Keso de Bola とは、 「表面は赤いのに中は黄色い」フィリピンのボール型チーズ。転じて日和見主義者。       かつてお世話になった、現地の言葉で「灯台」と呼ばれるマニラ湾岸のスラムを、ガラス越しに。
管理人sagingより
ホームページ:日和見バナナ

ご連絡はsaging[at]46ch.netまで
以前の記事
検索
カテゴリ
人気ジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
政治学者への幻想
 ここ数週間は、仕事で新規案件の〆切が続いたことに加え、週末ごとに学会や研究会があって、なんだか嵐のようでした。今日は久しぶりに、何もない週末。本を読んで、ジムを堪能しようと思います。
 
 NGOでの仕事と研究者としての活動を激しく行き来するなかで、私は4月以前とはまるで別人のようになってしまい、心の振れ幅がとても大きくて困ります。
 議員秘書でいたときは、黙ること、余計なことを口にしないことを、誰に強いられたわけでもなく自然に身につけ、そのように振る舞っていました。私は上司(議員)に対して「尊敬しています」とも「ついていきます」とも一度も言ったことがないし、そもそも雇用契約書というものが存在しない雇用関係だったし、上司に私自身のプライベートな話をしたことも皆無なのですが、それでも上司は、私が何があっても彼を守るつもりでいることも、私が仕事を楽しんでいることも理解していたと思います。そして私も、上司からは褒められることも承認を受けることもなかったけれど、彼が私を信頼してくれていることをいつも確信していました。ある種の政治の世界では(永田町では、とは敢えて言いません)、忠信とか信頼とかいうのは、言葉じゃなくて行動で示すものなのですよ…。すごく日本的というか封建的です。(もちろん、これが永田町の典型、というわけではありませんが、ベテラン議員事務所のひとつの典型ではあると思います。現在の民主党の若い(当選回数の少ない)議員やいわゆる「市民運動出身」「市民派」を標榜する議員の事務所は傍目で見ていても恥ずかしいくらいアツいですし、そういう事務所の秘書さんからは、 「sagingさんは若いのにまるで永田町の人みたい。何考えてるかわからない。秘書って上司に似るんですね」と揶揄されてきました。似てませんって…!! 私の元上司を知っている方は笑ってください。)

 NGOに転職してからというもの、うってかわって「話さなければ始まらない」状況におかれています。いろいろなキャリア・バックグラウンドをもつ経験豊富な人たちがなぜかこんな給与の低い弱小NGOに結集して一緒に仕事をしようとしているのですから、何をするにしても、きちんと言葉で説明しないとチームプレイなんてできないのです。民間出身の人は、民間企業の常識はこうだから私はNGO運営のここが理解できないんです、とはっきり言わないといけないし、私のようなよくわからない風来坊バックグラウンドの職員は、外務省出身の人たちがうっかり使ってしまう意味不明な役所用語や独特の言い回しを、役所経験のない人たちに解説しなくてはなりません。日々の些細なそんな会話の中で、お互いの強みや弱みが露わになり、職員同士のあまりのカルチャーの違いが露わになり、これはたいへんだと皆が思うようになり、各自が仕事に精を出すというわけです。
 在外事務所の職員との関係もたいへんです。駐在職員って往々にして「本部の人間は現場の苦労を知らない」と思っていて、すべての不満を言葉に凝縮させて表現する傾向があります(私もフィリピンで働いていた時はそうでした)。ましてや、現場での日々のストレスに悩まされ、過去にうまく本部とコミュニケーションができなかったネガティブな経験ばかりを思い出しては「どうせ何を言ってもわかってもらえない」と思っているような職員であればなおさらです。彼らの「あなたたちには現場のことはわからない」という「マジックワード」の裏にある具体的な不満とか意見とか提案とかを吸い上げられるようなオープン・クエスチョンをしていかないといけませんし、彼らに「話をきいてもらえた!」と思ってもらえるためには、私も自分のことを話さないといけません。(私の好きではないコーチングの世界ではこれをアイ・メッセージと言います。)
 いまの職場は、NGOのくせにやたらとハードコアでクールな事業を実施し、職員もクールで、熱血do-gooderや国際協力に夢をみる人たちは皆無です。私にとってはとても生きやすい世界のはずです。それなのに私はなぜか、私よりずっとクールなはずの他の職員から(軽口のなかで)
 「sagingさんは斜に構えすぎです。あなたはNGO職員なんですよ?」
と揶揄されて必要以上に動揺したり、在外事務所との熱いコミュニケーションを模索したりしなくてはならないのです。
 私は実は熱血コミュニケーションが好きなのですが(だってコーチング研修も受けたくらいですから)、自分がそれにのめりこんでしまうことが怖いので、そして、そういう「青さ」に耐えられないので、普段はクールに(友人Wさんの言葉を借りれば「ツンデレに」)振る舞うようにしています。

 そして私はこういう状況(職場で意識的に饒舌でならなくてはならない状況)をうまく消化できないままに研究会に出席しては、ハイになってさらに喋ってしまい、そして、私よりずっと出来る先輩や同年代の仲間たちから、
 「sagingさんの思っていることはこうなんですよね、それは政治学/社会学/人類学的に言えばつまり…」
と解説してもらっては「救われている」、そんな毎日です。
 先週末のフィ●ピン研究会全国フォーラムは私がもっとも心地よく感じる、もっとも気のおけない人たちと結集できる貴重な場でした。研究会の後の懇親会(それも2次会)で私は、自分が職業研究者にならない理由について、
 「大学に就職した同年代の研究者を見ていても幸せそうに見えない。」
 「学内政治だとか、教授との関係だとか、雑用だとか、やりたくもないつまらない調査にとりあえずファンドが付いたからしかたなく食べるためにやっているのだとか、普通の人が20代前半のうちに経験するような青い愚痴を恥ずかしげもなくむしろ得意げに披露する同年代の研究者に苛々する。」
 「学会や研究会のたびに私はあなたたちの排他性に絶望する。大学に就職した者同士で固まって、学内政治やポストの話ばかり。久しぶりに会うのだから研究の話をしたいのに。それが研究者になるということなの?」
 「同年代の誉れで憧れの研究者になったはずのあなたたちの不毛さに失望する。政治学者のくせに学内政治を楽しむことすらできない、研究者としての自分を客観的に見ることもできない、私はあなたたちにそんな研究者になってほしくはなかった。」
…などと言いたい放題の発言をして、私の大好きな研究仲間の友人たちを少なからず傷つけました。ごめんなさい。
 職場では一つの言葉を紡ぎだすにも気を遣うくせに、気心の知れた友人たちに対してはそんな暴言を吐くことしかできない自分にひたすら苛立ちました。

 本当は、私は職業研究者に「なりたくなかった」のではなく、「なれなかった」のです。
 「なりたくなかった」のは事実です。そもそもなろうとしたことがないし、興味がないし、学振にも大学のポストにも一度も応募したことはありません。
 博士課程在籍中――つまりフィリピンの「日本の役所」で働いていたころ――、私は政治学者でありながら自分の置かれている状況をうまく説明することができなくて、数ヶ月おきくらいにフィリピンに調査に来ては我が家に泊まって私の話につきあってくれる友人たち(政治学者のWさんやTさんや人類学者のAさんやMさん)や指導教官に依存して、彼らが私の日々のストレスをスマートに吸い上げてアカデミックに分析してくれることに感銘をおぼえていました。そして彼らを見ていて、自分はどんなにトレーニングを重ねても決してあんなふうにはなれない、自分が職業研究者として教壇に立つのは百年早い、と痛切に思い知ったのです。
 努力をすれば研究者になれたのかもしれません。私はフィールド調査が好きだし、文章を書くのも好きだし、英語論文を読むのも早いし、theoreticalな話も大好きだし、別に人当たりも悪くないし、きっと学内政治だってうまく乗り切れると思います。でも私には、他者への想像力というものが決定的に欠けているのです。そして想像力というのは、政治学者としての素質の根本を成すものだと私は思っています。
 フィリピンにいたころ、役所で働いた経験のない、いえ、役所にかぎらず社会人経験のない友人たちが、私のつまらない愚痴をきいては、役所の論理や役人の論理を政治学や人類学のフレームワークを用いて鮮やかに解き明かしてくれて、そのことに私はものすごく救われたのですが、同時に、私はあのころ、自分が研究者にはなれないことを確信していました。彼らがどうしてあんなに、未知の分野、経験のないことに想像力を働かせて他人を救うことができるのか、私にはさっぱり見当がつきませんでした。そしてとても悔しく思いました。私は、自分が経験したことしか自分の言葉で語ることができません。想像力の欠如というのは、政治学者として致命的な欠陥です。それに気づいたとき、私は、自分の人生の目標である「日本政治と日本の市民社会のmediatorとなること」を、政治学者として追求するのは諦めました。その代わり、異なる世界を――民間企業、官、政、アカデミア、NGO――を、順番に経験して「エクスポージャー」をして、そこからmediation pointを追求していくことにしました。

 研究仲間の皆さん、特に政治学者の皆さん、ごめんなさい。私はおそらく、勝手に職業研究者を美化して、勝手にあなたたちに期待して、その期待どおりに動いてくれないあなたたちに勝手に苛立っているだけなのです。
 
 嵐のような学会・研究会続きの数週間が終わって、私に残ったのはそんな反省ばかりです。でも、こうしたことに改めて気づくことができたのも、やっぱり研究会の場でした。それも、政治学ともフィリピン研究会とも関係のない、職場の上司と一緒に出席した「安全保障系」の研究会です。
 平日の夜に開催される、平和構築・安全保障系の研究者プラス防衛省、陸上自衛隊、防衛研究所のなかで研究マインドの高い人たちが結集するそのクローズドでチャタムハウスルール適用のその研究会に、私は、NGO職員としてなのか政治学者としてなのかよくわからない微妙な立場で出席しました。報告者は博士課程の院生。リサーチクエスチョンと仮説と実証が乖離しすぎのどうしようもない報告で、私のみならずすべての出席者は苛々していたと思うのですが、質疑応答がすばらしかった。私の上司は真っ先に挙手して「NGO職員です」とわざわざ強調して発言(でも内容は完全にアカデミック)。それに続き、陸上自衛隊が、
 「お前の報告はすべて机上の空論。データは豊富だが結論がわからない。リサーチの体裁をなしていない。俺から言わせれば、そのリサーチクエスチョンへの答えは●●●●…10秒で終わりだ。」
…という意味のことをものすごく大人な洗練された軍人らしい言葉で述べたり、防衛大学校の方が、軍の論理から見たプリンシパル・エージェントモデルについて話しはじめたり、とにかく、ものすごくおもしろかったのです。実務者の英知がもっとも精鋭化された形で結集されるとこうなるのかと感動しました。
 私はもっともっと彼らとお話したかったので、終了後の食事をごいっしょさせていただいたのですが、そこできいた話たるやもうほんとうにridiculousでした。自衛官でありながら修士号を取り、理論と実践の統合の困難さをもっとも痛切に感じてきた人たちの(でもあくまでも洗練された)言葉は切実すぎて、私は内心、ものすごく感極まってしまいました。
 「軍隊は完結された組織でなくてはならない。軍のなかには掃除担当もお風呂を沸かす担当もいる。もちろん料理担当もいるし、医者も看護師もいる。そして研究者もいる。でも、研究者は軍隊の内部で完結してはいけないのだから矛盾ですね。」
 「『軍隊は言われたことしかやってはいけない』この言葉に込められた意味を理解できる民間人がどれだけいるというのでしょう。普通は曲解される。でも私は研究会でこの発言を続けたい。」
 「何も経験のない院生や純粋なNGOワーカーが、軍の論理なんて一切知らないままに無垢な正義感から自衛隊や軍を批判するのがやるせない。彼らは特に左派でもないし悪気もないのだろうけれど…。そして、おそらく向こうも、自衛官の話なんて聞いても無駄だと思っている。こんな現状のままで民軍連携だSSRへの市民社会の参加だなどと議論すること自体が、とても空虚に思える。」
…すごいですよ。普通の研究会ではまず出てこない話ですよ。
 私はフィリピンで働いていたとき、人権担当をしていたこともあり、軍や警察の方と仕事をすることが何度もありました。そしていつも、
 「君は国家の仕組みを何もわかっていない!」
と叱られたり、
 「君に悪気はないと思うけれど、そんなだから左って言われるんだよ!」
と言われたりしました。いま思えば、彼らのストレスは相当なものだったと思いますが、私はその経験のおかげでずいぶん変わりました。こんなふうに自衛隊の方々と意見交換ができるようになったなんて、あの頃の私からしたらとても信じられません。

 いまの職場に転職して、議員事務所とは違ったカルチャーの中で「口を開く」ことを訓練されたこと、何よりも議員事務所で働いていた頃よりも自由時間が増えて研究活動に向き合えるようになってきた、そして、NGOワーカーでありながら研究者である上司(安全保障系)の影響でそちら方面の研究会にもアクセスできるようになったこと、そうしたすべてが、この数週間のうちに私の生活を変え、私の研究への姿勢を変えてくれたことを心から嬉しく思っています。
 これまでと決定的に違うのは、私はいまでは、研究仲間以外の人たち(研究会で出会う異業種の人たちや職場の上司や同僚たち)に対しても、この投稿で書いたようなことを言葉にして話せるようになってきたということです。だから私は、きっとこれからはもう、自分の勝手に期待する「政治学者像」を仲間たちに強要してひどいことを言ったりしなくてもやっていけると思います。
 昨日、職場の上司(研究者)と食事をしたときに、私は正直にこう言いました。
 「いまさら何を言っているのかと思われるのでしょうが、私はNGOで働くことと研究者であることのアンビンレンツに、必要以上に疲弊してしまいます。駐在事務所の職員からの現実的なメールや電話を受けるたびに、私がこれまで研究者として主張してきたpeople centeredとかlocal ownershipっていったいなんだったのだろうと思ってしまい、ものすごい無力感です。そして、目先の辻褄をあわせてドナーを納得させて安定的なファンドを獲得することだけに夢中になってしまう自分が許せません。ファンダメンタリストだったはずなのに、たかが2ヶ月でこんなに日和ってしまう自分は研究者ではありません。また、職場で些細な諍いが起こるたびに、自分が仮にも政治学者ならばどうしてこんな問題すら解決できないんだろうと思います。政治学者の友人たちと険悪なムードになってしまうたびに、こんなために自分は政治学を勉強したのではなかったのにと思います。…でも、私が思い描く政治学者なんて幻想なのです。だって実際、学内政治をスマートに処理できる政治学者なんていますか? 業績のある著名な政治学者ほど身近に敵が多いし、平和学者たちは自分の周りの紛争をおさめることすらできない。…それはわかっているのに、私は完璧を求めたい。完璧なNGOワーカー、完璧な政治学者になりたいんです。そしてそんなふうに『青い』ことを考える自分がとても嫌です。」
 つくづく面倒くさい部下ですが、このどうしようもない私の発言に対する、上司の回答は秀逸でした。
 「NGOワーカーでありながら研究者でいるのか、研究者でありながらNGOワーカーでいるのか、私もよくわからないけれど、たぶん私たちは後者なのです。なぜなら私たちは、こういういかにも研究者らしい、ややこしくて結論のない話が大好きだからです。いつまでもこういう話で盛り上がっていたいと思う時点で、私たちは研究者なのです。職場でこういう話をしたら思い切り引かれると思いますが、私たちのなかではどんどんこういうつまらない話をしましょう。そして、ミクロ経済学者は、自分の家庭のミクロ経済は奥さんに任せているものなのですよ。」
[PR]
by saging | 2012-07-21 12:02 | フィリピン研究