Keso de Bola とは、 「表面は赤いのに中は黄色い」フィリピンのボール型チーズ。転じて日和見主義者。       かつてお世話になった、現地の言葉で「灯台」と呼ばれるマニラ湾岸のスラムを、ガラス越しに。
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フィールドワーク
私は、自分が昨年マニラのスラムエリアでたった1年だけおこなったフィールドワークを「ネタ」に修士論文を書いている。その過程で、自分のおこなったフィールドワーク(と呼べるかどうかもわからないもの)のありかたを振り返らざるを得ない。

インタビューテープを聴き、フィールドノートを見直すとき。彼らの「言葉」を論文に引用するとき、私はいつも思う。私は、彼/彼女たちが私を「受け入れて」語ってくれたその言葉を勝手に編集して、論文のテーマに合うように細工して、摩り替えているのだと。

「よく女性がスラムに入ってこんな危ない(治安が悪いという意味ではなく、政治的にリスクの高い、という意味が大きい)調査ができましたね。貴重なデータですね」
と言っていただけるとき、私は自分を恥じる。自分は、彼/彼女らを勝手に論文の材料にしているだけの搾取者なのだ、と思う。7月中旬にある研究会で発表をさせていただいたあと、私は罪悪感に苛まされ、その後2週間も、論文をたった一字も書き進めることができなかった。

あるいは、フィリピンの「貧困」や「開発」や「NGO」や「パヤタス」や「スラム」(すべて括弧つき)に「単に」関心のある人たちに
「どうしたらスラムに入れるんですか?」、「どこへ行けばスラムが見られるのですか?」
「私もsagingさんみたいに左翼のデモが見たいのですが」
などと言われるとき、返すべき言葉が見つからない絶望感。自分のしてしまったことが、「スラムをのぞいてみたい」と思っている人たちにゆがんだ勇気を与えてしまったり、彼/彼女らの「デモへの好奇心」をただいたずらに煽ってしまったりしているのだとしたら…。

私はしばしばこのような思いにとらわれ、文字どおり「修士論文を書くどころではない」状況におちいる。インタビューテープを聴くと、いまでも身を切られるような気がする。お世話になった方々の、”Di naming sinabi iyun!(私たちはそんなことは言っていない)”、 “Makapili!(裏切り者!)” という声がどこからか聞こえてくる。何度も何度も聞いた「デモで使われる言葉」や「アクティビスト的な言い回し」が、懐かしくテープの中に残っている。私は自分の修士論文に、巻末資料として「インタビュー集」や「某住民組織のミーティングの再現集」などを添付する予定(果たしてそれが政治学の修士論文に許されるのかどうかわからないけれど、ダメといわれるまでは努力するつもり)だけれど、彼/彼女たちの「勤勉」と「真剣」を、私はただの1パーセントも論文上で再現できてはいない。

もっとも、このようなことをフィリピンの友人たちに送るメールの端に書いておくと、学術分野にいる友人たちからはもちろん、アクティビストたちからも「誰もそんなことを責めやしないのに」というあっさりとしたコメントが返ってくるので、そんなにこだわるべき問題ではないのかもしれないけれど…。

今年の9月、京都大学の東南アジア研究センターのサマー・セミナーを受講させていただいた。このセミナーは毎年開催されていて、第28回目となった今年のテーマは「フィールドとの関わり、フィールドへの貢献 ―地域研究の多様なアプローチ―」であった。1週間の集中講座のなかで、地域研究者の先生方や実務家の方々からさまざまな実例をお話いただき、それをもとに参加者のあいだでディスカッションやロールプレーをおこなった。実体験に基づいたお話はなんといっても説得力があり、非常に密度の濃い充実したセミナーだった。おかげさまで私はその後はなんとか、曲がりなりにもフィールドワークを文章化する試みを続けることができている。あのような場を準備してくださった実行委員の先生方には感謝の言葉もありません。

さて、今週末は、同大学の大学院アジア・アフリカ地域研究科の大学院生を中心とする方々の企画・運営による「フィールドワークから紡ぎだす―発見と分析のプロセス―」というワークショップが開催される。発表者も様々な大学の大学院生や若手研究者で構成されているそうで、「フィールドワーク」に関する肉声が聞ける貴重な機会だそう。関心のある方はぜひ行ってみてください。

「フィールドワークから紡ぎだす―発見と分析のプロセス―」
日時:2004年10月30日(土)、31日(日)
場所:京都大学時計台記念館2階 国際交流ホール(参加無料)
詳細:http://areainfo.asafas.kyoto-u.ac.jp/japan/fsws/2004_kyoto/20041030.html
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by saging | 2004-10-29 00:23 | フィリピン研究
奈良県警のホームページ
さきほど仕事場で、あることを調べるために「奈良県警のホームページ」にアクセスしたところ、一瞬、何を調べたかったのを忘れるほどの衝撃を受けてしまった。
まずは、この黙って下のサイトにアクセスいただきたい。

奈良県警察 http://www.police.pref.nara.jp/

まず、画面右上でふらふらと揺れつづけるトナカイ…気になって仕方がない。クリックすると…トナカイじゃなくて奈良の鹿だった。「ナラ・ポリスを略してナポくん」って…。
「オレオレ詐欺が急増中」のバナーには、「オレやオレ!」という吹き出しが…。
かと思えば、「警察署の広場 鹿の角切り」ですって…。

落ち着いてみていられないほどにちらつく画面表示。凝っている割に、この悪趣味な色遣いは…。
カーソルをあてると反転・変化する文字と画像。
凝りに凝られた信号機のイラストも、カーソルによって反転。恐ろしく芸が細かい。
リアルすぎて怖い劇画調のイラスト。
「お知らせ」バナーをクリックすると、その怖いお姉さんがウインクしてくれる。

奈良県警のなかに、凝り性のプロがいるのでしょうか?
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by saging | 2004-10-25 21:24 | その他
ある「立ち退き」をめぐって
さきほど、日ごろからお世話になっているAさんからメールが転送されてきた。マニラの共通の知人であるT氏からだった。
「近く、マニラ首都圏のある河川沿いの200世帯が、マニラ首都圏開発庁(MMDA)による立ち退きに遭うことになっているのだが、このプロジェクトの出資元は日本の国際協力銀行(JBIC)またはアジア開発銀行(ADB)のどちらかではないか。調べてほしい」
というものだった。もともとこのメールは、T氏から、日本で都市貧困者運動に詳しいある方々のもとに送られ、そこからAさんに転送され、さらに私のところに届いたのだった。いずれの方々も、マニラの都市貧困地区の人々の抱える問題や立ち退きにとても詳しい方ばかりである。
私は、T氏のメールを読んでまず不思議に思った。私はその地域に何度も行ったことがあるし、どんな方が立ち退き反対運動の先頭に立っておられるのかもある程度は知っている。私の知る限りでは、そこはADBの河川浄化プログラムの地域に指定されている。B氏は私がマニラでお世話になったNGOの熟練スタッフで、立ち退きへのモニタリング(監視)を専門としている穏やかで冷静な方である。いちいち日本人にメールでたずねなくたって、ADBに決まっているではないか。私はJBICのメールマガジンでプレスリリースも受け取っているし、ウェブサイトも頻繁にチェックしている。私が知るかぎりでは、その近辺にJBICのプロジェクトが締結されたことはない。なぜJBICが出てくるのだ、と私は思った。
B氏のメールによると、MMDAはすでに立ち退きの予告を出しており、「○月○日までに立ち退くように」と指定している。しかしおそらく、MMDAは「ADBのプロジェクトのために立ち退きをします」とは言っていないだろう。根拠が示されず「ここは不法占拠地だから」とされている可能性が高い。万が一、法的根拠が示されているとすれば、河川法”Water Code”の「河岸10メートル以内は公有地とする」という条文だろう。いずれにせよ、MMDAが
「ADBの河川浄化プロジェクトが予定されていますから立ち退きを命令します」
「ここは洪水制御装置の予定地となっているので立ち退きを勧告します」
などと具体的なことを言うはずがない。そんなことをすれば、住民がそのプロジェクトの正当性に対して反駁し、話がややこしくなるからだ。
「あなたたちは不法占拠者ですから立ち退きなさい」
というほうがずっと「手っ取り早い」のである。
では、いったい誰が、「この立ち退きはADBもしくはJBICのプロジェクトのためだ」と言い出したのだろう。ADBはともかく、どうしてそこでJBICが出てくるのだ。
そこで、ふと思い出した。B氏の勤めているNGOの姉妹NGOで働いている友人Gが、2日前、私にメールをくれた。彼とは頻繁にメールの交換をしているので、別段驚くことでもないのだが、そのメールの中に、
「君はJBICのマニラ事務所にまだコンタクトをとれるか?」
という一文があったのだ。Gはマニラの北東のJBICの河川改善事業の予定されているSというコミュニティで働いているので、私はてっきりそのことだと思って、何の気なしに
「担当者は知ってる。あの地区、何か進展があったの?コンサルテーションでも要求するの?」
と返答していた。
しかし、きっとGのメールはそのことを指していたのだ、と気づいた。Gの働いているコミュニティSの住民組織と、今回立ち退きになる予定の地域の住民組織は、GのNGOを通してネットワーキングを進めていた。おそらく、立ち退きが宣告された後、彼らはミーティングの中で「どうして立ち退きになるのだろう」という議論を続け、Gか、あるいはS地区人々が「JBICではないか」と言ったのだろう。または、S地区の事例をすでに知っている人々が「うちもきっとJBICだ」と言い出したのかもしれない。
もちろん、これは私の推測にすぎない。しかし、実際にJBICが何も関与していないはずの地域で、「JBICのせいで立ち退きになるのかもしれない」という噂や不安が飛び交っているのだとしたら、それには何らかの理由があるに違いない。
実は、私はマニラ滞在中、このGと、そしてGのボスで、私と最も近い関係にあったBとの間にある問題を抱えており、「コミュニティ・オーガナイジングとJBICへの抵抗運動」というテーマで数ヶ月にわたって議論をしていた(この件については、本家ウェブサイト『日和見バナナ』でもずっと書こう書こうと思っていてまだ書けていない)。そのときの私たちの問題をごくごく簡単に書けば、GやBの支援しているコミュニティの住民組織の方々が、JBICのあるプロジェクトに対する反対運動を続けており、JBICと何度コンサルテーションを重ねても、
「JBICは陰謀者だ、JBICは私たちをだまそうとしている」
の一点張りで、議論にならない、問題であった。JBICの側がいくら
「そんな事実はない、だまそうともしていない」
と主張しても、住民組織は聴く耳を持たない。GとBは住民組織を擁護し、
「たとえ間違っていても、それが住民たちの分析ならそれは尊重すべきだ」と主張し、私はそんな彼らに、
「そんなことを言っていたら対話も何も進まない。尊重することと受け入れることは違う。住民たちの分析がいつも正しいとは限らない」
と言っており、そこで意見が対立していた。一時は、私は彼らから
「君はどっちの味方なのだ。JBICか僕たちか、ふたつにひとつだ」
と迫られていた。実は、この議論にはいまだに決着がついていない。

私はとりあえず、T氏とGとBにメールで、
「私はJBICのウェブサイトを念のためにもう一度見直しましたが、その地域に関わるような契約は調印されていません。英語版もあるから、そちらでもチェックしてみてください。いったい、この立ち退きにJBICが絡んでいるという話はどこから出てきたのですか? もし、はっきりとした根拠があって、あの地域の方々が真に不安を抱いているのなら、私からJBICにたずねることもできます。そうするべきですか?」
と書いて送った。それ以上のことを書けば、もっとややこしいことになってしまいそうな気がする。
私にとっても、あの地区が立ち退きになるというのは決して他人事ではない。知り合いも多くいるのだ。だからこそよい対応をしたいと思うが、そう願えば願うほどに、私は自分で話をややこしくしているような気がする。
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by saging | 2004-10-18 01:26 | フィリピン(全般)
100円ショップと「彼らの闘い」
※前回の『京都観光』の続きです。

IBON Foundationからこられたフィリピン人のA氏に、京都を案内したときのこと。日本人のみならず外国人観光客からも圧倒的な人気を誇る現代社会の産物「100円ショップ」もご案内した。京都タワービルの2階。和風小物に、小さな電気製品に、珍しい文具に…A氏はなんと5200円分(つまり52点)も買っておられた。ことわっておくが、「100円ショップは不均衡な国際経済と東南アジア諸国の労働者の犠牲の上に成り立っている」ということくらいは、A氏も私も、重々承知の上である。
このあたりの「割り切り」が、フィリピン人アクティビスタと日本人活動家の大きな違いではないかと思う。
「私は割り箸を使いません」
「私はマクドナルドでは食べません」
などと誇らしげに主張し、そして他人にもそれを促そうとするようなディープ・エコロジストや完璧主義的な反帝国主義者は、あまりフィリピンでは見かけない。確かに、イラク戦争のときは一時的に「アメリカ製品ボイコット運動」を呼びかけていたフィリピンのNGOもないではなかった。しかし一方で、「いや、マルボロはやめられない」、「やっぱりコカコーラは飲まなくちゃ」と、次々に抜け駆けをしていたアクティビストは数知れず。昨年秋の「サンミゲル社商品ボイコット運動(詳しくは私の本家ウェブサイトの中のhttp://www.46ch.net/~saging/pilipinismo/co4.html を参照)」でも、
「サンミゲルビールの代わりにその4倍の値段のハイネケンを飲めと?無茶だ!」
と言って参加しなかった人々は数知れず。
アクティビスタには、「観念的」な闘いかたと「実質的」な闘いかたがあると思う。たとえば、政府とのミーティングで出されたお茶に手をつけないことを美徳とする人たち。(フィリピンでは、かなり進歩的なNGOでも、政府とのコンサルテーションで軽食や食事を出されればしっかり平らげます!)私の友人は、ミンダナオのバナナプランテーションを所有していたある国会議員に路上でバナナを投げつけた。しかし、彼はその後もバナナを食べつづけている。私は高校生のとき、某NGOで
「バナナを消費することは、多国籍企業による搾取に協力することだから、これからは安いDOL○社のバナナを食べずに、生協のフェアトレードバナナを食べましょう」
というワークショップを受け、
「そんな馬鹿な。フェアトレードバナナっていくらすると思ってるんだ!」と思った。例の友人にその話をすると、彼は
「それは日本人の考え方なのか? ボイコットはパフォーマンスではあっても実利的な手段ではないよ」
と笑っていた。
もう10年以上前になるのだろうか。日本でさかんに言われていた「割り箸は環境に悪い」説。いったん信じてしまうと意地でもそれを押し通し、知人が隣で割り箸を使おうものならこれ見よがしに「それは環境に悪いの、知らないのですか?」と迫るアクティビストにどれだけ出会ったことか。
「私はマクドナルドも利用しないんですよ、なぜなら…(以下、『ファストフードが世界を食いつくす』に書かれているような知識が延々と続く)。」

「100円ショップの商品はどこで作られているか、知っていますか?」
――素直で善良な人なら「知りませんでした!そうなんですか?」と言うかもしれないけれど、私など、
「あのねえ、何を信じようがボイコットをしようがあなたの勝手だけど、お願いだからそれを他人に押し付けないで!」
と心の中で叫んでしまう。
100円ショップ、80円ハンバーガー。ミンダナオの人々の労働の「搾取」の結果としてのバナナ。児童労働でつくられた安いサッカーボール。それでも「安いのだから利用してしまおう」というのは間違っているのだろうか。ボイコット運動をしている人々や「フェアトレードバナナしか買いません」といっている人たちからは、「自分のことしか考えていない」と批判されるかもしれない。けれど、もともと人間は、自分のことを第一に考えるしかないのでは?ソウル・アリンスキーも「人は自己利益をもとに行動する」と言っている。アリンスキーの話は、長くなるのでまたの機会に…。

関連サイト
拙サイト(本家)の中の「不買運動」
http://www.46ch.net/~saging/fence-sitting/sm3.html
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by saging | 2004-10-17 23:30 | フィリピン(全般)
京都観光
今年は日本のODA(政府開発援助)が始まって50周年。二国間・多国間のODAプログラムを監視する国際NGOネットワーク、“Reality of Aid” の会議が先週、東京で開催されたという。
この会議のために各国から来日した参加者は、会議終了後は東京以外の各地方に散らばり、ODA関連のイベントやシンポジウムに出席してからそれぞれの国にお帰りになる。私の地元、京都では、フィリピン、スリランカ、カンボジアの方を招いてのシンポジウムが開催された。
フィリピンからは、”IBON Foundation” というNGO(←政策提言NGOであり、草の根NGOであり、出版社であり、最近では世論調査も手がける)の重役のAがお見えになった。私もマニラ滞在中はこのIBONの出版物やデータベースにさんざんお世話になったので、今回はA氏のアテンドを担当させていただいた。彼はもちろん、筋金入りのアクティビスタ(活動家。もっとはっきり言えば、革命家)。私もフィリピンにいた頃はほとんど毎日のようにかの国のアクティビスタたちと熱くディープなディスカッションをしていたのに、日本にいるとそんな機会もさっぱりなく、久しぶりにフィリピン人アクティビスタに会うと思わず胸が高鳴ってしまう。マルコス戒厳令前の60年代に10代だったA氏が、どのようにしてアクティビスタになったのかという経緯をたっぷりきかせていただいた(こちらから催促しなくとも生き生きと語ってくださるのだ)あと、今回の選挙の結果について、フィリピン軍のイラクからの撤兵について…といった話からよりディープなテーマへと、話題は尽きない。

シンポジウムの日程の合間には京都の観光名所をご案内させていただいた。行楽シーズンの三連休にあたるこの時期、京都は観光客でいっぱいで、ホテルを押さえるのも一苦労。いろいろ探した結果、シンポジウムの会場である五条河原町「ひと・まち交流館」のすぐ近くの「千鳥」という旅館にお世話になることに。昔の遊郭「五條楽園」のすぐそばの、なかなか風情あふれる素敵なお宿だった。(ちなみに五條楽園はいまも存在する。)
五条坂、陶器市、清水寺、八坂の塔を順にご案内する。人は多かったけれど、お気に召していただいたようで何より。清水寺の境内はとかく見所が多くてさまざまに愉しめるし、周辺の小物店もおもしろいので外国人には断然お勧め。(いや日本人でも、京都観光なら断然、東山五条~三条エリアに限ります。余談ながら私はこの地域が大好きで、二年坂のちりめん山椒屋や四条の和菓子屋や東山三条でアルバイトをしたこともあるし、数ヶ月間住んだことさえあります。)

関連サイト
ODA50周年シンポジウム:http://blog.livedoor.jp/on_line/archives/7902589.html
IBON Foundation:http://www.ibon.org/b0031348_0341932.jpg
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by saging | 2004-10-17 20:34 | フィリピン(全般)