Keso de Bola とは、 「表面は赤いのに中は黄色い」フィリピンのボール型チーズ。転じて日和見主義者。       かつてお世話になった、現地の言葉で「灯台」と呼ばれるマニラ湾岸のスラムを、ガラス越しに。
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野宿者のオバちゃん
日曜日である今日は、日本オーラル・ヒストリー学会(JOHA)主催のオーラル・ヒストリー実践講座@日本女子大に行ってきました。私はオーラル・ヒストリーを調査手法として使用したいとはいまは思っていないのですが、オーラル・ヒストリーと通常のインタビューはどう違うのかを知りたいとずっと思っていたので、参加させていただきました。インタビューの大家の先生方による実演インタビューまで見せていただき、本当に良かったです。やはり、オーラル・ヒストリーは、「聞き手の聞きたいことの核心を聞く」普通のインタビューや、「参与観察」の中での日常会話による情報収集とは大きく異なるのです。場所を設定して、アウトラインを決めて、相手の背景や生い立ちから聞いていかなくてはならないとのこと。もしそうだとすれば、きっとこの先も、私はオーラル・ヒストリーを使用することはないと思います。スラムの方々の生い立ちについて「じっくり」話を聞くとき、私は、彼らの住むまさにそのスラムの中の家々や、道端(座る場所はあちこちにあるので)、サリサリストアの軒先なんかを選んできました。普通の感覚で言えば、とても「じっくり」どころではないのですが。近所からはカラオケが鳴り響いているし、どこかの子どもが泣きながら近寄ってくるし、犬は入ってくるし、隣のオッちゃんは入ってくるし、扇風機の音はうるさいし(私はかなり高感度のICレコーダーを持っているのですが、フィリピンの扇風機の煩さには勝てません)…という喧騒の中でのインタビューしかできません。本日のレクチャーの中で、講師の先生が、「もし、インタビューの途中で電話が鳴ったり、あるいは話し手がマイクをきにしてどうしても集中できない様子であれば、その日のインタビューは切り上げるのがよろしい」とおっしゃっていたのですが、そんなにも敏感にならなくては、オーラル・ヒストリーは完成しないのだなあ、と改めて思いました。私がスラムのリーダーをインタビューするために、仮に、静かなオフィスやスターバックスなんかをインタビュー場所として設定してしまったら、そのほうが、彼らの自然な発話を妨げることになると思います。

…その帰り道に、目白駅のすぐ近くの駐輪禁止エリアで、今日の強風で倒れた自転車を起こそうとよろよろしている白髪の女性がいたので、私はあわてて彼女に近づき、「おばちゃん、私がやりますから!」と(関西訛で)言いました。自転車を直してから、よくよく見ると、彼女は一見して「野宿者」のようで、歩道の花壇の植え込みに座り込み、横には4つも紙袋が置いてありました。しかも、ツッカケ履きから見える彼女の靴下は、膿のようなものでどろどろに汚れていたので、私は、怪我をしているのですか、と聞きました。彼女は、怪我もありますが、この色は、誰かに茶色の液体をかけられたからです、と答えました。私が思わず、
「失礼ですが、寝るところとか、ご家族とかあるんですか。もしなかったら、病院とか、市役所の相談窓口とか、相談に乗ってくれる団体とか、一緒に探しましょか?」
と、(かなりの関西訛で)聞きました。彼女は、
「家とか、寝るとことか、家族とかはないけど、一応、知り合いでときどきは相談できる人はいるんです。」
と言いました。
「ほな、おばちゃん、いま、なんか困ってることとかあったら手伝いますけど。その知り合いに連絡取るときの電話代とか、交通費とかあります?」
と言うと、おばちゃんは、
「いまお金なくて…。ちょうど、一昨日から食べていないので、誰かから500円くらい恵んでもらおうと思って、ここ(花壇)に座ってたんですけど、この自転車があって、歩道から遠すぎてダメみたいで。で、自転車をどけようとして…。」
と言いました。私はあわてて、
「いやオバちゃん、そんなんやったら、そもそもこんなとこに自転車停めて、オバちゃんに自転車整理させる若者が悪いんやから、とりあえず、そのお詫びに私がオバちゃんに500円払います。」
と言って、彼女に500円を渡し、
「どこで何を買って食べはるんですか? よかったら私が買ってきますけど。」
と聞きました。だって、おばちゃんの身なりでは、目白駅前のお洒落なマクドナルドはもちろん、ファミリーマートだって拒否されそうなのです。
「じゃあ、そこのマクドナルドで何か安い食べ物と、熱いコーヒーが飲みたいです。」
オバちゃんは、私の500円をもう一度私の手に返して、そう言った。…幸いなことに私はその数分前に、路上のお兄さんから、マクドナルドの全店舗共通クーポン券をもらっていたので、オバちゃんに、
「すぐそこにファミリーマートとドトール・コーヒーもありますけど、マクドナルドでいいんですか? マクドナルドだったらいつも、80円バーガーと、コーヒーも100円ですけど、私クーポン持ってますから、選んでください。」
と言い、オバちゃんは、クーポンのポテトとホットコーヒーを選択。私はマクドナルドでそのとおりに注文し、レシートとおつりと一緒に、オバちゃんに渡しました。
「ねえオバちゃん、すぐそこに交番もあるし(本当に50M先には交番があるのです)…とかいっても、この自転車でさえどうにもしてくれへんのやから、何をしてくれるかはわからへんけど、市役所やったら生活保護とか相談できるところもあるし、あと、ボランティアさんの団体もあるし、なんかあったら、とりあえずはそういうとこ行ってみてくださいよ。」
と言って私はオバちゃんと別れました。オバちゃん、最初から最後まで関西訛でごめんなさい。

このBlogを見てくださっているなかで、野宿者運動に関わっておられる皆さんにご助言をいただきたいのですが、こういうとき、どうすればいいのですか?
野宿者人口は都市のほうが多いのでしょうか。もちろん、私の地元である京都にも多くの野宿者の方々がいらっしゃいますが、私は、特に彼らから物を乞われたことがありません。お一人、私が高校のとき、四条河原町の繁華街で和菓子販売のアルバイトを通して出会ったオバちゃんがいます(賞味期限が迫った商品や試食用商品を定期的にさしあげていました)が、それ以外のインタラクションは皆無なのです。支援団体による野宿者の方への「夜回り」にも参加させていただいたことがあるけれど、その場合は、団体の連絡先、炊き出し情報、などをしっかり提供できるわけでしょう。もし、一個人が、ある日、突然に野宿者の方に出会ったときには、どうすればいいのですか? 金銭を渡すだけ、というのが一番なのでしょうか。初対面なのにいきなり「野宿者ですか?」などと聞くなんて、なんだか立ち入った話をするようでよろしくないと思うのですが。生活保護より路上生活のほうを選ぶという人だってあるのですし、市役所に行くよう薦めるというのもなんだか…。

マニラには老若男女多くの物乞いさんがいますが、道行く人々もそれに慣れているので、小銭があれば渡します。私も同様です。毎日のように見かける人もいるので、その場合は、渡したり渡さなかったり。ただ、もし、いつも見かける「その人」が、具合の悪い様子だったり、明らかに麻薬に手を染め始めた様子であれば、立ち入ってでも話をしますし、必要であれば、それなりの団体で活動している自分の友人たちに相談しますが…日本の場合はどうなのでしょうか。多くの人が、途上国で物乞いに出会ったときの対応に困る、といいますが、私は、この豊かな日本で野宿者の方々に出会ったときのほうが、ずっと困ります。どうしたらよいのでしょう。
模範的な「対応マニュアル」があるとは思いませんが、友人、知人の皆様、どうかご助言ください。
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by saging | 2006-03-12 23:27
さまざまな世界、さまざまな「言葉」


フィリピンから帰国し、東京で1ヶ月間の「研修」を受けるため上京して、あっという間に10日目になります。現在は、都内のウィークリー・マンション、という名の、どう見ても文化住宅(関東と関西ではこの言葉の指し示すところが違うようですが、関西で「文化住宅」と言えば、戦後、労働者向けに建てられた木造2階建ての棟割りの廉価アパートの俗称です)みたいなユニットに入居して1週間になります。最近、廉価なウィークリーマンションにすべく改築したらしく、建て増ししたようなバスルームがあり、LANがあり、家具や食器なども揃っているのですが、外見も内装もなんだかおかしく、なぜか部屋の中に梯子と、「ロフト」という名の変な屋根裏があります。無理やり違法改築された、マニラのスクワッターの移転者用中層住宅(Midium Rise Housing)みたいです。周りの建物も「木賃宿」っぽし、雨が降るとあっという間にユニットのすぐ前まで浸水するし、川沿いだし、前の道を大型トラックが通ると揺れるし、歩いて30秒のところに、やたらと安いスーパーがあるし…、なんだか、これはもう、私にぴったりです。ウィークリーマンションとしては格安だし、最高です。ここは、インターネットで適当に物件を探してたまたま見つけた格安物件でして、私はそこからさらに値引きをお願いしたのですが…、こんなに私向きの物件とは思いませんでした。もちろん、良い意味で。やっぱり、私にはこういう生活が運命付けられているのでしょう。

その「文化住宅もどき」から、毎朝スーツで○ヶ関に通うのはとても不思議な感覚です。これから私は、「これまで生きてきた世界」とはまったく違う世界に入ることになるのでしょう。この「研修」でもすでに毎日がカルチャー・ショックの連続ですが、それらは良い意味でとても刺激的で、一日はあっという間です。上司の方々もとても親切に仕事を教えてくださいます。この1週間で、私はこの世界に対する認識を改めました。

事情をご存知の友人の皆様、ご心配なさらないでください。私はこれから、「新しい世界(実はそんなに新しくないのかも…)」に適応できるように努力します。たとえ、毎日の通勤電車の中や昼休みには、これまでどおりUrban Poor関連の文献を読み、帰宅後は毎晩、スラムの人たちやスクワッター・シン○ケートのインタビューテープを起こしながら、根拠のない自信で、いつかこの人たちの声を言葉にするための論文構想を夢想しつづけているとしても。

3月5日の、東京のフィリピン人コミュニティの参加する「非常事態宣言と下院議員の不当拘束に抵抗するデモ」@恵比寿公園にも行きましたよ。MI○RANTE Internationalが独自のネットワークを駆使して日本でもこういった活動を広げていこうとしているのにはつくづく感心しましたが、参加人数が極めて少なかったのは残念でした。(日本のSolidarity Group=運動団体のおじさんたちのほうが多いくらいでしたよ!)遠くからそっと見るつもりだったのに、こういった場では必ず知り合いに会ってしまうのが悲しいところです。
でも、友人の皆さん。いくら私が「新しい世界」に入ったとしても、こうした「デモ」のような場に出向くことが禁じられているわけでは決してないから、大丈夫ですよ。念のため上司にさりげなく事後報告しましたが、別に問題はないとのことでした。

あとは、私がどれくらい「この世界」の常識と良識を見につけられるかが…、とはいっても決してマニラでの「これまでの生活(=「運動」と「スラム」を追い続ける生活)」や、自分のスタイルや、これまでの人脈を葬るわけではないので、要は、どれだけうまく「これまでの生活」と「この世界での生活」を、「使い分け」られるかがネックなのでしょう。
たとえお金があっても、私はレストランよりもカンティーンのフィリピン料理のほうが好きだし、ルスタンズ・スーパーでパックされている野菜より、パレンケ(市場)でおばちゃんに水をかけられている野菜を買うほうが安全に思えるのですから! そして、すべての「おいしいもの」はスラムにあると信じて止まないのですから…。2.5ペソのシュウマイ、3ペソの腸詰BBQや血を固めたBBQ、3ペソのルンピア(ソース/酢つき)、3ペソのクウェックウェ(鶉卵をオレンジ色の生地で包んだで揚げたもの)、5ペソのアイスクリーム(Dirty Ice Creamと呼ばれる)、5ペソのホットケーキ、5ペソのブコ・ジュース(ココナツ・ジュース)、Balut(孵化前の鶏卵)、10ペソの格安ハンバーガー、串刺しのグリーンマンゴー、フィッシュボール、スクイッドボール…、どれも、私の大好物でした。
それに、私は今でも、マカティ市よりは、あのSta Anaの川沿いのスラムのほうがずっと安全だと信じてやみません。私の知人(ぱっと見てフィリピン人に見えるようなベトナム人)は、なんと白昼夜にマカティのDusit Hotelの前で拳銃強盗に襲われ、車でFort Bonifacioに連れ去られて身ぐるみを剥がれました(幸いなことに命には別状なく2時間後に生還)が、一見して東洋人顔の私は、夜中の1時や2時にSta AnaのP地区の川沿いのスラムを歩いていても、誰にも危害を加えられることはありませんでした。私がケソン市で夜間によく通る片側二車線の道路だって、道の片方は政府機関、もう片方はスラムのコミュニティですが、私は必ず、スラムのある側を通ります。先日たまたま、コミュニティ・オーガナイザーをしている知人と一緒にその道を通ったときも、彼は迷わずにそちら側を選びました。「あなたもこっちを通るんだね」と言うと、彼は「いつもこっちを通るから特に意識してなかったけど、そういえば…」と言いました。私も彼も、別にそのスラムに知り合いがいるわけでもないけれど、絶対にそのほうが安全だと、自然にそう信じているのです。(注:私が修士論文で取り上げたトンドのPA地区は別です。あそこは「特殊なスラム」であり、本物の殺し屋集団や犯罪組織の拠点があること、夜間に臓器売買の契約が秘密裏に行われていること、そして政治的な理由から、治安は非常に悪く、日中でも一人で出歩くことはきわめて危険であり、ましてや日が暮れてからは「外部者(たとえフィリピン人でも)」が出歩くことはもってのほかです。私はそのせいであの調査地を思い通りに訪問できないことをいつも本当に歯がゆく思っています。)

今後は、そうした行動をある程度は慎まなくてはならないわけで、私はこれから、本業の利害を損なわないように、私自身の安全と健康を損なわないように、本業に差し支えない程度に、そして周りから後ろ指をさされない程度に(…実は、それらこそがとても難しいことなのでしょうが)、自分の信じる道を、まだまだ修正しながら進みたいと思います。
私はまだ、「この世界」の常識や不文律がわかっていないのです。不用意に「ジープニーで30分くらいです」なんて口にしてしまいそうな私は、いつもひやひやしています。私はこれまで、自分の中の常識というものを、マニラのスクワッターの方々の、あるいはフィリピン人研修生たちのそれに近づけようと努力してきました。彼らの約束(口頭でも文面でも)に対する責任意識はきわめて希薄であるとか、彼らは法律というものを重視しているように見えて実はまったく重視していないとか。そう、基本的に彼らは、政権によってコロコロ変わりうる「フィリピン法」というものに対して強い猜疑心を抱いている反面、裁判と法律の強さは認識していて、自分に都合のいい箇所だけを都合よく使おうとするのです。それだけに彼らは、「制度化されていないインフォーマルなもの」に強く惹かれ、日本人の感覚ではとても信じられないようなもの(たとえば、スクワッター・シン○ケートからの土地の売却とか、スクワッター同士の口頭での賃貸契約とか、質屋価格とか、高利貸しとか、あるいは、返済能力のきわめて低い知人に金銭を貸すこととか)を信じる可能性が日本人よりもはるかに強く、実に「インフォーマルな」契約をするのです。本当ですよ。そしてそれは、スクワッターに限らないのです。マニラ首都圏以外の地方出身の研修生たちも、一様にそうした傾向をもっていました。権利意識は強いのですが、法に対する感覚が異なるのです。誤解を生むかもしれませんがはっきり言って、彼らの権利意識は「植えつけられた」ものであるという感覚が払拭できませんでした。
「この契約書は法的に有効なのか」
「会社は私たちへの約束を守ってくれるのか」
と、しつこく尋ねる一方で、彼らの多くは、土地を持たない「貧困層」であり、会社の定めた寮則を平気でやぶり(本人たちは悪いことをしているとは思っていない)、一部はなんと、不法就労先を探すために突然に会社から姿を消しておきながら、未払い分の給与を請求してくるのでした。私はずっと、彼らの言葉をうまく理解することができませんでした。だって、
「自分は出発準備金を支払えず、自分の身分を担保できないから、仕方なく、送り出し機関(フィリピンの人材派遣会社)の社長にネックレスを渡した」
なんて言うんですよ! 一見笑えそうで、とても笑えない話です。彼らからすればそれは「正統」なのですから。たとえ「違法」であっても、少なくとも、彼らの論理ではそれは「正統」なのです。「違法でも正統」というのは私たちの常識をはるかに超えた感覚ですが…、実際、そうなのです。それが、「彼らの常識」なのです。だから、いくら政権が、「許可を得ていないデモは違法である」とか、「エドサ大聖堂前はNo Rally Zoneである」とか言っても、彼らには関係ないのですよ。「正当な」手段で弾劾手続きを踏もうとしている下院議員たちが、一方では「暫定革命政府(Transitional Revolutionary Government)」の設置を訴えるという状況がまったく理解できない、と、私はいろいろな人たちから言われましたが、LegalとIllegal、FormalとInformalがあまりに複雑に入り組んだその論理が「彼らの常識」なら、その事実を認識するしかありません。

私は、スラムの人たちの言葉と論理を理解できるようになるまで、とても長くかかりました。私はそのためにスラムに滞在し、彼らの「言葉」を共有しようとしましたが、それでもなお、私はいまだに、彼らの「言葉」なるものを理解することはできません。だって、私はフィリピン育ちではないし、貧困層でもないし、スクワッターでもないのですから。

それと同様に、この「新しい世界」の常識を身につけるには、あと何ヶ月も何年もかかるのかもしれません。でも、こちらのほうが、スクワッターや、貧困層や、「フィリピン人」の常識を身につけるよりは簡単なのかも。周りに影響されやすい私のこと、数ヵ月後には、Back to the Province論(マニラ首都圏の過剰人口であるスクワッターをこれ以上マニラで収容することはできないから田舎に帰れという論調)を唱えているかもしれません。

私がマニラに戻るのはイースター明け(4月17日ごろ)になりそうです。皆様、今後ともよろしくお願い申し上げます。
そして、先輩方、どうかいろいろとご教示ください。
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by saging | 2006-03-11 01:37