Keso de Bola とは、 「表面は赤いのに中は黄色い」フィリピンのボール型チーズ。転じて日和見主義者。       かつてお世話になった、現地の言葉で「灯台」と呼ばれるマニラ湾岸のスラムを、ガラス越しに。
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ビバ! ビバ! サント・ニーニョ!
 先日、マニラに滞在中の同年代の人たち―政治学専門でもフィリピン専門でもない大学院生の方々や、いわゆる開発系(「開発コンサルタント」や「開発NGO」に近い人たち)―との勉強会で、フィリピンにおける「民主主義の定着」というテーマで、フィリピン政治に現状をどう見ればよいか、私が考えるところをお話させていただきました。パトロン=クライアント・モデルから、Political Dynastyの話、そして、フィリピンにおける「市民社会論」の歪み、カトリック教会と左派に牛耳られている「いわゆる市民社会」に過剰な期待をかけることに伴うリスク…など。私の博士論文の一部となる部分なので、畑違いの方々から新鮮な質問やコメントをいただけてとても参考になりました。
 後半で、開発系のお仕事をされている方から、こんな質問を受けました。
 「フィリピンではNGOが多く、組織化が活発といわれるけれど、地方の協同組合や水利組合はことごとく失敗例ばかり。フィリピン人は血縁は強いけれど地縁は弱いと言われている。それはなぜだと思いますか?」
 その質問を受けたとき、私はちょっとムッとしました。その国の事情も知らないくせに、貧しい国の「人々」を一枚岩であるかのように扱った挙句に批判するなんて、いかにも「開発系」の人らしい、って。(せっかく質問していただいたのに、おこがましいということはわかっています。)
 私は以下の2つの答えを返しました。
 「それは組織化の問題ではなくて集合行為の問題。経済学が前提とする合理的個人の前提に立てば、人々は自己の利益を最大化するためにフリーライドするので、集合行為など成功しないのが当たり前。でも実際には集合行為は起こっている、それはなぜか、と、集合行為を不思議に感じるところがスタート。ところが政治や開発の世界では、あたかも集合行為は当然のことと捉えられている。」
 「フィリピン人の集合行為を云々する前に、私たちはどうなのでしょうか。現代の日本社会でいまだに地縁が生きていると思われますか? 町内会やPTAの役員は押し付け合い、中には給食費すら払わない親もいるのに、それでも、辛うじて福祉国家のニッポンのお蔭で、自治体に入らなくてもPTAの会議をずる休みしてもそれなりに生きていける、そんな国に育った私たちが、日本のような国家のセーフティ・ネットがない社会に生きる人々を一概に『集合行為ができない』『地縁が弱い』と批判すること自体、ずれているのでは?」
 質問をした方も、他の方も、頷いては下さいましたが、私の心の中には、もやもやしたものが残りました。また、うまく説明できなかった。この点がコトバでキレイに説明できないなら、論文を書いている意義なんてないのに。
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 土曜日、トンドのSto Nino(サントニーニョ)祭に行ってきました。幼きイエスを祭るこのイベントは、セブのSinulogを筆頭に、1月のこの時期、全国各地で開催されますが、トンドのSto Nino祭は、教会主体というよりも、住民参加を前提とした、ことごとく手作りのお祭りなのです。カトリック教会所蔵のSto Nino(ホンモノ像)は、その行列のどこかに紛れ込んで組み込まれますが、ホンモノ像が先頭を務めるわけではありません。カトリック教会の抱えるブラック・ナザレ像が求心的存在となるキアポのブラック・ナザレ祭や、商業化されてしまったセブのSinulogとはまったく違います。
 
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 トンドのSto Nino祭。それは、観光客どころか外部からの見物人も来ないような下町のスラムの路地で生きる人々が、それこそ通路ごとにTRIBU(英語で言えばTribe)と呼ばれるグループを作って、それぞれにテーマを決めて、手作りのお御輿を作って、鼓笛隊やダンスメンバーを決めて、数ヶ月も練習して、本番の日、晴れて路上に出て、行進(procession)に参列するという、1年に1度のお楽しみ。参加するTRIBUの数は100以上。最前列から最後列までの長さは4kmとも言われています。先頭TRIBUが教会に向かって行進を開始するのが午後2時、最後尾のTRIBUが教会に入るのは午後10時、という長丁場。
 行列に参加しない人々はその間、トライシクルにSto Nino像を乗せまくったり、Sto Nino像を持って路地に出たり、窓から像をかざしたりしながらお祭を眺めます。
 “Viva, Viva, Sto Nino!!”
陽気な太鼓の音に合わせて、像を高く掲げながら合唱。
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 各TRIBUは、それぞれが決めたテーマにしたがって音楽を決め、演奏を考え、ダンスの振り付けを決め、衣装をそろえます。5歳くらいの子供から小学生、ひたすら踊りたいティーンエイジャー、仮装で羽目を外す大人たち、渾然一体となって一緒に歩く、子供たちの保護者とおぼしき大人たち…。どこから見ても無秩序なグループですが、なぜか、不思議と統制が取れています。全体の動きを見ながら一行の動きを動かしたり止めたりするのは、バランガイのTシャツを着た無数の大人たち。それに従って笛を吹き、メガフォンで自分のTRIBUの子供たちに合図を送るのは若者たち。
 「おい、この右側、バイク通るからみんなどいてどいて!」
 「はいはい、この先、道が狭くなるから2列になって!」
 見事な交通整理っぷり。決して強制されたものではない、自主的な統率。管理する側も管理される側も、皆、ものすごく楽しんでいます。
 「今日は、みんながリーダーになれるんだよ。」
と人々は言います。
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 この光景を目にしたら、フィリピン人は集合行為ができないなんて、都市貧困層はコミュニティ意識が持てないだなんて、そして、貧しい人々はアノミーだなんて、そんなオコガマシイこと、いったい誰が言えるかって思います。
 マニラ市長が「ホンモノ像」のお御輿に乗って現れ、トンドの下院議員や市議会議員らが乗り物や食事を提供し…という政治性もお約束。
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 カトリックの信仰を超えて、年中行事というルーティーンを超えて、全身全霊で楽しむ人々。このイベントを知って以来、私は、セブのSinulogにも、アティアティハン祭にも行きたいと思わなくなりました。これよりおもしろい祭りなんて、これより血が沸き立つ祭りなんて、「選挙」以外にないのでは!? 

 そして私は、この恍惚感を、このエネルギーを、コトバにしないと…。

<写真説明>
1枚目:トライシクルいっぱいに乗せられたSto Ninoと、像を抱えて歩く人々。
2枚目:Sto Ninoも子供も渾然一体。「子供は神さま」を体現しています。
3枚目:「ホンモノ像」に向かってSto Nino像を掲げる人々。
4枚目:「TRIBU 93」の子供たち。
5枚目:ここのTRIBUのモチーフはキティちゃん。Sto NinoがキティTシャツを着ていました。
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by saging | 2009-01-20 19:48 | フィリピン(全般)
キューバ
 先週金曜の晩、プライベートで、キューバ革命50周年レセプション@フィリピン大学長公邸に行ってきました。本当は同じ時間帯に日本人の名刺交換会があったのですが、欠席。日本人ばかりの会合って、実につまらないのですもの。限られた時間内にどれだけ多くの人とお話して知り合いになって次のビジネス・チャンスに繋げるかが、名刺交換会やパーティの目的だと思うのですが、日本人にはそういう意識が欠落しているらしく、内輪で固まったり、特定の人と10分も20分も喋ったり。2年前、私はその無意味さにあきれてしまい、以後、ずっと出席していません。
 それに比べて、キューバのレセプションの楽しかったこと!
 ところで、なぜキューバのレセプションがフィリピン大学の学長公邸で開催されたかというと、前学長がキューバ革命研究の大家で、フィリピン・キューバ友好協会(仮)の会長で、キューバ大使と大の仲良しだから。学長公邸はキャンパスの外れの、緑あふれる静かな場所にあり、とても素敵なガーデンがあります。
 供されたキューバ料理は、学長公邸のコックが、キューバ大使館のレシピを再現したもの。私を含めほとんどの人は本場のキューバ料理を知らないので(イメージは輪切りの焼きバナナ)、おいしくいただきました。赤いごはんがおいしかったです。
 スペイン音楽は、私の大好きなNoel Ca○angonの生演奏。Noel, こんなとこでまで大活躍です。踊りたい人は建物の中でラテン音楽にあわせてガンガン踊って、じっくり話したい人は屋外のガーデンスペースで談笑。なんといってもキューバですから、そしてフィリピン大学ですから、ガーデンスペースには、左派系下院議員も、左派系組織の幹部や法律家、フィリピン大学関係者が、ずらーっと勢ぞろい。全員とそれぞれ2時間ずつくらいお話したいくらいでした。
 長くお世話になっているフィリピン大学の先生方に、2010年の下院選の有力候補だという方を紹介していただきました。弁護士で、現ケソン市長の甥でもある彼は、ケソン市のスクワッターの土地問題にものすごく詳しくて、おもしろいお話をたっぷりきかせていただきました。
 そして、お酒! キューバ・ラム、なかでもモヒートというハーブ入りラム・カクテルを、生まれて初めて飲みました。病みつきになりそうな味でした。他のお客さんたちも「おいしい、おいしい」と言いながら、何種類ものお酒を立て続けにガンガン飲んでいました。キューバ大使なんて、完全に酔っ払ってたし。居心地が良すぎて誰も帰ろうとしないので、完全にお開きになったのは10時半。開会から実に4時間が経っていました。
 社交の場の作法として、キューバの人権状況についても、カストロの健康状態についても誰も話題にしませんでしたが、最高に楽しい会合でした。あとで聞いたところによると、200人来ていたそうです。いわくつきの小国キューバですが、招待客がそれぞれに名刺交換や食事や音楽やお酒を存分に楽しんで、長居して、幸せに帰っていく、そんな素敵なレセプションを提供できるって、本当に素晴らしいことだと思います。これぞ国益、これぞ外交。キューバ大使いい仕事してるなー(酔っ払ってたけど)って、誰もが思ったはずです。

 日本では、ゲバラ映画2本がいよいよロードショーだそうですね。フィリピンでも公開されないかなぁ。
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by saging | 2009-01-20 19:20 | その他
Popular-Progressive
金曜日。運悪く会社の車が使えなくなり、やむなく公共交通でケソン市まで行くことに。しかし、キアポのブラック・ナザレのため、道路どころか高架鉄道まで麻痺していました。しかたなく、唯一まともに運行していたLRT1号線でとりあえず終点モニュメント駅まで行って、そこからケソン市に入ることにしました。LRT1号線というのは、観光客には決して見ていただきたくないような、ものすごーく庶民的なエリアを突っ切っています。特に、チャイナタウン(カリエド駅)以北は、窓の外に広がる風景がやばすぎます。汚くて古い家屋と、スクワッターと、中国語の看板が渾然一体となった、すごい街並み…。私は実はそれがずっと大好きで、タユマンかバンバンに下宿を借りるのが夢だったのですが、バンコクの高架鉄道(BTS)の車窓からの整然とした街並みを見てしまった今では、マニラのあまりの汚さに愕然とするばかり。汚いというか、廃墟です。
 さらに北に進むと、東には、豪華絢爛の中国人墓地(内部はエアコン入り)と樹木がぱーっと広がります。でも、西にはスクワッター。このコントラストが、また強烈。この国の歪みを象徴しているようで、気が滅入ります。
 終点のモニュメント駅はショッピング・センターなのですが、ここがまたかなりのカオスで、道路もガタガタ。なんだか、マニラって灰色です。あーあ、バンコクに完敗。そこからケソン市に向かう道すがらにある最新ショッピング・モールのTrinomaですら、灰色にくすんで見えました。バンコクのスーパー「カルフール」よりずっとみすぼらしく見えてしまって、ショックでした。

 仕事帰りに、以前からずっとお世話になった都市貧困支援のNGOにお邪魔して、友人のオーガナイザーたちと話をしました。ここは、都市貧困分野ではかなりの老舗NGO。おもしろかったのは、マニラ首都圏開発庁(MMDA)、国家住宅庁(NHA)、大統領都市貧困委員会(PCUP)、都市住宅開発評議会(HUDCC)、地方自治体(LGU)による、スクワッター移転のための省庁間会議、"MMIAC(Metro Manila Inter-Agency Committee)"にNGO/POの出席枠をもらえるよう交渉した話。交渉の末、このNGOは2つの枠を獲得。しかし、
 「他のNGOが入ってくるとまた枠の獲得競争になってややこしいから、他団体には知らせない。特に左派には!」
とのこと。それってどうなの? やってること、左派と同じじゃない?
 でも大丈夫、他団体は他団体で、別の省庁間会議やコンサルテーションの機会を持っていますから。だから、役所にとっては、会議ばかりが増える。何も決まらない、意味のない会議ばかり…。
 さらにこのNGO, バヤニ・フェルナンドMMDA長官がMMIACの議長を務めていることに異議を申し立て、フェルナンド長官を敵に回したというのです。いや、無理もないけれど、そんなことしたら、もともと意味のない会議がさらに意味がなくなるじゃない…。
 とてもまじめで、熱くて、なんとか政策に関与しようとして、政府機関とのコンサルテーションを重んじるこのNGOに組織化されている地域よりも、このNGOにさっさと見切りをつけて独立し、独自に政府の役人と交渉をした地域のほうが、ずっとよい条件で移転できているのは皮肉なことです。人々は正直ですから、
 「会議ばかりやったって何も変わらない」
ことくらい見抜いていますよ。この部分は、私の博士論文で詳しく書くところです。
 このNGOのスタッフはタイのスラムのNGOと人的交流をしており、私がバンコクでお会いいただいたバンコクのスラムのNGOともとても近い関係にあります。彼ら曰く、
 「バンコクのスラムは、あんなのスラムじゃない! とてもきれい!」
 「でもバンコクのスラムの組織化は、政治的にあんまりおもしろくなさそう。」
…私もまったく同感ですが、それ、口に出しちゃだめだと思いますよ…。やっぱり彼ら、NGOでの仕事に「政治的なおもしろさ」を求めているのですね。そこが、フィリピンとタイの最大の違いなのかもしれません。
 
 夜は、いつもお世話になっているB.M.さんのインナーサークルの新年会。修正左派+エストラダ派の、いわゆるPopular-Progressiveと自称する人たちと、楽しく語りました。ちなみに、Popular-Progressiveは、Popular Discussionを通じて学んだことをPrpgressiveに主張していこう、という討議デモクラシーっぽい考え方で、これに対峙するのが、左派の価値観を民衆に広めて進歩主義をPopularにしようとする左派のやり方(Progressive-Popular)。彼らは左派出身でありながら左派ではないから、そして、エストラダ派でありながら、「ポピュリストとPopularは違う」と主張するから、本当におもしろいです。彼らはたぶん、この国で一番、貧困層の意識に近いミドルクラスです。ちなみに彼らの最近の一番の話のネタは、タイのPAD批判。EDSA2についてはそこまで露骨に悪と言い切ればいけれど、PADなら格好の批判の対象というわけです。
 会合には、EDSA3の最前線にいた、CommonwealthのスクワッターのリーダーEさんも参加していました。その筋では、かなり有名な人です。
 「金やプロジェクトに釣られる貧困層はアホだ。」
 「政治家でも左派でも、いかなる外部者も信じられない。」
 「自分たちは、最後まで尊厳を守りたい。だからもう、どこにも所属しない。」
と主張する彼のグループは、左派からは目をつけられ、アロヨ政権の受益者からは外され、おまけにエストラダ派の政治組織とも離れ、コミュニティでも孤立しています。

 NGOはどうしても貧困層を「囲いたがる」し、そうするうちに、NGOも運動組織も、ばらまきの政治家と大差なくなってくる。貧困層はそれを認識しているし、NGOが「あちら側」なのだということを見抜いています。彼らにとっては、NGOだろうが左派だろうが市議会議員だろうが、同じこと。
 それに気づき、外部者から「囲われない」ために、既存の運動やNGOの傘の下から独立しようとしている人たちが、確かにいます。それはものすごくきついことです。NGOにとってはネガティブ・ストーリーでしかないのだから、NGOの話を聞くだけでは、そうした彼らの姿は決して見えてきません。でも、そんなふうに「囲い込みを拒否した」人たちって、実は、けっこう多いのではないでしょうか。そして、これまでは誰も彼らのことを書いてきませんでした。なぜなら、貧困層を表装するのは、常に、NGOや運動の側の人間だからです。彼らは、「独立してしまった」「離反者」の貧困層の存在なんて、認めたくないのです。

 Eさんは、会合に居合わせた大学教授やプロの活動家を前に、堂々と、自分のコミュニティの分裂の模様、自分たちがなぜNGOを見限ったかを熱く述べていました。彼はすごい。そして、それを素直に聴くことができるPopular-Progressiveの人たちもすごい。私は、このインナーサークルの人たちをものすごく尊敬しています。どうしても、彼らのことを論文にしなくては。こういう人たちがいるのだということを、そして、こういう人たちが変化をつくるのだということを書いて、フィリピン内外にはびこる「NGO信奉論」に風穴を開けたいです。

 帰りに乗ったFXは、キアポの混雑を避けるため、ルートを変更して、バンバン-タユマン-チャイナタウンを通りました。秩序のない街並みが、昼間に通ったときほど汚くは見えず、むしろ、とてもいとおしく見えました。やっぱり、バンバンかタユマンに下宿したくなりました。
 バンコクと比べる必要なんてない。マニラは、どこよりもおもしろい、すばらしい街です。私はこの街に住まわせてもらえたことに、この国の素敵な人たちに出会えたことに、感謝します。
 Popular-Progressiveって言葉は、単に「彼ら」の政治信条ではなく、現在のマニラを表すのにぴったりな言葉かもしれません。
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by saging | 2009-01-10 01:45 | フィリピン(全般)
カノム・クロック(Khanom Krok)
 (新年早々、また食べ物の話題。しかも、今回の内容はとてもマニアックです。)

 バンコク訪問前、私の大好きなじんじん先生から教えていただいたタイのお菓子、「カノム・クロック」。形状はたこ焼きそっくりで、デンマークのお菓子「エイブルスキーバー」と並んで「コナモンまん丸3兄弟」なのだそうです。これは気になる! 私は関西人ですから、実家にはもちろん、たこ焼き器があります。
 バンコクに着いたら探してみよう、と思っていたのとろろ、わざわざ探すまでもなく、初日の朝、ゲストハウスから駅に向かう道でいきなり、カノム・クロック屋台に遭遇。かなりポピュラーなお菓子のようです。たこ焼き器より若干浅めですが、確かに、酷似しています。
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 5つ10バーツ。トッピングは、タロイモ、ネギ、コーンの中から選べます。ネギ入りをオーダーし、すでに焼けているものを発砲トレイに入れてもらい、楊枝で食べます。
外側は粉ですが、中身は完全にココナッツミルク。ほんのり甘くて、おいしいです。粉モノというより、プリン・寒天系? ちなみに「カノム」は「軽食」という意味、「クロック」は…わかりません。タイ人の友達に尋ねたのですが、「知らないよ」とのこと。
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 翌日は別の屋台で挑戦。今度はコーン入りとタロイモ入りをオーダーしてみました。今度は焼きたてをいただいたのですが、中身がココナッツミルクですから、たこ焼きよりずっと柔らかくて、気をつけないとこぼれそうです。そして、熱い! なかなか冷めてくれません。『寅次郎』の大将は、
 「たこ焼きは、表面はかりっ、中身はアツアツ、大阪人気質を表している」
とおっしゃいますが、カノム・クロックのアツアツっぷりときたら、たこ焼きの比ではありません。熱くてとろけそう。火傷に注意です。

 さらに翌日。バンコク滞在中の川村さんに「バンコク案内」をしていただきました。彼は、私がまだ学部時代にある日本の運動団体でお世話になった大学教員で、私の大学院の先輩で、人権活動家で、でもクールで、お話も議論もとても上手で、英語と中国語にものすごく堪能で、タイ語も話し、業界人かと思うほどにメカやガジェットに詳しく、頭はクールなののとても優しい、一言でいえば、多才な天才です。He has been a mentor of mine.です。しかも料理上手! 私も何度か、ご自宅で手料理を振舞っていただいたことがありますが、ラム脚のグリルにトルコ料理だとか、素人の域をとうに超えたレシピには、恐れ入るばかりでした。川村さんはタイ料理のファンかつ研究家でもあります。そんな川村さんにバンコクを案内していただけるなんて、私はものすごくラッキーです。
 まず連れて行っていただいたのは、下町というか問屋街というか、人出はさほどでもないのに雑然としたクロントーイ市場(マニラでいえばBalintawakみたいなところ)。ここでも、焼きたてのカノム・クロックを食べました。前日に食べた以上に中身が流動的かつアツアツで、球状にしてトレイに入れてもらっても、中身が流れ出すほどでした。おいしい! なんだか濃厚な感じ。
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 さらに! カノム・クロック用の鉄板で、うずら卵の目玉焼きを作っている屋台を発見!ミニ半円の目玉焼き。かわいい! こんな使い方もあるのですね! 次に日本に帰ったら、さっそく、大阪のたこ焼き器でも目玉焼きが作れるかどうか、試してみなくては。
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 その後、土日だけ開かれているというウィークエンド・マーケットに連れて行っていただきました。ここでも、カノム・クロックと「ミニ目玉焼き」に多く遭遇。いちいち大騒ぎする私に、川村さんは、
 「じゃ、カノム・クロック製造器を探してみよう。」
と、陶器・金物売場に案内してくださいました。さすがはタイ料理研究家。
 さっそく、金色の鉄板を発見。写真を撮ってこなかったのが悔やまれますが、これ、鉄板というより金属の塊。とにかくすごい厚みがあって、4キロはあろうかというくらいずっしり重いのです。
 「いい鉄板だねぇ。ここまで厚いと、焦げなくて安心なんだよね。」
でも、重すぎます。いくらなんでも、趣味では買えません…。
 しばらく歩くいたお店で、川村さんが店員さんにタイ語で何やら尋ねると、店員さんは笑顔で、素焼きのカノム・クロック製造器を出してこられました。美しい! まるで弥生土器。しかも、かわいらしい蓋付き。
 「これなんかどう? 火を使うガスコンロでも使用可能。火の上に石綿付き金網を載せて、直接火が届かないようにすればいいんだよ。」
 「えーっ! でも、これだって重いですよ~。」
 「70バーツだって。」
 70バーツ=約200円!
 私は思わず、「買います!」と言ってしまいました。川村さん、ありがとうございます!
 そして、バンコクからはるばるマニラにやってきたのが、写真のこいつです(撮影場所は我が家のキッチン)。なんていとおしい、素敵な色。うちには電気コンロしかないので、試せないのが残念。次回、日本に連れて帰りますので、じんじん先生、実物を楽しみになさっていてくださいね!!
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 後日、外側が緑色のカノム・クロックも見つけました。タイ語ができないので聞けませんでしたが、この緑はおそらく、フィリピンにもある、パンダン(香草)の天然色でしょう。外側が焦げてきたところで、チューブでココナツミルクを注ぎ、発泡スチロールのトレイではなくて紙箱に入れてくれます、ちょっとおしゃれなお菓子という感じでした。
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 結論。カノム・クロックは粉モノではないと思います。いわゆる「クレープ」のような軽食、あるいはベーグルやパンといった西洋風のお菓子の部類に属するのではないでしょうか。

 ちなみに、タイの友人たちに
 「ねぇ、きいてきいて! 私、カノム・クロック・メーカーを買ったのよ~」
と自慢すると、皆、目が点。以降はずーっとネタにされ、以後、紹介のたびに、
 「彼女はカノム・クロックが大好きな日本人なんだ。」
 「マニラでカノム・クロック販売のビジネスを始めるらしいよ。」
と言われる羽目に。私たちだって、大阪でたこ焼き器を買っている外国人がいたらネタにしますものね。

 次はぜひ、プト・ボンボン製造器がほしいところです(プト・ボンボンは、プト・クチンタと並んで、数少ないフィリピンのおいしいお菓子)。ディビソリアで探してみようかなぁ。
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by saging | 2009-01-07 21:24 | タイ研究('09~'10年)
タイ料理の魅力
 (年末年始に書き溜めた分を一気にUPしております。)

 私がタイに行った理由の半分は、もちろん、「食べ物」です。
 そしてその期待通り、タイの食事のおいしさと気軽さとバラエティといったら、もう、半端じゃありませんでした。総じてフィリピン料理より安いし、野菜が多い! 屋台で麺を食べようとすると、パクチーやキャベツやキュウリやマメやピクルスやモヤシやその他の葉っぱ(というか草?)の入った器がずらーっと並んでいます。なんと、入れ放題だそうです。手でちぎって入れます。特に「カノム・チン」という麺の屋台では、麺よりずっと多くの野菜を投入している人、多数。葉から茎からむしゃむしゃ食べていると、草食動物になってしまった気分です。b0031348_210719.jpg
 そして、出てくるのが早い! 屋台では、注文してから運ばれてくるまでの時間が、半端じゃなく早いです。屋台は特に早いです。「おかずぶっかけごはん」なら10秒以内、麺類は30秒以内、カオパッ(炒飯)やパッタイ(焼きソバ)でも3分以内。きちんとしたレストランでも、オーダーから10分以内には出てきます。
「シーフードは時間がかかるから、先に注文しよう」
ってタイ人は言いますが、きちんとしたレストランでも、料理はすべて10分以内に出てきますし、調理が複雑そうに見えるシーフードも、あっというまに到着。お勘定をお願いすると、1分以内に伝票が席に運ばれてきます。お釣りも早い。フィリピンでは、オーダーから運ばれてくるまでに30分以上なんて当たり前ですし、お勘定の合図をしてから伝票が届くまでに5分以上、支払いをしてからお釣りが戻ってくるまでにさらに5分以上かかるのも当然です。クレジット・カードなど使おうものなら、その倍! (私の勤め先がよく会食に利用するマニラの某一流ホテルの日本食レストランなんて、ランチセットだけなのに、しかも現金払いなのに、お会計に15分かかることも! 私は毎回、上司とお客様の顔色を伺いながら冷や冷やしています。)
 今回もとてもお世話になったもとテキヤの『寅次郎』の大将曰く、
「タイ人はせっかちだから、そんなに時間がかかったら怒って帰っちゃうよ。」
「えーっ!? タイ人って、フィリピン人同様、すごーくのんびりしていると思っていたけれど、そーんなにせっかちなんですか?」
「超せっかちだよ。某社のインスタント麺はお湯を入れて1分で茹であがるようにできてるんだよ。タイ人は3分だって待てないからね。」
えええええぇっ!

以下が、私が特に感激したタイ・フードです。教えてくださった皆様に感謝!
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① ヤム・ネーム
 屋台で売られているサラダ。ネーム(発酵豚肉)、ネーム・クルック(揚げソーセージに唐辛子や香味野菜を和えたコロッケのようなもの)、クラゲっぽい色と歯ごたえの海草のようなもの(正体不明)、唐辛子、酢、生姜、魚醤、刻みネギ、ピーナッツをすり鉢でよく混ぜ合わせ、キャベツ、パクチー、レタス、マメといった生野菜、唐辛子ソースと混ぜて食べるのだそうです。これが、もう、毎食これでいけるんじゃないかと思ってしまうくらいおいしいのです。野菜と唐辛子と海草らしきものとソーセージの、味と食感のハーモニーがスバラシイ!
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② サイクロット・イサーンとネーム
 東北タイ(イサーン)の酸っぱいソーセージと発酵豚肉。すでに唐辛子が練りこまれていますが、そこへさらに唐辛子や生姜をつけ、野菜に包んで食べるそうです。すごく美味! 思わず、スーパーで買ってフィリピンに持って帰ってきてしまいました。

③ クン・テン
 生きたままの透明な小エビを酢に漬け、唐辛子と香野菜を混ぜたもの。酢の中で跳ねているエビをそのまま食べます。いわゆる「踊り食い」。なんという贅沢。フィリピンのキニラウなんてメじゃありませんよ。

④ ナンプリック・メンダー
 東北タイ料理。タガメで味付けられた塩辛ペースト。野菜をつけて食べるそうです。タガメって、とても不思議な味がします。

⑤ ラープヌアディップ
生牛肉の唐辛子漬け。要はユッケですが、ものすごく辛くて、美味。これも東北タイ料理だそうです。東北タイ、万歳!

⑥ ヤム・ホイ・クレーム(とノートに書きとめたのですが、聴き取りに自信がありません)
唐辛子と和えられた、かなりナマっぽい状態の牡蠣。すごくおいしかったです。
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⑦ カオ・パッ・クン
 エビ入りチャーハン。屋台で二度も食べました。どうしたらあんなにパラパラに仕上がるのでしょう。お米が違うからでしょうか。

⑧ ゲーン・ヒク(とノートに書きとめたのですが、聴き取りに自信がありません)
 キノコ・タケノコ入り激辛スープ。屋台に大鍋で置かれていて、黒緑の独特の色をしています。香りも独特。ゲストハウスの近くの食堂で、隣の人がもち米を浸して食べているのがおいしそうだったので、あの人と同じものを、と注文してみました。激辛で、スープの黒緑色も毒々しいのですが、おいしいです。もち米をつけて食べるのがたまりません。これも東北タイ料理だそうです。あぁ、東北タイに移住したい。
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⑨ プラー・ドゥク・ヤーン
焼きなまず。実は私はなまずが大好きなのです。マニラの都心ではあまり見かけませんが、バンコクではあちこちの屋台でなまずが焼かれていました。フィリピンのそれより泥っぽくなくて、おいしいです。

⑩ プッ・パン・ポン・カリー
 カニの卵とじカレー。めちゃくちゃ美味しいです。でも、きっとハイカロリー。

 フィリピン研究者の皆さん、タイに行かれるときは、くれぐれもお気をつけて! いちいち比較して、強いショックを受けてしまいますから…。
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by saging | 2009-01-07 21:04 | タイ研究('09~'10年)
コトバ
 年末年始、バンコクでお世話になった方々には、感謝の気持ちでいっぱいです。
 私は1月2日の未明、夜空にこうこうと光を放つバンコクのスワンナプーム空港から、暗~いマニラに戻りました。マニラはまだなんとなく煙っぽく、新年を祝う爆竹の音が時折響いていました。私は「残り花火」っていう日本語がたまらなく好きなのに、マニラではそれがひどく汚されてしまう気分です。

 博士論文も省みず、「7月からの調査の準備」と称して、8日間もバンコクでたっぷり遊んでしまったわけですが、今回のバンコク訪問は、3つの点でとても有意義でした。

 第一に、思いっきりリフレッシュできました。朝8時半に職場に行かなくてもいい、上司からの電話に24時間怯えなくてもいい、誰からも束縛されない8日間。素晴らしかったです。修士課程在籍中にフィリピンに1年間留学していた頃のことを思い出しました。朝起きて、今日はどこに行こうか、何をしようか、すべて自分で決められる。あの頃は当たり前だと思っていた「真っ白な一日」の贅沢さを、存分に噛み締めました。

 第二に、今年4月以降のビジョンを明確にすることができました。私は現在の仕事を3月末で終えて大学院に戻ることにしていますが、長い間、私は、その先の具体的なビジョンが見えませんでした。博士論文を書きながら、投稿論文も書いて、それから学会報告をして、あぁでもその前に、3年間の勤務で鈍ってしまった頭を研究モードに切り替えなきゃ、まずは研究会でリハビリをして、academeの言葉と常識を再び身につけて…、でもそれじゃ時間ばかりが過ぎてしまう…と考えて、焦るばかりでした。でも、タイでお会いいただいた方々は、最初から最後まで私のことを「タイでフィールドワークを志す、フィリピン研究者の卵」として見てくださいました。私の現在の仕事にはまったく言及せずに、私を院生として扱い、研究へのアドバイスを下さいました。私にとっては、そのことがとても新鮮で、そして、とても嬉しかったのです。仕事を言い訳にはできないし、3年のブランクを言い訳にもできないな、と感じました。ずっとお世話になっているフィリピン研究者の先生方や気心の知れた先輩、友人たちには、ついつい言葉にしなくても、心の中で言い訳をして、甘えてきましたから。
 
 第三に、コトバの重要性と危険を改めて認識できました。
 タイの人は、日本育ちの私たち同様、母国語をとても大切にしていると思います。(だからそのぶん、外国語は浸透していないのでしょう。フィリピンとは正反対です。…どちらが良い、と言っているわけではありません。)
 タイ語の旋律はとても美しいと思います。(決して、タガログ語が美しくないと言っているわけではないのです。私はタガログ語の「リンカー」がとても好きですし、Jess Santiagoの歌詞など聴いていると、タガログってとても深くて美しい言語なのだなぁと思わされます。)タイ語には母音が9つ、声調が5つもあるとのこと。地図に書かれた地名をアルファベットあるいはカタカナ読みしても、まず通じません。初日に地下鉄に乗ったとき、地図に記載されているアルファベットの駅名と、到着駅を案内するアナウンスの発音のあまりの違いに唖然としました。特に驚いたのは「クロントーイ」駅。何度繰り返してもらっても「クロントーイ」には聞こえません。電車は路線と停車駅がわかっているからいいのですが、自分で行き先を告げなくてはならないバスやタクシーには、怖くてとても乗れません。やれやれ。
 それから、タイの人は、静かに話をするように見えます。活気溢れるマーケットも、クロントーイのスラムもなんだか静かでした。ここは日本かと錯覚するほど。夜道は明るいのに。それに比べ、マニラって、どうしてあんなに夜が暗くて、やかましいんでしょうか? マニラに戻った当日、パコの市場で買い物をしながら、私は二国間の差異を確信しました。フィリピン人って、老若男女問わず、何かというとすぐに大声を出します。ふざけ声が脅し声に、普通の会話が怒鳴り合いに聞こえるくらいの大声。「オイッ!」とか「プスッ!」とか「ホーイ!」とか、うるさいんだってば! 休日のスラムなんてすさまじくて、カラオケだのTVだの声高なおしゃべりだの…。あれはもはや、騒音を通り越して「暴音」です。

 …新年早々、フィリピンのワルグチばかり書いていますが、これがポイントなのです。そう、私は、ヒトサマの国に住まわせてもらっておきながら本当にひどいのですが、無意識のうちに
 「まったくもう、フィリピンは!」
と思いながら暮らしています。ちょっとタガログ語が話せるのをいいことに、すぐ怒鳴るし、フィリピン人に負けないように大声を出します。たとえば店員の対応が悪かったり遅かったり(すべて私の主観)、タクシードライバーが道を間違えたり、街頭商人が「アンニョンハセヨ~」と言って近づいてきたり、お調子者のコンドミニアムのガードマンが”Ma’am, you are so beautiful.”と声をかけてきたりするとき、私はすぐにブチ切れ、タガログ語でワーッとまくしたてます。仕事や自分の調査の現場では決してそんなことはしないくせに、自分と相手との間に利害関係がないと思うと、つい、そうしてしまうのです。相手がおののきながら”Sorry.”って言うまで。ひどい。部下を怒鳴る上司や、フィリピン人を見下す職場の同僚たちを一番嫌っている私なのに、同じことをしています。いえ、私はタガログ語を話せるぶん、彼らよりタチが悪いです。英語で怒鳴る上司や、日本語でフィリピン人をこき下ろす日本人のほうが、まだマシです。
 5年前、フィリピンで1年間の留学を始めたときは、心底惚れ込んでしまったマニラ首都圏の都市貧困層のリーダーの方々に対して、コトバができないことにものすごく引け目を感じました。ちょうど、私がいまタイの人たちに対して感じているのと同じ申し訳なさを感じました。
 でも、コトバができるようになるにつれ、私はどんどん横暴になってきました。言葉ができなかったときは、タガログ語を話すすべての人たちに対して、ものすごく下手に出ていたのに、いまや「謙虚さ」の欠片もない傲慢っぷり。
 バンコク滞在中、空港からゲストハウスに向かうタクシーでも、食堂でも、屋台でも、そしてさえも満足にコトバが話せない私は、フィリピンとは正反対に、思いっきり下手に出ていました。5年前、タガログ語がまったくできなかったときの自分も、きっと、このくらい謙虚だったんだろうと思いつつ。コトバを身につけた分、私は多くのものを失ってしまったと思います。

 …と、新年早々、コトバをだらだらと冗長に無駄に使ったところで、最後に、私の今年の目標を書かせてください。

① 謙虚で敏感で美しいコトバを使う
② 3月31日まで、いまの職場で、質の高い仕事をして、よい空気をつくる
③ 6月に論文を提出して、9月に卒業する
④ 7月以降は真っ白な心でタイでのフィールドワークに臨む

 昨日、私のとてもとても尊敬しているS先生と、我が指導教授に同時にお会いいただき、お二人からみっちりご助言をいただきました。限りなく贅沢な時間。しかも、お二人が交互に、これでもかというくらいに私を持ち上げてくださいました。何とかして私のモチベーションを上げようとしてくださったのでしょう。
 「若いんだから、勢いでいいから、一刻も早く論文を出しなさい。若い人の書くものは不完全で当たり前なのだから! 資料不足だとか、せっかくだからタイに行ってから…なんて言っていると、いつまで経っても書けませんよ!」
 「博士論文は不完全で当然。不十分なものを書いて、ボコボコに叩かれてきなさい。」
 「完璧主義の院生ほど、博士論文が書けない。でも君なら、その大胆さと器用さとアバウトさで突き進めるでしょう。」
 「論文を提出して、晴れかやな真っ白な気持ちでタイに行くといいですよ。」
 「タイは本当におもしろいよ。そのあとはインドネシアにも行くといいですね。」
 「数年後には、フィリピンとタイの比較研究プロジェクトができるといいですね。」
 大御所の先生お二人から、もったいない激励のコトバをいただき、申し訳なくて、消えてなくなりたいくらいでした。でも、ありがたい気持ちでいっぱいです。
 つくづく、「4月以降のビジョンが描けない」なんて言っている場合ではありませんでした。先生方はこんなにも考えてくださっているのに。私はこんなに恵まれているのに。

 自分を支えてくださっている方々(もちろん、マニラのスラムの方々も、いまの職場の方々も含みます)のことを考えれば、どんなに不安定でも、あるいはどんなに不安でも、自分のエネルギーをプラスに使う方法を考えるしかありません。私が社会的にも経済的にも精神的にも、そしてアウトプット的にも安定することが、周りの方々への恩返しの第一歩となるはず。
 論文執筆は、コトバと真剣に向かい合える作業です。もっと語彙を増やして、コトバをさがして、文章をつむぎだす中で、謙虚で敏感な心を手に入れたいと思います。
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by saging | 2009-01-07 20:41 | フィリピン研究