Keso de Bola とは、 「表面は赤いのに中は黄色い」フィリピンのボール型チーズ。転じて日和見主義者。       かつてお世話になった、現地の言葉で「灯台」と呼ばれるマニラ湾岸のスラムを、ガラス越しに。
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東京ミレナリオ

月曜日は就職面接(この期に及んで!)で東京へ。日英両語での面接だったため、「使う言語によって性格が変わってしまう」という私の弱点が見事に露見してしまい、なんとも居心地の悪い面接になってしまった。英語だと「積極的に饒舌に」なる私だが、言い換えると「馴れ馴れしく横柄に」見えているのではと心配でならない。急に豹変するなんて、ただの「怪しい人」。結果通知は1ヵ月後だけれど、望み薄です。

で、その後はBUKO PIEさんにお付き合いいただき、「東京ミレナリオ」へ。「神戸ルミナリエ」のパロディだとばかり思っていましたが、なかなか幻想的で良かった(と言いつつ、実は私はまだ神戸ルミナリエを見たことがありません)。いつものことながら、BUKO PIEさんとは話が尽きることはなく、夜行バスの発車時間まで延々と話してしまった。年末のご多忙のところごめんなさい&ありがとうございました
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by saging | 2004-12-30 00:00 | その他
クリスマス2004
毎年のことですが、12月25日を過ぎたとたんに街が年末の空気に切り替わるような気がします。かつて、女性の25歳を12月25日にかけて「売れ残りのクリスマスケーキ」と表現されることがありましたが、いまもそう言うのでしょうか?

21日は通訳の仕事で山口県へ。あちらで働いているフィリピンからの研修生たちが勤務環境にいろいろな問題を抱えているとのことで、主にその話をするために行った。彼らを元気付けるため、大阪のフィリピン雑貨店でフィリピンの食材を買い込んで行ったが、そんなことではとうていカバーできないほどに彼らの悩みは重く、しかもそれが宗教的かつ思想的な問題を含むものだった。というか、それを思想的だと感じてしまう私のほうに問題があるのかもしれない。単に彼らの言葉を言葉として通訳するだけなら何の問題もないのだけれど、彼らのほうは、私を単にタガログ語通訳とは見ておらず、私がおそらくアクティビスタに心を寄せていることを知っている(そういうことってわかってしまうのです。本当に。私も、フィリピン人の研修生の中から、誰が元アクティビスタであるかを嗅ぎ分けることができます)。なまじそうであるだけに、彼らの言葉が私にはとても重くて、しかも共感までしてしまうから余計に重い。山口といっても日本海岸なので、新幹線+駅レンタカーで大阪から約4時間。京都からは5時間。始発で家を出て最終の新幹線で帰ってきたけれど、それでも、話しあう時間が足りなかったのが悔やまれる。どうか、彼らが少しでも幸せなクリスマスを過ごせますように。

22日は、環境社会配慮審査会(http://www.jica.go.jp/environment/guideline/examinfo.html)にJICA兵庫からテレビ会議システムを通してオブザーバー参加。「フィリピン国メトロマニラ中心地域排水機能向上計画」(http://www.jica.go.jp/evaluation/before/2003/phi_b01.html)に関するコンサルタントからの説明をきく。ゴミの堆積で機能麻痺に陥っているマニラ首都圏の排水路を整備して洪水に備えようというたいへん意義あるプロジェクトなのだけれど、排水路沿いおよび排水路内部(水路の上に足場を組んで家を作っている)数千世帯の立ち退きを伴うとのことで、その詳細をききたかった。しかし、立ち退きや再定住地に関する説明はほとんど行われず。1月の最終審議に向けて私も何らかの形で意見を寄せたいと思う。

24日(クリスマスイブ)は通訳の仕事で東大阪の3社をまわる。キリスト教徒のフィリピン人にとって、24日も25日も出勤という日本のシステムに適応するのは大変だと思う。フィリピンでは24日のイブの夜は家族・親戚が集まり、夕方から晩にかけてミサに行き、日付が変わる頃、ノチェ・ブエナというクリスマスディナーを楽しみ、贈り物を交換して遅くまで歓談し、25日は朝寝をすることが多いという。25日に仕事がある日本ではそれは無理な話。今日訪問した会社で働くフィリピン人にはこっそりケーキやチキンを持っていったが、そのほかの研修生が不憫でしかたがない。帰宅後も、直接訪問できなかった会社の研修生たちに「寂しがらないでがんばって」と電話をかけ、英語でクリスマスのミサを行っている大阪府下の教会を紹介して激励し、問題を抱えている山口県の彼らとも話をした。私は彼らの通訳かつライフサポーターとして仕事用の携帯を会社からきちんとあてがわれており、24時間体制で彼らのサポートをする立場にあるのだから、それは仕方がない。でも、時として彼らと話すという仕事が私には重すぎて、自分はとてもカウンセラーにはなれないだろうなあ、とつくづく思う。私が彼らと友人になりたいと思っても、さまざまな壁にそれを阻まれてしまい、結局、私がいくら彼らに”Pare”(男性の友人への親しみを込めた呼び方)や“Kuya”(年上の男性への呼びかけ)と呼んでも、彼らは私のことをマム(目上の女性への敬称)と呼ぶことに変わりはないのだ。私は結局、彼らに心を寄せることなどできないのだと思う。
そんなクリスマスイブ。私の最高の先行研究者であり、私の修士論文の執筆を遠くからずっと支えてくれている最愛のC(現在はアメリカの大学で教えながら博士課程に学んでいるフィリピン人)をはじめとする個人的な素敵な友人たちからの心温まるクリスマス・メールがなければ、私は本当にだめになっていたかもしれない。

…と、修士論文以外にすることがありすぎで(自分でつくっているだけなのに)…と言い訳をしつつ、修士論文、通訳の仕事、そして時折関わっているODA関連の提言活動、どれをとってみても、自分が追い求めるあるひとつのテーマに行き着くものだと思っている。月曜日には、東京で最後の就職面接を受けることになっている。実は、まだ懲りずに就職活動中なのです。私にも春がきますように。
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by saging | 2004-12-26 00:14 | 外国人技能研修生・実習生
パロール
自宅の玄関先に「パロール」を設置。
パロールはフィリピンで一般的に使われるクリスマスの飾りで、電飾のものや手作りのものや民芸風のものなど、いろいろな種類があります。
これは、昨年私がマニラのグリーンヒルズというマーケット(中古の携帯電話やパイ○ーツのCD、DVDがたくさんある)で購入し、日本の家族に送ったもので、実は紙製。自分で折り紙のように組み立てて中に電球を入れれば完成、というお手軽な代物。

これで"Pasko na Sinta Ko"(ちょっと悲哀なクリスマスソング)でも聴けば、日本にいながらにしてフィリピンのクリスマスをちょっと追体験できます。本当は、フィリピン人は大勢で賑やかに騒いでクリスマスを過ごすのですが、私にはこのくらいがちょうど良いです。

今年は、年も末になってフィリピンでは各所で台風の大災害が起こり、12月14日未明にはFPJが亡くなりました。例年よりもきっとすこし静かなクリスマスになるはずです。
FJP(フェルナンド・ポー・ジュニア)は5月の大統領選挙に出馬、エストラダの悪夢再来だの、ショービスだの、ジョークだのとさんざん揶揄されながら、アロヨ大統領に惜敗(←ほんとうに惜敗だった)した。
この1年は日本にもフィリピンにも世界にもあまりよいニュースはなかったけれど、では、どんな「良いニュース」を私たちは期待していたというのだろう。たとえばケリー氏が大統領になっていれば、「今年はよいニュースがあったなあ」と言えたのだろうか。まさか。
いったいどんなニュースがあれば、私たちは「今年は良い年だった」といえるのだろう。少なくとも私が物心ついてから十数年、そんな年があったためしがないような気がするのだけれど…。

"身の回りには許すまじき不条理があまりにたくさんあるのだけれど、それらをいちいち批判して社会変革に心を燃やしすぎてもどうにもならない。かといって、それをとりあえず見過ごして楽しく生きようとすると、罪悪感と矛盾がつきまとう"

昨日、元アクティビスタのフィリピン人とそんな話をした。まあ、そんなものなのでしょう。
社会への大きな不満を増幅させるよりは、日々の泡の幸せに目を向けるほうが「建設的」ではあると思うのですが、現状を肯定することに勝手な心理的抵抗を感じてしまう性があるかぎり、なかなかそれができないのです。


※ "Pasko na Sinta Ko"は、
http://www.angelfire.com/ma2/Gem/Opm.html
から選択して聴くことができます。サイトは重く、突然に音楽が鳴り始めるのでご注意ください。
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by saging | 2004-12-19 03:16 | フィリピン(全般)
言葉と発散
去る日曜日、通訳の仕事をさせていただいているところで、クリスマスパーティが開かれた。正式なパーティは午後の早い時間に終了したが、盛り上がったフィリピン人たち(+私)がそのまま帰路につくはずはなく、全員で二次会(Session Bといいます)に突入。ギターを抱えて大阪府下のフィリピン・コミュニティのクリスマスパーティに飛び入り参加。さらに夜は「今日は思いっきり飲もう」と、フィリピン・レストランにまで繰り出した(つまり三次会=Session C)。
せっかくのフィリピンフードのメニューもそこそこに彼らは、席に着くなり、テキーラのボトルとピッチャービールを何本も注文。皆お金がないので、料理のオーダーは控えてとりあえず「飲む」ほうにお金をかけようという論理である。しかも、どうせ飲むならフィリピン流にテキーラというところが凄い。レモンの輪切りと塩を肴にストレートのテキーラを回し飲みするという、この暴挙。さすがに私も途中で「これはまずい」と思い、
「私がtreatする(=奢る)から、ちゃんと食べ物もオーダーしなさいって!」
といったけれど、時すでに遅し。結局、私たちは5時間にわたって飲みつづけ、しかるべくして酔っ払った。終電近くになってやっと解散し、
「明日、絶対に仕事休まないでよ!」
と念を押しまくって帰路に着いたが、よくもまあ、私自身、行き倒れずに自宅まで帰りつくことができたものだと思う。さらには、自宅に着いたとたんに、さっき別れたばかりの研修生から
「帰りの電車で財布とキャッシュカードを落とした」
という電話があり、すぐに駅と警察に電話をし、銀行の24時間ダイヤルに電話をして口座を止めた。あんなに飲んだあとにどうしてそんなことができたのか、自分でも不思議でたまらない。

もしかすると、テキーラではあまり悪酔いはしないのかもしれない。おかげで、なんとか私たちは翌朝も出勤することができたのでした。

しかしまあ、アルコールの勢いというのはどうしてなかなか貴重なもので、研修生たちは、日本での生活、日頃の仕事の中で感じていることをどんどん口に出し、お互いに意見したり同調したりしてとても上手にストレスを発散していた。文字通り「吐露」するのだ。…と書くとなんだか、愚痴を言いあってくだを巻くだけのディープな会合のようだけれど、まったく違う。話の途中で誰かが歌を歌い始めたり、勝手に場を仕切ってDJ口調で話し始める人が出てきたり、ギターを弾いてみたり。論理的にはシッチャカメッチャカなのだけれど、フィリピン人は本当に「うまく発散する」ことがうまいと思う。私がフィリピンにいたときも、特に政治に関するディープな話は、飲みながらでないとなかなか聞けなかった。(もちろん、そんな場面ではインタビュー記録もメモもとっていないし、そのような場で聞いた話の多くはとても他言できないようなことばかりだった。)そして、「素面のときは、飲んだときに喋った内容には触れない」という暗黙の了解のようなものがあって、翌日以降は互いに「知らなかったことにしている」ように私には見えた。

今回も、彼らは私に対して
「マム.Saging, あなたは言語を使うことを仕事にしているのに、自分の思っていることは言葉にしないのか。私たちは、あなたがそれでどうして平気でいられるのだろうと、とても心配している」
「あなたはせっかく言語ができるのに、肝心なことは何も言わない。あなたには他人に何かをわかってもらいたいという気持ちはないのか。私たちなら、たとえ言葉が不足していても泣いたり歌ったりして自分を出すのに」
などと言われた。まったく、どっちが通訳なのだかわからない。

翌日は彼らから
「昨日は、日本に着てから一番楽しい日だった。私たちはあそこで、自分たち自身を出すことができた。マム.Saging, あなたもあなた自身をあそこで出すことができたのだったら、私たちはもっと嬉しい」というメールが。私が
「ねえ、私は昨日、ちょっと余計なことを口にしたでしょう」
と言うと、
「大丈夫! いつか続きをまた、あの店でやりましょう」
と彼女たち。
「私たち昨夜、あの店でピカイチにうるさいグループだったと思うけど、あそこのAte(女主人)に謝っておかなくて大丈夫かな。私は彼らに対して恥ずかしいから、もう当分、あの店には行けない」
「フィリピン人はそんなこと気にしないから大丈夫。あの店では毎日だし、昨日うちのグループの向かいに座ってたあの男性なんて、数ヶ月前あそこで飲みすぎて救急車で運ばれたけど、平気で来ている。フィリピン人はそういうのを恥ずかしいといわない。楽しく時間を過ごすためにお酒を飲みすぎるのは恥じゃない。一緒にいる人を楽しませることができなかったら恥なんです。昨日、私たちがもし、あんなに飲んでもまだ自分自身を出すことができなかったとしたら、そのことが恥なんです。日本では違うのですか?」

…驚き。カルチャーショックとは、まさに。私もまだまだ相当に修行が必要のようです。
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by saging | 2004-12-14 21:18 | 外国人技能研修生・実習生