Keso de Bola とは、 「表面は赤いのに中は黄色い」フィリピンのボール型チーズ。転じて日和見主義者。       かつてお世話になった、現地の言葉で「灯台」と呼ばれるマニラ湾岸のスラムを、ガラス越しに。
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カテゴリ:外国人技能研修生・実習生( 13 )
選挙××研修生××介護士
 明後日から2ヵ月間、またマニラに住みます。今度こそ、なんとかして博士論文を仕上げてきます。
 4月中旬に帰国してから3ヶ月余りのあいだ日本にいましたが、ついに慣れることができないまま。あいかわらず日本のスーパーの品揃えにいちいち感激してしまうし、いろいろな刺激的なものに逐一反応してしまうし、人混みは怖いし、繁華街やデパートなんて、まともに歩けません。

 日本を離れると8月30日の衆議院選挙に投票できないことが心残りです。マニラの日本大使館に在留届は出すつもりですが、「在外選挙人証」はそんなにすぐに発行されるものではないのです。
 何度も書いていますが私は選挙が好きで、新聞社の世論調査や市役所での開票のアルバイトをしたこともあります。次はぜひ政党事務所で働いてみたいものです。今回、選挙前のキャンペーン風景を生で見ることができないのが、ことごとく残念です。「郵政選挙」のときもフィリピンにいたし、2年前の参議院選もフィリピンだったし、久しく日本の選挙というものを見ておりません。
先の参院選のとき(安倍政権下で麻生さんが外務大臣だったとき)はちょうど仕事が忙しい時期で、投票日にも日曜出勤したものの、隣席の上司(選挙速報を録画してまで見るという無類の選挙好き)と一緒についつい一日じゅうTVにかじりついてしまって、ちっとも仕事が進まなかった思い出があります。
 今回はあれよりもずっとずっとおもしろそうな選挙なのに…。ああ、残念。日本大使館は在外投票の補助員のアルバイトを募集しているそうなので、博士論文さえなければ本気でぜひ応募したいのですが…。

 先日、『選挙(Campaign)』というタイトルの映画のDVDを観ました。2007年の作品です。監督はNY在住の日本人。外国人の目から見ると奇異にみえる日本の選挙を取り扱ったドキュメンタリーで、ベルリン映画祭フォーラム部門にも招待されたそう。これは、文句なしにおもしろいです。インターネット通販でわざわざ英語字幕版を探して買ったので、フィリピンの友人たちにどんどん貸そうと思います。(←マニアックすぎる楽しみ方!)

 ドキュメンタリーといえばもう一つ。昨年11月のBlogに書いた、Far Distance Beneath the Sky(遙かなる空の下で)の第2話も、先日、DVDで観ました。南大阪の企業で「研修生」として働くRが研修中に難病にかかり入院したときのストーリーです。実名で登場していた社長さんはRに同情的で、逆に、フィリピンの送り出し機関と日本の受け入れ機関(私が以前に働いていたところ)への不信感を露わにしていました。元職場の固有名詞が出てきたときには、さすがに驚きました。R本人は受け入れ機関の通訳(私の後任)を批判していました。発病が半年早かったら、間違いなく私も批判されていたはず。
 「異国の空の下で同胞のために活動するフィリピン人」を描くというこのドキュメンタリーの趣旨はわかるのだけれど、そして、「働けなくなったからって国に返すのは研修生の使い捨てだ」という支援団体の言葉は、しごくまっとうで正論なのだけれど…。あまりに一方的な描き方だったので、残念でした。働けなくなったら解雇されるのは、研修生/実習生に限らないんじゃない? フィリピン人は家族のために一生懸命日本で働いて質素に生きている、という描き方をしているけれど、実際、DVDにも登場しているRの同僚は子供もいるくせに収録のずっと前から日本でガールフレンドを作って、奥さんと大変なことになって、送り出し機関の社長はカンカンでしたし、Rと同じ教会に通っていた研修生(やっぱり妻子もち)は愛人の家に入り浸って無断欠勤を繰り返し、ついにフィリピンに送り返されました。彼の帰国前夜、通訳だった私は、彼が逃げないよう、屈強な男性上司3人と一緒に、泉佐野のホテルに前泊しました。…と思ったら、彼はフィリピンで奥さんと別れて日本に戻ってきて愛人と一緒になってしまいました。婚姻ビザ? 細かい事情は知りませんが…。
 国際移動するかどうかに関係なく、フィリピン人か日本人かに関係なく、労働か研修かに関係なく、働くとか家族とかいうのは決して美しいことじゃなくて、そういうどろどろものでしょう?
 別にそんなことをドキュメンタリーにしてほしいと言っているわけではないけれど、「研修生/実習生は劣悪な環境の下で一生懸命に家族のために頑張っています」という一面的な描き方では何のリアリティも伝わってきません。「かわいそう、助けてあげないと」じゃ何も変わらないでしょう。だいたいにおいてフィリピンは自己憐憫が強い傾向にあるのだから!(私は研修生通訳の仕事をしていたとき、同僚の通訳(日本人とフィリピン人のダブル)と一緒に、「ああ、もう、どうしてフィリピン人はこんなにself-pityなの!?」と嘆き合っていました。)

 先月、龍谷大学で開催されたシンポジウム「Who cares? 誰が私たちの面倒をみるの? 介護現場のいま」(龍谷大学アフラシア平和開発研究センター、朝日新聞社共催、記事はこちら)に出席したときも、フィリピン人への日本人のステレオタイプのイメージの再生産を感じました。
 上野千鶴子先生の基調講演はとてもおもしろいものでした。インドネシア人、フィリピン人介護士への介護施設経営者の反応者として、お決まりの「昔の日本人の良さをもっている」、「謙虚で誠実、あたたかい」、「フィリピン人のhospitality」という言葉が紹介されていました。上野先生はこれらを「アジア人へのステレオタイプ」の文脈のなかでおっしゃったのですが、会場には、そうでない方向にうなずいておられる方々多数。カラオケと一緒じゃないですか…。隣席にいらっしゃった社会学者のNさん(フィリピン研究、移民研究)は、
 「hospitalityって、意味違うよね…」
と突っ込んでおられました。
 すでに施設で働きはじめている二名のインドネシア人介護士に「経験談」を日本語でスピーチさせるという演出の露骨さには驚いてしまいました。決してそのお二人のせいではないのです。とてもたどたどしい日本語で 「両国の橋になりたいです」、「自分の家族のためにも頑張ります」と語る姿をわざわざ映し出し、「こんなに努力しているのに日本語の問題で苦労しているなんてかわいそうだ」、「もっと支援しなくては」という空気に持っていく構成が問題だと思うのです。ここはぜひとも、ものすごく気が強くてプライドの高いフィリピン人に、雄弁な英語で、
 「私は貧しいから働きに来ているのではない! 問題だらけの日本の介護業界、福祉業界で働くことで経験を積み、将来に役立てたいのだ!」
と高らかに言い放っていただき、それをきいたときの日本人の反応をぜひ見てみたいなー、と、意地悪なことを考えていました。(以前、かわいくない研修生たち数人が私に、
 「僕は貧しいから家族のために日本に働きに来たのではなく、見聞を広めたいから研修生になっただけ。仕事じゃなくてexposureだと思ってる」
と、強がりなのだか本音なのだかわからないことを言ったことがあるのです。私が、
 「どうでもいいけど、そういうこと、企業さんの前で言うと損だから、普段は『カゾクノタメニ、ガンバリマス』って言っといたほうがいいよ」
と言うと、
 「そのくらいわかってる!」
と一蹴されました。そりゃそうですよね…。)

 その後のシンポジウムでも、パネリストから、
 「インドネシア人は毎朝、60円の味噌汁とご飯で頑張っている。日本の若者にはどうしてそれができないのか?」
という、このシンポジウムの意義を、いえ介護の精神を根本的に無視しているとしか思えない発言や、
 「外国人介護士が24時間相談できる電話窓口をつくるべきだ」
という提案があって、私はNさんと一緒に思わず、
 「どうしてそんなに手厚くする必要があるの!? そこまでいくと、手厚くすることが差別なのでは?」
 「そんなに移住労働者に手厚い国、ないよ!」
って小声で突っ込んでしまいましたよ。どうして24時間のサポートの必要があるの? 保育園じゃないんだから! 緊急なら大使館に連絡すればいいじゃない? (私が通訳をしていたときも、ホームシックと受け入れ企業への不満から六本木のフィリピン大使館に駆け込んで思いどおりに帰国を果たした、見上げた根性の研修生がいました。後日、フィリピンで訴えられて裁判になったはずですが…。)
 
 外国人労働者への勝手な美化と、「腫れ物に触るような」扱いぶり…そこを改めないと、この問題はどうにもならないのではないでしょうか?
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by saging | 2009-07-30 01:09 | 外国人技能研修生・実習生
ポジション
先々週のJess Santiagoのニューアルバム発売記念ライブでは、さまざまな新旧の友人たちとの邂逅を果たしました。特に驚いたのは、友人Boboyの義兄で労働運動指導者のA兄とばったり会ったことでした。Boboyは私のとても親しい友人で、研究上の先輩で、そして元ホストファミリーですが、ここ2年間、絶交状態にありました。

 この一件についてはずっと考えないことにしていて、blogにも書かないつもりだったのですが、最近いろいろなことがやっと「融解」しつつあること、先日知り合った日本の学部生の方々に、研修生・実習生制度に対する私の「ポジション」について尋ねられたことを受けて、敢えて書くことにします。例によって、思いっきり主観的に、だらだら書きますが、この文章を読んで、彼らが、
・誰も「ポジション」なんて占められるほど立派じゃない
・そもそも「ポジション」を明確にしたり「白黒つけたり」ようとしたりする人たちに囲まれているから私たちは苦しいんじゃないか
…ということを、少しでも感じてくれたらいいと思います。

 Boboyと私は2年半前の2006年4月、私の前の職場を通して、彼の弟、Junjunを技能研修生として日本に送り出しました。
 Boboyはもともと、かなり左傾化した「活動家」で、私が研修生受け入れ機関の通訳として働くことに対し、はじめはとても批判的でした。私は自分の仕事について、折に触れて彼に説明しました。

 私は大阪の下町で、研修生の労働分をピンハネして、外国人労働者「搾取」の片棒を担ぐような仕事をしてお給料をもらっている。人はそれを「汚いお金」と呼ぶかもしれないけれど、私はそのお金で大学院の学費を払って、フィリピンへの渡航費も捻出している。研修生制度によって、人手不足に悩む日本の中小企業は大助かり。そして、とにもかくにも日本に行きたくてたまらないフィリピン人にとっては研修生制度はとても魅力的なはず。いくら手当が安くたって、フィリピンで6ヵ月毎の契約労働を繰り返して食いつないでいるよりはずっとHappyでしょ。うちの会社も儲かるし、私も稼げるし、みんなwin-winじゃない。
 私の仕事は、単に通訳にとどまらない。無知で考えの足りない研修生が儲け話に騙されて不法就労や違法行為に手を染めないように「教育」し、研修生たちの愚痴をきいてガス抜きし、彼らが感情的になって失踪や訴訟といった突拍子もない手段に出ないように指導すること。


ほどなくしてBoboyは、
 「研修生制度は完全とはいえないがフィリピンにとっても必要な制度であり、君が日本とフィリピンの間に立って研修生ビジネスの穴を埋める仕事をすることは素晴らしい」
と言うようになりました。私は守秘義務に反しない限りで、研修生になるまでのプロセスの不透明さや研修生の日本での待遇、失踪防止のために研修生のパスポートを取り上げていたこと、彼らと一緒に教会に行ったりプライベートで食事をしたりして親近感を持たせることでシステムに不満を抱かせないような戦略を練っていたこと、規則に違反した研修生に「自主意志で帰国します」という書類にサインさせて強制的に関西国際空港に連れて行って「送還」したことなど、さまざまなことをBoboyに話し、アドバイスを仰ぎました。
 そしてBoboyは次第に研修生制度に関心を抱き、ついにある日、弟のJunjunを研修生として日本にやりたいと言い出したのです。当時Boboyはアメリカに留学中で、私はフィリピンで中期調査のため、Boboyの部屋にホームステイさせていただいていました。つまり、私はJunjunと同じ家に住んでいました。そして、調査の合間に「送り出し機関」をお手伝いしていました。こんな好条件があるでしょうか。私はすぐにコネでJunjunを「送り出し機関」に登録し(実際、コネがないと登録だけでも難しいのです)、健康診断を受けさせ、耳に障害があることがわかったので手術を受けさせ、そして、面接の機会を待ちました。
 「送り出し機関」の社長と、私の元職場の方々の一押しで、Junjunは最優先で面接の機会を与えられました。2005年12月、日本の受け入れ企業の社長さんたちがフィリピンに来られて面接が行われ、Junjunは無事に合格しました。
 入国前の日本語教育が始まりましたが、Junjunは異様に物覚えが悪く、毎回の試験でもことごとく赤点。まず、ひらがなが覚えられないのです。私が模造紙でひらがな表を作って家中に貼りまくっても、Wataruさんが日本で買ってきてくれた市販のひらがな表をリビングに貼っても、事態は改善しません。挙句の果てには受け入れ予定の企業から、
 「成績の悪い子はいらない、他を面接します」
と言われる始末。私は以前の職場の上司に頭を下げ、Boboyと私はなんども国際電話で話し合い、最悪の事態を予想していました。
 紆余曲折はありましたが、2006年の4月19日、Junjunは研修生として日本に入国できることになりました。
 …そこまでは良かったのですが、入国前からあまり日本語の出来の良くなかった彼は、やはり日本でも落ちこぼれ、「このままでは帰されるかもしれない」との話も持ち上がりました。
 「帰される」というのは、単に研修を打ち切られて帰国させられる、ということではなく、「自己都合により帰国」という書類に署名させられることを意味します。送り出し機関に支払った担保金は戻ってきませんし、受け入れ企業が被った損害(研修生一人の入国前研修やビザ取得のために会社が負担した費用)を弁償しなくてはならない事態にも発展します。私は何度となく国際電話でBoboyに、
 「ここで帰されなんかしたら、『行けなかった』よりさらに大変なことになるんだから、あなたからもなんとかJunjunに発破をかけて、日本語を勉強するように言って!」
と懇願し、実際、彼はそれをしてくれました。
 「どんなに仕事が辛くても、日本語が難しくても、文句を言う資格なんてJunjunにはないよ。ほかの研修生はちゃんとやってるんだから。これだけ僕たちが支援してやっているのに帰らされるなんて情けないって、僕から叱っておく。」
と言ってくれました。
 しかし、Boboyはアメリカでの大学院生活に忙しく、さらに、その合間を縫って結婚のためにマニラに戻ってきていて、いろいろ混乱していました。私たちの意見は次第にすれ違うようになりました。やがてBoboyは、
 「Junjunは会社でひどく叱られているらしい。能力は人それぞれなのに、頭ごなしに起こるなんてひどいんじゃないか。制度に問題があるんじゃないか?」
 「研修生制度なんて建前ばっかりだ。日本では外国人労働者なんて使い捨てなんだろう」
と、わかりきっていたことを言い出しました。
 「制度に問題があるなんて、初めっからわかりきっていたことじゃない! あなた、それに同意して弟を送り込んだんでしょ? いまさら活動家ぶるのはやめて!」
 結局、私たちの意思疎通はうまくいかないまま、彼は理想論、私は感情論に終始しました。マニラで数回、お互いに仲介人に来てもらって(仲介してくださっただけでなく、Boboyの活動家節にも負けないタガログ語で私の意思を伝達してくださったKさん、本当にありがとうございました)話し合いもしたのですが、どうにもなりませんでした。そして私たちは連絡を絶つことになりました。

 Junjunが日本で働き始めてちょうど1年が経った2007年4月17日の早朝、元職場の私の後任者から、
 「Junjunが、すぐにでも会社を辞めてフィリピンに帰りたいと言っているのですが!」
との連絡がありました。えーッッ! なにそれ!
 私はすぐにJunjunに国際電話をかけて問いただすと、何か会社で立て続けに叱られ、もう耐えられないとのこと。すでにBoboyにも連絡をしたそうです。私は「送り出し機関」の社長に相談し、社長が直接、Junjunに電話をかけてくれましたが、Junjunは、日本に行くことのできた恩を忘れたかのように会社への不満ばかり口にし、果ては、研修生制度への批判すら述べたそうです。このバカ! 社長はお怒りだし、彼を推薦した私はもはや立場がありません。社長にも元職場にもとりあえず平謝りです。
 「彼はちょっと熱くなっているだけですから。私が説得しますから、しばしお待ちください。」
と言って、説得にかかりました。Wataruさんにも協力してもらいました。どうやら、Junjunは会社で叱られた直後に教会で出会った在日フィリピン人女性に、
 「研修生ってかわいそう! 安賃金でこき使われているだけよね。嫌なことがあったら抗議したほうがいいわよ。フィリピンに帰ってから訴えればいいわよ。」
と言われ、その気になっちゃったらしいのです。ほんとにバカです。私が具体的に、いま自主帰国なんてしたらいくら罰金が課せられるのかを計算して説得してみたところ、彼は2日で
 「やっぱり続ける。」
と言いました。めでたし、めでたし。
 と思ったら、Boboy登場です。
 「Junjunは、日本で働き続けることにしたって言ってるよ。」
と私が言うと、
 「君の言うことなんて信じない。どうせ君が無理やりに説得したんだろう。帰ってくるのが彼のためなんだ。罰金を取られてもいい。訴えるぞ。搾取だ。」
 「あんた、誰のお蔭でJunjunは日本に行くことができたと思ってるの。フィリピン人って、もう少し『恩』を知っていると思っていたけど。それに、『搾取だ』ってわかっていながらあなたはこのシステムに乗ろうとしたんじゃないの。この1年間で、あなたの家族、ずいぶん潤ったんじゃないの? いまさら制度を批判したって、なんの説得力もないよ。だいたい、あなたが何を知ってるの? あそこで働いていた私のほうが内情を知ってるに決まってるじゃない。Junjunは某左派系の団体の在日フィリピン人の言うことを鵜呑みにしたのよ。その団体って、あなたの支持政党の敵のあそこよ。日本の事情も研修生制度も何ひとつ知らないくせに、批評家ぶらないでよ!」

 私たちは互いに言いたいことだけ言って電話を切り、それっきり、絶交状態でした。(…と、さらっと書いてみましたが、実はその後1週間くらい感情がおさまらず、私は友人たちに電話でBoboyの悪口を言いまくったり、Wataruさんに泣きながら国際電話をかけたり、すごい荒れっぷりでした。ご迷惑をおかけした皆さん、Sorry po...)

 他方、Junjunはその後、ご機嫌を取り戻し、無事に「実習生」に移行。2ヵ月後に私が一時帰国した際には我が家に遊びに来て、
 「ねぇ、怒ってる?」
とか言いながら、母の作ったカレーを食べて、我が家にあった缶詰や果物をいっぱい持って帰っていきました。バカです。
 Junjunはまだ、普通の愛すべきバカだから救いがありますが、一番タチが悪いのは、秀才のくせに見境がなく、情熱が空回りしている兄Boboyです。ほんとにバカです。デモでアメリカの国旗を燃やしながらコカコーラ飲んでるバカ活動家よりバカよ。(飲んでもいいけど、せめてデモが終わってから飲め!)

※※※※
 それから1年半。K兄の仲介で、私たちは2年以上ぶりに会うことになりました。K兄はBoboyの上をいく活動家なのですが、私もこの1年半でずいぶん怒りが冷めてきたし、Junjunの日本での仕事もあと4ヶ月だし。それに、4月には大学院に戻ろうとしている私にとって、先行研究者であるBoboyといつまでも絶縁状態でいることは、何の得にもなりません。だいたい、私が博士論文で取り上げる予定の調査地のひとつは、Boboyの元調査地なのです。私も相当に図々しいです。

 私たちはConspiracyで会いました。お互いの近況や博士論文の進捗状況について話した後、A兄がいきなり、
 「日比EPAに賛成か、反対か?」
 最近、こちらの活動家がおもしろがって投げる、典型的な「意味のない質問」。「ご飯食べたか?」と同じくらいの軽さです。本当に、何を考えているのだか。「わが国憲法に賛成か、反対か」って聞くのと同じくらい、意味のない質問ですよ。
 「具体的に、どの条項についてですか?」
と、こちらも典型的な返答をすると、A兄は
 「日比EPAは、日本がフィリピンに有害廃棄物を輸出するための条約だからな!」
と血気盛ん。Boboyも同調。えーっ、和解の振りして喧嘩売ってるの? っていうか、2年前の議論ですよ、それ。時代遅れもいいところです。私は、
 「A兄、日比EPAって、お読みになったことあります?」
と聞きました。日比EPAってものすごいボリュームですから、EPAに反対する活動家でも、実際に内容に目を通したことのある人って、ほんの少数しかいないのです。仮に「あるよ」って言われたら、「じゃ、どこでお読みになったのですか?」と聞き(正解:フィリピンのDepartment of Trade and Industryか日本の外務省のウェブサイトに全文掲載されています)、相手がたじろいだところで、そのまま、具体的でテクニカルな話に持っていけばいいのです。活動家たちは細かい議論などできませんから。
 A兄が言葉を継げずにいると、Boboyが
 「環境破壊を犯罪と捉えるGreen Criminologyという学問がある」
と、なんだかマニアックなことを言い始めて、この話題はおしまい。
 その後、Junjunの話題には一切触れず、共通の知人の近況だとか、おもしろかった社会派映画の話だとかをして、また研究の進捗状況を報告しあうことにして、私たちは和解しました。たぶん。

 そして、その数十分後、Boboyが私になんと言ったと思いますか?
 「saging, 日比EPAによる介護士受け入れはいつから始まるのか? うちの2番目の弟がもうすぐ介護士学校を卒業するから、どこか海外就労を斡旋する機関に登録させたいと思うんだけれど、日本行きを斡旋している機関はどこにあるの?」

…そうきたか! 私はもう、開いた口がふさがりませんでした。
 「Boboy, あなた、さっきまで日比EPA批判してなかったっけ。」
 「たとえばの話だよ。でも、Junjunも4月には帰ってくるし、家族の新しい収入源を探さないとな。」
 そんな、ケロッと言われても…。

 Boboyとの一連の論争は、私になんのポジションも持たせませんでしたが、私はひとえに、ものすごいリアリティを見ることができました。以下、私が学んだことです。

1. フィリピン人にとって、FamilyはIdeologyに先立つ。
2. フィリピン人は権力者に対する猜疑心がとても強い。だから、一見Ideologistの振りをしていても、その実態は猜疑心や不安を取り繕うポーズであることも多い。
3. いくら親しくても、フィリピン人に安易に仕事を紹介してはいけない。
4. もし仕事を紹介する場合は、一切のトラブルについて、関係ありませんよ、という立場を貫くドライさと、責任を取らない覚悟が必要。安易な感情移入は厳禁!
5. 他人に深入りして悩んではいけない。彼らも私も、結局、自分の利益を中心にしてしか動けない。

 こうして書いてしまえばどれも簡単で、「なーんだ、そんなの当然じゃない」と思われるかもしれませんが…、私にとってはとても大きな学びでした。
 これらは、この国で仕事をさせていただく上でも役立ちますし、今後もこの国で研究をさせていただくためにも、必要なことです。そして、無駄に感情にさざなみを立てて勝手に消耗する回数を減らすことができます。
 
 それに、BoboyとJunjunの一件は、私がいまの職場で問題を抱えた際にも応用できました。職場でいかに腹の立つ出来事があっても、JunjunとBoboyのバカっぷりを思い出すと、私はああなってはいけない、落ち着いて、まずは自分の利得を計算しよう、感情で判断してはいけない、軽率な行動をしてはいけない、周りの人にバカだって思われないように大人の振る舞いをしなければ、と、必ずブレーキがかかるのです。反面教師とはこのことです。私は彼らに感謝しなくてはなりません。
 
 負け惜しみにすぎないのかもしれませんが、私は、Junjunを支援したことも、Boboyと喧嘩したことも後悔していません。表面だけで仲の良い友人関係を装っているだけでは、本当のフィリピン社会の仕組みは見えないものですね。かなり痛い目に遭いましたが、フィリピン在住通算5年目にして、やっと、基本中の基本の一部がちょっと見えてきた感じです。そして、人生28年目にして、私はまだまだ、自分自身をどうコントロールするか、じたばた格闘中です。もっと、成長したいです。
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by saging | 2008-12-19 23:37 | 外国人技能研修生・実習生
イースターの朝に

○ヶ関での1ヶ月の研修を終え、まもなくマニラへ赴任します。
ただでさえ何もかもがまったく新しい初体験の世界で、唖然とするままにすぎた1ヶ月でした。仕事の内容にも、システムにも、一人の担当する仕事量にもただただ唖然。○ヶ関は不夜城といいますが、まさに。ちょうど国会会期中ということもありましたが、よくあれで誰も過労死しないものです。
もっとも、研修中の私はいくらなんでもそんなに遅くまで働いていたわけではなく、終電がなくなっても当たり前、というペースで未明まで働いておられる上司には申し訳ないなあと思いつつも、帰らせていただきました。
仕事内容は、社会経験の少ない私にはすべてが目新しいものでした。いろいろ疑問に感じることはあれど、元来、私はきわめて楽天的なので、スラム生活であろうが○ヶ関であろうが、工場街での通訳であろうが、何事も楽しみ、実に簡単に適応してしまうのです。(適応しすぎてしまうのが私の悪い癖で、この仕事に没頭するあまりに研究のことをきれいさっぱり忘れてしまいそうなのが心配です。)
そんななかでも、向こう見ずな私は、東京の終電が遅くまであるのをいいことに、ここぞとばかりに、仕事後や土日はちゃっかり、在・東京の友人・知人の皆さまにお会いいただいて東京滞在を満喫させていただきました。活動家時代の友人との○年ぶりの再会や、フィ○ピン研究会の方々との楽しい議論など、本当に恵まれた日々でした。(それについてはまた別途書きます。)

そんなこんなでしたが、同時に、3月はけっこうな試練の月でした。私の親友である武坊威(コードネーム)の弟、純々(これもコードネーム)が、私の以前の職場を通して4月下旬にやっとのことで研修生として来日する予定なのですが、マニラでの日本語学校での成績が悪く、このままでは来日が延期かキャンセルになるかもしれない、という話がもちあがったのです。加えて、その職場でずっと私がかかわってきた研修生たちのうち4名もが、この1ヶ月の間に相次いで失踪したのです。
私が毎日の研修を終え、夜遅くにウィークリーマンション(という名前の文化住宅)に帰ってメールをチェックすると、元上司から「またフィリピン人が失踪しましたが、心当たりはありませんか」、「純々くんの日本語レベルをどうにかしてください」といった内容のメールが入っていて、私は毎晩、暗澹たる思いに駆られました。
失踪したうちの一人の研修生についての事情聴取はある日曜日の午後に横浜で行われ、私は東京から、通訳としてお手伝いに行きました(報酬を受け取ってはいないので「兼業の禁止」に違反してはいません!)。
在職中も何度も失踪の事情聴取には立ち会いましたが、悲しくてなりません。私には、彼らがなぜ失踪するのかが理解できてしまうからです。彼らには彼らなりの論理があるのです。私はマニラのスラムで、日本で何年も不法滞在を経験した人たちと出会いました。「スクワッター」出身であり、存在そのものが違法である彼らにとっては、日本での違法行為も罰則も、ちっとも怖くないのです。私の元上司は、「出国前に担保金を取るとか、もっともっと罰則を重くすれば失踪が防げるだろうか」とおっしゃいましたが、私は答えました。罰の重さで彼らを縛ることはできません、彼らの「合法/違法」に関する概念は我々のそれとは異なるのです、と。

そして、純々。
ある時期までは「研修生制度」を搾取だと言い、私に早く通訳の仕事を辞めるようにと促していた誇り高きアクティビスタの武坊威ですが、私が「あのねえ、この制度、たしかに問題はあるけど、それでも、背に腹は変えられない貧しいフィリピン人に日本行きの機会を与えられるんだから、あながち悪とも言えないでしょう。そんなの、貧困層出身のあなたが一番よくわかってるはずでしょう」と主張しつづけ、昨年7月に武坊威が来日したときに彼の前で私が実際に研修生のために働いているところを見せて煽ったせいか、ついに「弟を研修生にしたい」と言い出したのはほかならぬ彼。ただ、そこでまかせとけとばかりにあの手この手を使って純々を研修生に推薦したのは私ですから、当然、責任は私にあります。
私は1-2月のあいだ例によってずっと武坊威の家に住まわせてもらっていたので、毎晩のように純々に勉強も教えたのですが、どうも彼はもの覚えが悪く、兄に似ずきわめてマイペースなので、私もキレそうになることしきりでした。そして、私が日本に戻った後の3月になって、彼の日本語能力の低さのせいで、日本の企業側から受け入れを拒否され、入国がキャンセルになるかもしれないという話が持ち上がったのです。
彼は確かに頭の回転はややスローですが、行動そのものが緩慢というわけではなく、料理がものすごく上手で、いつも家で弟たちや従妹の世話もしている、優しくてしっかりした人です。私の調査を手伝ってもらったこともあります。とても勤勉なのです。彼は毎朝、朝5時に起きて従妹のお弁当と家族の朝食を作り、8時から12時まで日本語の授業を受けて、家に帰って家事をしながら勉強していました。
しかしあまりに成績が悪いので、入国キャンセルの話が持ち上がったあと、私の(元)上司の提案で彼は、授業後も家に帰らずに午後も日本語学校で自主学習をすることになり、上司が毎日数時間、彼に付き添って個人指導をしてくださいました。ところがあまりに覚えが悪いというので、上司は純々に厳しく指導し、純々はそれに怯えておどおどし、ますます勉強に身が入らない、という悪循環でした。
これはまずいと思った私は、○ヶ関のお昼休みに純々に電話してはハッパをかけ、武坊威と真夜中にチャットで話しては、なんとか純々に自信をつけさせようと戦略を立てました。

しかし、残念なことに純々の成績はその後も伸び悩み、いよいよ、入国できない可能性が高くなってきました。そして、ある再試験の成績が本試験を下回った日、上司から、彼の入国キャンセルを示唆するメールが届きました。ショックを受けた私はいまだかつてない勢いで反論し、複数の上司に陳情メールを出しました。アクティビスタの武坊威は実にさまざまなロジックを思いついては、「上司にこう言ってかけあえ」、「こう言って譲歩しろ」などと私に提案(というか指令)を出し、ついには「僕から直接陳情のメールを書く!」と言い出し・・・、私も「考えうる手段はすべて使う」とばかりに、フィリピン側のカウンターパートの社長にまで連絡して救済措置を依頼し…、そうこうしているうちに私の研修が終わりました。関西に帰ってきた私は元職場を訪ね、上司にお会いいただきました。
「入国させることは決まりました。あとは入国日を確定するだけです。」
上司からそう言われ、ほっとして帰りました。しかしその晩、
「やはり、受け入れ先の会社が、日本語レベルの低い子は要らないと言っています。純々くんの入国はキャンセルとして、代わりの研修生を面接するそうです。」
というメールが来て、私は、ここ数年味わったことのないような衝撃を受け、すぐに武坊威に連絡しました。武坊威も初めはかなりショックを受けていましたが、それが最終決定と知ると、潔く
「そんなの、よくあることだ。貧困層の人生なんてそんなものだから、純々も僕の家族もそんなのには慣れている。すぐ立ち直れる。君は彼らの様子をよく見ておくといい。それが弱者というものだ。いっそ君も、研修生制度について論文を書いたらどうだ。君はもう純々の経済状況まで全部知ってるんだから、彼をケーススタディにすればいい。」
と言いました。発想が違う…さすがは、貧困層の出身だけあります。
「私はもうあなたの家族には合わせる顔がない」
と言うと、
「フィリピンの家族はそんなものじゃない。もし君が僕の家族に合わせる顔がないなら、できちゃった婚でうちに住むことになった弟の嫁はどうなんだ。フィリピンの家族には、経済的にぶらさがっているような居候がたくさんいるんだ。」
と、なおも意気消沈する私にハッパをかけ、すぐに、次の手段を考え始めました。次の手段というのは、別の手段で研修生に応募する機会を狙うことか、あるいはもう日本に行くことは諦めて、研修生になるために前職を辞めた純々の次なる雇用先を探すことです。いや、さすがです。貧困層出身かどうかという問題ではなく、思考回路の問題です。動揺するだけで何の前向きな方策も示せない私とはだいぶ違います。武坊威があまりにさっぱりと機敏に対応するので、私も
「純々と私が偽装結婚すれば彼は日本に来て働けるのよ!」
などと、危ない冗談を言えたくらいでした。

そして、その翌日。入国キャンセルという決定を知らされないまま、純々はフィリピンの日本語学校で、最終試験を受けました。そしてなんと、これまでの3倍の点数を取ったのです。そして、上司はその結果を元にもう一度、彼を受け入れてくれる予定の会社に掛け合ってくださいました。その結果、大どんでん返しが起こり、なんと、1週間後に彼を受け入れるとの返事があったのです。

私は明日4月17日にフィリピンに発ち、純々に会います。そして彼はその2日後に来日します。私は2-3年はマニラで働くことになりますし、彼のほうも何もなければ3年間は日本で働き続けることになります。ちょうど反対ですが、彼が何事もなく幸せに3年間を終えてくれることを、そして願わくば、この「研修」で、将来の生計の可能性につながるようなものを得てくれることを祈ります。

私にとっては、武坊威も純々も、フィリピンでもっとも信頼できる親友であり、「ホストファミリー」であり、お互いの家計の事情も知って、もはや準家族のようなものですから、今回の件については、私も本気で、あらゆる手を尽くしました。また、私の特別な友達ということで、私の元上司もものすごく彼を押してくださいました。けれど、もしこれが純々でなかったら、私はとてもここまではしなかったでしょうし、日本語のレベルが低いとわかった時点で、あっさりキャンセルになっていたかもしれません。実際、私が知る限りでも(うちの会社ではありませんが)、入国が決まり、お金を払って日本語学校に通っていながら、日本の受け入れ企業側の都合で突然キャンセルになったという例はたくさんあるのです。純々の入国が絶望的とわかった晩、私は
「純々一人の権利すら守れない私に、研修生たちの権利を守れるはずがないのだし、社会なんて変えられるはずがない」
と思ったのですが、純々の入国が決まったところで、私には、純々のほかにもっと弱い立場にある研修生たちの利益を守ることなんて、できやしないのです。誰かが私のことを「身内びいき」「日本人だからといってコネを使って金を誘導して」と批判したなら、私はそれに対して何も言い返すことができません。だって本当にそうなんですもの。私だってこれまで、フィリピンでいろいろな事象を見ては「身内びいきだ」「これだから途上国は…」と批判したこともあったけれど、これからは迂闊にそんなことも言えないくらいの思いです。

Happy Easter. 今日はイースターです。頑張った純々と、それを支えた武坊威と、彼らの家族と、私の元上司の方々と、そのカウンターパートと、そして神様に感謝を捧げます。そしてどうか神様、こんなに頑張っている純々に、これからも恵みがありますように。貧しい研修生たちとその家族の上に、これ以上の悲劇が起こりませんように。私がもっと彼らのことを理解できますように。
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by saging | 2006-04-16 02:54 | 外国人技能研修生・実習生
研修生になるために

私はマニラで、ある友人の家にステイさせていただいている。その友人の弟は、やっと、というべきか、私が先日まで働いていた会社を通して、4月ごろには「研修生」として日本に旅立つことになった。「研修生」になるには、出国に先立ち、さまざまな書類が必要になる。出生証明書や履歴書はともかくとして、大変なのは、「職務証明書」の取得。面接専攻を経て研修生に選ばれた時点で彼らは仕事を辞めなくてはならないので、つまり、この証明書の取得は「かつての雇用主」にお願いしなくてはならないわけで、それがものすごく時間がかかるのだ。日本のように、たとえ中小企業でもいわゆる雇用主と社長が一致していればいいのだけれど、フィリピンの場合、雇用主がその職場か家にいるとは限らない。さんざん捜し歩いて、彼の工場…といっても本当に小さなスペース…に辿り着き、頭を下げて証明書を作ってもらって、Department of Trade and Industryのライセンス番号証明を受けて、やっと提出すると「ここにサインが足りない」と言われ、またその「元雇用主」の元に戻ってサインをもらい…と、かかる時間も労力もお金も、半端なものではない。彼のケースなど、事情を知っている私が一緒に手土産持参で同行して「元雇用主」に説明をして頭を下げているからまだいいようなものの、そうでなかったら大変なことになっているはず。
それ以外にも、出国前の事前研修(日本語など)や各種証明書の取得にかかる実費や交通費、写真代、各方面へのお礼などを含めると、かなりの出費になる。それでも、親戚筋やコネを頼りにどうにかお金と証明書が亀の歩みで揃っていくのがフィリピンのすごいところなのだが、旅立つ頃には、研修生とその家族はもう、借金だらけのはずである。私も研修生から聞いて知ってはいたが、実際に一緒に体験してみると、それは大変なもの。そんなに多くの借金を抱えて出国するのだから、あだやおろそかに帰国なんてできない。
私は、研修生受け入れの会社で仕事をしているときにこのことを体感していなくて、逆に良かったかもしれないと思う。知っていたら、私はもっともっと研修生に同情したり共感したりして仕事にならなかったかもしれないから。
いまは、彼らが何事もなく3年の契約を終えてくれるのを祈るのみ。そして、友人の弟が無事に旅立てることを祈るのみです。
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by saging | 2006-01-26 00:39 | 外国人技能研修生・実習生
クリスマス2005

今年の12月24日は、日ごろから懇意にしていただいている東大阪の会社(フィリピン人の研修生がたくさんいる)でのクリスマスパーティに午後から招いていただいていたので、午前中にビコ(もち米と黒砂糖とココナツミルクを混ぜた餅)でも作ろうかと思っていたら、突然、南大阪にある別の会社から電話。「うちの研修生の片頬が脹れあがっているので病院に連れて行ってください」とのこと。ビコをほったらかしで南大阪へ。本人の話を聞いて、歯医者に連れて行く。歯の詰め物がとれて歯の根元に黴菌が入っているとのこと。歯医者ときいただけで、本人は「歯を抜かれる~!クリスマスなのに~」と、十字架を握り締めて半泣きになっている。なにも、泣かなくても。確かに、フィリピンの歯医者だったら即・抜歯するかもしれないけれど、日本の歯医者はそう簡単に歯を抜いたりしないのですよ。無事に処置をしてもらって終了。

その後、東大阪に移動して、会社の寮でフィリピン人たちと上司の方々と一緒にパーティ。食事や飲み物を会社から提供していただいて、上司のおひとりが趣味のバイク・ツーリングのDVD映像を見せてくださったり、「3年後に研修生たちが契約を終えて帰国するときには、ぜひみんなでフィリピンの行楽地に遊びに行こう」と、それぞれの研修生たちの出身地や家族の話をしたり、ボラカイの観光ガイドブックを皆で眺めたり、おなじみのギターを出してきて歌ったりした。フィリピンのクリスマスにはおよびもつかないほど静かなクリスマスイブでも、皆で集まって少しでも賑やかにこの日を迎えることには、とても大きな意味があるのだ。
そして夜になると、彼らはそれぞれに家族に電話をして、各教会で行われる英語ミサに出かけていく。
研修生制度をただ「単純労働力の輸入だ」、「搾取だ」、「抑圧だ」と批判する人たちは、日本に何千人もいるだろう研修生たちが、彼らを愛する日本の中小企業の方々と、このように倖せな時間を重ねていることなど、おそらく、想像もできないのだろうと思う。「あの仕事」、「人身売買」と、眉をひそめて見られがちなフィリピン人エンターテイナーの世界であっても、どこでも、それは同じだろう。
別に研修生たちを美化しているわけではない。日本での生活に慣れ、おごってもらうことにも当たり前のような顔をして、上司に一言の感謝の言葉も発しなかったり、留守中もエアコンをつけっぱなしにして、注意されると「電気代は会社もちだから」と答えたり、果ては、上司におごってもらいながらその食事内容に文句まで言い出したり、握り寿司の魚だけを食べてご飯を残すような不作法を平気で行う彼らに対して、今回も私はとても落胆したし、そのことをはっきりと言葉で伝えもした。「私はフィリピン人を愛しているけれど、あなたたちのその行為は大嫌いです。あなたたちは、フィリピンに残してきた自分の子どもたちの前でそんなマナーを見せるのですか? 日本でお金を貯めるということは、礼儀もマナーも感謝も失うということなのですか? だとしたら私は、入国直後の貧しかった頃のあなたたちのほうがずっと好きです。“Christmas is the Day of Giving and Forgiving.”ではなかったですか。それとも、”Day of Getting and Forgetting”だったのですか?」と。

今年も私は、海外に働きに出たいと口にする多くの人たちとマニラで出会った。彼らがそのチャンスを掴む瞬間である「面接選考会」の現場にも何度か同席した。そして、晴れて来日した研修生たちとフィリピンの彼らの家族たちが、どんどん変わっていくのをかなしく見てきた。日本での寂しさに耐えられずにガールフレンドをつくって家庭崩壊に陥ったり、日本で大金を手にした途端、正常な金銭感覚を失ってしまったり、日本人はおごってくれて当たり前、おごってくれなかったらケチ、自分より金を持っている者に「たかる」のが当たりまえ、という思い込みのせいで会社とトラブルを起こしたり…。そして私も、さまざまな事情から3年の契約を満了できなかった何人かの研修生たちを空港で見送った。幸せをつかむために日本に働きに来たのに、さまざまな事情で帰らざるを得なくなってしまった研修生たち。「金」があってもなくても、人はそのために、日常のほんの小さなレベルにおいてすら、とても醜くなってしまうものだと思う。
こんなことを言うと、あるいは、貧しい人を見下していると思われるかもしれない。きっと見下しているのだろう。私には、彼らと「ともに生きる」なんてとても言えないから。私は彼らと一緒に時間をすごして、それなりに価値判断を共有してきたし、ときには情が芽生えたこともあるし、私は彼らのことを愛しているだけれど、私はいつも彼らをコントロールしようとしてきたし、彼らは彼らで、私をなんとか利用しようとしてきた。研修生は私を慕ったけれど、幾度となく私は心の中で、”Gagamitin lang ako.”(利用されるだけじゃないか)と思った。私がまもなくこの仕事を辞めてフィリピンで働くと知った彼らが「これからは、通訳じゃなくて僕たちの友達になろう」と言ったときも。…多くの人は、「フィリピン人は打算なく客人をもてなす」と言うけれど、そんなはずがない。ちゃんと、”hidden agenda”って言葉はあるし、腹蔵だらけですよ。
…それは、この仕事でも、私の研究(スクワッターの政治行動)でも、ずっと以前に自分が関わっていた「国際協力」という分野でも同じ。私と「彼ら」の間には、究極的には、支援も共感もないのだと思う。連帯や平等がなくても、人を愛することはできる。
来年には、私がフィリピンで家族のように大切に思っている、あまり裕福ではない友人が、やっと研修生として来日する。日本に来ることが彼や彼の家族にとって喜ばしいのかどうか、本当のところなんとも言えないけれど、私には、愛する友人を打算的にでも日本で働かせることがベストの選択に思われるのだ。

理念や大義だけでODAを批判する人たちと同様、研修生制度をただ、新自由主義の側面だなどという上っ面な言葉だけで批判するような人たちには、神聖で即物的で切実な研修生たちのクリスマスの祈りは、決して理解できないだろう。

神様、クリスマスでなくても、どうか、一日一日を、Day of Giving and Forgivingとして生きられますように。
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by saging | 2005-12-24 17:58 | 外国人技能研修生・実習生
クリスマスパーティ

今日は、私の働いている会社が主催するクリスマスパーティ。700人もの研修生(うちフィリピン人は50名くらい)が参加します。
私はただいま、夜を徹して、フィリピン人たちの出し物(もちろん、歌と踊りとギター、の三要素がばっちり入っております)のための音楽と、会場のバックミュージックに流すクリスマス・ソングを集めた録音テープを作成しながら、こともあろうか全員に一枚ずつクリスマス・カードを書いているところです。今月末でこの仕事を辞める私にとって、いまこれをやっておくことが必要だと思うのです。

女性研修生たちに着せる衣裳も選んだし、プレゼントもそろえたし……こういうことにばかりはりきるところって、やっぱり「フィリピン気質」かもしれません。

ひとつ、自分への約束。今年は、テキーラを飲まないようにします。…守れないかもしれないけど。でも、とにかく。楽しんできます。
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by saging | 2005-12-11 01:45 | 外国人技能研修生・実習生
バスケットボール大会
明日は、研修生たちと大阪の府営公園内の体育館を借りてバスケットボール大会。バスケットボールの後は、公園内でダンス(sayawan)とバーベキュー(ihaw-ihaw)と飲み会(inuman)。もう何日も前から、誰がギターを持っていくだの、スパゲッティのCDで踊ろうだの、
「マム(←私は彼らからMa'amと呼ばれる)、テキーラを2本買おう」
「だめ、予算(←会社のお金)オーバーするからテキーラ1本と赤ワイン! しかも大豆ビール(←第三のビールのこと)しか買えません」
「わかったマム。でも、大豆ビールならアサヒにしてね」
…だのと、大騒ぎで企画をしている。まるで、「おやつは100円まで」と言われて大騒ぎする遠足前の子供みたい。
イベントになるとがぜん張り切るのはフィリピン人の気質。

もう半年くらい、研修生と私の間にはある問題があって、私はずっとそれを解決しようとしてきたけれど、何事も一進一退という感じでうまくいかない。今年の1月に私は彼らの仲間のうち3人を強制送還に近い形で見送った(もちろん私の決定ではなく会社と本人の決定だけれど)。いろいろなことが決定的に損なわれてしまい、私はそれを取り戻すために残された研修生と何回も話し合いをして、3月にフィリピンに行ったときは彼らの家族にも会い、信頼を得ようとしてきた。

根本的な問題は、私と彼らの立場が違うのに、私がそれを暴力的に無視して彼らと関わろうとしてきたことである。身分の保証された通訳であり日本国民であり日本語に不自由しない私と、研修生であり外国人であり日本語にかなり不自由のある彼らとでは、立ち位置がそもそも初めから異なるのである。私は彼らを本気で叱るとき、最終手段として次のように言う。

「あなたたち、日本みたいに住みやすい国に来て、いつでも家族に電話だってできるし、ビザの心配もないし、医療保険もあるし、通訳はついてるし、フィリピンで緊急事態があればすぐうちの会社に連絡が来るようになっているのに、ホームシックだの送金額が足りないだのとメソメソするんじゃありません。私がマニラにいたときは、通訳もなくスラムでタガログ語を学んだのに」

私は最後の武器としてこの言葉を使う。アンフェアだとわかっていながら。
彼らは黙るしかないだろう。彼らは、私が日本でタガログ語を学んだわけではなく、1年しかマニラにいなかったことを知っている。水汲みと洗濯で鍛えた私の握力と手の筋力の強さも知っている。私は彼らの前で(たとえ間違っていても)自信たっぷりにタガログ語を話し、彼らからは
「マムはフィリピンでよっぽどSpeech Trainingを積んだのだ」
「政治学専攻でUPにいたということは、マムはアクティビスタに違いない。でなければスラムなんかに行くはずがない」
と言われている。そのことは、彼らにとってはプレッシャーだと思う。

けれど、それは違う。私は確かにスラムに住んだけれど、金銭に余裕がないわけではなかった。奨学金があったから、いざとなれば日本に数時間電話することも、航空券を買って日本に帰ることもできた。本当に困ればお金を払って通訳を雇うこともできただろうし、日本語で医療を受けることもできたかもしれない。

私には彼らの苦悩がわかるはずもない。この問題は、私が「都市貧困」を研究する上でも決定的に足かせとなっている、「自分は日本のミドルクラスの出身である」という問題に行き着く。

私は研修生たちとの段差をなんとか埋めようとして、仕事を離れて彼らと一緒に教会に行ったり、プライベートで関わったりしてきた。

友人の弟を研修生に応募させ、担保金と準備費用のためにほうぼうに借金をしてやっと日本に来られるまでの彼らの苦痛を、少しは理解したつもりになった。

けれど、結局のところ、私は研修生を理解することができない。この問題は、そのまま、私の研究上の問題に結びついてしまう。私は自分の修士論文をさらにリバイスしながら、相変わらず
「都市貧困層は非常に冷静に政治的判断をするし、合理的な政治意識を持っている」
と主張している。けれど仕事の上では、「物分りの悪い」研修生に対して、
「もう、なんでわからないの、この○○(←タガログ語の悪い言葉が入る)が!」
「高卒だからこんなに物分りが悪いのかしら。」
とまで思ってしまうのである。

私はマニラでコミュニティ・オーガナイジングを学ばせていただいたし、その昔には日本で青少年団体のオーガナイジングをしていたけれど、いまだに、善いオーガナイザーにはなれない。

私はこうした問題を、フィリピンでお世話になった愛するコミュニティ・オーガナイザーの皆さんや、都市貧困研究の先輩であるwataruさんやスラム出身の武母威に打ち明けている。彼らは私のいまの仕事を肯定してくれるし、それによって私はどれだけ支えられているかわからない。「いますぐ自分の肩書きやミドルクラス・メンタリティを捨てて彼らの価値観に入り込むべきだ」というもっともなアドバイスをいただけるのだけれど、それを実行することはものすごく難しい。結局のところ、私は彼らを「コントロール」しようとしているにすぎない。彼らが問題を起こさないように。間違ってもriotなんて起こさないように。

ともかく、明日は楽しんできます、バスケットボール大会。いや、まさか私はフィリピン人男性に混じってバスケットボールをするわけではないですが、審判くらいは。あと、フィリピンで習ったボールルーム・ダンシングはもう忘れてしまったからダンス(sayawan)にもちょっと自信がないけれど、飲み会(inuman)ならいつでも自信たっぷり。でもその翌日も出勤なのであまり飲みすぎないようにします。

みなさん、よいお盆休みをお迎えください。
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by saging | 2005-08-14 22:56 | 外国人技能研修生・実習生
25歳
もうすぐ、私は25歳になる。
先週の土曜日は、日頃より私が御仕え申し上げているフィリピン人たちと一緒に過ごした。今週末になればもう、差し迫るフィ○ピン研究会の準備のため一歩も家を出られない状況になるだろう私のため、彼らは私の誕生祝を先にしてくれた。一日違いで誕生日を迎える研修生と一緒に、フィリピン料理を作って食べて、DVDを観て、歌って・・・そして例によって、尋常ではない量のテキーラをtagay-tagay(回し飲み)し、今度こそ私は帰れなくなった私は、もう一人の通訳の同僚(フィリピン人と日本人のダブルでマニラ育ち、漢字にはめっぽう弱いけれどディープ・タガログには強い、素敵なパートナー。同時に、私と同じくらいアルコールに強く、しかも私と同じくらいtagay-tagayが好きな単なる悪友)と一緒にその場で夜を明かすことに・・・。

中学・高校時代に一緒にNGOで署名活動なんかしていた友達はみんな次々と結婚して母になっていくというのに、私はなんという25歳の迎えかたをしているのだろう。親は
「もう25なんだから、フィリピン人でも誰でもいいから早く嫁にもらってくれる金持ちを探しなさい!(でも、貧しい大家族のフィリピン人はだめよ!)」
と言うし、そりゃ私もできれば経済的に安定した人とできるだけ早く結婚して、子供ももうけて、自分もよい収入を得て、セブ島かラグナ州に両親のための別荘を買って、日本の冬の間はそこで過ごしてもらって、優しいメイドさんと有能な介護士を(私の知り合いのフィリピン人の中から)つけてさしあげたい。(いや、決して両親の介護を他人に頼もうという意味ではありません。)
自分の1年後はおろか、2週間先の研究会のことすら思い描けず、tagay-tagayしては今夜無事に帰宅することもままならなくなくなる私だけれど、そんな夢ならいつも頭の中に描ける。不思議なものです。
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by saging | 2005-06-21 20:15 | 外国人技能研修生・実習生
1年ぶりのマニラ 2

今回のマニラ訪問のもうひとつの目的は、いま私が大阪で働いている会社でお世話をさせていただいているフィリピン人の「研修生」のための仕事であった。私の本業(給料をいただいてやっている仕事)はタガログ語の通訳。今回も、新しく日本に来る予定の研修生候補者への面接の通訳を担当させていただいた。ホテルの一室で、日本の中小企業さんの社長さんたちが候補者と対面して面接をされる。倍率は4-6倍だから、候補者は100人くらいいて、ホテルのその階は彼らで占められているという感じ。日本語の堪能なフィリピン人の現地通訳者と手分けしての仕事だけれど、唯一日本人である私はとにかく目だって仕方がなく、休憩時間にも、うっかり部屋の外に出ると、面接の順番を待つ100人の候補者は社長さんたちよりも私の一挙一動に注目しているという状態だった。

さらにこの仕事の困ったところは、社長さんたちはまず男性であり、候補者の(というか、募集対象)もほとんど(今回は全員)が男性であること。私は「女性らしく」振舞うことを期待される。すでに日本に来ている研修生たちは私とうちとけているけれど、ここにいる候補者たちはただでさえ「日本人」でありおまけに「女性」である私からあくまでも距離を置き、懇親会でも「自由な会話」ができる雰囲気ではない。私は黙り、他人の言葉を訳すだけの通訳に徹する。

女性である私は接待もできないし、お酒も飲めない。フィリピン駐在の上司は心得たもので、私が食事に同席しているときは、「sagingさんにはマンゴーシェイクでいいですね」、「ここのお店のスイカシェークはお勧めですよ」と言う。いかにも、私がいつもマンゴーシェイクを飲んでいるかのように。私の前に置かれるカラフルな可愛らしいシェークを見て社長さんたちは「sagingさん、おいしそうですね」とおっしゃる。社長さんと、男性である上司たちは必ずビールを頼む。
夕食後、チャーターした車でホテルに戻り、そこから社長さんたちは夜の遊びにお出かけになる。男性の上司が同行する。
私は「それではいってらっしゃいませ、おやすみなさい」と言って、ホテルの玄関先で彼らの車を見送る。そして、ジープを3本乗り継いで自分の宿に帰る。
翌朝、私は眠そうなそのチャーターカーの運転手に「昨夜は何時まで仕事だったの」と聞く。
「2時だよ。家に帰ったのは3時。」
「みなさん楽しそうだった?」
「楽しんでたよ、なんせ店を2回も移ってさ。最初は○○通りの…。次が・・・。まったくねsagingさん、あなたは男性じゃなくて良かったよ。君が日本人男性だったらこういうところに行かないといけないんだよ。仕事でも、生物学的にもね。」

何がどう良かったのだか・・・。やれやれ。これが、性の社会的分業というものなのだろうか。女性の社会進出が高いフィリピンで、日系企業には女性の駐在員が少ないのも、まあうなずける話である。

面接の通訳以外にも、今回私には、日本でホームシック気味の研修生の家族に会い、いろいろな話し合いをして、家庭と協力して彼/彼女らの精神状態の維持に努めるという使命もあった。何軒もの家を回ったが、そもそも私はカウンセラーではないので、こういった仕事は、確かに、通訳以上に疲れる。
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by saging | 2005-03-30 01:36 | 外国人技能研修生・実習生
逃走
締め切りの1月17日を1週間後に控えた本日、修士論文を完成させました。といってもまだ誤記や表記ゆれ、誤字脱字があるかもしれないし、まだまだ文章をブラッシュアップしなくてはならないけれど、レイアウトや添付資料も含めて、とりあえず人に見せられる状態に完成させました。これで、この1週間の間にコンピュータがクラッシュしたり何らかの物理的な問題が私の身に降りかかっても、いま手元にあるこの原稿を出せばいいのです。
実はエクセルも画像処理も苦手な私は、添付図表を作るのにものすごく時間を費やしてしまい、ついには弟に助けて(やって)もらうことに。さらに、客観的な誤字脱字チェックも父か弟にお願いする予定。協力的な家族に感謝です。

クリスマス前から引きずっていた研修生の問題がついに爆発。私が年末に最後に話したときはいろいろな問題は一件落着したように見えたのに、彼らは年始早々に会社から逃走して行方不明になった。各地をさまよった挙句、とうとう持ち金が尽きて、おととい、そのうちの2人から私に連絡があった。仕事用の携帯ではなく、万が一のためにと教えてあった私のプライベートの携帯の番号に。断続的に公衆電話から電話をかけてきては「助けてくれ」と言う。「どこにいるの」と聞いても「わからない」と言う。「誰でもいいから、その辺を歩いている人に聞いて、交番で電話を借りて電話して」
「嫌だ、見つかったら入管に罰せられるんだろう、僕らはまだ本国にたくさん借金があるんだ。怖くて交番になんか…」
「何の犯罪も犯していないんだし、オーバーステイでもないんだから、堂々と最寄の交番に行くか、歩いている人にでも店にでも駅にでも助けを求めなさい!」
…私がいくら叫んでも、彼らは迷っているらしい。そして電話は切れ、私はひたすら、次の連絡を待つ。4時間くらいの周期で断続的に電話が鳴る。
「早く交番に行って」
「交番に行ったら強制送還だろう」
「そんなことはない。そこから一刻も早く大阪に来て、私と会ってちゃんと話しましょう」
「怖い、会社に知れたら殺される」
「なんで殺されるの、ここは日本なのに、殺されるはずがないでしょう。あなたたちは犯罪者じゃないんだから、早く出てきて」
「嫌だ」
「じゃあいったいどうして私に電話してきたの、私を信頼できないの?」
…という押し問答の繰り返しで電話は切れる。そのまま、逃走後7日目の夜を迎えた。彼らが唯一口にしたある駅の名前だけが手がかりで、いったい彼らがどこをさまよっているのか、そのほかの情報はいっさいわからない。インターネットでその駅の名前を調べると、日本全国にその名を冠した駅が10もある。104で調べて片っ端から電話をかけ、無人駅の場合はその駅の存在する県の県警から交番に取り次いでもらった。どこの交番も、とても親切に赤色灯パトカーで夜道を巡回し、この寒空で野宿しているフィリピン人がいないかどうか、懸命に探してくださった。
そして、最初の連絡から一昼夜24時間以上が経過した昨日の正午過ぎ、彼らからまた電話がかかってきた。そこで私は渾身の説得を試み、彼らはついに、とある県庁所在地の駅名を私に告げた。私はすぐにその駅に電話をして、彼らを「保護」していただいた。
幸いなことに二人とも健康で、私とまともに駅員室の電話で話せる程度には落ち着いていた。

彼らがなぜ逃走せねばならなかったのか、なぜ私を信じてすぐに出頭してくれなかったのか、それは、今日これから彼らに会って話を聞く予定である。「殺される」とまで思ったのはなぜなのか。私はあれほど彼らに電話で話しながら、なぜ、彼らがそこまで何かに追い詰められていることを理解できなかったのか。なぜ、彼らの突発的な行動を事前に予防することができなかったのか。なぜ、最初の電話からさらに一昼夜も、彼らは私の言葉を信じずに逃げつづけたのか。
考えることはあまりにも多すぎる。これからの彼らの処遇はどうなるのか。強制送還を恐れていた彼らのために私は最大限の努力をするけれど、所詮、私は通訳。すべては入管と私の上司の指示に従うしかない。このまま強制的に帰国させねばならないという最悪の結末を迎えた場合、彼らは私をマカピリ(裏切り者)と思うだろう。
彼らの友達であるほかの研修生たちも話題騒然、「いったいどうなっているんだ」という問い合わせの電話が絶えない。幸い今のところは、私が誠心誠意で説明すれば「わかったよ、君も大変だな、胃潰瘍になるなよ」と、私にいたく同情的な彼らだが、もしその「最悪の結末」を迎えてしまったら、私と彼らの関係もどうなってしまうかわからない。
数時間後、彼らに会ったら、まず何を言えばいいのだろう。いったい何がどうなってしまったのか、私にもわからない。

守秘義務があるからここまでしか書けないけれど、そういうことで、修士論文にまったく集中できない日々が続いていました。しかし、昨日からはやっと気持ちを落ち着かせ、きちんと切り替えて修士論文に臨もうとしています。大学卒業の資格を持たない私にとって、これは初めての学位取得のための正念場なのですから。そして何より、修士論文で私が書きたいことと今回のこの問題は、きっと底辺では繋がっているのでしょうから…。

SULONG!
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by saging | 2005-01-09 04:58 | 外国人技能研修生・実習生