列の動きはスムーズ。あっというまにアメリカ大使館前を通過してしまったので、私は慌てて下宿を飛び出しました。もちろん、棺を見るためにです!
 棺はロハス大通りを南下し、キリノ通りを左折してオスメーニャ・ハイウェイに出て、サウススーパーハイウェイでマニラ・メモリアル・パークに向かう予定でした。ロハス大通り沿いで見るのがもっとも混雑がなくて絶好のロケーションなのですが(4月まで私が住んでいたコンドミニアムなら部屋の窓からだって見えたはず)、私の目的は「棺を見ること」ではなくて、「棺を見る人々を見ること」です。そして、「棺を見る中間層」はすでに2日前にマカティで見ていますから、今回は「棺を見る貧困層」を見たいと思い、棺の通過する予定の沿道のなかでもっとも貧困層が多そうなキリノ通りに行くことにしました。沿道のスクワッター人口の多さと路上ベンダーの多さでは、キリノ通りは、マニラ首都圏で5本の指に入ると思います。下宿からジープニーで国パコ駅まで行き、そこからキリノ通りを西に進めば、沿道には、国鉄再生計画のために移転させられた元線路沿い住民による路上コミュニティ、サン・アンドレスの巨大スラム、スクワッターがぎっしり住む運河、Taft通り近くのトライシクル組合本部、マラテの巨大スラム、そしてマニラ動物園裏のスクワッター…と、貧困地区をことごとく網羅できると思ったのです。
 しかし、キリノ通りとオスメーニャ・ハイウェイの交差点に出た時点で、私の計画は崩れ去りました。ものすごい人波で、とても西(棺の進行方向と逆)に進むなんてことはできそうになかったのです。通行規制は片道(棺の進行方向)だけでしたが、反対側車道も沿道も、もちろん中央分離帯も、人でびっしり。そのほとんどが明らかに、近所から出てきたと思われる貧困層です。Tシャツに短パン、安そうなゴム草履。中には上半身裸の人も。大聖堂前とは異なり、集まった人々のなかには黄色やオレンジの服が多いのですが、CoryのTシャツを着ている人は見当たりません。そもそも、Tシャツやリボンといったグッズを売り歩いている人などいません。すでに仕入れたか、どこからか配られたのでしょうか? 行き交うぺディキャブにはことごとく黄色いリボンが結わえられています。皆、安物の傘を持ち、自転車に腰かけたりトラックの荷台に乗ったりしながら棺を待ちます。断続的に雨も降っています。
 私が現場に到着したのは正午過ぎ。しかし、1時間たっても棺は現れません。TV局のヘリは私たちの上空を巡回しはじめ、皆、熱狂して空に向かってLサインを送るのですが、棺はまだはるか遠くにいるようです。いったいどこで停滞しているのだか。
 待っている間、周りの方々にお話を伺いました。その多くはパコまたはサン・アンドレスのスクワッター。見るからに貧困層で、ほんとうに貧困層でした。お話をうかがっていると、どうやら皆、純粋にCoryの棺を見たかったらしいのです。動員も何もない様子。通常の街頭デモや選挙キャンペーンなら、お金や食事を受け取ってきているという話もちらちらでてくるものですが、そういったそぶりは皆無です。
 情報ソースは「ラジオとTV」だそうですが、多くの人が
 「朝9時から待ってる。」
と言っていたあたり、実際にはあまり的確に情報を得て行動しているとは思えません。
 「朝9時ってラジオで言ったから、9時に来たのに。」
と皆さんが口をそろえるので、
 「朝9時からなのはミサですよー。マニラ大聖堂を出たのは11時半です。私、TVで棺が動くのを見てから来たんですよ。」
と私が言うと、
 「えー、みんなが9時って言ったから来たのに。」
 「チェアマン(バランガイ議長)も9時って言ったよねー。」
とのこと。あれ、さっきラジオで聞いたって言ってなかったっけ!? (…まあ、貧困層の方々のtestimonyってこういうことが普通なので、1回のインタビューでは何の情報も得られません。もちろん、「本日の葬儀のニュースはどこで知っていますか?」という私の質問の仕方にも問題がありました。都市の人々は、たとえ「知人から」であっても、胸を張って「TV」とか「ラジオ」とか答える傾向があるように思います。)
 結局、1時間半待って、やっと棺が到着しました。皆、熱狂! そして”Cory! Cory! Cory!”コール! しかし棺が通り過ぎると、大半の人々はそれ以上棺を追いかけることもなく、あっけなく帰路につきました(徒歩で)。なかなか人々が散会しない(←何か別の目的をもっているためです)選挙キャンペーンや大規模な街頭デモとはことごとく異なります。この人たちは本当に「棺を見に」だけ来たんだなあと、いまさらながら感嘆しました。
 ブエンディア通りで待っていた友人によると、そちらには「朝から並んで待っている貧困層」と「自宅でギリギリまでTVを見てルートに変更がないかを確認し、時間を見計らって出てきた中間層」が混在していて、棺について行ったのは中間層のほうだったそうです。(友人もブエンディア通りからマニラ・メモリアル・パークまで約4時間一緒に歩いたとのこと。そして帰りも交通手段が麻痺していたため同じ道のりを歩いて戻ってきたとのこと。)


 翌8月6日のインクワイラー紙の見出しは、”Cory! Cory! Cory!”でした。他に何も言うことがないくらい、見事なヘッドラインだと思います。
 Coryの死から埋葬までの5日間、それはたしかにメディア(ABS-CBNだけではなく、各TV局、各ラジオ局、そして各紙によって)演出され、ことごとく美化されていました。しかし中間層は、そんなことは一応はわかっていて、それでも路上に出たのです。そして貧困層は、英字メディアの情報なんてろくに読まないまま、ラジオやTVや人づてで話をきいて、何の動員も受けないまま、もちろん何の見返りも期待しないまま、それでも路上に出たのです。しかもかなりの悪天候のなか! メディアとくにTV局による演出、中間層によるPeople Powerへの美化と懐古、それらを差し引いたとしても、今回の街頭への人出はとてつもなく大きな出来事でした。それが、中間層と貧困層、ストリートと英語メディアを行き来して一連の出来事を観察しようと試みた私の印象です。
 貧困層の間でも中間層の間でも、現在に至るまで、
 「ねえねえ、Coryのwake, 行った?」
 「葬儀、TVで見たあ? Krisのスピーチ、泣けたねえ!」
とフレーズがしばしば挨拶言葉のように使われています。

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 葬儀から10日が経った先日、キ●ポにて、”Salamat, President Cory”と題されたDVDが販売されているのを見つけました。お店のプレイヤーで試写させてもらうと、8月5日の礼拝から埋葬までをカバーしたABS-CBNの録画映像のようです。きちんとチャプターに分けられているし!
 「あなたは全部観た?」
と売り子の女性たち(ムスリム)に訊くと、
 「もちろん! 私はムスリムだけど、あのミサには感動した。」
とのこと。他の店でも人々は同DVDを手にとって店員に熱心に質問している風景がみられ、売れ行きは好調のようでした。家に帰ってからじっくり観てみると、私が観ていたケーブルのANCではなくてABS-CBNのローカル放送の録画映像のようでした。ミサの映像はANCのものとほぼ同じ(解説などはなく、ひたすらライブ)ですが、棺がマニラ大聖堂を出てからは、棺の進行状況をヘリ映像で追いながら、スタジオにいるコリーナ・サンチェスが次々と関係者にインタビューしていくという構成(基本的にはタガログ語)になっています。ケーブルでANCを観るのは中間層以上に決まっていますから、大衆が観ていたのはこちらなのです。(実際、貧困層の方々と一緒に棺を見たあとでサン・アンドレスの市場に寄ると、TVのあるすべての店頭からこれが流れていて、多くの人々が小さな画面を覗き込む様子は、まるでパキャオの試合のようでした。)
 次は、上述のDVDにもばっちり収められているLea Salongaの”Bayan Ko”のCDが出ないかと期待しています。
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by saging | 2009-08-20 13:20 | フィリピン(全般)
”Rich, poor, come for Cory”(コラソン・アキノ元大統領の逝去・1)
8月1日、Cory “Corazon” Aquno元大統領が亡くなりました。逝去のニュース自体は、あるいは元大統領がフィリピンの民主化に果たした政治的役割とその限界については、日本のメディアでも報道されたようですが、亡くなってから埋葬までの5日間にマニラで起こった「ミラクル」についてはあまり知られていないと思います。(もちろんこちらの邦人記者さんたちは一生懸命に取材して原稿を書かれたはずなのですが、記事として採用されなかったのでしょう。)
 
 一連の出来事を時系列的に簡単に整理すると、以下のようになります。

 8月1日 Cory逝去(午前3時)。棺は病院からグリーンヒルズのカトリック系私学デ・ラ・サールまで運ばれ、3日の朝まで安置。主に政治家、カトリック組織系の人々が弔問。
 8月3日 棺がデ・ラ・サールからイントラムルス内のマニラ大聖堂に移動。EDSA大通りやマカティの沿道は大混雑。
 8月4日 マニラ大聖堂で礼拝やお別れの儀式。多くの人々がマニラ大聖堂に弔問。
 8月5日 午前9時からマニラ大聖堂で葬儀の礼拝。午前11時に出棺、マニラ首都圏南部を縦断し、埋葬場所のマニラ・メモリアル・パーク(パラニャーケ市)に到着したのは午後8時!

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 8月3日のインクワイラー紙の見出しは”Rich, poor, come for Cory”でした。本当なのでしょうか。清水展先生の名著『文化のなかの政治』にあるように、人々は彼女に「殉教者Ninoyのあとで立ち上がった聖母マリア」のイメージを勝手に見出していただけだったのではないでしょうか。1986年の「ピープルパワー」も、「Cory像」も、カトリック教会と中間層と民主化後のメディアがつくりだした幻想なのではなかったでしょうか。階層的にも政治的にもこんなにも分断されてしまったこの国で、いまさら、”Rich, poor, come for Cory”も何もないのではないでしょうか?
 …これはぜひ、自分の目で確かめてみなくてはなりません。
 彼女の逝去から半月が経ったいま、あの5日間にマニラで何が起こったかをお伝えしたいと思います。貧困層と中間層と富裕層の間を行ったり来たりしながらいろいろなものを見ようと努めたものの、いつもどおりストリートからの情報に偏っていることをお許しください。言い訳させていただくと、現在いただいているフェローシップでの研究キーワードのひとつが”street politics”なのです。
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8月1日(日)
 午後早い時間にマニラに到着した私は、空港からからマニラ市の下町のホームステイ先に寄り、その後すぐに、渡し舟でパシグ川対岸の調査地P地区の「シン枢機卿ビレッジ」に向かいました。
 (注:「シン枢機卿ビレッジ」とは、シン枢機卿亡き後に最貧困層(poor of the poor)のためにとカトリック教会から寄付された土地にGawad Kalingaによって建てられた集合住宅地区の名称。2003年の留学中からお世話になってきたP地区の川沿いのスクワッターの方々の半数はリサール州ロ●リゲス町に移転し、その余裕もない世帯はこの「シン枢機卿ビレッジ」に住んでいるのです。「シン枢機卿ビレッジ」ってすごい名前ですが、住んでいる人々は文字どおりその日暮らしのpoor of the poor.)
 私は、そのすぐ横で知人が経営する美容室(といっても、従業員は空いた椅子でお昼寝し、道具の入った籠の中には猫が寝ているなど、おおよそ日本の常識では考えられないようなところ)を訪れました。(男性はお酒や博打の席で情報収集をするのでしょうが、女性は洗濯場や食堂や美容室で情報収集をするのですよ。美容室には女性だけでなくバクラも集まるので一石二鳥です。)その美容室のTVからはいつもクダラナイShowbizやクイズ番組が放映されているのですが、このときばかりはCoryのニュースが流れていました。
 「私、Ninoy(暗殺されたCoryの亡き夫)の葬儀、行ったのよ! ケソン市のサントドミンゴ教会からマニラ・メモリアル・パークですごい人でさ、私はタフト通りを棺について歩いたのよね!」
と誇らしげに語る、スラムのなかでは比較的中間層のような身なりの50代っぽい女性に、若い美容師とネイリストたちは一斉に羨望のまなざしを向けます。もちろん私も。
 「国葬(state funeral)じゃないんだって、どうしてかな?」
と若いネイリスト。すると他の客が、
 「Coryはprivate citizenに戻ったからよ。Cory自身が国葬を拒んでたんだって。ラジオで言ってた。」
 「埋葬は水曜日なんだって。早いよねぇ。」
と、実に的確な情報提供。その後、棺が街中を通るときはぜひ見に行かなくてはという話題に終始。
 この情報量、スラムと言えど、なかなか侮れません。ケーブルTVなんて観たことがない、英字新聞も読まない彼らは、こうやってちゃんと情報収集をしているのですよね。Coryが亡くなったのは同日午前3時ですから、どのみち、この時点ではまだ新聞にも出ていなかったわけですし。
 しかしもちろん、英語ニュースメディアから情報量のほうが圧倒的に多いわけで、私はその晩は下宿のケーブルTVでずっとANC(ABS-CBNの英語ニュース番組)を観ていました。
 
8月2日(日)
 Coryの棺はグリーンヒルズのデ・ラ・サールに安置されたまま。私は朝からANCの中継で参列者(主に政治家たち)の顔ぶれを眺め、”Rich, poor, come for Cory”との大胆な見出しをつけたインクワイラー紙とその他の英字紙で情報をチェックしました。
 午後は近くのショッピングモールの喫茶店で、ずっと親しくしてきた友人夫妻に会いました。夫妻ともにそれなりに政治的な仕事に就いていて、Coryに関係の深いLiberal Partyの支持者で、典型的な中間層です。いつもどおりに洗練された言葉で、Coryの死がいかに国家にとって大きな損失となるか、Liberal Partyの今後、2010年選挙への予想される影響…などを熱く語ってくれました。
 その後、彼らは、
 「ここのモールのNational Bookstoreのラッピングコーナーで黄色(Coryの…というかPeople Powerのイメージカラー)のリボンを買おうと思ったら売り切れだったんだ。National Bookstoreのある他のモールに一緒に行かないか。」
と言いはじめました。積もる話もあるし、そもそも断る理由がないので、私もご一緒に。(もちろん自家用車で。)
 しかし、次のモールにも黄色のリボンはありませんでした。すると彼らは、モールの通路に出ている露店を物色しはじめ、黄色のTシャツばかり手に取っています。
 「これ、どう?」
と見せられたTシャツには、Kraft Cheez Whizのロゴがでかでかと!
 「えー!! クラフトって米国企業でしょ?(しかもそのセンスはどうかと思う…)」
 「黄色ならいいんだ!」
 …結局彼らは、Kraftの黄色Tシャツと、ポパイの黄色Tシャツと、パックマンの黄色Tシャツを買っていました。1枚は娘さんのためだそうです。葬儀だというのに、よりによってえらくポップな絵柄ばかり。しかし彼らは、
 「これを来て明日はCoryの棺を見に行くぞ!」
と、やる気満々。

8月3日(月)
 Coryの棺がGreenhillsからマニラ大聖堂に移される日です。私は、
 「えらく遠いところまで棺を運ぶのね…支持者が路上に出てきたりしたら大混雑だなぁ。」
…くらいにしか考えずに、朝からANCを見ていました。すると午前9時、マカティのオフィスビル群の窓から黄色の紙吹雪が舞う美しい映像が。
 「あ、80年代の録画映像だー。」
と思ってそのまま観ていたのですが、よくよく見ると、画面の左上に”LIVE”の文字が。中継!? そんなはずはないよね…と思ったのですが、他のチャンネルをつけても同じ映像。一瞬、自分がどこにいるのかわからなくなったのですが,どうやら、マカティのビル群の窓から「黄色の紙吹雪」がぱらぱらと舞っているのは事実のようなのです。画面の中からは、
 「It’s beautiful!! 25年前が戻ってきたようだ!」
とのキャスターの声。そのままずっとTVを観ていると、時間が経つごとにマカティ(棺が通る予定のアヤラ通り)の紙吹雪は激しくなり、群衆の数は膨らんでいくようです。しかも、その紙吹雪の映像があまりに美しいのです。オフィスビルの電光掲示板には”Cory, hindi ka nag-iisa(コリー、あなたは一人ではない)”との文字が光っています。
 これは、見に行かなくては!
 車列は11時前にグリーンヒルズを出発。TV中継で映し出されたEDSA大通りには黄色の紙吹雪が舞っていました。フラッシュバック? この映像をみた「People Power世代」の方々は、すぐさま路上に飛び出したくなったに違いありません。
 ANCのインタビューに答えたドリロン元上院議長(棺の乗せられたトラックの直後の車両で一緒に移動中)の、
 「自分たちはいま、ペニンシュラ・ホテルの前を通過した。」
という声を聞いた途端、私は下宿を飛び出してタクシーに乗り、
 「Coryの車列を見たいので、どこでもいいから近くに行ってほしい。」
と言うと、さすがタクシードライバー、ずっとラジオを聞いていたようで、
 「RCBCプラザ(アヤラ通りとブエンディア通りの交差点)で待つのがいいです!」
と、もうノリノリで、ラジオ中継の音量を全開にしながら、RCBCプラザのすぐ近くのマカティ消防署まで車を走らせてくれました。こういうとき、タクシーって本当に頼りになります!
 時刻は12時すぎ。RCBCプラザ前の交差点はすでにすごい人だかり。ユーチェンコタワーに接続するRCBCプラザは、多国籍企業や国際機関も入っている、一般庶民には近づきがたいような高級感漂うオフィスビル。…しかしこの日ばかりは、1階はもちろん、各階の窓から、すごい数のオフィスワーカーたちが、へばりつくようにして外を凝視しています。お昼休みなのでしょうか。ガードマンまで黄色のリボンを胸につけちゃって、いまから起こるイベントを心待ちにしているかのよう。そして上からは絶えず紙吹雪が降ってきます。見上げると、RCBCプラザの高層階から、歓喜に満ちた表情の人々が黄色の紙をばら撒いています。
 しかしラジオによると、棺と一行はいまだペニンシュラ・ホテル付近にいるとか(ニノイ・アキノ像の前で車列が止まって”Bayan Ko”の合唱があったことを、後から知りました)。私は待ち切れず、アヤラ通りを逆流することに。すでに人でいっぱいなので、一本裏通りに回りました。すると各オフィスビルから、携帯電話やデジカメを手にした人々が一斉に降りてきます。人の波にまぎれて次の角でアヤラ通りに出てみると、ほどなく、棺が見えてきました。
 歓喜の声、鳴りやまない”Cory, Cory, Cory!” のコール、そして風に舞う黄色の紙吹雪。ほんとうに吹雪です。視界が遮られるくらいに紙が落ちてきます!
 Ayala通り沿いの高層ビルの窓から人々が顔を出し、一斉に黄色の紙吹雪を撒いています。”Salamat Cory(ありがとうコリー)”と書かれた黄色のバナー、黄色の布を垂らしているいる人々も多数。路上では、 私と同じようにPeople Power革命を知らない世代の人たちが一斉に携帯やデジカメやビデオカメラを掲げて映像を撮ろうと躍起になっています。私も夢中で、動画と静止画を撮りまくりました。
 この光景、この一体感。ほんの数分のことでしたが、私は感動しました。…言葉のとってもシンプルな意味において、感動しました。80年代の記録映像で観ただけのシーンがここにある。あれはつくられた歴史じゃなかった、事実だったんだなあ、と、そう思いました。もし、2009年のいま、日本で、キャンパス通りが炎と燃え、安田講堂と京大の時計台にバリケードがつくられたら、その時代を知らない私たちはこんなふうに路上に出るでしょうか?
 群衆の大半は、棺が行ってしまうとケロリとした顔で、
 「美しかったね!」
 「ああ、感動!」
 「ね、ね、写真撮れた?」
などと言いながらオフィス街に戻っていきました。けっこうあっさりと。ちょうどお昼休みだったからでしょう。(も しかして「お昼休みどきにマカティを通過する」というのは初めから計算されたプログラムだったのでは?)
 私はその日の午後、これから2ヵ月間お世話になるケソン市の私立A大学の研究所にご挨拶に行ったのですが、皆さん、TVのある部屋に集合して、映像に釘付け。
 A大学を出てから、夕方8時ごろ、棺が置かれているマニラ大聖堂に行ってみました。が、どこが入り口なのだかわからないくらいの大混雑に加え、突発的な豪雨だったので、とりあえず翌日に出直そうと思い、帰宅しました。
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by saging | 2009-08-20 13:02 | フィリピン(全般)