「ほっ」と。キャンペーン

Keso de Bola とは、 「表面は赤いのに中は黄色い」フィリピンのボール型チーズ。転じて日和見主義者。       かつてお世話になった、現地の言葉で「灯台」と呼ばれるマニラ湾岸のスラムを、ガラス越しに。
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2005年の終わりに
12月25日、クリスマスの日。本当は研修生たちと大阪の大聖堂に行きたかったのだけれど、大学の紀要に投稿していた論文の初校ができたのでチェックしに来るように、との連絡があったので大学へ。私が昨春まで在籍していた大学はキリスト教だったので25日は閉校していたのに…。無事にチェックを終えて、帰りに、神戸の教会に行って、コンビニで国際電話カードをチャージして、フィリピンの知人・友人に電話。フィリピンでの人間関係を維持するのに、誕生日カード(ギフト)、クリスマスカード(ギフト)、そして、クリスマスの電話、これだけは欠かせません。
それから、アメリカにいる友人「武坊威」にも、アメリカが25日の朝になるのを待って電話をかけさせてもらった。もっともこれは、クリスマス・コールというよりも、私が自分の研究について(特に、事前にメールで送っていた私のリサーチプロポーザルと1年前に書いた修士論文について)彼に質問したいことが山のようにあり、彼の大学がクリスマス休暇に入るのを待ちかまえて電話をしたのだ。武坊威はいつもコースワークに忙殺されている様子なので、私も電話で邪魔をするのは悪いと思い、普段はメールとメッセンジャーでしかやりとりをしない。だから、アメリカに国際電話をかけるのは実は今回が初めてだった。Phonebankの国際電話カードの残高300円で1時間も喋れてびっくり。1分5円しかかかっていない(フィリピンは固定電話にかけても1分22円)。
武坊威は私の希望どおり、私のリサーチプロポーザルに厳しいコメントをつけ、一言一句を修正し、さらに、大量の文献リストと資料と追加コメントをメールで送ってくれた。思い返せば、彼は1年前のこの時期(クリスマス~年末年始)にも、彼は休暇返上で私の論文を直してくれたのだ。ありがとう武坊威。あいかわらず駄目だしされてばかりですが、来年はもう少しは、あなたとマニラのスクワッターの方々に追いつけるように頑張りますよ。

あ、私のFamily Dayは、クリスマスイブでもクリスマスでもない別の日に行いました。家族総出の大掃除も。こういうとき、家族は多ければ多いほどいいなあと思います。

この1年は、年始早々、研修生の諸問題に振り回される中で修士論文を提出し、別大学の博士後期課程に入れていただき、フィリピンにも2度も渡航して、マニラでも調査をしながら仕事もして…と、常に「二足のわらじ」状態ながら、紀要論文も目標どおり2つ寄稿したし、研究会発表もさせていただきました。もっとも、これらは上司が私の仕事にかなりの自由度を認めてくださっているからであって、正規雇用の社会人院生っていうのは本当にたいへんだと思います。上司に感謝します。働いていると、なかなか時間をかけて「考える」ことができないけれど、私は仕事で「打算的な」フィリピン人に関わりながら、大学院でもフィリピンのスクワッターの政治的取引の分析というテーマを扱っているので、その点でも、通訳の仕事と研究の両方を続けていて良かったと思います。そして、こんな超・打算的な私の相手をしつづけてくれる研修生、マニラの知人・友人の皆さん、ありがとう。

来年は、年明け早々に通訳の仕事を辞め、1月中旬から1ヶ月ほどマニラに調査(避寒ともいう)に行き、そのあと、大学院も休学して別の仕事に就き、マニラで働くことになります。今後ともよろしくお願い申し上げます。

皆様も、どうか良い年をお迎えくださいませ。May Peace Prevail on Earth.

今年も、「来年は良いことがありますように」ではなく、「来年は悪いことがおきませんように」というお祈りに代えて、みなさまの幸せをお祈りいたします。
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by saging | 2005-12-31 21:15 | フィリピン研究
クリスマス2005

今年の12月24日は、日ごろから懇意にしていただいている東大阪の会社(フィリピン人の研修生がたくさんいる)でのクリスマスパーティに午後から招いていただいていたので、午前中にビコ(もち米と黒砂糖とココナツミルクを混ぜた餅)でも作ろうかと思っていたら、突然、南大阪にある別の会社から電話。「うちの研修生の片頬が脹れあがっているので病院に連れて行ってください」とのこと。ビコをほったらかしで南大阪へ。本人の話を聞いて、歯医者に連れて行く。歯の詰め物がとれて歯の根元に黴菌が入っているとのこと。歯医者ときいただけで、本人は「歯を抜かれる~!クリスマスなのに~」と、十字架を握り締めて半泣きになっている。なにも、泣かなくても。確かに、フィリピンの歯医者だったら即・抜歯するかもしれないけれど、日本の歯医者はそう簡単に歯を抜いたりしないのですよ。無事に処置をしてもらって終了。

その後、東大阪に移動して、会社の寮でフィリピン人たちと上司の方々と一緒にパーティ。食事や飲み物を会社から提供していただいて、上司のおひとりが趣味のバイク・ツーリングのDVD映像を見せてくださったり、「3年後に研修生たちが契約を終えて帰国するときには、ぜひみんなでフィリピンの行楽地に遊びに行こう」と、それぞれの研修生たちの出身地や家族の話をしたり、ボラカイの観光ガイドブックを皆で眺めたり、おなじみのギターを出してきて歌ったりした。フィリピンのクリスマスにはおよびもつかないほど静かなクリスマスイブでも、皆で集まって少しでも賑やかにこの日を迎えることには、とても大きな意味があるのだ。
そして夜になると、彼らはそれぞれに家族に電話をして、各教会で行われる英語ミサに出かけていく。
研修生制度をただ「単純労働力の輸入だ」、「搾取だ」、「抑圧だ」と批判する人たちは、日本に何千人もいるだろう研修生たちが、彼らを愛する日本の中小企業の方々と、このように倖せな時間を重ねていることなど、おそらく、想像もできないのだろうと思う。「あの仕事」、「人身売買」と、眉をひそめて見られがちなフィリピン人エンターテイナーの世界であっても、どこでも、それは同じだろう。
別に研修生たちを美化しているわけではない。日本での生活に慣れ、おごってもらうことにも当たり前のような顔をして、上司に一言の感謝の言葉も発しなかったり、留守中もエアコンをつけっぱなしにして、注意されると「電気代は会社もちだから」と答えたり、果ては、上司におごってもらいながらその食事内容に文句まで言い出したり、握り寿司の魚だけを食べてご飯を残すような不作法を平気で行う彼らに対して、今回も私はとても落胆したし、そのことをはっきりと言葉で伝えもした。「私はフィリピン人を愛しているけれど、あなたたちのその行為は大嫌いです。あなたたちは、フィリピンに残してきた自分の子どもたちの前でそんなマナーを見せるのですか? 日本でお金を貯めるということは、礼儀もマナーも感謝も失うということなのですか? だとしたら私は、入国直後の貧しかった頃のあなたたちのほうがずっと好きです。“Christmas is the Day of Giving and Forgiving.”ではなかったですか。それとも、”Day of Getting and Forgetting”だったのですか?」と。

今年も私は、海外に働きに出たいと口にする多くの人たちとマニラで出会った。彼らがそのチャンスを掴む瞬間である「面接選考会」の現場にも何度か同席した。そして、晴れて来日した研修生たちとフィリピンの彼らの家族たちが、どんどん変わっていくのをかなしく見てきた。日本での寂しさに耐えられずにガールフレンドをつくって家庭崩壊に陥ったり、日本で大金を手にした途端、正常な金銭感覚を失ってしまったり、日本人はおごってくれて当たり前、おごってくれなかったらケチ、自分より金を持っている者に「たかる」のが当たりまえ、という思い込みのせいで会社とトラブルを起こしたり…。そして私も、さまざまな事情から3年の契約を満了できなかった何人かの研修生たちを空港で見送った。幸せをつかむために日本に働きに来たのに、さまざまな事情で帰らざるを得なくなってしまった研修生たち。「金」があってもなくても、人はそのために、日常のほんの小さなレベルにおいてすら、とても醜くなってしまうものだと思う。
こんなことを言うと、あるいは、貧しい人を見下していると思われるかもしれない。きっと見下しているのだろう。私には、彼らと「ともに生きる」なんてとても言えないから。私は彼らと一緒に時間をすごして、それなりに価値判断を共有してきたし、ときには情が芽生えたこともあるし、私は彼らのことを愛しているだけれど、私はいつも彼らをコントロールしようとしてきたし、彼らは彼らで、私をなんとか利用しようとしてきた。研修生は私を慕ったけれど、幾度となく私は心の中で、”Gagamitin lang ako.”(利用されるだけじゃないか)と思った。私がまもなくこの仕事を辞めてフィリピンで働くと知った彼らが「これからは、通訳じゃなくて僕たちの友達になろう」と言ったときも。…多くの人は、「フィリピン人は打算なく客人をもてなす」と言うけれど、そんなはずがない。ちゃんと、”hidden agenda”って言葉はあるし、腹蔵だらけですよ。
…それは、この仕事でも、私の研究(スクワッターの政治行動)でも、ずっと以前に自分が関わっていた「国際協力」という分野でも同じ。私と「彼ら」の間には、究極的には、支援も共感もないのだと思う。連帯や平等がなくても、人を愛することはできる。
来年には、私がフィリピンで家族のように大切に思っている、あまり裕福ではない友人が、やっと研修生として来日する。日本に来ることが彼や彼の家族にとって喜ばしいのかどうか、本当のところなんとも言えないけれど、私には、愛する友人を打算的にでも日本で働かせることがベストの選択に思われるのだ。

理念や大義だけでODAを批判する人たちと同様、研修生制度をただ、新自由主義の側面だなどという上っ面な言葉だけで批判するような人たちには、神聖で即物的で切実な研修生たちのクリスマスの祈りは、決して理解できないだろう。

神様、クリスマスでなくても、どうか、一日一日を、Day of Giving and Forgivingとして生きられますように。
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by saging | 2005-12-24 17:58 | 外国人技能研修生・実習生
シュミレーション

先月末、降って湧いた通訳の仕事で、ぴかぴかの中部国際空港(セントレア)と豊橋の造船会社に行ったとき、長い長い電車での移動中に読もうと思って、駅の書店で、ベストセラー『下流社会:新たな階層集団の出現』(三浦展、光文社新書)を買った。
1980年生まれの私は、この本の定義によると「真性団塊ジュニア世代」。そして、団塊ジュニアは「下流化」しているんですって。下流とは、一言で言うとつまり、「向上心がなく、意欲がない」人々のこと。これに賛同するかはともかくとして、第二章の、男女別の階層分類はおもしろかった。

ちょうどそのころ、団塊世代について特集を組んでいるテレビ番組があって、それによると、団塊世代の特徴として、以下のような点が指摘できるそうだ。
・数か多いので、自分たちの世代中心に世の中が動くという経験をしてきた。
・自分たちが時代を変えてきたという自負と自信を持っている
・熱く、まだ変革を起こしたいと思っている
・過去を懐かしむ
その番組の結論は、「だから、団塊世代のみなさん、たたでさえあなたたちは数の力で声が大きいのだから、今後退職した場合は、こうしてことを認識して、他世代を困惑させないようにじゅうぶん気をつけましょう」というものだった。
たまたま一緒にテレビを見ていた母と私と弟はこれに大いに納得した。私の父は団塊世代で、母は三無主義世代(団塊と新人類との間)で、私は団塊ジュニア(末期)で、うちの2人の弟たちは「キレる10代」を脱して20代になったばかり。そして、私たち兄弟は全員「ニート世代」。父は認めないかもしれないが、本当に、父の世代ってこんな感じだと思う。わが父は温和な性格だけれど、それでも、PKO法案の審議のときに、当時小5だった私にデモに参加するよう勧めたのだから、やっぱり熱い。母が、
「団塊の世代がいっせいに退職したら、暇を持て余したおっちゃんたちが町にあふれてたいへんでしょうね。暇だから昔みたいにデモに参加したりなんかして。」
と言うと、父はほんとに、
「うん、そりゃ、行くかも知れんな!」
と言う。弟曰く、
「最近、テレビでもフォークソングとか懐メロ番組がよくあるけど、あと数年もしたら、たぶん毎日、一日中、懐メロのチャンネルができると思うな。フォークシンガーもこれから引っ張りだこで、ガッポガッポやろ。これから一番もうかるのは、団塊対象ビジネスかも。」
さらに悪乗りした私と弟は、団塊世代の定年退職が始まった後を以下のようにシュミレーションしてみた。

<デモ活性化>
退職して時間のできた団塊世代は、ボランティア活動や政治活動に参加。というか復帰。日本の社会運動は急速に活性化。デモには元気な高齢者があふれる。これまでの労働組合のデモなどとは違って、もっと明るくやかましく元気に街頭に飛び出す団塊世代。若者は「ドン引き(ものすごく「引いてしまう」こと)」。団塊はその大きな声で、引きまくる若者を叱咤し、若者はさらに遠ざかる。社会運動は団塊世代に牛耳られ、ただでさえ冷めている若者は、ますますやる気をなくす。
しかし、そんな若者をよそに、発言力を強めた団塊世代は、その頃活発化するだろう憲法改正論争には徹底的に抵抗。憲法改正論議は凍結される(だから自民党は実は今、なんとか2007年までに改憲したいと思っている)。場合によっては自衛隊も廃止される。さらに、「2000年安保」と呼ばれる安保闘争が復活。
が、憲法改正議論以外のさまざまな問題(年金問題、民営化問題、天皇制など)については、それぞれの立場から熱く議論をするものの、お互い、一歩も引かないのでつねに分裂。

<大学活性化>
さらに団塊世代は、40年のブランクを経て大学にも復帰。「実はあのころは、学生運動のせいでろくに講義などなかったのだ」といいながら、社会人入試を受け、自分より年下の大学の先生たちにその熱意を買われて入学。キャンパスには高齢者が激増。彼らは大教室の一番前に座って授業を受け、積極的に発言。若者はここでも「ドン引き」。組織化の好きな団塊世代は、団塊専用のサークルまで作ってしまう。数十年ぶりに、大学キャンパスにタテカンが復活。大学が高齢者の議論の場に! 

<国際化>
時間も気力も有り余る団塊退職者たちは、ボランティアにも意欲的。自分も高齢者だが、老人ホームなどで積極的にボランティアを行う。施設で働くアジアの介護士(あくまでも予想です)、とりわけベトナム人介護士に並々ならぬシンパシーを抱き、かつてのベトナムへの連帯の念を思い出す。海外にボランティアに出る高齢者も激増。空港での言葉は「我々はあしたのジョーになる」。

<あふれる奉仕精神>
それでも有り余る気力と、社会に貢献したいという熱い思い。ついに彼らは、退職したはずの会社に戻り、手助けと称して無償で働く。よって、2007年問題はあと10年くらいは持ち越される。
将来を憂う彼らは、新入社員の若者たちにお説教。若者はもちろんドン引き。次世代の幹部たちは団塊世代のこのありがたい手助けに頭を痛め、中間管理職者たちは、ニート世代の若者と、熱い団塊の間の板ばさみで過労に。

<団塊メディアの登場>
団塊の世代をターゲットした雑誌、テレビ番組、ラジオ番組が復活。スカイケーブルでは朝から晩まで懐メロ特集が組まれ、かつてのフォークシンガーたちは大忙し。退職した団塊世代を狙って、「懐かしの深夜ラジオ番組」が復活させられる。一方、若者たちはもはや、深夜ラジオではなくインターネットに夢中。深夜ラジオから最新J-POPが消え、連夜、定年退職した団塊世代の「思い出」を語るはがきばかりが読まれ、懐かしのフォークソングや「イッポンでもニンジン♪」などが流れる。
60代を対象とした趣味雑誌やファッション雑誌が創刊され、70年代ヘアや70年代ファッションが復興。かつて「就職が決まって髪を切って…」と歌われた世代の男性たちは、今度は「退職が決まってまた髪を長く…」する。団塊世代用の美容院ができる。
また、いまはすたれてしまった、雑誌の「文通コーナー」も復活し、メールではなく郵便による文通も復活。熟年離婚後、懐かしい文通コーナーでペンパルを探し、同棲に発展するケースも。インターネットの出会い系とは一線も二線も画する出会い方である。
また、時事雑誌や討論雑誌も次々に発刊され(編著者も団塊)、団塊世代の熱い政治議論が復活する。
…そう、これからの高齢者は、灰色の服で早朝からゲートボールなんてしないのだ。おしゃれにジーンズをはいて、長髪でギターを抱え、無精髭で深夜番組を聴く。そして、もう若くないさ、と君に言い訳するのだ。かっこいい!

<団塊世代のインターネット>
こうして、TV、ラジオ、雑誌といったマスメディアはその圧倒的な需要をもって団塊世代に牛耳られ、若者はますますインターネットの世界へ。しかし、団塊世代もインターネットは使う。2007年以降は退職者によるブログサイト、掲示板、チャットが激増。が、その内容は政治談議や憂国の語り合い。しかし団塊世代は、若者がネットで使う乱れた日本語や顔文字やインターネット用語を容認できない。若者側も、親世代の「暑苦しい」発言には到底ついていけず、ネット社会でも、団塊世代と若者による棲み分けが行われる。団塊世代のブログや掲示板はテキスト一色。日本語も正しい。顔文字など使わない。しかし、パソコンで使える「タテカン・フォント」(「丸文字フォント」のようなもの)が発明されると、団塊世代はみな、いっせいにダウンロード。ブログでは、ゲバ棒の絵文字、メガフォンの絵文字などが新たに加えられ、団塊世代はこれらを駆使して、こぞってブログを更新。熱っ!


…ごめんなさい、悪乗りしすぎました。これらは全部、私の抱くステレオタイプの団塊イメージです。(ジェンダーバイアスですが、団塊世代の女性についてはうまくイメージがもてません。)
でも、そんな日本になったらちょっと楽しいかも。そうすれば、「この闇の向こうには 輝くあしたがある」かもしれない。
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by saging | 2005-12-22 15:21 | その他
クリスマスパーティ

今日は、私の働いている会社が主催するクリスマスパーティ。700人もの研修生(うちフィリピン人は50名くらい)が参加します。
私はただいま、夜を徹して、フィリピン人たちの出し物(もちろん、歌と踊りとギター、の三要素がばっちり入っております)のための音楽と、会場のバックミュージックに流すクリスマス・ソングを集めた録音テープを作成しながら、こともあろうか全員に一枚ずつクリスマス・カードを書いているところです。今月末でこの仕事を辞める私にとって、いまこれをやっておくことが必要だと思うのです。

女性研修生たちに着せる衣裳も選んだし、プレゼントもそろえたし……こういうことにばかりはりきるところって、やっぱり「フィリピン気質」かもしれません。

ひとつ、自分への約束。今年は、テキーラを飲まないようにします。…守れないかもしれないけど。でも、とにかく。楽しんできます。
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by saging | 2005-12-11 01:45 | 外国人技能研修生・実習生
インテグレーション
11月第2週目の週末は関東へ。いつもどおりの「格安」夜行バスで週末に横浜に向かい、朝早くからBUKO PIEさんを最寄り駅に呼び出しておしゃべりにお付き合いいただき、お昼にはフィリピン人の研修生がお世話になっている横浜の会社を訪問、研修生と会社の方と一緒に昼食。その後、渋谷でアメリカ人のUrban Poor活動家のRさん(今年7月に武坊威と私に山谷と隅田川を案内してくれた女性)と落ち合い、近くの公園で、おじさんたちとお話しながら、野宿者のための炊き出し準備に参加。いつも思うのですが、野宿者のおじさんたちはなぜあんなに料理の知識が豊富で、包丁さばきが見事なのでしょうか。
すっかり暗くなってからは、野宿者連合の代表の方のスピーチをきいて、炊き出しに集まった方々とお話をして、夜9時からの渋谷駅パトロールにも参加させていただいて、山谷に近い(というか山谷そのもの)南千住の安宿に宿泊。
翌日は終日、某ワークショップ。(みなさま、お世話になりました。)
夜は、Rさんの誘いで「小泉・ブッシュ会談反対デモ」に参加。別に何も危険なことも過激なこともしていません。ただ、デモ隊を取り囲む公安の多さには驚きました。「次は右!」などの声もデモ隊よりずっと大きくて、さすがね、と思いました。彼らのほうが明らかにOrganizedですもの。
先導集団は、old-fashionedシュプレッヒコールに被り物(バンダナみたいなやつ)にタテカン文字のプラカードに…、と超古典的で、Rさんとその友達の外国人女性たちのグループも「目が点」状態でしたが、途中で彼女たちがメガホンのひとつを奪い、ラップでのシュプレッヒコールを始めたので、一気に盛り上がりました。
(私はしょっちゅうデモに出ていると思われているかもしれませんが、日本で街頭に出るのは、1997年(高校2年)のアースデイ以来です。日本のデモってあまりにold-fashionedで、観念的で、ちっともおもしろくないんですもの。先導集団のシュプレッヒコールにあわせて唱和しないと「声を出せ!」って怒られるし、音楽を鳴らしたり独自のプラカードを持ったりすると、おじさんたちから「まじめに集中しろ!」っていわれるし、なんだか、抑圧的な体育の授業みたい。ピースウォークはお通夜みたい。あれじゃ、一般人が集まらなくて当然って感じです。フィリピンのラリーはあんなに魅力的で、通行人でさえ思わず立ち止まって見入ってしまうような雰囲気なのに。)

デモ終了後は、MLなどでお名前だけはかねがね存じ上げていた山谷の野宿者運動の方々ともお話しすることができ、たいへん幸運でした。
次の日は、これまた野宿者運動に長くかかわっておられ、フィリピンのCommunity Organizingにも詳しいS大学のS先生の研究室を訪問させていただき、運動と外部者のあり方についての根本的なお話を聞かせていただきました。

11月第三週の週末は、Urban Poor活動家のRさんのほうが今度は関西に来られ、一緒に釜ヶ崎に行って、超ラディカルなRさんの友人、Tさんと落ち合い、一緒に釜ヶ崎を歩いて、その後、扇町公園の野宿者のAさんと一緒に、大阪の某大学で行われた都市貧困に関するシンポジウムに参加。シンポジウムのトピックは、フィリピンの都市貧困、釜ヶ崎の雇用創出、ビッグイシュー日本版、の3本。後ろの2つについては、私は素人なので単純に勉強になると思ったけれど、AさんとRさんは強く異論を唱えておられました。けれど、私にはわからないのでした…言葉は砂漠でした。そんなものなのでしょう。
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by saging | 2005-12-07 23:59 | 都市下層と下流
持たざるものの連帯?
本家サイト「日和見バナナ」http://www.46ch.net/~saging/ を再スタートさせました。BBSはまだ動きませんが、サイトは以前のまま復活させました。これからもどうぞよろしくお願いします。
もう、11月が過ぎ去ってしまいました。日本にいられるのも実質あと数ヶ月だからと、何か新しいことをしてみようとしたけれど、結局、ただただ時間に追われるだけで、中途半端に終わってしまったのでした。

11月第1週目は「持たざるものの国際連帯行動」の関西集会なるものに突然に参加したのですが、野宿者のおじさんたちと70年代からワープしてきたような熱い男性たちの間で浮きまくってしまいました。日本にいるときよりも、フィリピンのスラムにいるときのほうが、自分が女性であることの壁を意識することはずっと少ないように思います。
それはともかくとして、その集会の参加者は野宿者のおじさんたちだったわけですが、主催者の若い男性たちは、野宿者と、「潜在的な将来の野宿者」であるフリーターやニート…との連帯を呼びかけていて、そもそもそれが、「持たざるものの集会」の意図するところであったようなのですが、それがまさに、私がその場に行ってみたいと思った理由でもあり、同時に、その場でやはり感じた違和感でもあったのです。
以下、「持たざるものの国際連帯行動」の趣旨をコピーします。
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ほっとけない、わたしの貧しさ  
自己責任か? この生き難さ

このかん、「構造改革、「民営化」、「小さな政府」路線の下に、自己責任、自助努力という名の弱肉強食の競争社会―格差社会が社会全体を覆い、さらに参戦国家―改憲へと突き進んでいます。こうした状況の中で、貧困と社会的排除―社会的不公正に呻吟する者たちは、怒りの声を発する場すら奪われてきました。
私たちは、2003年10月に「戦争と新自由主義グローバリゼーションにNO!」「社会的排除に抗して国境を越えた連帯を!」を掲げて、「持たざる者」の国際連帯行動に立ち上がりました。2回目の昨年11月3日には、日雇・野宿労働者、障害者、フリーター、失業者、移住労働者、セックスワーカー、獄中者支援者、労働組合などの多様な闘う団体・個人が一堂に集まり、各々の課題の垣根を越えて、230人の集会・デモを行いました。この行動には、日韓FTA反対で体を張った闘いを示した韓国・民主労総の仲間24人が合流し、フランス、タイなどからの参加・アピールも含め、文字通りの国際連帯行動として成功しました。
この成果を受け、今年の11月には、より多くの「持たざる者」との出会いと連帯を目指して、新自由主義グローバリゼーションと闘う広範なうねりを作り出そうと、準備をスタートさせました。
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…私がこの集会に関心を惹きつけられたのは、なんといってもいまどき、「持たざるもの」という発想(ソウル・アリンスキーとは関係がないらしいことがのちに判明)と、「日雇・野宿労働者、障害者、フリーター、失業者、移住労働者、セックスワーカー、獄中者支援者、労働組合などの多様な闘う団体」というターゲット。フリーターが組織化されたり闘ったりすれば日本は大変なことになるだろうけれど、幸か不幸か、その可能性はとても低いだろうと思っていたので、「日雇・野宿労働者とフリーターとの連帯」を視野に入れているこの大胆な発想に驚かされたのです。
フリーターを代表して話してくださったあるスピーカー曰く、フリーターは、自由でいたいから就職しない気ままな自由人でもなく、自ら選んでフリーターでいるのでもなく、排除され、搾取されている存在なのだとか。
…けれど、率直に言って、私には、その発想を受け入れることができないのです。私が高校生のときにアルバイトをしていた会社(和菓子の店舗販売/のちに製造工場)にも、いま私が通訳として働かせていただいている会社にも、多くのフリーターの方がいましたが、勤勉でしっかりした人は、じきに社員として登用されていきました。いつまでもフリーターでいるのは、「残業は嫌だからアルバイトのままでいい」、「家庭の事情で残業ができない」、あるいは「夢を追っているので(演劇など)生計のためのアルバイトだけでいい」など、自分で「非正規雇用のままでいる」ことを選択した人か、あるいは、正社員になりたくてもなれないだろうと周りも思うような、それなりに問題のある人たちです。気を悪くした方がいたら申し訳ないのですが、それが私の正直な感覚であります。「同じ労働をしているのに差別だ、搾取されている」と言うフリーターの方もおられるかもしれません。しかし、どんな職場でも、正社員とアルバイトとでは、責任の重さが違うはずです。私は、いま働いている会社の正社員ではありません。正社員は自己裁量で仕事ができますが、月給計算なので、残業手当はつきません。が、成績次第で特別手当てや賞与や昇進があります。もちろん各種保険も完備です。一方、私たち非正規雇用の通訳者の給与は時給計算です。残業も休日出勤も、一定の時給で計算されます。ただしそれは上司から指令を受けた場合だけであって、自分の判断で休日にフィリピン人の研修生たちに生活サポートをしたり、24時間電話対応をしたりする分の「労働」は換算されません。特別手当もありません。つまり、私たち非正規雇用の通訳は、「上から指示された通訳・翻訳の仕事だけを忠実にやっていれば、それに見合った報酬が時間ベースで支払われる」のです。むしろ、自己裁量で仕事をしてはいけないのです。そして逆に、何が起こっても、責任を取らなくてもよいのです。たとえ研修生が失踪しても、万が一犯罪に手を染めても、それによって通訳者が責められることはないのです。
正社員に登用してもらえるという話もありましたが、大学院で勉強を続けたいという私の希望で、私はいまも非正規雇用のままでいます。しかし、私の上司はとてもフレキシブルで心が広く、人徳のある人ばかりなので、私が自分の判断で休日に研修生と一緒にミサに行ったり、時間を共有したりすることを、禁止も否定もせず、「フィリピン人の性質を知っているあなただから、あなたが思うように彼らに接してくれればいい。あなたが思うことを提案してくれてかまわない。責任は私たちがとります。」と言ってくれます。それに、給与は決して悪くはなく、国民年金と学費と生活費を払って暮らしていけますし、さらに、給与に反映されない私の休日・深夜のボランティア労働については、上司がプライベートな食事や待遇など別の面で還元してくれます。つまり、私は相当恵まれているわけです。
だから底辺労働者のフリーターのことなんてわからない、と言われるかもしれませんが、私だってそれなりにいまの仕事で努力をしているのだし、世の中の正規労働者は皆、もっと努力をしていると思います。大学院生なんて、フリーターやニートとほとんど紙一重なのかもしれませんが、同年代の人間として、やはり、フリーターは自己責任だろう、と私は思ってしまうのです。ここだけの話、私だって、コンビニやファーストフード店で、とても態度の悪い、でも明らかに30代と思われる店員を見ては、心の中で、「そんなだからいつまでもフリーターなんだよ」って思ってしまうのは事実です。彼らは、「自分だって正社員になりたいのに、ただ仕事がないんだ」、「専門能力のない若者は社会から排除されていくんだ」って言うかもしれません。でも、そんな都合のいい、と私は思うのです。

しかし、話はまだ続くのです。
私はフィリピンのスクワッター(不法居住者…最近は非正規居住と言うこともあるのですが、不法は不法)の政治行動がきわめて戦略的で、合理的で、つまりは「まとも」だと言うことを証明するために大学院で論文を書こうとしています。私に言わせれば、スクワッターも、シンジケートも、とても賢くて分別があり、きわめて合理的なのですが、大学院の指導教授からはいつも、
「根本的なことを言うけど、スクワッターなのに、移転するならあそこは嫌だ、だの、一戸建て(Low-house)ならいいけど集合住宅(tenement)はいやだの、そんなことを普通に言えるっていうのが、まず、フィリピンを知らない人には理解しがたいし、フィリピン人の中間層だって、内心は絶対に『こいつら都合のいいことばっかり言って、不法占拠のくせに、選挙のときだけ大事にされて、要求とおして厄介なやつだな!』って思ってるはずですよ。」
と言われます。確かに、もし私がフィリピン国民だったら、あんな、土地代も払わないのに数だけ多くて声の大きい人たちになんで土地をあげなくちゃいけないの、って思うかもしれません。それに、本当に貧しくてスクワッターにならざるを得ない人々がいる一方で、スクワッター・コミュニティで権力を維持したいがために、本当は郊外に土地を買えるくらいのお金があっても、あえてスクワッターとして住み続ける人々がいるのも(そして、往々にしてそういった人々がコミュニティ・リーダーになりやすいのも)事実です。
…という視点と、日本の野宿者への「好きでホームレスやってるんじゃないか」、「自業自得だ」、「その気になれば、生活保護などの社会保障制度を使えば社会復帰できるのに、それをしない、やる気のない人たちだ」という世間一般の偏見、あるいは、私自身がニートやフリーターに対して向けている「親に甘えているだけ」、「職がないんじゃなくやる気がないだけ」、「自分が働かないのを社会のせいにしている」という、半ば敵意めいた非難の目は、同じじゃないかと思うのです。

私は、朝からスラムの街角で呑んだくれているフィリピンの失業中のおっちゃんたち(でも住民運動の中ではとりわけ声が大きい)に対しては、
「仕事がないのは、彼らが怠け者だからじゃなくてフィリピン社会が貧しいからだ」
などと、やたらに寛容なまなざしを向けることができるのに、同世代の日本人のニートは許せないのです。この矛盾がきっと、大学や研究会で知り合った方々から、きわめて率直な意見として「あなたは貧困層を美しく描いているだけだ」と揶揄されるゆえんです。

長くなってきたので、次回に続けます。
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by saging | 2005-12-07 23:55 | 都市下層と下流