Keso de Bola とは、 「表面は赤いのに中は黄色い」フィリピンのボール型チーズ。転じて日和見主義者。       かつてお世話になった、現地の言葉で「灯台」と呼ばれるマニラ湾岸のスラムを、ガラス越しに。
管理人sagingより
ホームページ:日和見バナナ

ご連絡はsaging[at]46ch.netまで
以前の記事
検索
カテゴリ
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
<   2009年 05月 ( 3 )   > この月の画像一覧
無機質な論文と刺激に満ちた外界
マニラを離れて1ヶ月。ごく控えめに言って、ものすごく幸福な1ヶ月でした。
 いまは、実家に住まわせてもらっていて、基本的にはずっと家で博士論文を書いています。大学に行くのは週に1度で、あとは、適当に家事を手伝って、週に2-3回は近所のスポーツジムに行って、ときどきヨガ・スタジオにも行って、小学生が帰ってくる時間になると犬と散歩に行く、普通の日々。近所の人たちからはNEETかデモドリ娘だと思われているはずですが、すごく幸せです。暗くなってから出歩くこともないし、家ではアルコールもあまり飲まないし、とっても健全です。マニラでの生活とは正反対です!

 1ヶ月経ってもマニラを懐かしく思うことは皆無で、フィリピンの新聞を読んでもなんだか別世界のようだし、マニラの友人たちからメールをもらっても現実感がありません。博士論文は「ただ、こなしているだけ」で、あまり、強い思い入れのようなものが沸いてきません。ここ数年間にわたって書き溜めたものやずーっと前のインタビューを切り貼りしたり、パズルのように組み合わせたりしながら、日々、頭を悩ませているだけです。以前なら、フィールドノートを読み返したり、スラムでのインタビューのテープを聞いたりすると、そのときの空気がよみがえるような気がして、もう、いてもたってもいられなかったのに。マニラの、あのスラムの、そう、あの空気の中でないと自分は論文なんて書けないんだ、と、そう思っていたのに。畏友Wataruさんの言葉を借りれば「全身の細胞がフィリピン産になる」状態でしか、「あの場所の、あの人たちのこと」は書けないんだって、そう信じていたのに。いま私は、なんの感傷も思い入れもなく、平気でフィールドノートを見直しながら、
 「あ、この発言、●章で引用しようっと。」
と思ったり、もっと言えば、「選挙監視」だの「自主的」だのという言葉をどんどん「コンピュータ検索」に投入して、電子データ化したインタビュー記録から必要な部分のみを抜き出し、
 「あ、これこれ。この発言、あそこの理論を裏づけるのにちょうどいい。」
 「あれMさん、こんなこと、言ってたんだ? まあいいや、使おう。」
と思ったりしています。

 日本の人混みや電車に慣れられないので、街にはあまり出ないようにしています。(インフルエンザよりニンゲンのほうがずっと怖いので、全学休講中はここぞとばかりに大学に行き、がらがらの図書館を利用しているアマノジャクです。) たとえ人が少ない場所でも、久しぶりの日本の風景を見るたびに、ものすごく感激して、感激しすぎて頭が疲れるので、あまり外には出ません。なんでもないコーヒー店からほのかにコーヒーの香りがすることとか、なんでもないパチンコ店の前を通りがかると派手な音がほんのわずかに聞こえてくることとか、なんでもない居酒屋の前に学生っぽいグループが集まっている平和な風景とか(あんなスキだらけの集団、マニラにはいませんから)、道路の舗装の素晴らしさとか(マニラの道は非常に悪かったので、私は毎日、職場に出勤してから靴を替えていました)、人工的に植えられた街路樹の間から差す5月の光とか、些細なことが本当に嬉しくて、幸せだなあと思って、生きているなあと思って、ちょっとおかしいくらい心を動かされてしまいます。あと、日本って、都会の川がとても美しいんですね。川をみるだけで感動します。阪急神戸線なんて、沿線が川だらけですから、乗っているだけで興奮してしまいます。
 スーパーに行くと、その品揃えが嬉しくてたまりません。放っておかれたら、たぶん、2時間でも3時間でもスーパーにいられます。買いもしないのに、冷凍食品やお惣菜や清涼飲料水の売り場を飽きずに眺めて、この国でなら私は一人で暮らしていくことができるかもしれないなあ、と思います。
 とにかく、どこに行っても、何を見ても、感激することばかりで、だんだんわけがわからなくなってくるので、刺激(?)を避けるためにも、できるだけ家にいて、テレビもあまりみないようにしています。そうすると今度は、人に会いたくなってきます。マニラでは仕事でも仕事外でもつねに人と会っていたし、我が家にはしょっちゅう誰かがいたのに、いまは引きこもりですから。
 昨日、一昨日と、二晩も連続で、同年代のフィ●ピン研究の皆さんと会う夢をみました。実は先週もみたのです。フィリピンの政党についてものすごく熱く議論しながらウイスキーを飲む夢(こんなのばっかり)。たしかに、博士論文で政党について記述しているところ、あまり自信がないのですが、二日続けて夢の中で友人にそのことを指摘されて、本当に心配になってきたので、思わず、その友人に打診してしまいました。
 昨夜は、K大のフィ●ピン研究者の先輩と友人と食事をしました。久しぶりに大学以外の人と研究のお話をしました。感激しました。そして、お二人のレディ・ファーストっぷりにも感激しました。(フィリピンではありふれたことなのですが、日本に暮らしていると、フィリピン研究者の態度って光ります。)あまり興奮しないように努めていたのですが、やや、ハイになってしまいました。気をつけなくては。帰りは、久しぶりに夜の街を歩くのに緊張しました。繁華街って、怖い人でいっぱいです。特にストリートミュージシャン、チョー怖い。何考えてるのかわからない。エルミタよりずっと怖いですよ。

 まだ日本に慣れないので(適応、遅すぎ!)、これからも、当面はあまり出歩かないようにします。引きこもって、ドライに筆を進めます。 
[PR]
by saging | 2009-05-21 05:04 | フィリピン研究
Keso de BOLAnte!
マニラの友人にメールで教えてもらったYouTubeの画像。
こちらをクリック!
フィリピン人って、本当にこういうの大好きですよね~。

マニアの間で大人気(?)のこのサイトも健在。主要な政治ゴシップが一瞬にしてわかってしまう、すごいblogです。それ以上に、このbloggerの気合がすごい。膨大な量の政治家の写真、いったい、どこから拾ってくるのでしょうか。
[PR]
by saging | 2009-05-14 12:55 | フィリピン(全般)
ヒマラヤ国際映画祭
 父と一緒に、ヒマラヤ国際映画祭に行ってきました。
 「ねー、お父さん、久しぶりにデートしない? 映画行くの。」
 「あぁ?」←気のない返事
 「おもしろそうな映画があるんだけど…。」
 「映画は、ちょっとな…。」
 「お友達に招待券ももらったのー。」
 「何の映画じゃ?」
 「チベット・ヒマラヤ映画だって。」
 「なぬ!? 面白そうやな。…どれどれ、見せろ見せろ。」
 チベット・ヒマラヤときいた途端にすごい食らいつきを見せた父。案内のチラシを隅々まで読み始めました。1時間以内の短い作品が多いため、1回につき2本立て、それが1日に3セット繰り返されるスケジュール。
 「うーん、6時間あれば6本観られるのか。こんなの、エロ映画館でやらせとくのはもったいないぞ。」(注:現在の「みなみ会館」はエロ映画館ではありません。)
 …そんな父は、浄土真宗の住職(お坊さん)です。

 この映画祭のことを教えてくれたのは、先日4年ぶりに会った、大学のときのゼミの友人のOくん。私たちの所属していたゼミ「アジア政治論」は変人の巣窟でしたが、仏教に関心をもちチベットに渡航していた彼は、その中でもずば抜けてぶっとんでいて、民族衣装だか着物だかよくわからない格好でキャンパスに現れ、大学卒業後は仏教の勉強をしていたかと思ったら、なんと出家し(注:私たちの大学はプロテスタント系です)、山の中の禅寺で2年間修行していました。そして昨年、山を下りて、普通にリクナビで就職活動をして、優良企業に採用され、現在、勤務2年目。営業マンだそうです。
 いったい、どんなぶっとんだサラリーマンになっているかと思えば、話を聞くかぎり、きわめてマトモで、フツーでした。お休みを利用してチベットとも関わっているとか。学生の頃、ヒマラヤ映画を撮った監督を大学に呼んで講演会を開催した繋がりで、今回の映画祭も手伝っているのだそうです。 Oくんは私の父親がお坊さんだということを知っていて(Oくんの親戚もお坊さん)、
 「お父さんと一緒に行ってぇや。」
と言って、招待券を二枚もくれました。
 「出身大学のお蔭で、あと、まあ、語学ができれば、仕事はいくらでもあるよ。」
 「坊さんもよかったけど、普通に働いて、細々と生活して、ちゃんと土日に休みも貰えて、大阪在住のチベット人と遊んだり、こうやって映画祭したりできるんやから、それが一番。仕事は仕事やけど、やりたいことができるって、幸せなことやで~。」
 Oくんの話は、とても勇気づけられるものでした。ほんとうに、そのとおりですよね。

 意気込む父と一緒に、さっそく、翌日の夕方の上映を観に行きました。
 ヒマラヤを越えてインド、そしてカナダへと巡礼を続けるチベットの僧侶の物語をカナダ人の青年の目で追った『チベットの高僧』(カナダ)と、チベット難民としてのアイデンティティをもつベルギー在住の絵描きの若者Tashi Norbuが、ベルギー人女性との「自由な交際」を楽しみつつ、アム●スティ・インターナショナルの人権活動家のインタビューに答えて故郷を回想する『我が故郷―チベット』(ベルギー)の2本立て。
 さて、父親の感想は、
 「うーん、ありがたい映画じゃった。『チベットの高僧』は、ありがたすぎて寝そうになったぞ。『我が故郷』のほうはもっとつまらんかった。キレイなお姉ちゃんの裸が出てきたから辛うじて起きてたけどな。」
 …父は本当に僧侶なのでしょうか。なんだか、心配になってきました。
 確かに、『我が故郷―チベット』はどうしようもない作品で、映画というより、平日の22時台にどこかのマイナーなチャンネルで放映されている眠たい歴史モノのドキュメンタリーのようでした。というか、TVドキュメンタリーのほうが数倍マシです。要するに、
 「チベットに自由を! 全世界のチベット僧侶よ立ち上がれ! そして世界中の皆さん、チベット問題を知ってください」
というアドボカシー作品だと思うのですが、いかんせん、メッセージを前面に出しすぎです。あんなの、映画じゃありません。そのくせ、ベルギー人女性が主人公のヌード・モデルになるシーンが無駄に長く続いて(綺麗だったけど)、意味不明です。
 『チベットの高僧』は、ストーリーとしては死ぬほど退屈で、展開もナレーションもTVドキュメンタリー以下のひどさですが、唯一、景色がすばらしかったので良しとしましょう。
 とにかく、どちらも、コテコテのオリエンタリズムって感じでした。私はもともとあまり洋画をあまり観ないし、この3年間は、映画にせよ演劇にせよ、フィリピンで、フィリピン人がつくった、あるいはフィリピン人が勧める作品ばかりを観てきましたので、オリエンタリズムということがよくわからなくなっていましたが、この2作品は、まるで、オリエンタリズムの教科書のようでした。私はたぶん欧米には住めないんじゃないかと思いました。
 それから。『我が故郷―チベット』を観て、
 「ああ、欧米人でも、こういうアドボカシー直球型の映画をつくるんだ。」
と思って、ちょっと安心しました。政治的メッセージ剥き出しの映像作品って、映画にせよプロモーションDVDにせよ、ひどく稚拙に見えてしまうのです。それは、私が10代のときに没頭していたNGOがメンバー拡大やファンド・レイジングの際にそうした映像を多用していたからでもあるし、フィリピンの「活動家」たちがやたらとDVDを作りたがるせいでもあります。それらは未熟な活動家のすることで、欧米人の芸術家であれば政治的メッセージの発信にもっと洗練された手法を使うのだろうと、私はずっと、勝手にそう思っていました。でも、違ったようです。安心してよいのか、よくないのか。
 「映画でチベット仏教の僧侶に行動を呼びかけたところで、誰が動くかね。中国仏教界の圧倒的な力があるかぎり、どうにもならん。」
 「まぁ、ああいうふうにチベットをああやって解釈して、チベットに連帯したい人たちが世界中にたくさんいるっちゅうこっちゃな。だから、チベット映画祭じゃなくて、ヒマラヤ映画祭っていう名前にしてるところがいい。」
帰りのバスの中でそう言った父は、急に、僧侶らしく見えました。

 幼いときはときどき父が檀家さんに「お参り」に行くのに連れて行ってもらいましたが、私は父親が住職であることがずっと嫌で、10代のときは弟たちが寺を継がされないようにという不純すぎる動機で弟を連れて教会学校に通い、中高時代は近くの教会でオルガン奏者をしていました。プロテスタント系の教育を受けさせてもらい、さらには、キリスト教国であるフィリピンで通算4年以上を過ごし、マニラではしばしば、カトリック教会のミサに参列しました。ときどき聖書も読みますし、博士論文の事例研究の一つとして扱うフィリピンのNGO ”Gawad Kalinga”の母体であるキリスト教の使徒団体の集会にも通いました。しかし、私はキリスト教の教えにあまり共鳴することはできず、久しぶりに日本に帰ってきたら、まず、お寺に行きたくなります。(神社にも行きたくなります。)マニラでアメリカ人のインストラクターからヨガを習っていたとき、
 「この先生はたしかに、人間の体のことをよく知っているのかもしれないけれど、人間の心について語るときは、なんだか上っ面っぽくて、説得力に欠けるなー。」
と、漠然とした不安定感を感じました。そのときはオリエンタリズムなんて言葉を思い浮かべることはなかったけれど、きっと、そういうことだと思います。

 いろいろなことを考えさせられるヒマラヤ国際映画祭、とてもよかったですよ。私も、期間中にあと数作品は観たいと思っています。日本人監督の方の作品もありますよ。神戸・京都付近にお住まいで、ご関心のある方は、この連休中に、ぜひ。
[PR]
by saging | 2009-05-02 02:14 | その他