Keso de Bola とは、 「表面は赤いのに中は黄色い」フィリピンのボール型チーズ。転じて日和見主義者。       かつてお世話になった、現地の言葉で「灯台」と呼ばれるマニラ湾岸のスラムを、ガラス越しに。
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25歳
もうすぐ、私は25歳になる。
先週の土曜日は、日頃より私が御仕え申し上げているフィリピン人たちと一緒に過ごした。今週末になればもう、差し迫るフィ○ピン研究会の準備のため一歩も家を出られない状況になるだろう私のため、彼らは私の誕生祝を先にしてくれた。一日違いで誕生日を迎える研修生と一緒に、フィリピン料理を作って食べて、DVDを観て、歌って・・・そして例によって、尋常ではない量のテキーラをtagay-tagay(回し飲み)し、今度こそ私は帰れなくなった私は、もう一人の通訳の同僚(フィリピン人と日本人のダブルでマニラ育ち、漢字にはめっぽう弱いけれどディープ・タガログには強い、素敵なパートナー。同時に、私と同じくらいアルコールに強く、しかも私と同じくらいtagay-tagayが好きな単なる悪友)と一緒にその場で夜を明かすことに・・・。

中学・高校時代に一緒にNGOで署名活動なんかしていた友達はみんな次々と結婚して母になっていくというのに、私はなんという25歳の迎えかたをしているのだろう。親は
「もう25なんだから、フィリピン人でも誰でもいいから早く嫁にもらってくれる金持ちを探しなさい!(でも、貧しい大家族のフィリピン人はだめよ!)」
と言うし、そりゃ私もできれば経済的に安定した人とできるだけ早く結婚して、子供ももうけて、自分もよい収入を得て、セブ島かラグナ州に両親のための別荘を買って、日本の冬の間はそこで過ごしてもらって、優しいメイドさんと有能な介護士を(私の知り合いのフィリピン人の中から)つけてさしあげたい。(いや、決して両親の介護を他人に頼もうという意味ではありません。)
自分の1年後はおろか、2週間先の研究会のことすら思い描けず、tagay-tagayしては今夜無事に帰宅することもままならなくなくなる私だけれど、そんな夢ならいつも頭の中に描ける。不思議なものです。
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by saging | 2005-06-21 20:15 | 外国人技能研修生・実習生
関わりについて
ほぼ一ヵ月半ぶりの更新。すみません。

BBSにも書きましたが、私は今年も、フィリ○ン研究会全国フォーラム(伏字にしても一目瞭然…)」で発表させていただけることになりました。それもなんと、敬愛する友人で先輩のWさんと、最愛の先行研究者であり最高の友人である武母威(←コードネーム)と一緒に!
武母威のビザが無事におりたときは、本当に嬉しくて、すぐにフィリピンに電話してしまいました。マニラにある武母威の家でWさんと都市貧困について語り合った1年以上前の日々がつい先週のようなのに、こんなに早く再会できるなんて。しかも日本で、フィリ○ン研究会の場でご一緒できるなんて。こんなに幸運でよいのでしょうか。
ビザ取得に際しては本当にたくさんの方々にお世話になりました。そして、このフォーラムの実行委員の皆様、この場を借りてお礼申し上げます。
何が何でも、あと二週間、少しでもよい発表ができるようにがんばります。

さて、今日電車の中で、社会運動論研究会編『社会運動の現代的位相』(成文堂1994年)という本を電車の中で読んでいたのだが、その最終章に収録されている、大○裕嗣先生の「関わりについて―韓国での日記から―」という文章にやられてしまった。
いかんせん回想記なので「要点だけを説明する」ことなどできないが、部分的にいえば、次のようなことが描かれている。

学生運動華やかなりし韓国の大学に留学した筆者は、運動に関心を寄せながらも、それを見る自分のまなざしは「旅人」のそれと本質的に代わるものではなく、自分は韓国で「休暇を楽しむナグネ」に他ならないのかもしれないと感じる。韓国の若い研究者仲間に頼まれて「日本の社会運動」についての知見を紹介するも、その経験は筆者に、「自分が関心をもっている種類の『運動』と彼らが重要だと考える『運行』があまりにも異なること」を気づかせるのであった。自らがコミットすると決めた国の、その世界からすら自分は切り離されていると筆者は感じてしまう。
やがて筆者は貧しい(筆者の言葉を借りれば「都市細民」の)女性と交際するようになり、韓国の「進歩的知識人」である友人から
「食堂の女の子と付き合うなんて君にはもったいない」
と言われる。筆者は
「民衆文化の可能性を追求する君のお言葉とは思えねえな。彼女も民衆、俺も民衆、問題ねえじゃないか」
と答える。すると相手はさらに
「そういう貧しい家の女は、外国人は金を持ってるからとか考えてるんじゃないか」
と言い、筆者は憤慨して日記にこう記したという。
「それは間違いない。けれどたとえば、いいところのお嬢さんなら、俺の『人間性』だけを見てくれるというのか?」
下層民の物象化をブルジョワや上流プチブルのそれよりはなはだしいと考え、それに何の矛盾も感じない知識人に彼は憤り、こう記している。
「学術運動を推進する韓国の『進歩的』知識人が高唱する『民衆』というのは、結局は彼らにとって都合の良い政治的修辞に過ぎず、現実に生きている韓国の人の人びとをとらえたものではないのではないか。(281ページ)」

筆者自身が冒頭に書いているように、経験の浅い若い院生が「回想」などを試みるのは至極滑稽なことであるが、私はただ、この筆者の壮絶な回想記に勝手に「自分のフィリピンとのかかわり」を重ねあわせ、大きな衝撃を受けた。

私がフィリピンの社会運動に寄せていた熱い思いと、でも結局は私は旅人としてあの国のさまざまな出来事を「楽しく」観察していた休暇中のナグネ(韓国語で「旅人」)に過ぎないという思いの交錯や、フィリピン人活動家の語る「民衆」というイメージへの違和感と、彼らから「日本の社会運動について語ってくれ」と言われて語りはしたものの、それが彼らの関心とは全く離れていることを感じて勝手に私が味わった絶望と、結局は私はフィリピンに何のコミットメントもしていないのだという気分と、フィリピン人で貧困層出身でもと活動家の武母威に何かを言われたら絶対に反論できず、日本人で中級階層出身の自分がフィリピンの社会運動や「民衆」や「貧困」について何をいえるのだろうというあきらめと。

・・・私はその問題について何度か、フィリピン人の、あるいは日本人の友人に話し、書き散らし、あるいはまた、それらの一部を論文に書こうとしたけれど、もちろん、そんな感覚的な問題を言葉にして説明できるほど私は賢いわけではなかった。

研究会ではもちろんそんな内面的なことを話しはしませんが、がんばります。いつかこのことを超えて次に行けるように。
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by saging | 2005-06-17 22:17 | フィリピン研究