Keso de Bola とは、 「表面は赤いのに中は黄色い」フィリピンのボール型チーズ。転じて日和見主義者。       かつてお世話になった、現地の言葉で「灯台」と呼ばれるマニラ湾岸のスラムを、ガラス越しに。
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<   2006年 01月 ( 3 )   > この月の画像一覧
シン○ケートの言葉

マニラは適度に暑くて、しかもなぜかこの時期なのに強い雨が降ったり止んだり。
今回は、政府機関に対するインタビューとフィールド調査を二本立てでやろうとしているが、例によってスラムではそんなに短期間で情報が集められるわけはなく、私は今日も、スラムの道端で洗濯のおばちゃんたちと話しながら、トランプの博打に熱中するインフォーマントを見つめながら日暮れを迎えた。そんなものですよね…。そんなものだと信じたい。今回、1ヵ月半もマニラにいることにしたのは、数週間ではとても足りないから。1年間の留学中にスラムでひたすら無駄な時間をすごしたことが修士論文になった。オーガナイザーの友人たちに”Lagi siya nasa kanto””(彼女はいつでもどこかに出没する)と冷やかされながら、私は今日もスラムでぶらぶらと時間をすごす。ジープに乗って、お決まりのように渋滞に巻き込まれて時間を浪費しながら、いやいや、それでもタクシーでフィールドに乗りつけるわけにはいくまいと思いながら、「このジープニー・ドライバー、どっかで見たと思ったら、こないだ私がインタビューした人の旦那さんじゃない!」とか、「あれー、ここの道広くなって渋滞がなくなった! 2004年選挙のときはいつもこの道で立ち往生してなかなか家に帰れなかったのに~」とか、くだらないことを考えながら時が過ぎる。2ヵ月後には私も、ジープニーになんてそうそう乗らない新生活をマニラで始めるのだから、あと少し、この時間をすごしていたい。

実は、今回マニラに来る前に、新年早々、友人が送ってくれた、マニラのスクワッター・シン○ケートについてのある論文を読んで、私は、天地が逆になるくらいの衝撃を受けてしまった。

昨年9月にケソン市のパヤタスである政府機関の貧困削減プロジェクトの対象世帯へのインタビュー調査をしたとき、私は初めてこのスクワッター・シン○ケートなるものに出会った。自分たちこそが土地の本当の所有者だと主張し(彼らは「スペイン統治時代から先祖代々伝わる」とされる権利書を持っている!)、住民組織と教会NGOと政府の共同で進められているスラム開発プロジェクトを妨害する人々。やり方は左派組織と似ているけれども、そもそもの存立基盤が決定的に違う。それがシン○ケート。…厳密には、その地域の人々は普段は「シン○ケート」とは呼んでおらず、固有の組織名で呼んでいる。

その問題がどうにも理解できなかった私に対してその友人が紹介してくれたのが、
Philip C. Parnell (2003) “Criminalizing Colonialism: Democracy Meets Law in Manila,” Philip Parnell and Stephanie Kane eds. Crime's Power: Anthropologists and the Ethnology of Crime

マニラのケソン市のコモンウェルス通りとパヤタスに広がるスクワッター・エリアで人類学的調査を行った筆者の、あまりに生々しく迫真に迫る議論に、泣きそうなくらい、新年からやられてしまいました。だめです…参りました。
ちょっと引用します。まずは、27人の弁護士を雇い、フィリピン全土に250の企業を持ち不動産ビジネスを運営する、あるシン○ケート・リーダーの言葉。
「100万人以上が私から土地を受けた。私は下院へのデモに、500万人の受益者を動員できる」
「今、フィリピン法というものはないのだ。私たちにあるのはアメリカ法だけだ。マルコス政権が20年間にわたって公布してきた法はコスメティックだった。だからアキノはそれを覆したのだ。私たちは、アキノ政権下の法律がコスメティックかどうかはまだわからない。それを認めるのは人々だからだ。…私は一人でもやれる。私の傘下には250の企業があり、私は彼らに土地を与えて、貧しい人々が最低限の支出で土地を持てるようにしてやれる。私は、貧しい人たちに耕せる土地を持ってほしいのだ。問題は、政府が、私の土地をすべて法の支配の下に政府の管轄下に置きたがっているということだ。そうなれば、私はこの土地の権利をめぐって法廷で戦わなくてはならない。億万長者たちは私たちから土地を取り上げようとする。人々は皆貧しい。わたくしの財産は土地だけなので、土地を取り上げられたら法廷で闘うことができないではないか。政府が我々の合意を得ないままに土地を配分するのだとすれば、それでもかまわない。大統領が変わればすべての法は白紙に戻され、土地は私たちのもとに返ってくるさ。私は法に従うよ。政府は、補償と適正なプロセスを経ないことには、財産をすることはできない。それが、民法29条、新民法449条に書かれている私の権利だ。」

次に、スペイン時代からの土地権利書を持っているという理由で、16歳のとき政府に父を殺され、自分も殺されかけたという、あるシン○ケート・リーダーの言葉。
「1980年に私はすべての書類をマルコスに渡した。土地の半分は政府の所有に、そしてもう半分は、私とマルコスで二分するという約束だった。土地は、マルコスの第一期に支給された。マグサイサイ(1953-1957)は、事故で死んだんじゃない。私と交わした土地に関する約束のために死んだのだ。ガルシア(1957-1961)とも約束を取り付けようとしたんだが、彼がドンマリアノの土地(パヤタスの土地)の相続者を殺そうとしているときいたので、しなかった。」
「すべての政府機関はシン○ケートだ。金持ちと貧乏人の差を拡大させる。政府は、金のためならなんでもする。…私の敵は、私が貧しい人々に土地を配分するのをやめさせようとする政府の人間たちだ。たとえば、Land Regulatory CommissionやBureau of Landsは土地の権利をだぶらせようとしている。私の敵は、政府の中のシン○ケートだ。」

この国で、Presidential Proclamation(大統領布告)およびExecutive Order(執行命令)という形で作られていく土地関連の法規は、大統領が変わるたびに変わるので、スクワッターはそのたびに翻弄される。「土地に関する法律は信用ならない」ということを誰よりも身にしみて感じているのはスクワッターである。シン○ケートの、「ならばもっとも信頼できるのは、たとえスペイン時代のものであっても、現存する権利書である」という言葉に、彼らは、経験的に深く共感する。私も共感する。 「そもそも法律なんて何も信用できない」、「違法なのは政治家のほうだ」というあの意識。「違法な居住形態をとる彼ら」の、「違法」ということに対する概念は、私たちの想像を超えている。
外部者で、非フィリピン人で、非貧困層である私は、こうした、生の声が活字化されたものにめっぽう弱い。こんなことを言われたら、私はもう何も言えないではないですか。
ちなみに、どんなものに弱いかというと、研究書ではなんといってもRaynald Illeto “Pasyon and Rebolusion”(レイナルド・イレート『キリスト教叙事詩と革命』)、清水展『文化の中の政治』、小説ではショニール・ホセ『仮面の群れ』、『民衆』、ルアールハティ・バウティスタ『70年代』など…。

友人を通して、この論文の著者のParnell先生に質問の手紙を書くと、先生はメールで丁寧なお返事を下さった。言葉がないほどに、先生の言葉は、スラムの人々のそれのようにきこえた。先生がシン○ケートと、シン○ケートを支持してきたスクワッターの人々の論理に近づいておられるように、私もそれにできるかぎり近づきたい。…いい論文を書きたいと思う。
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by saging | 2006-01-26 00:44 | フィリピン研究
研修生になるために

私はマニラで、ある友人の家にステイさせていただいている。その友人の弟は、やっと、というべきか、私が先日まで働いていた会社を通して、4月ごろには「研修生」として日本に旅立つことになった。「研修生」になるには、出国に先立ち、さまざまな書類が必要になる。出生証明書や履歴書はともかくとして、大変なのは、「職務証明書」の取得。面接専攻を経て研修生に選ばれた時点で彼らは仕事を辞めなくてはならないので、つまり、この証明書の取得は「かつての雇用主」にお願いしなくてはならないわけで、それがものすごく時間がかかるのだ。日本のように、たとえ中小企業でもいわゆる雇用主と社長が一致していればいいのだけれど、フィリピンの場合、雇用主がその職場か家にいるとは限らない。さんざん捜し歩いて、彼の工場…といっても本当に小さなスペース…に辿り着き、頭を下げて証明書を作ってもらって、Department of Trade and Industryのライセンス番号証明を受けて、やっと提出すると「ここにサインが足りない」と言われ、またその「元雇用主」の元に戻ってサインをもらい…と、かかる時間も労力もお金も、半端なものではない。彼のケースなど、事情を知っている私が一緒に手土産持参で同行して「元雇用主」に説明をして頭を下げているからまだいいようなものの、そうでなかったら大変なことになっているはず。
それ以外にも、出国前の事前研修(日本語など)や各種証明書の取得にかかる実費や交通費、写真代、各方面へのお礼などを含めると、かなりの出費になる。それでも、親戚筋やコネを頼りにどうにかお金と証明書が亀の歩みで揃っていくのがフィリピンのすごいところなのだが、旅立つ頃には、研修生とその家族はもう、借金だらけのはずである。私も研修生から聞いて知ってはいたが、実際に一緒に体験してみると、それは大変なもの。そんなに多くの借金を抱えて出国するのだから、あだやおろそかに帰国なんてできない。
私は、研修生受け入れの会社で仕事をしているときにこのことを体感していなくて、逆に良かったかもしれないと思う。知っていたら、私はもっともっと研修生に同情したり共感したりして仕事にならなかったかもしれないから。
いまは、彼らが何事もなく3年の契約を終えてくれるのを祈るのみ。そして、友人の弟が無事に旅立てることを祈るのみです。
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by saging | 2006-01-26 00:39 | 外国人技能研修生・実習生
これからマニラ
今日から2月末までマニラです。ついに、念願のスクワッター・シン○ケートにアプローチします。どこまでできるかわからないし、まだ日本でやらなくてはならないことも溜めたままで、非常にこころもとないのですが、この機会を逃すと次にこのような調査ができるのはいつになるかわからないので、全力で行ってまいります。
期間中にマニラにいらっしゃる方には、いろいろとお世話になるかと思いますが、よろしくお願いいたします。
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by saging | 2006-01-16 04:52 | フィリピン研究