Keso de Bola とは、 「表面は赤いのに中は黄色い」フィリピンのボール型チーズ。転じて日和見主義者。       かつてお世話になった、現地の言葉で「灯台」と呼ばれるマニラ湾岸のスラムを、ガラス越しに。
管理人sagingより
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<   2007年 09月 ( 1 )   > この月の画像一覧
すれ違い
前回の私の投稿「映画”Paraiso”後日談」に対して、最近までマニラのNGOで働いておられたSAYOさんからコメントをいただいたまま、この場でお返事できずにいました。ごめんなさいSAYOさん。

SAYOさんからのコメントに、次のような箇所があります。
「プロジェクトの受益者はNGOから機会を受け取り、刺激を受けて変化する。私はその機会を作る側であっても、彼ら彼女らから自分も刺激を受け、変化し続けるのだという自覚を持ち続けるべきかな、と思いつつ、最近はやってます。なかなかそういう議論ができる人がいないんですけど…ははは。私も相手も、相互に教えあい、学びあい、共通の何かを通じてともにステップアップしてるというか。そういうことは、日本のボランティアなかまに対しても思う今日この頃。」

決して反論するつもりはないのですが、「相互に教えあい、学びあい、共通の何かを通じてともにステップアップしている」なんていう「対等な」関係を前提として途上国と向き合うことにそもそも無理があるのではないかと、私は思います。私たちと、「受益者」と私たちが呼ぶ人々との間にあるのは、「相互作用的な」関係よりも、「すれ違い」のほうがずっと多いのではないかと思うのです。

少し前のことですが、8月3日○売新聞朝刊に、「不登校生 途上国の旅:心の触れ合い『自信戻った』」という記事がありました。不登校だった10代の若者(現在は大学生)が、某NGOが主催したツアーに参加し、ベトナムの戦跡を訪れ、カンボジアの農家に泊まるなかで「貧しくてもはつらつとした現地の子ども達の姿が印象に残」り、将来の目標が見つかったという内容。実に、よくあるストーリーです。
記事には、「無事、ツアーを終えられたことが自信になった」、「『私、意外と強い』と思えたことが、うれしかった」という本人の言葉が引用されています。
 
 このご本人を批評する気はさらさらなく、むしろ、その後、受験勉強に励み、ギャップを克服して現在は日本の大学で将来の目標に向かって努力されているこの方の幸せを私も僭越ながらお祈りしたいのですが、問題は、この言葉を引用したメディアの無神経さです。
 途上国に限らず、外国でのホームステイや一人旅、あるいは国内であっても、ネイチャー・キャンプや農村ホームステイなどを通じて若者が「自分の強さ」に気づき、自信をつけるのは自然なことです。言語の壁や文化の違いにさんざん「苦痛と不便さ」を感じながらも、それを乗り越えて(適応したかどうかは別として)「サバイブ」できたという経験は、確かにある種の自信になるでしょう。
ただ、渡航先が途上国であった場合、若者の「苦痛と不便さ」の対象は、言語や文化の違いよりもむしろ、生活そのものの不便さであったり、衛生条件の悪さであったり、目に映るショッキングな貧困の光景だったりすることが多くなります。
 それをわずか数日だけ「耐え忍んで」体験する「先進国の私たち」が、その「経験」のあとで「自分の強さ」に気づくのだとしたら、これほどの暴力はないでしょう。

○売新聞の記事は、「不登校になるのは社会の主流の価値観に異を唱える能力が高い証拠と見ることができる。異なる生活文化の中で自分や社会の価値観を眺め直す経験は、自分のスタイルに自信を持つためにも非常に大切だ」という、関西学院大の講師のコメントで締めくくられています。
 この先生のコメントはまっとうであり、私は決してそこに異を唱えるわけではないのです。ただ、この記事全体のコンテクストからすればこれは暴力です。「貧しいカンボジアの農村の中で自分の価値観を見つめなおして、自分のスタイルに自信を持つ」のだとしたら、「自分のスタイル」っていったい何ですか? 圧倒的な格差の上で成り立っている豊かな生活ですか?

10代のときにお世話になっていたNGO「T」からは、何度となくスタディツアーに行かせていただきました。それも、参加者としてではなく引率側として。
大人が同行していたとはいえ、中高生の子どもに引率役を担わせようとするなんて、今考えれば危機管理不足もいいところですが、「T」のあの斬新な大胆さは、今でも私の理想に近いものです。あのときの「T」は組織ではなく、運動でした。「何でも反対」といった旧いタイプの運動を凌駕できたかもしれない新しい運動でした。90年代末のNGOブームとNPO法成立を迎えていなければ、もっと大きくなったかもしれないのに、NPO法人格を取得して以来、どんどん保守化しているのが残念なところです。
でも、90年代を通して変わったのは「T」や「T」を含む日本のNGOを取り巻く環境だけではなく、私たち自身も同じことでした。
スタディツアーやワークキャンプはすでにブームになりつつあり、電気のない農村でやスラムでホームステイした経験を第三者にひけらかす「スタディツアー報告会」なるものも行われていましたが、私はすでに疑問を感じていました。だからこそ、数日、せいぜい数週間「現地」に滞在して、土地の言葉どころか英語すらままならないのに、あたかも「現場を知った」ような気分になって、「お客様」を迎えて非日常モードのコミュニティの人たちと「わかりあっている」気分になることだけはしたくないと思っていました。
それは今も同じで、私はスラムを知っているとは思わないし、擬似親族関係にすらあるスラムの人たちと「わかりあっている」なんて露ほども思いません。

ときどき、スラムに行ったこともなくただ単に「開発に興味がある」とか「貧しい人たちのために何かしたい」とかいう自己中心的な理由で私にスラム案内を頼んでくる人たちがいます。たまたまスラムに住んでいる友人のところに日本の友人を連れて行く、というノリならいいのでしょうが、「スラムを見たい」などと考えている人をご案内することはできません。以前はご案内したこともあるのですが、いまは、なんとか都合をつけてそれを断ることにしています。
数年前、私のウェブサイトを見て、ある大学生が私に連絡を下さいました。「フィリピンにおける日本のODA問題について調べたい」などという大それた(かつすでに先入観たっぷりの)目標を掲げながら、電圧はいくらか、どこに泊まろうか、英語が不安だが英語はどこで学べるか(英語が不安なのにどうやってODAについて調査するのかは不明)、など、おおよそODAとは関係なさそうな、そんなの自分で調べてくださいと言いたくなるようなこまごました生活情報を事前に聞いてきました。
私は彼のために語学学校への入学と、学校近くの下宿まで手配しました。そして、彼がいよいよマニラに到着するという日、彼の宿を予約し、宿で彼を待っていました。彼は予定より2時間も遅れて到着。空港から宿への行き方は事前にさんざんアドバイスしたにもかかわらず、「飛行機で知り合ったフィリピン女性に送ってあげるといわれて彼女の車に乗っちゃいました。そしたら、どこかわからないところで降ろされちゃって。…よく無事だったものです。「でも彼女、いい人だったんで。出稼ぎでしょうね。日本の空港でもエンターテイナーの女性が…」と、いきなり調査者モード。その後、どこへ連れて行っても、ろくに挨拶も自己紹介もできず、あとから日本語で訳知り顔に「あのスラムは~なところが問題なんでしょうね。」と調査者の視点から発言、あるいは、「いや、やっぱり日本の社会はおかしいですよね」とにわかに政府批判。あなた、現場の人とほとんど挨拶も交わしていないのに、何がわかるの?と思う私は傲慢なのでしょうか。彼の英語力ではコミュニケーションも難しいのに、現地の状況を知ったかぶりで「調査」。(彼の言葉では「調査」ですが、どこから見ても物見遊山。)
結局、マニラではないのですが、あるコミュニティを荒らし、さまざまな疑惑を人々に残したまま、逃げるように日本に帰国。私は後に、さまざまな人たちから彼の失態を聞かされましたが、彼はその後、お世話になった方々に一通のポストカードを送るわけでもなく、メールを打つわけでもなく失踪。お世話になった人たちに連絡してください、と私が言っても無視。私はマニラで彼に紹介した人たちに会うたびに、「そういえば、あの子はどうしたのかしら?」と聞かれ続けて答えに窮します。
そして現在彼は、「僕は現場を見てきたんだ!」とばかりの口調でフィリピンの貧困についての開発援助の問題などについてブログで論じていますが、内容は相変わらず、地に足のつかない政府批判、社会批判。のみならず、とあるNGOのイベントやメディアに出て、「現場の声」なんて言葉を軽々しく使って「講演」しているそうですから。よくそれで、心が痛まないものです。私が聞いても泣きたくなるのに、彼を世話したフィリピンの人たちがきいたらどう思うことか。そういうことをちっとも考えていないのでしょう。一言で言えば、無神経です。
無神経。
でも、私にだって、彼や、冒頭の○売新聞の記事を書いた人を批判する権利なんてないのです。他人の批判はこれくらいにしておかないと。そして、他人に向けた指を自分に向けて、私自身が暴力で、私自身が無神経なのだと認識しないと。

「異なる生活文化の中で自分や社会の価値観を眺め直」した上で自分はどうするか、というのは、多かれ少なかれ、いわゆるスタディツアーやワークキャンプやエクスポージャーと呼ばれるものに常につきまとう問題です。圧倒的な貧困の現実を目の当たりにして、貧しい人たちを目の前にして、さてこれから、どうするのか、と。「この人たちのために何ができるのか」なんてお決まりの押し付けがましい問いを立てている場合ではなく、「私自身は、これから、いったいどうするのか」と考えなくてはなりません。
私は毎日、家の近くで必ず出会うストリートチルドレンたちとどう「関係をつくる」かではなく、「どうすれ違うか」しか考えていません。私たちは、どうしてもすれ違うに決まっているのですから。
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by saging | 2007-09-15 00:47 | フィリピン(全般)