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Keso de Bola とは、 「表面は赤いのに中は黄色い」フィリピンのボール型チーズ。転じて日和見主義者。       かつてお世話になった、現地の言葉で「灯台」と呼ばれるマニラ湾岸のスラムを、ガラス越しに。
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ボ○カイ旅行の後日談
 最高のバカンスはあっという間に終わってしまいまして、驚くほどあっさりと、日常に戻りました。
 この週末もミンダナオ情勢は激変。もはや戦闘状態と言っていいでしょうし、他の案件も山積み。さっそく書類を抱えて走り回り、上司に怒鳴られ、電話を受けまくり、かけまくり、他の課の方々の顔色をうかがい、八方美人のエセ笑顔を振りまく私の日常。でもこれが私にとっての時間で、私はここで生きることを選択しているのだから、また、バシャウマのようにがんばろうっと。

 本日も、ボ○カイの話を続けます。が、ホワイトビーチだの海の美しさだのマリンスポーツだの、充実した各国レストランの魅力だのをここで語るのは、もちろん、やめておきます。

 ボ○カイへの移動には、マニラからカティクランに向けて小型機を飛ばしているSEAIRを利用しました。馴染みの旅行代理店から、往復4000ペソという格安プロモを紹介してもらったので即買い。しかしこのSEAIR、実はとんでもない会社だったのです。
 出発前日、携帯に電話があり、
「あなたの乗る予定だった11時の便はキャンセルになったので、朝7時の便に振り替えます」
 そんな一方的な。しかもフライトカレンダーには7時の便なんてなかったはず。そう言うと、「臨時便です」との返事。既存の便をキャンセルしておきながら臨時便を飛ばす理由がさっぱりわかりませんが、乗るためには従うしかありません。
 その2時間後、また電話。
「あなたの帰りの便は16時でしたが、14時に振り替えます」

 ボ○カイ通の(じゃなかった、ボ○カイ研究者の)Azumaさんにそれを伝えると、
「事前に変更がわかっただけかなり幸運」
とのこと。まあそうかも、と思って、出発当日の朝6時に空港に着くと、チェックイン・カウンターでいきなり、
「7時の便はキャンセルになりました。」
 空港の外にあるSEAIRのオフィスに行って振り替えの手続きをしろとのこと。言われるままにそこに行くと、さんざん待たされた挙句、
「11時の便に振り替えます」
と、当たり前のように言われました。えーっ、5時間後!? いったい、どうせよと言うのですか?
「もっと早い便は?」
「満員です」
 この時点で絶望的な気分で再び空港内へ。そして、入口での荷物のX線検査中になぜか軽く意識を失い、メディカル・ルーム(そんなのあるんですね、初めて知りました)に運ばれ、医師(国内線専用空港なのに、医師がいるんですねぇ)からいろんな簡易検査と血圧チェックとアルコール・チェック(こんなのあるんですね! 泥酔者は乗せない、ということでしょうか)を受け、「搭乗して問題ありません」というMedical Certificate(そんなのまであるんですね!)をもらって解放していただきました。
 再びチェックイン・カウンターに向かうと、
「10時の便が空いていますからそちらに振り替えましょうか?」
と言われました。あれ、満員だったはずでは? 早ければ早いに越したことはないので、それでお願いしました。意味不明。ほんとに意味不明です、SEAIR!

 そして、SEAIR以上に意味不明だったのが、その空港のメディカル・ルーム。私はアルコール・チェックをクリアしたのですが、実はその前夜(というかその当日)、午前さまで家に帰り着いた私は、我が家にお泊まり中のOさんと午前1時を過ぎてからビールを飲み始め、
「そろそろ眠ろうか、でも、これで眠ったら絶対に5時には起きられない」
「私は飛行機が怖いので、アルコールでハイになっておいたほうが良い」
と勝手な理由をつけて、結局、朝5時まで飲み続け、そのまま空港に向かったたのです。たぶん、一人で2リットルは飲みましたよ。それなのに陰性反応って。私の内臓がおかしいのか、あちらの検査機材がおかしいのか。いえ、もちろん、後者だと信じます。検査方法は、なにやら試験紙のようなものがたくさんついたビニル袋に向かって空気を吐く、というものでした。日本の警察が飲酒運転チェックにどのような機材を使っているのかを私は知りませんが、あれで陰性ってことはないでしょう。

 SEAIRのいい加減さにもびっくりだし、国内空港内にメディカル・ルームがあって医師がいることにもびっくりだし、あのアルコール・チェックにもびっくり。もう、ボ○カイ到着前におなかいっぱい。すごく社会勉強させていただいた気分です。何年住んでも、不思議の国フィリピン。
(「それよりも何よりもあなたの酒量にびっくりだ」というコメントは、できれば差し控えていただけますと幸いです。)

 SEAIRのアバウトさは身にしみてわかったので、私は帰りの便を、前日に2回も電話でリコンファームし、さらに当日の朝はわざわざボ○カイのSEAIRの営業所を自分で訪れて、私の乗る予定の便がキャンセルされていないかを確認しました。
 しかし、いざ、余裕をもってフライトの1時間半前にカティクラン空港に着いてみると…。Ay Naku!(←嘆きを表すタガログ語)
 フライトは予定時間から1時間半も遅れることが判明。
 でも、「遅れ」で済んで良かった、キャンセルじゃなくて。…と思うくらい、感覚が麻痺してきました。
 
 3時間以上も時間が余ってしまったので、とりあえず荷物のチェックインだけ済ませて、空港を出て、カティクランの町をぶらぶらすることにしました。
とりあえず、空港前のお土産露店のおじちゃんから干しエビ(いつもAzumaさんがお土産に買ってきてくれる、私の大好物。最高のおつまみです!)を買おうとすると、もう売り切れとか。代わりにPiyaya(ネグロスのお菓子)を買い、10分くらい立ち話をしたところ、近くにパレンケ(市場)があり、干しエビはそこから仕入れているとのこと。パレンケ! これは見ておかなくてはなるまい。パレンケを訪れるのは、その土地を知る上での超基本ですから!
「遠いから、徒歩では無理」
との助言を聞かずに歩き始めると、案の定、8分くらいでパレンケに着きました。
 あきれるくらいさびれきったパレンケ。魚の干物屋に、軒下にちゃちなビンゴゲームセット(写真)の垂れ下がる金物店。あの夢の国ボ○カイからボートで10分の土地が、ここまでフツーの田舎だとは!
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Azumaさんが強調されていた、「ボ○カイのホワイトビーチ沿いの道とメインロード(と呼ばれる内側の道)の生活感ギャップ」も相当なものでしたが、ボ○カイとカティクランのギャップも相当なものだと思います。あまりの強烈さに、思わず写真を撮りまくってしまいました(あとで見たら、ボ○カイの写真よりずっと多かった)。b0031348_11555626.jpg
 干しエビも見つけてたっぷり購入し、店の女性と、エビと干し魚の仕入れや仕込みの方法について立ち話。お陰で我が家にはいま、そのおいしい干しエビが大量にありますから、近いうちに我が家に来られる方は、ぜひ楽しみにしていてください。

 そこから町をずーっと歩いて、カティクランの田舎っぷりを満喫していると、いきなり強烈パンチ。カティクラン港のすぐ近くの電柱に貼ってあった、マニラ首都圏開発庁(MMDA)のBayani Fernando長官のポスター。マニラでは見慣れたポスターですが、ここ、カティクランですよ? What’s your business here, Sir?
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 ポスター上部には、”KAAYUSAN Pagbabago sa Kapaligiran, Pagbabago sa Kaisipan”と、MMDAの(というか彼の)お決まりの標語が掲げられているのですが、下のほうには、”Sa Tamang Pamamahala, BAYANI, Ang May Political Will”との新しい標語! すでに、2010年大統領選に向けて鋭意選挙活動中のご様子です。

 その近くには、真っ黒なパッケージのノンシュガー・コカコーラ"zero"の瓶が売られていました。zeroはマニラでも最近すごく流行っているのですが、田舎でも流行ってるんですね~。でも、あんな炎天下に置いたら、品質変わりそう。b0031348_126303.jpg
 こういうのが町歩きの醍醐味、私もまだフィールドワーカーを名乗っていいよね?と自己満足しつつ、その後は空港の近くのカンティーンに入ってドリンクを注文して、パソコンの電源を借りながら奨学金の申請書類を書いて、たまに店員の女性とおしゃべりをして、時間を潰しました。そう、普通の空港って、マニラでも田舎でも、空港内、あるいは空港周りには、やたら価格の高いコーヒーショップくらいしかないのですが、カティクラン空港の周りは普通のカンティーンやサリサリ・ストアが軒を連ね、フライト待ちのフィリピン人たちが、”Ay Naku!”とか言いながらおしゃべりに興じ、テレビでWowoweeを観ていました(外国人は空港内のコーヒーショップにいましたが)。あのカンティーン、飛行機が遅れることによってかなりの収益を得ているに違いありません。

 SEAIRは結局、予定時間よりさらに30分遅れてカティクランを出発。すごい小型プロペラ機。乗る前に手荷物ごと体重計に乗せられたりして、かなりドキドキものです。さらに途中、雷雨の中をかなり揺れながら飛び、周りの乗客も相当おびえて無口になっていました(フィリピン人がキャーキャー怖がるのは、実は全然怖くないときです。本当に怖いときは無口になります、これがメルクマール)。やおら、
「お前ら、携帯電話ちゃんとOFFにしてるか? 携帯の電波が飛行機を狂わせるんだぞ」
と怒った口調で言い出す若者もいて、張りつめた空気。着陸の瞬間は、乗客全員で拍手と”Thank you!”の嵐でした。すると、操縦士(客席の目の前)が操縦席から首を出して、平気な顔で、
「天候が悪くてしばらくマニラの上空を巡回してたんですよ。もし天候が戻らなかったらスービックに上陸させられるところだった」
これに対して乗客たち、
「えーっ!!」
「どうりで、1時間のフライトのはずが1時間半かかったわけだ!」
「俺ら、超怖かったんだぜ!」
「そんな事情なら、何か放送してくれなきゃ! ひたすら揺れて飛び続けるなんて!」
と、うってかわってブーイング。操縦士は涼しい顔で、
「あ、この飛行機、Pager(放送機材)ないんですよね。では。」

 でも、私はあまり怖くありませんでした。私が恐れているのは、周りが平気なところで自分だけが勝手に恐怖を感じて変に思われるかも知れない、皆が平気な中で自分だけ気が狂うかもしれない、自分が知らない場所でなにか理解できないことが起こるかも知れない、それによって迷惑をかけるかもしれない、という状況であって、明らかに皆が怖いときは、私は怖くならないのだということがわかりました。それに、小型プロペラ機って、客席から操縦士の姿も見えるし、翼やプロペラもちゃんと見えますから、大型ジェットよりずっと安心なのです。目に見えないものって、怖いですからね。

 そんなわけで、なかなか強烈な旅行でありました。あ、ボ○カイでの時間はさらに強烈で濃くてぶっ飛んでいたのですが、それはここには書きません。それは、観た映画のあらすじを書くようなものに過ぎないのだと思います。
 ボ○カイを調査地に選び、あんな中でフィールドワークをしているAzumaさんは、
「ここでは毎日がこんなふうで、ダイブショップにはぶっ飛んだ人たちがたくさん来て、いろんなことが起こるけれど、それって、毎日違う映画を観ているみたい。ロハス(彼の調査地)では毎日ナマで現実にいろんなことが起こるから、フィールドワークの感覚が全然違う。」
っておっしゃっていました。きっとそうなのでしょうね。私も同じような感覚をもっています。
 ともかく、あそこでフィールドワークを続けるって実にすごいと思いますよ。Azumaさん、今回はほんとうにお世話になりました。

 そして皆さま、もしボ○カイに行かれる際は、ぜひ、SEAIRのいい加減っぷりと、カティクラン空港周辺の田舎っぷりもご堪能下さい。他人の日常を非日常に経験すること、思わぬ事態に直面すること、それこそが旅行の醍醐味ですから。あ、これはフィールドワークも同様ですね。
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by saging | 2008-08-26 23:40 | フィリピン(全般)
ボ○カイでの時間
フィリピンにはお盆休みはないものの、8月は祝日が多くて、16-18日、23-25日と、なんと、2週続いて三連休。
 本当に三連休の多い国です…って、現大統領の方針で、「休日はすべて月曜にくる」ようになっているのですから当たり前ですが…。
 そのお蔭で、本当の記念日が何日だったのか記憶が曖昧になってしまいます。たとえば8月21日(木)のニノイ・アキノ・デー。故ニノイ・アキノ上院議員が暗殺された日です。毎年この日には追悼ミサが実施され、アキノ家の方々、自由党関係者、故アキノ議員と親交の深かった人々、そして彼を悼む多くの市民がミサに出席します。私も、仕事が休みであればぜひとも出席したかったのですが、休日が月曜に振り替えられたせいで、職場のTVでLIVE中継を見るしかありませんでした。今年初めに癌宣告を受けたコリー・アキノ元大統領(ニノイの妻)が壇上でスピーチをしていましたが、抗癌剤治療のせいか、驚くほど小さくなっていて、痛ましいかぎりです。

 私がマニラに戻った7月末から、ミンダナオ情勢が劇的に変化しています。初めはよい変化だったのですが、8月初旬以降は突然の暗転。仕事は山のように降ってくるし、ニュースからは目が離せないし、それにともなって理不尽な案件は増えまくるし、上司は怒鳴りまくるし、ほんとうに毎日が不安定で、とても緊張していて、いつ何が起こるかわからないので、夜も遅いし、うまく休めません。
 しかし、体力だけがとりえの私のこと、仕事一筋でぐったり、というわけではないのです。今週は特に、毎日毎晩、ハイテンションで走りまわっていました。来年度以降の奨学金の応募書類の締め切りが月末に迫っているし、そろそろ投稿論文も書かないといけないし、さらにこのシーズン、尊敬するフィリピン研究の先生や先輩や友人が次へとフィリピンにいらっしゃるものですから、皆さまにどうしても会いたくて、相手の迷惑も顧みずに夜遅くに出かけていっては、あまりに楽しくて、毎晩ついつい夜更かししてしまいます。


でも。
……。
……。

 なんだかんだと超・引き伸ばしましたが、実はいま、思いっきりバカンスj旅行中なのです。場所はタイトルのとおり。初ボ○カイです。堂々と自慢するのもちょっと気が引けるほど、すっごいリゾート地です、ここ。間違いなくバカンスです。私の4年以上のフィリピン生活の中で3本の指に入るであろう、超スペシャルな旅行です。最高です。

 平日の昼間は秒刻みで動いている分、ここでは3日間、かなりだらだらしました。ダイブショップに集まる方々とおしゃべりしたり、潜ったり、泳きまくったり、歩きまくったり、そして飲みまくったり。一分の遅れを気にする私の職場とこの場所が、同じ空の下にある世界とは思えません。マニラで乗るはずだったSEAIRのフライトが3回にわたって先方の都合で変更になったことだけで、私は気が狂いそうなったのですが、ここに来てみたら、そんなことも当たり前に感じられるほどのんびりしてしまって、平気で無為な時間を楽しんでおります。

 私をこの地に導いてくれた方々、お世話になった方々、ほんとうにありがとうございます。

 そして、私が勝手にハイになってオープンになりすぎてしまったことで迷惑をおかけした方々に、ごめんなさい。人の邪魔をせずに生きていくことも、人に迷惑をかけずに生きていくこともできないのだから、せめて、ましな邪魔の仕方、あるいはましな迷惑のかけかたを考えなきゃ、って、そういつも思っているのですが、今回はいろいろ、私は間違ったことをしました。本当にごめんなさい。リゾートのせいにはしません。少しは懲りたつもりです。

 私がのんびりした非日常の時間を過ごすことができたということは、私に対して大切な日常の時間を割いてくれた人たちがいるってこと。とても傲慢で心遣いが足りなくて甘えてばかりの私に付き合ってくださった皆さま、本当にありがとうございました。

 お世話になった方々と、私が迷惑をかけつづけている人たちへのせめてものお礼とせめてもの償いができるとしたら、それは、私がまた明日から、私の日常で、時間を削りながら、仕事も研究もがんばって、そして、もっと心を強くして、心を敏感にして、他からはどんなに批判されようと、私の生きる世界のそのゲームの中で生きていくこと。そして、他人に対してもっと配慮ができるように、社交辞令の八方美人でも一足飛びに相手の懐に土足で入ろうとするような甘えでもなく、他人と楽しい時間をつくりだすことができるように、毎日、努力すること。
 たぶん、それしかないのだと思います。
 会話が自分ひとりのものではないように、時間もまた、自分ひとりのものではないのだから。同様に、言葉も自分だけのものではないし、もちろん、勝手な感慨とか表象とか、あるいはお酒だって、自分だけのものではないのですね。
 そんなことにいまさらやっと気づかせてくれた今回のボ○カイ旅行に、本当に感謝しています。
 マニラのスラムでの気づきと、ここでの気づきには、明らかに差があります。

 ほんとうにありがとうございました。そして、ほんとうにごめんなさい。
 明日から、いえ、今日この瞬間から、私はもっとがんばるから。
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by saging | 2008-08-25 20:29 | フィリピン(全般)
ヨガ@マニラ
 最近このBlogでは、私がマニラで危険な目にあった話や、マニアックなスラムの話や、私の暗~い研究活動のことなど、マニラのイメージを落としかねないことばかり書いてきたのですが、マニラって実は、普通の日本の女性にとっても楽しいところなんですよ!
 ということで今日は、「ヨーグルト」に引き続き、「明るく健全なマニラ生活」シリーズの第二段をお届けします。

 フィリピンで人気のスポーツは、3Bこと、バスケットボール、バドミントン、ビリヤード。ビリヤードがスポーツかどうかはさておき、フィリピン人って、ゲーム性のあるものは大好きですが、一人でするスポーツ、なかでも持久力の必要とされることは好まないようです。その典型が水泳。島国だというのに、フィリピン人って、驚くほど泳げません。マラソンも流行らないし、たぶんブートキャンプなんてとんでもない。だから、ヨガもあまり流行らないものだと思っていました。
 しかし、最近はプチ健康ブームなのか、マニラ首都圏にも次々とヨガ・スタジオができています。あるいは欧米のヨガ・ブームが飛び火したのかもしれません。フィリピン人なら、英語インストラクターや英語版のヨガDVDからダイレクトに学べますものね。(もっとも、ヨガの本場はインドですが。)

 私は昨年から、突然にいろいろなことが怖くなり、動悸が異様に早くなったり、うまく呼吸すらできなったりすることが(あくまでも主観的なものですが)頻繁にあり、もしかしてヨガをやれば改善されるかも、と、漠然と思っていました。なかなか決断がつかなかったのですが、昨年11月のある日、調査地である川沿いのスラムを歩いているときに呼吸が苦しくなり、帰りの渡し舟の中で意識を失いかけたとき、藁をも掴む思いで、かねてから複数の知人に薦められていたマカティのホットヨガ・スタジオの戸を叩くことにしました。そのときはすべてが怖くて、ジープにもタクシーにも乗れず、人ごみの中を通ることもできず、マニラ市サン○・アナの船着場からマカティ中心部まで、人気のない道路を選んで、3時間徒歩で向かいました(ヨガ以前に、すでにヘトヘト)。
 やっとスタジオに到着し、体験パッケージに申し込みをして、レッスンを受けてみると…これが、良かったのです!! 私は決して体が柔らかいほうではないので、ほとんどのポーズはうまくできなかったのですが、呼吸に意識を集中させるだけで体が楽になり、終わったあとの爽快感はかなりのものでした。その晩は、昼間の不調などすっかり忘れて仕事のアポに臨み、普通にジープに乗って帰宅することができました。
 その劇的な効果に魅せられて、しばらく、私はその教室に通い続けることにしました。
 毎日、朝昼夜と複数のレッスン時間帯が設けられており、私はもっぱら、土日に通っていました。ホットヨガの特徴は、スタジオがものすごく暑いことと、インストラクターが90分間休むことなくアメリカンな英語で喋り続け、生徒らを叱咤激励することです。最初の呼吸トレーニング(5~10分)だけで汗びっしょり。以後、ポーズに挑むたびに汗が滴り落ちます。着ているものはもちろん、ヨガマットの上に敷くバスタオルまでが絞れるくらいの発汗量。水分補給のために持ち込むペットボトル入りのミネラルウォーターも、1リットルで足りないくらいです。運動量としてはたいしたことはないのでしょうが、なにしろ暑く、各ポーズがそれぞれにハードなので、ものすごく疲れます。でも、決して尾を引くような疲労感ではなく、終わったあとは、体が軽くなり、清々しい気持ちに。 軽く300人以上はいるかと思われる登録生徒(1回の教室の出席者は20人前後)の多くは外国人、特に西洋人。モダンなビルの一室で、英語ネイティブのインストラクターが生徒らに英語で指示を飛ばしまくる風景は「フィリピン」とは思えません。インストラクターと生徒との関係はきわめてドライ。インストラクターも生徒も、お互いのプライバシーには一切触れません。生徒同士の関係もドライです。更衣室でおしゃべりをしているのは、ほんの一部のフィリピン人同士だけ。それ以外の人たちは、しょっちゅう更衣室で顔を合わせながらも、微笑んで挨拶をするだけ。それ以上の会話はありません。きわめて欧米的です。

 私はその後数ヶ月間そこに通いましたが、職場からも家からも遠いこと、90分の講習中は携帯電話使用禁止という規則があることがネックとなって、辞めることにしました。私の仕事は不規則で予測不可能で、いつ緊急の電話がかかってくるかわからないので、携帯電話を手放すのは非常に不安なのです。それに、講習生のほとんどが周辺ビレッジ周辺居住か自家用車でドライバーの送迎付、という中で、エルミタからヨガマットを持ってFX(乗り合いタクシー)と乗り合いバスで教室に通う自分の行動に矛盾を感じたということもあります。

 時を同じくして、たまたま新聞で、職場からも我が家からも10分の場所に夜間のヨガ教室があるという情報を目にしました。さっそく電話で問い合わせてみると、いかにもバクラ(男性の同性愛者)っぽい声質の男性が、
「私がインストラクターでぇす。見学、体験、いつでもどうぞぉ!」
と、ものすごく親切に対応してくれて、スタジオの場所を丁寧に説明してくれました。
 しかし、行ってみて仰天。そのスタジオは、マビニの歓楽街の、まさしく「牢獄のような」としか形容できない、古い古い「蛇腹の鉄格子」付きのエレベーター付きのすごい建物の4階にありました。スタジオっていうか、気分は道場? 私はとっさにアーニス(フィリピンの伝統武術)の練習場を連想しました。
 そしてインストラクターは、電話の声どおり、ものすごく体のしなやかな、一見してバクラに違いないフィリピン人ダンサー。昼間はコンテンポラリー・ダンスを指導し、夜はヨガを教えているそうです。
 生徒数は常時2-7名、登録生徒は合計でも20人くらい。非常に小規模です。
 ポーズは古典的。ホットヨガのような激しさはありません。インストラクターは、穏やかに指示を出し、ポーズよりも何よりもまず、ヨガの基本である「腹式呼吸」に集中するように、との指示を行いながら、生徒たちの姿勢を正していきます。各ポーズにかける時間が長く、ゆっくりと時間が流れます。多くは柔軟体操の延長ですが、1つのポーズにかける時間が長いので、私のようにもともと呼吸が浅くてうまく息のできない者にとってはかなり苦しいのですが、逆に、呼吸さえきちんとしていれば、決して苦しくはなりません。開け放した窓から自然の風が入る部屋にお香を焚き、ヒーリング系の音楽を聴きながらの2時間は、それはそれは素晴らしいものです。
 前半約30分は立ちポーズ、その後の約30分は座りポーズ。その後の30分はかなりアクロバティックで、小学校の組体操以来の「肩倒立(ショルダースタンド)」とか、中学校のマット運動以来の「壁倒立(アームスタンド)」とか、挙句の果てには、「頭と腕の力だけで立つ(ヘッドスタンド)」といった、とんでもないポーズも出てきます。私は肩倒立はできますが、壁倒立はできません。蹴り上げるのが怖いんです。ましてやヘッドスタンドなんて、もう、とんでもない!
 でも、30-40代のほかの生徒さんは、平気でヘッドスタンドをしています。
「できるようになるまで2年かかった。君も練習を重ねればできるようになるよ」
って言われますが、信じられません。あんなの、人間ワザじゃない。
 最後の10-20分は仰向けのいわゆる「屍のポーズ」のままひたすら腹式呼吸に意識を集中させ、最後に輪になって座禅を組み、その日の練習への感謝を述べ合って終わりです。

 ここのレッスン料は、フィリピンのごく普通のダンススタジオ並み(とはいえ、マカティのホットヨガよりはずいぶん安い)です。生徒の多くは、Phil-Am(フィリピン系アメリカ人)または西洋人。基本的には、指導も、生徒同士の会話も、すべて英語です。しかし、上記のホットヨガ教室とは対照的に、このインストラクターは、初めて教室を訪れる生徒に対し、年齢、婚姻の有無、勤務先、居住地などを根ほり葉ほり質問し、それを他の生徒たちに平気で伝えます。普通の外国人なら「プライバシー侵害だ!」と怒るか辟易するところでしょうが、みんな平気。つまり、ここのヨガ教室に通っている人たちは、たとえ外国人でありながら、そういった「フィリピン的なもの」を受け入れる準備のできている人たちなのです。
 外国人生徒は皆、私と同様にマニラで仕事を持ち、勤務後のお稽古としてヨガに通っています。この教室では、携帯電話の持込は禁じられていません。誰だって、勤務時間外に顧客や上司からの電話を受ける可能性はあるからです。もちろん皆、レッスン中はマナーモードにしていますが、合間合間に受診履歴をチェックし、必要な場合は別室に行って電話をかけています。中には、そのまま退出してしまう生徒もいますが、それは容認されています。
 フィリピン人生徒は、昼間からこのダンススタジオに通っているダンサー、もしくはインストラクターの知り合いの演劇関係者、つまり役者さんたち。ですから皆、恐ろしく体がしなやかです。動きも綺麗で、見ていて本当に美しいです。
 このような身体表現を職業としているダンサーから、私のような超初心者まで、生徒のレベルは実にまちまちなのですが、インストラクターは、その日に集まった生徒の力量や経験や状態を見ながら指示を出していきます。一日たりとも同じプログラムはありません。初心者の多い日は、ベーシックのポーズをじっくり。上級者の多い日は、難しいポーズにチャレンジ。そんなふうですから、終わる時間もまちまちです。1時間半で終わることもあれば、3時間近くかかることもあります。
 インストラクターはとても敏感に生徒の状態を把握してくれます。生徒の好不調をはっきりと察することができるようです。私も、自分自身が気づかないような浮き沈みを指摘されて驚くことがあります。まるで呪医?

 こうして、ヨガを始めて半年以上。私はその驚くべき効果を実感しています。
 第一に、体が目に見えて柔らかくなりました。初めはまったく手の届かなかった部分に手が届くようになったり、サーカス芸人でもないと絶対にできないだろうと思っていたポーズが曲がりなりにもできるようになったり。前進できるって、とても嬉しいことです。
 第二に、肩凝りが劇的に改善されました。以前は、仕事が忙しくなると首と肩が絞めつけられ、キーボードやマウスの操作すら苦痛に感じることが頻繁にあったのですが、ヨガ教室で習ったポーズを朝と夜に実践している今では、まったくそんなことはありません。
 第三に、自分の身体の調子を実感できるようになりました。ある日突然、これまでできなかったポーズが楽にできてしまったり、これまでできていたことができない日があったり。
 第四に、ヨガの腹式呼吸を習うことで、日常的に何かがあって呼吸が早くなったり浅くなったりしても、なんとか落ち着く方法を身につけました。私にとっては、これが一番大きなメリットだったと思っています。
 第五に、友人が増えました。毎回、レッスンの前後はクラスメイトとおしゃべりを楽しみます。外国人の生徒の間では、マニラにある各国料理のレストラン情報、フィリピン国内旅行の情報を交換しあいます。インストラクターやフィリピン人の役者さんからは、ダンスや演劇の公演といった舞台芸能情報、文化情報を教えてもらいます。本当に楽しいひとときです。

 ヨガ、本当にお勧めです。日本にもどんどんヨガスタジオはできているようですが、マニラではさらに安く楽しめますよ。レッスンが英語なので、フィリピン人以外の友人が自然に増えることもメリットのひとつです。もし、ここに書いたマニラのスタジオに関心のある方がいらっしゃったら、ご紹介しますので、個別にご連絡くださいね!

※※※
 最後に、フィリピン・マニア向けの情報をひとつ。知る人ぞ知る、というか日本でも結構有名な、元PR○M代表で農○改革長官も務めたMさんのお話。彼は一時期、内臓に疾患を抱えておられたようですが、ヨガによって劇的に健康を取り戻されたのだとか。そしてなんと、先述の、超上級者のアクロバット・ポーズ「ヘッドスタンド」ができるんだそうです!この間、 本人が多くの人の前で自慢しておられるのを聞いて、びっくり。 彼、確か来月で65歳ですよ!

<追記>
 後日、Mさん本人とお話しする機会があったときに「本当にヘッドスタンドができるのですか?」と確認したところ、「もちろん! 30年前からできる」とのこと。彼がヨガを始めたのは、実はマルコス時代に彼が山で地下活動を行なっていたときだそうです。多くのゲリラは山の中で住民の支持を得るために鍼や薬草の知識を身につけていくのですが、彼はさらに自らヨガを学ぶことで、住民にに健康法としてヨガを伝授すると共に、アクロバティックなポーズやヘッドスタンドで人々の心を掴んでいたそうです!
 さすが…。言葉がありません。
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by saging | 2008-08-13 23:10 | フィリピン(全般)
教えるということ
 ここ数日は、フィリピン研究者先輩のAzumaさんがマニラに来られています。それ自体はよくあることなのですが、今回は、彼の2人の学生さんもご一緒。1人は宗教について卒論を書こうとしている学生さんで、マニラの知人の家に泊まり、さまざまな宗教行事を参与観察する予定とか。もう1人は戦争の記憶と現在の日比関係をテーマに論文を書く予定で、我が家に近いエルミタの安宿に泊まっていることもあり、先週も、私の終業後、Azumaさんと一緒にお食事したり、お酒を飲んだり、楽しく過ごしています。

 昨日は、Azumaさんと後者の学生さんと3人で、コレヒドール島に行ってきました。私も実は、マニラ生活4年目にして、まだコレヒドールに行ったことがなかったのです。サンクルーズ社による日帰りパッケージツアー(8時マニラ発、16時マニラ着。往復フェリーと昼食つき1999ペソ、詳しくはこちら)に直接申し込みをしました。日本語ガイドを希望する人が5人以上集まれば日本語ガイドさんがつくのですが、前日の段階で日本人の申し込みは私たちだけときかされていたので、英語ガイド付きのバスで回ることになるだろうと予測していました。しかし、私たちのほかに2組の日本人家族が参加されていたので、日本語ガイドさんによるバスも運行されることに。ガイドさんの日本語はかなりビミョーで重要単語が聞き取れないことが多く、最初はかなり不安になりましたが、少人数だったため、わからないところは英語で説明してもらうこともできました。
 日本人だけでなく、西洋人(英語ガイド)とフィリピン人(英語ガイド)もバスを分けられているようでした。ガイドのアナウンス内容が違うのは当然でしょうが、どうやら、案内される場所も違うようでした。たとえば、太平洋戦争博物館や大砲の残骸などのスポットではしょっちゅう他のバスと鉢合わせしたのに、日本人兵士が集団自決した場所には、日本人はかなり長時間いたにもかかわらず、他の誰にも会いませんでした。
 このツアーのスポットとされている主な場所(太平洋戦争博物館やマリンタ・トンネル)は、コレヒドール財団という財団が保存・運営しているようです。太平洋戦争博物館は、中も外も、レイアウトに非常に政治的なものを感じました。「米比関係」を強く打ち出しているところが。もちろん、ここでは日本は両者の敵で、悪者でしかない、それは当然なのですが、それにしても、です。マリンタ・トンネルの「光と音のショー」(30分)も、史実ではなくその演出ぶりに目が行ってしまいました。いずれにしても、あの戦争がどのように捉えられ、どのように説明されているのかということを知るにはとても良かったです。もし次に機会があったら、英語ガイドのバスにも乗って、その違いを感じてみたいと思います(実際、Azuma先生は学生さんに、そうすることを強く勧めていました)。それから、コレヒドール財団なる団体についても調べてみたいです。

 夕方は、Azumaさんとは別れて、その学生さんと、宗教に関心のあるもう一人の学生さんと、私の3人で、カトリック系の新興宗教「エル・シャダイ」の集会を見に行きました。毎週土曜日の晩にパラニャーケで行われている定例ミサです。だだっ広い野外広場に巨大ステージが設けられ、数万人と思われる信者さんが集まる風景はそれだけで圧巻ですが、昨夜は、教祖の生誕記念日が近いということもあり、集会はオールナイトでした。ミサの後には、信徒らのシェアリング(苦しむ信徒が一人ずつステージに上がり、どんな苦境の中でエルシャダイにであり、どのように救われたかを告白し、今後も信仰を続けることを誓う)もあり、多くが貧困層と思われる彼らの涙ながらの生々しい語りには、私も圧倒されました。
 学生さんは役員さんの許可を得て写真も撮らせていただき、信者さんたちにインタビューを行っていました。ステージで告白を行った、たまたま帰省しているという九州在住の在日フィリピン人の信者さんに、日本語でお話を聞くこともできました。
 エルシャダイはカトリック系のカリスマ運動なので(って簡単に言ってしまったら専門家の方に叱られますが)、ミサの手順はカトリックと基本的には同じです。しかし、賛美歌の歌い方や、服装、親じゃ同士のつながり、そして教祖の存在感に独自の特徴があります。ただ、その学生さんはご自身がキリスト教徒ではないため、「普通のカトリックのミサ」がどのようなものか知らなかったようで、そのあたりを十分理解できなかったようなのが少し残念ではあります。キアポ教会やバクララン教会のミサで「普通のカトリック」の雰囲気を体感してから、できれば英語ミサに出席してミサの儀式が何を意味しているのかをひととおり理解してからエル・シャダイに行けば、もっとよくわかるだろうなーと思います。
 とはいえ、来週は教祖生誕記念で、年に1度のイベントとして、ルネタ公園で最大規模の集会がオールナイトで行われるそうで、彼はそこにも行ってみるそうです。滅多にない機会ですから、ほんとうに良かったです。

 ミサ会場を出て、向かいにあるエアフォースワン(私は入ったことがありませんが、だいたいどんなところかは学生さんに説明しましたよ)の隣のDAMPA(市場で魚介類を買ってお店に持ち込んで料理してもらうタイプのレストラン)に行っておいしいシーフードを食べながら、学生さんたちに、マニラの印象、関心事項、昨年Azuma先生が引率されたという沖縄調査実習の様子などをお伺いしました。私のほうからは、マニラでの私の危ない体験(ナイフ強盗、ジープから落ちる、カバンを切られる、ジープ内強盗など)や、最近また流行っている(?)「美人局(つつもたせ)」の話や、私がスラムでどんなことに気をつけて調査をしているかなどをお話しました。別に脅かそうと思ったわけではないけれど、マニラで危険な目にはあってほしくないので。
 学生さんたちはとても積極的でやる気に溢れていて、楽しい夜を過ごしました。それまで私は、「学生と過ごすのは楽しいんだよ」と繰り返すAzumaさんに対して、いや、四六時中学生と一緒にいるなんて恐ろしく疲れるでしょう、と同情すらしていましたが、Azumaさんは本当にそれを楽しんでおられるのかも知れないな、と思いました。

 私は相手に何かを「教える」ということを非常に恐れています。学生時代のサークル活動で後輩に教えていたときも、大学~大学院時代に塾講師のアルバイトをしていたときも、前の職場で通訳としてフィリピン人研修生に日本の会社でのしきたりを「教えてこんで」いたときも、私は教える相手に肩入れして、教えている自分に自己陶酔して、相手が自分の期待に応えなかった時にものすごく失望するのです。失望するのみならず、心の中で相手を激しく責めるのです。ウラギリモノ、って。
 マニラ生活が少しは長くなってきた私が、フィリピン研究の先生方や先輩たちや知人、友人の紹介で、こちらに来られる学生さんに何かアドバイスをしたり、研究上の相談に乗るときも同様です。私はそういうとき、熱く、すごく張り切って(傍からはそうは見えないと思いますが)相手にいろいろ詰め込みすぎようとするので、相手がそれに応えないと勝手に落胆したり、「不義理だ」と思ってしまったりします。自分の言葉が相手に伝わらないのは当たり前なのに。他人をコントロールすることなんてできないのに。
 だから、私は、自分に対して何かを「教えて」くれる人たち―大学の先生、上司、先輩たち、フィリピン研究の先輩たち、私がフィリピンに留学するときに留学や生活の手引きをしてくださった人たち―を本当に尊敬します。自分には絶対、できないから。皆さま、よくもこれだけ忍耐強く、私にお付き合いくださるものです。この場を借りて、お礼申し上げます。

 これは別に告白ではありませんが、私のさらなる問題は、相手と深い関係になると、後輩であれ生徒であれ、その相手をコントロールしようと思ってしまうことなのです。私は、相手との関係を固定化しようとする傾向にあります。相手との距離の置き方を冷静に考えることができなくなり、「私がいないとこの人はだめなんだ」という関係性に置こうとするのです。これって完全に、いわゆる共依存。前の職場で常時フィリピン人研修生を相手にしていたときは、何人かの「落ちこぼれ研修生」「ダメ研修生」とそういう関係になりかかっていたし、親友「武坊威」の家族ともそうなりました。
 (いまは自分自身、その傾向を少しは自覚しているから、まだ「まし」なのかもしれませんが…。共依存って男女関係、特に夫婦関係で顕著になるものですから、恋愛でも気をつけないといけないと思っています。「ダメ男」に入れあげないように! あと、「国際協力」や「援助」の文脈でも「共依存」というのは常に注意しなくてはならない問題です。)

※※※
 だから私は、他人にものを教える仕事には向かないと思うし、絶対に教員にはならないほうがいいと思うのです。世の中の教員ってほんとうにすごい。
 私はここ何年かずっと「教えること」を避けてきました。でも、今回はAzumaさんのお蔭で、学生さんと自然に出会い、「教える-教えられる」とか「ガイドする-ガイドされる」の関係ではなく、ましてや「お世話する-お世話される」の関係でもなく、純粋に、ほんとうに楽しい数日間を過ごすことができました。私はここで彼らを「学生さん」って呼んでいますが、彼らと一緒に時を過ごしているときの気持ちは、「おもしろい人だなぁ、話してて楽しいなぁ」でした。
 求められているのは、こういう自然体なのでしょうね。

 Azumaさんも学生さんたちも、Happy Trip! よい調査旅行を!
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by saging | 2008-08-10 19:41 | フィリピン(全般)
世代間ギャップという言い訳
 私の父親は住職(お坊さん)で、大学で教鞭をとっています。
 先日、私が帰省していたとき、仕事から帰ってきた父親が開口一番、
「最近の学生はすごいね。発表に対してちょっと質問したら、『そうくるッスか』って言うんだよ。」
 ひぇー。そうくるッスか!
 しかし、これを聞いていた母、
「あら、こないだなんて、ウチに突然電話してきて、名乗りもしないで『あのー、今日、2時から予約してるんッスけど』って言ってきた子がいたわよ。何回か聞きなおして、やっと、その日の面談をキャンセルしてほしいって用件だってわかったけど。しかも、あとでお父さんにきいたら、その子、院生だって。」

 …という話を、先週我が家にお泊りだったK田先生にしたら、K田先生曰く、
「俺なんか、学生に『先生、それ、うざいっすよ』って言われたことあるよ。」
とのこと。ひぇー。そうくるッスか!

 K田先生は夏期休暇中に毎年、学生さんをフィリピンに連れて来られます。授業の一環でもなく、単位にもならない自主参加の研修旅行。K田先生は毎回、航空券や国内交通の手配から、宿の予約、訪問先のアレンジまですべてご自分でされている様子。
「もっと院生を使えばいいのではないですか?」
と私が申し上げると、
「だめだよ。そんな、研究活動と関係のないことに院生を使っちゃダメなんだ。」
「でも、その院生も参加するんでしょう?」
「だから、院生には自分でチケットを取るように言ったよ。」
「そんなの、当たり前じゃないですか~! そうじゃなくて、学生全員分のチケットや宿の手配まで、もっと院生にやらせればいいのでは? その院生もフィリピンをフィールドにしてるんでしょう? 彼女にとってもいい勉強になりますよ。」
「そういうことに院生を使うと、アカハラとかパワハラとか言われるからね。」
「え~っ!?」
「昔みたいな師弟関係じゃないんだ。大学はサービス産業だからね。」

 確かに私の指導教授も、あまり院生にものを言いつけない方です。私が大学院でTAをしていたときでさえ、研究室で助手さんを雇っておられたからというのもあるのかもしれませんが、私に言いつけられるコピーや雑用は最低限でした。
「これもしましょうか」
と私が言うと、
「いいよ、君は自分の勉強をしていなさい。」
とおっしゃるので、TAの給与をいただいている身としては本当に恐縮したものです。

 フィリピンには頻繁に調査にいらっしゃる指導教授。私が休学してフィリピンで働き始めてからは、それこそ、宿の手配、航空券の手配、書籍の購入など、どんどん言いつけてくださって結構なのに、先生はやっぱり、ほとんどのことはご自身でなさっています。
 確かに学費を払っているのは私ですが…なんだか腑に落ちません(国立なので休学中は学費を払っているわけでもないし)。

「昔は、大学の師弟関係はもっと濃密で、弟子は師匠の家で指導を受けて、就職を世話してもらって、結婚まで世話してもらって、だから一生頭が上がらなかったものだろうけど、いまは違うからね。仮に就職なんて世話してやっても、すぐに辞められちゃうかもしれないからね。」
とは、K田先生のお言葉。

 そうだ…。思い返せば、私も3年前、いまの職に就くための採用試験を受けたときは、さんざん指導教授のお世話になったものでした。「コネ」なんてものを使ったわけではないけれど、この業界の体質、このポストに求められているもの、応募書類の書き方…まで、ずいぶん指導していただきました。そのお蔭で私はいま、期間限定とはいえこんなに恵まれた仕事に就くことができているのです。
 それなのに、ここ1年ほど、私はその頃のことなどすっかり忘れて、恩人である指導教授に対してさえ、上司や職場環境への不満を漏らし続ける毎日…。ものすごく、負い目を感じます。この職場の負の面を知り、それを自分の中でプラスに消化していくことができるなら良いのでしょうが、そうではない場合、先生にどうお詫びをすればよいのか。
「もし私のキャパシティがついていかなかったら、このまま、任期満了を待たずに辞めさせられるかも知れない」
と思った(←これは私の妄想でしかないのですが)とき、私の頭にまず浮かんだのは、指導教授にどう謝罪すればよいのか、ということでした。もちろん、上司には申し訳ない、同僚にも申し訳ない。でも誰よりも、私がこの職に就くことで成長すると信じて送り出してくださり、毎月のようにフィリピンを訪れるたびに個人面談をしてくださる指導教授に、私はあわせる顔がありません、もし、私が辞任したら、あるいは解雇になったら。
 私はここ1年くらい、もうだめかもしれない、もう思い切って仕事を2年で辞めさせてもらって日本に帰ったほうがいいかもしれない、と思うことが何度もありました。それを引き止めたのは、私自身のプライドもありますが、何よりも、お世話になった方々への恩(タガログ語ではUtang na Loob)、特に指導教授への恩でした。
 だから、上司にどんなに怒鳴られても、どんなに理不尽な(と私が思う)ことを言いつけられても、私は絶対に、職場放棄なんてしません。あと半年、契約が終わるまでは。

 同時にK田先生は、
「でもさ、人間はいくつになっても、『最近の若いモンは』って言うんだよ。俺たちが今の学生に呆れるのと同じように、俺たちの先生だって俺たちの『不作法』に呆れてたはずだよ。それって、大学に限らないんじゃない。」
とおっしゃいました。
「そうですね。私の職場でも、上司たち、T大卒の20代の若手エリートたちをけなしまくりますからね。礼儀がなってない、常識がない、飲みの誘いに乗らない、ゴルフに付き合わない、って。あの若手エリートたち、私から見たらものすごく努力してると思うんですよ。同年代の中では、文字通りスーパーマンですよ。あんな優秀な人たちが『非常識』とか『無礼』とか言われるなら、私たち『彼ら以下の若者』はどうなんだ、って思いますね。」
私はそう答えました。そう、私が父やK田先生の学生の言動に
「なんて非常識な!」
「礼儀がなってない!」
と呆れ、憤るのと同様、私の上司も日々、私たち若者の行動を苦々しく思っているはず。
 世代のギャップってそんなものなのでしょう。
 でも、何でも世代間ギャップで済ましてよいはずがありません。もしギャップが乗り越えようのないものであっても、少しでも相手を不快にさせない努力、相手に合わせようとする努力は必要だし、少なくとも、相手が何に苛立っているのかを把握することは必要だと思います。そのためには、上司に嫌味を言われることも、時には怒鳴られることも、
「陰口ではなく面と向かって言ってもらえるだけありがたい」
「相手の苛立つポイントを理解する機会を与えてもらえているだけありがたい」
と思うように、少しずつ発想を転換していくことが大切なのだと思います。

※※※
 その意味で先日、友人に貸してもらった漫画『働きマン』は、なかなか、含蓄にあふれる作品でした。2巻までしか読んでいないのですが。
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by saging | 2008-08-10 19:28 | フィリピン研究
Noli at Fili Dekada 2000
今週(特に昨日と今日)、この職場で働き始めてから一番といって良いほど、超・理不尽でdemoralizingな出来事がありました。もう仕事放り出してドア蹴って帰っちゃおうかな、明日出勤せずに日本に帰っちゃおうかな、とか穏やかでないことを思って(そんなこと、しょっちゅう思っているわけじゃないですよ、これが初めてです)、給湯室で泣いて(「給湯室で泣く」というのは慣用句だと思われているかも知れませんが、私は本当にやります、人がいないから)、でもそのあとは、なんとか気分を変えようといつもどおり、穏やかに、笑顔で各課を回って、相手を立てて、こんなときだからこそとにかく腰を低く、腰を低く、お礼とお詫びを繰り返して、冗談を言ったり頭を下げて、そうしているうちに気が紛れてきました。
 面倒な仕事の後始末を終えて、けっこう夜遅くなってしまったけれど、マニラ滞在中のAzumaさんとディナーをしておいしいお酒を飲みながら鬱憤を晴らそう!と意気込んで職場を出たところで、上司からとどめをさすようにdemoralizingで理不尽すぎる電話がかかってきて、さらに怒りが上塗りされ、これはもうダメだ、Azumaさんに全部ぶちまけよう、とか思いながら歩いて、Azumaさんに出会ったところで、Azumaさんと一緒に、もっと大変な案件に直面。そこから数時間かかってずっとそればかりに集中していて、気が付いたら、最初の怒りなんて消えていました。
 
 今日はひどい思いはしたけれど、この職場に限らず組織ってそんなものだし、仕事ってそんなものだし、社会って、世界って、そして人生ってこんなものだから、今回はいい機会だった。自分をトレーニングする意味でも、早目に勉強できてよかったな、とか思っていました。
 笑顔で済むなら安いもの。謝って済むならそれで安いもの。

 そこから、もう愚痴なんて言わないで、現在に感謝し、Azumaさんと明るい未来について語りながら4時までお酒を飲んで、すがすがしい朝を迎えました。
 そして晴れやかに出勤したら、もっとひどいことが起こっていました。私のやりきれなさはまた再燃。もう、ここまで悪いことばかりよく続くなというくらいアンラッキーというか理不尽というか。
 それでもやっぱり笑顔と、たとえ表面だけでも謝罪と感謝で済むならいいや、と思って、なんとか乗り切りました。よかった、耐えられて。

 その後、PETA(Philippine Educational Theater Association)の最新演劇"Noli at Fili Dekada 2000 (Dos Mil)" を観に行っちゃいました!
http://peta1.wordpress.com/2008/07/02/noli-at-fili-dekada-2000-dos-mil/
 フィリピン独立の英雄、ホセ・リサールが書いた小説「ノリ・メ・タンヘレ」と「エル・フィリブステリスモ」を現代に置き換えた翻案劇。すっごく政治的で、でもユーモア満載。歌あり踊りあり。重くて苦しい作品ではありますが、でも、とっても面白かったです。大満足です。
 この演劇、今後も8月24日までの金土日の10時と15時にPETAシアターにて公演されています。300ペソ。全部タガログ。アクティビスタ用語全開。最高の活動家節をきいて、皮肉たっぷりの社会風刺を見て、久しぶりにすっきりしました。
 あ、決して活動家礼讃、政権反対!というプロパガンダ演劇でもないし、活動家のジレンマだけを暗く描いた作品でもないのですよ。「ノリ・メ・タンヘレ」と「エル・フィリブステリスモ」の空気感がそこここに漂う、よい作品だと思います。原作に非常に忠実に翻案してあって、あの名シーンや、モラルを犯す聖職者、イバラ、シモン、クララ、バシリオ…と、懐かしい名前が次々と登場。「ノリ」「フィリ」好きにはたまりません。一つ言えば、舞台が田舎なせいか、どうしても70年代っぽい感じがしてしまったのが残念。もう少し現代っぽくしても良かったと思うのですが。
 この時期にマニラにいらっしゃって、都合のつきそうな方は、ぜひご覧になってみて下さい。
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by saging | 2008-08-08 23:22 | フィリピン(全般)
家族の肖像
 我が家では、両親の誕生日、母の日、父の日に加え、両親の結婚記念日にまで、子供から親に贈り物をしています。私たち兄弟が小学生だった頃に始めて以来、いまでも生きている習慣です。
 例年、ワインや日本酒、ケーキ、花、神戸の洋菓子、母にはバッグや小物などを贈っているのですが、私はここ数年日本を離れているので、カード決済のできるネット通販を利用して、お菓子や珍味などを送ることにしていました。
 しかし今年は趣向を変えて「肖像画」を贈ることにしました。ちょっと裕福なフィリピン人の家に行くと必ずと言って良いほど飾られている、家族の肖像画。ずっと憧れていたのです(←贈り物、とかいっておいて、実は自分が欲しかった)。
 注文の仕方も値段の相場もわからないので、とりあえず、以前から気になっていた、我が家から徒歩10分のショッピングモール内にある「似顔絵ショップ」を訪れてみたところ、親切な絵描きのおじちゃんがシステムを説明してくれました、
・写真はどんなものでも良い。たとえば3人分のID写真と2人のスナップ写真を持ち込んで、構図を指定していしてもらえれば、そのとおりに描く。
・料金は、紙の大きさ、人物の数、カラーか白黒(チャコール)か、によって異なる(料金表があって明朗会計)。
・できあがり日数は、大きさにもよるが1枚2~3日程度。
 なんと、すごいじゃないですか~!
 実際に描いている途中の絵を見せていただいたのですが、小さなID写真だけを参考に、実にうまく描かれるものです。
 私は思い切って、両親の白黒画と、家族5人のカラー画をお願いすることにし、さっそく、家族の写真(3Rサイズ)を複数枚持ち込みました。絵描きのおじちゃんは写真を比べながら、
「じゃ、お父さんの顔の角度で。でも笑顔はこっちのほうがいいな。」
「お母さんはこの写真写りが最高だね。」
と、写真を細部まで検証。私もついつい、
「父の頭部は、写真より少しだけ髪の量を増やしておいてくださいね!」
「弟たちは背が高いんですから、マッチョに描いてくださいよ。」
などと、注文をつけてしまいました。
 依頼してから完成までには4-5日かかるのですが、経過が気になってしかたがない私は、ほとんど毎晩のように作業を見に行きました。そして、毎回大感激。だって、本当に、ものすごくうまいのです!!
「すごーい! 上手い! そっくり!」
野次馬が集まるほどの私の大騒ぎっぷりに、絵描きのおじちゃんも、
「おや、人が増えてきたね。もっと騒いでくれていいよ、お姉ちゃん。」
と、まんざらでもなさそう。
「あっ、母の服装はワンピース、父はおしゃれなシャツにしておいてくださいね。」 
「バロンはどう?」
「バロン…いいかも! でもちょっと待って! 弟たちはどう考えてもバロンなんて似合わないから。・・・うーん。じゃ、全員ポロシャツにしといてください。」
「ポロシャツ? ラ○ステとか?」
「ブランドのロゴは入れないで、無地のポロシャツでお願いします。うちの家族はグリーンヒルズでラ○ステとかナ○キとかのポロシャツの偽物をたっぷり見たから、ブランドロゴが入ってると、おかしく感じちゃうんです!」
騒ぎながらふと横を見ると、商魂たくましいおばちゃんが、
「この子はマニラで働く日本人で、日本にいる家族のために画をオーダーしてるんですよ。日本でも通じる画の才能。OFW(出稼ぎ労働者)を家族にもつ皆さんも、どうですか、この機会に!」
と、私を使って営業活動。気が付けば十数人がうちの家族写真に見入っていて、とても恥ずかしくなりました。

 そして、出来上がった作品は写真の通りです!
 web上なので顔をお見せできないのがとても残念ですが、すごい再現ぶりです。
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 少しくらい表面がこすれても大丈夫なように、表面にコーティングスプレーもしてくれていますから、丸めて持ち運びもOKです。私はワイン用の筒型ケースに入れて、マニラから京都まで手荷物で持ち帰りましたが、まったく傷みませんでした。(フィリピンでは額もとても廉価なので、いっそ額を買って入れてしまおうかとも思ったのですが、額は重いし、チェックインにして壊れてしまうのが怖いのでやめました。)
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 こうした「似顔絵ショップ」は、ほとんどどこのショッピングモールにも入っていますし、一戸建てで店を構えているところもありますし、キアポなどの露天に出ていることもあります。露天商のほうが安いのかもしれませんが、ショッピングモールのほうが安全で確実だと思います。料金表もあるし、領収書も出してくれるし、決して「ぼったくり」ではありませんから安心です。
 なお、こうした「似顔絵ショップ」では、単なる肖像画だけではなく、風刺画っぽいイラスト(本人の特徴をよく捉えた大きな顔+小さな手足と胴体)も依頼できます。次回はぜひ、それもお願いしてみたいものだと思っています。

 フィリピンにゆえんのある皆さま。家族や大切な人への贈り物に、いかがですか?
 絵描きさんに肖像画を書いてもらうなんて、たぶん、とんでもない贅沢ですが、ここフィリピンではとってもリーズナブル。ぜひ一度、プロの筆で描いてもらってみてください!
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by saging | 2008-08-03 19:59 | フィリピン(全般)