Keso de Bola とは、 「表面は赤いのに中は黄色い」フィリピンのボール型チーズ。転じて日和見主義者。       かつてお世話になった、現地の言葉で「灯台」と呼ばれるマニラ湾岸のスラムを、ガラス越しに。
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1年ぶりのマニラ 2

今回のマニラ訪問のもうひとつの目的は、いま私が大阪で働いている会社でお世話をさせていただいているフィリピン人の「研修生」のための仕事であった。私の本業(給料をいただいてやっている仕事)はタガログ語の通訳。今回も、新しく日本に来る予定の研修生候補者への面接の通訳を担当させていただいた。ホテルの一室で、日本の中小企業さんの社長さんたちが候補者と対面して面接をされる。倍率は4-6倍だから、候補者は100人くらいいて、ホテルのその階は彼らで占められているという感じ。日本語の堪能なフィリピン人の現地通訳者と手分けしての仕事だけれど、唯一日本人である私はとにかく目だって仕方がなく、休憩時間にも、うっかり部屋の外に出ると、面接の順番を待つ100人の候補者は社長さんたちよりも私の一挙一動に注目しているという状態だった。

さらにこの仕事の困ったところは、社長さんたちはまず男性であり、候補者の(というか、募集対象)もほとんど(今回は全員)が男性であること。私は「女性らしく」振舞うことを期待される。すでに日本に来ている研修生たちは私とうちとけているけれど、ここにいる候補者たちはただでさえ「日本人」でありおまけに「女性」である私からあくまでも距離を置き、懇親会でも「自由な会話」ができる雰囲気ではない。私は黙り、他人の言葉を訳すだけの通訳に徹する。

女性である私は接待もできないし、お酒も飲めない。フィリピン駐在の上司は心得たもので、私が食事に同席しているときは、「sagingさんにはマンゴーシェイクでいいですね」、「ここのお店のスイカシェークはお勧めですよ」と言う。いかにも、私がいつもマンゴーシェイクを飲んでいるかのように。私の前に置かれるカラフルな可愛らしいシェークを見て社長さんたちは「sagingさん、おいしそうですね」とおっしゃる。社長さんと、男性である上司たちは必ずビールを頼む。
夕食後、チャーターした車でホテルに戻り、そこから社長さんたちは夜の遊びにお出かけになる。男性の上司が同行する。
私は「それではいってらっしゃいませ、おやすみなさい」と言って、ホテルの玄関先で彼らの車を見送る。そして、ジープを3本乗り継いで自分の宿に帰る。
翌朝、私は眠そうなそのチャーターカーの運転手に「昨夜は何時まで仕事だったの」と聞く。
「2時だよ。家に帰ったのは3時。」
「みなさん楽しそうだった?」
「楽しんでたよ、なんせ店を2回も移ってさ。最初は○○通りの…。次が・・・。まったくねsagingさん、あなたは男性じゃなくて良かったよ。君が日本人男性だったらこういうところに行かないといけないんだよ。仕事でも、生物学的にもね。」

何がどう良かったのだか・・・。やれやれ。これが、性の社会的分業というものなのだろうか。女性の社会進出が高いフィリピンで、日系企業には女性の駐在員が少ないのも、まあうなずける話である。

面接の通訳以外にも、今回私には、日本でホームシック気味の研修生の家族に会い、いろいろな話し合いをして、家庭と協力して彼/彼女らの精神状態の維持に努めるという使命もあった。何軒もの家を回ったが、そもそも私はカウンセラーではないので、こういった仕事は、確かに、通訳以上に疲れる。
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by saging | 2005-03-30 01:36 | 外国人技能研修生・実習生
1年ぶりのマニラ 1
マニラでの2週間は夢のように過ぎた。
愛する人たちとの再会。

2004年5月の総選挙選挙から1年。私はあの熱狂の選挙時に、某政党のキャンペーンの参与観察をさせていただき(つまりは、キャンペーンにに参加させていただき)、選挙の4日後にマニラをあとにした。へんな外国人。あのとき私を受け入れてくださった方々に会って挨拶をした。そういえば、彼らの勝利(議席獲得)のお祝いも、まだ手紙でしかしていなかった。
皆一様に「ああ、sagingに会うと、つくづくあの頃を思い出すね」とおっしゃった。選挙後、政党とは疎遠になってしまった貧困層の方々の「私たちは政党の選挙キャンペーンにただ利用されたのよ」という言葉にショックを受け、あのころと変わらない政党関係者の友人の「君はいいパートナーだった。君と一緒にあのスラム地区でキャンペーンをしていたとき、僕たちは、君を外国人とはまったく思っていなかった。次の選挙(3年後)には、もう一度、君と一緒にキャンペーンをしたい」と言われて戸惑い…気候は去年と変わらないのに、選挙特有のあの騒音や熱狂はもうない。「選挙はフィエスタ(お祭り)」という言葉のとおり、あれは確かに非日常だったのだろう。

約1年ぶりに会ったコミュニティ・オーガナイザー(いずれも元活動家)の友人たちとも、連日、遅くまで飲んで、すばらしい時間を過ごした。ご家族ぐるみで私を受け入れてくださった方ばかりなので、まず、思い出話が尽きない。そして、政治の話、選挙の話、私の現在の仕事(フィリピン人「研修生」への通訳)の話、プライベートの話など、心ゆくまで、とはいかなくとも、話は尽きることがなかった。
「君がマニラを去ったあと、何人もの外国人がうちの団体に研修に来た。でも、君ほど、僕たちを取り囲むポリティックスを理解したがった外国人はいなかった。」
彼らのこの言葉に対して私はこう答えた。
「"理解したがった"だけで理解できなかったよ。あなたも知っているとおり、私は自分の学位をとるために、修士論文に都市貧困層を利用しただけで、そのことに対して私はいつもつらく思っている」
彼らの答えはこうだった、
「saging, 君はいつも街角にいて(Lagi ka nasa kanto)、都市貧困層というものを理解しようとした。実際にはまあ、できなくても。僕たちにはそれがわかっていた」

毎日、1年前にお世話になった都市貧困地区の方々を順番に訪問した。訪問すべき人たちのリストをつくってみて、改めてつくづく、私の知人の大半はスラム住民なのだと実感。あの頃と同じジープニーや「渡し舟」に乗って、同じ場所で降りて、込み入った路地に入る。1年前はマニラ・ガール風のヘア・カット(前髪がない)で、フィリピンで買った服を身に付け、いつも黒く灼けていた私なので、スラムを歩いていても、誰も私を振り向かなかった。けれども、1年間も日本にいたせいでいまや私もすっかり「日本人」らしくなってしまい、ジープニーに乗っても、町を歩いても、人々に注目されっぱなしでやりにくいことこの上ない。どんなに汚い格好をしているつもりでも、スラムを歩けば「あれ、中国人かしら」という声を背中に浴び、顔見知りのはずの方々からも「あなた、中国人?」と聞かれ、「いえ、あの、1年前にここに住んでいたsagingです」と言うと「信じられない」、「まあsaging、あなた綺麗に(=白く)なったのねぇ、結婚したの?」、「日本で仕事をして金持ちになったの?」などと言われる。1年前の私って、いったい、どんなだったのだろう…。

それでも、私がタガログ語をまだ話せるというのが多少ともの救いで、話をすればやっと以前のようなムードに戻ることができた。無事に修士課程を終えることができたこと、4月から博士課程に進学すること、いまは大阪でフィリピン人労働者の通訳の仕事をしていること、などを報告する。私がスラムエリアにいたのは、都市貧困層の政治に関する修士論文を書きたかったからだということはすべて公表していたので、どの方も一様に、私の修了を喜んでくださった。

ただ、残念でたまらないのは、私の修士論文のケーススタディの中核となったPA地区の方々を訪問することができなかったこと。1年半前に私のPA地区での調査をずっと助けてくれたベテラン・オーガナイザーのJがこう言ったのだ。

「今は行くな。あそこは、2004年選挙後、ますます危険な地域になった。住民組織は相変わらず大分裂している。ある住民組織リーダーは突然警察に連行され、見に覚えのない容疑で6ヶ月も拘束されることになった。最近、うちから派遣された若いオーガナイザーが白昼夜に強盗に襲われた。フィリピン人でさえも、外部者はもはや入れない状態だ。あの地区の人たちにお礼を言いたいという君の気持ちは分かるけれど、外国人は、いまは行ってはいけない。君が次にマニラに来たときに、もし状況が好転していれば、そのときはまた一緒に行こう。けれどいまは駄目だ。あの地域にもう一度、君が足を踏み入れられるかどうかはわからない。これからは、論文を書くときにあの地区をケースとして選ばないほうがいい。あそこは確かにおもしろいのだろうけど…リスクが高すぎるし、僕でさえも、あの地区の人々にうまく心を寄せることはできないのだから。」
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by saging | 2005-03-30 01:33 | フィリピン研究
マニラより
いま、マニラにおります。
1年ぶりに、愛する友人たちとの心温まる再会を果たしています。

ただ、ネット環境が劣悪のため、HP更新どころか、いただいているメールを読むこともままならず、メールをいただいていながらも返信することができなくて申し訳ございません。
18日に帰国し、今月20日に修士課程を修了いたします。帰国しましたら必ず返信を差し上げますのでもう少しお待ちください。

今後は、いまの通訳の仕事を続けつつ、いまの大学とは違う大学の博士課程で相変わらず都市貧困層の研究を続ける予定です。
今後とも、どうぞよろしくお願い申し上げます。
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by saging | 2005-03-12 23:48 | フィリピン(全般)