Keso de Bola とは、 「表面は赤いのに中は黄色い」フィリピンのボール型チーズ。転じて日和見主義者。       かつてお世話になった、現地の言葉で「灯台」と呼ばれるマニラ湾岸のスラムを、ガラス越しに。
管理人sagingより
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22年目のエドサ
2008年も1ヶ月半が過ぎてしまいました。本当に遅ればせながら、友人・知人の皆さまには、昨年のお礼を申し上げると共に、2008年が皆さまにとって素晴らしい年であることをお祈りいたします。

旧正月もバレンタインも過ぎて、でもまだ「真夏」には少し早いマニラは、本当にいい季節を迎えています。朝夕は涼しく、青空はいよいよ眩しく、早朝の喧騒のキアポのマーケットで
「もう、ブラック・ナザレ祭以来、立ち退きをくらって大赤字だわ」
と嘆く露天商のおばちゃんから、少し粒の大きくなったマンゴーを買いながら、そろそろ、灼熱の季節が近づいているのを感じます。これで政治が安定してさえいれば、フィリピンのベストシーズンは2月、と断言できるのですが…。このままではいつまでたっても、少なくとも首都マニラでは、最も気候の良い素晴らしい季節であるはずの2月は、ベストシーズンというよりも、、2月25日の「エドサ記念日(マルコス政権を打倒した1986年の「ピープルパワー」記念日)」を控えてなんとなく皆の気持ちが浮つく「路上の季節」なのです。

現在の職場で働き始めてから、2年が経とうとしています。あと1年の契約が終われば、私は大学院に戻り、博士号取得を目指します。
この2年間、指導教授からはずっと「契約終了を待たずに仕事をしながら博士論文を書くように」と言われ続けてきました。それが不可能であることは、仕事を始めて1週間も経たないうちに感じましたが、それでもまだ私は、今年前半に資格審査論文を提出することを諦めていません。7月には国際学会での発表も控えています。

今年前半に資格審査論文提出というのはかなり無理があると思うし、考えただけでもプレッシャーですが、博士課程に入ってからもう3年が経つのですから、いい加減、自分自身で区切りをつけなくては。すべて自分が選んだこと、間違っても仕事を言い訳にはしたくありません。久しぶりの休日にスクワッターのリーダーたちに会って話をきき、それこそ全身が震えるほどの衝撃を受けても次に会えるのはずっとずっと先だということも、お昼休みに夢中で文献を読んでいているときにロクでもない電話がかかってくるのも、せっかく気分が乗っているときに限って事件が起こって残業続きなのも、どれも、覚悟はしていたはず。働きながら勉強している人たちは世に溢れているのだし、学費や本代や家賃の工面にも苦労してアルバイトを重ねている友人たちもたくさんいます。研究に没頭していられるかのように思われている大学の先生方だって、日々瑣末な事務仕事に追われ、「働きながら研究」されているのですから、恵まれたお給料と住居手当をいただいてマニラに住み、じゅうぶんにおもしろくてやりがいのある仕事をさせていただいている私の生活はパラダイスです。口が避けても、忙しいなんて言えません。

あいかわらず先の見えないというか、混迷しまくっているフィリピン政治。アロヨ大統領家の汚職疑惑に端を発する下院議長交代、上院公聴会証人に対する当局の拉致疑惑、度重なるデモ。そして明日は、22回目のエドサ記念日。
いつも冷静で事件が起きるほどに本領を発揮する周りの上司たちとは違い、危機管理の訓練のできていない私は、どうしようもない不安定感と閉塞感を拭えません。朝起きて新聞を読むところからもう緊張するし、TVから時々流れる「バヤン・コ」にもどきどきします。最近はずっと残業と休日出勤続きで、あまり落ち着いて論文を書く気分ではありませんが、仕事をしていることをマイナスではなくプラスに捉えるようにと自戒しながら毎日を過ごしています。

2年前にこの職場で働き始めたとき、留学中からとてもとてもお世話になっている先輩のTさんからは、こんなメッセージをいただきました。
「これまで会えなかったような人とも会う機会ができることを考えると、これはあなたにとっての一つの試練ではないかと思います。こうやって、フィリピン社会を庶民の視点からだけでなく、多面的に見られるように訓練されていくことでしょう。」
また、心から尊敬しているS先生からは、こんなメールをいただきました。
「そこで働くことは、違った場所、違った視点からフィリピン政治を見るチャンスになります。このチャンスを是非とも活かして、博士論文で政治研究のブレークスルーへつなげてください。私自身、常にミクロとマクロ、人の顔が見える関係のなかでフィールドワークをすることと、フィリピン社会の全体の成り立ちを分析することとを、同時に心がけてきました。蟻の目と、鳥の目と、飛行機や宇宙船から見る目によって、世界は違ったように立ち現れてきます。それらの目を持つことを、あなたも是非心がけてください。」

2年前の「エドサ20周年記念日」直前の2月22日、私はスラムの人たちと共にジープに乗せられてエドサ大通りでの集会に行ったのでした。「金に釣られ(bayaran)、ジープニーやトラックで運ばれてくる(hakot)」と批判されるスラムの人々と一緒に「運ばれ」てみれば、何かに気づくことができるかもしれないと思ったのです。
(詳しくは>>  http://keso.exblog.jp/4201460/ )
あのときは1月下旬からすでに、スラムの家々を訪れるNGOワーカーの口から「国軍反乱分子への支持」だの「移行期暫定政権(Transitional Revolutionary Government)」との言葉が発せられ、スラムの街角で平気で「マグダロ(反乱分子のグループ)」という単語があけすけに飛び交い、貧しいスラム住民が「数日以内にクーデターが起こるらしいね」と陽気に言いながらデモに出ていて、メディアも連日「25日に何かが起こる」と煽り立てていて、そうしているうちに本当にクーデター計画が発覚して非常事態宣言が出されて、でもそのことに庶民はちっとも驚いていなくて…という展開に、本当に呆れる思いで、これがフィリピン政治なのね、と思っていました。

あれから2年。「エドサ記念日」を前に、あいかわらず不穏な空気の蔓延するフィリピン。既視感たっぷりですが、立ち位置が変わった分、私の見方も、あの頃とは少し変わりました。いつの間にか事勿れ主義になりきってしまったようで、安定を求め、「どうか何も起こらないで」と願うようになりました。変革なんて二の次です。また、仕事柄、デモを恐れ、嫌い、面倒だと思うようになりました。それがきっと「普通の感覚」なのでしょうが、私はそれを理解するまでにずいぶん時間がかかったのです。デモのTV中継を見ながら「○%は自主的に参加しているようだけど、あとは連れてこられたといった感じ」とひそかに心の中で思い、赤い旗を掲げて警察官とぶつかる人々を「何をしでかすかわからない暴徒」だと感じます。自分もそこにいたことがあるくせに。動員する側のエリートやアッパーミドルクラスの人々と「動員にかかる費用の試算」や「マカティビジネス・クラブの動き」「国軍の動き」などをあからさまに議論し、デモの参加者を「買う」「運ぶ」といった表現も日常的に使っています。

立ち位置は変わりました。話す相手も変わりました。でも、話す内容はあまり変わっていないような気がしています。昨日も、スラムの旧友と電話でこんな話をしました。
「今回は無理だよ、軍が動いてないもん。2年前に比べると、オーガナイザーも軍だなんて一言も言わず、モラル、正義ってぼんやりしたことばかり言っちゃって。路上に出る価値なんてなしね。」
「最近は近所の人も学習しちゃって、お金がないと来ないものね。」
…こういう物言いって、アッパーミドルクラスの人たちのそれと決定的に変わるものではありません。差別的に見えるような、デモの参加者を「買う」「運ぶ」といった表現だって、英字紙の占有ではなく、タブロイドにだって使われているし、都市貧困層自身も使用しています。
先回の投稿(http://keso.exblog.jp/m2007-11-01/)で触れた、バランガイ選挙で落選したP地区のN氏率いる住民組織のリーダーのおばちゃんは、先日、こう語ってくれました。
「私たちは1998年以来、エラップ(エストラダ前大統領)を中心に政治を見てきた。エドサⅡでアロヨに裏切られ、エドサⅢに向かった立場から言わせてもらえば、最近のデモに新しいこと、面白いことは何もない。アロヨへの怒りなんてとっくに尽きているもの。」
「おもしろいことを教えてあげる。トリリアネスがあの例の混乱(11月29日に、反乱容疑で拘束中のトリリアネス上院議員ら国軍反乱分子が、地裁での公判中に途中退出し、路上を堂々と行進した挙げ句にペニンシュラ・ホテルに立て籠もったという、信じがたいような事件)を起こした日、エラップがうちの地域に来たのよ。前日の夜に連絡があって、当初は正午に来る予定で、正午にバスケットボールコート前に動員をかけていたんだけど、2時間も早い10時に来ちゃって、人が集まるのかってはらはらしたけど、でも、さすがエラップね。動員をかける必要もなく、噂を聞きつけた人たちが次々集まってきて、黒山の人だかり。エラップはその中でスピーチした。別に何の政治的な約束もしなかった。ただ、6年間支持してくれてありがとう、自分は無罪だ、って言っただけ。あとは手を握ってくれたり、すごく気さくに話しかけてくれて、皆感激してたわ。さすがエラップ、彼は本当にシンプルでいいわ。で、大騒ぎしてたら、あの事件が起こったのが11時でしょ。びっくりよ。エラップにも、一緒に居たビナイ・マカティ市長にもただちに情報が入って、彼ら、あわててたみたい。それでもエラップは13時頃までここにいたわね。エラップがトリリアネスを支持しているって言う人はいるけど、私はそうは思わないね。」
「トリリアネスは本当に頭が悪い。なんであんな馬鹿なことするのかと思って見てたわよ。ところが後で聞いたら、カ・ドドン(フィリピン大学元学長のネメンソ教授で、P地区のN氏らリーダーを精神的に支持)がトリリアネスと一緒にいたっていうじゃない。でも、カ・ドドンが糸を引いた計画じゃあないわね。カ・ドドンが計画を練ったなら、もと周到にやったはずでしょ。彼はきっとトリリアネスに同情的だっただけよ。同情といえば私たちも、彼の言ってることに少しは同情するけど、クーデターはないでしょ。私たちはアロヨが大嫌いだけど、もっとやり方があるでしょ。いずれにしても、暴力にもデモにはあきあきだわ。」
この語り。この分析。トリリアネスの信条に同情はするがあの行為は馬鹿だ、という見方は、英字紙の論調とまったく同じです。彼らの言葉と中間層のそれと、いったいどこが違うというのでしょう。

ルンペンの目から離れてこの仕事に就き、エリートの目線からフィリピンを、日本を、そして世界を見ようとすることによって私が気づきつつあるのは、エリートと貧困層、あるいはミドルクラスと貧困層の間の意識のギャップというのはそれほど存在しないのではないか、ということです。対立軸は階層ではなく、別のところにあるのではないでしょうか。「アロヨ」と「エストラダ」、そして「エドサⅡ」と「エドサⅢ」の対立軸はあまりにも劇的でしたが、もしかするとあれはフィリピン政治社会の「象徴」ではなくて「例外」だったという見方もできるのではないかと思い始めています。貧困層もミドルクラスもエリートも同じゲームのルールを使っているのではないか、蟻と鳥は別のところから地面を見ながらも「地面」というものに対する認識はあまり変わらないのではないか、という気がしてなりません。

まだ確証はなく、偏見かもしれません。そう思うことで、「私はそんなに遠くに来てしまったわけではないんだ」と、自分自身を安心させようとしている面もあるのかもしれません。
論文ではまさにその「確証」の部分を示さなくてはならないのですから、がんばります。
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by saging | 2008-02-24 00:11 | フィリピン(全般)