Keso de Bola とは、 「表面は赤いのに中は黄色い」フィリピンのボール型チーズ。転じて日和見主義者。       かつてお世話になった、現地の言葉で「灯台」と呼ばれるマニラ湾岸のスラムを、ガラス越しに。
管理人sagingより
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真夏
 イースターも終わり、マニラはいよいよ暑くなってきました。議会も休会し、学生たちは夏休みに入り、2月から続いていたデモも少しは下火になったようです。空の色はどこから見ても真夏そのもの。街頭行動に出るのも躊躇われる暑さです。
 乾季真っ只中のこの時期は、夕日がとても美しくて、毎日午後5時40分頃になると、私たちの執務室は文字通りオレンジ色に染まり、窓のブラインドの隙間から、沈みかける太陽の輪郭がくっきりと見えます。幸せ。毎年この季節と10-11月は「四季のある日本に帰りたい」との欲求を持て余して困っているのですが、マニラなりの「季節感」もそう悪くないかな、と感じる一瞬です。

 イースター休暇の4連休、日本から来た母と下の弟、そして職場の数名と一緒に、バタンガスにスキューバ・ダイビングに行ってきました。
 今回の目的は、今年55歳になる母にオープンウォーターのライセンス(初級ライセンス)を取得させることでした。母は泳ぎが得意で、海辺と海が大好きで、いつかは海に潜ってみたいと言いながらも、ダイビングって、日本では限りなく敷居の高いスポーツというイメージがあるものですから、ずっと躊躇していました。しかし、私と2人の弟たちが昨年9月にフィリピンでオープンウォーターのライセンスを取得したことをきっかけに、母も興味を示しはじめました。年末にボホールで母に「体験ダイビング」をさせたところ、海中世界の美しさに大興奮、ダイバーの仲間入りをする決意を固めたようで、それからわずか3ヶ月もたたないうちにフィリピンに戻ってきました。
 私と弟たちはフィリピン人のスパルタ・インストラクターから教えを受けたのですが、いくらなんでも母はそういうわけにいかないので、日本人のインストラクターさん常駐のダイブショップにお世話になりました。学科講習では、覚えることが多すぎる、ダイビング用語には外来語が多すぎる(これは事実です)と文句を言っていた母ですが、なんとか試験に合格。実技講習もクリアし、無事に3日でライセンスを取得! 最終日はインストラクターの先生に付き添われながら、私や弟たちと一緒に潜って遊ぶことができました。母は大満足していたようで、良かったです。家族でダイビングができるなんて、本当に夢のようです。
 アニラオはのどかな町で、時間がゆっくりゆっくり流れていました。お世話になったダイブショップの竹床式テラスから母や弟と一緒に青い空と海を眺めていると、Mr. Childrenが歌っていた「夏休みのある小学校時代に帰りたーい!」という願いが一瞬にして実現したような気分になりました。

 年末年始に家族全員がフィリピンに遊びに来たときは張り切って予定を詰め込みすぎたので、今回はゆったりめの日程にして、ダイビング以外では、ショッピングモール”SM Mall of Asia”でTシャツやポロシャツ(日本よりずっと安いので)を物色したり、スーパーマーケットでで他愛ない買い物をしたり、決して高級ではないけれどおいしいエルミタのレストランでゆっくり食事をしたり、Yさんの言付けで母が持ってきてくれた春の山菜(わらび、うど、蕗)を母に調理してもらったり…と、のんびり過ごしました。(わらびはおいしかった! Yさんありがとうございます!)
 日本を離れて3年目になりますから、家族が来るたび、あるいは日本に一時帰国するたび、「こういうときでないと親孝行できないのでがんばろう」とあれこれ準備するのですが、いったん顔をあわせてしまうと、当初の意気込みなどきれいに忘れて、ついついのんびりしてしまいます。
 母と下の弟は、今回が3回目のフィリピン訪問。父と上の弟も2回ずつ来ています。私が「良いところ」しか見せないように努めていることもあるのですが、いまのところ、我が家族はすっかりフィリピンが気に入っているようです。上の弟は今春就職しますが、下の弟はまだ学生なので、今後もダイビングを口実にフィリピンに来る気満々のようです。もちろん母も、マリンスポーツはしない父も、早くも次はいつ来ようかと予定を立てている様子です。両親と話していると、
 「定年になったら、退職者ビザを取得してフィリピンに住んだら? 私の友人ネットワークで、優しくて気の利くドライバーとメイドさんを見つけてあげるから…。」
と言いたくなります。
 それが夢物語であることも、我が家族がフィリピンに対して抱いているイメージが幻想であることもわかっていますが(それに、一歩間違ったらこれって実親への「介護放棄宣言」!)、それでも、家族がフィリピンに来ているときは、私は、すべてに眼を瞑れるほど幸せです。両親が健在で、兄弟がいて、家族がフィリピンを好きだと言ってくれる幸せを、決して忘れないようにしたいと思います。

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 調子に乗って昨夜、長らく封印していた、季節感と空気感たっぷりのス○シ○オの歌を聴いてみたら、危うく、あさっての世界にループしそうになりました。真夏の京都の喫茶店とか、傾いた夕暮れのスーパーマーケットとか、そんな懐かしい空気感と、表面的で口先だけのナツとかカゾクとか日常のシアワセソウナモノの裏にあるたっぷりの毒が一瞬にしてフラッシュバック。「夜明け前」とか「日曜日の午後」とか「8月のセレナーデ」とか「ユビキリ」とか、どれも毒々しすぎてびっくりです。空気感と毒ってセットなの?
 音楽って危ない。シ○オは当分また封印して、毒も影も季節感も空気感もなかったことにして、マニラの暑さに浸っておきます。
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by saging | 2008-03-30 21:07 | フィリピン(全般)
追記(女性であることについて)
 先回は言いたい放題を書きましたが、その中で「女性であること」について追記を。
 別に、職場で男女差別を受けていると感じているわけでもないし、性差にこだわる気はまったくないのです。女性であることは決してマイナスではなく、逆に私自身、「女性であること」や「若さ」を武器(というか言い訳)に使っています。バレンタイン・デーにはお世話になっている男性にメッセージカード入りのチョコを配って楽しんでいます。こういうイベントごとは利用しなくっちゃ。
 逆に、私が女性であるがために周りに気を遣わせてしまっていることもたくさんあると思います。圧倒的に若く、しかも唯一の女性である私が自家用車をもたずに公共交通で通勤し、水道水を飲み、屋台で食事をし、NGO出身で左派に友人が多い…とあっては、私が自覚していないだけで、周りの人たちには気を揉ませているのだと思います。
 そうやって、問題がすべて自分の中に「埋め込まれて」しまっていることで、本当の解決を遠ざけているのは自分の行動かもしれないと思います。H和学/F大学関係者の皆さまに、そう言われそうですね。目先のことにばかり気を取られて、本当はこういうのが一番、「暴力」を助長するんだって。
 こんなことばかり考えていると、どんどん頭でっかちになりそう。そうじゃなくて、もっと身近なところから始めたいものです。
 最近は特に仕事上、フィリピンの女性団体の人たちや女性活動家にお会いすることも多いのですが、バリバリのフェミニスト活動家でも、家族や身の周りの人を愛し大切にしている人って、女性云々という以前に、人間として素敵だと思います。

 女性だから損をしている、と卑屈になるのではなく、女性であることを言い訳にしちゃだめだと突っ張るのでもなく、周りの人たちのやさしさやあたたかさや配慮を、いつも身のまわりに感じていたいと思います。何の解決にもならなくても、まずは人間として、そういうところをちゃんとしていかないといけないですね。
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by saging | 2008-03-17 21:10
柔軟であること
 2月25日の「22年目のエドサ記念日」以降も波瀾万丈のフィリピン政治。我が職場も上司も大荒れでした。
 私は現在の職場の上司たちをとても尊敬しています。どの方もものすごく勉強家で、世界規模の視野をもち、どんな話題にも臨機応変に対応でき、恐ろしく仕事のできる方ばかり。しかし上司はジェネラリストなので、フィリピンだけを見ている私とは認識が異なることがしばしばあります。それは当然のこと。仮にもフィリピン政治の専門家の卵を目指している分際で、そしてお給料をいただいている私は、こんなときこそ冷静に的確に事態を把握し、自分の見方をうまく上司に伝えなくてはならないのですが、私のコミュニケーション力は絶望的に不足しています。最近ではやっと、これまで遠慮して言わないようなことも「言わなくてはならない」と思って、オブラートに包みながら思い切って口にしてきたのですが、結果的には上司の言葉に振り回され、昨年後半ごろから、物事をうまく処理できないことが多くなってきました。
 先日、政府の汚職疑惑に関する上院公聴会(TV生中継)で、ある政府関係者が大統領夫妻への「賄賂前払い」の金額について証言している最中に元政府高官から電話があり、私がそれに応対していると、ある上司が、
「おい、いまの、いまの聞いたか? メモしたか? なんて言った!?」
と叫びだし、電話中の私が答えられずにいると、
「こんなときに誰と電話してるんだ? TVに張り付いててくれなきゃ困るだろう! 今のとこは重要なんだから、ちゃんと見ててくれないと困るんだ!」
と、相手に聞こえるような大声で激怒。
「別に、LIVEで見ていなくたって、どうせ翌日には新聞に載るし、いまの時代、『重要発言』は切り取られて、数十分後にはYouTubeでTV局のウェブサイトに掲載されて、何度だって見られるのですよ。」
「…というか、贈賄の額なんてもう、どうでもいいのでは。この人の発言はすべて伝聞でしょう。重要なのは『大統領家が贈賄に絡んでいたこと』を示す直接的な証拠であって、こんな伝聞証拠ではありません。」
「貴殿にとっての『重要発言』と、フィリピン的な文脈の中での『重要発言』は違うのです。なにが本当に『重要』なのかを見極めるには、10時間以上に及ぶ上院公聴会を生で聞くよりも、翌日の報道を見たほうがずっといいですよ。」
と私は、心の中で思いました。
 上司は非常に熱心で行動の速い方なのですが、ニュースの中で少しでも思うことがあると
「今の聞いた? あれ、どういうこと?」
との質問が飛んできますから、それに対応しようと思っていると、おちおち電話もしていられず、落ち着いて文章も読めず、うっかり席も外せません。雑務はできるだけ早朝か夜にこなし、新聞は必ず上司の出勤前に読んでおくようにしても、政情が流動化しているときこそ外に出て人に会って話を聞かなくてはならないのだし、その他の雑務も毎日毎日、まるで五月雨のように無数に降りかかってくるし、まさか、終始TVをモニターしているわけにはいきません。

 …と、一言で言うと、私は上司の指示を理不尽だと感じ続けています。そしてそれ以上に、それを見て見ぬ振りをする周りの「コヤクニン的」な人々に本当に失望しています。私は、怒鳴られても職場では決して感情を表に出さず「いつも笑顔」でいることに決めている私に対し、
「君は、怒られても流せるタイプだからいいよね。」
「君は『お気に入り』だからいいよね。」
「いいよね、君は女性だから。」
と言ってそそくさと帰る人たち。私は気にしないように努め、笑って適当に返すようにしています。これも仕事のうち、そして経験のうちなのですが、膨大な雑務を抱えたまま深夜や週末のオフィスに残されると、さすがにフラストレーションが溜まります。

 ちょうど調査旅行でマニラにいらっしゃっていたフィリピン研究の先輩Azumaさんには、今回は研究の話を差し置いて、こんなことばかり愚痴ってしまいました。日々「政治」にかこつけて大きなことばかり考えているくせに「職場の人間関係」なんて月並みで世俗的なことに悩み、自分の半径5メートルのことで心を泡立てるなんて、本当に大人気ないですのですが、Azumaさんはそれを当たり前のように聞いて建設的に返してくださいました。大人です。というか私が子供っぽいだけでしょうか。どんな話題にも対応できる柔軟さ、本当に尊敬しています。ありがとうございました。

 Azumaさんと話していて気づいたこと。何はともあれ、仕事をスムーズに進めることが最優先ですから、爆発しないようにしないとけません。 八方美人であることは私の特技の一つで、職場では絶対に負の感情を出しません(このblogを見てくださっている、私の実の姿を知る友人たちが聞いたら卒倒しそうですが)。だから、もし爆発するとそれこそ大変なことになります。それに、周りがすべて男性であることも考慮しなくてはなりません。女性って往々にして、言いたいことを言わずに溜めこみ、過去を感情とともに頑固に記憶し、何かきっかけがあると突然に感情的にそれを爆発させると共に過去の恨みを総ざらい思い出し、「あのときもこうしてくれなかった」「あのときもこうだった」と一気にぶちまける傾向にあります。常套句は、「あなたは(この人は)何を言ってもわかってくれない」。
 相手にしてみれば、「普段から言ってくれなければわからない」わけで、不満があるなら、その場で言えばいいのです。仕事が多すぎて苛立っているなら、溜め込まずに
「私を置いて帰らないでください。」
「私一人ではできないので、職場に来て、手伝ってください!」
と言えばいいのです。どうしてもその場で言えないなら、あとからでも、
「あのとき、この点が理不尽だと思ったので、次からはこのようにして下さいませんか?」
と理性的に言えばいいのです。
 …と、頭でわかってはいるのですが、なかなかできるものではありません。煮詰まった深夜には、このサイト(ぜひ訪れて下さい、おすすめです!)を何度も見ては自らのコミュニケーション意識の変革をはかろうとしているのですが、そんなにうまくはいかず、相変わらず私は、八方美人を装って言葉を呑み込むばかりです。

 Azumaさんがビサヤでの調査に旅立つのと同時期に、私もビサヤ出張が決まっていました。1年に1度の出張。過密スケジュールを立てながらも、とても楽しみにしていました。しかし直前になって、マカティ市での大規模デモ、etc, etc…
「君には首都圏にいてくれないと困る。出張は中止してくれ。」
と上司に言われました。
 カトリック教会も国軍も動かない現在、この程度では何も変わらない、少なくとも数ヶ月以内には何も起こらない、と確信していた私にとって、それは大きなショックでした。でも、「何も起こりません」と主張して上司を相手に戦ってみても、何も起こりません。中止となれば、現地で調整してくださっている方々だけでなく、年度末の超繁忙期の会計課や人事課に新たな作業負担を強いることになります。結局、もっとも周りに迷惑の及ぼす範囲が狭いと思われる「日程短縮案」に、上司の許可を得ることができました。
 初めてのネグロス、かつ、初めてのイロンゴ圏でしたが、F大学の皆さまの人脈のお陰で、ずっと話に聞いていた「ネグロス民衆運動の生き字引」のような方に多数お会いいただくことができました。現在の自分の所属とこの旅行が仕事上の「出張」であることを、私は非常に気にしていましたが、相手のほうが逆にその点をとても配慮して下さっていて、本当に恐縮しました。私と会うことにある種のリスクを感じておられるに違いない人たちが「職種も所属にも拘らないよ、人は常に複数の帰属を持つのだから」と語り、それを裏付けるように、「共産主義だけではなく、カトリック教会、広範な民主化運動、時には大地主や地方ボスとすらくっついたり離れたりしながら様々な形態をとってきた」民衆運動の歴史を語って下さいました。当たり前のことですが、判で押したような伝統的政治家とか、判で押したような左派活動家とか、判で押したようなノンポリ中間層なんてそんなに転がっているわけではなく、誰もが、さまざまな思想やさまざまな組織、さまざまな帰属の間を選択的に戦略的に移動しながら生きているわけですものね、私自身もそうであるように。ネグロスの壮大な歴史はそれを非常にリアルに見せてくれます。
 いまの仕事をしていると、いつもいつも「ビジネス界はこう動く」「○○党はこう動く」「貧困層の意識はこういうもの」と、あたかもすべての人々がブロック単位で行動しているかのような文章ばかり書かなくてはならないのですが(帰属意識だの個々人の選択だの戦略だのといった話は、この職場ではもっとも嫌われます)、ネグロスにいる間は、久しぶりにそうした観念からは完全に解き放たれました。
 どんなストーリーでもっても決して美化できない闘争の土地にいながら開放感を憶えるなんて外部者の不謹慎かもしれませんが、私は出張を正直に本当に愉しみました。母校を思い起こさせるシリマン大学のプロテスタント・チャペル、そしてとんでもなく美味しいビサヤ料理(とビサヤのお菓子)も、私をこの上なく幸せにしてくれました。ネグロスでお会いいただいたすべての方と、F大学関係者の皆さまに、この場をお借りして改めてお礼を申し上げます。

 短い日程を終えてバコロド新空港を発つ直前、上司の一人に、
「今回は、出張を認めてくださってありがとうございました。お土産にバコロド・チキンを買って帰りますから、よろしかったら、明日のお昼休みに一緒に食べましょう。」
という携帯電話メールを送ると、翌日上司は、奥さま手作りのおにぎりをお弁当箱に詰めて持ってきてくださいました。普段は仕事の合間に個々のデスクで無言で昼食をとることが多いのですが、その日は、会議室でチキンとおにぎりを広げてネグロスの話をしながら、まるで遠足のようにお昼休みを過ごしました。
 そんな本当に単純なことで、とても気が晴れました。ネグロスのお陰です。
 その後も、仕事は山積みで、上司は怒鳴りつづけ、周りの人たちも相変わらず非協力的だけれど、できるだけそんなことで心を泡立てないようにと、自分に言い聞かせています。相手を変えることはできないのだから、せめて自分のものの見方、心の持ち方を少しでも変えられればいいと思います。ネグロスの語り手から教わったように、私も柔軟に、帰属意識をうまく使い分けながら、異なる世界をうまく移動しながら生きていきたいです。
 Happy Easter!
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by saging | 2008-03-14 23:44 | フィリピン勤務('06~'09)