Keso de Bola とは、 「表面は赤いのに中は黄色い」フィリピンのボール型チーズ。転じて日和見主義者。       かつてお世話になった、現地の言葉で「灯台」と呼ばれるマニラ湾岸のスラムを、ガラス越しに。
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From Bangkok 2 (Year 2008-2009)
日本より2時間遅れで2009年を迎えようとしているバンコク。中心地のサイアム・エリア周辺はカウントダウンの準備らしきステージのセッティングで賑わっていましたが、それ以外には特に変わった様子も見受けられない、フツーの夜です。爆竹と花火で天地が轟き、世界がどうにかなってしまいそうなマニラとは大違い。お世話になっているゲストハウスも静かで、ロビーには、お茶を飲みながら談笑しているファミリーと、本を読みふけっている上品そうな紳士と、私と同様に備え付けのパソコンに向かっている西洋人の旅行者が数名いるだけ。受付のお兄ちゃんは宝くじのチェックに余念がありません。谷川俊太郎の詩のように、これから世界中で、1時間ごとに、2009年が「リレー」されていくのですね。

 皆さま、2008年もとてもお世話になりました。今年もずっと周りにいてくださった方々へ、そして、新しく知り合うことができた方々へ、ほんとうにありがとうございます。
 昨夜、邦画「クワイエットルームにようこそ」を観ました。以前にAzumaさんのBlogで紹介されていてぜひ観たいと思っていたところ、偶然、バンコクでDVDを見つけてしまったのです。
なにも年末のこんな時期に一人で(それもアウェイで)観なくてもいいような凄まじい映画でしたが、ある意味、2008年の総決算ができた気分でした。イタイ場面とか目を背けたくなる場面とか満載なのですが、終わったあと、私は、どんなにこの世界の青空が残酷に見えたとしても、こうしてこの空の下で生きていられることが奇跡なのだと思いました。ひどいひどいと言いながらも、少なくともそのひどい世界の中で生きていけるということは、数え切れないくらいの誰かが自分を支えてくれているということですから。そして、映画に登場する閉鎖病棟の患者たちのように心を疲弊させてギリギリのぶつかり合いをしなくてもそれなりに毎日を過ごせるということは、イタイぶつかり合い以外の手段で私に付き合い、関わり続けてくださる方々がいるということですから。

今年1年、「フツーの」日々を送ることができたことに感謝します。当たり前のように自分の周りにいてくれるすべての人たちに、感謝します。
来たる2009年が、皆さまにとって素晴らしい年となりますように。
この世界中の一人でも多くの人たちが、平穏に満ちたフツーの幸せを噛み締められる年となりますように。
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by saging | 2008-12-31 22:45 | タイ研究('09~'10年)
From Bangkok 1
無事、バンコクに到着いたしました!
詳細は後日書きますが、スバラシイ国ですね。道路はキレイだし。空港から市内へ向かう道路なんて、関空から伸びるハイウェイのように輝いていました。道行く人たちもおしゃれだし、治安はいいし、地下鉄はシステマティックだし、誰も電車の中でゴムゾーリを履いていません(フィリピン人は老若男女、どこに行くにもチネラス履きすぎ!)。ごはんも、ものすごくおいしいです。何を食べても感激。フィリピンではどんなに切望しても食べられない、野菜と香辛料たっぷりのスパイシーな料理の数々。しかも、安い!
宿泊先は、タイ在住のMさんが、「マニラのペンションN(私がとても懇意にしてもらっているところ)にそっくりだから」と勧めてくださった小さなゲストハウスです。いわゆる下町のようですが、20分歩けば地下鉄の駅があり、施設は、もったいないくらいスバラシイ。お部屋は清潔で、静かで、エアコンとプライベートのホットシャワーがついていて、共同冷蔵庫があって、食堂とランドリーと、なんと屋外プールまであります! これで590バーツは安い! ペンションNの半額ですよ。ゲストハウスの近くには夜遅くまで開いている大きなウェット・マーケットがあり、適度に舗装も乱れていて、機械部品店や修理店が多く、フィリピンで言えば、私の大好きなタユマンやバンバンやサンパロックの雰囲気に似ています(マニアックな比喩)。いい感じ。
そして、じんじん先生のおっしゃっていた「たこ焼き」ことカノムクロックを見つけました! わー、本当にたこ焼き機で焼いてる!! 刻みネギ入り2個、タロイモ入り2個と、コーン入り1個、計5個で10バーツ。早速食べてみました。……。外はたこ焼きなのに、中身は完全に温かいココナツ・クリーム?? ほんのり甘いです。タロイモとコーンが入っているのはわかるのですが、なぜここに刻みネギを入れるの?? 滞在中に食べまくって、レシピを研究しなくてはなりません。

昨日と今日は、早速、チュラロンコン大学、タマサート大学、そして、クロントイのスクワッター地区のNGOを訪問させていただきました。バンコク二日目にしていきなりスクワッター…。NGOの方にも、政治のお話ばかりうかがってしまいました。
タマサートでは、政治学部で教えている友人(大学院の同期。私は当時、彼のチューターをしていたのですが、私がフィリピンで寄り道しているうちに彼はすでに博士号を取得し、現在は立場逆転!)のアレンジで、政治学部の先生方に私のリサーチについてご相談させていただきました。先生方曰く、都市貧困層が外部者によって分断される、という状況は基本的にはフィリピンもタイも同様だけれども、
1. タイはフィリピンとは違って政党が発達しているので、政治家と貧困層の間にNGOがとりもつということが少ない
2. フィリピンのような「左派」がいない
3. 王室プロジェクトがある
という少なくとも3つの理由から、都市貧困層とNational Politicsの関係や距離感はフィリピンとは大きく異なるので、何でもフィリピンと比較しようと考えずに新鮮な頭で調査に臨むことが必要、とのことです。おもしろい! 目から鱗でした。
「タイの場合はNGOがフィリピンほど政治的ではないので、NGOを通じてスラムに入るより、下院議員や都議会議員、あるいは区議会議員を通じて入ったほうが、都市貧困層の政治行動の分断の様子が見られるだろう」
とのアドバイスをいただきました。そして、先生方はその場ですぐにクロントイ区選出の政治家を調べてくださいました。
さらに、夜のカオサンを案内していただき、政治学部の先生方の内輪のパーティーにまで招いていただき、例の空港閉鎖の内幕について、今後の政局の見通しについて、1月11日に迫ったバンコク都知事選について、ASEANサミットについて…、たっぷりお話をきかせていただきました。
初回からこんなにスムーズでいいのかと思うくらい…私は本当に、「人」に恵まれていると思います。初めて会ったとは思えないほど、皆さん、親切にしてくださいます。タイ語がまったくできないことが、申し訳ないです。ここまでしていただいたら、どうしても、せめて日常会話くらいは理解できるようにならなくては…。

何を見ても珍しくて、聞く言葉がすべて興味深くて、なんでもノートに書きたくなって、なんでも写真におさめたくなります。こういう感覚はずいぶん久しぶりで、とても嬉しいです。
この週末は、バンコク市内のおもしろそうなところを、あちこち歩いてみるつもりです。変な先入観は捨てて、心を真っ白にして、ガンガン足で歩いて、どんどん人と話して、考えます。
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by saging | 2008-12-26 23:50 | その他
慣れと安心からの脱却
 先日は職場の忘年会がありました。ほんの1ヶ月前まで、私は上司に怒鳴られるどころか無視されたり、職場のいろいろな人から中傷を受けたり、本当にもう、とんでもないことになっていたのですが、いろいろなことが少しずつ改善されつつあって、私は忘年会でわざとすごくはしゃいで、アルコールでテンションを上げて、私を中傷した人たちにも近づいていっておしゃべりを楽しんで、ちょっとおかしいくらいに笑いました。八方美人全開。職場の人たちは、私のことを「救いがたい能天気」だと思っていることでしょう。

 今年は、クリスマス本番をマニラで過ごさないので、調査地やお世話になっている方々へのクリスマスのご挨拶はすでにこの数週間で済ませました。調査地でプレゼントを配り歩いたり、気になる男性たちとデートしたり、これで最後かもしれないフィリピンのクリスマスを楽しみました。仕事量も激減ですし、要するにみんなヒマなので、仕事のカウンターパートにプレゼントを持参して昼間から相手のオフィスでワインをいただいて、かわいい洗礼子(inaanak)のお宅に行って他愛ないおしゃべりをして、おもちゃとチョコレートのプレゼントと少しの金銭を渡して、大好きなプト・ボンボンを食べて…。
この幸せが、ずっとずっと続きますように。
 
 でも、それを中断すべく、明日から年明けまでバンコクです。しかも、一人で。現地に友人は何人もいますが、基本的に一人です。
 タイへは5年前に一度行ったきりで、しかも、前回はタイを専門とする大学院のゼミ仲間と一緒だったので、ちっとも主体的に行動しませんでしたから、ほとんど初めてのようなものです。言葉が通じないことが一番不安です。私は海外居住4年目のくせに「言葉が通じない不便」をほとんど感じたことがないので(たとえタガログ語が話せなかったときも、フィリピンは英語が通じますから)、言葉の通じない場所に行くことは、相当な冒険のように思えるのです。
 ここ数日は、毎日の通勤で見知らぬ他人とタガログ語で言葉を交わすとき、買い物をするとき、すべての瞬間において、
 「ああ、タイでは一事が万事、こんなふうにいかないんだろうなぁ。タイ語の発音は難しいから行き先すら伝えられないかもしれないし、買い物で価格がわからないかもしれないし、そもそもタイ語読めないし。それって、どのくらい恐怖なんだろう。」
と思ってしまいます。いえ、あの国は一言もタイ語ができない旅行者を多数accomodateしているのですから、そんなことを気にしなくてもいいと、頭ではわかっているのに。果ては、
 「ところで、もし病気になったらどうしたらいいのだろう」
 「もしトラブルに巻き込まれたら…」
 「パスポート携帯が義務らしいけれど、もしなくなったらどうしよう」
と、海外旅行初心者のような不安まで覚えます。これで海外で働いているとは、この仕事をしているとは、自分でも信じられません。
 いまさらながらに、あぁ妙な冒険心を出さなければよかった、やっぱり例年通りマニラのスラムのお祭り騒ぎを楽しんでいればよかった、あるいは、旅行するならわざわざ海外になんか行かず、フィリピン国内で、まだ見ぬパナイ島や、ルソン島北部や、ジェネラルサントスに足を伸ばしたり、ネグロスの知人宅にじっくり滞在したりすればよかったのに、フィリピンであれば、どこへ行っても勝手知ったる振りをしてタガログ語でまくし立てれば済むのに…と、ものすごくネガティブなことを考えてしまいます。
ここ数年、フィリピンのぬるま湯のような心地良さにどっぷり漬かってしまっていたのですが、ここから抜け出すのがこんなに大変とは。限定的な知人しかいない場所で、半年後からは「調査」をするのだと思うだけで恐ろしくなってきます。自分に与えられた最大の「幸運」のはずなのに、だんだん「試練」に見えてきます。地図を見ながら初めての場所に行って、大学で右往左往して、右も左もわからないままに見知らぬ人に突然アポを申し入れて…と、5年前にフィリピンでやったことをもう一度、イチから繰り返すのだ、と思うだけで、憂鬱、ではないにしろ、不安でなりません。
 自分はすべてにおいて幸せなはずなのに。とても幸せなはずなのに、逃げ出したくてたまらなかったフィリピンから、この日常から、やっと脱出できるというのに。そして、新しい世界を体験できるというのに。何なのでしょう、この不安は。きっと、私は基本的に変化が好きではないのです。政治とか運動とか研究だとか、偉そうなことを言う前に、自分自身が不安すぎます。
 
 でも、この旅行は、フィリピンでの4年間や現在の自分の立ち位置を客観的に見直せる絶好のチャンスに違いありません。友人との毎日のくだらない携帯メールからも、うるさいくらいのパーティのお誘いからも開放されて、一人になって、言葉も通じないところに立ってみれば、とうに忘れてしまった初心を、謙虚さを、そして感謝の気持ちを、取り戻せるかもしれません。フィリピンでは私はどう贔屓目に見てもかなり傲慢に過ごしていますから…。慣れと安心と傲慢は紙一重。だとしたら、不慣れも不安も、傲慢から脱するための道だと信じたいです。

 その前に。明日は何事もなく飛行機に搭乗できるのかどうか…一番の不安はそこです。
 今夜から瞑想します。
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by saging | 2008-12-23 21:06 | その他
ポジション
先々週のJess Santiagoのニューアルバム発売記念ライブでは、さまざまな新旧の友人たちとの邂逅を果たしました。特に驚いたのは、友人Boboyの義兄で労働運動指導者のA兄とばったり会ったことでした。Boboyは私のとても親しい友人で、研究上の先輩で、そして元ホストファミリーですが、ここ2年間、絶交状態にありました。

 この一件についてはずっと考えないことにしていて、blogにも書かないつもりだったのですが、最近いろいろなことがやっと「融解」しつつあること、先日知り合った日本の学部生の方々に、研修生・実習生制度に対する私の「ポジション」について尋ねられたことを受けて、敢えて書くことにします。例によって、思いっきり主観的に、だらだら書きますが、この文章を読んで、彼らが、
・誰も「ポジション」なんて占められるほど立派じゃない
・そもそも「ポジション」を明確にしたり「白黒つけたり」ようとしたりする人たちに囲まれているから私たちは苦しいんじゃないか
…ということを、少しでも感じてくれたらいいと思います。

 Boboyと私は2年半前の2006年4月、私の前の職場を通して、彼の弟、Junjunを技能研修生として日本に送り出しました。
 Boboyはもともと、かなり左傾化した「活動家」で、私が研修生受け入れ機関の通訳として働くことに対し、はじめはとても批判的でした。私は自分の仕事について、折に触れて彼に説明しました。

 私は大阪の下町で、研修生の労働分をピンハネして、外国人労働者「搾取」の片棒を担ぐような仕事をしてお給料をもらっている。人はそれを「汚いお金」と呼ぶかもしれないけれど、私はそのお金で大学院の学費を払って、フィリピンへの渡航費も捻出している。研修生制度によって、人手不足に悩む日本の中小企業は大助かり。そして、とにもかくにも日本に行きたくてたまらないフィリピン人にとっては研修生制度はとても魅力的なはず。いくら手当が安くたって、フィリピンで6ヵ月毎の契約労働を繰り返して食いつないでいるよりはずっとHappyでしょ。うちの会社も儲かるし、私も稼げるし、みんなwin-winじゃない。
 私の仕事は、単に通訳にとどまらない。無知で考えの足りない研修生が儲け話に騙されて不法就労や違法行為に手を染めないように「教育」し、研修生たちの愚痴をきいてガス抜きし、彼らが感情的になって失踪や訴訟といった突拍子もない手段に出ないように指導すること。


ほどなくしてBoboyは、
 「研修生制度は完全とはいえないがフィリピンにとっても必要な制度であり、君が日本とフィリピンの間に立って研修生ビジネスの穴を埋める仕事をすることは素晴らしい」
と言うようになりました。私は守秘義務に反しない限りで、研修生になるまでのプロセスの不透明さや研修生の日本での待遇、失踪防止のために研修生のパスポートを取り上げていたこと、彼らと一緒に教会に行ったりプライベートで食事をしたりして親近感を持たせることでシステムに不満を抱かせないような戦略を練っていたこと、規則に違反した研修生に「自主意志で帰国します」という書類にサインさせて強制的に関西国際空港に連れて行って「送還」したことなど、さまざまなことをBoboyに話し、アドバイスを仰ぎました。
 そしてBoboyは次第に研修生制度に関心を抱き、ついにある日、弟のJunjunを研修生として日本にやりたいと言い出したのです。当時Boboyはアメリカに留学中で、私はフィリピンで中期調査のため、Boboyの部屋にホームステイさせていただいていました。つまり、私はJunjunと同じ家に住んでいました。そして、調査の合間に「送り出し機関」をお手伝いしていました。こんな好条件があるでしょうか。私はすぐにコネでJunjunを「送り出し機関」に登録し(実際、コネがないと登録だけでも難しいのです)、健康診断を受けさせ、耳に障害があることがわかったので手術を受けさせ、そして、面接の機会を待ちました。
 「送り出し機関」の社長と、私の元職場の方々の一押しで、Junjunは最優先で面接の機会を与えられました。2005年12月、日本の受け入れ企業の社長さんたちがフィリピンに来られて面接が行われ、Junjunは無事に合格しました。
 入国前の日本語教育が始まりましたが、Junjunは異様に物覚えが悪く、毎回の試験でもことごとく赤点。まず、ひらがなが覚えられないのです。私が模造紙でひらがな表を作って家中に貼りまくっても、Wataruさんが日本で買ってきてくれた市販のひらがな表をリビングに貼っても、事態は改善しません。挙句の果てには受け入れ予定の企業から、
 「成績の悪い子はいらない、他を面接します」
と言われる始末。私は以前の職場の上司に頭を下げ、Boboyと私はなんども国際電話で話し合い、最悪の事態を予想していました。
 紆余曲折はありましたが、2006年の4月19日、Junjunは研修生として日本に入国できることになりました。
 …そこまでは良かったのですが、入国前からあまり日本語の出来の良くなかった彼は、やはり日本でも落ちこぼれ、「このままでは帰されるかもしれない」との話も持ち上がりました。
 「帰される」というのは、単に研修を打ち切られて帰国させられる、ということではなく、「自己都合により帰国」という書類に署名させられることを意味します。送り出し機関に支払った担保金は戻ってきませんし、受け入れ企業が被った損害(研修生一人の入国前研修やビザ取得のために会社が負担した費用)を弁償しなくてはならない事態にも発展します。私は何度となく国際電話でBoboyに、
 「ここで帰されなんかしたら、『行けなかった』よりさらに大変なことになるんだから、あなたからもなんとかJunjunに発破をかけて、日本語を勉強するように言って!」
と懇願し、実際、彼はそれをしてくれました。
 「どんなに仕事が辛くても、日本語が難しくても、文句を言う資格なんてJunjunにはないよ。ほかの研修生はちゃんとやってるんだから。これだけ僕たちが支援してやっているのに帰らされるなんて情けないって、僕から叱っておく。」
と言ってくれました。
 しかし、Boboyはアメリカでの大学院生活に忙しく、さらに、その合間を縫って結婚のためにマニラに戻ってきていて、いろいろ混乱していました。私たちの意見は次第にすれ違うようになりました。やがてBoboyは、
 「Junjunは会社でひどく叱られているらしい。能力は人それぞれなのに、頭ごなしに起こるなんてひどいんじゃないか。制度に問題があるんじゃないか?」
 「研修生制度なんて建前ばっかりだ。日本では外国人労働者なんて使い捨てなんだろう」
と、わかりきっていたことを言い出しました。
 「制度に問題があるなんて、初めっからわかりきっていたことじゃない! あなた、それに同意して弟を送り込んだんでしょ? いまさら活動家ぶるのはやめて!」
 結局、私たちの意思疎通はうまくいかないまま、彼は理想論、私は感情論に終始しました。マニラで数回、お互いに仲介人に来てもらって(仲介してくださっただけでなく、Boboyの活動家節にも負けないタガログ語で私の意思を伝達してくださったKさん、本当にありがとうございました)話し合いもしたのですが、どうにもなりませんでした。そして私たちは連絡を絶つことになりました。

 Junjunが日本で働き始めてちょうど1年が経った2007年4月17日の早朝、元職場の私の後任者から、
 「Junjunが、すぐにでも会社を辞めてフィリピンに帰りたいと言っているのですが!」
との連絡がありました。えーッッ! なにそれ!
 私はすぐにJunjunに国際電話をかけて問いただすと、何か会社で立て続けに叱られ、もう耐えられないとのこと。すでにBoboyにも連絡をしたそうです。私は「送り出し機関」の社長に相談し、社長が直接、Junjunに電話をかけてくれましたが、Junjunは、日本に行くことのできた恩を忘れたかのように会社への不満ばかり口にし、果ては、研修生制度への批判すら述べたそうです。このバカ! 社長はお怒りだし、彼を推薦した私はもはや立場がありません。社長にも元職場にもとりあえず平謝りです。
 「彼はちょっと熱くなっているだけですから。私が説得しますから、しばしお待ちください。」
と言って、説得にかかりました。Wataruさんにも協力してもらいました。どうやら、Junjunは会社で叱られた直後に教会で出会った在日フィリピン人女性に、
 「研修生ってかわいそう! 安賃金でこき使われているだけよね。嫌なことがあったら抗議したほうがいいわよ。フィリピンに帰ってから訴えればいいわよ。」
と言われ、その気になっちゃったらしいのです。ほんとにバカです。私が具体的に、いま自主帰国なんてしたらいくら罰金が課せられるのかを計算して説得してみたところ、彼は2日で
 「やっぱり続ける。」
と言いました。めでたし、めでたし。
 と思ったら、Boboy登場です。
 「Junjunは、日本で働き続けることにしたって言ってるよ。」
と私が言うと、
 「君の言うことなんて信じない。どうせ君が無理やりに説得したんだろう。帰ってくるのが彼のためなんだ。罰金を取られてもいい。訴えるぞ。搾取だ。」
 「あんた、誰のお蔭でJunjunは日本に行くことができたと思ってるの。フィリピン人って、もう少し『恩』を知っていると思っていたけど。それに、『搾取だ』ってわかっていながらあなたはこのシステムに乗ろうとしたんじゃないの。この1年間で、あなたの家族、ずいぶん潤ったんじゃないの? いまさら制度を批判したって、なんの説得力もないよ。だいたい、あなたが何を知ってるの? あそこで働いていた私のほうが内情を知ってるに決まってるじゃない。Junjunは某左派系の団体の在日フィリピン人の言うことを鵜呑みにしたのよ。その団体って、あなたの支持政党の敵のあそこよ。日本の事情も研修生制度も何ひとつ知らないくせに、批評家ぶらないでよ!」

 私たちは互いに言いたいことだけ言って電話を切り、それっきり、絶交状態でした。(…と、さらっと書いてみましたが、実はその後1週間くらい感情がおさまらず、私は友人たちに電話でBoboyの悪口を言いまくったり、Wataruさんに泣きながら国際電話をかけたり、すごい荒れっぷりでした。ご迷惑をおかけした皆さん、Sorry po...)

 他方、Junjunはその後、ご機嫌を取り戻し、無事に「実習生」に移行。2ヵ月後に私が一時帰国した際には我が家に遊びに来て、
 「ねぇ、怒ってる?」
とか言いながら、母の作ったカレーを食べて、我が家にあった缶詰や果物をいっぱい持って帰っていきました。バカです。
 Junjunはまだ、普通の愛すべきバカだから救いがありますが、一番タチが悪いのは、秀才のくせに見境がなく、情熱が空回りしている兄Boboyです。ほんとにバカです。デモでアメリカの国旗を燃やしながらコカコーラ飲んでるバカ活動家よりバカよ。(飲んでもいいけど、せめてデモが終わってから飲め!)

※※※※
 それから1年半。K兄の仲介で、私たちは2年以上ぶりに会うことになりました。K兄はBoboyの上をいく活動家なのですが、私もこの1年半でずいぶん怒りが冷めてきたし、Junjunの日本での仕事もあと4ヶ月だし。それに、4月には大学院に戻ろうとしている私にとって、先行研究者であるBoboyといつまでも絶縁状態でいることは、何の得にもなりません。だいたい、私が博士論文で取り上げる予定の調査地のひとつは、Boboyの元調査地なのです。私も相当に図々しいです。

 私たちはConspiracyで会いました。お互いの近況や博士論文の進捗状況について話した後、A兄がいきなり、
 「日比EPAに賛成か、反対か?」
 最近、こちらの活動家がおもしろがって投げる、典型的な「意味のない質問」。「ご飯食べたか?」と同じくらいの軽さです。本当に、何を考えているのだか。「わが国憲法に賛成か、反対か」って聞くのと同じくらい、意味のない質問ですよ。
 「具体的に、どの条項についてですか?」
と、こちらも典型的な返答をすると、A兄は
 「日比EPAは、日本がフィリピンに有害廃棄物を輸出するための条約だからな!」
と血気盛ん。Boboyも同調。えーっ、和解の振りして喧嘩売ってるの? っていうか、2年前の議論ですよ、それ。時代遅れもいいところです。私は、
 「A兄、日比EPAって、お読みになったことあります?」
と聞きました。日比EPAってものすごいボリュームですから、EPAに反対する活動家でも、実際に内容に目を通したことのある人って、ほんの少数しかいないのです。仮に「あるよ」って言われたら、「じゃ、どこでお読みになったのですか?」と聞き(正解:フィリピンのDepartment of Trade and Industryか日本の外務省のウェブサイトに全文掲載されています)、相手がたじろいだところで、そのまま、具体的でテクニカルな話に持っていけばいいのです。活動家たちは細かい議論などできませんから。
 A兄が言葉を継げずにいると、Boboyが
 「環境破壊を犯罪と捉えるGreen Criminologyという学問がある」
と、なんだかマニアックなことを言い始めて、この話題はおしまい。
 その後、Junjunの話題には一切触れず、共通の知人の近況だとか、おもしろかった社会派映画の話だとかをして、また研究の進捗状況を報告しあうことにして、私たちは和解しました。たぶん。

 そして、その数十分後、Boboyが私になんと言ったと思いますか?
 「saging, 日比EPAによる介護士受け入れはいつから始まるのか? うちの2番目の弟がもうすぐ介護士学校を卒業するから、どこか海外就労を斡旋する機関に登録させたいと思うんだけれど、日本行きを斡旋している機関はどこにあるの?」

…そうきたか! 私はもう、開いた口がふさがりませんでした。
 「Boboy, あなた、さっきまで日比EPA批判してなかったっけ。」
 「たとえばの話だよ。でも、Junjunも4月には帰ってくるし、家族の新しい収入源を探さないとな。」
 そんな、ケロッと言われても…。

 Boboyとの一連の論争は、私になんのポジションも持たせませんでしたが、私はひとえに、ものすごいリアリティを見ることができました。以下、私が学んだことです。

1. フィリピン人にとって、FamilyはIdeologyに先立つ。
2. フィリピン人は権力者に対する猜疑心がとても強い。だから、一見Ideologistの振りをしていても、その実態は猜疑心や不安を取り繕うポーズであることも多い。
3. いくら親しくても、フィリピン人に安易に仕事を紹介してはいけない。
4. もし仕事を紹介する場合は、一切のトラブルについて、関係ありませんよ、という立場を貫くドライさと、責任を取らない覚悟が必要。安易な感情移入は厳禁!
5. 他人に深入りして悩んではいけない。彼らも私も、結局、自分の利益を中心にしてしか動けない。

 こうして書いてしまえばどれも簡単で、「なーんだ、そんなの当然じゃない」と思われるかもしれませんが…、私にとってはとても大きな学びでした。
 これらは、この国で仕事をさせていただく上でも役立ちますし、今後もこの国で研究をさせていただくためにも、必要なことです。そして、無駄に感情にさざなみを立てて勝手に消耗する回数を減らすことができます。
 
 それに、BoboyとJunjunの一件は、私がいまの職場で問題を抱えた際にも応用できました。職場でいかに腹の立つ出来事があっても、JunjunとBoboyのバカっぷりを思い出すと、私はああなってはいけない、落ち着いて、まずは自分の利得を計算しよう、感情で判断してはいけない、軽率な行動をしてはいけない、周りの人にバカだって思われないように大人の振る舞いをしなければ、と、必ずブレーキがかかるのです。反面教師とはこのことです。私は彼らに感謝しなくてはなりません。
 
 負け惜しみにすぎないのかもしれませんが、私は、Junjunを支援したことも、Boboyと喧嘩したことも後悔していません。表面だけで仲の良い友人関係を装っているだけでは、本当のフィリピン社会の仕組みは見えないものですね。かなり痛い目に遭いましたが、フィリピン在住通算5年目にして、やっと、基本中の基本の一部がちょっと見えてきた感じです。そして、人生28年目にして、私はまだまだ、自分自身をどうコントロールするか、じたばた格闘中です。もっと、成長したいです。
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by saging | 2008-12-19 23:37 | 外国人技能研修生・実習生
クリスマス2008
 週末、「クリスマス・ショッピング」のため、家の近くのショッピング・モールに出かけました。すごい人出。入口の荷物チェックだけで、長蛇の列!
 調査地の写真の現像を待つ間、職場のフィリピン人スタッフへの贈り物を探すためにスーパーマーケットに行ったのですが、ものすごい人込みに圧倒されるばかり。結局、レッドリボン(ケーキ屋さん)の商品券にしました。
 その後、弟たちへのプレゼントを見繕うため、ロビンソン・デパートに行きました。ここのメンズフロアの一角にはウィットの効いたユニークなデザインのTシャツががたくさんあって、私は、しょっちゅう立ち寄っているのです。幸いなことにTシャツコーナーは空いていて、新デザインがたくさん入っていて、顔見知りの男性店員が飛んできて、あれこれ薦められ、私は思わず、弟以外の方々にまでプレゼントを買ってしまいました。あー、私もしっかりクリスマス商戦に乗せられています。
 ちょっと幸せな気持ちで2階のギフト・ラッピング・センターに行くと、長蛇の列。しかも、担当者は箱型のものを包む技術しか持ち合わせていません。お客が持ち込むのも、明らかに100ペソ以下と思われる安っぽいサンダルだとか、ハーシーのチョコレートだとか、私のように「Tシャツ1枚」だとか、そういった安っぽいものばかり。それを担当者は片っ端から、無理やりそれらしい箱に詰め込み、見栄え良く包んでくれます。あれは、包装技術なんかじゃなくて、単なるチカラワザです。
 あきらめて、包装紙を買って帰って、30個以上のプレゼントを家で包装しました。

 もう4度目となるフィリピンのクリスマス。8月末になるとラジオからクリスマスソングが流れ、9月になると各所でクリスマスの飾りつけが始まり、10月下旬にはハロウィーンのカボチャとサンタが仲良く同居し、11月になると早くも、ツリーやリースのディスカウント・セールが始まります。11月中旬に所用で大統領府に行ったら、すでにイルミネーションはギンギラ、待合室の音楽はすべてクリスマス・キャロル、と、すごい浮かれっぷりでした。12月はどこの職場もクリスマスパーティのことで頭がいっぱい…。そして、このお祭り騒ぎは1月中旬まで(人々の関心がバレンタイン・デーに移るまで)続きます。1年の3分の1、いえ、ともすれば2分の1はクリスマス。
 連日にわたるクリスマスパーティのお誘い、ギフトやカンパの依頼。私もこの時期は毎年、調査地でギフトを配り歩くのはもちろん、職場のスタッフ、コンドミニアムの従業員にまでギフト/キャッシュを渡します。すごい支出です。
 街は、クリスマスギフトの包みを抱えた人たちでいっぱいです。それも、ちょっとありえないくらいの大荷物。それを見るたびに、クリスマスプレゼントに椅子を買って電車に乗る、みたいな、日本ではあまりありそうにないシチュエーションを歌ったB’zの歌を思い出します。でもフィリピンではまさに、椅子並みの大きさの荷物をを抱えて幸せそうにジープに乗っている人がいっぱいなのです。
 いくらクリスチャンだからって、国を挙げての、ものすごいお祭り騒ぎ。みんな幸せそうだけれど、お金がなかったら辛いですよね。これでは、11月~12月にかけて爆発的に物乞いがが増えるのも、犯罪が増えるのも当然だと思います。

 でも、我が家の近くの路上生活者の方々曰く、クリスマスは、道行く人の財布の紐が緩くなるので物乞いの実入りもいいのだとか。余った食料やケーキも大量にもらえるのだそうです。私も職場のカウンターパートから連日のように届くホールケーキだのお米の袋だのドリンク類だのをとても処理しきれず、路上の方々に配ります。

 路上生活者の数そのものも、この時期になると劇的に増えます。特にロハス・ボリバードの緑地帯に、家族で暮らす人々が増えます。ミンダナオからはるばるやってきて、信号や渋滞で停まる車の乗客を相手に物乞いをするのです。一日にどれくらい収入があるのかわかりませんが、ミンダナオから出てくる交通費を考えると、決して採算がとれるとは思えません。でも、毎年この時期になると緑地帯にムスリムの一家が次々と現れます。不思議でしかたがありません。

 最近、我が家の周辺の路上で、ストリートチルドレンたちが、爆竹を燃やしまくっています。私は、銃声にそっくりなあの破裂音が本当に苦手です。至近距離でやられたら、しばし動けません。あの大量の爆竹を買うお金がどこにあるのかも不思議です。

 体力と財力がないと、この国のクリスマスは乗り切れません。あと、「お祭り騒ぎ力」と「胃袋力」。私は今月に入ってから、毎日、胃薬に頼りっぱなしです。どう考えても、みんな、食べすぎだから!!
 
 12月14日にして、もう、いいかげん疲れてきたのですが、これがあと10日も続くなんて! (実際は、1月1日まで続きます…。)

 私は静けさを求めて、クリスマスイブの晩からバンコクに「逃亡」する予定です。
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by saging | 2008-12-14 20:09 | フィリピン(全般)
月のスマイルマーク
 先回の投稿で、私が「ある行動を起こした」と書いたことについて、多くの方々からご心配のメールをいただいてしまいました。申し訳ございません。決して「とんでもないこと」をしたわけではありません。ただ、既存の制度を使って、「今の環境では仕事が非常にやりにくく、このままでは仕事がまともに回りません」ということを、既存の制度を利用して、穏やかに和やかにお伝しただけです。そんな派手なことをしたわけではありませんから、どうか、ご心配なさらないで下さい。

「行動を起こした」直後、別の上司に、
「何を言われても、右から左に流せばいいでしょう? もっと強くなることです。冷静になることです。終身雇用の私が悩むならわかるけれど、なぜ君がそこまで悩む必要があるのですか? 世の中、変な人のほうが多いでしょう? 君は真面目すぎるのです。海を見て星を見れば忘れますよ。」
と言われました。私はそのとき、
 「私が真面目なのではなくて、あなたたち終身雇用組が保身と事勿れ主義に終始していて、おかしいことをおかしいと考える感覚が麻痺していて、変な人たちを変だと指摘することもせず、その皺寄せをすべて非正規職員に押し付けているから、非正規職員が悩まなくてはならない事態に陥るのでしょう! 自分たちは安全な位置にいて、オトナの振りをして、非正規職員は人間的に未熟であるかのようなレトリックで非正規職員を見下して、精神が腐ってる! ずるすぎる!」
と、ものすごく憤慨しました。
 どんな大事件にも突発的な出来事にも動じず、目を瞑って冷静に対処する訓練ができているこの職場の方々を、私は、プロフェッショナルとして、心底尊敬しています。私はこの3年近く、ずっと、彼らのようになりたいと思ってきました。でも、それとこれとは別。あらゆることに目を瞑り、感情を閉ざすということは、「見て見ぬ振りをする」ことと同義ではないはず。都合の悪いことをすべて海と空に流して忘れてしまうことが「大人になること」ではないはず。

 その翌日の夕方、私は、西の空にスマイルマークを見ました。上弦の月と、金星と、木星とが、まるで、何かを暗示しているかのような位置関係で輝いていたのです。
 私はそれ以来ずっと、このスマイルマークを、職場のデスクトップの背景にしています。
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 そしてその日以降、上司がすこし優しくなりました。それまでの1ヶ月はもう、とても普通の人間関係とは思えない状態が続いていたのですが、12月に入ってから事態が激変、普通に会話ができるようになりました。偶然かもしれませんし、他になにか理由があるのかもしれませんが、このスマイルマークのお蔭だと信じてみたほうが幸せなので、そうしています。

 大学時代に好きだった人とは、ほとんど会うたびに、月と海の話をしていました。人間は月と海の見えるところに住むべきだ、と。ある日、私が
 「先日の皆既月食は御覧になりましたか。」
と尋ねると、彼は静かに、
 「昨夜散歩をしていると、とてもきれいな月が出ていました。月食なんかよりありふれているけれど、普段の月のほうが感謝すべき対象のように思われます。」
と答えました。(「ナンジャ、その浮世離れした会話は!」という突っ込みは、差し控えていただけますと幸甚です。)
 私は月齢の記載されたカレンダーを使い、毎晩、月を探していました。そして、頻繁に海を見に行っていました。学生の時間は無限大。そして、夜はもっと無限大。
 その後、私は海の見える大学に移り、マニラでは海の見える住居を選び、いまでは、毎朝、海を見ながら通勤しています。最高の贅沢です。
 それなのに私は、最近、月はおろか、海すら、感謝の対象として見ていませんでした。

 いまは(いまだけかもしれないけれど)、上司の言動にも、「海を見て星を見れば忘れますよ」という上司の言葉にも、それなりに意味があったのかもしれないと思います。海を見て空を見るだけですべてを忘れてしまえるほど私は器用ではないけれど、少なくとも、いま目の前にある事象に感謝することで、世界は違ったふうに立ち現れてくるのかもしれないと思います。

 来年は久しぶりに、月齢の書いてあるカレンダーか手帳を使おうと思っています。
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by saging | 2008-12-14 20:05 | フィリピン勤務('06~'09)
Jess Santiagoのニューアルバム・リリース記念ライブ!
12月6日(土)19:00-21:00, ケソン市の Conspiracy Caféにて、Jess Santiagoが15年ぶりにリリースするニューアルバム"Puso at Isip"の記念ライブが開催されます!
 収録曲はすべてタガログですが、次のアルバムは、彼が日本財団のフェローとして沖縄、チェンマイ、ジョグジャカルタのアクティビスタ・ソングを研究・翻訳したものになるそうです。乞う、ご期待!
 現在フィリピンにいらっしゃらない方でCDを入手ご希望の方は、当日までにお知らせ下さい。私が買い占めておきます!

 先週も彼のライブがありました。開始時間が午後10時とあってか、知り合いしか集まらないような、小さな小さなライブでしたが、久しぶりにお会いしたフィリピン大学の先生方とお酒を飲んで、幸せな気持ちになりました。しかし、別れ際に交わされた会話というのが、
 「タイ人は賢いよな。空港占拠だぜ。幹線道路なんか占拠するよりよっぽど影響力大だな。」
 「次回は俺らも空港でやろうぜ。EDSAワン、ツー、スリーじゃないぜ。NAIAワン、ツー、スリーだぜ。」
 「NAIAワン、ツー、スリーはもうあるからな。ややこしくなるぜ。」
 「わはは」
…わはは、じゃないでしょ。あなたがた、いい歳してまったくもう…。
 それにしても、タイ情勢の迷走っぷりも相当なものですね。与党解体、おまけにASEANサミット延期ですって。サミットを延期する国なんて、世界広しといえどもフィリピン以外にはまずないだろう、と思っていましたが…。ピープルパワーといい、ぶっとんだ最高裁といい、ほんとに、余計な競い合いをしなくていいですよ、って言いたくなります。フィリピンの政府高官はバンコク空港での出来事を「政治の未成熟」と批判し、駐フィリピン・タイ大使は反論声明を出したようです。この2つの国、似ているのか似ていないのか…。
  
 数週間前、私は職場で、ある行動を起こしました。それが波紋を呼ぶことは想定しつつ、ともすれば自分の進退に影響するかもしれない可能性も理解しつつ、それでも、その行動を起こしました。もう、耐えられなかったのです。私自身へではなく、私よりもっと弱い立場にあるフィリピン人スタッフたちに対する、この組織のやり方に。すごく考えて、戦略を練ってやったことだけれど、時が経つにつれて、未成熟で頭の悪い私の自己満足でしかなかったように思えてきます。
 そして、私がどんなに思い詰めても、当事者は案外あっけらかーんとしているのはいつものこと。前の職場で研修生通訳を担当していたときも、そうでした。フィリピン人って、その当初は泣き喚き、怒り散らし、大げさに神に祈って感情を発散させるけれど、数日でケロッと立ち直ってしまう。一方の私は、他人の問題をいつまでも引きずって、数週間はどんより。果ては、「そんなに心配してくれなくてもいいのよ」って当事者に慰められる始末。相手はフィリピン人に限りません。私は真面目すぎる、情熱が強すぎる、そして他人の問題に深入りしすぎる、と言われます。きっと私は未成熟で、理性が足りなくて、考えすぎなのでしょう。実際、今回も、いろいろな人から、いろいろなことを言われました。忠告も、中傷も、捨て台詞も、罵声も。いつ契約を切られても、あるいはもっとひどいことが起こっても、ちっとも不思議ではないから、あと4ヶ月、ここにいられるのかどうかわからないけれど、少なくともここでお給料をいただいているかぎりは、それに見合ったしかるべき成果を出して、何が起こったとしても、かける迷惑を最小限にとどめられるように、努力します。
 私は年末にはバンコクに渡航することになっています。4月には大学院に戻ります。ありがたいことに、奨学金審査の内定もいただき、来年7月からは半年間バンコク、そして2010年にはマニラに戻ってくることが決まっています。ここらで余計なエネルギーを消耗している場合じゃなくて、もっと有効なアタマとココロの使い方を考えなくては。これでは、1年半も先の大統領選のために今から極端なエネルギーを使うフィリピン人を笑えません。
 
 最近頭から離れないのは、先日の毎日新聞のこのコラム。目先の選挙に沸き、浮かれている間にうっかり見落としてしまいがちな、重要な指摘を投げかけていると思います。

考えなくてはならないことはたくさんありますが、とりあえず、いろいろなことをset asideして、ゆっくり話をしたい、いい音楽をきいて楽しみたい、楽しくお酒を飲みたい人は、今週の土曜日に、Conspiracyに集合です! Kitakits!
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by saging | 2008-12-04 21:08 | フィリピン(全般)
ミュージカル "Cory"
 先週末、ミュージカル"Cory"を観てきました。今年初めに直腸癌に罹患していることが報じられたコリー・アキノ元大統領のために、マルコス政権時代からニノイとコリーの友人であったピメンテル現上院議員の妻で音楽家のピメンテル女史(70歳)が音楽を担当したという話題作。ビリャール前上院議員も制作に貢献したそうですが、2週間前にビリャールは上院議長の座を追われ、よりによってマルコス政権下で国防長官を務めたエンリレが議長に就任、ビリャールは少数派に。ピメンテルは上院少数派院内総務に留任、コリーの長男のノイノイ議員も少数派に…といった最近の政治劇を見ていると、すべてがいわくつきに見えてきます。
 協賛はサンミゲル・コーポレーション。場所は、ド派手な装飾のメラルコ・ミュージアム。(いくら最大手の配電会社メラルコだからって、いくらクリスマスだからって、毎年毎年、イルミネーション使いすぎ!)
 そんなわけで、肝心のミュージカルよりも、その裏にあるリアルな政治や、メラルコ株をめぐるロペス財閥とコファンコ財閥の取引のほうに関心がある私は、友人に頼んでさっそくチケットを押さえてもらいました。
 …ミュージカルとしては、とても良かったです。演出もおもしろいし、コリー役もニノイ役も、そしてマルコス役もイメルダ役も、歌がとっても上手。歌詞も台詞も、下手に凝ったところのない平易でゆっくりとしたタガログ語なので、私にもすべて聞き取れました。見どころは、マルコス+イメルダVSニノイ+コリーの「闘いのドゥエット」と、ものすごくかわいいクリス・アキノ。
 でも、でも、でも! この作品、なんと、1986年のコリーの大統領就任で終わっているのです。えーっ!!です。彼女の大統領時代の業績と苦悩も描いてくれているものとばかり思っていたのですが、ぜんぜん、さっぱり。
 前半はコリーとニノイとの出会い、結婚、ニノイの政治家人生の幕開けと投獄…と、ほとんどニノイのストーリー。後半は、ニノイの出国、ボストンでの幸せな日々、そしてニノイの帰国と死、コリーの大統領選出馬決意、エドサ革命、そしてコリーの大統領就任。そして…THE END! エンディングのバックミュージックは、"Cory na Tayo"…(1986年のキャンペーン・ソングだそうです)
 ちょっと待って! コリーの人生を描いてくれるんじゃなかったの!? コリーの人生って、1986年でおしまい!? "Para sa Bayan(国のために)"なんて台詞を繰り返しながら、それってどういうことよ!?祈るコリー、よき妻コリー、家庭を守る母なるコリー。そんなイメージを焼きなおしているだけ!? 清水展先生の『文化のなかの政治:フィリピン"二月革命"の物語』から、まるで進展がありません!23年も経っていまさら"Cory na Tayo"もなにもないでしょうに。
 帰りぎわ、満員の観客の顔ぶれをよくよく観察してみたのですが、ほとんどは招待客と思われる人たち。しかも、Senior Citizensの多いこと! ピメンテルおじいちゃんとピメンテルおばあちゃんが作った「コリーの思い出話」を懐かしんでいるだけでは?
 病床にあるコリーに鞭打てとは言わないけれど、せめて、大統領に就任してからのコリー、大志と現実の間で苦しむコリーも描くべきだと思うのですが。でなければ、ニノイとコリーの愛したこの国は、ずーっと前進できないのでは?

 なんだか、フィリピン政治の縮図を見ているようでした。立法府である大統領府はあんなだし、立法府である下院は完全に大統領府の言うがままだし、司法府の最高裁は自己顕示欲のカタマリで超KYだし、…ということで、おのずと国民の期待は上院に向かうわけですが、なんだかんだといっても上院だって、所詮、エンリレ新上院議長を始めとする「おじいちゃん」たちにガッチリ握られているにすぎません。2007年中間選挙の直前に、ある60代の野党政治活動家からお話を伺っていたとき、エスクデロ(39歳)、カエタノ(38歳)、といった新進気鋭の野党連合の上院議員候補たちのことを彼が、"those kids"と一蹴したことを、私は鮮明に覚えています。ニノイが上院議員に当選したのは彼が34歳のとき。そのニノイに、皆は夢を託したんじゃなかったの?? なのに"those kids"って・・・。これでは、変革なんて望むべくもないですよ。ほんとに。

 前回の投稿では、活動家たちが時代錯誤だ、みたいなことを書きましたが、活動家だけじゃなくて、国全体が甚だしい時代錯誤ですよ。この国は、1986年で止まっているのじゃないでしょうか!?

 ミュージカル”Cory”の記事はこちらでご覧いただけます。次回公演は1月です。
 The Philippine Star
 Inquirer.net

【本日のトリビア】
1. どんな役者でも、黒ぶちメガネをかけるとそれなりにニノイに見えます。
2. どんな役者でも、黄色のスーツを着るとそれなりにコリーに見えます。
3. どんな役者でも、肩のとんがったドレスを着るとそれなりにイメルダに見えます。
4. どんな役者でも、巻き舌で話すとそれなりにマルコスに見えます。
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by saging | 2008-12-04 20:51 | フィリピン(全般)