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Keso de Bola とは、 「表面は赤いのに中は黄色い」フィリピンのボール型チーズ。転じて日和見主義者。       かつてお世話になった、現地の言葉で「灯台」と呼ばれるマニラ湾岸のスラムを、ガラス越しに。
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フィールドワークの失敗
3年間をすごしたマニラを離れるにあたって、引越しの準備とか仕事の引継ぎとか仕事でお世話になっている各方面へのご挨拶とか、ついでに来週の学会発表準備とか3週間後の研究会発表準備とか、いろいろあってバタバタなのですが、週末は、スラムの方々にご挨拶に行きました。
 1年前にリサール州モン●ルバンに移転したP地区の皆さん。移転先では水も電気も豊富だそうですが、知事と市長の不仲の余波を受けて、土地の権利移転に向けたロビイングは大変の様子です。ほかからもどんどん人が移入していて、もめごとがたえないとか。もとのコミュニティは完全に取り壊されて、スラムの影もありません。
 PA地区は、私が修士論文を書いた4年前からまったく変わっていません。むしろ、スクワッターが激増しています! あいかわらず護衛してもらわないと歩けないし、あいかわらず住民組織は大分裂しているし、あいかわらず通りはニンニクだらけです(PA地区の主要な生計手段の一つは、ニンニクの皮むき)。

 私はこの3年間、フィリピンにいながらにして、あまり頻繁にスラムに足を運ぶことはなかったのだけれど、もう、何が起こっても、何を言われても、あまりビックリしたり、動揺したりしなくなりました。ものすごーく理不尽な、あるいはすごーく意味不明なことを言われても、
 「ああ、これが彼らの論理なんだな」
 「この人はこういう考え方をするのだな」
と思うようになったし、
 「私には理解できないけれど、彼らには彼らの理由があってこういうことをするんだろうな」
と思います。借金を遠まわしに申し込まれても、しつこくお見合いを勧められても、トライシクルに出資を誘われても、何を言われても、それなりにあたりさわりなく、うまく立ち回れます。(あくまでも一般的に、です。もちろん、超えられない事柄もたくさんあります。)

 逆に、この3年間、私は現在の職場組織にけっこうどっぷり浸かってきたはずなのに、少なくとも1日10時間はそこにいたはずなのに、いまだに動揺することばかり。曲がりなりにも政治学なんてものをやっているんだから、動揺する前に、もうすこしこう、相手の言動の裏を読んで考えるとか、相手の意図しているところを汲み取るとか、そういうことができてもいいはずなのに。
 何年かたったら、
 「ああ、あのときうちの上司は、こんな風に考えていたんだろうな」
 「あのときの同僚はこういう論理で立ち回っていたんだろうな」
って思えるのかもしれません。というか、そう思える日が来ないと、政治学をやっている意味なんてないのですが。
 
 3年間のフィールドワークのつもりでこの職場を存分に理解し、ここに溶け込み、他人に還元できるようにがんばろう、とずっと思ってきたけれど、無理だったようです。フィリピンのスラムよりは日本の組織のほうがずっと自分のメンタリティに近いはずなのに、この違いは、どこから来るのでしょうか。
 スラムではうまくいって、職場ではうまくいかないなんて、どう考えてもおかしい。もしかして、私はスラムでも実は何もわかっていなくて、適当に理解したふりをして、適当に立ち回っているふりをしているだけで、心の中ではしっかり距離を置いているだけなのかも。

 フィールドワークに限らず、人間として、他人のどんな言動に対しても動揺せず、受け入れられないからと距離をおいてしまうのではなく、
 「この人は、どうしてこんなことを言うんだろう、きっと何か理由があるに違いない」
と考えることのできる人になりたいです。これからずーっと続く課題です。
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by saging | 2009-03-29 19:49 | フィリピン勤務('06~'09)
PULIS OYSTERの謎
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 2月25日に触れた、PULIS OYSTERという路上掃除人。OYSTERはOut-of-School Youth Serving Towards Economic Recoveryの略だとして、なぜPULIS(POLICE)なのか?といろいろな人に聞かれたので、お答えします。なんと、このプロジェクトは国家警察の下にあるのです! 彼らの持っているIDには確かに、Philippine National Policeと記載されています。路上清掃って、国家警察の管轄だったの!?と突っ込みましょう。
 なお、このID、そうは言いながら「大統領のプロジェクト」って書いてあるし、「MPD(Manila Police District)」とも書いてあるし、誰がボスなのか、誰が恩を売っているのか、よくわからないプロジェクトです。OYSTERの本人たちもわからないとのこと。
 しかも、肝心の氏名欄(写真では黒く消してあります)はなんと手書き! さすがフィリピン。
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by saging | 2009-03-28 01:48 | フィリピン(全般)
25年後の『シスター・ステラ・L』
 現在はバタンガス州知事を務めるフィリピン映画界の女王様ビルマ・サントス主演のあの伝説の映画、『シスター・ステラ・L』の制作25周年記念上映会が、このたび、フィリピン大学のFilm Centerで開催されました。(『シスター・ステラ・L』をご存じない方は、いますぐ、清水展先生の名著『文化のなかの政治』を買ってお読みください。)
 …かく言う私も『シスター・ステラ・L』を観たことがないモグリだったので、この機会に観ておかなくては…と、会場に向かいました。会場の周辺は、VSSIと書かれた赤いTシャツを着た人たちでいっぱい。政治団体かと思いましたが、たまたまその場で出会った映画好きの知り合いによると、70年代にノラ・オノールとビルマ・サントスがトップ女優争いをしていた頃に結成されたVirma Santos Solid Internationalという、熱血的な「アテ・ビルマのファンクラブ」なのだそうです。
 上映予定時間になっても、赤シャツの方々は一向に会場に入ろうとせず、外にたむろしています。映画が始まりましたが、それは『シスター・ステラ・L』ではなく、マイク・デ・レオン監督が撮影したという『戒厳令下における報道の自由の弾圧』に関する証言ビデオでした。あの時代を生きた人たちのインタビューと民主化運動の映像がコラージュされた、よくあるタイプの古いビデオです。
 おかしいと思って係員にきいてみると、
 「映画上映前に、ビルマ・サントスとその他のスタッフ・キャストが集まって当時を回顧するサプライズ・イベントが予定されているのですが、まだ誰も到着しないので、時間潰しにこのビデオを流しています。」
とのこと。えーーっ! だったらさっさと映画を放映するなり、アナウンスを流すなりしてほしいものですが、さすがはフィリピン。というか、さすがはUP Film Centerです。間もなくビデオも終わり、今度は、『シスター・ステラ・L』の中で使われている歌がエンドレスで流れ始めました。まったくもう!

 予定時間から1時間半が経過したところでやっと、
 「あと10分でビルマ・サントス知事が到着します!」
とのアナウンス。赤シャツ組、熱狂!! そして、女王入場!! フォーラムが始まりました。デ・レオン監督は不在でしたが、脚本・演出スタッフが来られていて、アテ・ビルマと共に、25年前の制作時の思い出話を語りました。
 観客からの質疑応答の時間も設けられていました。映画関係者、現役シスター、現役の労働運動家、単なるアテ・ビルマのファンなど、さまざまな人たちが発言していて、実におもしろかったです。『シスター・ステラ・L』は、リノ・ブロッカ監督の『オラ・プロ・ノビス』との比較で語られることが多いのでしょうか。皆さんのお話をきいていて、そう感じました。どちらも社会派ですが、時代が違うし、『オラ・プロ・ノビス(Fight for Us)』は難解かつ絶望的にすぎると思うのですが!
 Kilusang Mayo Unoの活動家を名乗る女性が、ものすごい「活動家節」で
 「労働者の状況は、25年前より悪くなっている!」
という訴えを延々と続けたあと、アテ・ビルマが、
 「そのとおり! この映画は25年前のものですが、現代も状況はあまり変わっていません!」
と答え、彼女に負けない「政治家節」で、バタンガス州知事としての政策を滔々と述べ、最後に、あの名ゼリフ、
 “Kung hindi tayo kikilos, sino ang kikilos? Kung hindi ngayon, kailan pa?” (私たちが行動しなければ、だれが行動するのか? いまやらなければ、いつやるのか?)
で締めたので、皆、大ウケでした。
 
 その後、Rudy Veraが、映画のワンシーンで使われている労働者ソング(”Panahon na, panahon na, mga kasama!” という、あの超有名な歌です)を熱唱し、フィリピンらしく写真撮影が行われ、アテ・ビルマは赤シャツ組に囲まれながら退席し、やっと、映画上映。

 その後で観た『シスター・ステラ・L』は、本当に、25年前のものとは思えないくらいvividでした。…たぶん、この国の状況があまり変わっていないから。
 ストライキのプラカードを渡されて戸惑う、シスター・ステラのウブっぷりが良かったです。映画の終盤で、亡くなった活動家の妻からストの現場でマイクを渡され、
  “Mabuhay welga! Mabuhay mangagawa!”
と演説するも違和感たっぷりだし、最後に「あの名ゼリフ」を口にするときでさえ、学校の先生のように真面目だし。

 …あの純朴なシスターが、政治家になってしまうなんて! あのセリフが、運動家ではなくて政治家の口から語られるなんて!
 決して、残念だとは思いません。なんだか感無量でした。25年間なにも変わっていないように見えるけれど、ちゃんと変わっているんだなと思って。アテ・ビルマが政治家になったこと、赤シャツ組が単にファンクラブとしてではなく政治団体として動いているらしいこと(彼らの言動の端々からそれが伺えました)。その上できく、「宗教と政治」についての作品内での問答、「他人にあなたの話をきかせるのではなく、あなたが聞き役であるべきだろう」というシスター・ステラへの言葉は、とても意味深で、確実に、時代を超えている感じがしました。
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by saging | 2009-03-22 15:53 | フィリピン(全般)
後悔の源
前々回、「自己の逡巡を他人に公開することを選択するなら、それなりのオチや結論が必要」と書きましたが、今回の文章には、よいオチがありません。つくづく、ある文章(=論文)が煮詰まっている横で新たな文章を書こうとしても、ろくなものは書けないものです。

 いまの職場での仕事もあと1ヶ月となり、晴れ晴れとした気持ちになるかと思えば、決してそうではありません。この3年間を振り返ると、なぜだか、後悔ばかりして出てきてしまうのです。私はもっと努力できたはずなのに、と思ってしまいます。
 ここ数ヶ月、私はずっと、キーっとなりながら論文を書いて、日中も何かに急き立てられるような気がして常に不安で、不安を抑えるために薬と胃薬を大量に常用し、食生活は乱れまくり、せっかく我が家にいらっしゃった先輩や友人たちにもご迷惑をかけつづけてしまいました。ちょっとしたことが気になって、いろいろなことがいちいち気に障って、ささいなことで感情に波が立ち、それを表に出さないように努めることに余計なエネルギーを費やしてしまいます。

 私の職場には、世界にはこんなに頭のいい人がいるのかとびっくりするくらい有能な人たちが何人もいて、そのなかでも、我が上司は特に有能です。僭越ながら、ものすごく知的で、芸術にも造詣が深くて、頭の回転がものすごく速いのです。どんなに怒鳴られても無視されても、私は彼のことを心から尊敬しています。時折、やや、感情的にすぎるので、部下である私は、どう接して良いものか1年以上ずっと悩み、ここ数ヶ月は気が狂いそうにすらなっていました。表面的には平気で笑顔を交わしますから(それが私たちの仕事です)、決して仕事に支障ることはないのですが、私が必要以上に構えると相手にもそれが伝わってしまうようで、私は、そのことを反省しています。私がつまらないことを気にせずに上司をもっとサポートしていれば、もっと効果的に仕事をしてもらえたかもしれないのに。あんなに知的な人なのだから、私がビクビクせずにもっといろいろなことを話せば、さらに素晴らしい仕事をしてもらえていたかもしれないのに。私が下手に萎縮せず、怒鳴られても恐れずにもう一歩踏み込むことができていたら、きっと、もっと多くことを学ぶことができたに違いないのに。生涯の師になったかもしれないのに。私は、彼の手足となれなかった自分を恥じているし、悔やんでいます。半年くらい前に、もう辞めた職場の先輩から、
 「怒鳴られるというのは、『お客さん』じゃなく、その組織の成員としてみてもらっているということなのだから、喜べばいいのに。フィールドワーク中、その地域の人に『お客さん』としてじゃなく受け入れてもらえたときのように。」
と助言してもらったことがあって、私はそのとき、あまりぴんと来ずにただその言葉にノートに書いただけでしたが、もっと早く気づけばよかった。
 最近では、他人を批判したくなるとき、私は必ず、その上司のことを思い出します。自分が未熟なのだから、せめて、周りを立てながら学ばせていただく、くらいの謙虚さを持たなくては。どんな環境でも、どんな立場でも、相手がどんなに感情的であろうと、自分は落ち着いていなくては。他人に向けようとするその指を、いつでも自分に向けるようにしなくては。相手のことを―聞き手のことを、接する相手のことを、もっと考えなくては。

 私の職場では、「学者さん」とか「院生」への偏見がすさまじいので、私はこの3年間、職場では、院生であることをひたすら隠すようにしてきました。職場の人たちの論理では、学者というのはマニアックで、チームプレイができなくて、KYで、社会性がないのだそうです。もちろん、院生はそれ未満。さらに女性となれば、「目も当てられない」と彼らは言うでしょう。別にこれは、うちの職場に限らず、大部分の日本企業ではそうだと思います。文系で、院生で、女性だなんて、どこから見ても三重苦。少しでもミスをすれば、あるいは少しでも気が利かなければ、
 「これだから頭でっかちの学者さんは困る」
 「院生は使えない」
 「世間知らず」
…と言われるのは目に見えていますから、私は、そう言われないために最大限の努力をしました。皆が快適に仕事できるように、書類作りだとか書類回しだとかファイリングだとか、機器メンテナンスの調整だとか備品の補充だとかコーヒー豆の購入だとか、そういった下仕事を、他の人が気づく前に見つけて済ませること。つねに下手に出て、叱られたら、あるいは叱られそうになったら、先回りして謝ること。上司の機嫌が悪くても、気にしないようにポジティブに振舞うこと。いつも笑っていること。上司が「そういえばあれは」と言いかければ「すぐさま確認に!」と走ること。下っ端社会人としてはごく当然のそういったことに、私は細心の注意を払いました。最近、リアルでお付き合いをしていただいている方々から、
 「sagingさんって、いつも明るく朗らかに見えるのに、Blogに書いてあること、生々しいですよね。」
 「専門家かと思ったら、フツーのOLみたいなこと考えてるんですね。」
と言われ、過去数ヶ月の過激な日記を反省していますが、私はフツーのOLですってば。(OLという表現がジェンダー的に引っかかるなら、「勤め人」と言い換えます。)私は、フィリピン/フィリピン人を当然のように見下す職場の多くの人たちとはどうしようもなくノリが合わないし、それこそ、超えられない隔たりがあるけれど、それでも、課内の人たちとは毎日他愛のない冗談を言って笑い、ときどきは同僚とダイビングに行ったり、上司に飲みに連れて行ってもらったり、ごくたまには課の皆さんと一緒にお昼休みに外食する、そんな、フツーの勤め人なのです。この3年間、ニッポンの組織の中で、フツーに生きてきたのです。
 タガログ語がわかるとか、フィ●ピン政治を専門にしているとか、たまーに「この政治家はどんな人?」と聞かれて即答できるとかいうのは、仕事をするうえでは「付加価値」であって、仕事の本質じゃないのです。この仕事を始める3年前は、自分の専門性を生かすことこそが本質で、雑用「も」できるっていうのが「付加価値」なのだと思っていたけれど、それは逆でした。雑用が本質で、フィ●ピン政治「も」わかるっていうのが「付加価値」なのです。

 私は、自分の考えは言わないようにして、時には、知っていることも知らないように装いました。自分で課題を発掘して仕事を見つけたり、自分の意見をもったり、提案したりすることは極力避けて、自分の意見は押し殺してきました。そして、自分自身に対して次のように言い訳しました。
 この組織だけじゃない、よほど斬新な企業でないかぎり、どんな組織だって、入ってまもない人間が「意見」を持つだなんておこがましい。周りの見えていない新人が「課題発掘」だなんて十年早い。提案も自主性も、暑苦しい自己満足にすぎない。就職活動中の大学生は面接で「何をやりたいか」を夢中で熱く語るけれど、企業はあんたのやりたいことなんて聞いていない。…私を出産するまではキャリアウーマンだった母は、そして中企業の社長だった叔父は、私たち兄弟に、いつもそう言い続けてきました。(私たちの父方の親戚には坊さんと公務員と大学関係者しかいないものですから、そんな偏った世界に染めたくないと思ったのでしょう。)そして昨年、世間的には一流企業とされている会社に就職した私の弟が、半年間の研修期間の最後にやらされたのは、現場の製造ラインに入り、「課題を発掘して提案する」ことだったそうです。そしてそれは決して、新入社員の課題発掘力を鍛えるための研修ではなく、頭でっかちの新入社員の「提案」がいかに現場の人々からウザがられ、反発を受けるものか、ということを知らしめるための研修だったのだそうです。
 それが世間の常識。私もこれでいいんだ。若いうちは、うだうだ言わずに、与えられた仕事を精一杯やって、下仕事に徹していればいいんだ。…私は自分にそう言い聞かせながら、見事に、現在の職場のカルチャーに染まっていきました。要するに、3年間波風を立てなければいい、余計な提案をしなければいい、下手にでしゃばると嫌われるだから、静かにしていればいいのです。デルクイはウタレルのです。

 でも私は、この職場に特有の事勿れ主義、問題の先送り、責任逃れと言い訳づくりのためだけに作成される無駄な書類、立場の弱い者にすべてを押し付けるご都合主義、出所不明のオカミイシキと歪んだセクシ●ナリズムにはどうしても適応できませんでした。彼らの論理では、仕事をほいほい引き受けてしまう人はダメなのだそうです。(彼らの口癖は、「これは誰がやるんでしょうねぇ」…それだけなら「よくある話」なのですが、この口癖を、組織内ではなくて組織の外でも平気で口に出すものだから、あちこちで反感を買うのです。)仕事の断り方を知らない私は、あちこちから仕事を押し付けられては、
 「それは隣の課の仕事だろう! どうして断らないんだ!」
と上司に叱られてきました。誰も手をつけていない仕事に手をつけようとすると、
 「うちの仕事じゃないんじゃない? 放っとけば?」
と同僚から嫌味を言われます。…いいじゃないですか、誰がやったって。いずれは誰かがやらなければならないことなのだから、そんなところにいちいちケチをつけるって、時間とエネルギーの無駄です。押し問答している間に、ちゃちゃっとやってしまえばいいこと。簡単な英語の要約やエクセルのデータ入力やパワーポイントの資料作りなんて、他人に突き返すより、下仕事に慣れた私がやるほうが明らかに早いのです。私が数時間残業して丸くおさまる話なら、もう、それでいいじゃないですか。私に仕事を振った誰かが、その空き時間でもっと別の有意義な仕事をしてくださって、組織全体の生産性が上がるなら、そのほうがいいじゃないですか。経済学の基本じゃないですか! とにかく、一事が万事、何をするにも、内部の取引費用が高すぎるのです。その労力を、もっと仕事に向ければいいのに。経済学の理論を思いっきり逆行。

 結局、私は3年間かかっても、この「職場の論理」を理解することも、そこに適応することもできませんでした。使いっ走りに徹する中で、少しでもこの論理の中で働いている上司や同僚たちを理解し、彼らの手足になりたかったけれど、できませんでした。どうせなら職場の論理にどっぷり染まって、我が上司を助けることができればよかったのに。この3年間、私は、それすらもできませんでした。

 数ヶ月前、私が職場環境に耐え切れず、上司への直談判という形で「異議申し立て」をしようとしたとき、社内で一人だけ、冷静に、私の行動を止めてくださった人がいました。
 「いいお給料と住居手当までもらいながら、上司に怒鳴られるくらいのことに耐えられないって、ワガママだよ。もっと過酷な職場はたくさんあるし、もっと忙しい、もっと条件の悪い環境で仕事をしながら博士論文を書く人は、世の中にゴマンといるんだよ。」
 「仕事が嫌だとか思ってられるのは、あなたがまだ、守るべき家族を持たないからだよ。家族がいたら、そんなこと言ってられないよ。君は幼いね。」
 …私はもちろん、かなり憤りました。つまりは、社会的に成功したエリート既婚者が、独身の20代を見下しているだけじゃないの、って。給与をもらっていれば、どんな上司の暴言にも耐えなくてはならないのですか? 上司に異議申し立てをすることはワガママなのですか? 「家族がいる=成熟」、「独身=幼い」なんですか? 毎晩のようにカラオケで3,000ペソ以上を使って家庭崩壊しかけている既婚者より、何もかも奥さん任せで、税金や保険の書類すら自分で書けない、自分の子供の教育費の値段すら知らない男性たちより、私のほうが不完全で未熟だというのですか? (…と言いたかったのですが、きちんと言葉にできなくて、私はただ、黙りました。)
 それから数ヶ月が経ったいま、私は、その人に感謝しています。彼の言ったことを受け入れる気にはなれないけれど、批判をしてくれる人がいるって、とても幸せなことでしょう。
 オトナになるためにすべてに目を瞑り、事勿れ主義に甘んじるのはもちろん間違っているけれど、仕事をするというのは、ある程度、そういうことを我慢することなのかもしれません。オトナになるための要件は空気を読めるようになることだ、と私はずっと思ってきました。でも、それは違ったようです。オトナになるための要件は、敢えて空気を読まない人々と、不本意にも空気を読みながら生きている人たちの苦しみを、きちんと理解することなのかもしれません。

 もうひとつ、きわめつけ。先日、ある先生から、こんなことを言われました。
 「私はこれまでにいろんな研究者を見てきましたが、2年間何も書かなければ、その後論文はずっと書けません。」
 「あなたの現在の仕事はさまざまな情報も入っていろんな人に会えるし、それなりに自尊心を満足させてくれるものだと思いますが、私は研究者としてやっていくうえでその仕事がどの程度プラスになっているのか、きわめて疑問視しています。むしろ、トラの威を借る狐のようなところがあって、本当に自分の足で歩いて情報を得ていないのではないかとさえ疑っています。…私ぐらい厳しい外部の目があるということは覚悟して、しっかり勉強して欲しいと思います。」
 厳しい。すごく厳しいです。でも、怖いくらいにそのとおりです。
 私はこの3年間、いくつかの学会ペーパーと博士論文の資格審査論文を除いては何も書いていません。そして、私は自分の仕事によって「自尊心を満たして」います。仕事が忙しいから論文は書けないけれど、いまは充電期間なんだ、いろいろな人に会って、現実の世界を知る期間なんだ、って。私は、
 「とりあえず就職して、数年経ったら大学院に戻る。」
と堂々と言いながら就職する人たちや、
 「仕事をやめたい。早く研究に戻りたい。」
 「本当は自分のやりたかったことはこんな仕事じゃないのに…。大学院に行きたい。」
…などと公言してはばからない人たちを見るたびに、それは職場に対しても、仕事で接する人たちに対しても、そして院生に対しても、ものすごく失礼ではないか、と心の中で憤り、自分は口が裂けてもそんなことは言わないようにしよう、と思ってきました。就職は腰掛けで、大学院は逃げ道なの? あるいは、大学院が腰掛けで、就職が逃げ道なの? どっちがどっちだとしても、心構えとして、最低です。
…でも、最近では、自分も、口に出さないだけで、同じだったのかも、と思っています。私は、院生仲間に対して、
 「あなたは、毎日8時半に出勤しなくてもいいんでしょ。自由な時間があるでしょ!」
と、心の中で思ったことがないとは言い切れません。いまだって、毎朝8時半に出勤しなくてもよい生活、残業続きで膨大な事務書類と睨めっこしなくてもよい生活を想像しただけで、そこは楽園であるように思えてしまいます。それは私の傲慢な思い込みであって、決して、そんなはずはないのに。
 昨日、気心の知れたフィ●ピン研究者の先輩とお話をしているとき、私は、自分の中に、組織に時間を預ける「勤め人」であることで自尊心を満足させている部分があることに気づきました。その方には以前からけっこう厳しいことを言われてきて、私はそのたびについ言い返してきたのですが、批判してくれる人って、本当に大切ですよね。…私はタガログ語を話せるし、一応フィ●ピン政治を専門にしているし、期間限定ながらいいお給料をもらえる仕事に就いて、現地の新聞も欠かさず読んでいるから、フィリピン在留中の他の日本人の方々から大切にしてもらえる。日本のフィリピン研究者には「事情通」扱いしてもらえるし、職場での八方美人の果てに溜まったストレスを小数の気心の知れた友人や先輩たちに思いっきりぶつけても、仲間たちは怒らず、心配して優しくしてくれる。職場ではうわべの人間関係しかないし。それに甘んじていたら、どんどん周りが見えなくなって、傲慢一直線で、ダメになってしまいます。そうでなくても、年を重ねるごとに、批判されること、厳しいことを言われることって、どんどん少なくなるのだから、厳しいことを言ってくれる人には感謝しないといけないと思います。

 この仕事が終われば少しは楽になるんだとか、論文が終わればここから抜け出せるんだとか、つい、そんなことを思ってしまうけれど、自分はすでにじゅうぶん幸せで恵まれているのだということを認識しないといけないと思います。
 …そういうことをあれこれ考えているとやっぱり後悔ばかりになってしまって、結局、自分の在り方を変えていかなくてはならないのだと痛感します。そして、「反省」と「後悔」はいったいどこが違うのか、わからなくなってきます。ほんとうは、そんなことはもうどっちがどっちでもよくて、いいから早く前に進まないといけないのだって、わかっているのだけれど。
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by saging | 2009-03-18 23:59 | フィリピン勤務('06~'09)
パウエル通りのゲリラたち
 2月17日、オバマ大統領は、第二次大戦中、米軍と共に日本軍と戦った約1万8千人のフィリピン人の退役軍人(Filipino War Veteran)に総額1億9,800万ドルの恩給を支払う法案(The American Recovery and Reinvestment Act of 2009)に署名し、フィリピン国内でも大きく報道されました。(同法は、同日に成立したアメリカの景気対策関連法案のひとつだそうです。なぜ景気対策で退役軍人に恩給を支払うのか、どなたか、教えていただけませんでしょうか。)
 ともかく、米国市民権を有しているフィリピン人退役軍人6,000人には一人あたり15,000ドル、市民権のない退役軍人(そのほとんどはフィリピン在住)の12,000人には一人あたり9,000ドルが、一時金として支給されるそうです。フィリピンの新聞は、国防省退役軍人室(Philippine Veterans Affairs Office)で恩給を申請する退役軍人のおじいちゃんたちの写真を一斉に掲載しました。
 マラカニアン博物館(マルコス時代まで大統領執務室として使われていたマラカニアン宮殿の一部の建物をアキノ大統領が博物館として開放。以前は自由に見てまわることができたのですが、現在は、1週間前までにパスポートのコピーをFAXして許可を得なくてはなりません)の2階の特設展示場も、第二次大戦を戦ったフィリピン人の退役軍人の写真展となっています。

 そのちょうど2ヶ月前、タンハーラン・ピリピノ劇団による”Mga Gerilya sa Powell Street”(パウエル通りのゲリラたち)という演劇が、多くの話題を呼んでいました。
 サンフランシスコに住む、フィリピンの退役軍人の物語。第二次世界大戦でゲリラとして日本軍を相手に戦い、退役後、米国に移住して永住権を獲得したものの、じゅうぶんな年金を得られず、米国の弁護士や支援団体を通じてロビイングに期待をかけつつも、自らの余命がいくばくもないことを知っている老人たち。冬風の吹き荒ぶパウエル通りのベンチに腰を下ろし、チェスや陽気なおしゃべりに興じ、あるときは故郷を懐かしみ、あるときは戦争を回顧し、またあるときは鳩にエサを撒きながら遠くを見ている、そんな、かなしいおじいちゃんたちの日常をコメディタッチに描いたミュージカルです。

 テックスは、第二次大戦中に恋人と別れ、戦争が終わって故郷に帰ってみたら恋人は日本軍の従軍慰安婦にされていた、という悲惨な過去をもち、米国に移住。観光ビザで入国したまま不法滞在中の若いフィリピン人女性に出会い、恋人の面影をみて結婚しますが、彼女の目当てはテックスの永住ビザ。永住権を取得した彼女は、ただちに、若いボーイフレンドと逃げてしまいます。テックスは失意のままこの世を去ります。
 フィデルは、第二次大戦に従軍後は結婚して幸せな家庭を築いていましたが、マルコス政権の戒厳令下、息子が共産ゲリラに加入して山へ。親子二代ゲリラ。でも、自分こそが真正ゲリラだと信じるフィデルは、息子の活動を認めません。すれ違ったまま、息子は山で命を落とします。失意の末に渡米するフィデル。数十年後、友人の葬儀代をつくろうと、韓国系の国際宅配会社のトラックを襲ったところ、担当の若者に簡単に取り押さえられます。そして、その若者はなんと、息子の「山」での活動仲間だったのでした。民主化を見ずに死んでしまった息子、そして、多国籍企業で働くその仲間。
 …こんな感じで、おじいちゃんたちの重いストーリーが描かれていきます。

 でも、基本的にはコメディ。先に逝った仲間の灰をゴールデン・ゲイト・ブリッジの見えるところに撒こうとしたのに「あら、霧で見えないね」というお決まりすぎる陳腐なジョークとか(バナナの皮で滑る、くらいの低レベル・ジョークですよ…)、いざ灰を撒いたら風でこちらに灰が流れてきて顔が真っ白、美人でキレ者の米国の女性弁護士がSH●T!と叫ぶ、というあまり品の良くないドタバタといい、その女性弁護士が「もう少しの辛抱(チャガ)ですよ」の「チャガ」を「チャゴ」と勘違いしつづける妙なリアリティといい、米国人役のアメリカ訛りのタガログ語といい…。そのほかにも、シリアスなシーンで挿入されるおじいちゃんたちの実に卑猥なジョーク、「とにかく歌おうぜ、踊ろうぜ!」の果てに繰り返されるパロディたっぷりの歌、卑猥なダンス…と、フィリピンらしさたっぷり。観客は大笑い。
 とどめは、最高のクライマックスの直後に死んでしまった元将校の通夜に訪れた仲間たちが彼の遺体の入った棺の不自然さに気づき、親族の目を盗んで棺を開けてみたところ、棺の隙間には、ブランド物の靴、チョコレート、スパムの缶詰などがこれでもかというくらいに詰められていた、というオチ。
 「これじゃ、棺桶じゃなくてBalikbayan Box(海外移住労働者が故郷に持ち帰る土産の入った箱)だよ!」
という台詞に、私も大笑いしましたが、あとで友人からきいたところによると、数年前、Balikbayan Boxに棺桶ごと遺体を入れて運ぶ在米フィリピン人がいる、という都市伝説がメールで出回ったことがあるそう。なるほど、この演劇は、その逆をパロディ化しているわけですね。…って、感心している場合ではなく、これ、ジョークとしては、相当きわどい部類に入ると思いますよ!
 GMAニュースのウェブサイトにあったコラム・レビューには、
 In typical Pinoy fashion, supposedly serious moments become sources of belly-aching laughter. When the veterans pay their last respects to their fallen comrades, the ashes suddenly have a mind of their own, causing a riotous situation that will have viewers laughing out loud.
とありました。ほんとうにその通りです。
 
 私はこの演劇を、議員秘書できわめて歴史に詳しいフィリピン人の友人と、その友人でアメリカ永住権を取得しているサンフランシスコ在住のフィリピン人夫妻と一緒に観ました。タガログ語の表現やスラングや、あるいは歴史背景がよくわからなければ、あとで彼らに解説してもらおうと思って。事前に中野聡先生の『歴史経験としてのアメリカ帝国』も読み返して、予習をしていきました。しかし、それでも、じゅうぶんに難解でした。
 だからこそ―とっつきにくいテーマだからこそ、コメディとして、若い世代にはまったく馴染みのないこうした問題に焦点をあてるというのは、すばらしい試みだと思います。サンフランシスコ在住の夫妻は、終了後、役者の一人をつかまえて、
 「サンフランシスコのフィリピン人は、パウエル通りにお年寄りが集まっているのも、その一部がフィリピン人の退役軍人であることも知っているけれど、この問題に関心をもつ人は少ない。ぜひサンフランシスコでも上演してほしい。」
と説得していました。
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by saging | 2009-03-09 22:32 | フィリピン(全般)
Intellectualsのコトバ
 私は、コトバで説明できないことは口にしないのが美徳だと思っています。私のblogの一回の投稿が長いのは、ある程度まとまったコトバが溜まった時にしかblogを書かないからです。コトバが見つからない間は、誰にも言わずに、ただ、自分の中だけでそれを発酵させておきます。Blogのように「自己の逡巡を他人に公開する」ことを選択するなら、それなりのオチや結論や「言いたいこと」がなくてはならないと思います。
 私は、整理されていない感情をオチもなく長く話されるのが嫌いなので、一時期は、理系の男性ばかりとお付き合いしていました。理系=無口で論理的だと思って。が、語彙が極端に貧困なくせに「わかってほしい」とばかりに陳腐なコトバをだらだら垂れ流す理系って、文系以上に手に負えません。コトバに失礼です。 
 …シツレイなのは私ですよね。いったいナニサマですか。ごめんなさい。ここまでは前置きなので、どうかオチとして笑ってください。

 さて、先週末の一時帰国の目的は、電子辞書&デジカメ購入でもなく、日本への再適応を目指すことでもなく、今年の後半からいただくことになっているフェローシップ・プログラムの説明会とワークショップへの参加でした。
 このフェローシップは、日本を含むアジアの数カ国で同時並行的に進行しているユニークな事業です。なんと、年齢制限もありません。そして、普通の奨学金や研究助成のように「研究者」や「院生」に与えられるものではなく、各国からのフェローの多くは芸術家、舞踊家、映画監督、ジャーナリスト、人権活動家、NGOワーカー/活動家、など、多彩な方々。共通項は、公(public)にコミットし、社会を良くすることに情熱を燃やしていること(…のはずです)。実際、私が昨年10月に面接を受けたときも、「自分がどんなふうに社会と関わりたいのか」、「自分の研究テーマはどんな点でpublicなのか」という点について深く突っ込まれましたし、私がこれまでに知っていた過去のフェローも、実にユニークかつpublicな方々ばかりでした。そして、今回のワークショップでも、多種多様な「おもしろい」方々にたくさん出会うことができて、非常に刺激を受けました。
 映画評論家で大学教員の元フェローが担当してくださった特別講演は、
 「妖怪が男性で、アメリカ本土の外からやってきて、正義の味方に殲滅させられる…というハリウッドの怪奇映画とは異なり、東南アジアの怪奇映画に登場する妖怪は『妊娠中/出産時に不幸な死を遂げた女性』で、娘の身体を借りて復讐したり村を荒らしたりして、最後には村の宗教的指導者(高名な僧や祈祷師など)に鎮められて成仏する…というパターンがある」
…という、とても興味深いお話。それに対して舞踏家が、
 「さっき見せてくださったマレーシア映画の部分映像ですが、宮廷音楽ではあんな踊り方はしません。」
と突っ込んだり、感染症専門の医師が、
 「妖怪伝説が妊産婦の死亡に密接に関わっているというのは、出産時に臍の緒を消毒していない鋏で切る習慣により妊産婦死亡率が高かったからではないのですか?」
と、医学的見地からコメントしたり。こんなに多様な専門家が集まってひとつのことについて自由に意見を述べ合う機会って、なかなか稀有だと思います。

 2日間のワークショップを総じて振り返ってみれば、プログラムの進行を仕切っていたのも、主に発言していたのも、研究者や院生など、いわゆるアカデムの方々。芸術家の方々も参加されてはいたのですが、あまり発言されませんでした。ある芸術家の方の発言が、その理由を端的に表していたと思います。
 「私たちは芸術を通じて自己を表現するのです。しかし、世の中には、コトバで自己表現をしなくてはならない場合もある。私はこのフェローシップ・プログラムを通じて、コトバで自分を表現することをいまだに学んでいるところです。」
 いわゆるアカデム(+その卵)というのは、コトバで表現する人たち。だから、当然、コトバが豊富ですし、ついつい、喋ってしまうのです。中でも発言の多かったアカデム(+その卵)は、偶然かもしれませんが、「地域研究」(それも人類学・社会学に近い)の方々でした。
 そして私は、ワークショップのあいだ、彼ら/彼女たちの長い話を聞きながら、
 「だから、結論は何ッ!?」
と、思ってしまいました。そんなふうに思ったことに対して、自分でも驚きました。
 マニラに戻ってから、それがなぜなのかを、ずっと考えていました。人類学と政治学の違いなのか。それとも、私の個人的な性質の問題なのか。今後、周りの方々のお力を借りながら、この答えを追求していかなくてはならないと思います。(provocative discussionを望んでわざと偉そうなことを書いているだけなので、敵をつくろうとしているとか、喧嘩を売っているとか思わないでください。)

 おかしいのは私の方なのでしょうか。私がたまたま、3年間も大学院を離れていて、日本の研究会や地域研究者の集まりにも出ていなくて、コヤクニンテキで、無知だから、真摯な地域研究者の発言を胡散臭く感じてしまうのでしょうか。私は、マニラでときどきお会いいただくフィリピン研究の先輩で人類学者のAzumaさんやMasaさんと自然に言葉を通じ合わせることができると思っているけれど、それはたまたま、彼らがどんな話題にもついていける広い視野と寛大な心をもっていて、私に合わせてくれているにすぎないのでしょうか。
 学会や研究会で「モデル」を使うたびに、同年代の人類学者や社会学者から、
 「政治学者はすぐにモデルやゲーム理論に頼って、頭でっかちですね。」
 「もっと、フィールドのデータとかないんですか? インフォーマントの家族構成とか。」
 「あなたはせっかくディープなフィールドワークをしているのだから、現場の臨場感をもっと出せばいいのに。」
と言われ、そのたびに、いやいや、15分なり20分なりの限られた発表時間の中でA国のB村のC産業はこうです、という詳細なデータを示すより、データの説明はともかく、大きな結論を前面に押し出すほうがいいでしょう、発想が根本的に違うんだな、と思って、そこで終わりにしていました。しかし、もう少し踏み込んで、この違いがどこに起因しているのかを客観的に考える必要があると、いま、思っています。
 
 ワークショップの中では、フィールドへの熱い思いとか、「私たちが忘れていたものがここにある」的な感傷だとか、「インスピレーション」だとか「イメージ」だとか、あるいは、「お世話になった調査地の方々にどう還元するか」とか、そういったことも語られていたのですが、私にはそれが感傷的に感じられました。皆、私よりは語彙が豊富で、表現豊かで、繊細なのだろうけれど、そんなに執拗にコトバにしなくたって、フィールドと真剣に関わっていれば、その姿勢は、口にしなくても、書かなくても行間に滲み出ると思うし、私は政治学の先輩たちにいつもそう言われてきました。
 蛇足になりますが、数年前、「平●学」の研究者がフィ●ピン研究会で「フィールドとの関わり方」をメインテーマとするような発表をしたとき、人類学者を含め、その場にいた人たちが非常に批判的な態度をとったことを覚えています。それは恐らく、彼らが「当たり前じゃん」と思っている、あるいは「わかっているけれど語らないようにしている」部分を、その平和学研究者が延々と語ったから。「えーっ、いまさら!」といった人間の内面を他人に赤裸々に語られるとき、私たちは、そこに自分を投影して、拒否反応を示します。私はそのことを「太宰的」あるいは「山月記的」と呼びたいと思います。
 (読み手の皆様、どうか、気分を害さないでくださいね。私は「平●学者」を名乗る研究者を批判しているのではありません。批判すべきは、ディシプリンにかかわらず、「現場」とか「生の声」とか「人間」とか、そういった白々しい言葉を好んで多用するくせに、日本語ですらろくにコミュニケーションできないくらい人当たりが悪かったり、言葉を選ばずに平気で他人の悪口を言ったりする人たちでしょう。そう、「現場主義」とか「現地の人々の声を聞け」とか声高に叫んでいるNGOワーカーに限って、現地の言語はおろか英語すらおぼつかないのと同じです。そうした人たちに比べれば、「太宰的」のほうがずいぶん良いと思います。)

 そのワークショップの後半、「あの場所の人たちの『ココロ』がすばらしい」、「あの場所の高齢者の方々の生きる知恵や記憶をずっと残したい」というコトバが出てきて、私が「さすがに、それは陶酔しすぎでは?」と思った瞬間、同席しておられた著名な先生が、
 「それは、まぁ、言ってみれば、ナイーブやわな」
の一言で始まる短い発言をされました。その先生は、柔らかくて悪意のない京都弁を使う、とても温和な方で、このときもゆっくりと短くお話されました。でも、一気に、場の空気が変わりました。大きな鋏で、ゆっくり、ばっさり、切られた気がしました。
 これこそが、コトバの威力」というものだと思います。無駄なコトバを使わずに他人の心にドーンと響かせる表現力。本当に知的であれば、短時間でもものすごく洗練されて凝縮された、それでいて他人にきちんと伝わるコトバを選択して話せるのですよね。
 
 ワークショップの中で、ある方がおっしゃっていました。専門について深く話せるのはAcademiciansで、専門外のことについて深く話せるのがIntellectualsのだと。
 アジアの怪奇映画について講演してくださった映画評論家は、舞踏家のコメントにも、医師のコメントにもものすごく深く、かつ、嬉しそうに答えておられました。これがホンモノのIntellectualなのだと思いました。
 Intellectualというのは一朝一夕になれるものではなく、そこに至るには、太宰的な告白も、山月記的なウザさも、provocative discussionも必要なのでしょう。いつまでも、コトバを使うことをしらじらしく避けたり、コヤクニンテキ的な気どりかたをしたり、自分だけの世界に篭っていてはいけませんよね。
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by saging | 2009-03-09 21:16 | フィリピン研究
日本雑感
 3日間だけ、日本に帰っていました。それなりに寒かったものの、覚悟していたほどではありませんでした。愛用しているノート型パソコンのキーボードに触ると冷たくて、ああ、寒い国に来たのだなあと思いました。久しぶりの「ひんやりした空気」がとても心地よくて、気持ちがすーっとしました。空気が澄んでいるので、夜空も、夜景も綺麗でした。街を歩いていると、何年も忘れていた歌や、何年も忘れていた思い出が突然蘇ることもありました。特定の気候の中でしか、あるいは、特定の空気の中でしか思い出せないものって、本当にあるんですね。だからこそ、私たちはそれを「空気感」と呼ぶのですが。
 少しの間なら、寒いというのもいいものですね。
 
 前回の帰国からさほど月日が経っていないので、今回はスムーズに日本に適応できました。電車にも普通に乗れるし、他人とも普通に話ができ、クルマが丸いことにいちいち驚くこともありませんでした。代わりに、別のことに驚きました。

まず、電化製品の量販店で、ずっと欲しかった電子辞書と、デジタルカメラを買ったときのこと。テクノロジーの進化に驚愕! 新しく買った電子辞書は、英語系が充実していて、シソーラスの類語辞典も入っているもの。最近どんどん語彙が貧困になっているので、電子辞書にでも頼らないと。…さらにこのモデル、フィリピノ語会話帳とタイ語会話帳も入っています。最強。最近の電子辞書はものすごく高性能なのですね。これまで使っていた電子辞書は、10年前、大学に入ったときに思い切って購入したもの(高校までは「辞書は紙で引くもの」と思っていたのです)。英英辞書が入っている点で当時は画期的でした。大学3年間の英語サークル活動で使いまくり、その後も使いたおして10年。先日、ついに液晶が割れ、中からセロファン状の部品が出てきたのです。でも、10年ももつのだからたいしたものです。さすがCA●IO!
 デジカメも、これまで使ってきたものは8年前のモデルで、最近、どうも変な音がするので購入を決めました。最近のモデルはどれも小型で使いやすそうで、撮影モードを自動で選択してくれる機能までついていて、どれもとても高性能で、本当に迷いました。結局、フィールド向きの、防塵・防水機能のついたものを購入しました。4ギガのメモリカードをおまけしてもらって、びっくり。メモリカードって、いつのまにか、とても安くなっていたのですね。調子に乗ってダイビング用のハウジングも買ってしまいました。
 量販店の店員さんはとても親切で、フィリピンの店員さんのように、「お客が見ているのと別の商品を大声で無理やり薦めたり」、「何か訊ねると黙ってどこかに消えていってそのまま15分も戻ってこなかったり」しませんでした。日本って、すごい国ですね。
 それから、私は今日はじめて、「デビット」というシステムを知りました。電子辞書とカメラの同時購入を決めたあと、店員さんに、
 「キャッシュでお願いしたいので、向かいの銀行でお金をおろしてきます。」
と言ったら(現金払いだとポイントがつくのです)、そのシステムを薦められました。キャッシュカードを見せてお店の端末に暗証番号を入力すれば、銀行口座からその場で引き落とされるのだそうです。
 「本当にそんなことができるんですか? 利子や手数料がつきませんか?」
としつこく確かめてから、半信半疑でお願いして、利用後すぐに向かいの銀行のATMで通帳に記帳して、利用金額を確かめました(デビットの意味がありませんね)。たしかに、その金額だけきっかり引き落とされています。すごすぎる! めちゃくちゃ便利です。便利を通り越して、怖いくらい。私はフィリピンではATMカードもクレジットカードもできるだけ持ち歩かないようにしている(つまり、使っていない)ので、こうしたシステムに、ただ、戸惑うばかりです。キャッシュカードを渡して暗証番号を入れるなんてこと、フィリピンでなら絶対にやりません。現金書留というシステムも、どうも不安。だって、「現金が入ってますよ」って、封筒に書いてあるんですよ! どうしてなくならないのか、不思議でなりません。私の脳内はかなりフィリピン化しています。・・・数日前、タガログ語の専門家で現地事情にとても詳しい隣席の上司が、自分の車を売るにあたって
 「小切手も現金も信用できないから、買い手に現金を持ってきてもらって銀行で待ち合わせして、その銀行で現金を確認してもらうんだ。」
と言っていて、私はそのとき、
 「信用のない社会って、大変ですよね~。」
なんて軽く言ったものですが、システムを信じきっている日本と、誰もが騙されないようにいつも注意深く暮らさなくてはならないフィリピンと、いったい、どちらが大変なのだか、だんだん、わからなくなってきました。

 …という話を友達にしたら、
 「このご時世に電子辞書とデジカメをいっぺんにキャッシュで買うなんて、バブリー!」
と、思ってもいなかったところを突っ込まれました。そうなのかなぁ。ずっと前から買うつもりで買えなかったものを、やっといま買おうとしているだけなのですが…。
 日本を離れていると、この国がどれだけ不景気なのか、よくわかりません。でも、日本にいても、そんなに不景気だとは感じません。それなのに、夜の民放ニュースでは「派遣切り」や「地方工場の閉鎖で失業」などといった話ばかり。どうして? 量販店のパソコン売場にもたくさん人はいたし、レジも長蛇の列でしたよ。空港にもたくさん海外旅行者がいましたよ。派遣切りも大企業のリストラも事実なのでしょうが、マスコミは煽りすぎなのではないでしょうか? フィリピンの失業問題は日本の比ではありませんし、フィリピンの「午後6時半のニュース」視聴者に占める貧困層割合は相当なものだと思いますが、昨年のコメ不足のときでさえ、ニュース番組は、貧しい人がコメを買えない話題に「ばかり」時間を割くことはありませんでした。各局は、好況でも不況でも、芸能ニュースにたっぷり時間をかけて楽しませてくれますよ。
 日本人って、悲観的なのでしょうか。それとも、真面目なのでしょうか。いずれにしても、「貧しくなること」や「職を失うこと」に対して、ことごとく否定的な傾向があるのだと思います。

 最後に、今回気づいたこと。電車に乗っていると、日本人って、皆が同じ格好をしているように見えます。あんなに揃いも揃って黒やグレーばかり着なくても。男性はみんな同じようなスーツにコート、女性も地味な色ばかり。夏はそんなふうに感じなかったので、冬服の問題なのでしょうか。もっと、赤とか青とかピンクとか着ればいいのに、と思ってしまいます。電車の中吊り広告や街中の広告の「冬服を着たファッションモデル」も、ちっともおしゃれに見えません。そもそも、冬服っておしゃれなの?って訊きたい。防寒具でしょ?こたつ布団と一緒でしょ?とまで思いました。あと、日本の同年代の女性はどうして皆、似たようなヘアスタイルで、厚化粧で、決まりごとのように同じ場所にチークを入れているのでしょう。人工的で、お人形みたい。
…常夏の国に慣れすぎてしまった私は、日本の繊細なファッション・センスを理解することができなくなってしまったようです。

まずいなあ。どんどん、日本社会への再適応が遠のいていきます。
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by saging | 2009-03-04 21:00 | その他