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Keso de Bola とは、 「表面は赤いのに中は黄色い」フィリピンのボール型チーズ。転じて日和見主義者。       かつてお世話になった、現地の言葉で「灯台」と呼ばれるマニラ湾岸のスラムを、ガラス越しに。
管理人sagingより
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<   2006年 06月 ( 3 )   > この月の画像一覧
2ヶ月
4月17日にマニラに赴任して、はや2ヶ月になります。

3月の○ヶ関での研修も十分に楽しかったけれど、ここマニラでの新しい仕事は、本当に楽しいです。ここに来なければ一生体験できないようなことばかり。きわめて一面的で「狭い」フィリピン、「狭い」政治しか知らない私は、広い(ある意味偏っているけど)視野でフィリピン政治を見ること、国家の存在を第一前提とすること、○交というパースペクティブで物事を捉えること…が当然のこととして求められる今の仕事にはまだ到底、慣れたとは言えませんが、毎日が未知のことばかりで、非常におもしろいです。もっとも、私はあまりに素人なので、上司にとっては甚だ迷惑だと思いますが…せめて早く仕事に(というかこの世界に)慣れるように努力します。

ここで私に課せられた主な研究課題は、”opposition”(野党だけではなく、いわゆる反政府勢力という意味)。赴任1週間後からは、さっそくインタビューに出歩いています。私がお会いするのは、主としてNGOや「活動家」やメディア関係者ですから、基本的に、これまでやっていたこととたいして変わりません。
が、赴任早々、エストラダ・サポーターにも会いに行き、5月1日のラリーも見学(参加)し、あまりに”opposition”にばかり出かけていたものですから、2週間目にして直属の上司から、
「そちら方面に詳しいのは大いに結構ですけど、政権側の視点も取り入れてくださいね!」
と苦言を呈されました。
本当に、おっしゃるとおりです。すぐのめりこむのは私の悪い癖です。やっていることはこれまでと何も変わっていないようでも、アプローチは恐らく90度くらい異なります。時間をかけてディティールばかり突いていたこれまでと違って、膨大な情報の中から大切と思われるものを抽出し、情報を収集し、それをできるだけ迅速に手短にわかりやすく、上司(日本)に報告することが求められるし、上司(日本)への配慮と「効率」が最優先されます。今までは、自分でアポを取り付けるために毎日、必死で電話をかけ、外出先でうろうろと路上のPayphoneを探し…とやっていたところが、アポ取りは秘書に頼み、仕事では職場の車を使い、通勤と万一のために個人でも車を所有し、ドライバーを雇い、コンドミニアムに住んでいます。だから私はよく、かねてからの友人たちに、
「もう、pang-masa(民衆派)じゃなくなったみたい」
「もう、ジープニーの路線なんて忘れてしまうかも」
と自嘲的に言いますが、けれど、私は自分の現在の立場を決してマイナスには捉えていません。たぶんそれも仕事の一部なのだし、それも経験のうちなのでしょう。こんな世界だから、「足並みを揃える」ことって必要なのです。

…でも、それはそれ。基本的には、本当に何も変わっていません。
もう、赴任直後は、上司からさんざん、
「あなたが平気でスラムに出入りしているとかいう噂はかねがね、あなたの先生から伺っていますが、今後はどうぞお気を付けください!(私の指導教授はかつてこの職場で働いておられ、今もissue-basedで関与しておられます)」
「言っても無駄かと思いますが、あまりそのへんの食堂で食べないようにしてください。」
「…言っても無駄かと思いますが、基本的にジープニーなど公共交通機関は利用しないように。」
などと言われたのですが、キアポで30ペソで買った「ダヴ○ンチ・コード」のDVDを悪びれず同僚や上司に貸し、いまだにジープニー路線を基準にしか地理を説明できない(ここからここは遠いの?と訊かれて、うっかり「ジープ二本で行けます」、「ジープで8ペソで行けます。」と答えてしまう)など、うっかりボロを出してしまう私のことですから、2週間も経つと、誰からも何も言われなくなりました。

COMのオーガナイザーを初めとした活動家の旧友とは相変わらず、毎晩のように電話したり会ったりしています。お弁当を持って行かない日には、平気で昼休みに「そのへんの食堂」に出入りし、金曜の夜になるとジープでケソン市に戻り、友人「武簿威」の家に泊めてもらいながら、実はまだ終わっていないパヤタスでの調査を継続し、その他の元調査地にも通い、あの頃のように礼拝に参列したり、インフォーマントの方々の家に行ったり、バランガイの催しに参加させていただいたり。そして、大好きなLITEX(パヤタスの近く。ベンダーが多く、野菜や果物が安い)やキアポ(LITEXより安いものもあるけれど、概ねLITEXと同価格)で一週間分の野菜や果物を買い、ついでにPhilcoaにも寄って、同志Wさん(ベンダー研究)のホストファミリーのところでおいしいハムやソーセージやトシーノを買って、来るべき一週間に備えます。(PhilcoaのGreenwichの前のリヤカーです。探してみてください。ここのハムとソーセージは下味がついていて、お弁当の野菜炒めには最適!)

私は毎日をとても楽しんでいます。私は以前はもっと悲観的な性格で、特に10代の頃に所属していたNGOの仲間には本当に多大なご迷惑をお掛けしましたが、3年前にフィリピンに1年間留学したことで性格が180度変わり、大学でも職場でも、ことあるごとに「いつも楽しそうですね」とか、「楽天的ですね」とか言われるようになりました。

どんな環境でも楽しく生きることを、私はたぶん、フィリピンで学びました。特にスラムで。D地区で私をよく泊めてくれた家のおばちゃんは、猫みたいなサイズの鼠を捕まえようとして手首を噛まれて破傷風で死んでしまった夫の一周忌に、近所のおばちゃんたちをスラムの狭い家に集めて、音楽を流してダンスパーティを開き、出身地のサマール島から知人が差し入れてくれたトゥバ(ココナツのどぶろく)を飲んで大騒ぎしていました。私が心から信頼しているコミュニティ・オーガナイザーのB兄は、偉大な農民リーダーであり戦争中はフクバラハップ(抗日人民軍)であったお父さんの葬儀で、13人もいる兄弟姉妹たちと共にに、参列者を笑わせるスピーチを繰り返しました。
もちろん私だって、何でも「笑い飛ばす」、「笑って済ませる」フィリピンの人たちのことを、不真面目だと思って本気で腹を立てたことは数知れず、今でも苛々することはあるけれど、でもきっと、楽しいことは強いことです。
私も、この新しい世界で、できるだけ人に迷惑をかけない範囲で、楽しく強くありたいと思います。
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by saging | 2006-06-16 01:23 | フィリピン勤務('06~'09)
彼らの家族
私がマニラに赴任した2日後の4月19日、私の最愛の友人「武坊威」の弟の「純々」が、研修生として日本に旅立ちました。元上司の皆様、そして、純々のことを気にかけてくださった方々、本当に本当にありがとうございました。
私は赴任当日の晩にまず彼と家族に会い、書類や金銭的な問題について話し合いました。その翌日は出発前夜ということで、彼と同じ会社に派遣されるヌエバエシハ州出身の研修生候補と一緒に、ケソン市にある武坊威・純々の家に泊まって、お別れをしました。
私が前任者から引き継いで雇うことになったドライバーに頼んだ最初の仕事は、その日の未明に純々たちを空港まで送ってもらうことでした。

純々はときどき日本から電話をかけてきてくれます。職場には、日本人とフィリピン人のダブルの女性がいて、彼女の家で時々インターネットを使わせてもらっているらしく、たまにチャットもしています。純々の日本語能力は依然としてあまり高くないようですが、会社の上司の方々も優しく、彼は以前のように過度なプレッシャーを感じることなく、相変わらず生真面目にやっているようです。6月15日は彼の誕生日。料理が大好きな彼へのプレゼントはもちろん、フィリピン産の調味料や、モンゴ豆、干魚など。彼の従姉妹と一緒に買い込んで、家族の手紙や写真と一緒に箱に詰めて、Hさんのお手を借りて、彼の元に送りました。彼が日本(大阪)の職場で幸せにやってくれることを願うばかりです。


そして。アメリカに留学中の武坊威は先日、夏休みを利用してマニラに戻ってきました。彼は7月7日に、彼も私もとても尊敬している労働運動家のA兄の義理の妹、T姉と結婚します。A兄は、私の調査地P地区の住民組織のトレイナーも務めたことのあるすばらしきオーガナイザー。そしてT姉は、都市貧困層への住宅供給に関わる政府機関で働きながら公務員労組のリーダーを務める、優しくて凛としていて、とても素敵な人です。

武坊威はこれまでずっと、貧しい両親と兄弟のためにペディキャブのドライバーなどをしながら身を削って働き、奨学金を削って弟たちの学費を出し、「できちゃった婚」の兄弟を助け…、とても優秀なのに、奨学金で留学中のアメリカでも、家族に仕送りをするため、学部生向けの授業を受け持つほか、寮費を節約するためにと指導教授の家にハウスボーイとして住まわせてもらいながら働いているものだから、私はかねてから、どうかもっと自分の人生を大切にしてほしい、と言っていました。純々が日本で働けることになってから、何度か電話でそんな話をしていたのですが、今回、結婚が無事に決まって、本当に良かったです。
式は、7月7日、フィ○ピン研究会全国フォーラムの前日に、フィリピン大学のカトリック教会で、とてもシンプルに執り行われます。NinonもNinanも親戚ばかり。武坊威を知っている皆さん、どうか遠くから祝って下さい。それから、彼の論文が来年、アテ○オプレスから出版されることが正式に決まったそうです。タガログ語のままですが。

私たちは彼の家の近くのカンティーンに飲みに行って、お祝いをして、お互いの論文と、研究計画と、スラムの政治と、そして私たちの壮大な大志について相変わらず熱く話し合って、彼はピナクベットを作ってくれました。ピナクベットは、小説『仮面の群れ』の主人公トニー・サムソンが留学を終えてマニラのスラムに戻って初めて食べる料理なのです。2年前に私は武坊威を「アメリカ留学なんかしたらトニーみたいになるよ」と揶揄していたのですが(詳しくは小説を読んで下さい)、今では、どちらかというと私の方がずっとトニーっぽくなってしまいました。やれやれ。

武坊威、結婚おめでとう。今後あなたの家族が貧困から脱するという保障はどこにもないけれど、でもどうか、あなたはこれから、これまで犠牲にしていた分の幸せを取り戻すべく、新しい家庭を作って、あなたのすばらしい研究を続けて、革命を起こして下さい。人にはいろいろな生き方があるけれど、世界は確かに家庭から始まるのだし、社会変革は、自分自身が幸せになることから始まると思うよ。
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by saging | 2006-06-16 01:16 | フィリピン(全般)
私のすまい@マニラ
前回の更新からかなり時間が経ってしまいましたが、お蔭さまで、無事赴任いたしました。赴任後約2週間は、以前からお世話になっているSta Anaの川沿いの下宿と、ケソン市の武坊威の家に交互にお世話になっていて、相変わらず、鼠に噛まれたり、ゴキブリと格闘したり、さんざん蚊に刺されたりしつつ、本当に幸せでした。しかし周りの目を考えると、さすがにいつまでもそこにいるというわけにはいかず、一人暮らし用のコンドミニアムを借りなくてはなりません。私の職場に出入りされている不動産業者の方に、正直に、
「最安値のところで、かつ、職場にもケソン市にも公共交通で行けるところをお願いします。」
と、私の予算の上限を申し上げて、探していただきました。不動産業者はとてもとても親切に、間違いなく「最安値」で「公共交通が豊富」なところを紹介してくれました。ケソン市までジープが出ており、LRTの駅に近く、かつ、職場までもFXで10分という、マニラ市のとある海沿いの建物です。最安値と言っても、とても良いところです。いやもちろん最終的には職場から住居手当を得られるのだから、実際に私が払う分は留学時代以下になるのですが、問題は、フィリピンでは通常、住居の契約には最初に3か月分の前払い+1か月分の敷金=デポジットを要求されるので、ものすごい額の初期投資が必要になるということです。5月末にならないと住居手当と初任給を手にできない私には、どう考えてもそんな大金は工面できず、不動産業者を通して、オーナーに自分の工面できる金額を正直に話しました。中華系フィリピン人であるオーナーは、私の服装(ウィークデイはがんばってBusiness Attireにしているつもり)と、私の名刺の肩書きをじっと見つめ、
「本当ですよね? あなた、本当にここで働いてるんですよね? なのに、前払い金がないんですか?」
と何度も確かめ、私は自分のIDカードを見せながら、
「はい。確かに私はここで働いていますが、初任給も住居手当は5月末にしか入らないのです。」
と答えました。結局、オーナーは、敷金の免除と前払い金の支払期限の延長を認めてくれました。ごめんなさいオーナー。私はさらにオーナーに対して、
「できれば、実質的な家具を貸してください。ソファーセットも豪華な飾り棚も、お湯の出るシャワーもバスタブも、エアコンも要りません。なんなら、ベッドも要りません。床で寝ますから。ほしいのは、もっと生活に役立つものです、物干し台と、最低限の調理器具と、大きくて頑丈な扇風機と、アイロンと、勉強机を貸して下さい。」
と要求しました。オーナーは私のすべてのリクエストにあっさりと応じてくださり、さらに、ベッド(客人用も!)、ベッドリネン、電気スタンド、自動洗濯機、テレビ、DVDプレイヤーまで貸してもらえることになりました。

…というわけで、初期投資をなんとか最少限に抑え、4月28日(土)にやっと、現在のコンドミニアムに引っ越しました。けれども、広すぎる部屋に恐れをなした私は、その夜はついに一睡もできず、数年ぶりに「金縛り」に遭い、その数日後には台風が来て、耐えられなくなった私はケソン市にいる武坊威の家に逃げ込みました。彼らの家は停電していましたが、自家発電装置のあるこのコンドミニアムに一人でいるより、真っ暗でも彼ら家族といるほうがずっといいです。セブ・パシフィックの国内空港カウンターで働いている武坊威の従妹に同居を持ちかけたのですが、彼女も、
「こんな広いところで眠るなんて無理!」
と言って、数日で出て行ってしまいました。その後、マニラ市で働くコミュニティ・オーガナイザーの友人(男性ですが、単なる友達。非常に信頼できる人です)を招いて我が家に一泊させたことがありますが、彼も我が家の広さにただ愕然としていました。

いえ、一般論を言えば、周辺環境は別として、我が家は、立地も住み心地も申し分なく良いところなのですが…慣れない身には、多少、良すぎるようです。エアコンが3つもついていますが、マニラ湾に面したコンドミニアムの最高層階にあるこの部屋は、締め切っていても涼しく、窓を開けると本当に快適で、扇風機も要らないくらいです。マニラ湾岸の簡易バーでは各種バンドが毎晩(特に週末)腕をふるって生演奏をしているため、窓を開けると結構やかましいのですが、夜景は最高です。コンドミニアムの裏は、路上生活者と新築コンドミニアムと廃れた飲食店やゴーゴーバーが同居するエリアですが、近くのカンティーンのおばちゃんたちはとても良い人で、おかずも安くて、私は毎日通っています。家が広すぎることと、マカティに比べると多少治安がよろしくない以外は、まったく素晴らしいところなのです。

今は、フィリピンで調査中の大学院の同期の友人が住んでいますが、広くて快適な我が家、まだスペースはありますので、知人の皆様、ぜひ来てくださいね。
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by saging | 2006-06-16 01:13 | フィリピン勤務('06~'09)