Keso de Bola とは、 「表面は赤いのに中は黄色い」フィリピンのボール型チーズ。転じて日和見主義者。       かつてお世話になった、現地の言葉で「灯台」と呼ばれるマニラ湾岸のスラムを、ガラス越しに。
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カテゴリ:イラクでの人質事件(04年)( 7 )
機会の到来

それにしても、
「日本国民は、自衛隊が撤退するように政府に圧力をかけてくれ」
というこの声明は、日本の運動家にとっては、またとない「機会」だ。タローやティリーの言った、政治的機会。そう呼ぶしかありません。

今回の場合、政治的状況や社会的環境が運動をもりあげたのではない。初めから運動の好きな人たちが、状況や環境に飛び乗って利用したのだ。

たとえば仮に、アメリカの退役軍人の会とか、弾薬庫を管理する利益団体とかがあったとして(あくまでも仮にですよ)、彼らが突然、在米邦人を誘拐し、
「3日以内に自衛隊の要員を増やさなければ人質を殺す」
「ついでにいまさらだがパキスタンにも自衛隊を送ることを決めなければ人質を殺す」
「日本の国民は、政府に圧力をかけてくれ」
と言い出したらどうなるのだろう、と考えてしまう。
同じ誘拐でも、日本の市民団体はこれらの要求には見向きもせず、犯行グループの卑劣さを責めるか、裏でブッシュが絡んでいると見るかだろう。

私が言いたいのは、つまり、
「市民運動側は今回の事件を政治的機会の到来として利用した」
だけだということである。
今回の事件を機に、自衛隊の撤兵を求める人が増えたわけではなくて、運動をしたのは、前々から自衛隊の派遣に賛成している人であって、彼らは、このチャンスにすかさず乗った。ただそれだけのことである。

あんなに市民運動をしたのにイラク戦争は予定通りに起こり、日本の活動家たちは深く失望した。だから、今回こそは、
「われわれの運動の努力が結実した!」
と主張したいだろう。彼らによれば、あの3人は「人道的な崇高な目的で、日本政府に見捨てられたイラクの人々を助けに行った勇敢な若者」で、日本政府は「何もせず、三人を見殺しにしようとした」悪者で、市民運動は「あらゆる手を尽くして問題の解決のために大活躍した」ヒーローたち、と。
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by saging | 2005-04-11 16:44 | イラクでの人質事件(04年)
政治的な価値の利用について

今回のイラク人質事件について、私はどちらかというと5人に否定的な立場でいくつか文章を書きちらしていたのだけれど、ここまで5人への中傷や非難が強くなると、迂闊なことをかけないので、アップするのはやめました。
代わりに。

私は、フィリピンで愛する友人に一度だけ
「君にはRed Complexがある!」
と言われた以外には、左派にも右派にも偏見はない「つもり」だ。
私が言いたいのは、右も左もともかく、運動が今回のイラク件を利用したということだけ。利用されるのが良いとか悪いとかではなく。

拘束のニュースのあったとたんにこの機会に飛びついたNGOがいたのは事実だ。
三人の解放を求めるための共同声明や署名運動に、
「自衛隊の即時撤退」はまだしも、
「有事法案の破棄」
「年金法案政府案反対」
「小泉内閣の退陣」
などといった事柄までが、便乗でどんどん添加されていった。

「いてもたってもいられない」家族の方々は集会に呼ばれ、ニュース番組に呼ばれ、
彼らの発言は、「政府批判」の材料(リソース)にされていった。
意図的であるかどうかは別にして、結果的に、家族の言動が、「利用された」のは事実だろう。
そして、それに対する認知と批判が大きくなると、今度は、家族の過去の言動や三人の批判が、いつのまにか、もともとNGOをよく思っていなかった人や、自衛隊派遣を維持したい人々の運動のリソースとなる。

小泉政権だけでなく、福田官房長官だけでなく、さまざまな左派だけではなく、自民・公明党、野党、NHK、民放、そしてさまざまな組織が今回の事件をそれぞれの機会として利用している。

小林よしのりは、非政治的な運動であったHIV訴訟に民○の思想が入り込んできたことを描いた。ある人は、社民党が新左翼の影の濃いNGOの代表者辻元氏を幹部にしたことを批判した。既存の左派政党が、市民運動の持つ政治的な価値を利用しているのは事実であろう。
繰り返すが、私は、それが悪いとはまったく思わない。
むしろ、機会を利用しあうのがこの世の当然だと思う。

ただ、それに気づかずに一部の情報を鵜呑みにしたり、「自称左派でない」人々が「あいつらは左翼に利用されている!危険だ!」と騒いだり、左派系の人々が「日本の世論は右傾したマスコミに踊らされている!」と叫ぶのはとても滑稽ことだと思う。
いやいや、どっちも同じでしょうって。
みな、利用しているし、利用されている。みな、それぞれに踊らされているし、躍らせている。だから、そんなのは別に警告を発することではない。
「そうそう。自分も、利用されてやっているんだよ」
と高らかに言う人でもあれば、おもしろいとおもうのだけれど。

同様に、NPOやNGOの政府との連携事業や政府のNPO/NGO支援金に対して
「政府に利用されてしまう」
「ボランティアは政府の下請けであり、動員だ」
と危ぶむ人がいるが、それはそれで、利用されてやればいいのではないかと思う。
「わかって利用されている」ならかまわないと思う。

私は、マニラ市のスラムでおこなった1年足らずのしがない調査の結果、
「スラムに住む都市貧困層は、自分たちが政府や政権外の他者に動員され、利用されていることを知っていてあえて利用され、同時に自分たちも政府やいろいろなグループを利用している。」
という暫定的な結論を出した。
おもしろかったのは、スラムの住民自身の
「AというNGOは、私たちに『あなたたちはNGO‐Bに利用されている』と言い、Bは『あなたたちはAにうまく使われているよ』と言った。また別の人は私たちを陰で『あいつらは政治家Cに使われているんだ』と言い、与党政治家は『あなたたちは政権転覆を狙うグループの言いなりにならないで』と言った。はい、そのとおり。私たちは貧しいから、いろんな人に利用されていますよ。指摘されなくたって私たちはよくわかっている。だって、私たちも彼らから利益を引き出しているのだから」
という言葉だった。
スラムで育ち、奨学金を受けながら苦学してまもなく修士号をとろうとしている私の友人は、その論文の中で
「多くの人は『大衆は無知で、簡単に流される。貧困層なんて、政治家に都合よく利用されているだけだ』と言うが、そうではない。大衆は敏感だし、合理的だ。」
ということを実証しようとした。

そういったところから考えると、日本のNGOが
「日本市民は何も知らずに右傾化したメディアの情報にに踊らされている」
「日本人は小泉政権の論調に利用されている」
と声高に叫んでいるのは、とっても意味のないことに思えて仕方がない。
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by saging | 2004-04-23 01:33 | イラクでの人質事件(04年)
自己反省

イラク人質事件について、先回は客観的なふりをしてみましたが…。

私も、ほんの数年前(???)までは、大義と理想に燃えた活動家の一人で、自分が途上国に行くことが世界を変える一歩だと信じていました。(これは、私の所属していたNGOの所為ではありません。 私のお世話になっていたNGOは分別をわきまえたNGOだったと思います。私はいまも、そのNGOを敬愛しています。これは、私自身の問題です。)
いま思えば「馬鹿だなあ」と思うのですが。
したがって、今回の事件はとても他人事ではありません。
確かに私はいま、猛烈に彼らを批判したいですが、とても手放しで批判できる立場にはないのです。

私がまだ国際協力NGOの活動家だったとき(12歳から18歳まで)は私も何度となく、
「あなたたちが現地に行くお金があれば、何人に予防接種ができるのだろう」
「ボランティアがしたいならどこででもできるだろう。日本だって。」
「国内の老人ホームより海外でのボランティアのほうが目立つから、そんなことをしているんだろう」
「インドよりも、日本の目の前の貧しい人々に愛を注ぎなさい」(マザーテレサの言葉)
「要は、相手を助けたいのではなく、自分の生きがい探しをしているだけなのだろう」
「民間人の理想論が通じるほど世界は簡単じゃない」
「『笑顔で心が通じ合う』くらいことが簡単なら戦争なんてはじめから起こるはずないでしょう」
「自分の身すら守れない者が他人を助けられるのか?」
といった批判を受けていました。家族からも友人からも。そのときの私はひたすら理論武装してそれに答えましたが、いま思えば、非常に非生産的な答えしか出せませんでした。

これらの議論の結末はともかくとして。
何か「善いこと」をしたいなら、その答えをつねに自問自答しながら活動すべきだと
いまは、切に思います。

実際に私は、中高時代、ほんとうに世界が変えられると思っていたので、これらの批判にもちろん反撃し、水掛け論の末、ボーイフレンドを含めて何人もの友人を失いました。彼らは、NGOに対して、さぞ悪い印象を持っただろうと思います。私はいまさらに彼らにこう弁解したい思いです。
「ごめんなさい、でもすべてのNGOがそうではない。私はNGOを代表しないし、今回の3人も、NGO一般を代表しない」

いまも、マニラでジープから落ちてみたりなんやかんやと「やんちゃ」している私なので、これを機に、自分の行動をよく考え直そうと思います。
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by saging | 2004-04-23 01:31 | イラクでの人質事件(04年)
善意への批判

先ほどになって事態がまた急変したらしいので、今回の事件の結末はあいかわらず見えないままだが、事態が、どんどんひどい方向に走っている。
3人が解放されたのは「イラクの人々を助けていたから」だと報道された。
絶望的だ。これは悪夢だ。これでまた、「何かしたい」とあふれる情熱だけをもって、英語すらできないのに途上国に赴き、ボランティアをしたがって、現地の人々や受け入れのNGOに大迷惑をかけるようなそんな若者ばかりが急増するのではないかと、私は心配でならない。
フィリピンにもそういう方々がたくさんいらっしゃるようだ。(いや、中には本当によいことをしている人もいるのだと思うが…)フィリピン大学の知人たちもこう言っている。
「日本人はどうしてフィリピン人を助けたがるのか?」
「日本人はどうしてかわいそうな子供たちが好きなのか?」

問題は、自己反省が足りないことなのだ。
イラクのストリートチルドレンは日本のボランティアの到着を待っていたかもしれない。でも、本来、その国のストリートチルドレンは、その国の人々に面倒を見てもらうべきでしょう。日本人が一度行ってしまったから、彼らは待っているのでしょう。行かなければそんな期待を持たせることもなかったのでは?

現地でボランティアをしている人を責めているわけではない。
私が言いたいのは、ボランティアさんだろうがNGOだろうが、外国まで行って他者に関わるなら、つねに、自己批判の目をもつべきということである。無条件に「現地の人々に役立つ善い活動をしている3人だったのに…」とそれだけを強調するのはいかがなものかと思う。

私にはマニラに、とても信頼している数人のフィリピン人の友人たちがいる。
私が彼/彼女らを心から信頼しているのは、私に対してはっきりとものを言ってくれるからである。ある日、私が調査をしているあるスラムエリアで、殺人事件が起こった。
そこは、警察すら入りたがらないといわれているほどのひどいエリアで、(注:そういわれているだけで、一応警察はいる)殺人事件など別に珍しいことでもなかった。それで、私はそのときもさして気にも留めず、いつもどおりそこへ出かけた。そのとき、彼らは言ったのだ。
「行ってもいいが、もし何かがあったら、君が調査をしているあの地域の人たちが困るということをわかっているか。君は自分の責任だからと言うかもしれないけど、彼らはすでに君の知り合いになっているんだから、君に何かがあったら、彼らはほかの人から責められるかもしれないし、自分たちを責めるかもしれないだろう。そうしたらこれは君の問題ではなくなる。君は、それを知ったうえで行動すべきだ。」
たしかに、そのとおりだ。しかし、彼らにそう言われるまで、私は気づかなかった。スラムの人たちは、思っていても私にそんなことを言ってくれるはずはなかった。

彼らのうちの一人が、私を、自分の働いている、あるスラムのコミュニティに何度か誘ってくれた。けれども、私はいつも
「日本人が行くと、何かしてくれるんじゃないかと期待をさせてしまうから行かない」
と言い続けてきた。そこはODAプロジェクトの予定地で、それをめぐる住民運動が起こっているのだ。現場へ行って、そこの人々から、
「日本国民は、ODAを止めるために政府に圧力をかけてくれ」
と言われたら、それが事実であろうとなかろうと、とりあえず何も言い返せないではないか。たくさんの日本人はこうした現場に立ち会っては、いとも簡単に
「日本で行動を起こします」
と約束をするらしいが、私にはそんなことは怖くてできない。その場限りの言葉を並べるくらいなら、黙っていたほうがいいのだ。まだ何ができるかもわからないのに約束をすることなどできない。それで落胆されるくらいなら、初めから行かないほうがよい。

…ということを私が彼に時間をかけてメールで説明したとき、彼の意見はこうだった。
「それでいい。それは僕たちもつねに心がけていることだ。外部者が入ることで問題がもっと大きくなるかもしれないのだから。我々はいつも、間違いが起こるかもしれないと自分自身を危ぶみながら行動を起こすべきだ。時間がかかってもいい。とっさの善意とは正義感とかいうのは実は危険なのだ。僕たちには、現代のCSCが必要なのだ。」
私たちはその後も長い話し合いをして、最近になって、私はそこに行くことになった。
そして、実はいま、私はそのコミュニティに関わっている。

「ところで、CSCって何?」
と私が聞くと、彼の答えはこうだった。
"Criticism, Self Criticism."

最後のはジョークです。そういえば彼は地下活動の出身者だったのでした。日本で活動家魂をお持ちの方なら、この言葉の意味と日本語訳を、私よりずっとよくご存知でしょう。
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by saging | 2004-04-12 00:39 | イラクでの人質事件(04年)
一枚岩

3人の人質は解放されたそうで、まずは何よりです。新聞によると、犯人グループがアルジャジーラにファクスで寄せた声明文の要旨は、
「我々はイラクのイスラム聖職者協会の要求に従い、日本人人質3人を24時間以内に解放する。我々が解放を決定したのは、日本政府が必ずしも国民の意思を代表しているわけでなく、ブッシュ米大統領や、ブレア英首相の命令に従っただけだと判断したからだ。日本国民に対し、日本軍(自衛隊)がイラクから撤退するよう日本政府に圧力をかけることを求める。」

…「日本政府が必ずしも国民の意思を代表しているわけではない」
そのとおりです。でも、同様に、一部の市民運動やNGOが国民の意思を代表しているわけではないのも事実です。それに、この犯人グループがイラク国民の意思を代表しているわけでないのも事実。

それなのに、
「これは、自衛隊の撤収を要求し、三人が人道支援をしていたことをイラクに伝えた市民団体の努力によるものだ」
「これで、イラク市民が自衛隊の撤退を望んでいることが証明された」
と言っている活動家の方々へ。
相手と同じ土俵に乗ったら負けますよ。
あなたがたの解釈では、犯行グループは、日本が一枚岩でないことを認めたのでしょう。それなのにあなたがたはいまだに日本の「市民団体」や「世論」や「NGO」を一枚岩としている。「イラク市民」は全員が自衛隊に反対しているのだと思っている。
それじゃ、レベルが変わらないどころか、負けてるじゃないですか。
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by saging | 2004-04-11 16:44 | イラクでの人質事件(04年)
人でなしと言われるかもしれませんが
私は決してアクティビストではないが、訳あってアクティビスト系のMLに加入しているため、昨夜から、Yahooメールの容量が一気にオーバーしてしまうのではないかと思われるほどの量のメールが届いている。
一応、私はすべてにくまなく目を通している。どれも、イラクからの自衛隊撤退を訴える署名やデモ、メディアキャンペーンなどの「統一行動」の呼びかけばかり。
昨年の3月20日のイラク戦争のときも大量のメールが来たが、今回はそれをはるかに上回っている。
反対論者の友人・知人の前では大きな声では言わないが、私は自衛隊のイラク派遣に賛成ではないけれど、仕方がないかもと思っている面もある。けれど、とりあえず今回は、人質の命のために、そしてこれ以上日本のアクティビスタを怒らせないために、日本政府はひとまずは撤兵宣言をしておくべきではないかと私も思う。戦闘地域に認定し、「一時撤退」という形で、できるだけアメリカのご機嫌を損ねない形で…。 ここで突っぱねて何か起こってしまえば、このあとずっと小泉政権は「悪の政権」と言われ続けると思う。それが事実かどうかは別として(少なくとも私は、3人の拘束が日本政府のせいとは思わない)日本のアクティビストやNGO崇拝者の市民たちは、このあと何十年も、徹底的にこれを引き合いに出すだろう。それは、決して得策ではない。だから、とりあえず何か理由つきで撤兵したほうがよい。撤退理由として妥当なのは「非戦闘地域ではなくなった」でしょう。

もっとも、撤退したとしても、さらに味をしめたテロリストによる日本人の誘拐が続発する可能性はある。スペインでは、撤兵後も依然としてテロ騒ぎが起こっているのだし、これに契機付けられた他国のムスリムまでもが日本人をターゲットにしはじめたら、たまったものではない。フィリピンで中国人が「何でも金で解決する奴等」と目されて誘拐組織の格好のターゲットになっているように。要求を呑んで撤兵すれば、次は「米軍の撤兵」だの、「イラクへの資金(←軍事)援助」だのを求められるかも知れない。
…しかし、とりあえず、「見殺し」と世論に批判されるのは、どう考えてもよくない。
…ということで、私も一応は撤兵派ということになるので、首相官邸に撤兵を求めるメールに賛同しておいた。とりあえず、街頭署名もしてきた。まあ、署名なんかで何が変わるとは思えないけれど…。

しかしそれにしても、大量のメールを読んでいると眩暈がしそうになる。
昨日も書いたが、
「イラクの人々を救うために現地に行った彼らが自衛隊のせいで殺される!」
「彼らは人道支援者です。自衛隊ではない。」
「人道的な目的のために赴いた彼らの良心を、小泉政権は殺そうとしている」
という文言の多いこと多いこと。
「自衛隊は人道支援者だ」というのが政府の見解なのだから、これらは完全に水掛け論である。まったくどうして、NGOなら人道的だなどと、こうもはっきり言い切ってしまえるのだろう。

「人でなし」と言われてしまいそうだが、いまもっとも危険な国に、もっとも危険な時期にヨルダン・ルートで入ろうとしたのも行くことを決めたのも、本人たちではないだろうか。今回のような形ではなくとも、つねに、身体への危険は付きまとうことは知っていただろうし、それをわかって敢えて「行きたくて」行ったのではないのか。それなのにどうして、「小泉は責任を」と理論に摩り替わるのか。私は、政府がたとえ撤退をしなくても、見殺しだとは思わない。それは自己責任であって政府の責任ではない。

フィリピンにも、たくさんの「ボランティア活動家」や「NGO関係者」の日本人がいる。もしフィリピンのムスリム過激派が、あるいは共産党武装組織の新人民軍がその中の一人を拘束し、日本政府に何らかの要求をしてきたとしたら、政府はそれを呑むのだろうか? 

今日の夕方、某繁華街を通りかかったらちょうど街頭デモをしている知人に声をかけられてしまったのでしばらく、その「市民による統一緊急運動」だかなんだかを見ていた。(どうしてそんなところで知人に会うのだろう。やっぱり私はアクティビストかもしれない。)有名な運動家(いや、この世界で有名なだけで、一般にはほとんど知られていないと思うけれど)が演説していたが、ほどなく、警察が来るとかで撤収を始めてしまった。

それにしても、統一行動だか、良心のボランティアを守る市民連帯だか知らないが、
私のところに来るメールを読んでいるかぎりでも、
「自衛隊は武力で占領しているわけではないというメッセージをアラビア語でイラク国民に送るべき」
「日本軍隊と3人のような日本人を区別してくれと彼らの呼びかけるべき」
「もう自衛隊派兵がイラクの人々にとっては、爆弾の雨をふらせた米占領軍の一部でしかないことは明らかになった」
という、まったく正反対の主張をする人々が、ともに「統一行動」を呼びかけている。

これらの、どこが統一行動なのだろう?
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by saging | 2004-04-09 23:46 | イラクでの人質事件(04年)
また、「NGO」という言葉が。
イラクで拘束された日本人3人はそれぞれ、ジャーナリスト、難民への緊急支援のボランティア、そしてNGO活動家だという。私はどんな言葉を書けばよいのかわからない。ただ、非常に口惜しい。

ニュースキャスターはこのように言った。
「危険な地域だからこそNGOが必要だったのだ。」
「彼らは向こうの人を助けるために行ったのに…」
「彼らは必要とされて人道援助のために行ったのだ」
明日になれば、このような発言をする人はさらに増えるだろう。私はこの状況が、ほんとうに口惜しくてたまらない。

どうして、そんなことがいえるのだろう。
この「NGO」「彼ら」のところを「自衛隊」に変えてみればいいのだ。

ニュースキャスターも視聴者も、初めて聞くこのNGOよりは、まだ、自衛隊の活動内容のほうがよく知っているはずである。
それなのに。
なぜ、NGOだとこんなに無条件に「必要とされている」と言われるのだろう。日本人のNGOが「必要とされていた」と、いったい誰が言ったのか?(もちろん、本当に必要とされていたのかもしれない。私が言いたいのは、知らずにそう言い切るのはおかしいだろう、ということである。)
自衛隊なら「本当に必要なのかどうか疑問」で「本当に人道支援なのか疑問」なのに、
今日はじめて知ったようなNGOの活動ならば、「必要」で、「人道的」で、「善いこと」なのか? 
それはただの感傷であって、今回の「政策議論」とは関係がない。

私は10代の頃、所属していたNGOの関係や、その他いろいろな理由で第三世界に渡航し、そのたびに、何人もの愛する人たちにこう尋ねられた。
「日本の愛する人たちよりも、開発援助を選ぶのか?」
そうではない、と私は言いたかった。私は行きたくて行くのであって、開発援助のために行くのではありません。けれども、私はそう言うことができず、
「世界の子供たちのために人生を尽くしたいのだ」
と明言していた。

数年前に立場が逆転し、私の愛する友人(これを読んでくれているのかしら)が農業指導のため西アフリカのある国に旅立つことになったとき、私は、もし彼女に何かがあったら
「そっちの農業なんてどうでもいいから全部放り出して帰ってきて」
と言うだろうと思った。

実際、何度も海外で命の危険を感じ、「もうだめかもしれない」と思ったときに、必ず、その人たちの言葉を思い出した。家族や友人や、これまで自分によくしてくれた人たちよりも大切にすべき「大義(Cause)」など私にはない。
10代のときは特に、たくさんの大人が私たちの活動を褒め、メディアは、「世界のために力を尽くす若者」「いまこそ必要とされる日本のNGO」といった言葉を、私のために使ってくださった。どこへ行っても「貧しい人のために尽くす日本の中学生だ」と貴重がられ、誰もが私たちを美化してくれた。そんなときが、本当に存在したのだ。私は、どんな言葉が「受ける」か、どんな言葉が感動を生むかをわかっていた。10代であるというアピールポイントを最大限に前面に出しながら
「私は子供です。そして、私は世界の子供たちのために生きていきます」
と言えばよかった。
いつも、言葉だけが空回りしていた。

私はのちに日和見に転じ、いまでは、10代の頃のそんな経歴はまず知人には明かさないし、「ストリートチルドレンのために何かしたくてフィリピンにボランティアに来た」というような方々とマニラで出会っても、関心もなければ、共有できる感情など何もない。

私が口惜しいのは、自分が10代の活動家だった頃からもう10年がたち、NGOという言葉が広く知られるようになったのに、こうした「善」のイメージは、まったく以前と変わっていないどころか、さらにさらに多くの人々が、根拠も何もなく、「NGOは政府よりずっとよい」だの「NGOは人道的」だのという言説を使い始めたことである。
若くて熱かった私は、そんな風潮に抵抗して活動家をやめたつもりだったのに!!
高校生の私よ、ぜんぜん抵抗になっていませんよ…。
いまは、もはや抵抗する気持ちすら生まれてこず、このようなサイトでストレスを発散することしかできません。
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by saging | 2004-04-09 01:50 | イラクでの人質事件(04年)