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Keso de Bola とは、 「表面は赤いのに中は黄色い」フィリピンのボール型チーズ。転じて日和見主義者。       かつてお世話になった、現地の言葉で「灯台」と呼ばれるマニラ湾岸のスラムを、ガラス越しに。
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カテゴリ:フィリピン勤務('06~'09)( 8 )
フィールドワークの失敗
3年間をすごしたマニラを離れるにあたって、引越しの準備とか仕事の引継ぎとか仕事でお世話になっている各方面へのご挨拶とか、ついでに来週の学会発表準備とか3週間後の研究会発表準備とか、いろいろあってバタバタなのですが、週末は、スラムの方々にご挨拶に行きました。
 1年前にリサール州モン●ルバンに移転したP地区の皆さん。移転先では水も電気も豊富だそうですが、知事と市長の不仲の余波を受けて、土地の権利移転に向けたロビイングは大変の様子です。ほかからもどんどん人が移入していて、もめごとがたえないとか。もとのコミュニティは完全に取り壊されて、スラムの影もありません。
 PA地区は、私が修士論文を書いた4年前からまったく変わっていません。むしろ、スクワッターが激増しています! あいかわらず護衛してもらわないと歩けないし、あいかわらず住民組織は大分裂しているし、あいかわらず通りはニンニクだらけです(PA地区の主要な生計手段の一つは、ニンニクの皮むき)。

 私はこの3年間、フィリピンにいながらにして、あまり頻繁にスラムに足を運ぶことはなかったのだけれど、もう、何が起こっても、何を言われても、あまりビックリしたり、動揺したりしなくなりました。ものすごーく理不尽な、あるいはすごーく意味不明なことを言われても、
 「ああ、これが彼らの論理なんだな」
 「この人はこういう考え方をするのだな」
と思うようになったし、
 「私には理解できないけれど、彼らには彼らの理由があってこういうことをするんだろうな」
と思います。借金を遠まわしに申し込まれても、しつこくお見合いを勧められても、トライシクルに出資を誘われても、何を言われても、それなりにあたりさわりなく、うまく立ち回れます。(あくまでも一般的に、です。もちろん、超えられない事柄もたくさんあります。)

 逆に、この3年間、私は現在の職場組織にけっこうどっぷり浸かってきたはずなのに、少なくとも1日10時間はそこにいたはずなのに、いまだに動揺することばかり。曲がりなりにも政治学なんてものをやっているんだから、動揺する前に、もうすこしこう、相手の言動の裏を読んで考えるとか、相手の意図しているところを汲み取るとか、そういうことができてもいいはずなのに。
 何年かたったら、
 「ああ、あのときうちの上司は、こんな風に考えていたんだろうな」
 「あのときの同僚はこういう論理で立ち回っていたんだろうな」
って思えるのかもしれません。というか、そう思える日が来ないと、政治学をやっている意味なんてないのですが。
 
 3年間のフィールドワークのつもりでこの職場を存分に理解し、ここに溶け込み、他人に還元できるようにがんばろう、とずっと思ってきたけれど、無理だったようです。フィリピンのスラムよりは日本の組織のほうがずっと自分のメンタリティに近いはずなのに、この違いは、どこから来るのでしょうか。
 スラムではうまくいって、職場ではうまくいかないなんて、どう考えてもおかしい。もしかして、私はスラムでも実は何もわかっていなくて、適当に理解したふりをして、適当に立ち回っているふりをしているだけで、心の中ではしっかり距離を置いているだけなのかも。

 フィールドワークに限らず、人間として、他人のどんな言動に対しても動揺せず、受け入れられないからと距離をおいてしまうのではなく、
 「この人は、どうしてこんなことを言うんだろう、きっと何か理由があるに違いない」
と考えることのできる人になりたいです。これからずーっと続く課題です。
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by saging | 2009-03-29 19:49 | フィリピン勤務('06~'09)
後悔の源
前々回、「自己の逡巡を他人に公開することを選択するなら、それなりのオチや結論が必要」と書きましたが、今回の文章には、よいオチがありません。つくづく、ある文章(=論文)が煮詰まっている横で新たな文章を書こうとしても、ろくなものは書けないものです。

 いまの職場での仕事もあと1ヶ月となり、晴れ晴れとした気持ちになるかと思えば、決してそうではありません。この3年間を振り返ると、なぜだか、後悔ばかりして出てきてしまうのです。私はもっと努力できたはずなのに、と思ってしまいます。
 ここ数ヶ月、私はずっと、キーっとなりながら論文を書いて、日中も何かに急き立てられるような気がして常に不安で、不安を抑えるために薬と胃薬を大量に常用し、食生活は乱れまくり、せっかく我が家にいらっしゃった先輩や友人たちにもご迷惑をかけつづけてしまいました。ちょっとしたことが気になって、いろいろなことがいちいち気に障って、ささいなことで感情に波が立ち、それを表に出さないように努めることに余計なエネルギーを費やしてしまいます。

 私の職場には、世界にはこんなに頭のいい人がいるのかとびっくりするくらい有能な人たちが何人もいて、そのなかでも、我が上司は特に有能です。僭越ながら、ものすごく知的で、芸術にも造詣が深くて、頭の回転がものすごく速いのです。どんなに怒鳴られても無視されても、私は彼のことを心から尊敬しています。時折、やや、感情的にすぎるので、部下である私は、どう接して良いものか1年以上ずっと悩み、ここ数ヶ月は気が狂いそうにすらなっていました。表面的には平気で笑顔を交わしますから(それが私たちの仕事です)、決して仕事に支障ることはないのですが、私が必要以上に構えると相手にもそれが伝わってしまうようで、私は、そのことを反省しています。私がつまらないことを気にせずに上司をもっとサポートしていれば、もっと効果的に仕事をしてもらえたかもしれないのに。あんなに知的な人なのだから、私がビクビクせずにもっといろいろなことを話せば、さらに素晴らしい仕事をしてもらえていたかもしれないのに。私が下手に萎縮せず、怒鳴られても恐れずにもう一歩踏み込むことができていたら、きっと、もっと多くことを学ぶことができたに違いないのに。生涯の師になったかもしれないのに。私は、彼の手足となれなかった自分を恥じているし、悔やんでいます。半年くらい前に、もう辞めた職場の先輩から、
 「怒鳴られるというのは、『お客さん』じゃなく、その組織の成員としてみてもらっているということなのだから、喜べばいいのに。フィールドワーク中、その地域の人に『お客さん』としてじゃなく受け入れてもらえたときのように。」
と助言してもらったことがあって、私はそのとき、あまりぴんと来ずにただその言葉にノートに書いただけでしたが、もっと早く気づけばよかった。
 最近では、他人を批判したくなるとき、私は必ず、その上司のことを思い出します。自分が未熟なのだから、せめて、周りを立てながら学ばせていただく、くらいの謙虚さを持たなくては。どんな環境でも、どんな立場でも、相手がどんなに感情的であろうと、自分は落ち着いていなくては。他人に向けようとするその指を、いつでも自分に向けるようにしなくては。相手のことを―聞き手のことを、接する相手のことを、もっと考えなくては。

 私の職場では、「学者さん」とか「院生」への偏見がすさまじいので、私はこの3年間、職場では、院生であることをひたすら隠すようにしてきました。職場の人たちの論理では、学者というのはマニアックで、チームプレイができなくて、KYで、社会性がないのだそうです。もちろん、院生はそれ未満。さらに女性となれば、「目も当てられない」と彼らは言うでしょう。別にこれは、うちの職場に限らず、大部分の日本企業ではそうだと思います。文系で、院生で、女性だなんて、どこから見ても三重苦。少しでもミスをすれば、あるいは少しでも気が利かなければ、
 「これだから頭でっかちの学者さんは困る」
 「院生は使えない」
 「世間知らず」
…と言われるのは目に見えていますから、私は、そう言われないために最大限の努力をしました。皆が快適に仕事できるように、書類作りだとか書類回しだとかファイリングだとか、機器メンテナンスの調整だとか備品の補充だとかコーヒー豆の購入だとか、そういった下仕事を、他の人が気づく前に見つけて済ませること。つねに下手に出て、叱られたら、あるいは叱られそうになったら、先回りして謝ること。上司の機嫌が悪くても、気にしないようにポジティブに振舞うこと。いつも笑っていること。上司が「そういえばあれは」と言いかければ「すぐさま確認に!」と走ること。下っ端社会人としてはごく当然のそういったことに、私は細心の注意を払いました。最近、リアルでお付き合いをしていただいている方々から、
 「sagingさんって、いつも明るく朗らかに見えるのに、Blogに書いてあること、生々しいですよね。」
 「専門家かと思ったら、フツーのOLみたいなこと考えてるんですね。」
と言われ、過去数ヶ月の過激な日記を反省していますが、私はフツーのOLですってば。(OLという表現がジェンダー的に引っかかるなら、「勤め人」と言い換えます。)私は、フィリピン/フィリピン人を当然のように見下す職場の多くの人たちとはどうしようもなくノリが合わないし、それこそ、超えられない隔たりがあるけれど、それでも、課内の人たちとは毎日他愛のない冗談を言って笑い、ときどきは同僚とダイビングに行ったり、上司に飲みに連れて行ってもらったり、ごくたまには課の皆さんと一緒にお昼休みに外食する、そんな、フツーの勤め人なのです。この3年間、ニッポンの組織の中で、フツーに生きてきたのです。
 タガログ語がわかるとか、フィ●ピン政治を専門にしているとか、たまーに「この政治家はどんな人?」と聞かれて即答できるとかいうのは、仕事をするうえでは「付加価値」であって、仕事の本質じゃないのです。この仕事を始める3年前は、自分の専門性を生かすことこそが本質で、雑用「も」できるっていうのが「付加価値」なのだと思っていたけれど、それは逆でした。雑用が本質で、フィ●ピン政治「も」わかるっていうのが「付加価値」なのです。

 私は、自分の考えは言わないようにして、時には、知っていることも知らないように装いました。自分で課題を発掘して仕事を見つけたり、自分の意見をもったり、提案したりすることは極力避けて、自分の意見は押し殺してきました。そして、自分自身に対して次のように言い訳しました。
 この組織だけじゃない、よほど斬新な企業でないかぎり、どんな組織だって、入ってまもない人間が「意見」を持つだなんておこがましい。周りの見えていない新人が「課題発掘」だなんて十年早い。提案も自主性も、暑苦しい自己満足にすぎない。就職活動中の大学生は面接で「何をやりたいか」を夢中で熱く語るけれど、企業はあんたのやりたいことなんて聞いていない。…私を出産するまではキャリアウーマンだった母は、そして中企業の社長だった叔父は、私たち兄弟に、いつもそう言い続けてきました。(私たちの父方の親戚には坊さんと公務員と大学関係者しかいないものですから、そんな偏った世界に染めたくないと思ったのでしょう。)そして昨年、世間的には一流企業とされている会社に就職した私の弟が、半年間の研修期間の最後にやらされたのは、現場の製造ラインに入り、「課題を発掘して提案する」ことだったそうです。そしてそれは決して、新入社員の課題発掘力を鍛えるための研修ではなく、頭でっかちの新入社員の「提案」がいかに現場の人々からウザがられ、反発を受けるものか、ということを知らしめるための研修だったのだそうです。
 それが世間の常識。私もこれでいいんだ。若いうちは、うだうだ言わずに、与えられた仕事を精一杯やって、下仕事に徹していればいいんだ。…私は自分にそう言い聞かせながら、見事に、現在の職場のカルチャーに染まっていきました。要するに、3年間波風を立てなければいい、余計な提案をしなければいい、下手にでしゃばると嫌われるだから、静かにしていればいいのです。デルクイはウタレルのです。

 でも私は、この職場に特有の事勿れ主義、問題の先送り、責任逃れと言い訳づくりのためだけに作成される無駄な書類、立場の弱い者にすべてを押し付けるご都合主義、出所不明のオカミイシキと歪んだセクシ●ナリズムにはどうしても適応できませんでした。彼らの論理では、仕事をほいほい引き受けてしまう人はダメなのだそうです。(彼らの口癖は、「これは誰がやるんでしょうねぇ」…それだけなら「よくある話」なのですが、この口癖を、組織内ではなくて組織の外でも平気で口に出すものだから、あちこちで反感を買うのです。)仕事の断り方を知らない私は、あちこちから仕事を押し付けられては、
 「それは隣の課の仕事だろう! どうして断らないんだ!」
と上司に叱られてきました。誰も手をつけていない仕事に手をつけようとすると、
 「うちの仕事じゃないんじゃない? 放っとけば?」
と同僚から嫌味を言われます。…いいじゃないですか、誰がやったって。いずれは誰かがやらなければならないことなのだから、そんなところにいちいちケチをつけるって、時間とエネルギーの無駄です。押し問答している間に、ちゃちゃっとやってしまえばいいこと。簡単な英語の要約やエクセルのデータ入力やパワーポイントの資料作りなんて、他人に突き返すより、下仕事に慣れた私がやるほうが明らかに早いのです。私が数時間残業して丸くおさまる話なら、もう、それでいいじゃないですか。私に仕事を振った誰かが、その空き時間でもっと別の有意義な仕事をしてくださって、組織全体の生産性が上がるなら、そのほうがいいじゃないですか。経済学の基本じゃないですか! とにかく、一事が万事、何をするにも、内部の取引費用が高すぎるのです。その労力を、もっと仕事に向ければいいのに。経済学の理論を思いっきり逆行。

 結局、私は3年間かかっても、この「職場の論理」を理解することも、そこに適応することもできませんでした。使いっ走りに徹する中で、少しでもこの論理の中で働いている上司や同僚たちを理解し、彼らの手足になりたかったけれど、できませんでした。どうせなら職場の論理にどっぷり染まって、我が上司を助けることができればよかったのに。この3年間、私は、それすらもできませんでした。

 数ヶ月前、私が職場環境に耐え切れず、上司への直談判という形で「異議申し立て」をしようとしたとき、社内で一人だけ、冷静に、私の行動を止めてくださった人がいました。
 「いいお給料と住居手当までもらいながら、上司に怒鳴られるくらいのことに耐えられないって、ワガママだよ。もっと過酷な職場はたくさんあるし、もっと忙しい、もっと条件の悪い環境で仕事をしながら博士論文を書く人は、世の中にゴマンといるんだよ。」
 「仕事が嫌だとか思ってられるのは、あなたがまだ、守るべき家族を持たないからだよ。家族がいたら、そんなこと言ってられないよ。君は幼いね。」
 …私はもちろん、かなり憤りました。つまりは、社会的に成功したエリート既婚者が、独身の20代を見下しているだけじゃないの、って。給与をもらっていれば、どんな上司の暴言にも耐えなくてはならないのですか? 上司に異議申し立てをすることはワガママなのですか? 「家族がいる=成熟」、「独身=幼い」なんですか? 毎晩のようにカラオケで3,000ペソ以上を使って家庭崩壊しかけている既婚者より、何もかも奥さん任せで、税金や保険の書類すら自分で書けない、自分の子供の教育費の値段すら知らない男性たちより、私のほうが不完全で未熟だというのですか? (…と言いたかったのですが、きちんと言葉にできなくて、私はただ、黙りました。)
 それから数ヶ月が経ったいま、私は、その人に感謝しています。彼の言ったことを受け入れる気にはなれないけれど、批判をしてくれる人がいるって、とても幸せなことでしょう。
 オトナになるためにすべてに目を瞑り、事勿れ主義に甘んじるのはもちろん間違っているけれど、仕事をするというのは、ある程度、そういうことを我慢することなのかもしれません。オトナになるための要件は空気を読めるようになることだ、と私はずっと思ってきました。でも、それは違ったようです。オトナになるための要件は、敢えて空気を読まない人々と、不本意にも空気を読みながら生きている人たちの苦しみを、きちんと理解することなのかもしれません。

 もうひとつ、きわめつけ。先日、ある先生から、こんなことを言われました。
 「私はこれまでにいろんな研究者を見てきましたが、2年間何も書かなければ、その後論文はずっと書けません。」
 「あなたの現在の仕事はさまざまな情報も入っていろんな人に会えるし、それなりに自尊心を満足させてくれるものだと思いますが、私は研究者としてやっていくうえでその仕事がどの程度プラスになっているのか、きわめて疑問視しています。むしろ、トラの威を借る狐のようなところがあって、本当に自分の足で歩いて情報を得ていないのではないかとさえ疑っています。…私ぐらい厳しい外部の目があるということは覚悟して、しっかり勉強して欲しいと思います。」
 厳しい。すごく厳しいです。でも、怖いくらいにそのとおりです。
 私はこの3年間、いくつかの学会ペーパーと博士論文の資格審査論文を除いては何も書いていません。そして、私は自分の仕事によって「自尊心を満たして」います。仕事が忙しいから論文は書けないけれど、いまは充電期間なんだ、いろいろな人に会って、現実の世界を知る期間なんだ、って。私は、
 「とりあえず就職して、数年経ったら大学院に戻る。」
と堂々と言いながら就職する人たちや、
 「仕事をやめたい。早く研究に戻りたい。」
 「本当は自分のやりたかったことはこんな仕事じゃないのに…。大学院に行きたい。」
…などと公言してはばからない人たちを見るたびに、それは職場に対しても、仕事で接する人たちに対しても、そして院生に対しても、ものすごく失礼ではないか、と心の中で憤り、自分は口が裂けてもそんなことは言わないようにしよう、と思ってきました。就職は腰掛けで、大学院は逃げ道なの? あるいは、大学院が腰掛けで、就職が逃げ道なの? どっちがどっちだとしても、心構えとして、最低です。
…でも、最近では、自分も、口に出さないだけで、同じだったのかも、と思っています。私は、院生仲間に対して、
 「あなたは、毎日8時半に出勤しなくてもいいんでしょ。自由な時間があるでしょ!」
と、心の中で思ったことがないとは言い切れません。いまだって、毎朝8時半に出勤しなくてもよい生活、残業続きで膨大な事務書類と睨めっこしなくてもよい生活を想像しただけで、そこは楽園であるように思えてしまいます。それは私の傲慢な思い込みであって、決して、そんなはずはないのに。
 昨日、気心の知れたフィ●ピン研究者の先輩とお話をしているとき、私は、自分の中に、組織に時間を預ける「勤め人」であることで自尊心を満足させている部分があることに気づきました。その方には以前からけっこう厳しいことを言われてきて、私はそのたびについ言い返してきたのですが、批判してくれる人って、本当に大切ですよね。…私はタガログ語を話せるし、一応フィ●ピン政治を専門にしているし、期間限定ながらいいお給料をもらえる仕事に就いて、現地の新聞も欠かさず読んでいるから、フィリピン在留中の他の日本人の方々から大切にしてもらえる。日本のフィリピン研究者には「事情通」扱いしてもらえるし、職場での八方美人の果てに溜まったストレスを小数の気心の知れた友人や先輩たちに思いっきりぶつけても、仲間たちは怒らず、心配して優しくしてくれる。職場ではうわべの人間関係しかないし。それに甘んじていたら、どんどん周りが見えなくなって、傲慢一直線で、ダメになってしまいます。そうでなくても、年を重ねるごとに、批判されること、厳しいことを言われることって、どんどん少なくなるのだから、厳しいことを言ってくれる人には感謝しないといけないと思います。

 この仕事が終われば少しは楽になるんだとか、論文が終わればここから抜け出せるんだとか、つい、そんなことを思ってしまうけれど、自分はすでにじゅうぶん幸せで恵まれているのだということを認識しないといけないと思います。
 …そういうことをあれこれ考えているとやっぱり後悔ばかりになってしまって、結局、自分の在り方を変えていかなくてはならないのだと痛感します。そして、「反省」と「後悔」はいったいどこが違うのか、わからなくなってきます。ほんとうは、そんなことはもうどっちがどっちでもよくて、いいから早く前に進まないといけないのだって、わかっているのだけれど。
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by saging | 2009-03-18 23:59 | フィリピン勤務('06~'09)
月のスマイルマーク
 先回の投稿で、私が「ある行動を起こした」と書いたことについて、多くの方々からご心配のメールをいただいてしまいました。申し訳ございません。決して「とんでもないこと」をしたわけではありません。ただ、既存の制度を使って、「今の環境では仕事が非常にやりにくく、このままでは仕事がまともに回りません」ということを、既存の制度を利用して、穏やかに和やかにお伝しただけです。そんな派手なことをしたわけではありませんから、どうか、ご心配なさらないで下さい。

「行動を起こした」直後、別の上司に、
「何を言われても、右から左に流せばいいでしょう? もっと強くなることです。冷静になることです。終身雇用の私が悩むならわかるけれど、なぜ君がそこまで悩む必要があるのですか? 世の中、変な人のほうが多いでしょう? 君は真面目すぎるのです。海を見て星を見れば忘れますよ。」
と言われました。私はそのとき、
 「私が真面目なのではなくて、あなたたち終身雇用組が保身と事勿れ主義に終始していて、おかしいことをおかしいと考える感覚が麻痺していて、変な人たちを変だと指摘することもせず、その皺寄せをすべて非正規職員に押し付けているから、非正規職員が悩まなくてはならない事態に陥るのでしょう! 自分たちは安全な位置にいて、オトナの振りをして、非正規職員は人間的に未熟であるかのようなレトリックで非正規職員を見下して、精神が腐ってる! ずるすぎる!」
と、ものすごく憤慨しました。
 どんな大事件にも突発的な出来事にも動じず、目を瞑って冷静に対処する訓練ができているこの職場の方々を、私は、プロフェッショナルとして、心底尊敬しています。私はこの3年近く、ずっと、彼らのようになりたいと思ってきました。でも、それとこれとは別。あらゆることに目を瞑り、感情を閉ざすということは、「見て見ぬ振りをする」ことと同義ではないはず。都合の悪いことをすべて海と空に流して忘れてしまうことが「大人になること」ではないはず。

 その翌日の夕方、私は、西の空にスマイルマークを見ました。上弦の月と、金星と、木星とが、まるで、何かを暗示しているかのような位置関係で輝いていたのです。
 私はそれ以来ずっと、このスマイルマークを、職場のデスクトップの背景にしています。
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 そしてその日以降、上司がすこし優しくなりました。それまでの1ヶ月はもう、とても普通の人間関係とは思えない状態が続いていたのですが、12月に入ってから事態が激変、普通に会話ができるようになりました。偶然かもしれませんし、他になにか理由があるのかもしれませんが、このスマイルマークのお蔭だと信じてみたほうが幸せなので、そうしています。

 大学時代に好きだった人とは、ほとんど会うたびに、月と海の話をしていました。人間は月と海の見えるところに住むべきだ、と。ある日、私が
 「先日の皆既月食は御覧になりましたか。」
と尋ねると、彼は静かに、
 「昨夜散歩をしていると、とてもきれいな月が出ていました。月食なんかよりありふれているけれど、普段の月のほうが感謝すべき対象のように思われます。」
と答えました。(「ナンジャ、その浮世離れした会話は!」という突っ込みは、差し控えていただけますと幸甚です。)
 私は月齢の記載されたカレンダーを使い、毎晩、月を探していました。そして、頻繁に海を見に行っていました。学生の時間は無限大。そして、夜はもっと無限大。
 その後、私は海の見える大学に移り、マニラでは海の見える住居を選び、いまでは、毎朝、海を見ながら通勤しています。最高の贅沢です。
 それなのに私は、最近、月はおろか、海すら、感謝の対象として見ていませんでした。

 いまは(いまだけかもしれないけれど)、上司の言動にも、「海を見て星を見れば忘れますよ」という上司の言葉にも、それなりに意味があったのかもしれないと思います。海を見て空を見るだけですべてを忘れてしまえるほど私は器用ではないけれど、少なくとも、いま目の前にある事象に感謝することで、世界は違ったふうに立ち現れてくるのかもしれないと思います。

 来年は久しぶりに、月齢の書いてあるカレンダーか手帳を使おうと思っています。
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by saging | 2008-12-14 20:05 | フィリピン勤務('06~'09)
帰りたい
 先ほど、F大学のY先生の調査助手のGさん(バコロド在住のフィリピン人女性)がマニラから成田に発ちました。
 ちょうど2週間前の私と同じフライトで。明後日、2週間前に私が担当させていただいた講義を担当すべく。
 Gさんは、昨夜遅くにマニラに到着し、我が家にお泊まり。マスカラ・フェスティバルで混みあうバコロド市の中心街で、Manukan Country(バコロド市の中心地の、焼き鳥店の集中する一角)で予約までして、私のために、食べきれないほどのチキンを買ってきてくれた彼女。大感謝です。我が家に居候しながら修士論文を書いている私の後輩も交え、サンミゲール・ビールで乾杯。おいしいバコロド・チキンを手づかみで食べながら、ネグロスの砂糖労働者の闘争、日本の自殺者数、鬱病増加問題…、などについて真剣に語りました。Gさんの疑問は、
 「ここ数年、知り合いの日本人の中で、心を病む人が急激に増えている。なぜ?」
 カトリックが大多数を占めることもあり、フィリピンって自殺がきわめて少ない国の1つなのです。昨年ダバオで、12歳の少女が家庭の貧困に絶望したという日記を遺して自殺したときは、国家の貧困対策を声高に批判する声で、連日、全国紙のコラムが埋め尽くされていました。
 私はGさんに言いました。
 「こちらが聞きたいくらいですよ。フィリピンで自殺が少ないのはなぜ? フィリピンで精神医学が遅れているのはなぜ?」
 Gさんの答えは単純明朗。
 「フィリピン人は悩みがあれば、家族や親戚になんでも相談できる。もちろん全員というわけじゃないけど、そもそも親族が多いから、本当に信頼できる人が必ず見つかる。たとえシングルマザーの家族だって、たとえ異母兄弟だって、親戚が支えてくれる。だからフィリピン人は、精神科医もカウンセラーも必要としないのよ。」
 さすがフィリピン人。私も納得して、
 「そのとおりですね。私の唯一知っているフィリピン大学の精神科医は、紛争を経験した子女のケアにあたっている人でした。フツーの会社員や学生が精神科にかかるなんて、フィリピンではあり得ない! でしょ?」
 その後は、2週間前の私の日本旅行の体験談や、F大学関係者のチスミス(噂話)で、深夜まで大笑い。最後は笑って締めるあたり、私もフィリピン人に近づいてきたのかしら。

 いいなぁ、私もGさんと一緒に日本に行きたい。っていうか、帰りたい。
 
 一昨日、私は例によって心の中で勝手にキレて、明日は出勤しないで旅行会社に行って日本行きのチケットを手配して帰るんだ!って決意して、深夜にWataruさんに国際電話をかけて、ものすごく迷惑をかけました。ごめんなさい。今回はもう、給湯室で泣くだけじゃ気が済まなかったのです。3年前は、多額の借金を抱えて日本に来ているくせに、少しのことですぐに「帰りたい」って言い出すフィリピン人研修生/実習生たちのことを
 「ほんとうに短絡的で、見境がないなぁ、フィリピン人って!」
と思っていたけれど、いまは自分が帰りたい。ここから脱出したい。お金とか見栄とか、ほんとに、どうでもいい。 

 私がキレた原因は、いつもどおり職場での出来事。締め切りの迫っている仕事(クリスマス・ギフトの送り先リスト整理作業)の稟議書が上司のところで止まってしまったから。
 そんなの、毎回のこと。こうなることはわかっていたのだから、それを見越して、課内の他の人たちに早めに作業を依頼し、早めに上司に上げたのに、やっぱり、上司は直前まで見てくれず。しかも、やっと見てくれたと思ったら、一瞥して、
 「フォーマットが見にくい!」
と突き返されました。
 「申し訳ありませんが、フォーマットは社内統一なのです。」
 (心の声:私に言わないでくださいよ!)
 「じゃあせめて、カテゴリー分けにしてよ。送り主で分けられても困る。」
…あの、一昨年まではカテゴリー分けだったんですよ。それを昨年、あなたが「送り主ごとに分けろ」っておっしゃったから、そうしたのじゃないですか。
 秘書さんと私でエクセルの表を直して再提出すると、
 「アルファベット順にならないのかね。」
…いえ、昨日は、カテゴリー分けにしろ、っておっしゃったじゃないですか。

 それを繰り返すうち、例によって、うちの課の提出だけが遅れることに。せっかく早めに作業を開始したのに、何の意味もありません。他の課の担当者や上司からは私宛に、
 「業務においては、部下が上司の指示に従って作業を進めると言うことも当然ですが、部下が、外部との関係で作業日程を考えながら、上司に適宜進言し作業を円滑に進め外部との調整をはかることも要請されていることは、承知されていることと推察いたします。」
という、ものすごーく嫌味なメールが送られてきました。それも、何回も、何回も。
 いくら私が無知で未熟とはいえ、私にとってはこの作業もすでに3回目。とっくに「承知」しておりますよ、部下の役割も、うちの上司の性格も、そして、我が課の作業遅延が社全体に与える影響も!
 でも、できないんです。私は、上司を動かすことができない。どんなに下手に出ても、どんなに暴言に耐えても、やっぱりできない。「できない」って言っちゃダメなんですか? 私は誰にも頼らせてもらえないんですか? そうやって、あなたたちはこのまま、ずーっと部下を追いつめ続けるんですか? 人は変わっても、この組織はそうやっていつまでも変わらないんですか?
 もしそうなら、私から降りてみせます。全部投げて、明日から出勤しませんよ。私はまだ、死にたくないですから。言いたくないけど、2年前に、20代前半だった私の同僚を追いつめて殺したのは、ほかでもなく、あなたたちと、この組織です。
 
 最後には、他の課から直接、うちの上司に督促メールを入れていただいたのですが、それを読んだ我が上司、
 「うちの課だけ遅いって言われてるよ。要するに、君のタイムマネジメントと作業効率が悪いんだと思うなぁ。他の課には君から説明しておいて。」
 …あなた、それでも上司ですか? 魔王よ、私に腹話術の力を与えたまえ、って本気で思いました。(注:私は伊坂ファンではありません。伊坂ファンの皆様、軽々しく使ってごめんなさい。)それでも、ただオウムのように
 「申し訳ございません」
を繰り返すことしかできない自分に苛立ちを感じます。
 私は日々の不満を溜め込んでいるだけではなく、解決策をずっと探しています。もう何度も、人事の制度を利用して、自分の精神的負担を訴えてきました。でも、何も奏功しませんでした。人事なんてそんなもの。だから、制度外の「弱者の抵抗(by James Scott)」も試みてきました。別にさぼったり盗んだりそらとぼけしたりするわけではないけれど、私の心は、そして私のLoyaltyは、はじめから、この組織にはありません。これは仕事だから。終身雇用を前提として生きているこの職場の多くの人たちとは違って、私は不安定で、でも、自由だから。
 ただ、ここで報酬をいただいている以上、それなりの仕事はして、成果は上げなくてはならないと思います。上司のためにじゃなくて、組織のためにじゃなくて、公共(パブリック)のために。それこそが私の仕事なのだから。3年前、就きたくてたまらなかった仕事。いろんなひとから「きついよ」って言われながら、それでも就きたかった仕事。
 でも、クリスマス・ギフトの送り先なんかで揉めている職場にあって、上司の怒声のせいで新聞にも集中できない、外出もままならない、というこの状況の中で、どうしてまともに仕事ができましょう。どうして、「パブリック」なんてことに思いを馳せることができるでしょう。
 あと半年の契約を残した自分はもはやただのレイムダックでしかない、と思いながらも、それでも、ここで何かを残したい、パブリックのためによい仕事をしたい。
 そう願うのは、ただのピュアな理想論なのでしょうか? 上司にすら何も言い返せない私が世界を変えたいなんて、ほんとに、百億年早いのかもしれません。
 どうしてこんなにきついの、この社会は?

 私はこの組織に責任を負う立場にはない「下っ端」なのだから、本当は、たぶん、いつやめてもいいのです。2年前に同僚が亡くなったときも、そうだったもの。パブリックに責任を、とか、そんなつまらない理屈を言っている場合じゃないのかもしれない。 

 でも、私一人が逃げても降りても、どうにもならない。

 それは、逃げる理由にもなるし、逃げない理由にもなります。
 逃げることは、そして降りることは、いつでもできる。だから、もう少しだけ、がんばります。
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by saging | 2008-10-18 16:48 | フィリピン勤務('06~'09)
労働
 もう5月も半ば。まだまだ暑い日が続きますが、雨期も近づいてきました。昨日は知人と会うためにケソン市にあるアヤラ系の新しいショッピングモールTrinoma(トライノマ)に行ったら、夕方の雨で足止めを食ってしまいました。このモール、高架鉄道MRTの駅と接続し、駐車場は巨大で、さらには、ホテルのように鍵と車をボーイに預ければ代わりに駐車場に入れて帰りはまた出してくれるVIPなサービスまであるのですが、敷地内にはいっさい、バス・ジープニー・FX(乗り合いタクシー)乗り場がないのです。考えてみると、マカティのランドマーク・グロリエッタ・SMエリアも、MRT利用者には便利ですが、ジープニー乗り場はもともと、かなり不便なところにあり、昨年10月のグロリエッタ爆発事故の後、さらに僻地に移されましたから、ジープニー利用者にとっては不便なこと極まりありません。ジープニー利用者は、顧客ターゲットにないということでしょうか?
 雨が少し弱まるのを待って外に出ると、道路が冠水。でも大丈夫、裸のオジサンたちが煉瓦とベニヤ板で臨時の「橋」を作り、通行人の手を取って渡らせてくれ、満面の笑みで通行料を取っています。近代的ショッピングモールの敷地内で繰り広げられる、著しく前近代的な営み。
 帰りは例によってエスパーニャ通りが「エスパーニャ川」と化していました。あまりに水が深くて、ジープニーの中にタポタポと水が入ってきて、乗客はキャーキャー大騒ぎ。なぜかみんな楽しそう。運転手は、「迂回路を教えてやろう」と言いながら洗面器(集金用)を片手に駆け寄ってくるオジサンたちや、雨に乗じて「窓ガラスを拭いてやろう」と言ってくる裸の子供たちをあしらうのに忙しそう。それを見ながらケラケラ笑っている乗客(全員、足はずぶ濡れ)。私も笑ってしまいましたが、それは、皆と共有する笑いというよりも、「ほんとにフィリピンは…」という笑いに近いものでした。平日はジープニーになんて乗らないくせに、タクシーに乗るお金もあるくせに、たまの休日にちょこちょことジープに乗って庶民の生活を垣間見て楽しむ、お金持ちの道楽。タイトルを失念しましたが倉沢愛子先生の本に、非常に近いエピソードがあったのを思い出しました(インドネシアにジープニーはありませんから、バスだったと思いますが)。

 さて、私のマニラでの任期は、来年3月末までとなりました。あと1年弱はこちらにいますので、関係者の皆さま、今後ともよろしくお願いいたします。マニラにお越しの際はぜひご連絡下さいね。そして、我が家にもどうぞお立ち寄り&お泊まり下さい。

 …と書いた矢先に藪から棒ですが、最近、自分が任期を全うできない可能性、任期満了前に契約を切られて帰らされる可能性について、漠然と考えることがあります。
 私は現在は、十分な報酬を得て、良い待遇の下で働いていて、傍目からはそれなりにエリートに見えるのでしょうが、もし私が何らかの事情でうまく働けなくなったら、すぐに切られるでしょう。いえ、物理的に働けなくなる前に、その兆候が見られた段階で、余計な問題を起こさないうちに、直ちに日本に帰らされるでしょう。この職場はそういうところです。いえ、たぶんこの職場に限らず。私のような下っ端労働者、代わりはいくらでもいるのですから。
 あくまでも仮定の話であって、具体的にそのような動きがあるという意味ではありません(だから心配しないで下さい)。ただ、そういう可能性も十分にありうるのだ、ということを、最近ではしばしば考えています。仮にそうなったら、自分が失うものはどれくらい大きいのだろう、とも考えます。(取り越し苦労? あくまでも仮定の話です。)
 私はずっと、自分はネオリベ社会の勝ち組になるんだと信じて疑いませんでした。少なくとも日本社会の中では、やる気さえあれば人は上昇できるのだし、フリーターになるっていうのはやる気が足りないからで、多くの場合失業は自己責任で、プロカリアートなんて言葉は自己憐憫者の責任逃れだ、と思ってきました(いまも、かなりの部分はそう思っています)。でも、自分の進退如何では私もいとも簡単に正反対の立場に転じるのかなって、ごく最近ではそう思うようになりました。
 今年も、5月1日のメーデーの集会を見に行きました。相変わらず、身につまされも共感もしないけれど、例年よりも真剣にスピーチを聞いてしまいました。特に、6ヶ月ごとに切られていく、工場やコールセンターやデパートやスーパーやファーストフード店の契約労働者の話。そうそう、フリードリヒ・エーベルト財団がごく最近、6ヶ月ごとの契約ベースで働くフィリピンのコールセンターの労働者事情についての研究レポートをまとめました。コールセンターに終身雇用というのもちょっと考えられませんが、6ヶ月後に切られることがわかっている労働というのはかなり深刻です。そして、フリーターが組織化されにくいのと同様、契約労働者はきわめて組織化されにくいから、彼らはデモにもほとんど姿を現さない、声を上げない、不可視的な存在なのですよね。

 先日、職場のフィリピン人秘書が辞めていきました。そのポストの人が辞めるのはこの1年で3度目ですから、待遇に問題があるのは歴然としています。私が思うに、うちの上司が秘書を怒鳴りつけることが一番の問題。上司を変えることは容易ではありませんから、当面は、私が秘書をなだめながらそれとなく教育し、日本人上司と秘書たちの橋渡しをしなくてはならないのだと、ずっとそのように努めてきました。
 が、そんなにうまくはいきません。秘書が失敗するたびに、上司は私の教育が悪いからだと言い、秘書は私に愚痴を言い、その繰り返し。上司と会話をするのが怖い秘書は私を通じて上司の意向を探ろうとするし、上司のほうも秘書と話したくないのか、何でも私を介して伝える。そのせいで私の仕事が倍増することもしばしばで、彼女が秘書なんだか私が彼女の秘書なんだかわからなくなってきて、だんだん私も苛々してきて、秘書なんていなくていいよ、とすら思うようになりました。他人に対して「使えない」なんて言葉は絶対に使いたくないのですが、それに近いことは思いました。まもなく6ヶ月というとき、私は上司に、
 「君があの子をもっとちゃんと教育してくれるなら、正規雇用に移行してもいいけど、正直、僕は不満なんだよね。まあ、君らの判断だから。」
と言われました。私は心の中で思いっきりむーっとしながら、必死でそれを隠して笑顔を作って、
 「申し訳ございません。ご不満なら別の子を探しましょう、いまなら6ヶ月以内ですから、まだ切れますよ。」
と言ってしまいました。
 私は本来、秘書を守らなくてはならなかったのに、その場の感情で、汚れたボタンを、上司に代わって押してしまったのです。
 結局、その数日後、本人のほうから辞任の意思を伝えてきました。周りは「円満退職で良かった」と安堵していて、そんな言葉を使いたくないと思いながらも、やっぱり私も安堵していました。
 自分もいつ、そうやって切られるかわからないのに。
 弱者の視点、なんて、いっそ自分が本当に弱者になってみないとわからないのでしょう。

 私にさらに追い討ちをかけたのは、その彼女、
 「昨日、仕事を続けるかどうか迷っている、と父に言ったら、好きじゃない仕事なら辞めたら、と言われたので、今日をもって辞めます」
と、1日で電撃辞職してしまったこと。次の仕事のあては?と聞くと、
 「とりあえず家事手伝いをして、趣味の合気道をやろうかなと」
 そんなのでいいの? Azumaさんのblogを思い出してしまいました。
 私だったら、仕事を失ったら家族に顔向けできませんよ。母の日に実家に電話して、「給与が上がったからまた何かおいしいものを送るね」と言えることが親孝行だと思っていますから!
 労働することと生きていくことは同義。このゲームのルールが自分の不安の根幹を占めているのはわかるけれど、このゲームから降りて、私が最も懼れる「失業者」に、「弱者」になってみたら、まったく違ったものが見つかるのかもしれないけれど…、私は、絶対に降りません。
 そういうの、負け犬の遠吠えっていうのでしょうか?
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by saging | 2008-05-11 16:31 | フィリピン勤務('06~'09)
柔軟であること
 2月25日の「22年目のエドサ記念日」以降も波瀾万丈のフィリピン政治。我が職場も上司も大荒れでした。
 私は現在の職場の上司たちをとても尊敬しています。どの方もものすごく勉強家で、世界規模の視野をもち、どんな話題にも臨機応変に対応でき、恐ろしく仕事のできる方ばかり。しかし上司はジェネラリストなので、フィリピンだけを見ている私とは認識が異なることがしばしばあります。それは当然のこと。仮にもフィリピン政治の専門家の卵を目指している分際で、そしてお給料をいただいている私は、こんなときこそ冷静に的確に事態を把握し、自分の見方をうまく上司に伝えなくてはならないのですが、私のコミュニケーション力は絶望的に不足しています。最近ではやっと、これまで遠慮して言わないようなことも「言わなくてはならない」と思って、オブラートに包みながら思い切って口にしてきたのですが、結果的には上司の言葉に振り回され、昨年後半ごろから、物事をうまく処理できないことが多くなってきました。
 先日、政府の汚職疑惑に関する上院公聴会(TV生中継)で、ある政府関係者が大統領夫妻への「賄賂前払い」の金額について証言している最中に元政府高官から電話があり、私がそれに応対していると、ある上司が、
「おい、いまの、いまの聞いたか? メモしたか? なんて言った!?」
と叫びだし、電話中の私が答えられずにいると、
「こんなときに誰と電話してるんだ? TVに張り付いててくれなきゃ困るだろう! 今のとこは重要なんだから、ちゃんと見ててくれないと困るんだ!」
と、相手に聞こえるような大声で激怒。
「別に、LIVEで見ていなくたって、どうせ翌日には新聞に載るし、いまの時代、『重要発言』は切り取られて、数十分後にはYouTubeでTV局のウェブサイトに掲載されて、何度だって見られるのですよ。」
「…というか、贈賄の額なんてもう、どうでもいいのでは。この人の発言はすべて伝聞でしょう。重要なのは『大統領家が贈賄に絡んでいたこと』を示す直接的な証拠であって、こんな伝聞証拠ではありません。」
「貴殿にとっての『重要発言』と、フィリピン的な文脈の中での『重要発言』は違うのです。なにが本当に『重要』なのかを見極めるには、10時間以上に及ぶ上院公聴会を生で聞くよりも、翌日の報道を見たほうがずっといいですよ。」
と私は、心の中で思いました。
 上司は非常に熱心で行動の速い方なのですが、ニュースの中で少しでも思うことがあると
「今の聞いた? あれ、どういうこと?」
との質問が飛んできますから、それに対応しようと思っていると、おちおち電話もしていられず、落ち着いて文章も読めず、うっかり席も外せません。雑務はできるだけ早朝か夜にこなし、新聞は必ず上司の出勤前に読んでおくようにしても、政情が流動化しているときこそ外に出て人に会って話を聞かなくてはならないのだし、その他の雑務も毎日毎日、まるで五月雨のように無数に降りかかってくるし、まさか、終始TVをモニターしているわけにはいきません。

 …と、一言で言うと、私は上司の指示を理不尽だと感じ続けています。そしてそれ以上に、それを見て見ぬ振りをする周りの「コヤクニン的」な人々に本当に失望しています。私は、怒鳴られても職場では決して感情を表に出さず「いつも笑顔」でいることに決めている私に対し、
「君は、怒られても流せるタイプだからいいよね。」
「君は『お気に入り』だからいいよね。」
「いいよね、君は女性だから。」
と言ってそそくさと帰る人たち。私は気にしないように努め、笑って適当に返すようにしています。これも仕事のうち、そして経験のうちなのですが、膨大な雑務を抱えたまま深夜や週末のオフィスに残されると、さすがにフラストレーションが溜まります。

 ちょうど調査旅行でマニラにいらっしゃっていたフィリピン研究の先輩Azumaさんには、今回は研究の話を差し置いて、こんなことばかり愚痴ってしまいました。日々「政治」にかこつけて大きなことばかり考えているくせに「職場の人間関係」なんて月並みで世俗的なことに悩み、自分の半径5メートルのことで心を泡立てるなんて、本当に大人気ないですのですが、Azumaさんはそれを当たり前のように聞いて建設的に返してくださいました。大人です。というか私が子供っぽいだけでしょうか。どんな話題にも対応できる柔軟さ、本当に尊敬しています。ありがとうございました。

 Azumaさんと話していて気づいたこと。何はともあれ、仕事をスムーズに進めることが最優先ですから、爆発しないようにしないとけません。 八方美人であることは私の特技の一つで、職場では絶対に負の感情を出しません(このblogを見てくださっている、私の実の姿を知る友人たちが聞いたら卒倒しそうですが)。だから、もし爆発するとそれこそ大変なことになります。それに、周りがすべて男性であることも考慮しなくてはなりません。女性って往々にして、言いたいことを言わずに溜めこみ、過去を感情とともに頑固に記憶し、何かきっかけがあると突然に感情的にそれを爆発させると共に過去の恨みを総ざらい思い出し、「あのときもこうしてくれなかった」「あのときもこうだった」と一気にぶちまける傾向にあります。常套句は、「あなたは(この人は)何を言ってもわかってくれない」。
 相手にしてみれば、「普段から言ってくれなければわからない」わけで、不満があるなら、その場で言えばいいのです。仕事が多すぎて苛立っているなら、溜め込まずに
「私を置いて帰らないでください。」
「私一人ではできないので、職場に来て、手伝ってください!」
と言えばいいのです。どうしてもその場で言えないなら、あとからでも、
「あのとき、この点が理不尽だと思ったので、次からはこのようにして下さいませんか?」
と理性的に言えばいいのです。
 …と、頭でわかってはいるのですが、なかなかできるものではありません。煮詰まった深夜には、このサイト(ぜひ訪れて下さい、おすすめです!)を何度も見ては自らのコミュニケーション意識の変革をはかろうとしているのですが、そんなにうまくはいかず、相変わらず私は、八方美人を装って言葉を呑み込むばかりです。

 Azumaさんがビサヤでの調査に旅立つのと同時期に、私もビサヤ出張が決まっていました。1年に1度の出張。過密スケジュールを立てながらも、とても楽しみにしていました。しかし直前になって、マカティ市での大規模デモ、etc, etc…
「君には首都圏にいてくれないと困る。出張は中止してくれ。」
と上司に言われました。
 カトリック教会も国軍も動かない現在、この程度では何も変わらない、少なくとも数ヶ月以内には何も起こらない、と確信していた私にとって、それは大きなショックでした。でも、「何も起こりません」と主張して上司を相手に戦ってみても、何も起こりません。中止となれば、現地で調整してくださっている方々だけでなく、年度末の超繁忙期の会計課や人事課に新たな作業負担を強いることになります。結局、もっとも周りに迷惑の及ぼす範囲が狭いと思われる「日程短縮案」に、上司の許可を得ることができました。
 初めてのネグロス、かつ、初めてのイロンゴ圏でしたが、F大学の皆さまの人脈のお陰で、ずっと話に聞いていた「ネグロス民衆運動の生き字引」のような方に多数お会いいただくことができました。現在の自分の所属とこの旅行が仕事上の「出張」であることを、私は非常に気にしていましたが、相手のほうが逆にその点をとても配慮して下さっていて、本当に恐縮しました。私と会うことにある種のリスクを感じておられるに違いない人たちが「職種も所属にも拘らないよ、人は常に複数の帰属を持つのだから」と語り、それを裏付けるように、「共産主義だけではなく、カトリック教会、広範な民主化運動、時には大地主や地方ボスとすらくっついたり離れたりしながら様々な形態をとってきた」民衆運動の歴史を語って下さいました。当たり前のことですが、判で押したような伝統的政治家とか、判で押したような左派活動家とか、判で押したようなノンポリ中間層なんてそんなに転がっているわけではなく、誰もが、さまざまな思想やさまざまな組織、さまざまな帰属の間を選択的に戦略的に移動しながら生きているわけですものね、私自身もそうであるように。ネグロスの壮大な歴史はそれを非常にリアルに見せてくれます。
 いまの仕事をしていると、いつもいつも「ビジネス界はこう動く」「○○党はこう動く」「貧困層の意識はこういうもの」と、あたかもすべての人々がブロック単位で行動しているかのような文章ばかり書かなくてはならないのですが(帰属意識だの個々人の選択だの戦略だのといった話は、この職場ではもっとも嫌われます)、ネグロスにいる間は、久しぶりにそうした観念からは完全に解き放たれました。
 どんなストーリーでもっても決して美化できない闘争の土地にいながら開放感を憶えるなんて外部者の不謹慎かもしれませんが、私は出張を正直に本当に愉しみました。母校を思い起こさせるシリマン大学のプロテスタント・チャペル、そしてとんでもなく美味しいビサヤ料理(とビサヤのお菓子)も、私をこの上なく幸せにしてくれました。ネグロスでお会いいただいたすべての方と、F大学関係者の皆さまに、この場をお借りして改めてお礼を申し上げます。

 短い日程を終えてバコロド新空港を発つ直前、上司の一人に、
「今回は、出張を認めてくださってありがとうございました。お土産にバコロド・チキンを買って帰りますから、よろしかったら、明日のお昼休みに一緒に食べましょう。」
という携帯電話メールを送ると、翌日上司は、奥さま手作りのおにぎりをお弁当箱に詰めて持ってきてくださいました。普段は仕事の合間に個々のデスクで無言で昼食をとることが多いのですが、その日は、会議室でチキンとおにぎりを広げてネグロスの話をしながら、まるで遠足のようにお昼休みを過ごしました。
 そんな本当に単純なことで、とても気が晴れました。ネグロスのお陰です。
 その後も、仕事は山積みで、上司は怒鳴りつづけ、周りの人たちも相変わらず非協力的だけれど、できるだけそんなことで心を泡立てないようにと、自分に言い聞かせています。相手を変えることはできないのだから、せめて自分のものの見方、心の持ち方を少しでも変えられればいいと思います。ネグロスの語り手から教わったように、私も柔軟に、帰属意識をうまく使い分けながら、異なる世界をうまく移動しながら生きていきたいです。
 Happy Easter!
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by saging | 2008-03-14 23:44 | フィリピン勤務('06~'09)
2ヶ月
4月17日にマニラに赴任して、はや2ヶ月になります。

3月の○ヶ関での研修も十分に楽しかったけれど、ここマニラでの新しい仕事は、本当に楽しいです。ここに来なければ一生体験できないようなことばかり。きわめて一面的で「狭い」フィリピン、「狭い」政治しか知らない私は、広い(ある意味偏っているけど)視野でフィリピン政治を見ること、国家の存在を第一前提とすること、○交というパースペクティブで物事を捉えること…が当然のこととして求められる今の仕事にはまだ到底、慣れたとは言えませんが、毎日が未知のことばかりで、非常におもしろいです。もっとも、私はあまりに素人なので、上司にとっては甚だ迷惑だと思いますが…せめて早く仕事に(というかこの世界に)慣れるように努力します。

ここで私に課せられた主な研究課題は、”opposition”(野党だけではなく、いわゆる反政府勢力という意味)。赴任1週間後からは、さっそくインタビューに出歩いています。私がお会いするのは、主としてNGOや「活動家」やメディア関係者ですから、基本的に、これまでやっていたこととたいして変わりません。
が、赴任早々、エストラダ・サポーターにも会いに行き、5月1日のラリーも見学(参加)し、あまりに”opposition”にばかり出かけていたものですから、2週間目にして直属の上司から、
「そちら方面に詳しいのは大いに結構ですけど、政権側の視点も取り入れてくださいね!」
と苦言を呈されました。
本当に、おっしゃるとおりです。すぐのめりこむのは私の悪い癖です。やっていることはこれまでと何も変わっていないようでも、アプローチは恐らく90度くらい異なります。時間をかけてディティールばかり突いていたこれまでと違って、膨大な情報の中から大切と思われるものを抽出し、情報を収集し、それをできるだけ迅速に手短にわかりやすく、上司(日本)に報告することが求められるし、上司(日本)への配慮と「効率」が最優先されます。今までは、自分でアポを取り付けるために毎日、必死で電話をかけ、外出先でうろうろと路上のPayphoneを探し…とやっていたところが、アポ取りは秘書に頼み、仕事では職場の車を使い、通勤と万一のために個人でも車を所有し、ドライバーを雇い、コンドミニアムに住んでいます。だから私はよく、かねてからの友人たちに、
「もう、pang-masa(民衆派)じゃなくなったみたい」
「もう、ジープニーの路線なんて忘れてしまうかも」
と自嘲的に言いますが、けれど、私は自分の現在の立場を決してマイナスには捉えていません。たぶんそれも仕事の一部なのだし、それも経験のうちなのでしょう。こんな世界だから、「足並みを揃える」ことって必要なのです。

…でも、それはそれ。基本的には、本当に何も変わっていません。
もう、赴任直後は、上司からさんざん、
「あなたが平気でスラムに出入りしているとかいう噂はかねがね、あなたの先生から伺っていますが、今後はどうぞお気を付けください!(私の指導教授はかつてこの職場で働いておられ、今もissue-basedで関与しておられます)」
「言っても無駄かと思いますが、あまりそのへんの食堂で食べないようにしてください。」
「…言っても無駄かと思いますが、基本的にジープニーなど公共交通機関は利用しないように。」
などと言われたのですが、キアポで30ペソで買った「ダヴ○ンチ・コード」のDVDを悪びれず同僚や上司に貸し、いまだにジープニー路線を基準にしか地理を説明できない(ここからここは遠いの?と訊かれて、うっかり「ジープ二本で行けます」、「ジープで8ペソで行けます。」と答えてしまう)など、うっかりボロを出してしまう私のことですから、2週間も経つと、誰からも何も言われなくなりました。

COMのオーガナイザーを初めとした活動家の旧友とは相変わらず、毎晩のように電話したり会ったりしています。お弁当を持って行かない日には、平気で昼休みに「そのへんの食堂」に出入りし、金曜の夜になるとジープでケソン市に戻り、友人「武簿威」の家に泊めてもらいながら、実はまだ終わっていないパヤタスでの調査を継続し、その他の元調査地にも通い、あの頃のように礼拝に参列したり、インフォーマントの方々の家に行ったり、バランガイの催しに参加させていただいたり。そして、大好きなLITEX(パヤタスの近く。ベンダーが多く、野菜や果物が安い)やキアポ(LITEXより安いものもあるけれど、概ねLITEXと同価格)で一週間分の野菜や果物を買い、ついでにPhilcoaにも寄って、同志Wさん(ベンダー研究)のホストファミリーのところでおいしいハムやソーセージやトシーノを買って、来るべき一週間に備えます。(PhilcoaのGreenwichの前のリヤカーです。探してみてください。ここのハムとソーセージは下味がついていて、お弁当の野菜炒めには最適!)

私は毎日をとても楽しんでいます。私は以前はもっと悲観的な性格で、特に10代の頃に所属していたNGOの仲間には本当に多大なご迷惑をお掛けしましたが、3年前にフィリピンに1年間留学したことで性格が180度変わり、大学でも職場でも、ことあるごとに「いつも楽しそうですね」とか、「楽天的ですね」とか言われるようになりました。

どんな環境でも楽しく生きることを、私はたぶん、フィリピンで学びました。特にスラムで。D地区で私をよく泊めてくれた家のおばちゃんは、猫みたいなサイズの鼠を捕まえようとして手首を噛まれて破傷風で死んでしまった夫の一周忌に、近所のおばちゃんたちをスラムの狭い家に集めて、音楽を流してダンスパーティを開き、出身地のサマール島から知人が差し入れてくれたトゥバ(ココナツのどぶろく)を飲んで大騒ぎしていました。私が心から信頼しているコミュニティ・オーガナイザーのB兄は、偉大な農民リーダーであり戦争中はフクバラハップ(抗日人民軍)であったお父さんの葬儀で、13人もいる兄弟姉妹たちと共にに、参列者を笑わせるスピーチを繰り返しました。
もちろん私だって、何でも「笑い飛ばす」、「笑って済ませる」フィリピンの人たちのことを、不真面目だと思って本気で腹を立てたことは数知れず、今でも苛々することはあるけれど、でもきっと、楽しいことは強いことです。
私も、この新しい世界で、できるだけ人に迷惑をかけない範囲で、楽しく強くありたいと思います。
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by saging | 2006-06-16 01:23 | フィリピン勤務('06~'09)
私のすまい@マニラ
前回の更新からかなり時間が経ってしまいましたが、お蔭さまで、無事赴任いたしました。赴任後約2週間は、以前からお世話になっているSta Anaの川沿いの下宿と、ケソン市の武坊威の家に交互にお世話になっていて、相変わらず、鼠に噛まれたり、ゴキブリと格闘したり、さんざん蚊に刺されたりしつつ、本当に幸せでした。しかし周りの目を考えると、さすがにいつまでもそこにいるというわけにはいかず、一人暮らし用のコンドミニアムを借りなくてはなりません。私の職場に出入りされている不動産業者の方に、正直に、
「最安値のところで、かつ、職場にもケソン市にも公共交通で行けるところをお願いします。」
と、私の予算の上限を申し上げて、探していただきました。不動産業者はとてもとても親切に、間違いなく「最安値」で「公共交通が豊富」なところを紹介してくれました。ケソン市までジープが出ており、LRTの駅に近く、かつ、職場までもFXで10分という、マニラ市のとある海沿いの建物です。最安値と言っても、とても良いところです。いやもちろん最終的には職場から住居手当を得られるのだから、実際に私が払う分は留学時代以下になるのですが、問題は、フィリピンでは通常、住居の契約には最初に3か月分の前払い+1か月分の敷金=デポジットを要求されるので、ものすごい額の初期投資が必要になるということです。5月末にならないと住居手当と初任給を手にできない私には、どう考えてもそんな大金は工面できず、不動産業者を通して、オーナーに自分の工面できる金額を正直に話しました。中華系フィリピン人であるオーナーは、私の服装(ウィークデイはがんばってBusiness Attireにしているつもり)と、私の名刺の肩書きをじっと見つめ、
「本当ですよね? あなた、本当にここで働いてるんですよね? なのに、前払い金がないんですか?」
と何度も確かめ、私は自分のIDカードを見せながら、
「はい。確かに私はここで働いていますが、初任給も住居手当は5月末にしか入らないのです。」
と答えました。結局、オーナーは、敷金の免除と前払い金の支払期限の延長を認めてくれました。ごめんなさいオーナー。私はさらにオーナーに対して、
「できれば、実質的な家具を貸してください。ソファーセットも豪華な飾り棚も、お湯の出るシャワーもバスタブも、エアコンも要りません。なんなら、ベッドも要りません。床で寝ますから。ほしいのは、もっと生活に役立つものです、物干し台と、最低限の調理器具と、大きくて頑丈な扇風機と、アイロンと、勉強机を貸して下さい。」
と要求しました。オーナーは私のすべてのリクエストにあっさりと応じてくださり、さらに、ベッド(客人用も!)、ベッドリネン、電気スタンド、自動洗濯機、テレビ、DVDプレイヤーまで貸してもらえることになりました。

…というわけで、初期投資をなんとか最少限に抑え、4月28日(土)にやっと、現在のコンドミニアムに引っ越しました。けれども、広すぎる部屋に恐れをなした私は、その夜はついに一睡もできず、数年ぶりに「金縛り」に遭い、その数日後には台風が来て、耐えられなくなった私はケソン市にいる武坊威の家に逃げ込みました。彼らの家は停電していましたが、自家発電装置のあるこのコンドミニアムに一人でいるより、真っ暗でも彼ら家族といるほうがずっといいです。セブ・パシフィックの国内空港カウンターで働いている武坊威の従妹に同居を持ちかけたのですが、彼女も、
「こんな広いところで眠るなんて無理!」
と言って、数日で出て行ってしまいました。その後、マニラ市で働くコミュニティ・オーガナイザーの友人(男性ですが、単なる友達。非常に信頼できる人です)を招いて我が家に一泊させたことがありますが、彼も我が家の広さにただ愕然としていました。

いえ、一般論を言えば、周辺環境は別として、我が家は、立地も住み心地も申し分なく良いところなのですが…慣れない身には、多少、良すぎるようです。エアコンが3つもついていますが、マニラ湾に面したコンドミニアムの最高層階にあるこの部屋は、締め切っていても涼しく、窓を開けると本当に快適で、扇風機も要らないくらいです。マニラ湾岸の簡易バーでは各種バンドが毎晩(特に週末)腕をふるって生演奏をしているため、窓を開けると結構やかましいのですが、夜景は最高です。コンドミニアムの裏は、路上生活者と新築コンドミニアムと廃れた飲食店やゴーゴーバーが同居するエリアですが、近くのカンティーンのおばちゃんたちはとても良い人で、おかずも安くて、私は毎日通っています。家が広すぎることと、マカティに比べると多少治安がよろしくない以外は、まったく素晴らしいところなのです。

今は、フィリピンで調査中の大学院の同期の友人が住んでいますが、広くて快適な我が家、まだスペースはありますので、知人の皆様、ぜひ来てくださいね。
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by saging | 2006-06-16 01:13 | フィリピン勤務('06~'09)