Keso de Bola とは、 「表面は赤いのに中は黄色い」フィリピンのボール型チーズ。転じて日和見主義者。       かつてお世話になった、現地の言葉で「灯台」と呼ばれるマニラ湾岸のスラムを、ガラス越しに。
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怖い話
 資格審査論文は、先日無事に国際宅配便で日本に送りました。友人の皆さま、ご協力を本当にありがとうございました。
 たかが資格審査論文でこんな大騒ぎ。本当の博士論文を書くには、まだまだ相当の鍛錬が必要だと思います。

 先日、バッグを切られました。
 アドバイザーから指導を受けるため、終業後、Taft Avenue駅からケソン市に向かうMRTに乗ったときのことです。
 写真のとおり、ものすごく豪快に切られています。それなのに、気づいたのは電車に乗ってから。切符を買うために長い列に並んでいた2分間にやられたのでしょう。幸い、中に入れていたのは分厚い書類ファイルと本だけだったので、これだけ切られても中身が飛び出たりこぼれ落ちたりすることはなく、被害はありませんでした。お財布の入っているバック側面のポケットだけは常に自分の前に来るように持つ習慣がついているのですが、まさかバッグ本体を切られるとは思ってもみませんでした。
b0031348_945487.jpg これだけ派手に切られていながら、切られている瞬間はまったく気づかず、さらに、切符を買ってからホームまで約100メートルを歩く間にも特に違和感を覚えなかったのですから、ものすごい鈍感ぶりです。2日連続徹夜だったこと、仕事帰りだったために外国人風の身なり(ワンピースにジャケット)をしていたこと、久しぶりのTaft Avenue駅利用だったため、「回数券利用者と切符購入者の改札を分ける」「もっとも利用者の多いCubao駅まで乗る人は切符売り場に並ばずに直接改札で支払いをすることができる」などの駅側の混雑緩和のための方策にうっかり見とれていたこと、…などを差し引いても、あまりにも注意力が散漫すぎました。
 切られたバッグは、前の職場の社員さんが社員旅行で行ったハワイのABCマートで買ってきてくださったお土産で、一泊旅行くらい簡単にできるくらいの容量があり、縫製がしっかりしているのでどんなに重い書類を詰め込んでもびくともせず、中がビニル張りなので雨の日も安心、側面ポケットはファスナー付き…という最強のもので、2年以上、ずっと愛用していました。よほど鋭利な刃物を使ったのでしょう。切られている瞬間に気づかなくて、逆に幸いだったのかもしれません。そんな刃物なんて見たくありませんから。

 フィリピンで初めて犯罪を目撃したのは、2003年3月。日曜の白昼、KatipunanからCubaoに向かうジープの中でのホールドアップ。被害者は一人だったようです。助手席に乗っていた私はまったく気づかなかったのですが、被害者がナイフを突きつけられるのを見た乗客らが走行中のジープから一斉に飛び降りたのをバックミラー越しに見て、私も直感的に飛び降りました。その頃にはもう、運転手も事態を察したのかジープはかなり減速しており、擦り傷だけですみました。しばらくは、ジープに乗るのがとても怖かったです。

 その後も、ジープニーから落ちたり、下宿の前でホールドアップにあったり…といろいろなことがあり、そのたびに、恐ろしい記憶が蓄積されていきます。
 いまの職場で働き始めてからも、一度だけ、とても怖い思いをしました。2006年のクリスマス直前。都市貧困層のためのマニラ大聖堂でのミサ&集会に参加するため、私は午前中お休みを取って、朝9時ごろ、家の近くからジープに乗りました。助手席に乗り込んだところ、ほぼ同時に乗ってきた男性が、右側に密着して座りました。私は乗ってすぐ、ジーンズの前ポケットに入れていた小銭入れを取り出して運賃を払いました。ここまでは、いつもどおりです。
 ほどなく私は、ジーンズの右後ろポケット(いつも財布を入れている)に違和感を覚えました。ポケットの半分がすでにべろりと切られている模様。感触からすると、凶器はナイフではなくてハサミだったと思います。
 …とさらっと書きましたが、実際には、相当の恐怖です。犯人がすぐ隣にいることはわかっているのですから、大声でも出そうものなら、何をされるかわかったものじゃありません。刃物を持っているのですから。私は右手で財布を取り出し、いつでも引ったくれるように掌に乗せました。どうせ500ペソ(約1000円)も入っていない財布ですから、命に比べれば決して惜しくはありません。どうぞ持っていってください、と思っていました。
 犯人は切るのをやめました。私は犯人の顔を見ることができず、必死で画策を巡らせました。早く財布を持って立ち去ってほしい。一刻も早く犯人から遠ざかりたい。でも犯人は降りてくれない。私が降りなきゃ。早く犯人から逃れなくては。私は、いつも銃を持ったガードマンのいるジョリビー(ファストフード店)で降りることを決意しました。直前まで待ってから、運転手の耳元で、「あのジョリビーのちょうど角で停めて!」と言いました。ジープは急停車。私は咄嗟に、全然知らないそのジョリビーのガードに手を振って降りました。財布を掌に乗せたまま。犯人は、何も言わずに道を空けて降ろしてくれました。
 あのときは、本当に怖かったです。いまも夢にみます。問題は、どう財布を守るかではなく、どう自分の身を守るかでした。私の身のみならず財布もが無傷で済んだとは…奇跡です。
 それにしても、普通ならカバンを狙うでしょうに、犯人はなぜ私のジーンズに目をつけたのか。思い返せば、ジープニーに乗る直前、私は街頭商人から新聞を買うときに財布を出して、それをジーンズのポケットにしまったのでした。犯人はおそらく、それを見て犯行を決断し、私を追ってジープに乗ってきたのでしょう。乗車時間は5分以内。あの短時間で、しかも助手席で、ジーンズのポケットを切るだなんて、完全にプロの手口としか考えられません。

 今回は、被害がなかったとはいえ、気づいたときはものすごく混乱して、二車線レールなのに「正面衝突する!」と思って気が気じゃなかったり、車内で大きな話し声が聞こえると「ああ、あれは合言葉で、もうすぐ爆破が起こるかもしれない!」と思って怖くなったり、停車駅のレールの窪みの水溜りに映る夜空を見て「この駅の下はEDSA通りだと思っていたけれど実は海だったのかも!」と思い込んで一人で恐怖におびえたり…。支離滅裂な思考ですが、とにかく怖くてたまらなかったのです。
 おまけに週末は、台風「フランク」がフィリピンを直撃。700人以上が行方不明になったフェリー事故のニュースだけでも怖いのに、マニラ首都圏もシグナル3(シグナルは1~4まであって、4が最強)に見舞われました。我が家は高層階でマニラ湾に面しているものですから、暴風雨の威力をじかに感じます。私は普段から「世界が揺れている」錯覚にとらわれやすいので、こういうのは本当に困ります。こんなときでものんきな番組しか放映しないテレビ、「実況中継」ばかりで「予報」をしてくれないラジオにいまさらながら憤り、朝早くから上司の携帯に
 「とても怖いので、事務所に避難しようと思うのですが。」
という突拍子もないメールを送信。
 「家から出るほうが危険です。」
という、当たり前の返信をいただきました。その後も、コンドミニアムのガードマンに、
 「ビルが折れるのではないかと心配なのだけど、そろそろ避難したほうがいいのではないか?」
と尋ねてあきれられ(今思えば支離滅裂ですが、当時は真剣)、気が気でない1日でした。
 不安定な気分は次の不安要素を生むので、もうちょっと落ちついて、心穏やかに暮らしたいのですが…。
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by saging | 2008-06-22 23:26 | フィリピン(全般)
幸せになるためのストーリー
 先週やっと、国際学会のペーパーを仕上げました。資格審査論文はこの週末で仕上げて、来週Fedexで大学に提出します。それが終わったらやっと、フィ○ピン研究会の発表準備。急がなくては。
 それにしても私は論文を書くのが遅いです。普通の文章を書くのは早く、たとえばこのblogもかなり短時間で書いているのですが、アカデミックな表現や語彙が欠如していて、論文を読むスピードは落ち、数ページでぐったり。仕事柄さすがに文章を斜め読みするスピードだけは早くなり、職場に独特の言い回しや単語ばかりを習得した結果なのかどうかわかりませんが、3年前に自分が書いた文章を見て、
 「よくこんな難しい単語を使ったものだな~」
と驚くほどです。日本語ですら言葉が探せず、
 「こういう言葉、たしかあったはずだけれど…」
と思いながら類語辞典を使いまくる日々。つくづく、自己嫌悪です。
 日本語でもこれですから、英文ペーパーを仕上げることなんて、ほとんど不可能に近いことでした。日々仕事では英語を使っているくせに、アカデミックな英文をまったく書けないのです。今年4月に出席したフィ○ピン政治学会でも、ときどき、英語を聴いているだけで苦痛を感じることがありました。それが自分で書くとなると、それこそ、1センテンスごとに四苦八苦。毎朝毎晩、仕事の前後に書きまくっても、ちっとも、納得できる文章にならないのです。
 「事情につき発表できません。申し訳ございません。」
との連絡を学会事務局に入れようかと、何度も思いました。

助けてくれるのは、周りの人たちです。昼休みにほとんど半泣きで英文を書いている私に、
 「英語チェックしてあげようか」
と声をかけてくれた、英語の超堪能なフィリピン人スタッフ。かなり躊躇しながら不完全な英文を渡すと、彼女はその晩のうちに、私のロクデモナイ英文をすべて修正してくれた上に、
 「要するにこういうことが言いたいんでしょ。だったら…」
と、文章構成を変える提案までしてくれました。
 4月の政治学会で知り合ったフィリピンの先生方には、学生でもないのに怒涛の勢いでメールを送ってコメントをいただき、参考となる文献を教えていただきました。
それらの参考文献を手に入れるべく、今度はフィリピン大学の経済学部で働く友人に、
 「経済学部図書館の本をコピーしたいから図書館に付き添って」
(私はIDを持っていないので入れない)と頼んだところ、
 「大丈夫、私の学生にコピーさせておくから」
との返事。のみならず、自分の学生を使って、できあがったコピーを私の職場まで届けてくれました。
 本当に感謝しています。いまさらながらにこうした他人の親切に触れて、フィリピンっていいなあ、なんて思っています。自分の仕事をいかに減らすかということに価値を置いている人ばかりの職場(親切心から他の人の仕事を引き受けると上司に叱られる)にあっては、こんな親切に触れることがあまりに新鮮で、それこそ、久しぶりに、世界が輝いて見えました。
 (でも逆に、そこまで親切にしてもらえるとは、よっぽど切羽詰まって余裕のない人間に見えたのかも…。反省です。)

 …いま私は、「経済学入門」のテキストと首っ引きで参考文献を読んでいます。限界費用と限界便益の簡単な式を理解するのに1時間かかりました。大学で「経済原論」とか「ミクロ経済学」とかもっとしっかりやっておけばよかった。それ以前に、高校の時に真面目に数学を勉強しておけばよかった。高校数学なんて百歩譲って頭の訓練にはなるかも知れないけれど人生には絶対に役に立たないと思っていたし、自分は一生ミクロ経済学なんて必要としないと思っていたけれど、何がどこで必要になるかなんて、誰にもわかりません。JAPAN=漆という知識が役に立つかも知れないのと同じように。
 私は相変わらず数学が大嫌いですが、いまの救いは、それを習得すれば自分が幸せになれると信じられることです。必要だから勉強せざるを得ない、必要だからこの本を読まざるを得ない、のじゃなくて、これを勉強すれば世界が変わって見えて、そのことが自分を幸せにしてくれるだろうから、だから勉強しよう、と思えることです。
 私はここ1年ほど、自分が仕事を続けられないかも知れない、大学院すら続けられないかも知れない、気が狂うかも知れない、まともな生活すらできないかも知れないという不安に取り囲まれてきました。それは原因がはっきりしない種類の不安で、外出できない、車に乗れない、うまく呼吸ができない、といった(あくまで主観です)理不尽なことが次々と起こるのです。それは波があるまま現在も続いていますが、でも、勉強することで状況を改善できる可能性はあると思っています。たとえば仮に私が現在の職場にうまく適応できないとしても、適応できない要因が自分にあるのか、労働形態にあるのか、人間関係にあるのか、それとも…ということを、知識を利用して考えることができれば、問題解決はできなくても、少なくとも「説明できない不安」が「説明できそうな不安」に変わる可能性はあると思うのです。そして、それはとても大きなことです。人は説明のできない状態に耐えられません。研究者たちは社会のさまざまな現象をあれこれこねくりまわして解釈して分析したがるものですが、その一番の理由は、それによって研究者自身が心の安寧を得て、幸せになれるからではないでしょうか。自分と自分を取り巻く世界の状況を何らかのストーリーにすることができれば、人は心の安寧を得られます。
 とても基本的なことだけれど、勉強すれば世界は変わって見えます。
 そのことを思い出させてくれるのは、大学院のアドバイザーと、フィリピン研究仲間たちです。
 私はときどき、自分の大学院のアドバイザーの先生に、特に職場で自分が感じている理不尽さを、具体的かつソフトな言葉と表現を選んで伝えています。そして先生はそれに対して、「組織の合理性」や「個人の合理性」、「官僚制」、「日本型組織」といったキーワードを駆使して、実に多くのアドバイスを下さいます。先生とお話していると、私から見ると「理不尽」にしか見えない組織の論理や上司の行動がはっきりとした合理性に基づいているのだという当たり前のことに気づかされます。論文の中では言葉だけで合理的選択論をこねくり回している私ですが、理論というのは本来、実生活の疑問を解き明かすために、あるいは実生活で使うためにあるのですよね。それでなければ、何のために勉強しているんだかわかりません。
 4月にマニラに滞在していた院生仲間のTさんは、仕事の愚痴から生活の愚痴、研究の行き詰まりについて毎晩つぶやきシローのように(死語!?)私があてもなく述べる言葉一つ一つに対し、実に真摯にコメントしてくれました。彼は私より後輩でありながら私よりずっとずっと言葉が豊富で、外部者でありながら、私の職場の事情を文献資料を通じて熟知していて、おろおろする当事者の私よりずっと的確な分析をして、私の問題をストーリーにしてくれるのです。ああ、勉強するってすごいんだな、と思いました。今更ながらに。私は異なる世界を泳いできたつもりだけれど、経験だけあってもそれをストーリーにする力がないと、私を取り巻く世界は断片的で、私はいつまでも不安なままなのです。知識があり、知識と自分の実生活を結びつける力があるというのは財産です。
 5月にマニラに来られていたAzumaさんは、ホックシールドの「感情労働」や渋谷望の「魂の労働」の例を使って私の仕事を客観的に説明する手助けをして下さいました。お酒を飲みながら、「私」と「世界」が直結する話とか、「安保闘争世代はなぜいとも簡単に『長い髪を切る』ことができたのか」だとか、世界と社会の違いだとか、人類学者と政治学者の違いだとか、そんなことにいちいち意味づけをする研究者のゲーム。それは単なる内輪の楽しいゲームであるだけではなく、研究者自身を救ってくれるものなのだと思います。

 先週、調査地P地区の人々が、ついにモン○ルバンに移転しました。私も、論文の締め切りに追われているのも忘れて移転前の最後の数日間は毎晩P地区に通い、泊まり(こういうことをしているからますます論文が進まない)、移転当日は仕事を休んで一日中人々の行動を追いかけました。久しぶりのフィールドワーク。こんなタイミングでフィールドに通ったりなんかしたら、自分の書いている論文が机上の空論に見えて何も書けなくなってしまうのじゃないか、あるいは今の仕事との剥離感に押しつぶされてしまうのじゃないか、と心配でしたが、決してそんなことはありませんでした。
 話が深夜に及んでP地区に泊まり、スラムから通勤する羽目になった日、私は朝日の中で、エリートも中間層も貧困層も、この私も、同じゲームのルールに沿って生きているのだということを実感しました。その実感を伝えるために私は論文を書いているのです。いやむしろ、その実感は、仮に論文なんて書かなくとも、何より、私自身を救ってくれるのです。

 それにしても、いくら幸せになるためとはいえ、経済学の数式は私には難しすぎます。幸せになる前に頭が壊れそう。さきほど、職場にあった『まんがDE入門経済学』という本を借りてきました。別にまんがである必要はありませんが、事例付きのストーリーになっているとわかりやすいです。ああ、どなたか私の家庭教師になって、すべての数式をストーリーにして私に説明してくださいませんか。
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by saging | 2008-06-14 02:02 | フィリピン研究
JAPAN=うるし
 突然ですが、JAPANという単語には「漆」という意味があるのをご存知でしょうか?

 私は大学生のとき、E○Sという英語サークルに入っていました。あちこちの大学に支部があり、バリバリ体育会系のノリで、日本人同士で英語をしゃべりあっている、アレです。おしなべて英語は上達しないけれど、日本型組織に適応できる人間になれること請け合いの、縦割り・体育会系・熱血スパルタの三拍子が揃った旧世代的サークル。冬の鴨川で儀式が行われたり、文化系のくせに各校の「エール交換」があったり、他校への自己紹介の決まり文句が「どうぞよろしくお見知りおきのほどを」だったり、ほんとに奇妙な組織でした。(クミの人じゃないんだから!)
 何を血迷ってか、私はそこで学生時代の3年間を費やしました。
 議論の練習ををあんなにやったのに、先行研究の批判も他人の議論への反論も下手ままだし、帰国子女の先輩に憧れて頑張って練習したアメリカンな発音はフィリピン生活の中で無駄になってしまったし、日本型組織に適応できる人間になれた自信もないし、本当に、3年間バカをやっただけ…という感じがしますが、楽しかったからいいのです。そもそも、サークルでもお稽古事でも、あるいは仕事でも、「何かを得よう」と考えるのがさもしいのであって、自分がすでに持っているものを表現する場、と捉えたほうがいいんじゃないか、ということにぼんやり気づくこともできましたし。

 そのサークルは英語を使ってさまざまなことをするわけで、そのなかで、ディベートというゲームがありました。 
 「日本政府は死刑を廃止すべきである」
 「日本政府は国民を実質的に裁判に包摂するシステムを導入すべきである」
…などの命題について、肯定・否定の2つの立場に分かれて議論を楽しむもので、第三者が勝ち負けを審判する競技形式で行います。競技なので、勝つための様々なテクニックがあります。もちろん、屁理屈も。中でも究極の屁理屈が、
 「JAPANとは漆のことである。国家の政策についてではなく漆について話し合おう」
というものでした。まともに議論していたら勝ち目がないときに、相手を驚かせる、もしくは時間稼ぎの目的で使われる、とされ、歴代伝えられてきた議論でしたが、実際に使っている人を見たことがありません。
 私は今でも時々、ABN-CBNニュースチャンネルのお昼の時間の大学対抗ディベートに思わず見入ってしまいます。どこの国でも屁理屈って本当に屁理屈だなあ、と思いながら。
 
 さて、先日、日本からお見えになった重要なお客様の通訳をさせていただきました。すっかり様変わりしたアヤラ・ミュージアムや古き良きイントラムルスの観光の後、ご夕食会へ。宴たけなわという頃、例によって、ホストであるフィリピン側と、お客様との間で、贈り物交換の時間となりました。フィリピン側からは真珠と絵画。日本側からは兜の置物と漆器。
 その漆器、受け取ったホストがその場で箱を開けると、"JAPAN has two meanings." と印刷された小さな紙切れが出てきました。
えっ、そんなにさらりと。
JAPAN=漆って、そんなに広く一般に知られている知識だったのなのでしょうか。
 ともあれ、よかった、知ってて。生涯役に立たないであろうと思った知識のお陰で、その日は無事に通訳の役目を終えることができました。まったく、何がどこで役に立つかわからないものです。だからこそ、日々、自分の身の周りに注意を払って、何気ない日常を大切にして、ショウモナイと思うことも素直に受け止めていきたいです。
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by saging | 2008-06-01 18:52 | その他