Keso de Bola とは、 「表面は赤いのに中は黄色い」フィリピンのボール型チーズ。転じて日和見主義者。       かつてお世話になった、現地の言葉で「灯台」と呼ばれるマニラ湾岸のスラムを、ガラス越しに。
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テロルの決算 その2
 東京コネタ、もうひとつ。
 首相官邸の前庭には今日まで、日章旗とならんで「こいのぼり」がはためいていました。
 日章旗が「半旗」でなくなったのは、震災から1ヶ月が経った頃でした。4月のある日の日経新聞の「春秋」欄に、もう半旗はやめよう、というコラムが掲載された数日後のことです。半旗を眺めながら仕事をする毎日がいたたまれず、できるだけ窓の外を見ないようにしていた頃のことなので、厳密にいつ戻ったのかは定かではありませんが、ある日、気づいたのです。
 その数日後、日章旗の横に「こいのぼり」がはためいていることに気づきました。
 4月の東京は風の強い日が多かったから、こいのぼりは毎日、元気すぎるくらい元気に泳いでしました。
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 上の写真のこいのぼりは、桜田門の某庁舎のもの。官邸のこいのぼりを写真に撮るわけにはいかないので、代わりに。

 連休中に、沢木耕太郎『テロルの決算』を再読しました。2ヶ月に1度は読み、そのたびに深い感動を覚える書です。
 この書の素晴らしさを月並みなことばで表現するとしたら…。人間の描き方と、その背後にある、著者の人間理解への努力、とでも言うのでしょうか。
 私はこの書のように他人とかかわり、政治とかかわりたい。心から、そう思います。私が議員秘書という職業を強烈に志した理由のひとつがこの書であったことは間違いありません。
 …『テロルの決算』を愛読する議員秘書なんてアブナすぎますが、別に、テロルや右翼に感じ入っているわけではないですから。

 3年前に初めて読んだときはこんなことを思っていたのですが、読むたびに別の箇所が気になります。 今回は、山口二矢が右翼に傾倒し、そして社会党委員長を殺すことを企図するに至った背景として、「父親が自衛官であることを『責められている』ように感じ、左翼こそが圧倒的強者であると認識していた」ことがあったというくだりに、勝手に感動。「左翼こそが強者」っところ。ねぇ。
 私は自己の選択として議員秘書になり、仕事として議員秘書をしているわけですが、それでも、特に震災後の、被災すらしていない人たちからのきわめて一律的で情緒的な「国会議員批判」や「政治家批判」を見聞きするたびにダメージを受けます。事務所では、どんな罵声(事務所にかかってくる電話は、この世のものとは思えないくらいひどいものばかりです。震災発生前からですが…)にも、どんな不愉快な人間関係にも耐えます。仕事ですから。でも、自宅では民放は絶対につけません。活動家の友人の書き込みが否応なく現れてくるFacebookも、できれば開きたくないくらい。すべて、自分が責められている気がします。

 そんな政治家を、そんな国会議員を選んでいるのは私たちじゃないですか。

 そんな電力会社にこれまで何も言わずに消費者になってきたのは私たちじゃないですか。

 …自由な選択肢の一つとして政治に関わる仕事を選んだ私でさえ、そう思って、ここから逃げ出したくなるのです。
 
 電力会社社員の、あるいは幹部の家族は。原子力安全保安院の職員とその家族は。仮設住宅建設を担当する国交省職員の家族は。
 …中央省庁の職員といったって、皆が高給取りのエリート官僚なわけじゃないですよ。
 「国会議員も避難所に住んでみろ。」
 「中央官庁の官僚が原発内部で作業してみろ。」
 「責任企業の職員は全員失業しても当然」
…という、たぶん日本にかぎらず、何かあれば必ず投げられる、きわめて非合理的な剥き出しの感情論。そうした感情論を責めることなど、誰にもできないのですが。

 福島から避難してきた子どもたちが「放射能」って差別を受けるというのは何度も報道に出るけれど、東京電力の、あるいは関連企業の、そして全国の電力会社の家族がどんな思いでいるか、子どもたちが毎日の報道をどんな思いで見ているか、といったことは報道されません。当事者が取材を受け入れないのだから、当然のことです。
 差別とか迫害とかいうのは、「差別だ!」「迫害だ!」って叫ばれている以外のところで進行するのだ、と思います。

 こういうことを書くと左寄りの方々にまた思いっきり叩かれるのでしょうが、いまに始まったことではありません。私は、議員秘書ではなかった頃から、純粋な関心からNGOの集会に行ったら「スパイだ」っていちゃもんをつけられたり、あるシンポジウムで私がまじめに話をきいているのになぜか横に陣取って「あなたはフィリピン研究者だそうですが…」と議論を吹っ掛けてくる人に悩まされたり(周りの方々に迷惑なので退席しました)…。議員秘書になってからは(特に震災後)、ここにはとても書けないくらいひどい言葉で罵倒メールを送ってこられる知人もいます。対話をしたいと思っていても、ここまで敵意を剥き出しにしてくる相手とどう関わればいいのか。
 こういう風土なら、日本の議員秘書が左派系のNGOの集会に出ないのも無理はありませんよ。日本の活動家に「戦略」はあるのか?と、心配にすらなります。
 フィリピンの左翼も、気合いの入っている方々はもちろん頭ガチガチでしたが、全体的にレンジが広かったので、もう少し話し合う余地がありました。マニラで働いていたとき、休日に研究のためにとあるフィリピンの左派系団体のデモを見に行ったら、偶然にスタディツアーとかで来られていた日本の労組の方がいて、主催者であるフィリピン左派の幹部は私の事情を察して黙っていてくださったのですが、集会参加者(スラム住民の方々)が親切心から彼と私を引き合わせてくださり、彼は私の仕事上の名刺をしつこく要求。フィリピン人幹部の方々があとで申し訳なさそうに何度も謝ってくださって、いたく恐縮しました。

 いま思うに、フィリピンは全体的にレンジの広い社会でした。タイもそうですが、あの圧倒的格差を所与のものとして何十年も成り立っている社会って、日本にはない安定感があります。良いとか悪いとかの問題ではなく。政治的には不安定すぎるのですけれど。
 震災後の日本で広がった「自粛」という言説(と言っていいですよね?)とか、
 「被災者に比べれば私の苦しさなんて…。」
という妙な罪悪感まじりの感情とか、
 「いてもたってもいられない。」
という言葉とかって、日本ならではのものだと思います。
 皆が平等であるべきで、皆が罪をかぶるべきで、皆が頑張るべきで、皆が耐えるべき。…民放に出てくる人たちの「他人への同調を求める日本語」の気持ち悪さ、海外に出てから初めて気づきました。「ですよね?」「でしょう?」の使われ方に驚きました。ああいう否定疑問文とか付加疑問文とかは、日本語以外では使わないと思います。

 日本はレンジが狭いんですよ。『テロルの決算』の背景となったあの頃も、いまも、変わらず。

 真摯に自分自身を反省することなく、他人に指を向けて「逆ギレ」しそうな私はたぶん、議員秘書としてだけでなくいろいろと「失格」なのでしょうが、『テロルの決算』を読むたびに、あそこにきわめて生々しく描かれている、「頭の良し悪しや職業に関係なく、自分のことに夢中で、他人への想像力が欠如している、どうしようもない普通の人たち」への視線と、これだけどうしようもない人たちが立候補したり投票したり社会運動やったり議員秘書やったりしてぼちぼち政治を動かしているという馬鹿馬鹿しい現実がすごくリアルで、私はこれを体現するために議員秘書になりたかったんだな、と思います。
 ダメダメな個人による、ぼちぼちで目も当てられないデモクラシー。フィリピンでも日本でもそれは同じで、だからこそ政治はすばらしくておもしろいのだと思うのです。
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by saging | 2011-05-05 23:58 | 仕事('10年~)