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Keso de Bola とは、 「表面は赤いのに中は黄色い」フィリピンのボール型チーズ。転じて日和見主義者。       かつてお世話になった、現地の言葉で「灯台」と呼ばれるマニラ湾岸のスラムを、ガラス越しに。
管理人sagingより
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<   2005年 08月 ( 2 )   > この月の画像一覧
バスケットボール大会
明日は、研修生たちと大阪の府営公園内の体育館を借りてバスケットボール大会。バスケットボールの後は、公園内でダンス(sayawan)とバーベキュー(ihaw-ihaw)と飲み会(inuman)。もう何日も前から、誰がギターを持っていくだの、スパゲッティのCDで踊ろうだの、
「マム(←私は彼らからMa'amと呼ばれる)、テキーラを2本買おう」
「だめ、予算(←会社のお金)オーバーするからテキーラ1本と赤ワイン! しかも大豆ビール(←第三のビールのこと)しか買えません」
「わかったマム。でも、大豆ビールならアサヒにしてね」
…だのと、大騒ぎで企画をしている。まるで、「おやつは100円まで」と言われて大騒ぎする遠足前の子供みたい。
イベントになるとがぜん張り切るのはフィリピン人の気質。

もう半年くらい、研修生と私の間にはある問題があって、私はずっとそれを解決しようとしてきたけれど、何事も一進一退という感じでうまくいかない。今年の1月に私は彼らの仲間のうち3人を強制送還に近い形で見送った(もちろん私の決定ではなく会社と本人の決定だけれど)。いろいろなことが決定的に損なわれてしまい、私はそれを取り戻すために残された研修生と何回も話し合いをして、3月にフィリピンに行ったときは彼らの家族にも会い、信頼を得ようとしてきた。

根本的な問題は、私と彼らの立場が違うのに、私がそれを暴力的に無視して彼らと関わろうとしてきたことである。身分の保証された通訳であり日本国民であり日本語に不自由しない私と、研修生であり外国人であり日本語にかなり不自由のある彼らとでは、立ち位置がそもそも初めから異なるのである。私は彼らを本気で叱るとき、最終手段として次のように言う。

「あなたたち、日本みたいに住みやすい国に来て、いつでも家族に電話だってできるし、ビザの心配もないし、医療保険もあるし、通訳はついてるし、フィリピンで緊急事態があればすぐうちの会社に連絡が来るようになっているのに、ホームシックだの送金額が足りないだのとメソメソするんじゃありません。私がマニラにいたときは、通訳もなくスラムでタガログ語を学んだのに」

私は最後の武器としてこの言葉を使う。アンフェアだとわかっていながら。
彼らは黙るしかないだろう。彼らは、私が日本でタガログ語を学んだわけではなく、1年しかマニラにいなかったことを知っている。水汲みと洗濯で鍛えた私の握力と手の筋力の強さも知っている。私は彼らの前で(たとえ間違っていても)自信たっぷりにタガログ語を話し、彼らからは
「マムはフィリピンでよっぽどSpeech Trainingを積んだのだ」
「政治学専攻でUPにいたということは、マムはアクティビスタに違いない。でなければスラムなんかに行くはずがない」
と言われている。そのことは、彼らにとってはプレッシャーだと思う。

けれど、それは違う。私は確かにスラムに住んだけれど、金銭に余裕がないわけではなかった。奨学金があったから、いざとなれば日本に数時間電話することも、航空券を買って日本に帰ることもできた。本当に困ればお金を払って通訳を雇うこともできただろうし、日本語で医療を受けることもできたかもしれない。

私には彼らの苦悩がわかるはずもない。この問題は、私が「都市貧困」を研究する上でも決定的に足かせとなっている、「自分は日本のミドルクラスの出身である」という問題に行き着く。

私は研修生たちとの段差をなんとか埋めようとして、仕事を離れて彼らと一緒に教会に行ったり、プライベートで関わったりしてきた。

友人の弟を研修生に応募させ、担保金と準備費用のためにほうぼうに借金をしてやっと日本に来られるまでの彼らの苦痛を、少しは理解したつもりになった。

けれど、結局のところ、私は研修生を理解することができない。この問題は、そのまま、私の研究上の問題に結びついてしまう。私は自分の修士論文をさらにリバイスしながら、相変わらず
「都市貧困層は非常に冷静に政治的判断をするし、合理的な政治意識を持っている」
と主張している。けれど仕事の上では、「物分りの悪い」研修生に対して、
「もう、なんでわからないの、この○○(←タガログ語の悪い言葉が入る)が!」
「高卒だからこんなに物分りが悪いのかしら。」
とまで思ってしまうのである。

私はマニラでコミュニティ・オーガナイジングを学ばせていただいたし、その昔には日本で青少年団体のオーガナイジングをしていたけれど、いまだに、善いオーガナイザーにはなれない。

私はこうした問題を、フィリピンでお世話になった愛するコミュニティ・オーガナイザーの皆さんや、都市貧困研究の先輩であるwataruさんやスラム出身の武母威に打ち明けている。彼らは私のいまの仕事を肯定してくれるし、それによって私はどれだけ支えられているかわからない。「いますぐ自分の肩書きやミドルクラス・メンタリティを捨てて彼らの価値観に入り込むべきだ」というもっともなアドバイスをいただけるのだけれど、それを実行することはものすごく難しい。結局のところ、私は彼らを「コントロール」しようとしているにすぎない。彼らが問題を起こさないように。間違ってもriotなんて起こさないように。

ともかく、明日は楽しんできます、バスケットボール大会。いや、まさか私はフィリピン人男性に混じってバスケットボールをするわけではないですが、審判くらいは。あと、フィリピンで習ったボールルーム・ダンシングはもう忘れてしまったからダンス(sayawan)にもちょっと自信がないけれど、飲み会(inuman)ならいつでも自信たっぷり。でもその翌日も出勤なのであまり飲みすぎないようにします。

みなさん、よいお盆休みをお迎えください。
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by saging | 2005-08-14 22:56 | 外国人技能研修生・実習生
ラウル・ロコ

大統領選に出馬していたラウル・ロコ氏が、今朝ケソン市内の病院で癌のため亡くなった。

ご冥福をお祈りします。
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by saging | 2005-08-06 16:58 | フィリピン(全般)