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Keso de Bola とは、 「表面は赤いのに中は黄色い」フィリピンのボール型チーズ。転じて日和見主義者。       かつてお世話になった、現地の言葉で「灯台」と呼ばれるマニラ湾岸のスラムを、ガラス越しに。
管理人sagingより
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7月に備えて
 ここ数ヶ月、周りの(というか、日本にいる親しい)院生仲間がこぞって「学振」の申請について話していたので、このたび初めて「学振」のウェブサイトを見てみました。
 私はもうD2だというのに、先月マニラに来ていたT木さんに習うまで、PDとDCの区別はおろか、科研と学振の区別もつきませんでした。いまも、DC1とDC2の違いがわかりません。浮世離れしすぎですね。というか、失礼な院生です。なめています。ズの高さにも程があるというものです。
 で、今回、初めて学振の申請書類なるものを目にし、仰天しました(仰天って死語?)。我が友人たちはこんなにもすごい書類を1ヶ月以上もかけて書いているんですね。きわめて競争率の高い資金を得るための時間と労力とプレッシャー。
 私はときどき夜中に一人でオフィスのコピー機やホッチキスと一人で格闘しながら
「ああ、私がこんなオヤクショ的な紙の山と戦っている間に、院生仲間たちは毎日研究に集中して、どんどん先に行ってしまうんだ」
と思ったことがしばしばあるけれど、それってものすごく配慮に欠けた偏見でした。
 私が楽しくやりがいのある仕事をしてお給料をもらっている間に、彼らは身を削ってこの紙を埋めているのですね。それも決して今年だけじゃなく、私が新しい職場に浮かれていた一昨年も、選挙をエンジョイしていた昨年も、彼らはこの紙と戦ってきたのですね。
 大学院という場所から物理的に離れていると、多くの院生仲間たちが資金繰り(=アルバイト)や奨学金・研究費の書類や先生のお手伝いやTAの仕事に追われて、将来への不安を抱えているという当たり前のことを忘れて、院生仲間たちはみんな好きなだけ時間を研究に費やしているかのような錯覚に陥ってしまいます。
 そういう勝手な思いこみで、私はここのところ、周りの人たちを傷つけてきたかもしれません。学振に限らず、ほかのすべてにおいても。ごめんなさい。
 私には本当に、相手への想像力が欠けていると思います。自分が知らないこと、経験がないことには考えがうまく及ばない。でも、経験値を上げるには限界があるし、そうそう別の世界を次々に泳いで経験を蓄積することなんてできません。未知の世界に対する想像力と応用力と配慮を養うことしかないのでしょう。

 4月1日から大学に復学して、何があっても資格審査論文(本論文ではありません)を6月に提出すると決めて、仕事が終わったあと明け方までパソコンに向かいながら、でも何も書けない自分を持て余して、頭がうまく働かなくて、言葉が出てこなくて、もうこのまま大学院に戻れないのじゃないか、とすら思っていました。気が狂いそうで、6月提出は無理だ、諦めよう、と何度も思いました。
 6月中旬には論文を提出して、7月に休暇をいただいて帰国して大学院での公開ゼミと口頭試問。その他7月には、フィ○ピン研究会全国フォーラム@京都と、国際学会@マニラでの発表にもエントリーしています。大学院の仲間たちには、
「フルタイムで仕事をしながら論文を書いて、学会発表までするなんてスゴイ」
と言われますが、そんなじゃないのです。どれも、不安で朦朧としながらエントリーしたものの、できないのかもしれない、もう糸が切れてしまうかもしれない、というネガティブな恐怖の中で、でもそれよりも、ずっと支えてくださっている先生や周りの方々を裏切ることへの恐怖のほうがさらに強くて、いつもそんな不安定な気持ちで書いています。
 先週の土曜日、審査論文のドラフトを指導教授に見ていただいたとき、
「やっと吹っ切れましたね。君が一番書きたいことが、これで形になりますね。」
と言っていただくことができました。私が一番こだわっていることを私自身より理解していただいて、私はほんとうに恵まれていると思います。
 …もちろんそれ以外は、厳しいコメントをいただきました。曰く、私の発想は大胆で読み手を一度は惹き付けるけれど議論が大雑把すぎるので批判されやすい、表現が直接的すぎて無駄な敵を増やしてしまう、印象論的にきこえる、特にNGOに言及する段になると表現が皮肉っぽい含蓄たっぷりでともすると他人を馬鹿にしているようにきこえる、…etc, etc.
 …それ、私の性格そのまんまです。もうちょっと「熱いだけ」だった修士論文から少しも成長していないということでしょうか。先行研究をどこまで批判してよいものかさじ加減がよくわからないのですが、問題はたぶん、内容よりも私の表現力。もうすこし豊かで繊細な日本語を使うように努めなくては、このままではただの「無神経のボキャ貧」です。学術的にだけでなく、たとえばこのblogだってそうですから、もうすこし配慮というものを考えないと。
 仕事では非人格的であるように努めていることもあって、論文ではつい喜んで自己表現したくなるのですが、書きたいことはダイレクトに書くのではなく行間に滲み出させないと、自己表現のしかたを洗練しないと、論文になりません。

 幸いなことに最近仕事はあまり忙しくないので、今夜も、これから論文と発表準備です。相変わらずうまく書けないし、相変わらず毎晩、気が狂いそうになるし、もう本当に投げ出したいと1時間ごとに思う自分をつくづくダメな院生だと思います。でも、朦朧としながら筆を進める中であることに気づいたときの喜びは、研究以外では絶対に味わえないものです。ずっと前のフィールド日記や生々しいインタビュー記録を見ながら「これを形にしたい」と思う興奮も、あれもこれももっと調べなければ、と思って、次回のインタビューに思いを馳せる楽しみも、言葉を選ぶことの緊張も。
 そんな感じで毎晩とてもとても孤独なので、blogにトロすることにしました。ああ、フィリピン研究仲間と院生の友人たちに会って話がしたい。今すぐに国際電話をかけたいです。でもきっといまの段階では何も言葉が見つからない。当面は、もっとよい文章を書いて、もっと頭をクリアにして、何を考えるにしてももっと想像力を回して気を遣うように心がけて、コミュニケーションの力を高めておかないと、と、毎日そう思っています。
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by saging | 2008-05-27 20:41 | フィリピン研究
“Popular”と“Huling Balita”
今朝のインクワイラー紙のコラムで、前々回の投稿で書いた”Corruptionary”(汚職辞典!?)”が紹介されていました。こちらです。
 ケソン市にあるあの"Popular Bookstore"を訪れたことのある人なら思わず心の中で笑ってしまうような鮮やかな記述に、朝から嬉しくなりました。

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 記事の最後に紹介されている”Huling Balita”は、昨年失踪した活動家Jonas Burgos氏の解放を求め非自発的失踪に抗議するミュージシャンたちによる特別制作CDで、昨年12月の人権週間にフィリピン大学のFilm Centerで行われたコンサートがベースになっています。Noel CabangongやWudsやCooky Chuaが生出演したその豪華なコンサート、私もWataruさんと一緒に行ったのですが、開始時刻が2時間くらい遅れて、各ミュージシャンが3曲ずつ次々に歌っては交代し、そのたびに後ろのバンドセットのセッティングに時間がかかり、そのたびに音響がおかしくなり、「幕間」的な余興をする人たちも間をもたせるのに必死で、結局真夜中までかかってしまって、さすがフィリピン市民社会、と思ったものですが、翌日に大統領が出席した世界人権デーのセレモニーも遅れた挙げ句に音響がうまくいっていなかったので、あれはJonas Burgos氏が彼のいる場所からあらんかぎりの力を送っていたのかもしれない、と思っています。
 CDタイトルになっている”Huling Balita”は「最後の知らせ」という意味。日本でもお馴染み(?)のJess Santiagoの歌です。
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by saging | 2008-05-21 19:56 | フィリピン(全般)
モデル・コミュニティ?
私の調査地であるマニラ市のP地区の川沿いスラムの人々の移転地が、ついに完成。
 (詳しくは http://keso.exblog.jp/7515719/)
 移転は、今週から開始されます。
 先週の土曜日は、移転予定者たち約300人が、バスを4台も連ねて最後の移転地見学ツアーに参加、移転先のリサール州ロド○ゲス(旧称モン○ルバンの方が通りがいい)町役場で町長から直々に移転前オリエンテーションを受けました。町役場は小さくて全員一度には入れないので、3組に分かれて、時間差でローテーション(同じ話を3回もなさった町長、お疲れさまです)。バスの手配もグループ分けもオリエンテーションの進行もリーダーたちが仕切って、なんだかものすごくオーガナイズされていました。

 町長がオリエンテーションでおっしゃったことは、
・モン○ルバンはかねてより、首都圏で立ち退きを迫られた元スラム住民の都市貧困層を受け入れてきている。町を形成するのは住民たちだから、人口増は大歓迎。差別なく受け入れる。
・貧困層は犯罪の温床だなんて自分は思っていない。我が町にそのような差別はない。貧困は美徳。自分もブラカン州の貧しい家庭に育った。
・ただし、貧困を理由に努力を怠ってはならない。周りの人が家賃を払えるのに自分だけ払えないという人は、その理由をきちんと説明しなくてはならない。正当な理由があれば援助するが、まず自分で貧困を克服する必要がある。町が医薬品を無料配布しないのも、自立を妨げないため。我が町の医薬品はとても安い。これだけ安く買えるのに無料で欲しいなんて主張するのは恥ずかしい、というのが、良識ある町民の感覚。
・モン○ルバンのモットーは、「悪徳禁止(Bawal ang bisyo)」近所に迷惑をかける行為や公共の場所での酩酊、ドラッグは厳禁。
・移転地ではさまざまな問題に直面するかもしれないが、皆で協力して新しい生活を立ち上げてほしい。我が町の他の移転地は、ある日突然に立ち退かされてマニラのあちこちから連れてこられたスクワッターの寄せ集めのコミュニティだが、P地区の皆さんは自らモン○ルバンを選んで移転しようとしている。従来のコミュニティの絆を維持しつつ、モラル溢れるモデル・コミュニティを築いてほしい。

 さすが町長。最初に「貧困層だからって差別しない」と言っておきながら「君たちはとくに、他の有象無象のスクワッターとは違うからね」と付け加えていい気分にさせる話術の巧みさにはほれぼれしました。P地区の人たちの心理の一番繊細なところを実によく理解しています。ただものではないですね、この政治家。
 人々も嬉しそうに「モデル・コミュニティ・ターヨ!」って言い合っていました。皆、ハイテンション。
「大学の授業料はいくらですか~。きっと高いんでしょ~?」
という、一人のおばちゃんの(フィリピン人にありがちな)「決めつけ」発言も
「そんなの学部によって違うに決まってるじゃん!」
と、町長に代わって強気の発言で押し切る人々。
「あのー、職は、町長が提供してくれるんですかー?」
というとんちんかんな質問をする青年にも、あちこちから
「そんなの、本人のスキル次第に決まってるじゃないの!」
「そうそう。モン○ルバン町ではあちこちで移転地の建設ラッシュだから、建設業や電気配線の経験がある人ならどんどん仕事も見つかるぜ!」
「俺ら、ばらばらでここに連れてこられるんじゃなくて、これまで通りの近所仲間と一緒に来るんだから、いままでどおり、近所の洗濯の請負でも、サリサリストアでも、家電の修理工でもできるじゃないか。移転地にいったら仕事がない…ってのは、他の地域での話だよ。俺たちは心配ないよ。」
「そのとおり!(歓声)」
との声が上がり、会場はポジティブモード全開。

 必ずしも、未来はそんなに明るくないはずです。でも、この誇り、自信。立ち退きに直面して10年。活動家が描いたような「運動」ではなかったけれど、彼らは確かに「勝った」のだと思います。
 私が初めてこの方々に出会った5年前の2003年は、彼らは、連日のように最高裁や下院やADBやマニラ市役所の前でデモを繰り広げていました。その後、左派とくっついたり離れたりしながら、2004年はアロヨ陣営を応援して、2005年の大統領選挙不正疑惑でアロヨ側についたことで親元のNGOとも左派とも決裂して、別のNGOを探して、NGO抜きで独自に政府と交渉を始めて、2007年選挙でもアロヨ陣営を応援して…。彼らは結局、最後までアロヨ政権から実質的な恩恵を得ることはなくP地区を去ることになったのだけれど、この5年間の運動を通じ、政治家からの見返りだとか空に浮いたような公約だとかいった前近代的な「恩恵」を上回って余りある利益を得たはずです。

 そうそう、朝日新聞さんが、P地区の人たちのストーリーを書いて下さいました。素敵な記事です。インターネット上でも読めるので、ぜひご覧下さい。
http://www.asahi.com/international/weekly-asia/TKY200801150106.html
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by saging | 2008-05-19 20:48 | フィリピン研究
労働
 もう5月も半ば。まだまだ暑い日が続きますが、雨期も近づいてきました。昨日は知人と会うためにケソン市にあるアヤラ系の新しいショッピングモールTrinoma(トライノマ)に行ったら、夕方の雨で足止めを食ってしまいました。このモール、高架鉄道MRTの駅と接続し、駐車場は巨大で、さらには、ホテルのように鍵と車をボーイに預ければ代わりに駐車場に入れて帰りはまた出してくれるVIPなサービスまであるのですが、敷地内にはいっさい、バス・ジープニー・FX(乗り合いタクシー)乗り場がないのです。考えてみると、マカティのランドマーク・グロリエッタ・SMエリアも、MRT利用者には便利ですが、ジープニー乗り場はもともと、かなり不便なところにあり、昨年10月のグロリエッタ爆発事故の後、さらに僻地に移されましたから、ジープニー利用者にとっては不便なこと極まりありません。ジープニー利用者は、顧客ターゲットにないということでしょうか?
 雨が少し弱まるのを待って外に出ると、道路が冠水。でも大丈夫、裸のオジサンたちが煉瓦とベニヤ板で臨時の「橋」を作り、通行人の手を取って渡らせてくれ、満面の笑みで通行料を取っています。近代的ショッピングモールの敷地内で繰り広げられる、著しく前近代的な営み。
 帰りは例によってエスパーニャ通りが「エスパーニャ川」と化していました。あまりに水が深くて、ジープニーの中にタポタポと水が入ってきて、乗客はキャーキャー大騒ぎ。なぜかみんな楽しそう。運転手は、「迂回路を教えてやろう」と言いながら洗面器(集金用)を片手に駆け寄ってくるオジサンたちや、雨に乗じて「窓ガラスを拭いてやろう」と言ってくる裸の子供たちをあしらうのに忙しそう。それを見ながらケラケラ笑っている乗客(全員、足はずぶ濡れ)。私も笑ってしまいましたが、それは、皆と共有する笑いというよりも、「ほんとにフィリピンは…」という笑いに近いものでした。平日はジープニーになんて乗らないくせに、タクシーに乗るお金もあるくせに、たまの休日にちょこちょことジープに乗って庶民の生活を垣間見て楽しむ、お金持ちの道楽。タイトルを失念しましたが倉沢愛子先生の本に、非常に近いエピソードがあったのを思い出しました(インドネシアにジープニーはありませんから、バスだったと思いますが)。

 さて、私のマニラでの任期は、来年3月末までとなりました。あと1年弱はこちらにいますので、関係者の皆さま、今後ともよろしくお願いいたします。マニラにお越しの際はぜひご連絡下さいね。そして、我が家にもどうぞお立ち寄り&お泊まり下さい。

 …と書いた矢先に藪から棒ですが、最近、自分が任期を全うできない可能性、任期満了前に契約を切られて帰らされる可能性について、漠然と考えることがあります。
 私は現在は、十分な報酬を得て、良い待遇の下で働いていて、傍目からはそれなりにエリートに見えるのでしょうが、もし私が何らかの事情でうまく働けなくなったら、すぐに切られるでしょう。いえ、物理的に働けなくなる前に、その兆候が見られた段階で、余計な問題を起こさないうちに、直ちに日本に帰らされるでしょう。この職場はそういうところです。いえ、たぶんこの職場に限らず。私のような下っ端労働者、代わりはいくらでもいるのですから。
 あくまでも仮定の話であって、具体的にそのような動きがあるという意味ではありません(だから心配しないで下さい)。ただ、そういう可能性も十分にありうるのだ、ということを、最近ではしばしば考えています。仮にそうなったら、自分が失うものはどれくらい大きいのだろう、とも考えます。(取り越し苦労? あくまでも仮定の話です。)
 私はずっと、自分はネオリベ社会の勝ち組になるんだと信じて疑いませんでした。少なくとも日本社会の中では、やる気さえあれば人は上昇できるのだし、フリーターになるっていうのはやる気が足りないからで、多くの場合失業は自己責任で、プロカリアートなんて言葉は自己憐憫者の責任逃れだ、と思ってきました(いまも、かなりの部分はそう思っています)。でも、自分の進退如何では私もいとも簡単に正反対の立場に転じるのかなって、ごく最近ではそう思うようになりました。
 今年も、5月1日のメーデーの集会を見に行きました。相変わらず、身につまされも共感もしないけれど、例年よりも真剣にスピーチを聞いてしまいました。特に、6ヶ月ごとに切られていく、工場やコールセンターやデパートやスーパーやファーストフード店の契約労働者の話。そうそう、フリードリヒ・エーベルト財団がごく最近、6ヶ月ごとの契約ベースで働くフィリピンのコールセンターの労働者事情についての研究レポートをまとめました。コールセンターに終身雇用というのもちょっと考えられませんが、6ヶ月後に切られることがわかっている労働というのはかなり深刻です。そして、フリーターが組織化されにくいのと同様、契約労働者はきわめて組織化されにくいから、彼らはデモにもほとんど姿を現さない、声を上げない、不可視的な存在なのですよね。

 先日、職場のフィリピン人秘書が辞めていきました。そのポストの人が辞めるのはこの1年で3度目ですから、待遇に問題があるのは歴然としています。私が思うに、うちの上司が秘書を怒鳴りつけることが一番の問題。上司を変えることは容易ではありませんから、当面は、私が秘書をなだめながらそれとなく教育し、日本人上司と秘書たちの橋渡しをしなくてはならないのだと、ずっとそのように努めてきました。
 が、そんなにうまくはいきません。秘書が失敗するたびに、上司は私の教育が悪いからだと言い、秘書は私に愚痴を言い、その繰り返し。上司と会話をするのが怖い秘書は私を通じて上司の意向を探ろうとするし、上司のほうも秘書と話したくないのか、何でも私を介して伝える。そのせいで私の仕事が倍増することもしばしばで、彼女が秘書なんだか私が彼女の秘書なんだかわからなくなってきて、だんだん私も苛々してきて、秘書なんていなくていいよ、とすら思うようになりました。他人に対して「使えない」なんて言葉は絶対に使いたくないのですが、それに近いことは思いました。まもなく6ヶ月というとき、私は上司に、
 「君があの子をもっとちゃんと教育してくれるなら、正規雇用に移行してもいいけど、正直、僕は不満なんだよね。まあ、君らの判断だから。」
と言われました。私は心の中で思いっきりむーっとしながら、必死でそれを隠して笑顔を作って、
 「申し訳ございません。ご不満なら別の子を探しましょう、いまなら6ヶ月以内ですから、まだ切れますよ。」
と言ってしまいました。
 私は本来、秘書を守らなくてはならなかったのに、その場の感情で、汚れたボタンを、上司に代わって押してしまったのです。
 結局、その数日後、本人のほうから辞任の意思を伝えてきました。周りは「円満退職で良かった」と安堵していて、そんな言葉を使いたくないと思いながらも、やっぱり私も安堵していました。
 自分もいつ、そうやって切られるかわからないのに。
 弱者の視点、なんて、いっそ自分が本当に弱者になってみないとわからないのでしょう。

 私にさらに追い討ちをかけたのは、その彼女、
 「昨日、仕事を続けるかどうか迷っている、と父に言ったら、好きじゃない仕事なら辞めたら、と言われたので、今日をもって辞めます」
と、1日で電撃辞職してしまったこと。次の仕事のあては?と聞くと、
 「とりあえず家事手伝いをして、趣味の合気道をやろうかなと」
 そんなのでいいの? Azumaさんのblogを思い出してしまいました。
 私だったら、仕事を失ったら家族に顔向けできませんよ。母の日に実家に電話して、「給与が上がったからまた何かおいしいものを送るね」と言えることが親孝行だと思っていますから!
 労働することと生きていくことは同義。このゲームのルールが自分の不安の根幹を占めているのはわかるけれど、このゲームから降りて、私が最も懼れる「失業者」に、「弱者」になってみたら、まったく違ったものが見つかるのかもしれないけれど…、私は、絶対に降りません。
 そういうの、負け犬の遠吠えっていうのでしょうか?
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by saging | 2008-05-11 16:31 | フィリピン勤務('06~'09)