Keso de Bola とは、 「表面は赤いのに中は黄色い」フィリピンのボール型チーズ。転じて日和見主義者。       かつてお世話になった、現地の言葉で「灯台」と呼ばれるマニラ湾岸のスラムを、ガラス越しに。
管理人sagingより
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30歳
 数日前、30歳になりました。メールやSNSへのメッセージをくださった方々、本当にありがとうございます。
20代の半分以上をすごしたフィリピンとも、とうとう、あと1ヶ月あまりでおわかれです。そう思ったら最後に海が見たくなり、誕生日は、ドゥマゲッティとシキホールで迎えました。
 空と海と月。ほかには何もいりません。こんな倖せがほかにあるでしょうか。
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 この8月には、今度こそ本当に、日本に帰り、日本の国会議員秘書を目指します。さまざまな方々からのお力添えによってなんとか実現しそうなので、がんばります。
 決して、議員秘書をライフワークにしたいわけでもないし、ましてや、自分自身が政治家になりたいと思っているわけでもないけれど、ただ、もっと大きな自分の将来の目標というか、自分が世界に対して挑戦してみたいこととか、そんなことを実現するために、自分の祖国である日本という国の議会システムをもっとよく知りたいのです。前の職場で3年間お世話になっていたときに日本の官僚システムを垣間見ることができて、それから、立法府とも少しは接点があって、ぜひ立法府を内側から見たい、と思うようになりました。見たいものはもっとあります。国連機関の仕事もしてみたいし、今年は見送ったけれど、いずれJ●CAでも働いてみたいと思っています。NGOからは完全に「官」だと思われているのに実は大●館にないがしろにされているところとか、新人はやたらめったら熱い(青年海外協力隊っぽいノリ)のに中堅はきわめて官僚的なところ(どこでギアチェンジが行われるのか??)とか、旧J●ICと一緒になったことによるゴタゴタとか、きわめて興味深いと思います。
 …というわけで、やってみたい仕事は、無数にあります。10代のときに「NGOどっぷり」だったぶんも、少しでも多くの立場から「世界」を見たいと、そう思っています。

 努力しては前を向いているつもりだけれど、漠然とした不安はいつも自分の周りを覆っていて、具体的にはたとえば、議員秘書としての過酷なスケジュールに耐えられるのかとか、仕事以前の問題としてぎゅうぎゅうの東京の電車で通勤できるのかとか、そもそも自分は驚異的に速い日本の新幹線や驚異的に深い日本の地下鉄に乗れるのかとか…、そんな不安ばかりです。いまも飛行機は怖いし、ときどきは車道を横断することすら怖いし、毎晩眠りにつくときに明日を思い描こうとするとなぜか怖い、それくらいに、毎日が不安です。
 でもきっとそれは、環境ではなくて自分の心の持ち方の問題であって、不安ってきっと、これからもずっと続いていくものなのだと思います。どんなに安定した職業についても、どんな財産を築くことができたとしても、きっと、ずっと。

 昨年の誕生日に書こうとして書けなかった、Fishmansの歌詞をもういちど。

  ドアの外で思ったんだ 
  あと10年たったらなんでもできそうな気がするって
  でもやっぱりそんなのウソさ   
  やっぱり何もできないよ
  僕はいつまでもなにもできないだろう


 19歳でフィッシュマンズを知ったときは、10年後のことなんてまったく思い描けないながらも、でも少なくとも、
 「10年前=9歳のときに思っていた自分以上にはなっているんじゃないかな」
と、勝手に自己満足していました。いまも、10年前=20歳の時の自分といまの自分の差異にばかり気をとられて、40歳になった自分なんて想像もできません。
 この歌を、そしてフィッシュマンズのことを教えてくれたサークルの先輩(いわゆる大学のサークルです)の言葉を思い出します。
 「不安なんて否定するものじゃなく、それを受け入れる『覚悟』があるかどうかが重要ちゃうか?」

 そんなものかな。きっとそんなものなのでしょう。
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by saging | 2010-06-26 15:30 | フィリピン(全般)