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Keso de Bola とは、 「表面は赤いのに中は黄色い」フィリピンのボール型チーズ。転じて日和見主義者。       かつてお世話になった、現地の言葉で「灯台」と呼ばれるマニラ湾岸のスラムを、ガラス越しに。
管理人sagingより
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イースターの朝に

○ヶ関での1ヶ月の研修を終え、まもなくマニラへ赴任します。
ただでさえ何もかもがまったく新しい初体験の世界で、唖然とするままにすぎた1ヶ月でした。仕事の内容にも、システムにも、一人の担当する仕事量にもただただ唖然。○ヶ関は不夜城といいますが、まさに。ちょうど国会会期中ということもありましたが、よくあれで誰も過労死しないものです。
もっとも、研修中の私はいくらなんでもそんなに遅くまで働いていたわけではなく、終電がなくなっても当たり前、というペースで未明まで働いておられる上司には申し訳ないなあと思いつつも、帰らせていただきました。
仕事内容は、社会経験の少ない私にはすべてが目新しいものでした。いろいろ疑問に感じることはあれど、元来、私はきわめて楽天的なので、スラム生活であろうが○ヶ関であろうが、工場街での通訳であろうが、何事も楽しみ、実に簡単に適応してしまうのです。(適応しすぎてしまうのが私の悪い癖で、この仕事に没頭するあまりに研究のことをきれいさっぱり忘れてしまいそうなのが心配です。)
そんななかでも、向こう見ずな私は、東京の終電が遅くまであるのをいいことに、ここぞとばかりに、仕事後や土日はちゃっかり、在・東京の友人・知人の皆さまにお会いいただいて東京滞在を満喫させていただきました。活動家時代の友人との○年ぶりの再会や、フィ○ピン研究会の方々との楽しい議論など、本当に恵まれた日々でした。(それについてはまた別途書きます。)

そんなこんなでしたが、同時に、3月はけっこうな試練の月でした。私の親友である武坊威(コードネーム)の弟、純々(これもコードネーム)が、私の以前の職場を通して4月下旬にやっとのことで研修生として来日する予定なのですが、マニラでの日本語学校での成績が悪く、このままでは来日が延期かキャンセルになるかもしれない、という話がもちあがったのです。加えて、その職場でずっと私がかかわってきた研修生たちのうち4名もが、この1ヶ月の間に相次いで失踪したのです。
私が毎日の研修を終え、夜遅くにウィークリーマンション(という名前の文化住宅)に帰ってメールをチェックすると、元上司から「またフィリピン人が失踪しましたが、心当たりはありませんか」、「純々くんの日本語レベルをどうにかしてください」といった内容のメールが入っていて、私は毎晩、暗澹たる思いに駆られました。
失踪したうちの一人の研修生についての事情聴取はある日曜日の午後に横浜で行われ、私は東京から、通訳としてお手伝いに行きました(報酬を受け取ってはいないので「兼業の禁止」に違反してはいません!)。
在職中も何度も失踪の事情聴取には立ち会いましたが、悲しくてなりません。私には、彼らがなぜ失踪するのかが理解できてしまうからです。彼らには彼らなりの論理があるのです。私はマニラのスラムで、日本で何年も不法滞在を経験した人たちと出会いました。「スクワッター」出身であり、存在そのものが違法である彼らにとっては、日本での違法行為も罰則も、ちっとも怖くないのです。私の元上司は、「出国前に担保金を取るとか、もっともっと罰則を重くすれば失踪が防げるだろうか」とおっしゃいましたが、私は答えました。罰の重さで彼らを縛ることはできません、彼らの「合法/違法」に関する概念は我々のそれとは異なるのです、と。

そして、純々。
ある時期までは「研修生制度」を搾取だと言い、私に早く通訳の仕事を辞めるようにと促していた誇り高きアクティビスタの武坊威ですが、私が「あのねえ、この制度、たしかに問題はあるけど、それでも、背に腹は変えられない貧しいフィリピン人に日本行きの機会を与えられるんだから、あながち悪とも言えないでしょう。そんなの、貧困層出身のあなたが一番よくわかってるはずでしょう」と主張しつづけ、昨年7月に武坊威が来日したときに彼の前で私が実際に研修生のために働いているところを見せて煽ったせいか、ついに「弟を研修生にしたい」と言い出したのはほかならぬ彼。ただ、そこでまかせとけとばかりにあの手この手を使って純々を研修生に推薦したのは私ですから、当然、責任は私にあります。
私は1-2月のあいだ例によってずっと武坊威の家に住まわせてもらっていたので、毎晩のように純々に勉強も教えたのですが、どうも彼はもの覚えが悪く、兄に似ずきわめてマイペースなので、私もキレそうになることしきりでした。そして、私が日本に戻った後の3月になって、彼の日本語能力の低さのせいで、日本の企業側から受け入れを拒否され、入国がキャンセルになるかもしれないという話が持ち上がったのです。
彼は確かに頭の回転はややスローですが、行動そのものが緩慢というわけではなく、料理がものすごく上手で、いつも家で弟たちや従妹の世話もしている、優しくてしっかりした人です。私の調査を手伝ってもらったこともあります。とても勤勉なのです。彼は毎朝、朝5時に起きて従妹のお弁当と家族の朝食を作り、8時から12時まで日本語の授業を受けて、家に帰って家事をしながら勉強していました。
しかしあまりに成績が悪いので、入国キャンセルの話が持ち上がったあと、私の(元)上司の提案で彼は、授業後も家に帰らずに午後も日本語学校で自主学習をすることになり、上司が毎日数時間、彼に付き添って個人指導をしてくださいました。ところがあまりに覚えが悪いというので、上司は純々に厳しく指導し、純々はそれに怯えておどおどし、ますます勉強に身が入らない、という悪循環でした。
これはまずいと思った私は、○ヶ関のお昼休みに純々に電話してはハッパをかけ、武坊威と真夜中にチャットで話しては、なんとか純々に自信をつけさせようと戦略を立てました。

しかし、残念なことに純々の成績はその後も伸び悩み、いよいよ、入国できない可能性が高くなってきました。そして、ある再試験の成績が本試験を下回った日、上司から、彼の入国キャンセルを示唆するメールが届きました。ショックを受けた私はいまだかつてない勢いで反論し、複数の上司に陳情メールを出しました。アクティビスタの武坊威は実にさまざまなロジックを思いついては、「上司にこう言ってかけあえ」、「こう言って譲歩しろ」などと私に提案(というか指令)を出し、ついには「僕から直接陳情のメールを書く!」と言い出し・・・、私も「考えうる手段はすべて使う」とばかりに、フィリピン側のカウンターパートの社長にまで連絡して救済措置を依頼し…、そうこうしているうちに私の研修が終わりました。関西に帰ってきた私は元職場を訪ね、上司にお会いいただきました。
「入国させることは決まりました。あとは入国日を確定するだけです。」
上司からそう言われ、ほっとして帰りました。しかしその晩、
「やはり、受け入れ先の会社が、日本語レベルの低い子は要らないと言っています。純々くんの入国はキャンセルとして、代わりの研修生を面接するそうです。」
というメールが来て、私は、ここ数年味わったことのないような衝撃を受け、すぐに武坊威に連絡しました。武坊威も初めはかなりショックを受けていましたが、それが最終決定と知ると、潔く
「そんなの、よくあることだ。貧困層の人生なんてそんなものだから、純々も僕の家族もそんなのには慣れている。すぐ立ち直れる。君は彼らの様子をよく見ておくといい。それが弱者というものだ。いっそ君も、研修生制度について論文を書いたらどうだ。君はもう純々の経済状況まで全部知ってるんだから、彼をケーススタディにすればいい。」
と言いました。発想が違う…さすがは、貧困層の出身だけあります。
「私はもうあなたの家族には合わせる顔がない」
と言うと、
「フィリピンの家族はそんなものじゃない。もし君が僕の家族に合わせる顔がないなら、できちゃった婚でうちに住むことになった弟の嫁はどうなんだ。フィリピンの家族には、経済的にぶらさがっているような居候がたくさんいるんだ。」
と、なおも意気消沈する私にハッパをかけ、すぐに、次の手段を考え始めました。次の手段というのは、別の手段で研修生に応募する機会を狙うことか、あるいはもう日本に行くことは諦めて、研修生になるために前職を辞めた純々の次なる雇用先を探すことです。いや、さすがです。貧困層出身かどうかという問題ではなく、思考回路の問題です。動揺するだけで何の前向きな方策も示せない私とはだいぶ違います。武坊威があまりにさっぱりと機敏に対応するので、私も
「純々と私が偽装結婚すれば彼は日本に来て働けるのよ!」
などと、危ない冗談を言えたくらいでした。

そして、その翌日。入国キャンセルという決定を知らされないまま、純々はフィリピンの日本語学校で、最終試験を受けました。そしてなんと、これまでの3倍の点数を取ったのです。そして、上司はその結果を元にもう一度、彼を受け入れてくれる予定の会社に掛け合ってくださいました。その結果、大どんでん返しが起こり、なんと、1週間後に彼を受け入れるとの返事があったのです。

私は明日4月17日にフィリピンに発ち、純々に会います。そして彼はその2日後に来日します。私は2-3年はマニラで働くことになりますし、彼のほうも何もなければ3年間は日本で働き続けることになります。ちょうど反対ですが、彼が何事もなく幸せに3年間を終えてくれることを、そして願わくば、この「研修」で、将来の生計の可能性につながるようなものを得てくれることを祈ります。

私にとっては、武坊威も純々も、フィリピンでもっとも信頼できる親友であり、「ホストファミリー」であり、お互いの家計の事情も知って、もはや準家族のようなものですから、今回の件については、私も本気で、あらゆる手を尽くしました。また、私の特別な友達ということで、私の元上司もものすごく彼を押してくださいました。けれど、もしこれが純々でなかったら、私はとてもここまではしなかったでしょうし、日本語のレベルが低いとわかった時点で、あっさりキャンセルになっていたかもしれません。実際、私が知る限りでも(うちの会社ではありませんが)、入国が決まり、お金を払って日本語学校に通っていながら、日本の受け入れ企業側の都合で突然キャンセルになったという例はたくさんあるのです。純々の入国が絶望的とわかった晩、私は
「純々一人の権利すら守れない私に、研修生たちの権利を守れるはずがないのだし、社会なんて変えられるはずがない」
と思ったのですが、純々の入国が決まったところで、私には、純々のほかにもっと弱い立場にある研修生たちの利益を守ることなんて、できやしないのです。誰かが私のことを「身内びいき」「日本人だからといってコネを使って金を誘導して」と批判したなら、私はそれに対して何も言い返すことができません。だって本当にそうなんですもの。私だってこれまで、フィリピンでいろいろな事象を見ては「身内びいきだ」「これだから途上国は…」と批判したこともあったけれど、これからは迂闊にそんなことも言えないくらいの思いです。

Happy Easter. 今日はイースターです。頑張った純々と、それを支えた武坊威と、彼らの家族と、私の元上司の方々と、そのカウンターパートと、そして神様に感謝を捧げます。そしてどうか神様、こんなに頑張っている純々に、これからも恵みがありますように。貧しい研修生たちとその家族の上に、これ以上の悲劇が起こりませんように。私がもっと彼らのことを理解できますように。
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by saging | 2006-04-16 02:54 | 外国人技能研修生・実習生