Keso de Bola とは、 「表面は赤いのに中は黄色い」フィリピンのボール型チーズ。転じて日和見主義者。       かつてお世話になった、現地の言葉で「灯台」と呼ばれるマニラ湾岸のスラムを、ガラス越しに。
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「フィリピン研究」について その2
 今回の投稿は、このblogを読んでくださっているフィリピン研究仲間に向けてのメッセージです。
 内輪のお話で申し訳ないのですが…週末の研究会、楽しかったです。
 皆さま、ほんとうにありがとうございました。いろいろな制約上、1日しか参加できなかったけれど、それでも楽しかったし、普段使わない頭脳と感情をフルに使いました。

 博士号をとって1年が過ぎ、もうすぐ31歳になるのに、研究会で新しい研究を発表することもできず、キレのあるコメントもできず、後輩に何か模範を示すこともできない自分への反省は尽きません。
 でも、私には、フィリピン研究に対するひとつの野望(?)があるのです。前回のblogで、
 「practitionerとしての立ち位置からこそ、フィリピン研究に何らかの貢献をしたい。」
と書きましたが、それはつまり、フィリピン「研究」の「幅」を大きく広げることです。

 フィリピン研究者って、NGOとの融和性は、たぶんほかのどの地域研究者よりも高いのでしょうけれど、政府やビジネスセクターとの断絶が甚だしいのではないかと思います。

 私は日本の大学院の修士課程に3年、博士課程に5年在籍しましたが、特に博士課程のときはほとんどフィリピンにいたので、いわゆる大学院の施設内で論文を書いたことはありません。大阪で研修生受け入れをしていた中小組合やマニラの職場で働くほどに、大学院というものを敬遠したくなりました。私が博士課程でお世話になっていた大学院は比較的オープンなのですが、それでも、院生やポスドクの先輩の話はあまりに狭すぎて、せっかくの産学連携の機会においても初めから「産」を見下すし、研究職以外への就職を馬鹿にする風潮は溢れていて、残念に思いました。せっかく政治学なのに。そしてせっかく地域研究なのに。院生の分際で、「上から目線」すぎる。
 3年間マニラに住んでいたときは、職場の上司や同僚の「研究者アレルギー」を身体で感じました。「院生」や「学者さん」は「使えない」との先行イメージで忌み嫌われます。私はずっと自分が院生であることを黙っていました。職場以外でも、在留邦人の会合で知り合うビジネスマンはやはり「研究者」に厳しくて、特に人類学や社会学は「暇つぶしの学問」としか思われていないようなきらいがあって、非常に残念でした。
 そのあたりを痛感し、なんとかして、日本の若手研究者と、私がマニラで親しくしていただいていた大使館員やビジネスマンや邦人プレスの方々とを結びつける機会を創造したいと思っていました。自宅で勉強会を企画するとか、食事会を設けるとか。でも、私の中に明確なビジョンとか叩き台があったわけではないので、それらの計画もすべてなあなあに流れるだけでした。
 2010年選挙のとき、私は邦人プレスの方々から取材(主に貧困層の意識調査)への協力を打診され、私の出入りさせていただいているスラムのバランガイや住民組織の方々をご紹介して、あとは当人同士の合意で自由に取材していただく、という感じでご協力しました。私が住みこんでまで調査したはずのコミュニティでまったくの奇想天外な質問を始める邦人プレスを眺めるのも、あとから住民に「あの質問の意図はなんだ」と訊かれるのも、ひとつひとつが、本当に勉強になりました。ついつい対象にどっぷり肩入れしがちな地域研究者は、ニュースバリューを求める日本の読者の視点、投資家に売れる記事を書かなくてはならない外国人の視点といった、あたりまえの視点を置き去りにしがちです。もっと協力できたら、お互いにとって本当にwin-winだと思うのですが。
 
 2年前にタイ学会に出席したとき、全体会でタイの当時の政情についてのセッションがあったのですが、在タイの日本の商工会関係の方やタイへの投資家の方々が多数参加していたせいで、単なる「タイおたくによるタイ論議」ではなく、カントリーリスクや外交上の問題といった非常にマクロかつプラクティカルな議論がなされていて、すごくうらやましいと思いました。フィリピン研究の関連学会でも、機会があれば、大使館や外務省や国際交流基金や各種商工会などのビジネスセクターをセッションなり懇親会なりにどんどん招待して交流できればとてもいいのに。
 私がバンコクに滞在していた6ヶ月の間に、いろいろな研究会、勉強会に誘っていただいたのですが、バンコク留学中の学生や研究者のほか、大使館員、邦人プレスの支局の方々、JICA専門家、シニアボランティア、商工会所属の企業の駐在員、そして駐在員夫人までが集まって自由に議論をする会合やサークルがたくさんあって、やはりすごくうらやましく感じました。タイ語すらできない私も、報告の機会を与えていただき、フィリピンに駐在経験のあるビジネスマンや特派員の方々から、ものすごく貴重なアドバイスをいただきました。未熟な研究者の作法に則って報告をした私に対して、practitionerの方々が、正面から向き合ってくださったことが非常に嬉しかったです。私がマニラに3年も住んでいたときに実現したかったのはまさにこういうことなのだと思いました。いつかもういちど私がマニラに住むことがあれば、今度こそ、自分がそのような研究会を主宰したいです。いえ、日本でも、いつか、もう少し休日シフトの確定的な勤務体系に恵まれたら、私が研究会を立ち上げたいと本気で考えています。
 それから、個人的な研究関心としては、いますぐにはできないけれど、数年以内には私自身が、フィリピン政治と日本政治の比較みたいなことをやりたいと思っています。
 まずやりたいのは、EPAをはじめとする「議会の承認が必要な条約」の批准に際しての国内外での取引の研究です。議会での一票という強いカードをもつ国会議員と、圧倒的な情報をもつ行政府との駆け引きに、各種ステイクホルダー(EPAなら、各産業界やロビイストやグリーンピースのような国際NGOや看護協会やetc)が絡んでくるあのダイナミックな政治過程、実は、大統領制と二院制をとるフィリピンでも、ここ日本でも、驚くような共通点がたくさんあると思うのです。
 あと、表舞台の政治じゃなくて、不透明な便益供与とか、あそこに道路作ってほしいだとか作ってほしくないだとか、そうした「政治家の陳情処理の日比比較」もやってみたい。仮説は「フィリピン政治家は実はそれほど腐敗していない。腐敗が目立つシステムになっているだけ。」です。永田町で観察しているかぎり、日本の政治家もフィリピンのイロコスあたりの政治家もあんまり変わらないんじゃないかと思いますもの。(私の上司は違いますが。)

 私が博士号の取得後に研究職を目指さなかったのは、研究職に魅力を感じなかったからではありません。ほかにやりたいことがあったからです。大学に残らなかったのは、研究に見切りをつけたからではありません。自分の専門分野(政治学)+フィリピン研究で新しいことをするには、大学の外に出たほうがいいと思ったからです。永田町に骨をうずめたいとか、自身で政治家を目指したいとかなんていっさい思っていません。でも、いつか大学に戻りたいとも、いまのところはまったく思ってはいません。大学にいなくたって研究はできるはずですし、こういう研究の続けかたは、ありだと思っています。

 まずは、研究会の場に役人に来てもらえるようにしたい。政治家や官僚から求められる資料を集め、ポンチ絵(って役所用語?)作り続ける優秀な日本の下っ端役人の情報収集能力と勘って、研究者の比にならないこともあると思います。外務省南東アジアⅡ課の方々に研究会に来ていただいて、研究者の発表にコメントをしていただきたい。たぶん、誰も予想だにしないようなコメントが出てくるはずです。
 私は現時点ではフィリピンの政治研究にあまり将来性を感じないけれど、もし、こうしたことが実現できたら、新しいビジネスチャンスが広がると思います。
 研究職についている人たちにとって、顧客は学生とアカデム仲間なのでしょうけれど、私はまったく別のところに顧客を求めたいと思っています。いつか数年後、たとえば●紅の会議室内で、あるいは共●通信のマニラ支局内で、院生も実務家も皆で集まっての私たちの親密な研究会の月例会ができたら、すごくおもしろいんじゃないかと思います。私一人でやるんじゃなくて、マニラで一緒にお仕事させていただいていた役人の方々とか、かつてマニラ特派員だった方々とかで比較的同年代の方々と一緒にやってみたい。
 同年代の研究者と将来の共同研究の夢を語り合う時間は最高ですが、研究者以外の方々とのこうした協働の夢を語ることもまた、最高です。いまだから言えるけれど、役人も本当に、まんざらじゃありません。控え目に言って。永田町で働き始めて以来、マニラでご一緒いただいた役人の方々とメディアの方々に、ネットワーク作りの面でも情報の面でも、そして精神面でも、ものすごく支えられています。マニラ生活中に得た人脈は財産だと、そう思います。
 あと一歩。あと一歩頑張れば、こうしたネットワークをアカデムの世界にも広げられる気がするのですが…。
 
 大学院棟の研究室ではほとんど人脈をつくることができなかった私は、こちらのほうで貢献していきたいと思うのです。

 ほんとうに向こう見ずで身の程知らずの大胆すぎる野望ですが、そういうことを考えている若手(私はもうそろそろ若手じゃなくなるのかもしれないけれど)が一人くらいいてもいいと思うのです。

 今回、久しぶりに研究者仲間と会って、教育者としての経験を有し、数々の学会に出席し、大学行政の論理の中で生きている同世代の友人たちの論理をうまく理解できなくなりつつある自分に気づきました。18歳を相手に授業をしている彼らと、国会議員の委員会質問を毎日聴いている私とでは、いろいろ違って、きっと当然です。むしろ、異端のくせに研究会に出てくる私のほうが、彼らに合わせるべきなのでしょう。(頑張って合わせたつもり。)
 でも、きっと昔よりはお互いにmatureになっているから、いくら違っても、お互いのバックグラウンドが違うことを理由に排除しあったり非難しあったりは決してしないし、何を言っても大丈夫という信頼があるから、きついことも失礼なことも言い合える、そのことを、改めて心地よく思いました。どんなにネットワークが広がっても、こういうことが言えるのはこの仲間うちだけ、という絶対的な安心感のようなものがあります。

 親愛なるフィリピン研究者の先輩・友人の皆さんへ。研究会後の懇親会の席で私が研究会のレベルについての評価を「私の指導教官からのメッセージ」として伝えたのも、そもそもあえて指導教官からそのような話を聞いてきたのも、決して場当たり的なものではなく、もちろん指導教官からの差し金ではなく、以上のような背景をもつ私が、自分自身の選択と判断で行ったことです。もし今回のような場がなかったとしても、私はいずれ、MLなどで同じことを言ったでしょう。私は自分の指導教官のことを、フィリピン研究者の中でもっとも「アカデム以外の世界」との接触をもっている研究者として尊敬しているからです。指導教官からの縛りなんて一切ありません。(そもそも、大学に残らなかった私にとって、指導教官への忠誠心などなんの役にたちましょう。)私は指導教官の口を借りただけで、私自身も同じことを思っていたし、いつか誰かが言わなくてはならないことなら、研究職に就いていない、学会の人間関係のしがらみも一切ないような私が言うのが一番だと思ったから、あのようにさせていただいたまでです。
 研究者の先輩の、そして仲間の皆さまが、そのことを正面から受け止めてああやって議論してくださったことが私はとてもうれしかったし、やはりこの仲間とこの環境は最高だと思いました。あんな話題を出したことで愉快でなかった人もいるでしょうに、ありがとうございます。先輩方、いつも生意気でごめんなさい。それを補って余りあるくらいの成果を、来年…はどうかわからないけれど、数年後には必ずこの研究会にもってきますから、どうかお許しください。
 来年のこの日まで、お互いに元気で切磋琢磨いたしましょう。
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by saging | 2011-06-05 23:43 | フィリピン研究