Keso de Bola とは、 「表面は赤いのに中は黄色い」フィリピンのボール型チーズ。転じて日和見主義者。       かつてお世話になった、現地の言葉で「灯台」と呼ばれるマニラ湾岸のスラムを、ガラス越しに。
管理人sagingより
ホームページ:日和見バナナ

ご連絡はsaging[at]46ch.netまで
以前の記事
検索
カテゴリ
人気ジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
<   2004年 11月 ( 2 )   > この月の画像一覧
柄谷行人『言葉と悲劇』
最近、柄谷行人『言葉と悲劇』を読んだ。先日、あるきっかけで目にした今年度の某私立大学の公募推薦試験の問題(現代文)に、この本の「政治、あるいは批評としての広告」の章が使われていたのがきっかけで、ぜひ全文を読んでみたいと思ったのだ。

試験問題として抜粋されていた箇所には、次のようなことが書かれていた。

ヒットラーの『わが闘争』には、人々のアジり方に関するヒットラーの手の内がほとんど書いてあった。だから、大衆がヒットラーにだまされているとはいえない。ヒットラーのやり口を全部わかっている人たちがヒットラーに動かされた。

アメリカのコマーシャルでは誇大な他社製品のこきおろしがある。アメリカの大統領選挙はものすごく演出されていて、メイクから発声にいたるまで計算されている。アメリカの大衆はそれを知っていて、候補者の演出の能力まで評価している。

これが「広告」というものであって、広告が広告であると知りながら動かされる人がいることがデモクラシーである。

…と、とても当たり前のことだと思うのだけれど、ヒットラーの『わが闘争』やアメリカの選挙を「広告」と表現しているところは面白いと思った。原文を引用すると、

(引用初め)「たんに大衆が動かされると言うのではなくて、大衆が、自分を動かしている当のものを知りながら動かされる。つまり、自分で主体的にそれをやっているのだと思えること、これが、『広告』と同じことなんですね。」(引用終わり)

「主体的に」という言葉はとてもあいまいである。
私は先日、ある場所で修士論文(未完成)の内容の一部を発表した際に、その結論部分で
「この地区の都市貧困層は、主体的な選択として外部者に動員されていた」
「この地区の都市貧困層は、誰に動員されるかを合理的に選択していた」
という表現をしたのだが、
「本当に主体的といえるのか。やはり外部者に流されているのではないか」
「ほんとうに合理的なのか。これが合理的なら、金がもらえるからデモに参加するとか、目先の利益につられただけでも合理的といえば合理的ではないか」
というコメントを多くいただき、そのとおりだと思う一方、では、どんな言葉を使えばよいのだろうかと思ったのだ。確かに、私の知っている彼らは、外部者にいつも動員され、うまく使われて、扇動されていた。けれどもだからといって「どうせ彼らはNGOや左派がいないと何もできなくて、短期的な利益にそそのかされているだけではないか」とは言えない。彼らは、動員されていることをよくわかっていた。利用されていることを知りながら、それに「乗って」いた。「動かされて」いたのは事実だとしても、「だまされて」はいなかった。それを「主体的」といわずして何と言えばいいのか、私はまだ言葉をさがしている。
[PR]
by saging | 2004-11-25 23:20 | フィリピン研究
革命家
先週、アフガニスタンとイラクで、フィリピン人が拘束された。アメリカ大統領の続投が決定してからは、フィリピン・アクティビスタ(活動家)の愛すべき友人たちから、「世界中から希望が失われた」「革命以外に道はないのだ」などといったメールが絶えない。「あなた、いったい何者…」とたずねたくなってしまうが、本当に訊こうものなら、「革命家だ」という答えが返ってくることくらいは容易に想像できてしまう…。

このところ、修士論文のために、階級・階層・階層イメージについての本ばかり読んでいる。論文の〆切は1月中旬で、もうカウントダウンは始まっているのに、私のドラフトは指定枚数(本文の上限は40,000字)の2.5倍の長さがある。しかも、分析枠組みは主なものだけで3つも出てくる。そのひとつが「階層イメージ」なのだが、うまく纏めることができなくて、先日も、ある授業で発表をしたところ、あまり評判はよろしくなかった。私の論文の結論はどうもあまり一般受けしないようだし、「階級イメージを論じるなんて不毛だ」とも言われた。やっぱり…。そろそろ焦り始めないと、まずい。

今日は朝から仕事で東大阪へ。フィリピンからの研修生たちの働いている工場でミーティングの通訳をしたあと、さて帰ろうと思ったら、彼らが、先日イラクで拘束された日本人男性の殺害映像をインタネットで見たと言い出したので、ついつい、私も話に加わってしまった。私が
「いくらネット配信されていても、遺族の思いを想像すれば、見ず知らずの人が首を落とされる映像など見るべきではない」
と言うと、そのなかの一人(日本に来る前はアクティビスタだったらしい)が、
「僕の父はマルコス政権時代にサルベージ(暴行)されて、死体はいまも行方不明だ。僕は世界の暴力を見届ける必要がある」
と言い出し、議論はさらに白熱。ついに私は、工場に隣接した彼らの寮に上がりこんでしまった。昼食にフィリピン庶民料理(豚肉のケチャップ煮をご飯にぶっかける)を御馳走になり、ジンをストレートでまわし飲みして(←フィリピンの恐ろしい習慣。テキーラ、ウォッカでも可)、ギターにあわせて2003年のヒットソングを歌い、私の持ち込んだフレディ・アギラのVCDカラオケに合わせてさらに歌い…と、結局16時頃まで遊んでしまった。

フィリピンにいたときは、スラムのコミュニティでは、人々はいつも昼間からジンやウォッカやビールやテキーラをあおりながら熱い議論を交わし、いつも近所の家々や広場から、大音響のカラオケが聞こえていた。私はコミュニティではアルコールは一切口にしなかったけれど、実はかなり飲める性質なので、気の置けないアクティビスタの友人たちとは、頻繁にジンを飲みながら、ギターでアクティビスト・ソングを奏でたり、階級の話をしたり、ちゃちなカラオケマシーンにコインをつぎ込んだりしたものだ(彼らはアメリカ資本主義を否定するが、カラオケで歌っていたのは洋楽ばかりで、ついでにタバコもアメリカ製だった。かなしきポストコロニアル)。

久しぶりに、あのときの空気を思い出した。改めて、私は、マニラの、あの人たちの言葉を、なんとかして日本の第三者に伝えたいのだと思った。

たまにはジンも飲みながら、がんばります。

ところで、革命家の友人たちが最近しきりに薦めてくれる映画がある。なんでも、ゲバラの青年時代を描いた作品らしい。私は革命家ではないけれど、なかなか面白そう。できれば、次の映画の日かレディースデイを狙って観たいものだと思っている。

モーターサイクル・ダイアリーズ
http://www.herald.co.jp/official/m_cycle_diaries/
[PR]
by saging | 2004-11-13 22:21 | フィリピン(全般)