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Keso de Bola とは、 「表面は赤いのに中は黄色い」フィリピンのボール型チーズ。転じて日和見主義者。       かつてお世話になった、現地の言葉で「灯台」と呼ばれるマニラ湾岸のスラムを、ガラス越しに。
管理人sagingより
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バランガイ選挙
前回の投稿でひどいことを書いたので、心苦しく思いながら、この週末も「調査地」のスラムで過ごしました。
10月29日は全国一斉バランガイ(行政の最小区)選挙。コミュニティの力の構造が大きく変わることになるので、これからしばらくは、週末はもちろん、平日の早朝か夜も、なんとか時間をつくって通いたいと思っています。
5月の中間選挙は国政選挙だったので、仕事のほうもそれなりに忙しく、土日も仕事が入ったりして、コミュニティに行ける時間がかなり限られていてもどかしかったのですが、バランガイ選挙の場合はさほど仕事が忙しくなるとは思えないので、5月よりは頻繁に通うことができそうです。
 
私がお世話になっている住民リーダーたちも、バランガイ選挙に出馬します。
エストラダ派の巣窟と言われる巨大なスクワッターを抱えるケ○ン市第1区のBバランガイでは、スクワッター出身のリーダーN氏と、プロパー(非スクワッターのことを彼らはこう呼ぶ)出身の現職がバランガイ長をめぐって激しく戦っています。実はこのN氏、5月の中間選挙では無謀にも市議会議員に立候補。大敗しましたが、スラムでの人気はすごいものでした。彼は選挙区のすべてのスラムを抽出してスラムだけを回りました。コミュニティ・オーガナイジングの手法をそのまま選挙キャンペーンに援用し、住民リーダーたちが一軒一軒家を回って話をしました。刺青だらけの若者たちがジープにカラオケマシンを積んでついてきて、各所にマシンを設置し、プロモーションDVDの上映会を行いました。スラムなら、盗電も違法配線も朝飯前ですから。プロモーションDVDは、コンピュータに詳しい若者たちが、自分たちで撮ったスラムの風景写真や「EDSA3」に写真にBambooやEraserheadsやYanoの音楽を組み込んで手作りしたもの。著作権も何もあったものじゃないのですが、貧しい人たちの心を惹きつけるツボを熟知した映像ばかりでした。
N氏の住むスクワッター地区は、現職のベルモンテ市長の目玉プロジェクトである「ケ○ン市ビジネスセンター計画」の予定地そのもの。こんな危険人物を市が放っておくわけがなく、市長はN氏の選挙資金を2000万ペソくらい寄付し、再任後はすぐにN氏を市庁舎に呼んで、N氏をケ○ン市の都市貧困コンサルタントに任命すると述べたそうですが、N氏は、「選挙資金はもらっておくが、コンサルタントの仕事は断る。そんな飴玉で俺を黙らせられると思ったら間違いだ。」
一方、私が以前からお世話になっている左派系政党A○BAYANのリーダーたちはN氏と歴史的に対立し、自由党と一緒になって現職を支持。
どちらの陣営にも知人がいる手前、巻き込まれすぎてはいけない、と思いながらも、ポスター印刷代だの演説会で配るスナック代だのといった「寄付」を求められれば出さざるを得ないし、そうでなくてもすでにお金もいっぱい貸しているけど、それでもそれでも、明確なビジョンを語り、選挙戦略を冷静に説明してくれるN氏とその周りのリーダーたちを前にすると、やっぱりこの人たちすごいな、と素直に感銘を受けてしまいます。言葉が出ないほど、人間的に尊敬します。

私が修士課程にいるときに調査させていただいたマニラ市のP地区の川沿いコミュニティは、10年間の立ち退き反対運動の末、ついに、自分たちで探したリサール州モンタルバンの移転地に自主的に移ることで合意。移転先のインフラ不足や生計喪失、交通の不便さなどのさまざまな問題点が頭に浮かぶ私は幾度となく、「本当にいいの? 本当に移るの?」とたずねましたが、彼らの意志は固いのです。
彼らのグループは、過去10年間ずっと、COMというNGOの力を借りながら、決して首都圏からは立ち退かないとする他の数々の川沿いコミュニティのグループと共に闘争を続けてきました。同時に彼らは、アロヨ政権の発足時から親アロヨ派として大統領府とダイレクトにさまざまな交渉をしてきました。そして2005年、アロヨ政権に反旗を翻したCOMと決定的に対立。移転は決してよい結果を生まないと忠告するNGOに対し、
「あなたたちはわかっていない。NGOからのお仕着せのアドバイスはもうたくさん。これからは、私たちが決める。NGOに振り回されて抗議活動ばかりしている都市貧困層に未来はない。反対ばかりして何になるのか。口うるさいNGOをはさまずに、私たちが直接政府と交渉する。私たちが最初の『成功した移転者』のモデルになってみせる。」
と宣告しました。
幾度もの話し合いがもたれ、多くの涙が流されましたが、彼らはCOMと訣別しました。
それからの彼らの行動が圧巻です。関連する政府機関に文字どおり直接交渉し、「移転に同意する。ただし、移転先は自分たちでよく見てから決めたい」と宣言。リーダーたちは来る日も来る日も、首都圏近郊で移転可能な土地を見て回りました。その都度、政府機関に車を出させて、役人を同行させて…です。私も何度も彼らの「移転地探し」ツアーに同行させていただきましたが、彼らの要望は多岐にわたり、「ここはだめ、あそこはだめ」と、超demanding…。
やがて移転地が決まり、ディベロッパーの入札があり、具体的な支払額の見積もりができ、移転対象世帯の選定が始まり…。現在では毎日のように約1,000世帯が順番に貸し切りバスに乗って移転地を見に行っては、「ぜひ移転したい」と満足して帰ってくる有り様。(貸し切りバスの手配は政府機関!)
10年の闘争の後、きっぱりと方針を変え、移転を選んだ人たち。この先何が待ち受けているかはわからないけれど、この人たちは「本当にすごい」です。
しかも彼らは、移転先で新しいバランガイをつくろうとしています。道は険しく、おそらくその実現は今回は不可能で、次回バランガイ選挙に望みを託すしかないのですが、すでに移転先の町長からは、「私があなたを推薦してやる」とのお墨付きももらっている模様。よいか悪いかは別にして、彼らの行動力たるや、想像を絶するものがあります。
すごい。その一言に尽きます。語彙豊富だけれども決してアクティビスタっぽくない、左派っぽくない、彼らの独自の言葉でまくし立てられ、いつも押されまくっている私。
リーダーたちは、私を近所の人たちに紹介するとき、いつも言います。
「この子のタガログ語を仕込んだのは私たちよ。この子がここに初めてきたときは、タガログ語で『おはようございます』しか言えなかったんだから! 私たちの特訓の甲斐あって、この子は大学院を卒業して、いまや、フィリピンで仕事を得て働いてるのよ。あとの懸念材料は、結婚だけね!」
ほんとうにその通りで、私はいまでも、彼らには絶対に頭が上がりません。朝に昼に、私にタガログ語のレッスンをしてくれたのはこの人たち。私にフィリピン政治の基本をレクチャーしてくれたのもこの人たちです。それを「調査」だなんて、恐れ多くて言えないくらい。とはいえ彼らは、そんな私の懸念をよそに、「saging, またリサーチをするんでしょ。次の論文では、私たちの移転のストーリーを書けばいいわ。全部書いてくれていいのよ。私たちの経験から、日本も学ぶことがあるでしょう」と、とてもオープンで、自信たっぷり。

彼らはスクワッターで、スラム住民で、弱者です。でも、私は世界に対して言いたい。彼らはとても強くて、そして、かっこいい。彼らはほんとうに、とんでもなく頭がよくて、強くて、そして魅力的です。
そして私は、それを言いたいために、私は大学院に在籍して、論文を書こうとしているのです。
圧倒的な格差を利用しながらも、暴力で弱者を踏みつけながらも、それでも、私は彼らに一生頭が上がりませんから。
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by saging | 2007-10-01 00:01 | フィリピン研究